伸びをすると、タオルケットがかかっていた。
「ごめん、寝てた」
「いいよ。ごはん、作るけど食べる?」
俺が驚いて倫久の方を見ると、照れた笑顔を返された。
「祐一郎みたいにうまくないかもだけど。ほら、教えてもらったトラジ兄さんの動画とか見て研究したんだ」
つくるのは、再生回数5万越えの”究極のナポリタン”だそうだ。
「このレシピだと、理央がピーマンもキノコも食べるんだ」
「手伝うか?」
「いや、理央とつくるから待ってて」
うなずくと、倫久が半袖なのに腕まくりをする振りをして笑った。理央君も真似をしているのがかわいい。
よく考えれば、初めての他人の手料理だ。しかもそれが、倫久の手料理なんて1学期の俺に聞かせたら、驚いて腰を抜かすんじゃないだろうか。
理央君はピーマンのへたを取る係だったらしい。早々に仕事を終えて俺の隣に来た。
「僕のランドセル見る?」
いつぞやも、聞かれた気がする。
「ん」
「行くよ」
理央君の部屋には勉強机があって、その机の上にランドセルが置いてあった。理央君のランドセルはシックなこげ茶色だった。
「かっこいい」
「でしょ。背負うよ見てて」
そう言って背負って見せてくれた。きっとこの姿をご両親は見たかっただろうなと思うとしんみりした。
「かっこいいよ、理央君」
「うん」
そろりとランドセルを下ろして、理央君がそれを撫でる。
「かっこいいの、ママと選んだ」
すこしだけ下唇を噛んでから、オレの手を引いて部屋を後にした。リビングに戻ると、理央君は俺の膝に座ってテレビを見始めた。
「ナポリタンと冷ややっこと、レンコンの揚げ焼き。あと、レタス」
レタスには、枝豆とコーンがのっていた。
3人そろって「いただきます」を言う。
湯気の立つナポリタンは見た目にもおいしそうだ。倫久が瞬きもせずこちらをじっと見ているから、少々食べにくい。
そちらに目を向けないように一口分をフォークに巻き付けて食べる。
「ん、うま」
ケチャップの酸味が効いていておいしい。倫久はそれを聞いて肩の力を抜いた。すぐさま、二口め、三口めと食べる。
「ほんと、うまいよ」
理央君が隣でうなずきつつ食べている。
「よかった」
レンコンの揚げ焼きも、冷ややっこも美味しい。冷ややっこにはごま油と塩がかかっていた。ネットで見て美味しそうだから試してみたそうだ。レタスはドレッシングをかけていた。倫久なりに理央君に野菜を食べさせたいとか、なんとかいろいろ考えた献立なのだろう。
「あのね。枝豆とピーマンは僕が作った」
理央君がオレの裾を引きながら教えてくれる。すごいなーとわしわしと頭を撫でたら、良い笑顔が返ってきた。
「ほんと、倫久の手料理が食べられるなんて役得だわ。メニューにも愛を感じる」
つい本音をポロリとこぼしてしまった。倫久がナポリタンを詰まらせて慌てている。ニヤニヤ見ていると。
「オレも祐一郎の手料理に愛を感じてた」
今度は俺が詰まらせる番だ。
「きっと自分のしたことは大したことないと思ってるんだろうけど、大変そうな人に大変そうだなって思うだけの人と、そこに手を差し伸べる人には大きな差があるんだよ。俺はあの時本当に困ってた。それを周りも見てた。でも声をかけてくれたのは祐一郎と旺君だけなんだ」
倫久は思いをはせるように目を細めて語る。
「祐一郎が作るご飯は温かくて、おいしいよ」
頬に熱が集まる。すっかりやり返されて、視線を泳がせた。
どうしてこんなに、いいやつなのに。俺なんかを好きだなんて思ってしまったんだろうな。
新学期に入っても、日常は変わらない。
ただ、オレは休み明けの確認テストで、順位を20番以上もあげた。言われてみれば、ほぼ毎日倫久と頭を突き合わせて勉強していた。なんなら、ちょっと勉強を楽しいと思い始めた。
「げ、祐ちゃん。めちゃくちゃ成績上がってんじゃん」
俺の前の席をまるで自分の席のように座って睨んでいるのは、友人のヒロだ。
「まぁな」
そしてチラリと倫久の方に視線をやると、ばっちり目が合った。ついうれしくて親指を立ててやったぜってポーズをとった。すると、倫久もびしっと親指を立てて笑った。
「え、祐ちゃん。どしたの今の」
「俺もたまには友達が増えるってことよ」
また視線を窓に移して、ぼーっとする。出された問いに答えることも面白いと思ったが、それに対して結果が出るというのも面白いと思った。勉強を頑張ってみてもいいかもしれない。
「あぁ、そいえば、ヒロは進路決まった?」
