「上城さん、ホントに近藤さんと仲いいんだな」
 
 めっちゃ詰められて近い近い。顔、怖!
 この一ヶ月、心の距離は近づいた気がするのに、どうしても先輩感が拭えないらしく、”お前”もしくは”上城くん”から、上城”さん”付けに呼び名が変わった。だけど言葉遣いははタメ口だから思考回路がよく解らない。まあ、理解できないことは山ほどある。

「前にも言ったけど、去年同じクラスだったし」

 ロッカーと太田に挟まれながら説明を繰り返す。聞こえてるし頭良いから覚えてるだろうに、太田は舌打ちして顔面鬼のままだ。そうだ、こういう時は――
 
「ちょ、太田。六数えろ!」

 俺の呼びかけに太田の目が正気に戻って、細く息を吐き出した。
 脳内で俺が六秒カウントダウンした後、太田もクールダウンした。

「あの本、すごく役に立ってる。ありがとう」
「そ、そうか! うん。よかったね」
 
 相手にとって脈絡無く苛ついている様に見受けたから、太田に例のアンガーマネージメントの本を貸してやった。
 太田曰く相手が理解できず自分も解って貰えず、訳もなく腹が立つ事が今まで多々あったが、解消されて楽になったらしい。
 勉強好きで頭も良いから色々書いてある本はめちゃめちゃ読み込んだんだろう。
 部の仲間に対しても使えてるようだし。近藤もさっき言ってたな。『話に時間がかかるけど』対話出来てるって。返事が遅いのはきっと腹が立ちかけたら太田は六秒後に返事しているからだろう。

「本の内容は頭に入ってるけど、だめだ」
「なにがだめ?」
「近藤と上城さんが一緒にいたら、イライラすんの我慢できない」

 近藤呼び捨てー。指摘しようと思ったけど、黒髪振り乱して大真面目に苦悩してるみだいだから、右肩を撫でてなだめた。太田の体温に掌がビリビリする。

「上城さん、なんで近藤に頭くっつけてたんだ?」
「あれ、は、頭突き……ってさっきの見てたのか?!」
「ちょっとだけ」
 
 ドアの隙間から眼光らせたのかよ! 

「『綺麗系』って言われてた」
「あ、れは冗談に決まってるだろ。元同級生ジョークさ。ハハ!」

 太田が来るの遅くて良かったーー! 俺の『俺って可愛い?』聞かれてたら終わってたー。

「元同級生は仲いいかも知れないけど……今は誰より僕が一番上城さんと仲良しだし! 上城さんの事……僕が一番可愛いって、キレイって思ってるから!!」

 潤んだ黒目で睨まれて、ロッカードンされて、息が止まる。

「覚えてて」
「……はい」

 勢いに負けて、俺は間抜けな返事をした。

太田は言うだけ言うとすっきりした顔で、帰りの用意をし出した。
 俺は頭に血が上ってふらふらしながら太田の姿をただ見つめて待っている。

 熱烈な告白。嫉妬からの、可愛い綺麗頂きました。あ、でも『キレイ』は今日初めて言われたな。近藤の冗談に触発されたんだね。
 太田よ、俺の事めっちゃ好きじゃん。

 毎日そう感じてる。だけど、”好きって言えよ”とはもう思わない。
 仲良くなって四六時中一緒に居て気付いた。

 太田には 好き という概念がない。
 
 
-つづく-

「俺って、部に居ていいのかな」
「勿論。辞めるなんて僕が許さない」

 太田の着替えを待ってる間、部室の天井眺めながら俺がポツリと漏らした独り言に『いいの』かなって言い終わらない内に鋭い視線と言葉が隣から飛んできた。

「どうしたんだ? 何かあったの?」
「い、いや何も無いよっ。なんとなく思っただけで、別に本当に辞めようと思った訳じゃ」

 矢継ぎ早の質問攻撃にたじろぐ。圧が凄い!
 太田と”ズッ友”歴が二ヶ月を超えた。最近じゃ一緒に居る事が当たり前になりつつある。肩がぶつかる程にじり寄られ、心配そうに顔を覗き込まれて息がかかる。
 二ヶ月でどんどん物理的な距離も最近付いてる。こいつは無意識なんだろうけど。

