校舎の屋上にあるカザミドリがカラカラと回っていた。
昼休みの雅俊からもらったフルーツ牛乳の牛乳瓶を放課後のラウンジのゴミ箱に
瓶を捨てていた雪菜は、ふと自動販売機を眺めた。
あの時、凛汰郎は何を買っていたんだろうかとじっと見ていた。上の方には、ミネラルウォーター、炭酸水、緑茶のペットボトル、缶の果物ジュースに、缶コーヒー…と一つ一つに指さして、どれだろうと考えた。
本人がいないのに、想像するだけで、何だか楽しかった。そうしてる間に、後ろを本人である凛汰郎がゴミ箱にペットボトルを捨てていた。何も言わずに、チラッと横目で何を捨てたか確認すると、予想外にダイエットコーラを選んでいた。まさかの糖類ゼロに、目を丸くした。ダイエットするような体型じゃ無いのにと思った。いかにもコーラを飲みそうなタイプでもないと。
「……何?」
凛汰郎は、見られていることに気になった。雪菜は、首をブンブン大きく振って、
「なんでもないよ!」
「あ、そう……」
凛汰郎は、少し恥ずかしそうに、荷物を持ち直して弓道場の方へ立ち去っていく。立ち去った後、雪菜は、深呼吸をした。
「あれ、雪菜? 今から部活?」
たまたま通りかかった雅俊が声をかけてきた。
「そう、今から部活。雅俊は?」
「俺も。部活、バスケだから」
「あれ?バスケなの? 陸上じゃなかったっけ?」
「陸上は助っ人で出てるの。駅伝とか、大会ある時だけね。なんてたって、俺、足早いからね」
「自慢ですか。それは良かったですね」
「てかさ、雪菜。あいつと仲良いわけ?」
「え、あいつって誰?」
「弓道部の」
「えー、もしかして凛汰郎くんのことかな」
「わからないけど、いつも一緒じゃん」
「それは、私が部長で凛汰郎くんが副部長だからだよ。というか、あいつって先輩だよ? 雅俊こそ、去年なんて全然話しかけてこないくせになんで最近になって声かけてくんのよ」
「雪菜、部長なんだ。大変だね。去年は忙しくてね、色々。俺のことはいいんだよ。ほっとけって。まぁ、いいや。部活行かないとな。んじゃな」
手を振って別れを告げると、雅俊は、体育館の方へ向かっていく。弓道場とは反対方向だった。何がしたかったんだろうと、疑問に思いながら、思わず、自販機のダイエットコーラを不意に選んで買っていた。あの人と一緒の飲み物というだけで心が温かくなった。買ったばかりのペットボトルをバックの中に忍ばせた。
****
今日も部活の時間が始まった。更衣室で弓道着の袴に帯をきつく締めて、胸当てを着用した。茶色の三つ指が入る弓懸けを右手に
装着し、立てかけていた弓と矢2本をそれぞれ持った。雪菜が持っていたのは、ジュラルミン矢と七面鳥のターキーと言われる羽根の矢を使用していた。この弓道をするにあたって用意する道具もピンからキリまであって、選ぶのも大変だった。高額しすぎてもまだ上達をしてないのにすぐ壊れたら、コストもかかる。安いのもあるが、しっかりと的に当たるのかという心配もある。どちらにしてもメリットデメリットがありそうだ。雪菜は何となくで選んでいた弓と矢は案外自分自身と合っていて、使いやすかった。
「これ、前にも説明したかと思うけど、高ければいいってわけじゃないから。弓も矢も安くても高くても使いこなしたら一流ってことだよ。どのスポーツでも同じだと思うけどさ」
遠くの方で、凛汰郎は後輩たちに説明していた。
「はい。わかりました。覚えておきます」
雪菜はその話しは何度も聞かされていたけども、道具より何よりその時のコンディションで成績が決まるなと感じていた。
(集中力、集中力……)
