二時限目の授業がおわり、教師が教室を出ていった。
入れ替わるように教室の後ろのドアからHR委員長の小畠倫久が入ってきた。一瞬だけ、教室が沈黙に包まれた。
クラスの視線集めて彼は自席についた。相変わらず背筋はピンとのびている。
この二月前、彼の両親が事故で亡くなったそうだ。今日はおよそ二か月ぶりの登校だった。
彼の登校はひっそりとクラスが注目していた。
お互い視線でけん制しつつ、一番に動いたのは、彼と同じHR委員の女子だった。二言三言と言葉を交わし、自分の仲良しグループ女子が集まっている場所へ帰っていった。そのあとゆるゆると人が集まって、委員長は変わらぬ笑顔を浮かべて受け答えをしていた。いつも通りの様子に皆が緊張を解いた。
それにしても、天井から吊られてんじゃないかってくらい姿勢がいい。
「なあ、祐ちゃん。委員長来たな」
ガタンと椅子を鳴らして、前の席に着いたのは友人のヒロだ。俺ははぁとか、ふんとか。返事をして、机に突っ伏した。
「委員長、思ったより元気でよかった」
委員長の方を見ると、彼もこちらに気づいて少しだけ口角を上げる。一瞬手を上げようとしたが、すぐに下ろして辺りを見回す。そしてうつむいた。机の下でスマホを触っているようだ。
すぐに尻ポケットのスマホがブルブルと震えた。
学校という場所は特殊だ。クラスには暗黙の了解による住み分けがあり。それをカーストと呼ぶ。陽キャ。陰キャ。あるいは、部活の違い。容姿の優劣。趣味のあるなし。そんなもので皆は静かに住み分けていく。
俺の場合はツーブロで金髪。背は高いほうだ。顔は学期に一人は女子が告白してくるくらいには整っている。多分いわゆるヤンキーというカテゴライズに興味を持って声をかけてくるのかもしれない。ただ俺はその告白を一度も受けたことがない。そのせいで、他校にすごく美人の彼女がいるとか、放課後は年上の彼女の家に入り浸ってるとか、憶測を呼んでいる。
実際は女が好きではないだけだ。姉妹で懲りたのもある。つい目で追うのは、委員長みたいな凛としたきれいな男だった。だから、そんな無責任な噂も、俺自身に隠している事情があるからありがたい。
……いや、完全にクラスで浮いていることの言い訳だ。
ヒロは、休み時間10分をめいっぱい話し倒して、自席に戻っていった。
次の授業は、数Bだった。担当の教師が委員長を見て一言二言、声をかけて授業を始めた。
俺は肘をついて窓の外を見た。運動場ではどこかのクラスが体育の授業を受けていた。
空は青く、真っ白な雲の塊が自己主張強めに広がっていた。
もう一度委員長を見た。彼はまじめに教科書とノートを広げ授業を聞いていた。
その背中に無言で「頑張れ」と声をかけた。
それは二週間前のことだった。
一番下の弟と最寄りのスーパーでばったり委員長と会った。
「あ、りーくんだ」
弟の旺次郎が委員長の方を指さす。彼はキャベツを片手に途方に暮れていた。それだけじゃない、教室で見ていた彼は、清潔感のある男だったのに。そこにいたのはしわだらけのシャツとハーフズボンといういで立ちだった。なんというか彼らしくなかった。
「りーくん?」
「うん、あひる組で一緒なの。でもね……最近ね……あんまり来てないの」
「そっか……声かけるか?」
「……うん!」
旺次郎はトトト……と走ると、委員長と手をつないでいる少年に声をかけた。そして、委員長がこちらに気づいた。
「あれ?長瀬君?」
俺の名前を憶えていたことに驚いた。
「この子、君の弟?」
「あぁ、旺次郎っていうんだ。保育園で同じ組らしいよ」
委員長は、旺次郎の視線に合わせてしゃがむと、「こんにちは」と言った。
「こっちは、理央。弟だよ」
「りーくん、知ってる」
旺次郎ははしゃいでいた。
「こんにちはが、先だろうが、おー」