「簡単に辞めやしないさ。火村先輩のお言葉があるし」
「ひむら?」
「おい、火村さんだけは呼び捨てすんな!」
「『近藤』は怒らないのに……」

 珍しく声を荒げてしまい、シュンとしつつも、口をとがらせてブツブツ言ってる。やっぱり近藤の呼び捨てはわざとだったのか。

「怒鳴ってごめん。だけど火村さんは俺にとって一番の尊先だからさ」
「どんな人だったんだ?」

 火村さんは俺が一度目の一年の時に三年で卒業したから、太田は会った事がない。

「そりゃ神先輩さ。包容力許容量海だったー」
「へえ、そう」

 先輩の思い出を語ってたけど、真横からジト目の視線が刺さって俺は我に返った。
 イライラし出してるはずだ。本人無意識の嫉妬を煽ってしまった。俺は何とか太田のメンタル軌道修正を試みる。

「太田、俺と一緒の部で嬉しいか?」
「うん。初めて上城さんここで見たときから僕はずっと嬉しい。今仲良くなれて百倍嬉しい」
「お、おう」

 今日も無自覚な熱烈告白を食らって、心臓に悪い。
 
「じゃあ太田も、火村さんに感謝しなきゃ。俺が去年辞めるつもりだったのを引き留めてくれたんだから」
「うぅ……」

 悔しさを飲み込んだのか苦虫噛みつぶした様な顔をしながら、大きく頷いた。

「今はさ、出来ないけど……昔は俺だって縦横無尽で、守って投げて」
「どこ、だったんだ?」
「センター」

 恐る恐るポジションを聞いてきた太田の様子で気付いた。二人でこんな話をするのは初めてだ。
 コミュ力不足のノンデリカシー男と思いきや、仲良くなるにつれ意外な一面も感じる。
 俺に対して、勉強しろとは五月蠅く言われるけど、今まで野球の話はあまり振ってこなかった。なんとなく太田なりの気遣いなんじゃないかと思う。

「返球ノーバンでキャッチャーにレーザービームだし、中学ん時なんて『守備範囲広すぎて両翼要らないねー』って言われたもんよ」
「……」
「って、話盛った!」

 俺の冗談と乾いた笑いをスルーして、太田は神妙な表情で着替えの手を止めている。

「で、火村さんは高校入って同じポジションの先輩で色々世話になって。病気でもう出来ないだろうって思ったとき、退部の話をしたら『お前が野球を好きな間は辞めなくていいんじゃね』って言ってくれて」

 先輩の口真似をして太田に思いで話をした。火村先輩はあくまで軽く、だけどはっきり返事をくれた。
 俺はその言葉に甘えて、留まった。
 
 俺も火村先輩に習ってあくまで軽く太田に経緯を説明した。
 だけど太田に笑顔は戻らす、神妙な顔をしたままだ。
 俺はこの部室に漂う重い空気を一掃するが如く、話の舵を切った。


「そういえばさ、太田は何で野球始めたんだよ?」

 話を変えたくて思わず出た質問だけれど、今まで聞いた事がない話だ。純粋に興味がある。団体行動が苦手なのに、何故野球?