目を閉じて神経を研ぎ澄ませた。弓を縦に、2本の矢を丁寧に持ち、横に並べては、矢に指を滑らせて霞的のど真ん中を見つめ、大きく弦を引っ張った。一瞬、鳴いていた鳥も息を飲むように静かになった気がした。風を切って、前髪が揺れた。1本の矢が勢いを増して、的に素早く飛んでいく。部長が矢を放つということで部員たちは静かに見守っていた。
いい音が鳴った。
雪菜が放った矢は、ニの黒で幅1.5㎝のところに刺さった。惜しいところでど真ん中には当たらなかった。気持ちを切り替えて、
続けて2本目の矢を放った。今度は、一の黒で幅3.6cmのところに刺さる。
矢を放ち終えて、終わりの所作も丁寧に行った。
「先輩、昨日より、調子いいですね」
「そうかな。まぁまぁ、いいことあったからかな」
「そうなんですか。やっぱり、メンタル大事ですよね。私も今日はできそうな気がします」
菊地紗矢は張り切って、射場に進んでいく。呼吸を整えて、的までの28mの距離をどう攻略するかを考えながら、集中させた。雪菜に負けぬよう、真ん中に狙いを定めて、2本の矢を放った。風がふいたせいか思ったよりまっすぐ飛ばなかった。1本目は、三の黒の3.3cm幅と2本目は、的の外側に刺さっていた。
所作だけは、丁寧にとお辞儀して終わらせた。素に戻るとガックリとした顔を見せた。
「先輩……私、今日はダメでした。明日はきっと大丈夫ですね」
「そうそう、プラス思考に考えよう。確かに真ん中に刺さることが目標だけど、この射場に立って挑戦してるってことだけでもパワー使ってるからね。頑張ってる自分褒めよう! むしろ、弓道は、的より姿勢とか、所作とかそっちの方が大事って言うからさ」
「ですよね!集中力、大事ですよね。私、今日も頑張りました!」
「そうそう」
「お疲れさま〜。ごめんね、職員会議で遅くなった」
「みんな、集合!」
顧問のいろはが、弓道場に来ていた。部長である雪菜が集合をかけて、一斉に挨拶した。
「注目、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
とともに一同が一礼する。
「みんな、調子はどう? 来週かな、試合あるんだよね。今日の練習で真ん中に当たった人も当たらない人も
集中力大事だよ。初心忘れべからずで、姿勢きちんとね」
「はい!」
「あと、だいぶ、外も暗くなってきたからうーん10分くらいで終わりにしていいよ。部長、みんなにタイミング見て声かけして帰らせて。ごめんね、私、仕事やり残してきたから職員室戻るね。お疲れさま〜」
「はい、わかりました! お疲れさまです!」
腕時計を見ながら、弓道場を去っていくいろはに雪菜はお辞儀した。
「練習してない人、どんどん射場に入って。あと10分はあるから」
「はい!」
後輩たちは薄暗くなっていく。射場で次々と矢を放っていく。夕日が沈み、一日が終わろうとしていた。弓道場の端っこに取り付けていた時計が午後6時になろうとしていた。
「そろそろ終わりにします。みんな、片付けて、着替えてください」
「はい!」
ガヤガヤと片付けとモップで掃除が始まった。掃除を終えた部員からそれぞれ着替え始めた。全部終わったなと確かめて、
部室の施錠をした。みんな制服に着替え、弓道道具を入れた袋を背負っていた。
いつも部活を終えた瞬間はやり切った感じが出る。部員全員に挨拶を終えて、雪菜は家路を急ぐ。学校の駐輪場にとめていた自転車を取り出した。校舎から続く、アスファルトの道を校門まで自転車を進めようとすると、後ろに歩く凛汰郎の姿があった。凛汰郎は、学校から徒歩で通学していた気がすると思い出して、チラチラ後ろを気にしながら、サドルに座って、ペダルを漕いで、横断歩道を渡ろうとすると、雪菜は右折してくる車に気づかなかった。
そのまま車のフロントガラスに乗るように体が宙に浮いた。背負っていた弓道の荷物は幸いにも外側に投げ出された。走馬灯のように画面がチラチラと頭に巡る。右手を伸ばす凛汰郎がいたような気がして、夢を見ていたのかもしれないと真っ暗な景色に変わった。
