兄貴は最強! 堅物兄貴の異世界冒険譚

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 兄貴を思い出せる最初の記憶は、小学三年生の頃のものだ。
 赤ん坊の頃に会っていたのかもしれないけれど、残念ながら、思い出せない。
 わたしは生まれつき身体が弱く、入退院を繰り返していた。そのため、両親は、わたしの看護に専念するために、兄貴を祖父母に預けた。
 母と父は、ぎりぎりまで頑張ったらしいが、治療費を稼ぐための仕事をしながら、わたしの日常の看護を行い、兄貴の世話までするのは、無理だったのだ。

 三つ上の兄貴は、祖父母になついていて、預けられるときも、さほど泣いたり、わめいたりしなかったらしい。
 母は、兄貴が寂しがっているのではないかと、毎日のように電話したが、うん、とか、元気だよ、とか、ひと言、ふた言ぐらいしか、言葉が返ってこなかった、といっていた。
 それでも、やはり寂しいに違いないと、わたしの寝ている病院のベッドのそばで、母と父は、わたしが元気になったら、兄貴に、こういうことをしてやろう、ああいうことをしてやろうと、盛んに話し合っていた。

 わたしの体調が良くなり、病院に行くこともほとんどなくなったのは、9際の頃だった。
 そして、12歳になった兄貴が帰ってきた。
 9歳の時のわたしは、ませていた。
 病院で、年上の入院患者から、男女についての、さまざまな知識を、さんざん吹き込まれていたのだ。
 だから、兄貴を兄とみることができなかった。ひとりの異性として意識したのだ。

 兄貴は、わたしと同じ小学校に通うようになり、毎朝、一緒に登校するようになった。学校は、小中高一貫校で、何もなければ、兄貴の高校卒業までは、一緒に通えるはずだった。
 兄貴と手をつないで登下校するのは、何かドキドキして楽しかった。

 ある時、こんなことがあった。
 夏のようやく梅雨が終わったころの下校時だった。いつものように、兄貴とわたしは手をつないで帰っていた。
 どういう理由だったのかは、もう覚えていないけれど、いつもと違う帰り道を選んで、繁華街を兄貴と歩いていた。いつもと違う道だったので、ウキウキとしていたことを覚えている。

 ゲームセンターの前に差しかかったとき、センター前にたむろしていた中学生の集団のひとりに、ブンブン振りまわしながら歩いていた体操着の入った手提げ袋が、当たった。
 中学生は、ムッとした顔で振りむいた。
 わたしと兄貴が、小学生で身体も特に小さいと見るや、
「こいつ!」
 その中学生は、こぶしを握り、わたしの頭を上からなぐろうとした。

 馬鹿なわたしは、キョトンとして、口を開け、中学生を見上げていた。
 と、兄貴が一瞬で、あいだに入り、振り下ろされたこぶしを受けた。
 鈍い音がした。薄い皮膚を通して骨同士の当たる、あの音。
 兄貴は、しかめ面をしながら、わたしを背にかばった。

「なんだ、こいつ!」
 中学生が、こぶしを手で押さえながら、兄貴を蹴った。
 兄貴は、蹴飛ばされ、倒れた。
 わたしは、恐怖にかられ、泣きわめいた。
 と、兄貴も、路上で、あおむきに寝転がったまま、泣きわめいた。
「痛い、痛い~、折れた、足が折れたあ~」
 子供とは思えない、すさまじい声だった。

 まわりに人が集まってきた。道沿いの店の店員が、何事かと、出てきた。誰かが呼びにいったのか、ゲームセンターのオレンジ色の制服を着た店員が、走り出てきた。
 なぐった中学生は、いつのまにか、姿を消していた。大事(おおごと)になったので、逃げ出したにちがいなかった。
 店員が兄貴を立たせ、背中についた砂や土をはらってくれた。わたしの顔一面についた涙とホコリも、ハンカチでぬぐってくれた。
 兄貴を見ると、さっきまでの泣き顔はどこへやら、もうひとり出てきた女性の店員に顔をふいてもらって、ニコニコしている。
 兄貴は、店員にケガはないか訊かれていたが、あれほど泣きわめいていたのに大丈夫と答え、わたしの手を引いて、意気揚々とその場を離れた。

 兄貴が、あまりにもケロッとしているので、「痛くない?」と、訊いた。
「なぐられたところは、ちょっと痛むけど、それ以外は、全然!」
 兄貴は、蹴られたときは、自分から後ろに跳んだので、ほとんどダメージを負っていないという。
「だって、あんなに泣いてたのに……」
 兄貴は、ガハハ、と笑った。
「ウソ泣き! まともにケンカしたら、かなわないからな!」
 わたしは、眼を真ん丸にして、あきれた。
 だけど、なぜか愉快になってきて、兄貴と一緒に笑いころげた。

 年を追うにつれて、兄貴を想う気持ちが、強まっていき、中三にもなると、家の中で、兄貴の手に触れるだけで、顔が真っ赤になった。
 真っ赤になったわたしを見て、兄貴は不思議そうな顔をしていた。
 母は、思春期の女の子はそんなものよ、といって笑っていた。まさか、わたしが兄貴に恋しているなどとは、想像もつかなかったにちがいない。
 父は、わたしが父と手をつないでも、顔色ひとつ変えないのを、兄貴に自慢していた。それだけ、自分の方が、わたしに気安く接することができているのだと――。
 そんなとき、兄貴は、チェッといい、親なんだから当たり前じゃんかといって、ふてくされていた。