「生まれて初めて、上手く出来ない物だったから」

 暫く沈黙の後、太田がゆっくり答えてくれた。

「どういう事?」
「僕……小さい頃から、勉強でも他の習い事や、スポーツも何でも出来て」
「へ、へえ」

 神童自慢してる訳じゃ無いのは解る。本当なんだろう。だけどあまりにも正直な自己申告すぎて、少し笑ってしまう。
 こういう所が、浅い付き合いの人間には理解できないんだろう。
 俺は、太田に対しては憧れの火村さんに負けない位、許容範囲海になれつつあるけど。
 
「唯一上手く出来なかったのが野球で。悔しくて、やり始めた」
「そうなんだ。じゃあ何でピッチャー?」
「……それは、憧れがあるから」

 太田の憧れの選手? いるのか? 俄然興味がわいてきた。

「じゃあさ! 今度、一緒に行こうよ! 太田の憧れの投手見に。まだ現役? 海外?」
「日本で現役、だけど」
「だったら近くの球場に来たりしないかな?! セパ違っても交流戦とかあるし、スケジュール調べないと。久々だなあ観に行くの。チケ取って何月くらいになるんだろ」
 
 気持ちが逸って、俺が携帯で今シーズンの日程表をググりかけていたら、太田の一言で手が止まった。

「今から、行けるけど」
「は?」


 帰り支度が出来た太田に連れられ、夕暮れの中、初めて二人で出掛ける事になった。

 今日はいつもと違う線のホームに立っている。
もうすぐ夏の予選が始まるとか、明日も学校があるだとか、俺はマネージャーの手伝いくらいしかしてないけど腹が減ってるだとか、色々あるけど全部うっちゃって着いて来た。
 太田は俺が「行きたい」というと、躊躇無く歩き出した。太田は俺と出かけるのを嬉しそうにしてくれている。無自覚だろうけど、幸せそうで下手くそな笑顔を浮かべている。
 多分俺が誘って断る事は、無いと思う。
 唯一の心配事もなくなっただろうし。期末で俺が欠点免れたから。俺に対して太田は大甘だけど、『部活停止を招く事だけは許さない』と言っていたから。

 太田の憧れのピッチャーに会いに行く為に、言われるがまま切符を買った。
 初乗り運賃だった。ここからそんな近距離に野球場はない。何処に行くのか皆目見当が付かない。だけど俺は言いなりで質問もしていない。黙ってついて行こうと決めた。
 聞きたい事が多すぎて、喋るのが疲れそうだし、もう行ってみたほうが早いだろう。
 よく解らない目的地だけど、隣でチラチラ見てくる太田とのお出かけに、ワクワクしている俺がいる。
 
あまり乗ったことの無い単線の電車が来た。夕方のラッシュ時間だけど混んではいない。乗るなり俺の肩を引き寄せ誘導し、あいてる席に座らせてくれた。
 混んではないけど、空いても無い車内で太田は俺の前でつり革に掴まり立った。
 見上げると、見下ろしてくる太田と目が合い続けた。なんだか恥ずかしくなって俺は俯き爪を見てる。
 もう俺は太田を見ては無いけど、つむじに視線を感じ続けてる。頭のてっぺんが熱い。
 代わり映えしない自分の爪に見飽きた頃、俺の視界に綺麗な爪と指が視界に飛び込んできた。
 
 想像外だったヒンヤリしている指で、手を優しく摩られびっくりして顔を上げると、同じ高さで目が合って更にびっくりした。

「具合悪いのか?」

 わざわざかがんで顔を覗き込まれて、思っても無い事を問われ、大きく首を横に振った。
 具合なんて悪くない。調子が狂ってるだけだ。
 いつも上り下りで家が分かれているから、一緒に電車に乗ったのも初めてで、こんな恥ずかしいくらい大事に扱われる車両内の俺に慣れてないから!

「げ、元気だよ!」
「よかった。もうすぐ着く」
 
 心配そうな顔からの見た事の無い破顔を食らって、立ち上がった途端電車の揺れと共によろけた。
 人目を気にもしない太田の細いくせに力強い腕に抱きとめられ、俺はなすすべも無く見知らぬ駅に降り立った。


 駅に着いて、連れられるまま歩いている。家から遠いし俺は来たことのない場所だけど、野球場はこの近辺に無い。

 国道沿いの歩道、太田は良く知っている様だ。俺が車道側だったのに、さりげなく立ち位置が入れ替わっている。今日初めて二人で出掛けて思うんだけど、こいつは経験値がないだけで、自然にこんな紳士なことが出来て、天然でモテ要素持ってるんじゃないのか? 優しくして貰いっぱなしで、無駄にドキドキしてる俺なんかよりよっぽど。
 