「誰か! 救急車呼んで!!」
辺りは騒然とした。クラクションを響いて、事故の近くに人だかりができた。交差点に投げ出された雪菜の体近くには大量の血が流れていた。車のフロントガラスは円を描くようにヒビ割れていた。サイレンの音が響く。
「おい!! 起きろ!!」
誰の声だろう。雪菜は嬉しくなって、口角を上げて、目を閉じていた。 目を覚ますと、真っ白い天井があった。ここは、どこだろう。まさか天国じゃないよなぁと思いながら、体を動かそうとすると、左足が思うように動かなかった。自転車と車の交通事故でどこをぶつけたのかわからない。確かに足に激痛が走ったのを覚えてる。頭も打ったのか事故当時はどうだったか、覚えていない。上半身を起こすと、病院のベッドだということに気づいた。
個室の病室には外の見える大きな窓があった。
部屋の中にはトイレもあるようだった。病室のドアが開いた。
「入るよ〜」
ノックと共に母の菜穂の声が聞こえた。ビニール袋と大きな紙袋を両手に持ち、入ってきた。
「お母さん……」
「目、覚めたのね。本当、びっくりしたよ。交通事故に遭って、足怪我したって。学校から電話連絡もらってさ。さっきお父さんと病院に着いたところ。前もって、引率の先生に入院に必要な着替えとか色々入れてきたから」
「えっ……」
「雪菜、状況、理解してないでしょう。学校の前の交差点で右折してきた車に轢かれてたんだよ? そして、左足にサイドミラーの ガラス破片が刺さって出血。ついでに体を飛ばされた時に多分骨折。病院に救急車で運ばれてギプスしてるよ? 全治1ヶ月だそうよ」
痛みがある左足を見ると、大きなギプスがつけられていた。通りで足が自由に動かせないなと感じた。
「……!? 嘘、全治1ヶ月なの? 弓道の試合出られないじゃん」
「そうね。 その怪我ではすぐには弓道できないわよ」
ドアのノックが聞こえる。父の龍弥と担任の杉本先生が病室に入ってきた。
「目、覚めたんだな。調子はどうだ? 雪菜の好きなアイス買ってきたぞ」
「お父さん、先生と一緒に来たの? やった、お気に入りのアイス。これ、好きなんだよねぇ。雪見だいふくぅ」
「共食いだな」
杉本先生がボソッと言う。
「え?! 雪菜だから雪見だいふくが共食いってこと? 嘘、何それ、先生面白いんですけどぉ」
いじったつもりの言葉が笑いに変わった。今時の女子高生の、笑いのツボが分からない。
「杉本、1文字しか合ってないから共食いには程遠くないか?」
「まあ、確かに。でも、良かったな。大事に至らなくて……。担任としても安心だ」
「え?! なに、なに。お父さんと先生、知り合い? タメ口だよね?」
「杉本政伸《すぎもとまさのぶ》、高校の時の同級生だよ。あれ、杉本、システムエンジニアになってなかったっけ? 教員免許持ってたんだな」
「高校の同級生かぁ。杉本先生若い格好してるから分からなかった。お父さんと一緒だったんだ」
「俺って若いの? 幼いってことかな……。教員免許取ってから好きな職につきなさいって親に言われててさ。システムエンジニアって、俺の想像と違ってたわけよ。理想と現実は別物よね。教員も悪くないかなって思ってさ。好きな教科だけ教えるなら、良いなって。って、俺のことは良いんだよ。雪菜、学校は1か月は欠席だろうからみっちり宿題準備しておくからなぁ。どーせ、病室いても暇だろうからタブレットに毎日課題送るから」
「えーーーー。病人なのに、宿題あるの?! やりたくないよぉ」
「ぼんやりしすぎると認知症になって高校生に戻れなくなるぞ?」
杉本は、コツンと雪菜の額を指で押した。腕を組んで父の龍弥は話し出す。