たしなめると、こんにちはとお辞儀を返していた。理央君はこぼれるかってほど大きな目をしたかわいらしい顔立ちだった。
俺は委員長の手にあるキャベツを見て、委員長を見た。その視線に気づいて委員長が立ち上がる。苦笑いを返しながら、キャベツをかごに入れた。
「あぁ……これね。弟がロールキャベツが食べたいって……これ、キャベツであってるよね。値札ついてるもんね」
自分に言い聞かせるように早口で言って、自嘲した笑みを浮かべる。
「でもなんか、作れそうにないな……」
「僕もうシールのお弁当やだ。ろうるきゃべつ食べたい!」
理央君は、シャツの裾をぎゅっと握って目をウルウルさせた。旺次郎が慰めるように理央君の手を取った。
「うちの兄ちゃんのロールキャベツうまいぜ!」
旺次郎が得意げに答えていた。委員長の視線がすがるようにこちらに向けられた。だが、また頬を引きつらせてうつむく。一瞬見えた葛藤。
「あぁ、得意だよ」
そんなに得意ではない。手間もかかるし普段はあまり作らない。だが、委員長の様子を見ていると、そう言うのが正解のような気がした。
「キャベツ一個あったら十分だ。家で作るか?」
きょとんとした顔がかわいい。委員長は視線を泳がせてうつむいた。
「なんか意外だね。長瀬君……料理作れるんだ」
馬鹿にしたような口調ではない。純粋におどろいて、落ち込んだようなそんな声音だった。
「まぁな」
委員長とこうして長いこと話をしたのは、初めてだったのにこのまま放っておいてはダメだと警告音が頭の中に響いた。
結局、強引に家に連れて帰ることが決定した。旺次郎は家に友達を呼べたことがうれしかったらしく。理央君と手を握ってぶんぶん振りながら道を歩いていた。委員長は、理央君の笑顔を見てどことなくホッとした顔をしていた。
「ここが俺んち」
家はシングルの母親が40年ローンを組んだ一戸建てに住んでいる。ありがたいことに兄弟が多いわりに、ひとりひとりに個室がある。玄関のドアを開けると、三和土にスニーカーが二個並んでいた。妹たちのだ。
「ただいま、あん、ふみ お客さん連れてきた」
すると、リビングのドアが開いて二人が顔をのぞかせる。
「髪が長いほうが安奈であん。髪が短いほうが史奈でふみ 双子なんだ」
「祐にぃおかえり。お客さん、いらっしゃい」
「ってめちゃくちゃかわいいんだけど。この子!!」
あんとふみが理央君をキラキラした目で見つめていた。
「りーくんです。おーのお友達です」
理央君はきまじめに頭を下げていた。うちの旺次郎より礼儀がなっている。
「こんにちは、はじめまして」
委員長はあっけに取られて双子を見ていた。
「って。兄弟多いんだね。長瀬君」
「あぁ、あと一人、一個下に高一の妹がいる。今日はバイトだから8時に帰ってくるよ。家は五人兄弟なんだ」
委員長は驚いた顔で、こちらを見上げている。
「まぁ上がって。旺次郎、理央君にはお前のスリッパ貸してやれよ」
「はい!」
あんとふみは、理央君に構いたくて待ちかまえている。こっちはこの二人に任せてよさそうだ。
「あぁ、祐にぃ。お米は炊いておいたから」
「お味噌汁も準備しといた」
「サンキュー」
スリッパを委員長にだして、自分もスリッパをつっかけた。
リビングの奥がアイランドキッチンになっている。母一番のこだわりだったが、彼女が腕を振るうのは休みの日ばかりで、平日は俺や妹が使っている。
「じゃあ、卵は冷蔵庫に……ロールキャベツはコンソメ味で良いよな」
委員長はリビングやキッチンを見ながらきょろきょろと見まわしていた。
「あっ、うん。レシピ……クックシルで調べてるから」
慌ててポケットからスマホを取り出した。
「あぁ、いいよ。見なくてもできるから。じゃあ、とりあえず、委員長は手を洗って、手伝って。あーアレルギーとかある?」
「オレも、理央もないよ」
「よしじゃあ、つくる」