 ぼんやり考えながら脚だけ動かしてたら、「疲れたか?」と急に太田の顔が至近距離ドアップになって驚いた。
 間抜けな顔を見られたかもしれない恥ずかしさで、手で押しやった。

「大丈夫だって」
「もうすぐだから」

 太田が指差した先は、古い建物のファミレスの隣にある四角い建物。
 近づく毎に、流石の俺にも何なのか理解できた。
 ここじゃないけど、去年までは通った事もある。フェンスも見えてきた。

「バッティングセンター?!」
 
 太田は真顔からうっすら笑みを浮かべ、ゆっくり頷いた。
 施設は俺の回答が正解した様だけど、目的と結びつかない。
 太田の憧れの選手がここに? すごい人がここに通ってるのか? 経営者?
 
 首をかしげながらも勝手のわからない俺は、黙って太田の後を着いていくしかなかった。
 太田は施設内に入っても勝手知ったるのごとくスタスタ歩いて行く。
  平日の夕方、誰もいない。
 受付のおじいちゃんと利用客は僕らだけ。太田の目当ての人物は見当たらない。
 キョロキョロと施設内と太田の挙動を俺の視線が往復する。人は居ないのに太田の歩みは迷いがない。
 ネットをくぐり、バッターボックスをいくつも超え、一番奥まで来て漸く太田が足を止めた。

 
「久しぶりだけど、変わってなくて良かった」

 太田は慣れた手つきで機械の設定ボタンを押している。
 最後に押したボタンは、160kmマックス速度。
 
「ちょっと、バッティングいきなりすんのか?! 誰もいないし、まだ何も話聞けて……」
「いきなりも何も、上城さんが『会いたい』っていうから来たのに。僕が憧れて野球始めるきっかけ」
「そりゃ言ったけど、居ないじゃん」
「居るよ、ここに」

 『ここ』って言いながら太田が指差した先を視線で追った。
 そこにはやっぱり誰もいない。あるのは……古びたデジタル画面に映し出されている褪せた色のピッチャー動画と、腕の部分にボールが送り込まれる鉄の機械。
  
「もしかして、お前の憧れって、このピッチングマシーン?!」
「うん!」 

 度肝抜かれてる俺を純真な眼差しで見つめ、太田は少年のような笑顔で得意げに頷いた。
 会話が途切れた俺達の間を、機械音とともに剛速球が駆け抜けた。

「痺れる。相変わらずいい球だ」

 太田は真剣な眼差しでマシンを見つめ、呟いた。

「ど……ういう、きっかけ……」
「小学生の時、法事の帰り。親戚の叔父さんに初めてここへ連れて来てもらったんだ」
 
 来たきっかけは普通だな。あるだろうさ、うん。

「叔父さんに、『これ打ってみろ』って言われて」
「これって、160km?!」

 二球目の直球が太田の相槌の代わりにすり抜けた。
 初めての小学生にマックススピード打てって叔父さん煽ったの?! ヤバいじゃん! 親戚に一人は居る変わり者の叔父さんが、よりによって純粋培養メンタルな太田に!
 
「僕、楽勝で打てると思ったんだ。だけど、バットにかすりもしなかった」
「太田、初めてバット握ったんだろ? 振るのだけでも精一杯なのに、小学生が当てるのなんて無理だよ!」
「そうかもしれない。けど、生まれて初めてめちゃくちゃ悔しかった。それから打つ為に通い出して、いつからかこんな球投げられるようになりたいなって」

 経緯を語りながら、太田は気が付くとバッターボックスに立っていた。
 そして喋りながら淡々と投げてくる機械の速球を、いとも簡単にネットの上についている小さく丸いホームラン的めがけて打ち返している。

