ソネットフレージュに魅せられて

雪菜は、久しぶりに弓道場で、稽古を見学した。

まだ松葉杖をついていたため、本格的な稽古はできなかったが、雰囲気を味わい、自分も参加している空気感を取り戻した。

後輩たちは、真剣に的を当てにいっている。姿勢も正しくできていて、申し分なかった。

ふと、椅子にすわって見ていると頭の中でさっき凛汰郎がさけんだ『それ、俺だから』のセリフが頭の中から離れなかった。

(凛汰郎くん、俺だからってどう言う意味だったんだろうなぁ……)

ふと、稽古に熱心な凛汰郎を見ると、これから的を打つぞという体勢だったが、雪菜の視線が気になったのか、こちらをチラリと見ては、怖い顔をしていた。

(え、私睨まれてる? なんで?)

 なんで怒っているのか謎だった。

(こっちジロジロ見過ぎだつぅーの。狙いがズレるわ。全く……)

 そう思いながらも本当は見られて嬉しい凛汰郎だった。部長の雪菜が戻ってきてから、部活の雰囲気はいつものペースを取り戻した。和気藹々で、明るくなり、練習も順繰りできて、みんな気持ちはホクホクしていた。

 複雑な気持ちがある凛汰郎も、ホッと安心していた。

「お疲れさま! ごめんね、遅くなった。みんな、調子どう?」

 顧問のいろはが、弓道場の出入り口で声をかけた。

「みんな集合!」

 先生が来たと分かると、雪菜の一声で円を囲むように集合し号令をかけた。

「よろしくお願いします」
「うん、うん。何だか、雰囲気見て分かるけど、調子良さそうだね」
「はい。部長が戻ってきたので、みんな喜んでます」

 2年の紗矢が答える。

「本当は、どの人がいるいないに関わらず、やるべきことに集中してほしいものだけど、団体戦もあるから周りの状況把握も大切だよね。ま、これを教訓に次からは会話するべきところは会話して、連携組んでね」
「はい!!」

 部員全員が返事をした。


「んじゃ、稽古の続けてください」
「はい!!」

 それぞれに射場に戻っていく。

「雪菜、足はいつ頃から稽古に参加できそうなの?」

 みんなが稽古に入っている中、いろはは、雪菜が座る椅子の近くまで、寄った。

「先生、やっとここに来れましたよ。ずっと寝てることが多かったからムズムズしてました。できることなら、早く稽古に参加したいところですよぉ」

 いろはは、屈んで、雪菜の足の調子を確認した。

「あと、1・2週間ってところかなぁ? 大変だったよね。まさか、学校の前で交通事故になるとは……」
「あ、気になっていたんですけど、私が事故になった時って、誰が救急車とか呼んでくれたとかわかります?」
「えー……。確か、そこにいる平澤くんじゃなかったかな。目の前にいたって話してたよ」
「凛汰郎くんが?」
「ねぇ、平澤くん!!」

 不意うちにいろはは、声の届くところで矢を引いていた凛汰郎に声をかけた。雪菜は声をかけないでほしいと
 思いながら、鼓動が早くなった。

「え……。何の話ですか」

 矢を引くのをやめてこちらに近づいてきた。なぜこちらに向かってくるんだと思いながら、雪菜はドキドキしていた。

「え、だから、雪菜が交通事故でけがしていた時、近くにいたんでしょう。平澤くんが救急車呼んだって話してたんだけど、そうなの?」
「あ、その話。そうですけど……」

 目を合わせるのが嫌だったのか恥ずかしそうに斜め後ろを向く。

「あ、えっと、ありがとう」
「別に……」

 後ろ頭をポリポリとかいて話す。

「平澤くんが、人のために行動するとは思わなかったなぁ。部活では、部員に関わらないでオーラ激しいのにね」

 いろはが、感心していた。雪菜は、なんでだろうと思いながら、見ていた。

「当たり前のことしただけですから。目の前にけがとか病気で倒れてる人がいたら、助けるのが常識っすよね」
「ふーん……。全く知らない人でも 助けるんだ?すごいね」

 いろはがカマをかける。

「んーー、それは……」

 咳払いをして、ごまかした。顔全体に頬が赤くなっていく。
 
 雪菜でなんでこんな顔するんだろうと不思議で仕方なかった。

「ま、ま。いいや。稽古に戻っていいよ。邪魔してごめんね」
「いえ、大丈夫っす」

 そういいながら、元の位置に戻っていく。

「ちょっと、先生!! なんであんなこと聞くの?」

 小声でいろはに耳打ちする雪菜。

「え、だって、気になったから」
「……凛汰郎くん困ってたじゃない。やめて、色々聞くの」
「困ってんじゃなくて、照れてたんでしょう」
「え、何に照れるの?」
「雪菜、鈍感だなぁ。お兄と一緒か。それとも、菜穂姉と一緒かな?」
「え、なんで、お母さんとお父さん出てくるの?」
「……自分で気づきな。それじゃ、反対側の1年の指導するから2年の方、雪菜指導して」
「わかりました」

 口を大きく膨らませて、機嫌悪そうに返事をした。話を解決せずに終わったことが気に食わなかったようだ。
 凛汰郎は、矢をある程度、引き終わった後、後ろ頭をボリボリとかきながら、熱心に後輩指導をする雪菜を
 見ていた。
 