驚くほど、委員長は料理がからっきしだった。だから、キャベツ片手に途方に暮れてたんだろうなと思った。とりあえず、粘りが出るまで肉を捏ねる係を押し付けて。野菜室にあった、あまり野菜を刻んでいく。
沸いた湯でキャベツを剥いていると、委員長が驚いた顔で様子をうかがっていた。
「そっか、キャベツをこのまま巻くのって固いのにどうするんだろうって思ってたんだ」
「あぁ、湯で柔らかくして、芯の部分はこそぐんだよ。こうやって……」
「すごい! 上手だね」
委員長がとてもいいリアクションをしてくれるので笑った。
「あん、ふみ ロールキャベツ巻くぞ」
「「はーい」」
指示を出すと、二人は理央君の頭を撫でてキッチンに集合した。
「うわっ、かさましロールキャベツだ」
安奈が下唇をとがらせて目を細めた。史奈がそれを笑う。
かさましロールキャベツとは、読んで字のごとく。冷蔵庫の残り野菜やら、キノコやらを極限まで刻んで、捏ねたタネで作るロールキャベツのことだ。
「いっぱい食えるからいいだろ」
真ん中に茹だったキャベツを入れたざるを置いて。皆で無心でロールキャベツを巻いていく。
「へえ、パスタでとめるんだね」
委員長が見様見真似でなんとか巻いている。
「あぁ、つまようじは旺次郎がケガするかもしれないからな」
「食べられるし。おいしいよ」
あんふみが委員長にロールキャベツの巻き方を指導しながら答える。
「おーは、たこさんウィンナーが良いです!」
理央君とテレビを見ていたはずの、旺次郎がこちらの会話を聞いていたらしく、挙手でおねだりをしてきた。
史奈がにっかりと笑って「いいよ!」と答えていた。
「ロールキャベツが鍋の中で泳ぐと崩れる元だから、うちは隙間にシャウエッセン詰めるんだ。味も出るしうまいよ」
そういいながらぎっちりと、鍋に詰め込んで、間にウィンナーを刺していった。
「はい、じゃあ、あとは煮るだけで完成」
「すごい、ありがとう」
俺に対する尊敬と親しみを目いっぱい顔に浮かべて見上げてきた。委員長の顔はやっぱり好みの顔だった。色白で男らしさはあるのに凛としていて……まぶしすぎる。
「う……おう」
皆でリビングに移動した。鍋はIHのタイマーに任せると言うと、「便利だね」と委員長がまた感心したようにつぶやく。
ソファにどっかり座ると、当たり前のように旺次郎がオレの膝に座る。委員長は俺の隣に座った。
「ところで、小畠……ずっと学校来てないけどどうしたん?」
だが旺次郎がそこに割り込んだ。
「りー君も小畠です」
そういう突込み、今いらないのだが、旺次郎は眉間にしわを寄せて睨んでくる。
「あぁ、ごめん。オレの名前なんて知らないよな……」
倫久が慌てて間にはいる。
「倫久だろ?」
委員長は驚いた顔でうなずいた。
「じゃあ、とも君だね」
旺次郎は満足したのか、もう意識をテレビに向けた。急に名前呼びとか良いんだろうか。変に意識するのもおかしいか。
「声かけてくれて助かった。実は俺んち……」
静かな声が耳に入る。視線が理央君の後頭部に刺さっていた。彼の前では言いづらいのかもしれない。
「俺の部屋に来るか?」
ちょっと簡単に誘いすぎたかと思ったが、倫久はすぐうなずいた。
「あん、ふみ二人をみてろよ」
二人は親指を立てて返事をする。
倫久を廊下の奥にある俺の部屋に案内した。二階が母と妹たちの個室いわゆる女の園だ。そして一階に俺と旺次郎の個室がある。
「ごめん、一瞬待ってて」
扉の前に倫久を待たせて、部屋に入る。あぁ、朝脱いだスウェットがベッドの上に投げられている。勉強机は普段使わないからきれいなもんだった。あとは全部ベッドの下に蹴り入れた。
とりあえず、めちゃくちゃファブってから倫久を部屋に入れた。「きれいにしてるんだね」って言ってもらえた。彼には勉強机の椅子に座ってもらった。
「なんか、長瀬君って学校で見るときと雰囲気違うね」