「どっちにしろ、怪我して学校来ても体育も出れないし、教室の授業がほとんどだろ。俺も、生徒が怪我したらタブレットの宿題くらいは出すかもな」
「私、お父さんに聞いてない!!」
「はいはい、そうですか。まぁ、そう言うことだから、手間かけるけど、よろしくな」
「了解。とりま、お大事に。あれ、菜穂ちゃん。ずっと無言で……」
杉本は病室を立ち去ろうとすると、パイプ椅子に座っていた菜穂に話しかける。
「なんで教えてくれなかったのよ。私、全然知らなかったよ。雪菜の担任が杉本くんなんて!! 真面目に先生って電話する時とか
言ってたわ!」
「あははは。そうだった? ごめんね。気づいてないんだろうなって思って。普通に過ごしてたよ。菜穂ちゃん、きちんと子どものこと見てるじゃん。立派に成長してるよ、娘さんは」
「あ、ありがとう」
2本の指を斜めに上げて、別れを告げる。
「あと、校長先生には、事故のこと報告しておくから。ゆっくり静養してね」
ドアの横から顔をのぞかせて、すぐに病室のドアが閉まった。
「んじゃ、俺たちもそろそろ帰るか。徹平も帰ってくるだろ」
「そうね。雪菜、何かあったら、ラインでメッセージ送ってね。あと、紙袋の中にラウンジとか病院内にあるコンビニで買い物できるように小銭の入った財布入れておいたから」
「ありがとう。すごく助かる」
菜穂は頷いて、立ち上がった。
「ほら、母さん、行くぞ」
「私はあなたの母さんじゃないよ?」
「はいはい。菜穂、ほら、帰る支度して」
龍弥は言い直して、病室を後にした。菜穂の名前が書いてある病室番号の下の名札を確認した。真下を見ると、大きな花束がラッピングされた状態で置かれていた。宛名には『白狼雪菜 様』と書かれていて差出人は書かれていなかった。
「雪菜、出入り口に花束置かれているぞ。誰か、お見舞いに来ていたんじゃないか?」
龍弥が持ち上げて、雪菜のテーブルの近くに運んだ。それは、かすみ草と一緒にカーネーションによく似たピンクのソネットフレーズの花束だった。透明フィルムとピンクのリボンに包まれて可愛かった。メッセージカードを見ると手書きで名前を書かれていた。
筆跡を見ると、どこかで見たことがあるような字だった。
「誰だろう。名前書いてくれないと分からないよね。この交通事故知ってる人ってわかる?」
「そうだなぁ、事故の連絡くれたのは、担任の杉本だから。でも、電話の向こうで雅俊くんの声もしたような……。隣の家の幼馴染だろ? 齋藤家のおばあちゃんがよく漬物を分けてくれるよな?」
「そう。雅俊だよ。そっか。んじゃ、これ、雅俊買ってくれたのかな」
「あいつ、花好きだっけか? いつか、うちに遊びに来た時平気な顔して、踏まれなかったっけ? 花壇に植えてたスノーフレークの花……。サッカーしてただろ?」
龍弥は、顎に指をつけて考える。
「そうだ。雅俊、花には興味なかった気がする。そんな人がお見舞いにって送ってくれるかな」
「どちらかといえば、直接来るだろう? あいつは。騒がしいんだから。めっちゃおしゃべりだし。……って、雪菜も夕ご飯の時間だろ。俺らも帰ろう」
「そうね。何かわかったら連絡するわ」
両親は病院食を運ぶ調理員さんの横をそっと通り過ぎた。廊下は混み合っている。良い匂いが漂ってきていた。今日のメニューは、メカジキのステーキとニラ玉スープ、ポテトサラダが出てきていた。特に胃腸の調子は悪くなかったため、お腹いっぱい食べられた。
ご飯を食べながら、可愛いソネットフレーズ花を見つめた。見ているだけで元気が出そうだった。スマホで記念に撮っておこうと写真におさめた。しばらくは待ち受け画面になりそうだった。
なんで、送り主は、差出人を書かなかったのか疑問で仕方なかった。窓の外を見ると、夜空には大きな満月が光り輝いていた。足が動かなくても景色は楽しめるなとしみじみ感じた。