 父には、病気で身体があまり動かせなかった頃、母と交替で、身体を洗ってもらっていた。父に対しては、異性を感じることは、まったくなかったし、思春期だからといって、嫌悪を感じることもなかった。
 兄貴が大学生になると、学校に一緒に通うこともなくなり、複数のバイトで、家にいることも少なくなって、数日、顔を会わせないことも増えた。
 兄貴に対する恋心は、ますます強くなって、わたしは、苦しかった。
 兄貴に彼女ができたとか、母から噂を聞くと、その日は眠れなかった(母の勘違いで、友人との仲を取り持っていただけだったけど)。

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 高ニの冬休みになり、わたしは寒さが苦手で、暖房の効いた部屋のなかに籠もっていた。兄貴はバイトにいそしんでいたが、珍しく風邪をひき、同じく暖房の効いた部屋のなかに、籠もっていた。
 間の悪いことに、母方の祖父が亡くなり、年末だというのに、両親とも葬式に出るため、母の実家へ出かけた。
 わたしたちは、家に二人きりになり、配達されたおせち料理を、分けあって食べた。年明けになると、兄貴の風邪も直り、いつも誰かしらと初詣に行く兄貴は、友人たちに連絡をとろうとした。
 が、今年に限って、誰とも、予定が合わなかったらしく、部屋でぬくぬくと過ごしていたわたしを、無理やり初詣に引っ張り出した。

 このとき、わたしが我儘をいって、初詣にもし行ってなかったら、二度と、兄貴に会えなかっただろう。
 運命は、わたしの兄貴への想いを見逃さなかった。
 ……兄弟だからと、ずっと心の奥底に閉じ込めていた想い。
 ……生涯、打ち明けることはないだろうと思っていた、わたしの初めてで最後の恋。
 運命は、いや、異世界の神といってもよい存在が、わたしと兄貴の運命を大きく変えたのだ。 

 初詣に行った帰り道だった。
 神社の鳥居を抜け、参道を通り、幅広い国道に出た。国道は初詣客で渋滞し、国道の向こう側へ渡るのに、信号が青になったときの横断歩道と、歩道橋のどちらかを選ばなければならなかった。

 せっかちな兄貴は、わたしの腕をつかんで、混雑する歩道橋の階段を、前の人たちをかき分け、押し分け、登っていった。
 歩道橋の半分以上を過ぎ、向こう側の歩道に降りる階段を、二、三段、降りた時だった。
 ふいに上から押された。
 兄貴は、その場で踏ん張った。
 が、わたしは、耐えられなかった。背中に誰かが、ドンっとぶつかり、兄貴に腕をつかまれたまま、前に倒れた、

 兄貴はわたしに引っぱられ、それでも、わたしを引き寄せ、何とか横に逃れようとしたが、上から押し寄せる圧力に、あらがう(すべ)がなかった。わたしをかかえこみ、転げる人の列から抜け出そうともがいたが、どうにもならず、階段の端に押され、足先が段を踏みはずし、宙に浮いた。

 そのまま手すりにぶつかり、兄貴とわたしの身体は、転げ落ちてくる人波に押し上げられ、手すりに乗った。次の瞬間、手すりを越え、車道に落ちた。
 落ちたところに、貨物トラックが来た。
 わたしと兄貴は、落ちた衝撃で身体の動かないところを、法定速度をこえたスピードで走っていたトラックに轢かれた。
 タイヤが、わたしと兄貴の上を通過し、頭がグシャッとつぶれた。

 わたしが気がついたのは、白い空間のなかだった。
 兄貴がいない。
 まわりをみまわしたが、白い靄が、辺りいちめんを覆っており、視界が悪かった。靄の向こうに、何があるのか、まったく分からない。

 わたしが、靄をかき分け、歩き始めようとしたとき、靄のなかに、影がみえた。
 影は、勢いよく、向かってきた。わたしの鼻にぶつかる寸前、影が止まった。
 影は、女性だった。

 ユウレイ……? そう思わせるぐらい、女性の姿は、ボオ~ッと霞んでいた。
 白い長衣を着ているのはわかった。髪の色も真っ白だった。が、老人のような感じは受けなかった。
 霞んだ、ゆらゆらと不規則に揺れる姿は、時に曲がりくねった、ユーモラスというか珍妙な姿になり、笑いを誘った。
 わたしが、知らず知らずのうちに笑っていると、その女性が、口を開いた。

「お主と、お主の兄には、謝まらねばならぬ」
「なぜ?」
「お主らの死は、間違いじゃった」
 少し愉快な気分になりかけていたわたしは、眉を寄せた。
「なに? 間違いって?」
「お主らは、本来は、まだ生きているはずだったのじゃ」
 わけがわからず、わたしは、女性にもう一度問いかけた。
「間違ったって、なに?」

 女性は、ゆらゆら揺れながら、根気よく、ボオッとしているわたしに説明を繰り返す。
「お主と、お主の兄は、実は死すべき『さだめ』ではなかったのじゃ」
 わたしは、ボオ~ッと靄がかかったような頭を、なんとかはっきりさせようと、深呼吸した。
「わたしたちは、死ぬ予定じゃなかったのに、死んだということ?」
「……そうじゃ」
 女性は、真っ黒な瞳が眼のほとんどを占めているため、穴が開いているように見える両眼で、わたしを見つめた。