「まぁ、学校は寝に行ってるだけだし」
「勉強も大事だよ」
倫久は委員長らしい返事をした。
「てか、強引に旺次郎が誘って悪かったな」
「ううん。大丈夫。どっちかいうと助かった」
「クラスメイトってだけで、よくついてきたな」
「あぁ、だって、旺次郎君もいたし……」
「ん」
倫久は手で顔を覆うと大きく深呼吸をした。
「それに、もうオレ……限界だったんだ」
それは重くひどく実感のこもった声だった。
「実はうち両親が……亡くなってさ」
それはいつぞやの、ホームルームで聞いた。有志が葬儀に行ったことも報告されていた。
「今は弟と二人で暮らしてるんだ。親戚に理央は引き取るから家を売って家に来いって言われてさ」
「そっか」
「あの家を売りたくなかったんだ。だから、理央の面倒は俺が見るから。あの家は売らないって啖呵切ってさ……生活を始めたんだ」
思ったより切羽詰まっていたらしい。ところどころ言葉をつまらせた。彼の苦労や葛藤がにじみ出ているようだ。
「だけど、オレ。今まで全部母さん任せだったから。いざ家事をしようとすると何もできなくて」
「そっか」
我が家は母がシングルになった中一の夏から分担制になった。確かにやり始めた当初は目玉焼きもうまく焼けなかった。
「料理も最初はクックシルで調べながら作ってたんだけど。理央がまずいって。だから、弁当を買うようになって。でも、今度は弁当を食べたくないって」
「そっか。それでキャベツ片手に途方に暮れてたのか」
「ロールキャベツなんて簡単だと思ったんだ。だけど、肉って。鳥?豚?牛?ってなって。どうやってこの堅いキャベツで巻くんだ? 味は? ってもうわかんなくなって。あんなに食べてたのに。一人でいっぱいいっぱいだった。それを親戚に聞けばまた、家を売れって。理央をよこせって言われちゃうから……理央は、母さんが不妊治療で得た宝物なんだ。だから、オレが大事にしたいんだ」
倫久の声がくぐもっていた。水っぽい声に、顔を覆った手の内側では泣いているのだろうと予想できた。
「そっか」
俺は気の利いた返しもできなくて、ただ、「そっか」をいう機械になり果てていた。
「ロールキャベツって、いっぱい手間がかかってたんだな……っ うっ」
もう我慢ができなくなったらしい。倫久は慌ててポケットからぐしゃぐしゃのタオルを出して目じりを抑えだした。
「理央の前では泣けないから。ごめん。みっともなくて、ごめん」
「いや……なんか、俺にできることがあったら言ってくれ」
無難なことしか言えなかった。きっと「言ってくれ」だけだと、彼は何も言わないだろう。なにせたまたま、スーパーですれ違っただけのクラスメイトだ。教室ではしゃべったこともない。
でもこのまま放っておけば、彼はつぶれてしまいそうだった。
やっぱ俺は教室で凛と背筋を伸ばして、ノートを真剣にとっている倫久が見たいわけで。ここはしっかり頼って欲しいと思った。
「……ちゃんと言えよ」
つい、すごんでしまった。倫久は驚いた顔をした後、少し笑った。
ぐちゃぐちゃのタオルが気になって。自分のクローゼットから新しいタオルを出して押し付けた。
「ん……」
「祐一郎って。無愛想なんだか。親切なんだかわかんないな。あーいや、めちゃくちゃ親切だ……ありがとう」
倫久の口から、祐一郎と呼ばれたことに口元が緩む。
「泣きたいだけ泣いとけ。倫久」
にやけた顔を見られたくて逸らした。倫久が俺のタオルに顔をうずめて、しっかりとうなずいているのを見た。
そうすると、廊下の向こうから、安奈の声で「タイマー鳴ってる」と叫んでいる声が聞こえた。
「わかった、すぐ行く!」
大声で答えると、隣の倫久が肩をびくつかせて驚いた。
「あとからでいいよ。出てすぐの扉が洗面所だから」
倫久が背負っていたどんよりとした空気が、少しだけ晴れたようなそんな風に見えた。
