12.準備と挑戦
文化祭準備期間は、放課後の居残りリミットが夜八時まで延長される。
毎日全員が残れるわけないので、大体十人ぐらいのグループに分けて三日おきのローテーションを組んだけれど、火種があちこちにくすぶっていた。
ちなみに、クラス委員である姫川さんと、文化祭委員であるトワ、そしてトワの送り迎えの僕は毎日居残っている。三人とも家が近いし、八時過ぎた帰り道はさすがに暗い。姫川さんの自転車の速度に合わせてゆっくり走って、ついでに神社まで送るのもお決まりになってきた頃、不満も待っていたかのように爆発しはじめた。
「このグループ、さぼりすぎ」
「ぼっちに居残りは厳しい」
「仲良い人がいない」
「部活の方の準備で来られない」
挙げればキリのない問題が山積みで調整は難航した。及ばずながら僕はその間に入って(委員という肩書きじゃない僕の方が、何かと言いやすかったりする)なんとかしている。
クラス委員のはずの三ツ矢を筆頭としたグループは、ダンス練習を優先させていて、全然手伝いに来なかった。
つまり男子が三、四人すっぽ抜けた状態が続き、あっという間に人手不足に陥った。そんな状況に黙っていられる白崎さんじゃない。
「ふっざけんなよ、三ツ矢ぁ!」
ジャージ姿で教室の床に直接座って怒り狂いながら、『雲』に使う綿を一心不乱にむしっている。ほわほわと白い綿毛が舞っていて、夜の教室に幻想的な怒りを振りまいていた。
「あんにゃろう! 人の名前勝手に出しておいて、来ないって! そんなことある!?」
「ないわね。最低の無責任野郎」
深く頷きつつ、姫川さんも違う綿の塊を、むしりにむしりまくっている。どうやら三ツ矢はクラス委員としての仕事までサボっているらしい。おかげで、教室の床に雲がたくさんできた。
(明日は雨かな。いや、雷雨か……)
僕の信条は、怒った女子に逆らわないことだ。母のエリコにしたって、ぷんぷんしているときに付ける薬はない。ただひたすらに「そうだね、その通り」と頷いて、怒りが通り過ぎるのを待つしかない。じゃないと余計に怒り狂って、物は壊れるかもしれないし、お弁当のおかずが全部ブロッコリーにされるなんてこともありうる。はらぺこなアオムシでもそんな食べない。
「やる気のないやつは、放っておけばいい」
トワがクールな顔で段ボールを青く塗っている。乾いた部分には、綿を貼っていく。用意するゲームは、輪投げ・ボウリング・スーパーボールすくい・マグネットを使った釣り(キャンディ付き)だ。ホームセンターと百均ショップを駆使して、なんとか予算内に収まった。アンジと僕のバイクが店と学校を何往復したのかは、あまり数えたくない。ガソリン代は、母のエリコが「トワくんと文化祭準備⁉︎ 青春だわ!」という訳のわからない感動でもって喜んで負担してくれたのは助かったけれど。
壁には空の絵を貼ろうと、大きな模造紙に水色や青を塗った上に、太陽を描いたり虹や鳥を書いたりしている。これが結構大変だ。クラス全員にそれぞれ好きな色の風船を書いてもらって、将来の夢や目標を中に書き入れることにした。家族が来た時に探して楽しめるだろう、とトワが考えたアイデアだ。「ボクは、天使になりたいって書くけどね」と言うトワをみんなからかうけれど、僕はそれを聞いた時に胸がきゅうっとなった。
トワは、人生で最後になるかもしれない文化祭を、全力で楽しんでいる。
だから、めんどくさがりで目立ちたくない僕だって、こうやって頑張っているのに。
さすがの僕も、三ツ矢の無責任さと自己中加減には、イライラ度が頂点に達しそう。
「気にしないようにしようよ。僕らが楽しんでやれればいいよね」
普段陰キャの僕が、委員長の姫川さんやギャルの白崎さんと平気で話しているのを見て、大人しめのクラスメイトたちも恐る恐る動いてくれている。