 ええええっ!!
 ようやく理解したわたしは、怒りで頭に血が昇り、一気に意識が明確になった。
「……理解できたようじゃの」
 女性は、わかってもらったことにホッとしたのか、声が低くなり、つぶやくような話し方になった。

 逆にわたしは、テンションが上がった。
「それなら、生き返れるの!?」
 このひとが、間違いの責任者かどうかわからないけれど、眼の前には、このひとしかいない。
 わたしは、詰めよった。
 間違いなら、このひとが、生と死を扱う神様のような存在なら、生き返ることも可能ではないのか。もちろん、兄貴も一緒に。

 黒目の女は、両手を頬にあて、口をパクパクさせ、困ったように眉をよせた。
「――生き返れぬ。間違いとはいえ、一度死んでしまった存在は、同じ時空世界には戻れぬ」
 わたしは、むくれた。
 病弱だったせいで、親や親類縁者には、大抵のことは聞いてもらえた。わたしは、押しも押されぬ我がまま娘なのだ。

「事情を説明させてもらえるかの」
 黒目女は、コホンと咳をした。
「毎年、この時期になると、天界の奉仕者たる我らは、神の命を受けて、神の作られた今年の運を、人間たちに振り分けておる」
 女は、また咳をした。
「今年は、世界中で争いがたくさん起こる予定での。そのため、死ぬことになる不幸(ふしあわせ)な運を、大量に作らねばならなかったのじゃ。お主の住む国の隣の大陸でも、お主らは知らんじゃろうが、人死にの出る争いが、延々と続いておる」
 わたしは腕を組んで、それが何? とばかりに、女をにらんだ。

 女は続けた。
「実は、『運』を振り分ける奉仕者が不足しておっての。おそれおおくも、それぞれの地方に住んでおられる土地神様に、手伝ってもらったのじゃが。その神様が、幸運と不運の荷物を取り違えての。――幸運を配る相手に不運を配ってしまったのじゃ。荷物の形や色が似ていたのもよくなかったのじゃが、なにより、不運の量が多くての。――土地神様のひとりが、こんなに多いわけがないと思われて、問い合わせるつもりで、多すぎると感じた不運の荷物の一部を、幸運の荷物の近くに置いてしまったのじゃ。運を配る役割の、別の土地神様が、その不運の荷物を、幸運の荷物と勘違いして、配ってしまったのじゃ」

「運を配った神様は、よかれと思って、はやめに配ってしまったそうなのじゃ。――問い合わせて、不運の荷物量は合っているとわかった神様が、他の不運の荷物と一緒にしておこうと保管場所に戻ったときには、すでに配られた後じゃった」
「あわてて、配った運を回収に動いたのじゃが、お主らと数人は間に合わず、なお悪いことに、お主らに渡った不運は、『死』を含む不運だったのじゃ。すでに不運にあってしまった他の人間たちは、あとから幸運を配って、不運を相殺できたのじゃが……死んでしまったお主らだけは、どうにもならんかった。だから、――別の特典を用意してきたのじゃ。なんとか、それで、――我慢してほしいのじゃ」

 間違いで死んで、生き返れると思ったら、無理で、我慢しろだと……ふ、ふざけてる!
 神様(正確には天界の奉仕者だが、神のようなものだ)のくせに、それぐらいできないの? そういいたかったが、死んでしまったいま、運命は、相手に握られている。下手に怒らせても、まずい。

 わたしは、強気で、
「特典とは、何なの?」
 女は、にっこり笑った。
「別の時空世界への転生じゃ。そこで、主たちは、新たな人生を送ることができる」

「新しい人生! それは兄貴と一緒なの?」
「兄弟じゃから、同じ時空へ転生と考えておったが、兄を嫌っておるのか? ――なら、兄とは別の世界への、転生もできるぞ」
 わたしは、あわてて、引きつった声で、
「とんでもない。兄貴のことは、ダイ、ダイ、大好きです!」

「――なら、問題はないの。では、すぐに転生の準備を――」
「ちょっと、ちょっと待って――。兄貴とは転生後も、兄弟なの?」
「残念じゃが、我らの能力では、そこまで詳しく決められないのじゃ。同じ時空の、すぐ近くに転生させることはできる。――じゃが、同じ血筋の兄弟として転生させられるかどうかは、そこに住む家系の先祖神の同意を得られなければ、無理なのじゃ」
「じゃあ、兄弟として生まれるのではないのね?」

 女は、肩をすくめて、
「残念ながらな。――どうしてもというのなら、転生される可能性のある先祖神すべてと交渉してもよいが、そんなことをやっていたら、お主の兄との転生時期が百年以上もずれてしまう。転生先とこことでは、時間の進み方が違うのじゃ。あちらの方が、はるかに時間の進みが速いのじゃ。そうすると、二度と、お主は兄に会えぬぞ」
「兄貴は、もう転生したの!? それ、早くいってよ!」
 チンタラ話している間に、すでに兄貴は、転生してしまっていたのだ。
 そんな大事なこと、早くいってよ!

 女は、両手を頬にあて、細身の白い身体をゆらゆら揺らした。
「お主の兄貴には、別の奉仕者が説明していたのじゃが、5分で済んだそうじゃぞ。お主のように、グダグダいっていなかったそうじゃ」
 まるで、転生が遅れているのは、わたしのせいみたいにいう。元々は、おまえらの間違いじゃねえかよう! と、声に出さずに、ののしりながら、頼んだ。
「じゃあ、早く、早く転生させて!」
 一刻も早く、兄貴にあいたかった。こんな真っ白な世界とは、すぐにでも、おさらばだ!