ご飯をよそっていると、ガレージから音がした。ガチャガチャと玄関が開いて、ペタペタとスリッパの音が聞こえる。
リビングのドアを開けたのは母だった。母の後ろには、春奈もいた。
「ただいま! あれ? お客さん?」
「いや、RINEしたろ」
「見たかな?」今、既読をつけた。何のためのRINEだ。
「おかえり!」
旺次郎が元気に答えた。そのとなりに理央君と倫久がちんまりと座っている。彼らは生真面目にお辞儀をする。
「あれ?かわいい」
「おーの保育園のおともだちです。で、祐にぃのおともだちのとも君です」
すこし得意げに旺次郎が答えている。母親の視線が俺の方に向いた。説明しろよと言ってきているようだった。
「スーパーでばったり会って」
もごもごっと答える。それ以上の説明は何もないと明後日の方を向いた。
「まぁ、お腹空いたし、話は食べながらにしましょうか!」
母はいつも通りのマイペースで、場を仕切る。
ダイニングテーブルに全員がそろう。
「え?こんなにたくさん作ってた?」
倫久はテーブルの上に所狭しと並んだ料理に驚いていた。
ごはん、味噌汁、ロールキャベツ、そこにきんぴらと、ニンジンラペ。じゃがいもとベーコンの炒め物。ほうれん草の胡麻和えなんかが並んでいた。
「常備菜だよ。もともと作ってたやつを皿に盛っただけだ」
「私が作ったの。食べて!」母が得意げに胸を張る。
「いただきます」
皆で手を合わせて食事を始めた。
湯気の立つロールキャベツを前に理央君が目を輝かせている。倫久も炊いたばかりのご飯を噛みしめていた。
さっきまで勝っていた男女比がここにきてひっくり返される。こうなると女たちは際限なく話し始める。案の定、母親は倫久を質問攻めにして事情を吐かせていた。たぶん、職業柄得意分野なのだろうが、自分よりも自然で圧巻だった。
倫久が嫌な顔をしていないか、ちらりと見たがなんだか真面目な顔でうなずいている。困ったら助け舟を出そうと静かに見守った。最後までその必要はなかったみたいだ。
食事の後、ダイニングテーブルでは母と倫久は向き合うように座って話をしていた。
いろいろな役所の手続き、福祉関係。学校関係。倫久一人で把握するには大変だった細々したことを母はよく知っていた。
「来年から小学校なんだから。いろいろあるわよ」
圧倒されつつも、最後は母を神のようにあがめて、倫久は必死にスマホでメモを取っていた。
「美緒さん!ありがとうございます」
倫久はひとしきり聞き終わったのか、頭を下げていた。いつの間にか名前呼びになっていて親しげだ。春奈は勉強するとさっさと部屋に戻っていた。いつもは俺もそうしていたが、今日は倫久もいるため膝に旺次郎を乗せてテレビを見ていた。
「ママ。りーくん寝ちゃった」
双子に世話を焼かれながら、テレビを見ていたのだが力尽きて寝たらしい。小さく丸くなって寝ている。
「せっかくだから、泊っていきなさい」
結局、母のその一言で、倫久たちは問答無用でうちに泊まっていくことが決まった。そして、心配だからと母が週末に倫久の家に突撃することも決まっていた。妹たちは部活があって、突撃隊には俺と旺次郎で参加することが決定していた。
「来ても驚かないでくださいね」
倫久は気まずそうにうつむく。
「うちの母親、強引だけど。悪い人じゃないから」
フォローにならないフォローを入れてみた。倫久が苦笑いを浮かべている。
そしてすぐの週末、母の車で小畠家へ向かった。彼の家は保育園を挟んだ隣の学区で、純和風の平屋建てだった。なんか小畠っぽいなと納得してしまう。
うまくいってないと言うのが、玄関の横から見える庭からも想像できた。草はほぼ枯れていたり、しなびたりして元気がない。料理だけでもあれだけいっぱいいっぱいだったんだ、そこまで気が回らないだろう。
