駅のほど近くにある私立高校の体育館内にシューズの擦れる音が鳴り響く。バスケットボールよりも一回り小さいハンドボールを片手で鷲掴(わしづか)みにし、プレイヤーがゴールエリア内へと飛び込む。永遠を思わせる滞空時間から放たれる鋭角のシュートは見る者全てを圧倒する。
 ゴールネットをぶち抜くと、チーム内から歓声が湧き起こった。当事者である恐田(おそれだ)からハイタッチを要求され、俺は白線の内側でそれに応じる――

「また助っ人かよ!!」

 手厚いハイタッチを交わしてやった。恐田は、しかし満足そうに口元を(ほころ)ばせた。ドMか?
 助っ人のハシゴなど聞いたことがない。恐田の背中を睨みつけるが、当人は他のメンバーとのハイタッチに夢中のようだ。

「悪いね、鬼越(おにごえ)君まで。メンバーが突き指しちゃってさ」

 ハンドボール部の鯨井(くじらい)部長が申し訳なさそうに隣に並ぶ。コートの外では、指に包帯を巻いた部員二名が胡坐(あぐら)をかいて応援している。
 ハンドボールは七対七で行われる。どうやら我が校のハンドボール部には七名しか所属していないようだ。

「ハンドボールって影薄いんだよね。同じ屋内球技でもバスケとかバドのほうに人が流れちゃって、万年部員不足。鬼越君もうちにハンドボール部があるって知らなかったでしょ?」

 俺は苦笑する。クラス委員と言えども、全ての部活は網羅していない。

「最近は良くなってきたけど、うちの高校ではハンドボール部はまだまだ知名度不足。だから、実績をつくりたくてさ」
「練習試合でも実績になるんですか?」
「ならないね。でも、校内新聞とかに載るから。一試合一試合を大事にしたいわけさ、僕としてはね」

 鯨井部長が微笑む。長身でスマート、おまけに物腰が柔らか。これはモテる。一般男子生徒の身から言わせてもらうと、むしろこの人がモテていなければ困る。

「そうですか。……ちなみに、二人はどうして突き指したんですか?」
「……バスケでやっちゃったみたい」

(熱量差ァ!)

 どうやら突き指した二人はバスケにご執心のようだ。

「それは……お気の毒に」

 ともあれ、一度引き受けた(勝手に引き受けられた)からには途中で放り出したりしない。それがクラス委員というものだ。
 ハンドボールのコートは20m×40mで、サッカーのように両チームにゴールネットが存在する。ただし、サッカーとは異なり、ゴールネットを囲うゴールエリア内にはゴールキーパーのみ入ることが許され、他の選手はエリア外からボールをシュートすることで点数を獲得できる。

「よろしくお願いします!」

 試合開始の笛が鳴った。先ほどのアルティメットは審判がいない『セルフジャッジ』が基本のゲームだったが、今回は顧問と思しき男教師が審判を務めている。
 コイントスの結果、俺たちのチームが先行だった。センターラインの中央から鯨井部長が恐田にパスを出す。
 
(早速恐田か)

 前評判もあり、期待されているようだ。恐田はバスケのようにハンドボールをドリブルしてゆく。はじめはゆっくり、ディフェンスが迫ってくると急加速し、たちまちゴールエリアの手前まで迫った。
 恐田はダッシュの勢いそのままにゴールエリア内へと跳躍し、空中からゴールシュートを決めた。いわゆるジャンプシュートだ。
 おお、と突き指した二人から歓声が上がる。恐田がチームメイトとハイタッチを交わしている。
 俺も恐田に近付いてハイタッチを交わす。
 
「ナイス恐田。だけど、ゴールエリアに入ってなかったか?」
「空中ならOKだ」
「なるほどな」

 恐田は交わした手をそのままがっしり握り締め、俺を引き寄せた。

「……鬼越の手、温かい」
「試合中だからな」

 恐田の手を振り解き、ディフェンスの位置につく。今度は相手チームのスローオフから開始だ。
 横目に恐田を見ると、手を見つめてグーパーしていた。少し冷たくし過ぎただろうか。
 いや、今は試合中だ。冷たいくらいが丁度良いはず。
 わかっていたことだが、やはり恐田は運動神経が良いようだ。アルティメットの時のような派手な動きはできないものの、甘いパスのカットやディフェンスの穴を狙ったドリブルなど、手堅いプレーで俺たちのチームは優勢となった。

「この調子で行こう!」

 試合も終盤に差し掛かり、鯨井先輩がチームメイトを鼓舞する。
 
「鬼っち!」

(鬼っち?)

 鯨井部長が俺にパスを出してきた。

(って俺かよ!? えーっと……ボールを持ったら三秒以内に動いて……!)

 ボールをキャッチし、とりあえずドリブルする。ハンドボールはバスケットボールよりも小さく、未だに感覚が掴めない。

「ああっ!」

 そうこうしているうちに相手チームにボールを奪われた。何たる不覚。取り返さなければ。
 相手のオフェンスを追いかける。先回りすることなら恐田のおかげで慣れている……と言いたいところだが。

「はあ……はあ……限界だァ……!」

 午前のアルティメットが響いてきた。俺は前屈みとなり、呼吸を整える。
 面を上げると、恐田が相手選手のパスをカットし、こちらへ戻ってくるところだった。

「すげェな、恐田は……ぜえ……さすが、ヒーロー……!」

 俺の横を通り過ぎ、恐田が俺をチラリと見る。目配せしたわけではないが、恐田の(まと)う空気が変わったような気がした。
 恐田はゴールエリア手前で相手のディフェンスに囲まれ、反対サイドの鯨井部長へとパスを出した。しかし、鯨井部長もマークされており、シュートを打てない。
 すると、恐田はディフェンスの間を縫うように動き出した。鯨井部長が恐田を一瞥(いちべつ)し、ゴールエリアの上方へとボールを投げる。
 恐田は相手選手の陰からぬっと現れ、ゴールエリア内へと飛び込んだ。空中で鯨井部長のパスを受け取り、そしてシュートを決める。

「スカイシュート……!」

 試合前の練習中に鯨井部長から見せてもらったが、試合中に見ると迫力が違う。ゴールを決めた恐田の背中が勇ましく見えた。
 恐田が肩越しにこちらを振り返った。人差し指をくいっと曲げ、挑発のジェスチャーを見せる。俺にやれと言っているのか。

(いやいやいや! 俺には無理だって!)