 女は、両手の手のひらを上に向け、肩のあたりにまで上げて、首をふった。
「せっかちじゃのう! もう聞くことはないのか?」
「ありません! だから、早く!」
「――では、転生儀式を始める」
 儀式って、すぐ転生できないの? 早くしないと、先に転生した兄貴との年齢差が、どんどん開いてしまう。

 女は、コホン、とまた咳をして、おごそかにしゃべり始めた。
「お主の行く世界は、剣と魔法の世界。世界中に眼にみえない形で存在する魔素を利用して、魔法が行われる。――当然、転生後のお主も魔法を使える。どのような魔法が使えるかは、その者の血筋による。同じ血を受け継いだ者たちの間では、同じ種類の魔法が使える。――政治はゆるい王制……国王が絶対的な権力を持っているわけでなく、有力な貴族数名との共同統治となっておる」
「……国王はもちろんじゃが、その有力貴族たちの機嫌をそこなわぬようにな。国王、貴族ともに、血筋による強い魔法を持っておる。逆らうと、魔法で一瞬で殺される場合もありうるのじゃ。――充分気を付けるんじゃぞ」

 ……くっそ長い、まだ続くの? わたしは、わめき出したくなった。
「では、転生後のより良い人生を祈っておる。ホイッ!」
 女の姿が、かけ声とともに消えた。
 わたしは、アッと声をあげ、意識を失った。

 目覚めると、眼の前に、優しそうな金髪の、顔いっぱいに笑みを浮かべた女性がいた。
 わたしは、女性に抱き上げられた。
 わたしは、しゃべろうとした。が、口からでたのは、泣き声だった。
 わたしの母らしい女性が、わたしの身体をゆっくり揺らしながら、赤ちゃん言葉で話しかけてきた。頬に、女性の頬がくっつけられた。暖かく、懐かしい匂いがした。

 わたしは、赤ん坊になってしまった。
 翌日、なんとか眼を開くことができたので、自分の手をみた。とんでもなくちっちゃかった。
 赤ん坊なので、よく寝た。転生前のように(当たり前だけども)、夜更かしはできなかった。

 少し大きくなり、立って歩けるようになると、兄貴を探した。
 少なくとも、この屋敷には、他の子供はいないようだった。
 あの黒目女がいったとおり、別々の家に生まれてしまったのだろう。

 早く大きくならねば……。
 わたしは焦ったが、どうにもならない。ひたすら、身体が成長するのを待つしかなかった。
 あの黒目女が、配慮してくれたのか、幼児の時期は、あっという間に過ぎた。
 時間経過の感覚が、転生前と違っていた。
 一日一日(いちにちいちにち)が、ものすごいスピードで過ぎていった。もちろん、実際の経過速度ではなく、わたしの主観――体感での話だ。


 
  





















 



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 わたしは、14歳になった。
 その頃になって、ようやくわたしの時間が、ゆっくりと流れ始めた。

 わたしの転生した家は、伯爵家だった。わたしには、年の離れた兄がいた。
 実は、その兄のうえに、もうひとり、さらに年の離れた兄がいたのだが、領地のなかにある魔物のいる森林に見廻りに行ったまま、行方不明になってしまった。10年も前のことで、早い時間のなかで生きていたわたしは、その一番上の兄のことは、ほとんど覚えていない。

 長男がいなくなり、次男ながら後継ぎに(すわ)った兄は、わたしが生まれたときには、すでに家を離れ、王都の祖父母の家で、領主になるための初等教育を受けていた。正直、黒目女が、ああいっていたものの、実の兄として、兄貴が転生したのではないかと疑っていたが、会ってみると、容姿も性格も、兄貴とまるでちがっていた。

 この家の兄は、兄上といわないと怒りだす、尊大で嫌な奴だった。今は初等教育を終え、王都にある魔法学院に通っており、来年卒業だそうだ。卒業後は、強力な火属性魔法を持つ武官として、王都に常駐することになるそうだ。

 嫌味な奴で、母上やわたしのことを、女だからと、ひどくバカにしていた。
 父上にはそんなところはないのに、誰に似たんだろう。召使や執事が陰に隠れて、そんなふうな悪口をいっていた。
 わたしも、まったくもって同感だった。

 父上は温厚なひとで、魔力が強く、やはり武官だったが、自分の領土近くの国境を守護する辺境伯に従っていた。兄上は、父上は王都での出世争いに破れたのだと、いまお金に余裕がないのは父上のせいだと、わたしの前で度々不平をもらし、父上のことも、内心バカにしているようだった。

 父上は、国境の守備からときどき帰ってきて、わたしと遊んでくれたが、兄上は、王都から、めったに帰ってこなかった。母上に、田舎者にはなりたくない、こちらにいると、服装や言葉つかいがどんどん田舎者になってしまうと、愚痴をこぼしていたそうだ。
 母上は、兄上にバカにされても、後継ぎだからか、特に怒ることもなく、わたしから見ると、ひどく甘やかし、もっと再々帰ってきてほしいと訴えていた。
 わたしは、兄上が帰ってこないほうが、屋敷の雰囲気がよいので、いくらでも王都にいてほしいと願っていた。