 丁寧に弓を引く位置、矢を置く場所を確認しながら、説明している。自分にはできない姿を見て、情けなくなるとともに、感心していた。

 雪菜の指導方法は、一人一人、何が合っていて、何が間違っているを矢を引くたびに熱心に教えていた。ある程度、型が決まっており、全体に指導する時はまとめて教えることもするが、結局は個人個人丁寧に教えないと伝わらないこともある。

 もちろん、指導する際も、どんな性格でどんな特徴があるかなど把握してから話しかけていた。

 雪菜は、自分自身の生活面こそ完璧にできないが、後輩たちとの関わる距離感や、相手の好きなものや嫌いなものを把握するのには卓越していた。

 そして、話しやすい空間を作ってから優しい言葉も厳しい言葉も言えるようにと雰囲気作りにも力を注いでいた。

 その段階があるから、みんなから慕われているんだろうなと凛汰郎は情けなくなり、前髪で目を隠した。

 自分には、射法八節のことを考えてただただ、矢を引いては的に当てることだけ考えている。
 周りのことなんか眼中にない。人間関係なんて考えたことさえない。
 毎日の稽古で部活動での目標は、1日40射引くと決まっている。それが終わったら今日は終わりになる。

 それだけを考えている。

 人間関係のことを考えたら、目標値の40射なんて時間が足りなくて帰るのも遅くなる。部長たるもの、指導もしなくてはいけないし、みんなをまとめなくてはいけない。そんなの簡単とたかを括っていたが、全然できていないというか凛汰郎は平気な顔して、逃げていた。

 そして、そう考えている凛汰郎であるのを雪菜はずっと前から受け入れていた。

 矢を引くことに特化してるだなと前々から知っていたのだ。

 わかった上で、自分が部長をやり続けると訴えていた。

 今日も通常通りに弓道部活動は終わりを迎えた。


 夕焼け色に染まった空にはカラスが鳴いて飛んでいた。
真っ赤な夕日が照らされる通学路。部活を終えた生徒たちが、行き交う校門前に雪菜は昇降口からゆっくりと松葉杖をついて、歩いていた.じゃあなと声を掛け合う生徒たちを横目に進んでいると、ふと急に持っていた荷物が軽くなった。

「ん?」

 前を見ると、持っていたバックを手に持つ凛汰郎の姿があった。

「え」
「どこまで?」
「え、いいよ。すぐ迎え来るし」
「持つから。どこ?」
「あそこの校門近くに迎え頼んでた」

 雪菜は校門を指差した。

「わかった」
「ごめん、ありがとう」
「……ああ」

3歩ほど前に歩きながら、恥ずかしそうに雪菜の荷物を運んでくれた。ちょっとした仕草が嬉しくて言葉が出なかった。


「雪菜! 今、帰り?」

 部活で汗をたっぷりかいたであろう姿で 雅俊が後ろから駆け出した。

「う、うん」
「あー、それ、俺、持つっすよ。家、近いんで」
「あ……」

 雅俊は凛汰郎から有無を言わせず、雪菜のバックを取り返す。凛汰郎は小さな音で舌打ちした。左肩に自分のバックと雪菜のバックを背負う雅俊は、雪菜の隣に寄った。かなりの至近距離で、凛汰郎は面白くない顔をした。


「今日、親父さん迎えに来るの?」
「うん。そうだね。雅俊、自転車じゃないの?」
「俺、今日寝坊して、車で乗せられてきた。ねぇ、俺も乗せてくれないかな?」
「えー、図々しいなぁ。でも、バック持ってくれるなら、お礼しないといけないかな……。お父さんに聞いてみるけど」
「やったぁ。ラッキー。あ……、先輩、ありがとうございます」

 なぜか、雅俊は凛汰郎にお礼を言っていた。

「………」

 凛汰郎は不機嫌になって、足早に立ち去っていく。

「あ、凛汰郎くん、ありがとう!!」

 雪菜が思い出すように叫んだ。手をパタパタと後ろ向きに振られて歩いていった。

「全く、雅俊、タイミング悪すぎ……」
「なんだよ、俺のせいかよ」
「うん、雅俊のせい」
「雪菜、あいつのこと好きなのかよ?」
「……教えない!」

 口をふぐのように膨らませて、スタスタと校門にとまっていた父龍弥の車に乗り込んだ。

「お父さん、雅俊も一緒に乗せて欲しいって言うんだけど、良いかな?」
「え、それって、ダメとかって断れないんだろ。別に乗ればいいだろ。助手席に乗れって言っといて!」

 顔が厳しくなった龍弥。雪菜の隣には乗せないぞと思っていた。
 
「すいません。お願いします」

 お辞儀をしながら、雅俊は助手席に乗り込んだ。

「どぉうぞ」
「おじさん、意外にも車綺麗に扱ってるんすね。見直しました」
「誰目線だよ、誰の。ほら、シートベルトしてよ」
「はいはい。すいません。できました。大丈夫っす」

