「俺の部屋に来るか?」
 ちょっと簡単に誘いすぎたかと思ったが、倫久はすぐうなずいた。
 「あん、ふみ二人をみてろよ」
 二人は親指を立てて返事をする。

 倫久を廊下の奥にある俺の部屋に案内した。二階が母と妹たちの個室いわゆる女の園だ。そして一階に俺と旺次郎の個室がある。
 「ごめん、一瞬待ってて」
 扉の前に倫久を待たせて、部屋に入る。あぁ、朝脱いだスウェットがベッドの上に投げられている。勉強机は普段使わないからきれいなもんだった。あとは全部ベッドの下に蹴り入れた。
 とりあえず、めちゃくちゃファブってから倫久を部屋に入れた。「きれいにしてるんだね」って言ってもらえた。彼には勉強机の椅子に座ってもらった。

 「なんか、長瀬君って学校で見るときと雰囲気違うね」
 「まぁ、学校は寝に行ってるだけだし」
 「勉強も大事だよ」

 倫久は委員長らしい返事をした。

 「てか、強引に旺次郎が誘って悪かったな」
 「ううん。大丈夫。どっちかいうと助かった」
 「クラスメイトってだけで、よくついてきたな」
 「あぁ、だって、旺次郎君もいたし……」
 「ん」
 倫久は手で顔を覆うと大きく深呼吸をした。

 「それに、もうオレ……限界だったんだ」
 それは重くひどく実感のこもった声だった。

 「実はうち両親が……亡くなってさ」
 それはいつぞやの、ホームルームで聞いた。有志が葬儀に行ったことも報告されていた。

 「今は弟と二人で暮らしてるんだ。親戚に理央は引き取るから家を売って家に来いって言われてさ」
 「そっか」
 「あの家を売りたくなかったんだ。だから、理央の面倒は俺が見るから。あの家は売らないって啖呵切ってさ……生活を始めたんだ」
 思ったより切羽詰まっていたらしい。ところどころ言葉をつまらせた。彼の苦労や葛藤がにじみ出ているようだ。

 「だけど、オレ。今まで全部母さん任せだったから。いざ家事をしようとすると何もできなくて」
 「そっか」
 我が家は母がシングルになった中一の夏から分担制になった。確かにやり始めた当初は目玉焼きもうまく焼けなかった。

 「料理も最初はクックシルで調べながら作ってたんだけど。理央がまずいって。だから、弁当を買うようになって。でも、今度は弁当を食べたくないって」

 「そっか。それでキャベツ片手に途方に暮れてたのか」

 「ロールキャベツなんて簡単だと思ったんだ。だけど、肉って。鳥?豚?牛?ってなって。どうやってこの堅いキャベツで巻くんだ? 味は? ってもうわかんなくなって。あんなに食べてたのに。一人でいっぱいいっぱいだった。それを親戚に聞けばまた、家を売れって。理央をよこせって言われちゃうから……理央は、母さんが不妊治療で得た宝物なんだ。だから、オレが大事にしたいんだ」

 倫久の声がくぐもっていた。水っぽい声に、顔を覆った手の内側では泣いているのだろうと予想できた。
 「そっか」
 俺は気の利いた返しもできなくて、ただ、「そっか」をいう機械になり果てていた。

 「ロールキャベツって、いっぱい手間がかかってたんだな……っ うっ」
 もう我慢ができなくなったらしい。倫久は慌ててポケットからぐしゃぐしゃのタオルを出して目じりを抑えだした。

 「理央の前では泣けないから。ごめん。みっともなくて、ごめん」
 「いや……なんか、俺にできることがあったら言ってくれ」

 無難なことしか言えなかった。きっと「言ってくれ」だけだと、彼は何も言わないだろう。なにせたまたま、スーパーですれ違っただけのクラスメイトだ。教室ではしゃべったこともない。
 でもこのまま放っておけば、彼はつぶれてしまいそうだった。
 やっぱ俺は教室で凛と背筋を伸ばして、ノートを真剣にとっている倫久が見たいわけで。ここはしっかり頼って欲しいと思った。

 「……ちゃんと言えよ」
 つい、すごんでしまった。倫久は驚いた顔をした後、少し笑った。
 ぐちゃぐちゃのタオルが気になって。自分のクローゼットから新しいタオルを出して押し付けた。
 「ん……」
 「祐一郎って。無愛想なんだか。親切なんだかわかんないな。あーいや、めちゃくちゃ親切だ……ありがとう」
 倫久の口から、祐一郎と呼ばれたことに口元が緩む。
 「泣きたいだけ泣いとけ。倫久」
 にやけた顔を見られたくて逸らした。倫久が俺のタオルに顔をうずめて、しっかりとうなずいているのを見た。

 そうすると、廊下の向こうから、安奈の声で「タイマー鳴ってる」と叫んでいる声が聞こえた。
 「わかった、すぐ行く!」
 大声で答えると、隣の倫久が肩をびくつかせて驚いた。
 「あとからでいいよ。出てすぐの扉が洗面所だから」
 倫久が背負っていたどんよりとした空気が、少しだけ晴れたようなそんな風に見えた。