「僕はいつか、僕が打てない球を投げてみたい。野球は難しいし上手くいかないけど、だから面白いし、続けてる」

 憧れの師匠であるマシンが放つ最高速度の球を、太田は夢を語ってくれた後、ペシッと乾いた音と共に的に命中させた。

 正確無比に投げてくる機械と、練習後一人黙々と投げ込んでいる太田の球が脳内でシンクロする。
 そういえば、ともかく剛球ストレートをひたすら投げているなとは思っていた。
 器用だから変化球も上手いけど、一緒に帰るまで俺が見つめている自主練の姿は、マシンとダブる。

「僕、夢を初めて人に話した。親にも言った事ない。聞かれたこともないし」
「俺が初めて? 光栄だな」
 
 茶化す気は毛頭ない。こいつの本心を聞けて、本気で光栄だと思った。
 野球のきっかけと憧れはもはや人ではなかった。だけど、太田らしいなとすんなり受け入れてる俺がいる。 
 だって、太田だから。
 


 
「え? 俺も?」

 バッティングを終えた太田から、徐にバットを差し出された。
 圧に負けて黙って受け取る。バッティングセンターも打撃自体も久しぶりだ。設定ボタンで速度を変えようとした手を止められた。俺も最速勝負しろって? 親戚の変わり者叔父さんの系譜を確実に継いでいる太田にまた負けて、マックス速度と勝負することになった。
 
 球が唸りをあげてすり抜けたあと、何拍が遅れて俺のバットが空を切る。
 何度振っても追いつく気配がない。
 「だから無理だって」と懇願しても太田は俺の無様な姿を見つめ続けてるのに、終わらせてはくれない。紳士で優しいかもなんて前言撤回。その前に野球の鬼じゃん。
 甘えて終わらせる作戦を失敗した俺は、スイッチが入った。ホームランの的は無理でも昔だったらまぐれで何度も当てていた。やってやる。
 バットをちゃんと握り直し、一球見送りフォームを整え、素振りをして再び太田憧れのマシーンに挑んだ。

「やっと、当たったぁ〜」

 俺は、勝った。
 肚を決めて本気で挑みだしてからずいぶんかかったけど、なんとか打てた。
 勝った、とはいえ太田の様にホームラン的に命中なんてものじゃなく、何とかバットに当てたレベルで。打球はポテンヒットの様に緩い放物線を描いて落ちた。
 だけどめちゃくちゃ嬉しい。白球に集中したのも久々だ。
 俺がバットをおろしたと同時に剛速球を繰り出す機械も止まった。

「見たか! 太田、」

 俺は振り返り、スパルタコーチに歩み寄った。
 太田は笑顔で迎えてくれるのかと思ったのに、なんでか真面目面で仁王立ちしてる。

 
「身体、大丈夫か? 手は? 何処か痛くないか?」
「えっ?! なに?」

 俺が太田の元に帰るなり、身体を抱えられて手を摩られ驚き戸惑う。
 確かに疲れたけど、アドレナリンが出てるからか元気だし、不調な態度も出してない。
 急に太田の体温と優しく触れてくる指の感触に、今の方が身体に変調きたしてる。動悸がする!

「だ、だいじょうぶだからっ。それに、お前がさせたんだろ!」
「そうだけど、こんなにかかると思ってなかったし、上城さんが心配で胸が苦しかった」
「具合悪くなってないし、長くても楽しかったから」
「そうか」

 太田の肩越しに見える受付から、おじいちゃんが顔を出してる。俺は厳しかったり過保護だったり良くわからない太田を宥め、何とかスキンシップから解放された。
 力強く抱きとめられた肩から摩られた爪の先まで痺れてる。
 
「身体は大事にして欲しいけど、打てるなら打ってて欲しい。
他、何も出来なくていい。走ったり球捕ったりしなくていいから」 

 太田の言う事、最近誰より理解出来るようになったって、たかくくってたかも。
 全く意味が解らないことを、真剣な顔して言ってきた。どういう事?