むしろ三ツ矢たちがいない方が、うまくいっているのかもしれない。
「……ふふ。ユキくんが自分の気持ちを言うの、珍しい」
姫川さんが、僕の隣で微笑んでいる。雲はむしり終わって、次はお会計に使う仕切り付きの箱に、ペタペタ色画用紙を貼り始めた。
ぽろりとユキくん呼びになってるけど、あえてスルーしておく。
「あー、そうかも」
「普段あんまり自分の意見、言わないものね」
「はい。今だけ特別仕様ですね」
「なんで敬語なのよ」
それを聞いたトワが、少し離れた場所から笑う。鼻の頭には、青いペンキがついていた。
「ユキは、キャパオーバーすると敬語になる仕様なんだ」
「へえ?」
「うぐ。バラさないでくださいよ、天使さん」
画用紙を切り抜いて作った魚やヒトデに、クリップをちまちま付けていた僕の手元は、ぷるぷるしている。危うくタコの足を折るところだ。八本が七本になってしまう。
「初耳なんだけど?」
ニヤニヤする姫川さんに、白崎さんも乗っかって来た。
「あたしにもたまに敬語だもんね? へ〜、キャパオーバーだったんだあ」
女子ふたりにずずいと迫られて、僕は「ひいぃ」と後ずさりした。
「たすけて、アンジ!」
「むりだ」
クラスでもっともガタイの良い男は、たった一言で友人の窮地を無視した。
というのも、机の上に椅子を積んだ上に立ち、天井からいくつか風船をぶら下げているからだ。
「おお、すげえ」
「うわー、来栖君やっぱり背が高いねー」
「え、何センチ?」
「きれーい! 子供も絶対喜ぶよ」
あの高さは、多分アンジでないと届かない。
中にキラキラとした素材が入った風船を百均で見つけて、店頭にある分買い尽くし、膨らませて紐をくくり付け、短いのや長いのをランダムに下げる。提案したのは、僕だ。ネトゲのダンジョンでこういうグラフィックがあったから参考にしたけれど、うまくいったようでよかった。
「それにしても、良いポスターだなあ」
うんしょと立ち上がって背伸びをするトワが、教室の前面に貼られた文化祭のポスターを眺めている。
先日発表された『第四十三回 しらうみ北高祭』のポスターのうちの一つに、姫川さんの作品が選ばれたのだ。
青い空と海の間で笑顔を振りまく北高生たちが、それぞれの手に天使の羽根を持っている。波のしぶきと白い羽根がリンクするように全体に散っていて、とても素敵なイラストだ。
この他にあと二つ――バンドや出店を楽しむ女子高生たちのアニメのワンシーンと、海の上を跳ねるイルカ――デザインがあったけど、僕は絶対これだと思った。
トワのため、かもしれない。
けれど僕は、文化祭のスローガンである『はばたけ、しらうみ』にも合っている、とこの案を推した。
姫川さんも同じ意見で「トワくんの影響強すぎよね」と自分でも笑っていた。
するとポスターを見つめていたトワが
「なあ姫川さん。壁の一角に大きく描いてみないか? このポスターでも、他の作品でも」
と姫川さんを誘った。
「え、私が? ここに描くの?」
「ああ。この学校には美術部がないだろう。こんなに上手なのに発表する場がないというのは、もったいない。姫川さんの展示を兼ねるのもいいんじゃないかと思った」
「っ!」
「大きく書くのは大変かもしれんが、ボクも手伝うぞ」
「いいね! 僕も手伝うよ、あーちゃん。絵具とか筆とか、買い出し行くよ」
トワの後ろから僕がそう後押しすると、姫川さんは決意した顔で頷いた。
「……うん! やってみたい!」
「絵、描けるなんてすごいじゃん。あたしも手伝うよ。あーちゃん」
「リンちゃん!」
女子って不思議だ。いつの間にか仲良くなってる。
今日の居残りグループは真面目な生徒が多いから、こうやって雑談しつつ作業が進んだけれど、他の日は結構酷い有様だ。
――そうして、事件は本番直前の二日前に起こった。