 俺は頭をぶんぶんと横に振る。
 そこで試合終了の笛が鳴り響いた。俺たちのチームの勝利だ。
 鯨井部長がチームメイトと順番にハイタッチを交わす。恐田の番になると、ハイタッチに続いて握手も交わしていた。

「お疲れ様! いやぁ、初めてとは思えないよ、恐田っち! どう? このままハンドボール部に入らない?」

 恐田が俺をチラリと見る。俺は肩を(すく)め、恐田の自主性に任せることにした。

「鬼越がやめとけって……」
「言ってないッ!! 捏造(ねつぞう)するなッ!!」

 恐田の頭をぽかりと叩く。恐田は、しかし嬉しそうだ。ドMここに極まれり。
 鯨井部長はふふと目を細めた。笑い方まで様になっている。ここまでくるとズルいとすら思えない。素敵だ。

「そっか。残念。でも、もう一度やってみたくなったら体育館までおいで。いつでも歓迎するよ。鬼っちも、ね」

 鯨井部長に続いて、他のチームメイトも口々に感謝と歓迎の言葉をかけてくれた。突き指をした二人も試合の熱が移ったのか、怪我していない方の手でボールをドリブルし始めた。

(疲れた。……だけど、こうしてクラス委員とか関係なく歓迎されるのって、いいな)

 片付けを終え、学校を後にする。徐々に日が傾いてきた。
 スポーツドリンクを飲み干し、自動販売機脇のゴミ箱へとペットボトルをシュートする。ようやく一点取り返せた。

「今からどこかに行くのも中途半端だな。今日はもう帰るか」
「だってよ恐田。用事は済んだか?」

 目黒が後ろを振り返る。恐田は自動販売機からスポーツドリンクを一本取り出し、俺に手渡した。

「あと一つ。……言わなくてもわかるよな?」


 ***


「そんなことだろうと思ったよ!!」

 最後は小学校のグラウンドだった。どうやらドッジボールの小学生チームの助っ人だそうだ。

(いいのか、これ?)

 俺は外野で、恐田は内野。図体の大きな恐田が集団の中で浮いている。
 恰好の的と言うべきか。先ほどから相手チームが執拗に恐田を狙ってボールを投げている。だが、恐田はすんでのところで全て避けている。障害物を避けることに関して言えば、恐田の右に出る者はいない。俺は「クソッ!」と悔しがっている小学生を前に優越感に浸っていた。

「油断するなよ、鬼越」

 背後で目黒が腕を組んでいる。その目は真剣そのものだ。

「相手は俺の弟だ。甘く見ていると……死ぬぜ?」
「兄バカかよ」

 どうやら弟のために強いチームと戦わせたかったようだ。即席チームのせいか戦力差は明らかで、気付けば内野は恐田一人だった。

「鬼越! 中入って!」

 恐田のヘルプに応じ、俺は内野に戻った。自チームの内野が俺たち二人であるのに対し、相手チームの内野は四人残っている。しかも、まだ内野に戻れる外野も残っている。

(絶体絶命だな……!)

 相手の内野がボールを手にして、俺たちを品定めしている。その顔立ちには目黒の面影がある。きっとあの少年が目黒弟なのだろう。
 目黒弟がボールを構える。狙いは――俺だ。
 ボールが迫ってきた。小学生とは思えない剛速球だ。俺には到底キャッチできない。
 俺は右に跳んでボールを避けた。ボールが相手チームの外野の手に渡る。

「鬼越ッ!」

 恐田の声に反応し、今度は真上にジャンプする。ボールは俺が足を着いていた地面へとバウンドした。
 内野と外野の連携攻撃によって、俺たちは防戦一方だった。徐々に陣地の中央へと追いやられ、俺と恐田はほとんど身体が密着する位置取りとなっていた。
 恐田と肩が触れる度にドキッとする。恐田もそう思っているのか、ボールを避ける動きが徐々に鈍くなっている。俺は極力恐田に触れないように陣地の外側へとポジショニングしてゆく。

(こんな時まで人目を気にしてどうするんだ。相手は小学生。俺たちが付き合ってるだなんて思うわけがないし、気付いたところでどうにもならない)

 そこで俺は思い至った。
 
(……俺は、目黒に気付かれるのが嫌なのか?)

 目黒は俺たちの関係性を半ば確信しているように思う。それでも、こうして俺たちの用事に付き合ってくれたし、こうして俺たちを頼ってくれた。俺たちの間には信頼関係が築かれている。俺はそんな相手を俺は疑っているのか。本当の姿を知られれば、離れてしまうと。

(違う。俺は……)

「鬼越ッ!!」

 恐田の声で我に返った。しかし、気付いた頃には手遅れだった。
 顔面に剛速球を食らい、世界が逆さまにひっくり返る。

「鬼越ェェェェェェッ!!」」

 夕焼け空に目黒の絶叫が響き渡った。