「僕、上城さんと仲良くなれてから、夢が出来たんだ」
「夢?」
「上城さん、一緒に試合に出よう」

「は? 何をふざけたこと言ってんの? この俺が試合に? だからバッティング頑張れって? いくら打つだけ出来たってDH制なんて無いし、うちの部代打代走出す余裕ないし……正直グラウンド出たら、俺だってセンター守備行きたいよ……」

 普段考えない様にしてるのに、試合想像させる様な事言うから、本音が出ちゃった。

「解ってる。だから、俺が絶対上城さんを試合に出してやるって、決めたんだ。
もっとすごい球投げられるように頑張る。上城さんが俺の背中にいてくれてたら出来る気がする。立ってるだけでいい。
絶対に打たれないから。球を後ろに飛ばさせやしない。
僕と上城さんは三年間ずっと一緒に居れるしチャンス一杯ある。一試合でも、一イニングでもいい。
それが僕の、新しい夢」
「太田……」

 俺はその場で、我を失って声を上げて泣いてしまった。
 去年から今までいくら辛いことがあっても押し込めて来た。治療も制約も甘んじて受け入れて、親や友達に心配かけちゃいけないし、案外楽しい毎日だし、我儘言わなくても幸せで。
 太田が語ってくれた”夢”で、俺の何かが決壊してしまい、感情が溢れ出して止まらない。

 おろおろしてまた苦しそうに心配しだした太田、子供のように泣き止まない俺。
 そんな二人の元に何事かと受付のじいちゃんが飛んできて、コンビニや街の自販では見たことのない炭酸ジュースをくれた。





「大丈夫か?」
「おう……」

 少し前を歩いて先導してくれている太田が心配そうに度々振り返り尋ねてくる。俺は恥ずかしくて視線を合わせられないけど、なんとか返事を声にした。
 さっきは自分でもびっくりするほど涙が湧き出て制御出来なかった。おじいちゃん店員と太田に一頻り泣き止むまで見守られた。
 
 年老いた手に「またおいで。バイバイ」と見送られ、今知らない駅までの帰り道。
 右手にローカル缶ジュース、左手は……太田の手が繋がれている。
来た道の明るい国道筋ではなく、一本外れた暗めの街灯だけがたよりの道を歩いている。
 俺に気を利かせてくれているのか。だけどそのお陰で腫れた目も、引かれている手も気にしないでいられる。
 バッティングセンターを出て、道を違える途端「こっち」と言う声と共に、手をぎゅっと握られた。驚きはしたけど、何でか俺は言葉にも態度にも出さず、振り払わず握り返した。
 剛速球を放つ太田の長い指を絡められ、心臓がバクバク言いはじめて、じんわり汗書いてる気がする。指の先まで。
 
「熱い……」
「『暑い』? ちょっと休むか? これ貰ったし」
 
 大きな施設の裏なのかフェンスが延々と続いて座る所もなにもない。街灯の真下は害虫が集ってるからか、太田は手で振り払いながら数歩歩いて立ち止まった。
 すっかり日は落ちていて、街灯を背にした薄暗さにホッとして、俺も歩みを止めた。泣いた後の顔もよく見えないだろう。
 確かに喉が渇いてるし。
 
 リュックが汚れるのも気にせず、二人してフェンスに背もたれ缶ジュースを飲んだ。繋いでいた指が痺れてタブがなかなか開けられなかったけど。
 
「甘っ」
「何味?」
「飲んでも全く解らん。文字暗くて見えないし。太田のは何味?」
「はい」
「?!」

 太田が俺に缶を差し出してきたから炭酸吹きそうになった。
 え? 交換して味確かめろってこと? え? 俺口付けたけど……

 若干鳥目の俺には太田の表情が読み取れない。冬の練習で薄暗くなって来たら球見えにくかったんだよなー。でもこの情報は俺の本能が今は言うなと指示してくるから言葉をのんだ。
 鳥目の説明から、今だって手を引っ張って誘導してくれてるのに、暗がりはべったりの介護になるだろう。黙っとこう。
 内緒の代わりに、缶を交換した。