 わたしは、父上の領土内にある魔法訓練学校へ通っていた。
 学校へ行っているあいだ、わたしは、兄貴を探すために、こんな性格の人は居ないか、と同級生に聞いてまわった。

 けれど、1か月以上たっても、何の成果も上がらなかった。わたしの兄貴のイメージは、元の世界でのもので、こちらの世界にどんな容姿で転生し、成長したのか、かいもく見当もつかなかった。簡単に見つかるような具体的な情報が、まったく欠けている。それでも、兄貴の性格は、家族のなかでは、わたしが一番よく知っている。転生しても、あの性格が変わるはずがなかった。

 兄貴の転生した場所は、すぐ近くになるということだった。
 根気よく探すしかなかった。
 わたしが、兄貴の情報を探し、学園内を歩きまわって、疲れて休んでいるときだった。
 ふいに、声をかけられた。

 「モリエール伯爵令嬢、なぜ、わたくしの兄上を探しているの?」
 茶色いくるくると巻いた髪を両側にたらした、厚化粧の魔法訓練生が、腕組みをして、わたしの前に立っていた。
 下を向いていたわたしは、あわてて顔を上げた。

「わたしにとって、大切な人を探しています。でも、あなたの兄上じゃない」
「何いってるの!? あなたが、校内の学生に聞いてまわっているのは、わたしの兄上そのものじゃない! 不器用で正義感が強くて、体力もあって、でも、威張ったりせず、優しい――」
「あなたの兄上に会ったことはありません。でも、わたしの探している人に似ているのかも……」

「どこで、兄上に会ったのかはしらないけど、兄上は、誰にでも優しいの! 勘違いしないことね!」
 わたしは、立ち上がった。気持ちがぐんぐん上がってきた。
「あなたのお名前は? その兄上は、何歳なの?」
「――まあ! わたくしのことを知らないなんて! カーラですわ! カーラ・アトリー! いくら何でも、アトリー家のことは知ってるでしょ!?」
 カーラ嬢は、両手の拳をにぎり、地団駄を踏んだ。

 わたしは、思い出した。アトリー公爵家は、この王国ができた時から、存在していた名門中の名門貴族だ。
 アトリー、シュワイツ、ブリューゲル、キューリー、アルターは、王国では、五大貴族とよばれていて、それぞれ、広大な領地と下級・中級貴族からできた巨大な派閥を持っている。
 五大貴族には、国王とその一族であるウェルズ家も、手を出せない。
200年ほど前には、国王と五大貴族間の争いが起こり、結局、国王側が押されて、もっていた権力の一部を五大貴族に譲渡せざるを得なかったという。

 わたしは、カーラ嬢の両肩をつかんだ。転生前の世界では、我がまま放題に育っていたから、この世界で育ったとはいえ、とっさに礼儀正しく敬語を使ったりはできなかった。
「カーラ・アトリー! 兄上の名前は? 年は?」
 カーラは、身分の下の人間に肩をつかまれて狼狽し、あわてて答えた。
「ジャンよ! 年齢は19歳、顔にしわが多いから老けてみえるけど」

 わたしが肩から手をはなすと、カーラは、勢いよく後ろに下がった。
「――とにかく、兄上に手を出したら、承知しないからね!!」
 カーラ嬢は、逃げるように校舎の方に去っていった。

 わたしは、追いかけようとしたが、思いとどまった。
 アトリー公爵家は、強大な権力を持っている。その傍系の一族でも、あなどれない。
 うちの隣の領主が、確か、アトリー家の母方の一族だったと思う。
 隣の領内には、魔法を教える質の高い学校がない、というか、王国の南の辺境地域であるこの辺りには、まともな魔法学校は、ここだけだった。
 うちの近隣の領主の親族が、大勢、この学校には通っている。入学のときに父上、母上から気をつけるようにいわれたばかりだった。

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 わたしは、カーラの兄について、密かに調べた。家にあった分厚い貴族台帳(王国の全貴族の主要な家族が載っている、統計魔法というので調べるらしく、毎年更新されている)をみると、確かにカーラには5歳上の兄がいて、魔法訓練校ではなく、騎士学校に通っているらしい。
 カーラの兄のジャンの項目には、魔法属性が記載されておらず、空欄になっていた。騎士学校に通う貴族の子弟は、魔法が弱く、あまり使えない者が多い、というか、魔法を使えない貴族や、平民でも有力者の子弟が行くのが、騎士学校だった。

 盲点だった。貴族は、血統的に魔法が使えるのが当たり前だと思っていたので、騎士学校のことを忘れていたのだった。
 騎士学校は、魔法訓練校のすぐそば、実は、ほぼ裏側にあった。武闘術を教える教師などは、2校を掛け持ちしている者も多かった。
 わたしは、魔法訓練の授業を抜け出し、騎士学校に、生徒の兄弟だといって、なんとか入り込んだ。
 待合室に通されたが、カーラのふりをして、兄に会いに来たと、係の平民に告げると、すぐに呼んできてくれた。

「君、だれ?」
 やってきた男性は、訊いてきた。
 ……兄貴だった。
 わたしは、顔が真っ赤になった。
 間違いなく兄貴だった。顔は、違う。体形も、やせ型だった兄貴と違い、首は太いし、足も太い。何より、腕の筋肉の盛り上がりが、前世の兄貴とは、まったく違っていた。