「え、祐ちゃんが初めて俺に興味を持った!」
よくわからない感激をされた。
「いいから……進路」
「オレは家が酒屋だから農学部かな。そこで発酵の勉強とかする」
「え、思ったよりしっかりしてる」
ヒロは照れ隠しにおどけて、褒めるな褒めるなと胸を張る。
「いいな、俺さ。何もないんだよね」
机に突っ伏して大きくため息を吐いた。
「ねぇ、二人で何の話してるの」
この声は倫久だ。オレは顔を上げて「進路」と端的に答えた。
「委員長が俺らに話しかけた!」とヒロは驚いていた。内心俺も驚いてはいる。
「後期はもう、HR委員にはならないから、委員長ではないよ」
「え?」
倫久は周りがひそかにこちらに注目しているのに気づいていないのだろうか。ふつうに話を続けていた。
「長瀬君は何委員だったっけ?」
「福祉委員」
「じゃあ、オレも後期は福祉委員になろうかな」
俺は今度こそ驚いて顔を上げた。
「え?」
今の発言が届いた範囲は、ざわめいている。
そして宣言通り、委員会決めで倫久は俺とおなじ福祉委員になった。
おかげで、倫久が落ちぶれたとかなんとか言われている。なんだかすごくもやもやした。自分が思う通りの人間でいてほしいなんてエゴだろ。
そして、はっと気づく。俺は……俺は倫久に何を求めて話しかけんなって言っていたんだろう。
「ごめん、福祉委員って何するの?」
委員会の集まりに行く途中、倫久が俺に聞いてくる。
「募金と購買部の担当だ。俺は購買のメニューを増やすためだけに、福祉委員をやっている」
「すごい、祐一郎らしい」
俺らしいかどうかはわからないが、冬はおでん缶と出汁缶を導入する予定だ。
そして、倫久のおかげで、おでん缶と出汁缶は導入されることが、満場一致で可決された。
「やっぱすごいな、倫久って」
「祐一郎だって、夏の購買にアイスが登場したのは、祐一郎のおかげだったんだね」
「あれはたまたま近所の駄菓子屋が引退を機に設備を寄付してくれたからだ」
「なんか、みんなで頑張ったみたいに言ってたけど、駄菓子屋さんと交渉して、もらってきたのも祐一郎らしいじゃん」
「倫久って誰の手柄だとか、割とちっさいこと言うんだな」
倫久が眉をひそめて、見上げてくる。
「ああいうのは公共の利益って言うんだろ。みんなでアイス食べられた! おいしいでいいんじゃねぇの?」
「祐一郎っぽい」
「倫久っぽくないな」
倫久がきょとんとして、首をかしげる。
「オレっぽいって、なんだろうな」
「教師に頼られたり? 困ってる人を助けたり? なんか、聖人君子みたいな」
「まぁ今まではそうだったかも。そうするべきだと思ってたからね。でもさ……人を助けられるのって自分に余力がないと無理だよ。オレはもう誰かのために何かするなんて疲れちゃった」
あぁ。やっぱり俺も倫久に役割を押し付けて一員だったんだな。
「そか」
倫久を見ると、少し緩んだ空気を出していた。まぁ隙が無い倫久も凛としてかっこいいが、こういう緩んだ倫久もまた倫久らしいのかもしれない。人は多面体でできている。見ている部分と見ていない部分があって、俺に見せるいろんな倫久はどれも無理がなくて親しみやすくある。
「てか。ふつうにしゃべってる」
倫久の評判によくないからと話しかけるなと言っていたのに。
「別に、オレと祐一郎が話すのがよくないなんて、思うやつと仲良くなりたいと思わないし、悪い影響を与えるなんて言ってくる奴から教わることもないと思うし」
笑ってしまった。なんだか、倫久が人間臭い。遠くから見ていた彼とは印象が変わる。好きな方へ。
「そか」
「そだよ、だから今日から毎日、学校でも祐一郎に話しかけるし。俺は長嶋君より祐一郎の友達になるから」
長嶋君……ヒロのことか。
「そこ張り合わなくても、もう倫久はかなり友達じゃないか?」
倫久がうれしそうに笑った。
オレの悩みなんて人にとってはどうでも良くて、オレのどうでもよいことが人には大切なのかもしれない。
「一番が良いな」
遠くからあがめるように見ていた時より、人間臭い倫久は、以前よりずっとかっこいいと思う。
倫久と並んで園庭に入るとあひる組の先生が、旺次郎と理央を連れてきてくれた。
先生って、どうして保育園の先生になったんだろうな。
ふとそう思ってじっと見つめていた。
「僕は保育士の仕事は責任の重い仕事だけど、つらいと思ったことがないからですよ」
どうやら俺の疑問は口から出ていたみたいだ。