 太田はまだ飲んでなかった缶をくれた。味を確かめる為に一口飲んだけど、別方向に神経がもってかれてるからか、味覚が機能してくれない。
 やっぱり味がわからない。スースーするのは感じる。甘ったるいのよりこっちがいい。少し落ち着いた。
 
「悪い。俺、バッティングセンター代払って無かった。いくらだった?」
 
 普段回し飲みなんて何てこと無いのに、ついさっきまで俺の口が付いてた缶が太田の薄い唇に当たるのがなんだか見てられなくて、話を変えた。実際気になってたし。俺すごい空振ったからめちゃくちゃ課金してんじゃないか? 泣き喚いてたから気にする余裕も無かった。
 
「心配しなくて良い」
「そんな訳には」
「僕も払って無いから、本当に大丈夫。
初めて連れてかれた以来、僕があそこに通って打つ代金、全部叔父さんに請求が行くようにしてくれてるから」
「マジで?! 叔父さんどういう人?!」

 叔父さんやっぱり変わり者だね! と本音が零れかけて慌てて缶の底に沈めた。

「でも太田の叔父さんであって、俺の叔父さんでは無いし。友達の分まで悪いよ」
「確かに友達と行ったこと無かった。上城さんが初めてだ」
「そ、そうなんだ」
「叔父さんに言っとくから、大丈夫」
「でも……」
「ブホッ!!!」
「どうした?! 太田!」

 喋ってる最中、急に咽せて道にジュースを噴水してる。
「大丈夫か?」
「こ、こ、これ、上城さんが飲んでたの、ボクノンデル」
「は? そりゃそうだろ、お前が交換しようって言ったじゃん」
「上城さんの口付いてたやつ」
「太田潔癖なの?」
「違う……上城さん飲んだ後の……って、気付いたら……息が……胸が苦しい」

 マジで今気付いたのかよ?! 間接キス! 何も考えて無くて純粋に交換したのかよ! 半分そうかなと思ってたけど! ドキドキして損したわ! 
 半ば呆れながら、ぜえぜえゲホゴホ言ってる太田の背中を摩った。
 
 顔を真っ赤にして袖で口元を何度も拭っている。
 恥ずかしいんだろうけど、そんなにされると間接で口を付けたのが嫌だったのかなと、微妙な気持ちになった。
 太田の行動、ずっと二人で毎日居るからまだ意訳出来るけど、そんなに親しくなきゃ誤解される事多々だろうな、と赤くなった唇を見てぼんやり思う。

「また、一緒に……来てくれるか?」
「勿論! また連れてきてくれよ」

 一緒に来ると伝えたら、予想通り満面の笑みに変わった。喜ばせたい社交辞令じゃない。本心だ。「楽しかったよ」 と感想を言うと、また喜んでくれた。本当だ。
 久々にバットを振った。ボールだけを見据えた。当たった。打てた。
 去年まで日常だった俺の行動。呼吸と同じ位当たり前にしていたのに。すっかり忘れていた。
 元は太田の尊敬する野球きっかけルーツ探し。もしも最初からバッティングしに行こうと誘われたら、来なかったかもしれない。

”一緒に試合に出よう”
 此処へ来たお陰で夢のような言葉を太田はくれた。誰に言われても信じられない内容だけど、俺は心から今信じている。

太田の行動言動は何から何まで読めない。
 なんせ憧れのピッチャーは人で無く機械だった。しかも真剣に十年位憧れ続けてる。
 結果をしって驚きはしたけれど、嘘だとは思わなかった。太田の非現実は、まさに現実だからだ。
 