 龍弥はシフトレバーを PからDに変えた。生徒たちが歩く通学路を尻目に車を走らせた。少し小雨が降っていて、ワイパーを動かさないと見えないくらい細かい雨だった。

「今日は、無事に部活に参加できたのか?」
「うん。見学だったけど、後輩たちの指導もできたよ」

 松葉杖を両手でおさえて、窓を見ながら答えた。

「え、それって、俺に聞いてたんですか?」
「聞いてないけど、聞いてほしいのか?」
「はい!!」
「んで、どうだったんだ? サッカー部のくせに帰宅部くんは」
「失敬な。帰宅部じゃないっすよ。たまに参加してるって感じですけど。今日は頑張って試合に出ましたから」
「真面目に参加しろよ」
「仕方ないっすよ。うちで親にバイトしろってうるさいんですから。部活の併用は厳しいんですから」
「なんだ、サボりの帰宅部じゃないのか」
「そもそも、なんで帰宅部って知ってるんすか」
「ん!」
 運転席に座る龍弥は後部座席の雪菜を指さした。

「雪菜、なんでおじさんに言うのさ」
「バイトしてるって知らなかったから。サッカー部のなんちゃって帰宅部だと思って……ごめんね」
「ちぇ……。俺、意外と真面目なんすよ? 心外だなぁ」
「悪い悪い。齋藤家も大変なんだなぁ」
「お金ないわけじゃないんですけど、自立してほしいって気持ちが強いっす。うちの両親。こんなかわいい息子を世の中に
 出すなんて」

 自分の体をハグして言う。

「どこの誰がそれ言う? かわいいのか?」
「本当、コンビニのバイトしてるんすけど、いろんな人いるじゃないですか。大変ですよ、本当。素敵なお客様対応とかね。俺、頑張ってると思う。うんうん」
「お疲れさん、ほら、着いたぞ」

外に出て、バタンとドアを閉めた。

「あ、あざーす。マジ助かりました」
「俺も挨拶行くから。雪菜、ちょっと行ってくるから荷物は俺が運ぶから先に中入ってて」
「はーい」

 龍弥は雪菜に声をかけると、雅俊の背中を押して、隣の家の齋藤家に入って行った。

「ただいまー」
「お邪魔します。お世話さまです。隣の白狼です」
「あら、白狼さん! どうしたの? 雅俊と一緒で」

 雅俊のおばあちゃんの節子が中からエプロン姿でやってきた。

「さっき、娘と一緒に車で送らせてもらいました。今、娘の雪菜けがしてて荷物持ってくれたらしくて、助かりました。ありがとうございました」
「いやいや、いいんですよ。大したお手伝いできないですが、どんどん使ってやって。雪菜ちゃん、お大事にね。白狼さん、お土産。
 梨買ってたから、ぜひ。どうぞ」

 節子は台所から慌てて持ってきていた。かごにこんもりと入れた梨を龍弥に手渡した。

「いつもありがとうございます。ごちそうさまです」
「いいの、いいの。いつもお世話になってるから」
「それじゃぁ、失礼します」
「こちらこそ、どうもねぇ」

 手を降って別れた。いつの間にか、雅俊は自分の部屋に駆け出していた。玄関先でモタモタと靴を脱ぐのに 困っていた雪菜がいた。

「何してんのよ。ほら」

 言われる前に龍弥はテキパキと雪菜の靴を脱がした。

「ありがと!脱ぐの大変だった」
「黙ってないで助けてとか言えばいいだろ。ほら、齋藤家から梨頂いたぞ」

カゴに乗った梨を雪菜に見せた。

「言えるわけないじゃん。そうなんだ。美味しそう」

 小声で話す雪菜。聞こえなかった龍弥はそのまま奥の方に入って行った。親子と言えども、高校生というある程度年齢を超えると素直にお願いごともできないこともある。複雑な思いだった。


 久しぶりの学校でどっと疲れた雪菜は食べることよりも睡眠欲が勝ったらしくそのままベッドに横になっただけで、朝になっていた。熟睡していたようで起こしても起きなかったと母の菜穂は言っていた。雅俊と凛汰郎の板挟みが何となく頭に焼き付いて離れていなかった。夢にも出てきたくらいだった。
「いらっしゃいませ」

雅俊は、コンビニの白の青のシマシマの制服を着て、レジ横に立っていた。

「あのさ、タバコ」
「はい、どちらのおタバコにしますか?」
「マイセンで?」
「はい? マイセン、すいません。番号でおっしゃっていただきませんか?」
「だーかーら!!」

 奥の方から店長の渋谷が大きな声を聞きつけて出てきた。

「はいはいはい。どした、どした?」
「店長、お客様が」
 
 額に筋を出しながら、聞く。

「ちょっと、あんた、店長なの?」
 横柄な態度をとる小太りのお客が話し出す。

「はい、いらっしゃいませ。どうなさいましたか?」
「マイセンって言ってんのに、番号で言えって、どういう教育してんの?」
「大変申し訳ございません。高校生なもので、指導力不足でございました。お客様がおっしゃいます『マイセン』は『マイルドセブン』というおタバコの銘柄ですね。現在、名称が変わりまして、『メビウス』というものがありますが、こちらでよろしいでしょうか?」
「え?!まじで?! 名前変わったの? そっか、仕方ないな。何、め?メビ?」
「こちらが『メビウス』です。」