文化祭準備期間は、放課後の居残りリミットが夜八時まで延長される。
毎日全員が残れるわけないので、大体十人ぐらいのグループに分けて三日おきのローテーションを組んだけれど、火種があちこちにくすぶっていた。
ちなみに、クラス委員である姫川さんと、文化祭委員であるトワ、そしてトワの送り迎えの僕は毎日居残っている。三人とも家が近いし、八時過ぎた帰り道はさすがに暗い。姫川さんの自転車の速度に合わせてゆっくり走って、ついでに神社まで送るのもお決まりになってきた頃、不満も待っていたかのように爆発しはじめた。
「このグループ、さぼりすぎ」
「ぼっちに居残りは厳しい」
「仲良い人がいない」
「部活の方の準備で来られない」
挙げればキリのない問題が山積みで調整は難航した。及ばずながら僕はその間に入って(委員という肩書きじゃない僕の方が、何かと言いやすかったりする)なんとかしている。
クラス委員のはずの三ツ矢を筆頭としたグループは、ダンス練習を優先させていて、全然手伝いに来なかった。
つまり男子が三、四人すっぽ抜けた状態が続き、あっという間に人手不足に陥った。そんな状況に黙っていられる白崎さんじゃない。
「ふっざけんなよ、三ツ矢ぁ!」
ジャージ姿で教室の床に直接座って怒り狂いながら、『雲』に使う綿を一心不乱にむしっている。ほわほわと白い綿毛が舞っていて、夜の教室に幻想的な怒りを振りまいていた。
「あんにゃろう! 人の名前勝手に出しておいて、来ないって! そんなことある!?」
「ないわね。最低の無責任野郎」
深く頷きつつ、姫川さんも違う綿の塊を、むしりにむしりまくっている。どうやら三ツ矢はクラス委員としての仕事までサボっているらしい。おかげで、教室の床に雲がたくさんできた。
(明日は雨かな。いや、雷雨か……)
僕の信条は、怒った女子に逆らわないことだ。母のエリコにしたって、ぷんぷんしているときに付ける薬はない。ただひたすらに「そうだね、その通り」と頷いて、怒りが通り過ぎるのを待つしかない。じゃないと余計に怒り狂って、物は壊れるかもしれないし、お弁当のおかずが全部ブロッコリーにされるなんてこともありうる。はらぺこなアオムシでもそんな食べない。
「やる気のないやつは、放っておけばいい」
トワがクールな顔で段ボールを青く塗っている。乾いた部分には、綿を貼っていく。用意するゲームは、輪投げ・ボウリング・スーパーボールすくい・マグネットを使った釣り(キャンディ付き)だ。ホームセンターと百均ショップを駆使して、なんとか予算内に収まった。アンジと僕のバイクが店と学校を何往復したのかは、あまり数えたくない。ガソリン代は、母のエリコが「トワくんと文化祭準備⁉︎ 青春だわ!」という訳のわからない感動でもって喜んで負担してくれたのは助かったけれど。
壁には空の絵を貼ろうと、大きな模造紙に水色や青を塗った上に、太陽を描いたり虹や鳥を書いたりしている。これが結構大変だ。クラス全員にそれぞれ好きな色の風船を書いてもらって、将来の夢や目標を中に書き入れることにした。家族が来た時に探して楽しめるだろう、とトワが考えたアイデアだ。「ボクは、天使になりたいって書くけどね」と言うトワをみんなからかうけれど、僕はそれを聞いた時に胸がきゅうっとなった。
トワは、人生で最後になるかもしれない文化祭を、全力で楽しんでいる。
だから、めんどくさがりで目立ちたくない僕だって、こうやって頑張っているのに。
さすがの僕も、三ツ矢の無責任さと自己中加減には、イライラ度が頂点に達しそう。
「気にしないようにしようよ。僕らが楽しんでやれればいいよね」
普段陰キャの僕が、委員長の姫川さんやギャルの白崎さんと平気で話しているのを見て、大人しめのクラスメイトたちも恐る恐る動いてくれている。