昼休みの雅俊からもらったフルーツ牛乳の牛乳瓶を放課後のラウンジのゴミ箱に
瓶を捨てていた雪菜は、ふと自動販売機を眺めた。
あの時、凛汰郎は何を買っていたんだろうかとじっと見ていた。上の方には、ミネラルウォーター、炭酸水、緑茶のペットボトル、缶の果物ジュースに、缶コーヒー…と一つ一つに指さして、どれだろうと考えた。
本人がいないのに、想像するだけで、何だか楽しかった。そうしてる間に、後ろを本人である凛汰郎がゴミ箱にペットボトルを捨てていた。何も言わずに、チラッと横目で何を捨てたか確認すると、予想外にダイエットコーラを選んでいた。まさかの糖類ゼロに、目を丸くした。ダイエットするような体型じゃ無いのにと思った。いかにもコーラを飲みそうなタイプでもないと。
「……何?」
凛汰郎は、見られていることに気になった。雪菜は、首をブンブン大きく振って、
「なんでもないよ!」
「あ、そう……」
凛汰郎は、少し恥ずかしそうに、荷物を持ち直して弓道場の方へ立ち去っていく。立ち去った後、雪菜は、深呼吸をした。
「あれ、雪菜? 今から部活?」
たまたま通りかかった雅俊が声をかけてきた。
「そう、今から部活。雅俊は?」
「俺も。部活、バスケだから」
「あれ?バスケなの? 陸上じゃなかったっけ?」
「陸上は助っ人で出てるの。駅伝とか、大会ある時だけね。なんてたって、俺、足早いからね」
「自慢ですか。それは良かったですね」
「てかさ、雪菜。あいつと仲良いわけ?」
「え、あいつって誰?」
「弓道部の」
「えー、もしかして凛汰郎くんのことかな」
「わからないけど、いつも一緒じゃん」
「それは、私が部長で凛汰郎くんが副部長だからだよ。というか、あいつって先輩だよ? 雅俊こそ、去年なんて全然話しかけてこないくせになんで最近になって声かけてくんのよ」
「雪菜、部長なんだ。大変だね。去年は忙しくてね、色々。俺のことはいいんだよ。ほっとけって。まぁ、いいや。部活行かないとな。んじゃな」
手を振って別れを告げると、雅俊は、体育館の方へ向かっていく。弓道場とは反対方向だった。何がしたかったんだろうと、疑問に思いながら、思わず、自販機のダイエットコーラを不意に選んで買っていた。あの人と一緒の飲み物というだけで心が温かくなった。買ったばかりのペットボトルをバックの中に忍ばせた。
****
今日も部活の時間が始まった。更衣室で弓道着の袴に帯をきつく締めて、胸当てを着用した。茶色の三つ指が入る弓懸けを右手に
装着し、立てかけていた弓と矢2本をそれぞれ持った。雪菜が持っていたのは、ジュラルミン矢と七面鳥のターキーと言われる羽根の矢を使用していた。この弓道をするにあたって用意する道具もピンからキリまであって、選ぶのも大変だった。高額しすぎてもまだ上達をしてないのにすぐ壊れたら、コストもかかる。安いのもあるが、しっかりと的に当たるのかという心配もある。どちらにしてもメリットデメリットがありそうだ。雪菜は何となくで選んでいた弓と矢は案外自分自身と合っていて、使いやすかった。
「これ、前にも説明したかと思うけど、高ければいいってわけじゃないから。弓も矢も安くても高くても使いこなしたら一流ってことだよ。どのスポーツでも同じだと思うけどさ」
遠くの方で、凛汰郎は後輩たちに説明していた。
「はい。わかりました。覚えておきます」
雪菜はその話しは何度も聞かされていたけども、道具より何よりその時のコンディションで成績が決まるなと感じていた。
(集中力、集中力……)
目を閉じて神経を研ぎ澄ませた。弓を縦に、2本の矢を丁寧に持ち、横に並べては、矢に指を滑らせて霞的のど真ん中を見つめ、大きく弦を引っ張った。一瞬、鳴いていた鳥も息を飲むように静かになった気がした。風を切って、前髪が揺れた。1本の矢が勢いを増して、的に素早く飛んでいく。部長が矢を放つということで部員たちは静かに見守っていた。
