大きな大陸の片隅に位置する大神国。自然豊かな土地は、文明は未発達ながらもたくさんの人々が楽しく暮らす国だった。
深い森の中。その山道を、3人の兄妹が歩く。
大きな荷物を担いだ男性が急な斜面を登り、
「露、来られるか?」
と下に手を差し出した。
下にいた女性が子どもを抱え、子どもも男に手を伸ばす。子どもを上にあげた後、女も男の手を借りて斜面を登った。
「兄さま、次の里はまだですか?」
「もう少しあるかな。まだ歩けるか?」
兄と呼ばれた男性が、少し遠くを見ながら答える。
「足が痛いです……」
「露も医術師の子でしょう。そのような泣き言をいってはいけません」
女が着物の袖で妹の顔を拭った。
「父さまが医術師なのであって、露は医術師ではありません!」
「では、露は医術師にはならないのですか?」
姉からの当然の問いに、子どもは唇を尖らせると、
「……姉さまは意地が悪すぎます」
と答えた。
「母様の遺伝かもしれませんね」
「母さまはそんな方ではありません!」
「露は知らないでしょう」
旅路だというのに、いつもの姉妹喧嘩が始まってしまう。これを止めるのが、
「こらこら、2人とも。こんなところでまで喧嘩なんかしなくても……」
兄、弦太郎の仕事だった。
「兄上、先を急ぎましょう」
「そんなに急ぐことはないよ」
兄に止められて不満そうな長女綾子が、すたすたと進む。弦太郎と露子もその後を追った。
しばらく進むと、
「あ、兄さま! 茶屋が見えました! あそこでお休みしましょう!」
末っ子露子が、目を輝かせて先を指す。
「そうだな。団子でも食べるか」
「……もったいない」
財布を握る綾子は、団子に使うお金がもったいないとぼやく。
「そう言うなよ、綾」
そんな妹の頭を、弦太郎が撫でた。
「いらっしゃい」
「お団子とお茶3つ!」
「あいよー」
さっきまでの疲労が嘘のように、露子は元気に、茶屋の女将に声をかけ、店先の椅子に座った。
弦太郎と綾子が追い付いた時、ちょうどお茶とお団子が出てきた。
「おや、珍しいねぇ。その子の親にしちゃ若いが、お前さんたち、いったいどういう関係だい?」
隣の椅子に座っていた旅装束の男が声をかけてくる。
「兄妹で医術師になるために旅をして回っているんです。世界は広いですからね」
それに答えるのは弦太郎だけ。露子はお団子に夢中で、綾子はあまり積極的に喋る方ではないから。
「ほぉ、お前さん、医術師かい。ちょいと俺も見てくれねぇか」
「えぇ、いいですよ」
「高いですよ」
これには、すぐに綾子が反応して、兄の言葉を遮った。
「ただ診るのにもお金がかかります。薬代、払えますか?」
突き放すような冷たい言い方に、男性は憤慨して、
「なんだい、こいつら! ちょっと見るくらいいいじゃねぇか!」
と店を出て行ってしまった。
「綾……」
「兄上、薬にも銭がかかります。無駄遣いはおやめください」
呆れる弦太郎に、綾子はさも当然のように言い返す。
「姉さまは銭の鬼です」
露子が団子の串をくわえながら言った。
その時、茶屋に男の2人組が入ってくる。
「ほら、着いたぞ。ここで少し休ませてもらおう」
一人は怪我をしているのか、もう一人の男に腕をかつがれ、足を引きずっている。
「すまんな。ちょいと店先を借りるぞ」
「えぇ、えぇ、かまいませんよ。お連れさん、どうしたんで?」
茶屋の主人が出てきて、心配そうに尋ねる。
「さっきそこで足を滑らせたんだ。どうも挫いたらしい」
「そりゃ大変だ。挫いただけだったら、温めるといいって聞く。何か持ってきますよ」
「あぁ、助かる」
店に駆けこんでいく主人に、
「冷やす方がいいですよ」
