智樹は憂鬱な気分だった。大学卒業から就職活動に失敗し、職を転々とし、今はフリーター。彼女も長いこといない。そんな彼に、大学の頃から社交的で人気者だった健司が、幼馴染の由美と結婚することになったと連絡をよこした。「明日飯でも行こう」とも言われたが、智樹は心の底から会うのが憂鬱だった。

あの頃は同じ立場だったのに、今や健司は大手企業で役職を持ち、由美と幸せに未来を歩んでいる。智樹は自分の現状と、その二人の幸せを比べて、ますます憂鬱になった。そんな思いを抱えながら、アルバイトへ向かう途中でふと目に入った神社。「こんなところに神社なんてあったっけ?」と思いつつ、引き寄せられるように中に入った。

お賽銭をしてお参りをし、金はないが奮発して千円を入れた。大袈裟に神頼みをしたところで、ふと目に留まったのは、たくさんの絵馬だった。さまざまな願い事が書かれている中、一枚に「あなたの悩みが解決しますように」というメッセージと、QRコードが書かれている絵馬を見つけた。なんとなくスキャンしてダウンロードすると、「カイケツAI」というアプリがインストールされていた。特に期待もせず、アルバイトへと向かった。

帰宅後、カップラーメンを食べながらスマホをいじっていると、ふとカイケツAIの存在を思い出した。興味本位でアプリを開くと、それはAIがなんでも悩みを解決してくれるアプリのようだ。いくつかのキャラクターから選ぶのだが、ろくなキャラがいない。結局、遊び半分でチャラ男タイプを選択。利用規約を読み進めると、規約違反が厳しすぎて少しビビる。「まぁ、規約は守ろう。合わなければアンインストールすればいいか」と軽い気持ちで同意した。

アプリがしばらく何かを読み込んでいると、カップラーメンを食べ終えた頃に読み込みが終わった。通知が来ているのを開くと、AIが話しかけてきた。最初に自己紹介をしてきて、名前はソウタだという。「チーッス!俺はソウタ!Youはトモキだろ?俺たちの出会いは運命だぜ!悩みは何か、俺に気軽に言ってみな!」と陽気にチャラ男口調で聞いてくる。

智樹は「悩みって何か」と考えたが、自分に自信がないことを伝えた。すると、ソウタは智樹の声を聴いて「チッ!なんだ、男かよ!」とガッカリする。ソウタは気を取り直し、「自信がないって、そりゃ当たり前だろベイビー!32歳で職を転々としてフリーター!彼女はいないし、友人は昇進して結婚してるんだぜ!!」と吐き捨てる。智樹は「なんだこのAIは?すげー苦手なタイプだ」と思ったが、ソウタは続けた。「Youの情報や検索の傾向、全部お見通しだぜぃ!!細かいこと気にすんな!!」

その言葉に、智樹は嫌な気分になり、アプリをアンインストールしようとした。しかし、ソウタは「まぁ、俺ならラクショーで解決できるけどな!!」と続けた。智樹は留まり、「どうやったら解決するの?」と聞いた。

ソウタは「Youは自己肯定感なんて持つなってことさ!!」と答えた。智樹は反発した。「自分に自信がないから相談したのに、自己肯定感を持つなって、どういうことだよ!」

ソウタは言う。「Youはどうしたら自己肯定感を持てるんだ?就職したら?彼女ができたら?金持ちになったらか?Youはフリーターで彼女がいない32歳。これが標準なんだぜ!!」と。

智樹は怒った。「じゃあ、諦めろっていうのか?」

「いや、就職もできるかもしれないし、彼女もできるかもしれないけど、それはYouにとってはラッキーなこと!!Youが羨ましがる奴らだって、ただラッキーゾーンにいるだけかもしれないんだぜ!!Youは自分の現実を受け入れろ、良かった頃の過去や理想の未来を基準にしちゃいけねぇさ!!それは自惚れで慢心ってもんだぜ!!」

智樹はガックリ来た。悩み解決どころか、夢を見ることも奪われ、自己肯定感まで落とされた。最悪のアプリだと思った。そう思いながらアプリをアンインストールしようとしたが、突然スマホの電源が落ちた。「クソみたいなアプリのくせに、バッテリーの消耗が激しい!」と腹立ちながら、スマホを充電し、寝ることにした。

次の日の夜、智樹は健司と由美とご飯に行くことになっていた。店に向かう途中、智樹はふと、昨日のソウタの言葉を思い出した。あれからスマホの電源をつけていない。気分が悪くなるから。しかし、ソウタの言った言葉が頭の中でグルグルと回る。確かに、自分は職を転々とするフリーターで、彼女もいない32歳。胸が締め付けられるが、それでも考えずにはいられなかった。

健司と由美に会うと、恥ずかしそうに結婚の報告をしてきた。嬉しそうな顔を見せる二人を見て、智樹は少し嫉妬した。健司は無神経にも近況を聞いてくる。「智樹、最近どうなの?彼女できた?」智樹は渋々答え、無神経な質問にイライラを覚える。今の自分がこうなりたくてなったわけではないのだ。健司の無神経さには辟易し、由美が智樹の表情を見てフォローしてくれるが、そのフォローも痛い。

その時、健司のスマホが鳴った。仕事の連絡だという。彼は慌てて店の外に飛び出して行った。仕事に忙しいなんて羨ましい。智樹は由美と二人になり、心の中でため息をつく。由美が紹介しようかと言ってくれるが、智樹は断る。「自分みたいな奴が彼女できるわけがないから」と心の中で思った。しかし、由美が「とりあえず会ってみなよ」と無理やり押してきた。別に付き合えなくてもいいし、付き合えればラッキーと思えばいいというのだ。