いい音が鳴った。
雪菜が放った矢は、ニの黒で幅1.5㎝のところに刺さった。惜しいところでど真ん中には当たらなかった。気持ちを切り替えて、
続けて2本目の矢を放った。今度は、一の黒で幅3.6cmのところに刺さる。
矢を放ち終えて、終わりの所作も丁寧に行った。
「先輩、昨日より、調子いいですね」
「そうかな。まぁまぁ、いいことあったからかな」
「そうなんですか。やっぱり、メンタル大事ですよね。私も今日はできそうな気がします」
菊地紗矢は張り切って、射場に進んでいく。呼吸を整えて、的までの28mの距離をどう攻略するかを考えながら、集中させた。雪菜に負けぬよう、真ん中に狙いを定めて、2本の矢を放った。風がふいたせいか思ったよりまっすぐ飛ばなかった。1本目は、三の黒の3.3cm幅と2本目は、的の外側に刺さっていた。
所作だけは、丁寧にとお辞儀して終わらせた。素に戻るとガックリとした顔を見せた。
「先輩……私、今日はダメでした。明日はきっと大丈夫ですね」
「そうそう、プラス思考に考えよう。確かに真ん中に刺さることが目標だけど、この射場に立って挑戦してるってことだけでもパワー使ってるからね。頑張ってる自分褒めよう! むしろ、弓道は、的より姿勢とか、所作とかそっちの方が大事って言うからさ」
「ですよね!集中力、大事ですよね。私、今日も頑張りました!」
「そうそう」
「お疲れさま〜。ごめんね、職員会議で遅くなった」
「みんな、集合!」
顧問のいろはが、弓道場に来ていた。部長である雪菜が集合をかけて、一斉に挨拶した。
「注目、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
とともに一同が一礼する。
「みんな、調子はどう? 来週かな、試合あるんだよね。今日の練習で真ん中に当たった人も当たらない人も
集中力大事だよ。初心忘れべからずで、姿勢きちんとね」
「はい!」
「あと、だいぶ、外も暗くなってきたからうーん10分くらいで終わりにしていいよ。部長、みんなにタイミング見て声かけして帰らせて。ごめんね、私、仕事やり残してきたから職員室戻るね。お疲れさま〜」
「はい、わかりました! お疲れさまです!」
腕時計を見ながら、弓道場を去っていくいろはに雪菜はお辞儀した。
「練習してない人、どんどん射場に入って。あと10分はあるから」
「はい!」
後輩たちは薄暗くなっていく。射場で次々と矢を放っていく。夕日が沈み、一日が終わろうとしていた。弓道場の端っこに取り付けていた時計が午後6時になろうとしていた。
「そろそろ終わりにします。みんな、片付けて、着替えてください」
「はい!」
ガヤガヤと片付けとモップで掃除が始まった。掃除を終えた部員からそれぞれ着替え始めた。全部終わったなと確かめて、
部室の施錠をした。みんな制服に着替え、弓道道具を入れた袋を背負っていた。
いつも部活を終えた瞬間はやり切った感じが出る。部員全員に挨拶を終えて、雪菜は家路を急ぐ。学校の駐輪場にとめていた自転車を取り出した。校舎から続く、アスファルトの道を校門まで自転車を進めようとすると、後ろに歩く凛汰郎の姿があった。凛汰郎は、学校から徒歩で通学していた気がすると思い出して、チラチラ後ろを気にしながら、サドルに座って、ペダルを漕いで、横断歩道を渡ろうとすると、雪菜は右折してくる車に気づかなかった。
そのまま車のフロントガラスに乗るように体が宙に浮いた。背負っていた弓道の荷物は幸いにも外側に投げ出された。走馬灯のように画面がチラチラと頭に巡る。右手を伸ばす凛汰郎がいたような気がして、夢を見ていたのかもしれないと真っ暗な景色に変わった。
