あたしは一瞬聞き間違いかと思った。
 お母さんがもう「花壇使っていい」って言ってあったんじゃん。
 あたしは首を捻りながら尋ねた。
「なんでガーデニングやらなくなったの」
 お母さんは「さあ」と言ったあと「受験だからじゃない?」と答えた。なるほど、それなら納得だ。
 あたしは花壇にぴょこぴょこ生えている草をむしり始めた。お母さんは車の助手席に横向きに腰掛けてそれを見ていた。
「そういえば、愛良は東京でいい人見つかったー?」
「は?」
 あたしは驚いて草をむしる手を止めた。
 うちのお母さんは世間の母親像とは少し違った。「早く結婚しなさい」などとは言ったことのない人なのだ。そのお母さんからその類いの言葉が出てきたのに驚いた。
「相良愛良、韻を踏んでてかわいいでしょー。一生大事にしてね」と、全く別の姓になることを考えていない発言をして周囲の親戚を慌てさせたこともある天然さんだった。婿取りなども全く脳裏になかったに違いない。
 あたしは顔を上げた。
「いないよ。なに、急に……」
「そうなんだ! じゃあさ、愛良ここに住まない?」
「……は?」
 思いがけない言葉に対する返事の返答は、さらに思いがけないものだった。
「あれ? 絵美さん?」
 車の横から声を掛けられ、あたしたちは振り向いた。奏ちゃんだ。手に持っているコンビニ袋は差し入れと思われる。
 絵美とはお母さんの名前だ。奥さんではなく、絵美さんと呼んでいたらしい。
「車あったからまた来てるんだと思って、これ」
 微笑みながら奏ちゃんは袋の中からポテチを取り出した。
「久しぶりねー、奏ちゃん。愛良から聞いたよ。またガーデニング始めたんだって?」
 お母さんも笑顔で返したのだが。
「はい……」
 奏ちゃんの顔は、なぜか浮かなかった。
 その後、三人で草むしりをしたりお花のお世話をしたりして青空女子会に花を咲かせた。 奏ちゃんは前回バラを植えたいと言ったあと何を植えるか考えたらしく「まずはモッコウバラがいいです!」と宣言した。モッコウバラとは、と検索すると、あたしのイメージしたものとは全く違う小さな花のつるバラだった。
 小さいけれど、花びらが何層にもなっていて可憐だ。派手すぎない黄色もかわいい。
「奏ちゃんみたいねー」
 とお母さんが言うと、奏ちゃんは顔を真っ赤にして「光栄です」と難しい言葉を使った。 帰りの車の中で、お母さんが再び例の話を始めた。
「いい人いないなら、地元に帰ってきてもいいんじゃないかなーって思ったのー」
「いやいや、あたし仕事あるし」
 仕事は好きではないが嫌いでもない。というか、働かないと食べていけない。今の職場に強い思い入れがあるかと言えば「別に」という感じだが、どう考えても都会より田舎のほうが職は少ない。
「でも、東京は家賃高いんでしょー? おばあちゃん家に住めばタダじゃない」
「いや、固定資産税かかるし」
「それはお父さんが払ってるから大丈夫よー。おじいちゃんが亡くなるちょっと前にリフォームしたからまだすごくきれいでしょ?」
 確かにリフォームして十年経っていないおばあちゃんちはきれいだった。リフォームするにしても水回りくらいで済むだろう。
 しかも、広い。東京のあたしの家はワンルームだ。広いマンションはあたしの給料では借りられない。
 しかも、庭つき。
 今までガーデニングとやらに興味を持ったことはなかった。というか、草花や木自体にたいした興味はなかった。
 でもおばあちゃん家でお花を育てたりするうちに「この広い庭、好きにしほうだい!」とわくわくしてきたのは確かだ。実は園芸雑誌なども読み始めていたのだ。そして、今我が家には三つほど多肉植物もある。
 が、ここで何かを育てるには通いではきつい。
「心が揺れてきたでしょー?」
 お母さんににやにやと言われ、あたしは「まあ、考えとくわ」と適当に答えた。

 おばあちゃん家に通っているうちに夏になり、お母さんの足も治ってきた。
「ありがとう、もう頻繁に帰って来なくていいよー」と、無情にもお母さんにシッシとされたが、あたしはおばあちゃん家に通っていた。
 奏ちゃんと話し合い、家屋の向かいの長い花壇も一緒に世話をすることになった。今、金木犀が生い茂る周りでは、小さな花々以外に、雪柳も揺れている。
 そうこうしているうちに、庭の金木犀が香る季節になってきた。
「すご! さすが金木犀。まず香りで咲いてるのがわかる」
 木を見上げると、オレンジ色の小さな花びらがちょこちょこと密集してついている。が、花が咲き始めたのを見るより先に、香りで花が咲いたことが知れた。
「わたし、金木犀大好きなんです。相良さんも大好きだったの。だからどうしてもこれだけは残そうって話し合って」