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 わたしは、魔法訓練学校の制服ともいえる革製の防具と、魔法を集約させることのできる剣を携え、意気揚々と兄貴との待ち合わせ場所へ向かった。

 ダンジョンのある森林への入口にあたる、大きな木製のアーチ型の扉のない門の前に、雑草が刈りこまれ、整備された広場があった。
 そこが、兄貴との待ち合わせ場所だった。
 馬から降りて、歩くうちに遠目に兄貴がみえた。手を振ってから、兄貴の背後に、もうひとり、いるのに気づいた。

 わたしは、溜め息をついた。
 ――あれは、あの背格好は、カーラだ。
 ダンジョンへ入ることを聞いたのか、わたしと同じ訓練学校の防具をつけている。たぶん、兄貴が出かけるのをみつけ、問いただし、強引についてきたのだろう。
 カーラは、以前会ったときの様子からすると、かなりのブラコンのようだ。なんとか、ダンジョンまでついてこさせないようにしないと……。

「ありがとうございます」
 カーラを無視して、まず、兄貴に今日来てくれたことへの礼をいう。

 兄貴は、やあ、とうなずき、困った顔で、背後に立つ妹をみた。
 カーラが、小柄な身体で、力いっぱい兄貴を押しのけ前に出てきた。せいいっぱい胸をそらせ、わたしをにらんでいる。

「――妹もダンジョンに入りたいと、聞かなくてね」
「危険があることは、伝えてるのですか?」

 わたしは、つい、前世で兄貴とケンカしたときの、きつい口調になってしまった。
 前世の兄貴は、妹であるわたしがいくらきつい口調でいっても、まったく気にしなかった。本気で怒ってはいないことが、わかっていたのだ。

「兄上に近づくなといったでしょ!」
 カーラが、持っていた自分の背丈ぐらいの杖を、激しく振りまわした。

 振りまわす杖の先端から、水滴が飛び散り、わたしの顔や服にかかった。すぐさま、呪文をつぶやき、身体表面の温度をあげる。水滴が蒸発し、服が(かわ)いてゆく。
 カーラは、水属性の魔法使いだった。水は火と違って、少量なら人にかかっても、かけられた者が、冷たく感じるだけだ。
 カーラは、学校でも、すぐに癇癪(かんしゃく)を起こし、冷たい水を周囲に振りまいていた。

「こらっ!」
 兄貴が、カーラの頭を軽く叩いた。

 叩いたといっても、ちょっと、数回、髪に触れたような感じ……ちぇっ、前世では、わたしがカーラのポジションにいたのだ。
 わたしは、不満で、プクッと頬をふくらませた。
 わたしも火花をはなって、やりかえしたかった。けれど、火だと、少しでも制御を誤ると火傷(やけど)を負わせてしまう。

「大丈夫です。魔法で、すぐ乾くので……」

 カーラが、くやしそうに、わたしをみて、
「兄上を、狙っているくせに……」
「失礼だぞ! アンジー殿は、理由があって、ダンジョン攻略を頼んできたんだ」
「――理由って何よ!?」
 カーラは、わたしをにらみながら、訊いてくる。

 わたしは、面倒くさいなと思いながら、兄貴に話したわたしの家の行方不明の長兄について、もう一度語った。
 長兄が、ダンジョン内で亡くなっっているだろうことを察したのか、カーラは真面目な顔になった。

「でも、わたしの兄上でなくてもいいじゃない!?」
「それは、あなたの話から、信頼できる方のように思えたの。……会って、お話をさせてもらって、あなたの語ったとおりの、とても真面目な頼りになる方だと思ったの」
 カーラは、しかめ面をした。下を向いて、兄上のこと、話さなければよかった、とつぶやいている。

「……もう、いいだろ?」
 兄貴が、カーラの肩に手をかけた。

 くっそう! ――ボディタッチが多い、多すぎる。転生前のわたしは、兄貴に触れられると、顔が真っ赤になり、恋心がバレそうになるので、兄貴の手を振り払うようになっていた。
 兄貴は、手を振り払われると、おお、思春期女子だ、といって笑っていた。

 転生前のわたしの行動をあざ笑うかのように、カーラは、兄貴とごく自然に触れあっている。
「じゃあ、ふたりとも、一回、手合わせをしよう。いまの技量を知っておきたいからな」

 わたしは、兄貴と広場の真ん中で向かい合った。
 兄貴は、ほとんど魔法が使えないといっていた。魔法を持つ者と、どのように戦うのだろう?
 