と弦太郎が声をかける。
「あぁ、そうだ! あんた、医術師って」
「冷たい水に足をつけていれば、じきに歩けるようになるかと」
「失礼します」
弦太郎が主人に答えている間に、綾子は椅子に座る男性の足元に身を屈め、足首に触れた。
「骨は折れていません。確かに足を挫いただけのようです。露、薬草を」
「はい、姉さま」
露子が薬箱の中から必要な薬草を取り出し、すり鉢ですり潰して姉に持っていく。
綾子はそれを躊躇いなく患部に塗り付け、布で丁寧に巻いた。
「水で冷やすだけより、治りが早いと思います」
「あ、ありがたい……。薬代はいくらだ?」
「いくらなら払えますか?」
「え?えっと……」
怪我をしていない男が、慌てて懐を確認する。
「すまん。これから旅にいくらかかるかわからんから、これくらいしか……」
と銭を数枚取り出す。
「では、それでここのお団子を1つ買って、妹にやってください」
男が差し出した銭であれば、団子の10本くらいは買えるだろう。しかし綾子は、1つと言った。
「え、それだけ?」
当然男も驚く。
「えぇ」
もう興味がないのか、綾子は薬箱を片付けながら答える。
男は戸惑いながら団子串を買い、露子に渡した。
「ありがとうございます!」
露子は笑顔で礼を言って、嬉しそうにかぶりつく。
「妹たちが申し訳ない。お代は十分ですよ」
弦太郎が丁寧に頭を下げた。
「露、座って食べなさい。はしたないですよ」
「ふぁーい」
綾子に注意された露子が、とととっと椅子に駆け寄って座る。
本当に困っている人がいれば、綾子は惜しみなく薬草を使い、喧嘩ばかりの姉妹が団結する。
いつもそうであってほしいという弦太郎の願いは、なかなか叶わないものだった。
日が暮れてくれてきて、その日は途中にあった簡易的な旅籠に泊まることにした。
広い土間で大勢の旅人が雑魚寝をする旅籠では、満足に休むこともできないが、雨風をしのげるだけ十分だ。
「姉さま……」
「ここにいますよ」
心細そうに姉を探してすり寄る妹に、綾子はそっと答えて頭を撫でる。
生まれてすぐに母を亡くした露子にとって、姉は母親代わりとも言える存在。だからいまだに、眠い時に甘えるのは、兄ではなく姉だった。
なんだかんだと仲のいい姉妹の様子を見ながら、弦太郎は背中を壁に預ける。
隣に座った綾子も、兄の肩を借りてうつらうつらと船をこぎ始めた頃、
「へへ……」
周囲の男たちが、いやらしい目つきを向けてくる。
妹が事件に巻き込まれてはいけない。睨みをきかせるため、弦太郎は休めそうにはない。それでもかまわなかった。
『弦……。あなたは、強い子。どうか、妹たちを、守ってあげてね』
弱った母が、家族が寝静まった夜に、心配で起きてきた弦太郎に言った。
『弦太郎、頼んだぞ』
老いた父が、最後に放った言葉。
両親のこの言葉が、妹たちを守りながら旅をする弦太郎を支えていた。
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「おい、これやっとけよ」
バサッと投げられる着物たち。頭の上にのせられ、怒鳴りたいのをぐっとこらえる。
「おい、いいのかよ」
「いいだろ。新入りなんだし」
「新入りったって……」
ついこの前入ったばかり、とでも思っているのだろか。もうここに来て3ヶ月は経っている。
「平民は洗濯も慣れてるだろ!」
理由は、たったそれだけ。それだけでも、ここではいじめられる。
彼はぐっと唇を噛んだ。
こらえろ。いつか絶対にやり返してやる。彼らよりもずっとすごい医術師になって。彼らの上に立つ人間になってやる。
そう言い聞かせた。