 店長は棚から、青いパッケージを取り出した。

「んじゃ、それの5mgちょうだい。」
「かしこまりました。はい、齋藤くん、レジしてくれる?」
「あ、はい」

 雅俊は、慌てて、タバコを受け取り、バーコードをスキャンした。お客さんはブツブツと文句を言いながらも財布から小銭をジャラジャラと出した。

「こちらは500円です」
「ちょっと、こっから取ってくれる?」

 雅俊は面倒ながらも、100円玉4枚と50円玉1枚10円玉5枚を分けて、提示した。

「こちらの500円でよろしいでしょうか」
「ああ。」
「ちょうどお預かりいたします」

 レジスターに小銭をしまって、商品のタバコとレシートを手渡した。

「ありがとうございました」


 無事にお客さんが帰っていく。雅俊は、誰もいない店内でため息を大きくついた。

「店長、あのお客さんなんですか。超面倒臭いですね」
「タバコの銘柄ね、昔流行ったマイルドセブンってあるのよ。それをマイセンマイセンって略していう人いたからさ。でも、それ、もうどこにも売ってないわけよ。ああいう人時々いるから気をつけてね」
「そうなんですね。タバコも覚えるの大変っすよ。電子タバコ銘柄もあるし、ややこしいっす」
「そうだね。まぁ、基本は番号で言ってもらおう。間違えちゃうから。さっきみたいにわからなくなったら、また呼んでね。俺、あっちで仕込みやってるからさ」
「了解っす。ありがとうございます」

 雅俊は、レジを抜けて、棚卸し作業に移動した。ちょうど、配送トラックが到着したところだった。すると、出入り口の自動ドアが開いた。

「いらっしゃいませ」

 棚卸し作業をしながら、声を出した。歩く様子が背中で感じられた。パッと振り向いて、後ろを通りかかったお客さんを見ると、
 同じ学校に通う3年の平澤凛汰郎だった。手には売り場から持ってきた炭酸ジュースのペットボトルをしっかりと持っていた。

「あ、先輩」
「…………」

 凛汰郎は雅俊だと気づいていたが、知らない人の素ぶりをした。陽気な雅俊があまり好きじゃなかった。

「無視っすか。別にいいっすけどね」
 
 届いたばかりのおにぎりの棚にどんどん補充していく。

「あんた、白狼の何だよ」
「え、急に話すの? えっと…。彼氏かなぁ? ってそうなれるといいなって思ってるんで、邪魔しないでくださいね」

 声の調子が急に低くなった。下の棚を並べていた体をおこして凛汰郎の前にたちはばかる。身長が少しだけ雅俊の方が大きかった。

「そちらの商品をお買い上げですか?」

 突然、後輩の態度から店員にモードを変えた。凛汰郎はレジ横の棚にペットボトルを置いた。目の前に雅俊がいるにも関わらず、ベルを鳴らした。

「お客様、こちらにいます!」
 
 雅俊が体を曲げてアピールする。

「チェンジで!」

 指で合図する。

「キャバクラか!?」
「ちっ……」

目と目で睨みあいのバトルが始まる。まるでコブラとマングースのように、はたまた犬と猿の喧嘩のように火花が飛び散った。
それに気づいた渋谷店長がささっと、凛汰郎が持ってきたペットボトルのバーコードを読み取った。

「お客様。お待たせしました。こちらは、150円です」
「はい。これでお願いします」

凛汰郎は財布からプリペイドカードを見せた。

「プリペイドカードですね。スライドしていただけますか?」

店長は2人の睨みあいを気にせず、レジ作業に没頭した。凛汰郎は手元だけ素直に言うことを聞いていた。

「お買い上げありがとうございました」

渋谷店長は、雅俊の頭をぐいっと下げて、丁寧にお辞儀を同時にした。凛汰郎は鬼のような目でこちらを見ながら、静かに立ち去って行った。


「ちょっと斎藤くん。公私混同しないでもらえるかな? 他のお客様にも影響するから」
「す、すいませんでした。気をつけます」

 反省しつつ、棚卸作業に戻る雅俊だった。コンビニの中から煌々と光るLEDライトが、外の駐車場を照らしていた。凛汰郎は、道端に転がる石ころを蹴飛ばしながら、つまらなそうな顔をして、ペットボトルの飲み物をぐびぐび飲び、家路を急いだ。
コオロギが静かに鳴いている。秋の虫が増え始め、昼間の暑い時間がだんだんと短くなってきた。

学校の教室。季節問わず、今は風邪をひく生徒がいるためか、何席か空いている。

朝は涼しくなってるとは言えど、日中はまだまだ30度を超えている。

うちわやせんす、下敷きで仰ぐ生徒がところどころいる教室に龍弥は、数学の授業をしていた。

「この二次関数の問題は次のテストで出すから公式をしっかり覚えておくんだぞ」

黒板に例題をスラスラと書いて、教卓の上に重ねて置いたプリントを配り始めた。

「まだ時間あるから、今日はこのプリントを解いて終わりな」

5列に並べられた机の先頭にそれぞれ5枚ずつ配った。

「先生!欠席の人の分で余りました!」
「ああ、悪い。今、取りに行く」

 龍弥は、座席の間を通り抜けて、取りに行く。途中、相変わらず、板書をせずに頬杖ついて、龍弥をずっと見ている杉浦美琴がいた。もちろん、龍弥自身も教師として困っていた。龍弥が通りかかろうとするとわざと消しゴムを床に落とした。