むしろ三ツ矢たちがいない方が、うまくいっているのかもしれない。
「……ふふ。ユキくんが自分の気持ちを言うの、珍しい」
姫川さんが、僕の隣で微笑んでいる。雲はむしり終わって、次はお会計に使う仕切り付きの箱に、ペタペタ色画用紙を貼り始めた。
ぽろりとユキくん呼びになってるけど、あえてスルーしておく。
「あー、そうかも」
「普段あんまり自分の意見、言わないものね」
「はい。今だけ特別仕様ですね」
「なんで敬語なのよ」
それを聞いたトワが、少し離れた場所から笑う。鼻の頭には、青いペンキがついていた。
「ユキは、キャパオーバーすると敬語になる仕様なんだ」
「へえ?」
「うぐ。バラさないでくださいよ、天使さん」
画用紙を切り抜いて作った魚やヒトデに、クリップをちまちま付けていた僕の手元は、ぷるぷるしている。危うくタコの足を折るところだ。八本が七本になってしまう。
「初耳なんだけど?」
ニヤニヤする姫川さんに、白崎さんも乗っかって来た。
「あたしにもたまに敬語だもんね? へ〜、キャパオーバーだったんだあ」
女子ふたりにずずいと迫られて、僕は「ひいぃ」と後ずさりした。
「たすけて、アンジ!」
「むりだ」
クラスでもっともガタイの良い男は、たった一言で友人の窮地を無視した。
というのも、机の上に椅子を積んだ上に立ち、天井からいくつか風船をぶら下げているからだ。
「おお、すげえ」
「うわー、来栖君やっぱり背が高いねー」
「え、何センチ?」
「きれーい! 子供も絶対喜ぶよ」
あの高さは、多分アンジでないと届かない。
中にキラキラとした素材が入った風船を百均で見つけて、店頭にある分買い尽くし、膨らませて紐をくくり付け、短いのや長いのをランダムに下げる。提案したのは、僕だ。ネトゲのダンジョンでこういうグラフィックがあったから参考にしたけれど、うまくいったようでよかった。
「それにしても、良いポスターだなあ」
うんしょと立ち上がって背伸びをするトワが、教室の前面に貼られた文化祭のポスターを眺めている。
先日発表された『第四十三回 しらうみ北高祭』のポスターのうちの一つに、姫川さんの作品が選ばれたのだ。
青い空と海の間で笑顔を振りまく北高生たちが、それぞれの手に天使の羽根を持っている。波のしぶきと白い羽根がリンクするように全体に散っていて、とても素敵なイラストだ。
この他にあと二つ――バンドや出店を楽しむ女子高生たちのアニメのワンシーンと、海の上を跳ねるイルカ――デザインがあったけど、僕は絶対これだと思った。
トワのため、かもしれない。
けれど僕は、文化祭のスローガンである『はばたけ、しらうみ』にも合っている、とこの案を推した。
姫川さんも同じ意見で「トワくんの影響強すぎよね」と自分でも笑っていた。
するとポスターを見つめていたトワが
「なあ姫川さん。壁の一角に大きく描いてみないか? このポスターでも、他の作品でも」
と姫川さんを誘った。
「え、私が? ここに描くの?」
「ああ。この学校には美術部がないだろう。こんなに上手なのに発表する場がないというのは、もったいない。姫川さんの展示を兼ねるのもいいんじゃないかと思った」
「っ!」
「大きく書くのは大変かもしれんが、ボクも手伝うぞ」
「いいね! 僕も手伝うよ、あーちゃん。絵具とか筆とか、買い出し行くよ」
トワの後ろから僕がそう後押しすると、姫川さんは決意した顔で頷いた。
「……うん! やってみたい!」
「絵、描けるなんてすごいじゃん。あたしも手伝うよ。あーちゃん」
「リンちゃん!」
女子って不思議だ。いつの間にか仲良くなってる。
今日の居残りグループは真面目な生徒が多いから、こうやって雑談しつつ作業が進んだけれど、他の日は結構酷い有様だ。
――そうして、事件は本番直前の二日前に起こった。