 それでも、わかった。

 このヒトは、わたしの兄貴だ。
 こちらへ歩いてくるのを見ても、その後の、初対面の人間と会うときの仕草(しぐさ)――首を小さくまわしたり、肩を微妙に上げ下げしたり、腕を組んだかと思えば、すぐに解いて、片手で肩をもんだり、もう一方の腕のひじの盛りあがった関節部分をつかんだり――を見ても、落ち着きのない動作のすべてが、前世の兄貴と同じだった。

「カーラのお兄様ですか?」
 兄貴は、眉を寄せ、
「カーラの知り合い? カーラが来れなくて、替わりに来たの?」
 わたしは、コクコクとうなずいた。 
 
 兄貴は、腕を組んだ。
「カーラにも、困ったもんだ。友達をこんなところまで来させるなんて……。身分が下だからといって、アゴでこきつかっていいわけじゃないんだが」
「いえ、わたしも、あなたに会いたかったので……」
「会いたかった? なぜ?」

 転生したあなたの妹だからとはいえない。――おそらく、わたしと同じように、兄貴も前世の記憶を持っているはず。……私が前世での妹だとわかった途端、異性とはみなくなるに違いない……それだけは、絶対にイヤだ。
 わたしは、必死に頭をしぼった。

「カーラがいつもあなたの事を褒めるので、興味を持ったのです――強く格好良い方だと聞いたものですから」
 兄貴は、顔を赤くした。……こういうところは、変わっていない。
 照れると、すぐ赤くなるのだ。
「あいつ、何を友達にいってるんだ。……会ってみて、がっかりしたろう。魔法が使えない上に老け顔で……」
「いえ。格好良いです。顔も老けてなんかいません! 頼りがいのある大人の顔です」

 兄貴は、ますます顔を赤くした。
「いや、友達の兄だからといって、気をつかわなくていいんだ。老いて一線(いっせん)退()いた男の顔とか、よくいわれてるんだから……婦女子向けの顔じゃないのは、わかってる」

 ああ、やっぱり兄貴だ。褒めれば褒めるほど、照れと極端な謙虚さから、おのれのことを悪くいう。
「ところで、カーラの用事というのは、何?」

 わたしは、意を決した。
 ここで、下手な嘘をついたら、兄貴がカーラと話したとき、わたしの嘘だとすぐバレてしまう。
 カーラとは関係なく会わねばならなかった理由を告げて、わたしの事を嫌いにならないようにしないと……。

「――カーラに頼まれて来たのではないのです」
 兄貴は真顔になった。眼を細めて、わたしの方をいぶかし気にみる。
「騎士としてのあなたに、頼みたいことがあるのです」
 兄貴と初めて会ったとき、何を話すか? あらかじめ考えに考え、思いついたことを話した。 

「カーラに頼まれたなんて、嘘をいってすいません」
 兄貴は真剣な顔つきで、何もいわず、わたしをみている。わたしは、そういうときの兄貴の顔が大好きだった。
「いっしょに、領内のダンジョンに行ってほしいんです」
「ダンジョン? モリエール領にダンジョンがあるとは聞いていないが……」
「まだ、発表はされてません。調査が終わっていないので――」

「……まだ、魔法訓練の最中だろう? 充分に訓練してからでないと、ダンジョン攻略はあぶない」
 兄貴は、わたしのことを心配してくれている。
 この世界では、初対面なのに、嬉しかった。

「どうしても、手に入れたい物があるのです!」
 兄貴は、じっとわたしをみたあと、溜め息をついた。
「どうしても、手に入れたい物とは?」
 わたしは、息を大きく吸った。ここからが、正念場だった。

「亡くなった、一番上の兄上の遺品です!」
「君には、兄がいるの?」
「ふたり、います。そのうちの長兄が、10年前に亡くなっているのです」

 長兄は、アルフといい、領土内の魔物が出没する森林を巡回中に、行方不明になったままだった。
 3年以上たっても、遺体さえみつからず、魔物に殺され、食われてしまったのだろうと判断され、次兄であるいまの兄上が、後継ぎとなった。
 いまの兄上の性格に問題があるのは、生まれてから途中まで、後継ぎとして育てられてこなかったという事もあるかもしれない。

 長兄の亡くなったときは4歳で、速い時間の流れ(意識の上だけだが)のなかに居たわたしは、長兄のことは、ほとんど覚えていなかった。ただ、いまの兄上よりは優しかったような記憶が、おぼろげにある。

 半年ほど前に、うちの領土内に新たなダンジョンが発見され、その入口近くの岩陰に、行方知らずだった長兄の荷物がみつかったのだ。連れていた馬の骨らしいものもみつかった。

 状況から考えて、そこにかさばる荷物を置き、ダンジョンに入っていったようだった。
 新しいダンジョンを発見したなら、すぐさま、領主へ届け出て、できるかぎりの調査を行い、王宮と冒険者ギルドに報告しなければならない。
 長兄は、領主の長男だし、報告はあとまわしにして、なかに入って少し調べてみようとしたのだろう。

 話に聞けば、長兄は剣も強く、火属性の攻撃魔法も操れる万能型のひとだったらしい。
 成人して数年がたち、自らの能力に自信を持ち始めた頃じゃなかったか……(おご)りとまではいわないが、過剰な自信が、ダンジョンへ単独で入るという行動につながったのだと思う。