「あ……」
「杉浦、消しゴム、落ちてるぞ」

拾ったのは龍弥でなく隣の席の大野康孝《おおのやすたか》だった。杉浦は消しゴムを拾って舌打ちをした。本当は先生に拾ってほしかった。

「なんだよぉ。せっかく拾ったのに」
「どうした?」
「なんでもないで~す」

杉浦は笑顔で振り切った。大野に対しては怖い顔で睨みつける。大野は面白くない顔をして黙っていた。


なんとなく状況を読めた龍弥は、大野のそばに近づいて、肩をそっとなでた。

「ありがとうな、大野」

具体的には言わなかったが、察したようだ。

「俺は平気っす」

龍弥は、杉浦の行動に手を焼いていた。そろそろ、収束させないとと思いながら、授業を終えた。

「起立、注目、礼」

終了のチャイムが鳴る。教室内の椅子がガンガンとあたる音が響く。

「杉浦! ちょっと」

龍弥は、手招きして杉浦を呼んだ。階段の踊り場で話し始める。

「最近もまた、授業態度がよろしくないぞ」
「えー、別にいいじゃないですか。テストは高得点とってるわけだし」
「確かに点数とれてるのはいいと思うよ。でもさ、ここ学校だし、教室だから、規律を守ってもらわないと!」
「そういいますけど、先生が高校生の時はどうだったんですか? 私みたいのはいっぱいいたんじゃないですか?」
「……確かにいたかもしれないけど、過去と今は違うだろ? さっきの消しゴムの件も、見てたからな。わざとだろ?」

 出席簿を軽く杉浦の頭に乗せた。

「げげ、見られてた。だって、先生に拾ってほしかったんだもん」
「そう、そういうの本当にやめてもらえる?」

 杉浦は龍弥のワイシャツをくいっと引っ張る。

「えー、やだやだ。 私、先生のこと好きなんだもん。相手してほしくて、そうするの。わかってよ」
「杉浦、俺、教師。お前は生徒。それに結婚してるから、無理。好きになるのはうれしいけど、受け入れられないよ?」
 
 杉浦の鼻を指さし、自分の顔を指さす。持っていた教科書類を持ちかえて左手の薬指につけた指輪を見せつけた。

「やだやだやだ」

 小さなこどものように駄々をこねる。杉浦はどさくさまぎれに龍弥のおなか周りをハグした。

「だからさぁ。タイムスリップでもして、俺の高校生の時に現れて! 今は本当に無理」
「え、高校生の時に会ってたら付き合ってた?」
「んー-、可能性はゼロじゃないけど、今の嫁さんもいるから見込みは少ないかな?」
「むー---……。結局無理じゃん」

「ほらほら、次の授業始まるぞ。こんなおじさん相手にしないで、身近なクラスメイトとか学校の先輩とかにしろよ。俺にかまうな? な?」

「先生みたいな、かっこいい人いないもん。好きになれないし。もっさい人好きじゃないし」
「人を見た目で判断するなよ。外見はいくらでも変えられるんだぞ。もっさい人だって、こんなふうになるんだから。って、俺の場合はあえて地味なかっこうになってたんだけどな。地味な人ほどかっこよくなるのを見たらおもしろいぞ?」
「なるほど。そういう手があったか。私色に染めるってことね。ってことは、大野がちょうどいいな。めがねかけてるし、髪のこと全然気にかけないし。やってみようかな」

 半ば気持ちが大野にシフトチェンジしたようでスキップして教室に戻っていく。龍弥はその姿を見て安堵していた。
 お年頃の高校生を納得させるのも至難の業だと思った。
校舎のカザミドリが、いつも以上に強く風が吹いて勢いを増していた。
お昼休みのチャイムが鳴った。

授業を終えた生徒たちが、一目散に購買部に駆け出している。
教室のあちらこちらの引き戸が、大きな音を立てて開いていく。
雪菜はようやく松葉杖から解放されて、健康的な日常を取り戻していた。
机の脇にかけていたバックの中から長財布を取り出した。

「雪菜、今日購買部行くの?」

 緋奈子が声をかけた。

「うん。久しぶりにパンでも買おうかなって。お弁当今日、持ってきて無いから」
「雪菜の好きなパンは人気だから難しいかもよ?」

2人は廊下で話しながら、購買部へ行く。その声を座席で聞き耳を立てながら、聞いていたのは凛汰郎だった。

(俺も、購買でも行こうかな)

バックから財布を取り出す。

「ねぇねぇ、凛汰郎くん」

クラスメイトの伊藤あゆみに声をかけられた。

「ごめんね、初めて話しかけるんだけど、君の家ってお花屋さん?」
「え……」
「先週の土曜日に母と一緒に花、買いに行ったとき、直接話してなかったけど、ちょうど君が部活から帰ってくるところ見かけたの」

 後ろ頭をガリガリとかいて、照れ臭そうに話す。

「あー。うん。そうだけど」
「え!? マジで?!」

 その話を聞いていたのは2年の斎藤雅俊だった。コンビニで飲み物を買った以来犬猿の仲だった。
 
「お前のうち、花屋なの?」
「……」

突然、後輩が先輩の教室に入ってきて、話に割ってくる神経が気に入らない凛汰郎はだんまりを続けた。

「なるほど~」

雅俊は、雪菜の机に寄りかかって顎に指をつけた。

「だから、あの花……。だよな、急に、男が花を持って行ったらキモイよなぁ。花屋って聞いて安心したわ」
 
 独り言のようにぶつぶつという雅俊。隣にいた伊藤あゆみも反応する。

「斎藤くん、急にどうしたん?」
「え、伊藤さん。この人知ってるの?」
 
 凛汰郎は、指をさしていう。

「えっと、元部活で一緒だったのよ。中学の時、同じ学校で。先輩、後輩」
「伊藤先輩こそ、ここのクラスだったんっすね。知りませんでしたよ。今日は、雪菜に会いに来たんですけど、いないっすね。購買でも行ったのかな」
 