玄関の引き戸を開けると倫久が立っていた。やっぱりなんだか、くたびれた様子だ。玄関近くの扉からは理央君が顔をのぞかせていた。
「おう」
休日の倫久にニヤつかないように眉間にしわを寄せてあいさつすると、母がすかさず偉そうにと尻を叩いてきた。こういう子どもあつかいはやめてほしい。倫久に笑われてしまった。
通された部屋は予想よりもきれいだった。
だが、漫然と片付いていない。間取りはリビングダイニング。奥にオープンキッチンとその前に、ダイニングテーブル。テレビの前にソファがあって。リビングには大きな掃き出し窓があった。家とよく似た間取りだ。
そして、リビングの片隅、真っ白な仏壇が置いてあった。
俺たちは、そこに手を合わせてあいさつをした。
倫久がおどろかないでねと言った理由はその様相にあった。間を埋めるように、中身の詰まった指定ごみ袋が置いてある。
ダイニングの上には、洗ってあるものの片付けていないプラスチックとかペットボトルが並んでいいて。ソファには洗濯された服が積まれている。扉の上枠にはカーテンよろしく何個もハンガーがかかっていた。
それでも、生活をしようとしていた努力は見える。
洗いカゴに置いたままだけど、食器は洗ってある。ごみはたまっているが、何とか分別はできているし。
なんか試行錯誤のあとが見えて泣きそうだ。つい眉間にしわをよせてしまった。
「ごめん、片付いてなくて。あきれるよな」
倫久が俺の表情を見て、苦笑いをする。
「ああ、いや違う。なんか頑張ってるのが見えるから」
慌ててとりなそうとしたが、変にごまかすのもおかしいと思って頭を掻いた。
母はいつの間にか、洗面所に行っていたみたいだ。
「洗濯、毎日ちゃんと回してたんだね。えらいね」
「母がそうしてたので……」
「……よし、じゃあできるところまで片付けましょう」
母はどうやら人の家を片付けるのが好きな人間らしい。すごく張り切って洗面所に向かった。俺はとりあえず、いつもやっているキッチンを攻めることにした。倫久と、理央、旺次郎はリビング側を片付ける係になった。
たぶん、倫久の母親はきれい好きだったのだろう。キッチンはクロスで拭くだけでかなりきれいになった。冷蔵庫は、まだ賞味期限が切れそうな食品はなさそうだ。しおれた野菜があるくらい。
残すところはごみ類だが、分別はできている。あとはそれを出す算段を整えるだけでよさそうだ。
「倫久。ごみ収集カレンダーどこ?」
倫久は立ち上がって、ごそごそと探している。
「あぁ、ここの地区名を言ってくれたらネットでも見れるから」
倫久は驚いた顔でこっちを見た。
「え……ごめん。実はいつごみを出していいかわからなくて……溜めてたんだ」
「あぁ……でも、分別はできてるから……な」
素早くスマホを操作して調べた。
「分かった。こっちの資源ごみは、第二火曜日」
倫久は慌てて付箋を持って書き込み貼っていった。
「こっちは、燃えないゴミだから第一・第三金曜日」
倫久がぺたりと貼り付ける。
「で、燃えるごみは、月金だ」
「ありがとう。これでごみが出せる」
「いや。まぁ、あと、こっちの牛乳パックとか、プラトレイと透明トレイ、ペットボトルはスーパーに回収ボックスがあるからそこに持っていくといい」
「え……祐一郎すごい」
倫久の視線が熱を帯びて尊敬するまなざしと言うのになっていた。
さっきから、「いやまぁ」しか言えていない。
とりあえず、ゴミの処理も終わって、次は倫久たちの部屋に行くことになった。制服がぐちゃぐちゃだった。どうやら普通に洗濯してしまったらしい。うちの学校の制服は、普通に洗濯してしまうと、しわがすごい。
スラックスは何とかなるが、シャツは無理だったみたいだ。
「洗濯がこんなに難しいなんて知らなかった。シャツとか、アイロンされてるのが当たり前で、いざしようとしたら、すごく難しかったんだ。こっちのしわを取るとこっちにしわがついたりして……」