 たいていのダンジョンは、入ってすぐの第一層には、たいした魔物はいない。
 長兄は、入場してすぐの第一層の広さや、住んでいる魔物の種類ぐらい把握してから、報告しようと思ったのだろう。

 ――実は、最近、母の身体の調子が良くない。
 長男が亡くなってから、次男を後継ぎにして、国防の備えで普段は領地にいない父に代わって、長年気を張って領地経営をしていたのが、こたえたようだった。

 兄上が領地に戻ってこないことも、母上に負担をかけている。母上としては、国境の守りで苦労している父上にできない相談を兄上にしたかったようだが、兄上は、滅多に帰ってこない。残ったわたしは、まだ幼くて頼りにならない。
 見た目以上に、心労が重なっていたようだった。

 母上は、父上の前では弱音をはかないし、体調の悪い様子もみせない。それでも、毎日、母上と顔を会わせているわたしには、だんだんと元気がなくなってゆくのが、よくわかるのだ。

 転生前の記憶の残っているわたしには、母上に対する気持ちは、複雑だ。転生前の母には純粋に肉親としての愛情があったが、この世界での生みの母に対しては、愛情と、天界から押し付けられた存在をよく世話してくれたな、という強い感謝の念を持っている。

 わたしは、長兄の遺品をみつけだし、母上に長兄の亡くなった様子を伝えたかった。
 この世界は、ダンジョンがあり、魔物のいる弱肉強食の厳しい世界だ。人の死は、日常にあふれている。それでも、親しいヒトの死んだ様子を知ることは、意味がある。

 親しいヒトが、不意にいなくなり、命を失われたようなのに、どんな状況で亡くなったのか、何もわからない。思い描けるのは、いなくなる前の元気な姿だけ。そのヒトの死を受け入れる気持ちも覚悟も、持ちようがない。
 ヒトの情報が切断され、連絡のとりようがない、どこかで生きているような気がするけれど、生きている可能性は少ない。生きているとも、死んでいるとも思えない。中途半端なそのヒトへの思いだけが、澱のようによどみ、溜まってゆく。

 せめて、死んだ時の様子を詳しく知らせて、より悲しくさせるかもしれないけれど、深い悲しみの気持ちとともに、安心して冥福を祈らせてあげたい。

 わたしは、どれだけ伝えられたか、わからないけれど、兄貴に、つたない言葉でそのことを伝えた。
 兄貴は、黙って、わたしの言葉を聞いていた。兄貴の表情は動いていないけれど、真剣に聞いてくれているのは、わかった。真剣になると、兄貴は、ぎゅっとこぶしを握りしめるのだ。

「力を貸してもらえますか?」
 わたしは、小さな声で訊いた。
 兄貴は、黙ってうなずいてくれた。 

 わたしは、兄貴(ジャン・アトレー)に、妹のカーラには、黙っていてくれるように頼んだ。
 絶対に邪魔してくると思ったからだった。

 幸い、カーラと私では、魔法の属性が違い、同じクラスになることはなかった。
 この魔法訓練校には、学年というものはなく、属性ごとのクラスに所属し、必要な科目を、定期試験、卒業試験に通るまで学んでゆくというものだった。だから、学校への在籍年数は、さまざまで、 3年程度で卒業する者もいれば、学費を気にする必要がない貴族の子弟が、だらだらと、6年~7年在籍している場合もあった。

 確か、カーラは、もう 3年目に入るはずだった。親に決められた婚約者もいるようだし、もうすぐ卒業してしまうだろう。
 それまで、なんとか隠し通そう。
 この世界では、カーラは兄貴とは血のつながった兄弟だし、いずれは告げなければならないだろうが、それはわたしと兄貴がくっついた(きゃっ、恥ずかし!)あとでよい。

 わたしは、兄貴と密かに連絡をとれるように、使い魔を呼び出し、兄貴の顔と魂の色を覚えさせた。
 兄貴は、ダンジョンに(もぐ)る前に、私の戦闘力をみたいと、魔物が出る森林の入口で待ち合わせることになった。

  
                 1 

 わたしは、魔法訓練学校の制服ともいえる革製の防具と、魔法を集約させることのできる剣を携え、意気揚々と兄貴との待ち合わせ場所へ向かった。

 ダンジョンのある森林への入口にあたる、大きな木製のアーチ型の扉のない門の前に、雑草が刈りこまれ、整備された広場があった。
 そこが、兄貴との待ち合わせ場所だった。
 馬から降りて、歩くうちに遠目に兄貴がみえた。手を振ってから、兄貴の背後に、もうひとり、いるのに気づいた。

 わたしは、溜め息をついた。
 ――あれは、あの背格好は、カーラだ。
 ダンジョンへ入ることを聞いたのか、わたしと同じ訓練学校の防具をつけている。たぶん、兄貴が出かけるのをみつけ、問いただし、強引についてきたのだろう。
 カーラは、以前会ったときの様子からすると、かなりのブラコンのようだ。なんとか、ダンジョンまでついてこさせないようにしないと……。

「ありがとうございます」
 カーラを無視して、まず、兄貴に今日来てくれたことへの礼をいう。

 兄貴は、やあ、とうなずき、困った顔で、背後に立つ妹をみた。
 カーラが、小柄な身体で、力いっぱい兄貴を押しのけ前に出てきた。せいいっぱい胸をそらせ、わたしをにらんでいる。