 窓際に駆け寄って、外を眺める。

「……というか、あんた、送ってもない花で名前、名乗っただろ」
「あ……。やっぱり、あれ、先輩だったっすね。ここでバラすんですか? 本人いないけど、大丈夫です?」
「俺じゃない」
「またまた強がっちゃって……。でも、俺の性格ではあんなことしないかな。なんとなく、陰キャラがしそうかなぁって……。黙っておくってことは俺しないし」

 喧嘩を売るように話す雅俊の頬に強烈なパンチが入った。

罰悪くその良くないシーンで、雪菜が緋奈子とともに購買で買ってきたビニール袋を持って、教室出入り口で目撃していた。

「は? なにすんだよ!?」

 雪菜が来てるとは知らずに乱闘騒ぎになる。横では伊藤あゆみが雅俊をとめて、その隣では凛汰郎の両腕をおさえる
 五十嵐竜次がいた。慌てて、雪菜がもめている中の間に入った。

「ちょっと2人とも、やめて。原因は一体何なの?」

 息が上がって、両者とも頬は赤くなる。お互いに黙ったまま、何も言わない。

「そうやって、黙るの良くないと思うんだけど……」
「……さっき聞いてた話では、花がどうたらこうたら言ってたよ」

 伊藤あゆみが声を出した。
 
「花?何のことだろう」
「凛汰郎の家が花屋なんだってさ」
 
 竜次が興奮した凛汰郎をなだめながらいう。

「え……」

 なんとなく、花と聞いて思い出すのは、雪菜が入院していた時にもらった
 お見舞いの花束。雅俊から受け取ったはずだけども、この2人が殴り合うということは何かがおかしいと察した。

「もしかして、入院中に届けてくれた花って雅俊じゃなくて、凛汰郎くんなのかな?」

2人とも何も言えずにずっと黙っている。いたたまれなくなって、凛汰郎は廊下に飛び出していった。

「雅俊、嘘ついていたの?」
「そんなの知らねぇよ」

 そう吐き出すと教室を出て行った。
 クラスメイトたちは、なんだかもやもやした空気の中、それぞれの座席に着席した。

「雪菜、モテモテだねぇ」
「そんなじゃないでしょう、別に」
「え、付き合ってないの?」
「えーだって、誰と?」
「雅俊くんとじゃないの?」

 雪菜はまさかと首を横に振った。

「幼馴染だよ。近所だし」
「あ、わかった。んじゃ、凛汰郎くんと?」
「ブッブー。部活が一緒ってだけ。違います」
(そうなれたらいいなぁとは思うけど、緋奈子にはまだ黙っておこう)

「もう、高校生活あと少しで終わるんだから、恋の1つや2つ、進展させてみようよ」
「努力します!」

 雪菜は机に両手をついて、軽く緋奈子にお辞儀をした。
 購買部で買ってきた大きいパンを大きな口を開けてほおばった。コーヒー牛乳がのどを潤した。
 まさか、雅俊と凛汰郎が乱闘するとは思わなかった。
 なんとなく、教室を飛び出した凛汰郎が気になって、パンを食べ終えると、凛汰郎の後を追いかけた。
 昼休みの廊下は生徒たちの会話でざわついていた。
雪菜は口元にパンかすをつけながら、凛汰郎を探そうと教室から廊下に出た。
どこにも姿はなかった。

昼休みに行きそうなところを考えて、石畳が広がる中庭に行ってみると、そこにはひとりで購買部のパンをベンチで食べる凛汰郎がいた。今まで、同じクラスで、2人きりになって話したことはなかった。部活では、多少部活動で話さなければならないが、個人的な会話をするのは初めてだった。近づくだけでドキドキがとまらない。

屋上から飛び立ってきたハトが、凛汰郎の近くにやってきた。
あまりにも大きいパンだったためか、一口ちぎって、ハトの餌にしようとしていた。

「あ!」
「え、あ……ん?」

急に声をあげた雪菜にびっくりした凛汰郎は、ちぎったパンを自分の口にいれた。 

「えっと……隣……」

 雪菜は隣を指さした。

「?……どうぞ」

 なんでここに来るのかと状況が読めなかったが、言われるまま要求をのんだ。

「ありがとう」

 授業を受けている雪菜は部活をしているときと違って、さらりと髪をおろしていた。シャンプーなのか、制汗剤なのか、移動するたびにふんわりといい匂いがした。凛汰郎は、少し頬を赤く染めた。

「聞いてもいい?」
「ああ……」
「凛汰郎くんの家って、花屋さんなの?」
「……まぁ」
「いいね。花に囲まれてて。私、花好きだから。そういや、この間の入院中に持ってきてくれたの花って凛汰郎くんなんだよね?」
「え、違うけど。俺、行ってないし」