「誰か! 救急車呼んで!!」
辺りは騒然とした。クラクションを響いて、事故の近くに人だかりができた。交差点に投げ出された雪菜の体近くには大量の血が流れていた。車のフロントガラスは円を描くようにヒビ割れていた。サイレンの音が響く。
「おい!! 起きろ!!」
誰の声だろう。雪菜は嬉しくなって、口角を上げて、目を閉じていた。 目を覚ますと、真っ白い天井があった。ここは、どこだろう。まさか天国じゃないよなぁと思いながら、体を動かそうとすると、左足が思うように動かなかった。自転車と車の交通事故でどこをぶつけたのかわからない。確かに足に激痛が走ったのを覚えてる。頭も打ったのか事故当時はどうだったか、覚えていない。上半身を起こすと、病院のベッドだということに気づいた。
個室の病室には外の見える大きな窓があった。
部屋の中にはトイレもあるようだった。病室のドアが開いた。
「入るよ〜」
ノックと共に母の菜穂の声が聞こえた。ビニール袋と大きな紙袋を両手に持ち、入ってきた。
「お母さん……」
「目、覚めたのね。本当、びっくりしたよ。交通事故に遭って、足怪我したって。学校から電話連絡もらってさ。さっきお父さんと病院に着いたところ。前もって、引率の先生に入院に必要な着替えとか色々入れてきたから」
「えっ……」
「雪菜、状況、理解してないでしょう。学校の前の交差点で右折してきた車に轢かれてたんだよ? そして、左足にサイドミラーの ガラス破片が刺さって出血。ついでに体を飛ばされた時に多分骨折。病院に救急車で運ばれてギプスしてるよ? 全治1ヶ月だそうよ」
痛みがある左足を見ると、大きなギプスがつけられていた。通りで足が自由に動かせないなと感じた。
「……!? 嘘、全治1ヶ月なの? 弓道の試合出られないじゃん」
「そうね。 その怪我ではすぐには弓道できないわよ」
ドアのノックが聞こえる。父の龍弥と担任の杉本先生が病室に入ってきた。
「目、覚めたんだな。調子はどうだ? 雪菜の好きなアイス買ってきたぞ」
「お父さん、先生と一緒に来たの? やった、お気に入りのアイス。これ、好きなんだよねぇ。雪見だいふくぅ」
「共食いだな」
杉本先生がボソッと言う。
「え?! 雪菜だから雪見だいふくが共食いってこと? 嘘、何それ、先生面白いんですけどぉ」
いじったつもりの言葉が笑いに変わった。今時の女子高生の、笑いのツボが分からない。
「杉本、1文字しか合ってないから共食いには程遠くないか?」
「まあ、確かに。でも、良かったな。大事に至らなくて……。担任としても安心だ」
「え?! なに、なに。お父さんと先生、知り合い? タメ口だよね?」
「杉本政伸《すぎもとまさのぶ》、高校の時の同級生だよ。あれ、杉本、システムエンジニアになってなかったっけ? 教員免許持ってたんだな」
「高校の同級生かぁ。杉本先生若い格好してるから分からなかった。お父さんと一緒だったんだ」
「俺って若いの? 幼いってことかな……。教員免許取ってから好きな職につきなさいって親に言われててさ。システムエンジニアって、俺の想像と違ってたわけよ。理想と現実は別物よね。教員も悪くないかなって思ってさ。好きな教科だけ教えるなら、良いなって。って、俺のことは良いんだよ。雪菜、学校は1か月は欠席だろうからみっちり宿題準備しておくからなぁ。どーせ、病室いても暇だろうからタブレットに毎日課題送るから」
「えーーーー。病人なのに、宿題あるの?! やりたくないよぉ」
「ぼんやりしすぎると認知症になって高校生に戻れなくなるぞ?」
杉本は、コツンと雪菜の額を指で押した。腕を組んで父の龍弥は話し出す。