「はじめるぞ!」
 兄貴が背中に回していた木剣を、手にとり、突進してきた。
 わたしは、右手の裏側を兄貴に向けた。手のひらの中心部で、魔力が集まり、回転し始めた。

 もう兄貴は、眼の前だった。
 わたしは、兄貴に火傷を負わせないよう注意しながら、火を放とうとした。
 いや、放ったつもりだった。
 が、火が生じない。魔力が手のひらの中心部に集まったあと、確かに前方に放ったはずだった。
 と、悩んでいるあいだに、兄貴が眼の前に来ていた。木剣を大きく振り上げている。

 わたしは、大きく叫んだ。
「――なんで!?」

 わたしは、左腕を上にかざし、甲手(こて)の前に、魔法で盾を作った。が、兄貴の剣は、それをスッと通り抜けた。
「――あっ!」

 兄貴の剣は、甲手を激しくたたいた。甲手をつけた腕が落ち、眼の前で剣が止まった。(ひたい)を打たれでもしていたら、衝撃で気を失っていたかもしれない。

「大丈夫か?」
 兄貴は、わたしの下がった腕を手にとってくれた。木剣を下に置き、両手で甲手(こて)を脱がして、あざなどができてないか、()てくれている。

 勝負には負けたが、わたしの心臓は跳ね上がった。
 やはり、兄貴は優しい。
 本当に……久しぶりに……前世で死んでから初めて……手と手が触れあった。
 泣きそうになった。

 わたしが涙を浮かべたのをみて、
「……痛かったか? すまん、癖で、つい、力を入れすぎてしまった」
 兄貴は、背後にいたカーラに声をかけた。
「カーラ、治癒を!」
 カーラはムスッとして、避けられなかったこいつが悪いのに、という表情をしながら、わたしの腕に右手をかざした。

 水属性の魔法を使える者のほとんどは、治癒魔法も得意だ。魔法学の講義をさぼっていたせいか、うろ覚えだけれど、治癒魔法は水属性と相性が良いらしい。
 左腕が、じんわりとあったかくなり、スッと痛みとしびれが消えた。残念ながら、火属性の者は治癒魔法が使えない。その点だけは、うらやましかった。

「――ありがとう」
 わたしがカーラに礼をいうと、得意げな顔になり、腹の立つことに、兄貴によくやったと、頭をなでられていた。

 続けて、兄貴とカーラが模擬戦を行った。
 カーラも、わたしのときと同じく、魔法らしい魔法を使わせてもらえず、持っていた杖を兄貴に奪われると、降参した。

 わたしが、近より問いかけようとすると、カーラが兄貴とのあいだに割り込み、
「これで、わかった? 兄上は、自分の肉体に作用する魔法を打ち消す体質なの」
 わたしは、首をひねり、困惑した。

「わけがわからんだろ? 俺自身も、よくわかってないんだ」
 兄貴が、ニコニコした顔で、頭を()いた。
「――いろいろ調べてみたんだが、俺のこの能力も、魔法の一種ではあるらしい……。俺の身体の外から入ってくる魔法の作用を、一瞬で打ち消すようになっているらしい」

 カーラが、口をはさんだ。
「反作用魔法っていうんだって……」
 兄貴は、自分の頭を、まだ()いている。
「研究者じゃないんで、明確なことはいえないんだが、魔物を狩るときには、魔物の魔法を消せるので、助かってる」

 つまり、兄貴に対する攻撃魔法は、効かない? とんでもなく優位な魔法だ。兄貴が転生するとき、魔法が自分に効かないようにしてくれと頼んだのだろうか?
 そういえば、前世でも、兄貴は魔法や超能力やUFO など、超自然現象をいっさい信じていなかった。転生の際、魔法の影響を受けないようにしてくれと、頼んだのかもしれない。