「――妹もダンジョンに入りたいと、聞かなくてね」
「危険があることは、伝えてるのですか?」

 わたしは、つい、前世で兄貴とケンカしたときの、きつい口調になってしまった。
 前世の兄貴は、妹であるわたしがいくらきつい口調でいっても、まったく気にしなかった。本気で怒ってはいないことが、わかっていたのだ。

「兄上に近づくなといったでしょ!」
 カーラが、持っていた自分の背丈ぐらいの杖を、激しく振りまわした。

 振りまわす杖の先端から、水滴が飛び散り、わたしの顔や服にかかった。すぐさま、呪文をつぶやき、身体表面の温度をあげる。水滴が蒸発し、服が(かわ)いてゆく。
 カーラは、水属性の魔法使いだった。水は火と違って、少量なら人にかかっても、かけられた者が、冷たく感じるだけだ。
 カーラは、学校でも、すぐに癇癪(かんしゃく)を起こし、冷たい水を周囲に振りまいていた。

「こらっ!」
 兄貴が、カーラの頭を軽く叩いた。

 叩いたといっても、ちょっと、数回、髪に触れたような感じ……ちぇっ、前世では、わたしがカーラのポジションにいたのだ。
 わたしは、不満で、プクッと頬をふくらませた。
 わたしも火花をはなって、やりかえしたかった。けれど、火だと、少しでも制御を誤ると火傷(やけど)を負わせてしまう。

「大丈夫です。魔法で、すぐ乾くので……」

 カーラが、くやしそうに、わたしをみて、
「兄上を、狙っているくせに……」
「失礼だぞ! アンジー殿は、理由があって、ダンジョン攻略を頼んできたんだ」
「――理由って何よ!?」
 カーラは、わたしをにらみながら、訊いてくる。

 わたしは、面倒くさいなと思いながら、兄貴に話したわたしの家の行方不明の長兄について、もう一度語った。
 長兄が、ダンジョン内で亡くなっっているだろうことを察したのか、カーラは真面目な顔になった。

「でも、わたしの兄上でなくてもいいじゃない!?」
「それは、あなたの話から、信頼できる方のように思えたの。……会って、お話をさせてもらって、あなたの語ったとおりの、とても真面目な頼りになる方だと思ったの」
 カーラは、しかめ面をした。下を向いて、兄上のこと、話さなければよかった、とつぶやいている。

「……もう、いいだろ?」
 兄貴が、カーラの肩に手をかけた。

 くっそう! ――ボディタッチが多い、多すぎる。転生前のわたしは、兄貴に触れられると、顔が真っ赤になり、恋心がバレそうになるので、兄貴の手を振り払うようになっていた。
 兄貴は、手を振り払われると、おお、思春期女子だ、といって笑っていた。

 転生前のわたしの行動をあざ笑うかのように、カーラは、兄貴とごく自然に触れあっている。
「じゃあ、ふたりとも、一回、手合わせをしよう。いまの技量を知っておきたいからな」

 わたしは、兄貴と広場の真ん中で向かい合った。
 兄貴は、ほとんど魔法が使えないといっていた。魔法を持つ者と、どのように戦うのだろう?
 
「はじめるぞ!」
 兄貴が背中に回していた木剣を、手にとり、突進してきた。
 わたしは、右手の裏側を兄貴に向けた。手のひらの中心部で、魔力が集まり、回転し始めた。

 もう兄貴は、眼の前だった。
 わたしは、兄貴に火傷を負わせないよう注意しながら、火を放とうとした。
 いや、放ったつもりだった。
 が、火が生じない。魔力が手のひらの中心部に集まったあと、確かに前方に放ったはずだった。
 と、悩んでいるあいだに、兄貴が眼の前に来ていた。木剣を大きく振り上げている。

 わたしは、大きく叫んだ。
「――なんで!?」

 わたしは、左腕を上にかざし、甲手(こて)の前に、魔法で盾を作った。が、兄貴の剣は、それをスッと通り抜けた。
「――あっ!」

 兄貴の剣は、甲手を激しくたたいた。甲手をつけた腕が落ち、眼の前で剣が止まった。(ひたい)を打たれでもしていたら、衝撃で気を失っていたかもしれない。

「大丈夫か?」
 兄貴は、わたしの下がった腕を手にとってくれた。木剣を下に置き、両手で甲手(こて)を脱がして、あざなどができてないか、()てくれている。

 勝負には負けたが、わたしの心臓は跳ね上がった。
 やはり、兄貴は優しい。
 本当に……久しぶりに……前世で死んでから初めて……手と手が触れあった。
 泣きそうになった。

 わたしが涙を浮かべたのをみて、
「……痛かったか? すまん、癖で、つい、力を入れすぎてしまった」
 兄貴は、背後にいたカーラに声をかけた。
「カーラ、治癒を!」
 カーラはムスッとして、避けられなかったこいつが悪いのに、という表情をしながら、わたしの腕に右手をかざした。

 水属性の魔法を使える者のほとんどは、治癒魔法も得意だ。魔法学の講義をさぼっていたせいか、うろ覚えだけれど、治癒魔法は水属性と相性が良いらしい。
 左腕が、じんわりとあったかくなり、スッと痛みとしびれが消えた。残念ながら、火属性の者は治癒魔法が使えない。その点だけは、うらやましかった。

「――ありがとう」
 わたしがカーラに礼をいうと、得意げな顔になり、腹の立つことに、兄貴によくやったと、頭をなでられていた。
       

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