自嘲するようにつぶやいた。
「いやまぁ、それが普通じゃね?」
また、「いやまぁ」を発動して、自分の語彙の少なさにがくぜんとした。
「安心しろ、スラックスはとっておきの干し方があるから」と。とっておきと言っても裾をそろえて干すだけなのだが、カッコつけて言ってしまった。重いほうを下に干せば自重でしわが伸びることを説明すると、また尊敬するまなざしを受けた。なんだか、癖になりそうだ。
「あと、シャツが無理なら制服選択にポロシャツあったからあれにしたらいい」
倫久はシュバッとスマホを取り出して、タタタタとメモを取っていた。
そこへ、先ほどぶりの母が顔を出した。
「頑張らないのが家事のコツよ……そうね、服とかはもうぜんぶ、ハンガーで干しちゃって。それをそのまま仕舞う方式にしたほうがいいかもね。服の数を減らせばその方がラクよ」
がつがつと、服を拾っていって全部洗面所に運んでしまった。
「美緒さんってすごいね。家の母さんとは違うすごさがある」
倫久の尊敬するまなざしは、割り込んできた母に掻っさらわれしまった。
大掃除は昼を越すかと思われたが、倫久が頑張っていたおかげだろう午前中で終わった。理央と旺次郎は大人しく二人で、リビングで遊んでいたみたいだ。ちょっとだけ片付けた気配が見えたので頭を撫でてほめちぎっておいた。
洗濯が終わった母が、リビングに戻ってくる。
「よし、お片付けができたご褒美にピザがいい人! マックがいい人!」
突然の多数決で、お昼はマックに決まった。母のおごりだ。
昼からは倫久と母で金の話をしていた。なんだかんだ言って、こういう時、母がいてよかった頼れる大人がいるのは倫久も安心だろう。危うく母を尊敬しそうになる。
俺は旺次郎と理央君を膝にのせて、テレビを見ながら過ごした。
「ボクのランドセル。見たい?」
理央君の突然のお誘いに旺次郎が答えていた。
二人でパタパタと、奥へ駆けて行った。突然のボッチである。仕方なく、冷蔵庫を開けて作れそうなものを物色する。倫久の母親はすごくまじめな人だったのだろう。調味料は見たことないような無添加だとか。九州のしょうゆとかが並んでいた。ここを見ただけでもわかるあの兄弟は大切に育てられたんだろうな。
だから、弟を取られたくないと泣いたのだろう。
しなしなの人参と、芽が出そうなじゃがいもが野菜室にあった。とりあえず、甘めのきんぴらにしてタッパに詰めた。こういうのは胡麻をかけておけばとりあえず美味しい。
見ると母と倫久の話も終わり、理央と旺次郎もリビングに帰ってきていた。
帰り際、倫久が視線を泳がせながらこちらをちらりと見る。
「あのさ……RINE聞いてもいい?」
「ん?……あぁ」
スマホ画面にはすでにQRコードが表示されていた。
「ん」
倫久のアイコンは剣道の垂れのアップだった。俺のアイコンはスニーカーだ。
「落ち着いたら、学校には来いよ」
「うん」
「まぁでも学校では話しかけてくんなよ。あんま、いいこと言われないから。なんかあったら、RINEしろ」
学校には柵が多い、教師の覚えがめでたい倫久と、目をつけられている俺とでは一緒にいるだけでいらぬ邪推を呼ぶ。
「そうだよね。オレなんかと仲良くしたら祐一郎のイメージが悪くなるよね」
「逆だろ」
「そんなこと……「あるんだよ」
「そっか、でも迷惑を掛けたいわけじゃないから」と、倫久は引き下がった。
帰りの車で母が言うには、倫久の家にはちゃんと弁護士も税理士もいて金の問題はないそうだ。ただやはり日常生活を送るには教わる人が足りない。
「あんた、とも君のこと見てあげなさいよ」
二人はいつの間にか、美緒さん、とも君と呼びあうほど親交を深めたらしい。言われなくても見ていた。同じクラスになってからずっと。