 それから、数回、対戦相手を替えて模擬戦を行った。
 わたしは、結局、兄貴には一度も勝てなかった。

 カーラとは引き分けだった。
 なにしろ、杖を振り回して、めちゃくちゃ水分を飛ばしてくるので、炎でそれを消し去る作業を延々と続けなければならなかった。兄貴が、わたしとカーラのあいだに割って入り、強制的に中断させないと、戦いは終わらないのだった。

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「――そろそろ、ダンジョンに入るか?」
 兄貴が、模擬戦はもう充分だろうという顔をしていった。
「――はい!行きます!」
 わたしは、威勢よくこたえた。
「わたしも、準備万端よ!」
 カーラが続ける。
「よし! 俺が先頭で進むから、ゆっくりついてくるんだ!」

 兄貴は、柔らかい草原と砂地の広場を出て、アーチ形の門をくぐり、ダンジョンが待ちかまえている森に入っていった。
 その(あと)にわたし、最後にカーラが、緊張で震えがちな手足を、なだめ動かしながら続いた。

 粗い砂利が敷かれた細い道を進んでいくと、灰色の古い円筒形の建物が立っており、その正面に、とかげのような魔物の彫刻がほどこされた、わたしの背たけの三倍ぐらいある両開きの扉があった。

 建物のまわりには、手のひら状の葉を生い茂らせた、木肌が灰緑色の真っすぐ伸びた木々が立ちならび、壁と(とびら)には、陽光や風のぐあいによって、濃い緑色の葉の影が、ゆらゆらしながら映っていた。
 建物の後ろ側半分を囲むように、黒々とした苔に(おお)われた、見上げるほど大きい銅色の岩が三つ、重なり立つ木々のあいだから、のぞいている。

 兄貴は、立ち止まって、門をじっとみている。
「かなり、大きいな……」

 わたしは、今回の初ダンジョン入りの前に、ダンジョンについて、時間をかけ入念に調べた。
 ダンジョンの入口となる建物は、内部のダンジョンの広さ、深さに、その大きさが比例している。ダンジョンの階層が深いほど、それぞれの階層の面積が広いほど、それに応じた大きな建物となっている。

 わたしは、ゴクリとつばを飲み込んだ。
 緊張が高まってきた。
 横にいるカーラも蒼白な顔で、握り締めた魔法の杖の先端が、ブルブル震えている。

 兄貴が振り向いた。
 わたしとカーラをみたあと、重々しい低い声で、
「――よし、入るぞ」
 兄貴が扉の中央部を、両手で押した。
 ギイギイと、蝶番(ちょうつがい)のきしむ音がした。
 兄貴は、真っ赤な顔をし、息を切らしながら、扉を押し続けた。

 扉が、左右に開き、薄く青い光が漏れてきた。
 兄貴はいったん力を抜いたあと、一度深呼吸をして、もう一度、強い力で扉を押した。
 ひと一人が通れるくらいの幅まで、扉が開いた。兄貴の肩越しに、薄暗いトンネルと、(くだ)ってゆく、なだらかな坂道がみえた。

 兄貴は、手を前に突き出し、前方を探りながら、ゆっくりと歩き出した。
 わたしとカーラは、兄貴の背中にピッタリくっついて、横と背後を警戒しながら、あとに続いた。
 入ってしばらくは、洞窟が続いていた。壁と天井、地面、わたしたちのまわりを取り巻くすべてのものから、眼に優しい青い光が、湧き出していた。

「……思ったほど、怖くないわ」
 カーラのつぶやきが聞こえ、わたしも、うなずいた。
「第一層だし、そんなに危険なモノは、いないかもしれない……」

「――油断は、だめだ。注意を(おこた)るな」
 兄貴が、小声でいう。

 カーラとわたしは、顔を見あわせた。
「……はあい」
 わたしは、小声でこたえ、持っていた槍を握り締めた。いつのまにか、手に汗をかき、槍が滑り落ちそうになっていた。