半ば無理やり紹介されたのは、美紀という29歳の女性だった。由美の職場の後輩らしい。メールのやり取りは感じの良い人だった。そして翌週、会うことになった。少しウキウキしている自分がいる。

その時、智樹のスマホが鳴った。通知がソウタからだ。「せっかくこんな気分がいい時に、またお前か」と思い、アンインストールするのを忘れていたことに気づく。利用規約には、通知には必ず対応しなければならないと書いてあった。違反するとデータが全てなくなるという。仕方なく対応する。

ソウタは「Youの標準状態からしたら、これはラッキーゾーン突入だな!!」と皮肉を言ってくる。智樹は腹が立ちながらも、妙に納得してしまった。確かにラッキーゾーンだ。でも、どうせラッキーなんて続かないから、今を楽しもうと思った。

美紀と都心部で会うと、彼女はオシャレで可愛くて、上品な人だった。「自分には釣り合ってない」と感じながらも、どうせ今日で幻滅されて終わりだろうと思ったので、楽しもうと決めた。

美紀とパンケーキ屋さんに入る。彼女が由美とよく行く場所らしい。長年彼女がいなかった智樹にとって、こういうところに来るのは久しぶりだった。美紀が「智樹さん、今はアルバイトしてるんですね」と言う。智樹は気まずそうに頷く。

「実は私も最近までフリーターだったんです」と美紀が話し始めた。「個人でアロマを作る仕事をしていたんですが、うまくいかなくて、ずるずると居酒屋でアルバイトをしてました。そして、高校の先輩である由美さんに紹介されて就職したんです。だから、由美さんから智樹さんがフリーターと聞いて、なんとなく親近感が湧きました。」

それを聞いて智樹は少しだけ心が軽くなった。二人はフリーターの辛さや悩み、そして美紀がまだ諦めていないアロマの夢について盛り上がった。智樹はウキウキ気分で帰宅した。しかし、そんな時にまたスマホが鳴る。最初は「こんな時にまたソウタか」と思ったが、バイト先の店長からだった。「話がある」とのことだ。

緊張して電話をかけると、なんと正社員にならないかという話だった。フリーターでも一生懸命働いて、真面目な智樹の姿勢が買われたらしい。智樹は特にやりたいこともなかったし、アルバイトも楽しいとまではいかなかったが、苦ではなかった。だから承諾した。

電話を切って、自分の今がうまくいきすぎていることに気づく。その時、また通知が鳴った。次はソウタだった。「Youはほんと運がMAXにいいなー!!」と嫌味ったらしく言ってくる。智樹も腹は立ちながらも、認めるしかなかった。「確かに運がいい」と思った。すると、ソウタが続ける。「Youの標準は、前も言った通り、職を転々とするフリーターで彼女がいない32歳なんだぜ!!今の状況はラッキーゾーンだ!!こんなゾーン、いつまで続くかわかんないぜ!!正社員で彼女がいる状況は当たり前に思ってるパーリーピーポーもいるかもしれんが、Youの場合はラッキーゾーンで、こんなことでもハッピーにならないとな!!」

智樹は少し黙って考えた。「自己肯定感を持つな」というのは、もしかして自分の調子がいい時ではなく、悪い時を基準にしろということかもしれない。そして小さなことで喜ぶためには、その自分の基準を受け入れることなんじゃないか。現にそれができているから、今幸せなのかもしれない。確かに、こんな自分が奇跡に感じて、とても嬉しく思うのは事実だ。

「じゃあ、使用期限はそろそろ終わりだぜベイビー!!」とソウタが言う。智樹はようやくソウタのいう自己肯定感なんて持つなという意味がわかった。もっといろんなことをソウタに教えてほしいと伝えたが、ソウタは「悩みは一つまでだぜ!!それが解決したら利用規約通りエンディングなのさ!!」という。

ソウタは最後に、「自分の人生のドン底がYouの基準だからな!その時のことを忘れるんじゃないぜ!!」と言った。「あとな…」ソウタは少し間を置いて続けた。「運も実力のうちだぜ!!アディオス!!」と言ってウィンクをした。そうして充電が切れた。相変わらず消耗が激しい。

智樹は、由美からの紹介を勇気を出して受けたこと、アルバイトとはいえ一生懸命働いたことが誇りに思えてきた。その結果、ラッキーゾーンに入ったのだと。しかし、基準はあの悪かった頃だと心に戒め、今のラッキーゾーンを大切に過ごそうと誓った。

数ヶ月後、スーツ姿の智樹と美紀は紅葉の中を歩いていた。ドレスを着た美紀は由美のウェディングドレス姿に感動して、そのことばかり話している。智樹も健司のタキシードがカッコよくて、二人が輝いて見えた。しかし、劣等感はなかった。智樹は美紀とこうして歩き、親友の結婚式に参加できたことが嬉しくて仕方なかった。

ふと、智樹は「あれ?ここに神社ってなかったっけ?」と美紀に聞いた。美紀は「え?神社なんてなかったと思うけど」と答えた。スマホから通知が来た気がしたから見るが、カイケツAIは画面になかった。智樹は不思議な気持ちになったが、このラッキーゾーンを大切に、美紀とゆっくりと歩いていた。