「どの職業にも大変なことってあると思うんです。でもそれが苦じゃない。大変だと思ってもいやだとは思わないそれが保育でした。この体格だからいろいろ言われたり、警戒されたりはしましたが。好きだから保育士になりました。もしかしたらほかにも適正はあったかもしれませんが、僕にはこの仕事が性に合ったみたいです」
「俺には将来の夢とか、やりたいことがなくて。先生はいつみつけたの?」
「僕は偶然です。年上の彼女が、保育士で、工作を手伝ってたら面白かったから、やってみようかなって……劇的なきっかけじゃなくてすみません」
俺が聞いた中で一番しっくりくる。何かを目指すのにきっかけなんて、なんとなくでいいのかもしれない。
「祐にぃさんも保育士になりますか?」
「俺が好きなのはそこじゃないな」
あぁ、でも好きなもの知りたいことで一番興味があるものが一つあった。
「ありがと、先生……なんか、少し見えた」
「どういたしまして」
人とかかわることで、どんどん俺は俺のことを知り始めている。
なんだか、不思議でちょっと厄介だ。
俺は人を寄せ付けないために、染めている金髪がすごく子供じみてかっこ悪いもののように感じた。
倫久が期待した目で俺を見てくる。俺はひとまず覚悟を決めることにした。
「帰ったら手伝ってほしいことがあるんだけど」
俺がそう言うと倫久は「いいよ」と軽く返事をする。
帰ってすぐ庭に大き目のピクニックシートを敷いて、その上に椅子を置いた。そして少し小さいが、旺次郎のケープを巻く。そしてバリカンを倫久に手渡して目をつむった。
「倫久、一思いにやってくれ」
さすがに倫久は引いていて、最初はためらったが一思いにじょりっと、バリカンを動かした。結構思い切った場所を切ったみたいで、ひぇって小さい声が聞こえた。
そうしていると、あんとふみも帰ってきて、倫久からバリカンを取りまるで、相撲取りの断髪式のような様相になってきた。理央君と旺次郎も面白がっている。
はっきり言ってがたがただ、金髪の時よりもダサくなった気がする。
結局仕上げは駅前の1500円カットに飛び込んでお願いしたが、すっきりと心が晴れた。
すこし進みたい道が見えたくらいで、はしゃぎすぎだとは思うがこれはけじめだった。
家に帰ると、炊き立てのご飯とみそ汁のにおいがした。あんとふみが支度をしていたのだろう。
「ただいま」
キッチンに行くと、倫久が「おかえり」と迎えてくれる。
「すごく似合うよ。祐一郎って頭の形良いんだね」
「ん」
「なぁ、倫久話をしよう。あん、ふみ二人をよろしく」
あんとふみは親指を立てて返事をした。
倫久は勉強机の椅子に座る。俺はベッドに腰かけてどこから話そうかと考えた。しばらく沈黙がよぎる。
「自分でも意外だったんだ。倫久相手だとどうも弱気になってしまう。俺が勝手に引け目を感じて、倫久のことを崇拝することで、心の均衡を図ってたというか」
切りたての髪をわしゃわしゃ混ぜて、いや違うとつぶやいた。
「倫久の隣にいても、卑屈にならない俺になりたい」
倫久が顔を上げて驚いた顔をした。そして、耳が赤く染まる。
「それって……つまり、オレのことが好きだって言ってるように聞こえるよ」
「変わりたいと思った。だから、偽りたくないと思った……俺は倫久が好きだよ」
倫久が立ち上がって俺の前に立つ。いろいろな色がにじんだ瞳だった。優しさと、迷いと、疑い、幸せそうな甘い色。
言葉が足りないのかもしれない。俺はその目を見つめ返した。
「やっと、一つ見つけたんだ。俺は料理が好きなんだ。家族がおいしそうに食べてくれるのも好きだ。それが、家族の支えになるのも……」
目の裏に浮かぶのは家族の笑顔だ。わりと、分かりやすくて嫌になる。
「栄養士になりたい」
ふわりと柔らかなぬくもりに包まれた。倫久に抱きしめられていた。強引に抱き寄せたのに背中の手は触れるか、触れないかの優しいものだった。
「オレが一番だ」
「俺も一番に倫久に言いたかった。倫久が俺なら見つけられるって言ってくれたから」
俺のせいで変わってしまった倫久、倫久と話すようになって変わりたくなった自分。
それをラッキーだというために、これからを良いほうに変えていく。
☆☆
あの日告白をした後、自分たちがどうなったかはまた別の話。
今、隣でホワイトソースを悪戦苦闘しながら作っている倫久にでも聞いてくれ。
俺は相変わらず、家族のために……倫久のために家事にいそしんでいる。