 太田は全て本気だし。嘘が無い。

 だから――

「俺が、言わなきゃ」


「何を?」

 俺が口に出してしまっていた独り言に、太田が反応してきた。
 不思議そうな顔をして、俺の顔を覗き込んで。
 相変わらず距離が近い。心拍数が上がって俺は息を吐く為に、視線を外した。
 路地の街灯が映し出した俺達の影は一つになっている。

 一瞬太田に視線を戻すと、愛おしそうに見つめて来てる。この俺を。
 初接触の頃の直感は勘違いじゃ無かった。この数ヶ月で断言できる。
 
 太田は俺の事が、好きだ。
 間違いない。だけど、解ってない。人生の中で恋愛感情が無かったから、概念が無いんだと悟った。

 そう解ってからは笑えたし、この仲良し友人状態でいいか、と思った時期もあったし、もっと俺を好きにさせて、自分の気持ちに気付かせて告白させてやる! と躍起になった時期もあった。

 そんなこんなも、今日、どうでも良くなった。

「太田、」

 俺は太田の華奢だけれどしっかりした背中に腕を回し、初めて抱きついた。

「え、え、ぐ……」
「具合は悪くない」

 とんでもなく驚いて心配する言葉は即遮った。
 太田の胸に顔を埋めていると、お前の方が具合悪いだろ?って言いたくなる鼓動の早さが額に伝わってきて、俺も正気を何とか保ててる。緊張して吐きそうだけど、太田も同じだ。

「俺、太田のことが、好きだ」

 好きになったのが後も先も、関係無い。俺も誰より太田のことが、好きになってしまったんだ。
 だから、俺から言ってやる。

「好き。好きだから」
「……」

 返事は無いけど、太田が手に持ってただろうジュースの缶が盛大な音を立てて、地面を転がった音が響いた。
 自由になった太田の掌が俺の背中に触れた。とてつもなく震えている。
 あんなに力強くて、鍛錬して迷いの無い剛球を投げる手が、一キロの握力も感じない程弱々しく、俺の背中を漂っている。
 言葉は無くても何よりの返事だ。

 俺は、太田の胸に顔を擦り付けた後、勇気を出し見上げた。
 顔を見る余裕が俺にもない。背伸びをして頬にキスをした。
 太田の頬は氷のように冷たくて、少し驚いたけど、俺も初めて人にしたから、ちゅ って変な音が鳴って、恥ずかしすぎてまた太田の胸に顔をワンバンして潜った。


「ぼぼ、僕……僕……を、上城さんが……」
「ほんと。好きだよ」
「ユメミタイ……ウレシイ……」
「そうか、良かった」

 絶対好きなんだろう確信はあるけど、恋愛感情の知識なさ過ぎて、もしも拒絶されたらどうしようって不安もあったから、太田のカタコトの返事を聞いて、ホッとした。
つま先立ちだけのせいじゃない、足の震えはましになった。その代わり緊張溶けて全身の力が抜けてしゃがみこみたい。

「僕も、好きになるようにがんばる」
「ッ、ククク」

 予想はしてたけど、脱力を促す太田の正直な言葉に、堪えきれず笑いが止まらない。そうだ、まだスタートしてなかった。

「ああ、頑張ってくれよ。イデデデ」

 急に背骨折れる力で抱き締められた。太田の全身の指令がバグってる。よしよし、とキスした冷たいほっぺを撫でた。

「太田が好きになってくれて、両思いになったら、間接じゃなく、ほっぺでもなく……ちゃんとキスしような。
?! ちょ、太田!?」

 俺が耳で囁いた途端、 バターン! とすごい音を立てて太田が倒れた。

「太田! 太田?」
 
 気絶したー!
 
 ――俺の人生初めての恋と告白は、とんでもない幕開け。
 今日初めて話を聞いて変わり者だと察知し、距離を置こうと思った叔父さんに、太田の携帯を介して助けを請う羽目になり。即日初対面することになった……だなんて超展開誰が予想出来る?

 なあ。太田。
 お前に出会ってから、俺、毎日生きてんの実感してるよ。
 春をもう一度やり直して、よかった。



ーおしまいー


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