「どっちにしろ、怪我して学校来ても体育も出れないし、教室の授業がほとんどだろ。俺も、生徒が怪我したらタブレットの宿題くらいは出すかもな」
「私、お父さんに聞いてない!!」
「はいはい、そうですか。まぁ、そう言うことだから、手間かけるけど、よろしくな」
「了解。とりま、お大事に。あれ、菜穂ちゃん。ずっと無言で……」
杉本は病室を立ち去ろうとすると、パイプ椅子に座っていた菜穂に話しかける。
「なんで教えてくれなかったのよ。私、全然知らなかったよ。雪菜の担任が杉本くんなんて!! 真面目に先生って電話する時とか
言ってたわ!」
「あははは。そうだった? ごめんね。気づいてないんだろうなって思って。普通に過ごしてたよ。菜穂ちゃん、きちんと子どものこと見てるじゃん。立派に成長してるよ、娘さんは」
「あ、ありがとう」
2本の指を斜めに上げて、別れを告げる。
「あと、校長先生には、事故のこと報告しておくから。ゆっくり静養してね」
ドアの横から顔をのぞかせて、すぐに病室のドアが閉まった。
「んじゃ、俺たちもそろそろ帰るか。徹平も帰ってくるだろ」
「そうね。雪菜、何かあったら、ラインでメッセージ送ってね。あと、紙袋の中にラウンジとか病院内にあるコンビニで買い物できるように小銭の入った財布入れておいたから」
「ありがとう。すごく助かる」
菜穂は頷いて、立ち上がった。
「ほら、母さん、行くぞ」
「私はあなたの母さんじゃないよ?」
「はいはい。菜穂、ほら、帰る支度して」
龍弥は言い直して、病室を後にした。菜穂の名前が書いてある病室番号の下の名札を確認した。真下を見ると、大きな花束がラッピングされた状態で置かれていた。宛名には『白狼雪菜 様』と書かれていて差出人は書かれていなかった。
「雪菜、出入り口に花束置かれているぞ。誰か、お見舞いに来ていたんじゃないか?」
龍弥が持ち上げて、雪菜のテーブルの近くに運んだ。それは、かすみ草と一緒にカーネーションによく似たピンクのソネットフレーズの花束だった。透明フィルムとピンクのリボンに包まれて可愛かった。メッセージカードを見ると手書きで名前を書かれていた。
筆跡を見ると、どこかで見たことがあるような字だった。
「誰だろう。名前書いてくれないと分からないよね。この交通事故知ってる人ってわかる?」
「そうだなぁ、事故の連絡くれたのは、担任の杉本だから。でも、電話の向こうで雅俊くんの声もしたような……。隣の家の幼馴染だろ? 齋藤家のおばあちゃんがよく漬物を分けてくれるよな?」
「そう。雅俊だよ。そっか。んじゃ、これ、雅俊買ってくれたのかな」
「あいつ、花好きだっけか? いつか、うちに遊びに来た時平気な顔して、踏まれなかったっけ? 花壇に植えてたスノーフレークの花……。サッカーしてただろ?」
龍弥は、顎に指をつけて考える。
「そうだ。雅俊、花には興味なかった気がする。そんな人がお見舞いにって送ってくれるかな」
「どちらかといえば、直接来るだろう? あいつは。騒がしいんだから。めっちゃおしゃべりだし。……って、雪菜も夕ご飯の時間だろ。俺らも帰ろう」
「そうね。何かわかったら連絡するわ」
両親は病院食を運ぶ調理員さんの横をそっと通り過ぎた。廊下は混み合っている。良い匂いが漂ってきていた。今日のメニューは、メカジキのステーキとニラ玉スープ、ポテトサラダが出てきていた。特に胃腸の調子は悪くなかったため、お腹いっぱい食べられた。
ご飯を食べながら、可愛いソネットフレーズ花を見つめた。見ているだけで元気が出そうだった。スマホで記念に撮っておこうと写真におさめた。しばらくは待ち受け画面になりそうだった。
なんで、送り主は、差出人を書かなかったのか疑問で仕方なかった。窓の外を見ると、夜空には大きな満月が光り輝いていた。足が動かなくても景色は楽しめるなとしみじみ感じた。