 目がキョロキョロ動いて、話している。

「……嘘つくの下手だね」

 クスクスと笑って、口元をおさえた。

「行ってないでしょう。会ってないし」
「ありがとう。ソネットフレーズだっけ」
「違うよ、ソネットフレージュ」

 雪菜はさらに笑った。雅俊と同じ間違いをしていた。そして、花を贈ってくれたのは凛汰郎なんだと確信した。

「やっぱり、凛汰郎くんだ」

 笑いながら、目に涙を浮かべた。

「な、なんで笑うんだ」
「ごめん、ごめんね。面白くて。花の名前間違うのが、雅俊と一緒だったから」
「え、間違ってないし。だって……。あ……」
 
 凛汰郎はスマホをズボンのポケットから取り出し、検索ワードに『ソネットフレージュ』と打ち込んだら、花が一つも出てこない。
 改めて、『ソネットフレーズ』と打ち直したら、一番上に写真つきで表示された。

「ほら、名前、違うでしょう?」

 雪菜は、凛汰郎が見ているスマホをのぞき込んで指さした。かなりの至近距離で、ささっと体を遠ざけた。
 顔や耳までが真っ赤になっていた。一瞬、凛汰郎の耳元に吐息がかかっていた。

「あ、ごめんね。近いよね。気をつけます……」
 
 背筋ピンとして、座りなおした。

「こ、こっちであってるんだな。勉強になった。花屋の息子なのに知らないのは親父にしずられるから助かったよ」
「ん? お父さんかな。しずられるの? 怒られるんじゃないんだね。楽しいそうな家族……」
「……話し過ぎた。そろそろ、教室もどる」

家のことを話すのは恥ずかしかった。凛汰郎は、顔を赤くしたまま、立ち上がって、教室に戻っていく。

「え、待って。同じクラスなんだし、一緒に行こうよ!」

凛汰郎は黙って、すたすたと歩く。雪菜はその後ろを3歩ほどさがってついていく。背中で手を組んで、少し心がホクホクとあたたかくなった。隣じゃないが、一緒の方向に歩いてるそれだけでうれしかった。

教室につきそうになると、突然、女子グループに囲まれた。

「すいません、3年の白狼雪菜先輩ですか?」
「え、あ。そうですけど」

びくびくと恐れながら、返事をした。背の高い眼鏡をかけたショートカットの女子生徒は、仁王立ちしていた。

「先輩は、斎藤雅俊くんと付き合っているんですか?」
「え? 雅俊? 幼馴染で付き合ってはいませんけども」
「みんな、付き合ってないって。大丈夫じゃない?」
「え、あのあなたたちは?」

ひそひそ話をする女子たちは、雪菜を囲む。

「私たち、斎藤雅俊君のファンクラブです。彼女になるには、ファンクラブに入ってからみんなに認められて、初めてなれるんです」
「どんな決まり? 雅俊の気持ちは置き去りなのかな」
「それは、本人が決めることなので、先輩には関係ないです」
「そうなのね」

 雪菜はあきれた顔をする。ぞろぞろと斎藤雅俊ファンクラブのみんなはいなくなった。
 雪菜は、一瞬で一人になって廊下から教室の窓の風が吹くと猛烈に寂しくなった。
 教室に入ると同時にチャイムが鳴る。

「雪菜、大丈夫?」
 
 緋奈子が聞くと、雪菜は深呼吸をして、座席に座った。

「うん。まぁ、何とか。雅俊にあんなファンクラブ出来てたとは」
「モテモテだねえ。雅俊くん。雪菜、付き合うってなったらライバルがたくさんだわ」
「なおさら、無理だよ。ファンクラブの人たちににらまれそうだもん」
「確かに……」

 その様子を見ていた凛汰郎は、口角をあげて、笑みを浮かべていた。
まったりとした夜ののんびりタイム。雪菜は部屋で今日の学校の宿題である
英語の教科書の日本語訳を必死で辞書をひきながら、解いていた。

徹平の部屋からナイスやちくしょーなどゲームをする声が響いてうるさかった。いつもだと、ヘッドフォンをして静かにゲームしているはずなのに、今日はやけに声が大きい。インターネットをつないでやってるオンラインのはずが声が2倍ですごく大きく聞こえる。

宿題に集中できないと思った雪菜は、バンッと英語のノートの上に辞書を置いて、徹平の部屋にノックなしで入って行った。

「ちょっと!徹平!!! ゲームの音大きいんだけど、宿題するからもう少し音小さくしてもらえないか……な。あ、あれ?」
「ちぃー--す」

 スマホをポチポチといじりながら、徹平のとなりにいたのは、雅俊だった。オンラインでゲームしている声だと
 思ったら、実際にこの部屋に入っていた。

「ちょっと姉ちゃん、ノックもなしに入ってこないでよ。俺が着替えてたら、どうするんだよ。恥ずかしいでしょう」
「誰が恥ずかしいか。というか、雅俊いつからいたの?」
「ひ・み・つ」

 口に指をあてて、投げキッスをする雅俊。思いっきり嫌な顔をする雪菜。

「ほら、てっちゃん、ゲーム始まるよ。準備して。次はてっぺんとってやるからな。100人切りしてやるぞ」

 銃で敵をやっつけるシューティングゲームを夢中になってやっていた。
 
「はいはい。まーくん。俺のフォローよろしくね」
「わかってますよ。任せとけ」
「ちょっと、2人とも私の話聞いてる? 大きい声出さないでね」
「はいはーい」
「それ絶対聞いてない返事。というか、雅俊、平然とそこにいるけど、あんたのファンクラブだかなんだか、しっかりしてよね。今日、私、ファンクラブ隊長みたいな人に睨まれたんだから」
「は? なにそれ。俺、知らないよ?」
「本人が知らずところでファンクラブができるって? そんなまさか。怖い怖い」
「俺はモテるってことだな。モテる男はつらいぜ。な、徹平、気をつけろよ」

 髪をかきあげる雅俊は、徹平の肩をバシッとたたく。

「ちょっといいから。スマホ、しっかり持って。銃口向けて、打って。敵来てるよ?」
「お、おう」

 2人でオンラインゲームに夢中になっている。雪菜は呆れて、部屋を出た。

「まったく、男子ってやつは……」

 ぎゃーぎゃー騒ぐ徹平の部屋をもう気にせずにヘッドフォンをつけて、宿題に集中した。
 今日は週末の金曜日。明後日の日曜日にある試合に向けて、やっておくべきことはやっておこうと思っていた。

スマホにライン通知の音がなった。

『試合のお知らせ』のタイトルに集合時間とバスの発車時刻が書かれていた。外部委託のバスが手配されていて、朝早くに集合となっていた。今回の試合は個人戦と団体戦が行われる予定だった。雪菜は今回の試合が3年で最後の出場の試合だった。 事故でけがした足もすっかり治っていて、試合に出れることに喜んでいた。
 
 でも、まだ体の調子が戻っていなくて、練習で放った矢の的が落ち着かず、真ん中に当たらず、外れることが多かった。
 凛汰郎とだんだんと自然な会話ができるようになっていた。的が外れていることを気にかけてくれていて、

 「今日は風が少しあるし、たまたまだろ」

と励ましてくれた。

 いつもだと、外れてよかったなといじわるを言われていたのになんだか、入院してはなれてから優しくなっていた。なんでだろうと疑問をもちながら、何度も矢をひいていた。机の上で頬杖をついて、部活のことを思い返すと、笑みがこぼれてしまった。

ドアの隙間から雅俊が雪菜をのぞく。

「きもっ」
「は?! 人の部屋、勝手にのぞくのやめてもらえる? 用事が済んだら帰って!」
「ひど。お客様にその態度。なんて日だ!!」
「い、いやいや。そのタイミングで小峠さんなんて面白くないから。はやく、どうぞ。ご帰宅くださいませ」

 雅俊の背中を押す雪菜は、階段をおりると電子タバコの一服に行こうとするスーツ姿の父の龍弥と鉢合わせする。

「あれ、雅俊、いつの間にいたの?」
「えっと、昔から?」
「は?!」

 なぜかガチギレする龍弥に雅俊は、失言だったと、慌てていた。

「ご、ごめんなさい。お邪魔しましたぁ」
 
 そそくさと、その場から逃げ出していく。慌てて履いた靴が半分かかとの部分をつぶしていた。

「別にいいんだけどさ。家上がる前に、声かけろよ。徹平、あいつに言っておいて」
「まーくん、俺の部屋の窓から侵入してたから……」
「はぁ!? 住居侵入者だな。徹平も、ゲーム楽しいのわかるけど、勉強を疎かにするなよ?
 中学生だって、難しい問題これからたくさん出てくるんだからな」
「……ほーい」

 徹平は自分の部屋に駆け上がっていく。龍弥は灰皿がある外に一服に向かった。呼吸を整え、空に煙を吐く。
 
夜空には下弦の三日月が光っていた。



○○○


早朝の学校にて、雪菜を含めた弓道部の部員たちは、バスに乗り込んでいた。座席は、なぜか、凛汰郎の隣になっていた。部長と副部長だからと理由だからと言われていたが、納得できなかった。そう思う反面、本当は隣になれてうれしかったりする。


「出発するよ? 忘れ物ないよね?」
「はーい」

顧問の白狼いろはは、運転手の小林さんの近くに座って、発車するよう、うながした。
雪菜は、窓際で、ほぼ外しか見れない。何を話そうか迷っていた。

「今日、遅刻してないな」

ぼそっと話したのは凛汰郎の方だった。

「え……。うん。さすがに試合だから、今日は親に起こしてもらって車で送ってもらったよ。実は、寝坊……してたから」
「……あ、そう」

 バスの通路側に顔を向けて、手で顔が見えないように隠した。凛汰郎は笑ってはいけないと体が震えていた。

「凛汰郎くん、笑ってもいいよ? 怒らないよ?」
「別に。笑ってないし……」

 そういいながら、顔を腕で隠す。

「先輩、何の話で盛り上がってるんですか?」

 菊池紗矢が後ろの座席に座っていた。にょきと頭を出して、2人に聞いてきた。

「紗矢ちゃん。なんでもないよ」
「なんだ、つまらないな」
「ごめんね、何もなくて」

 すっと横を見ると、無表情の凛汰郎が見えて、逆にその姿に雪菜は笑いをこらえるのは難しかった。紗矢の前では、素の姿を見せたくなかった。またその様子を見た紗矢は楽しそうでうらやましいと思った。

試合会場につくまでに終始和やかに過ごしていた。
弓道の試合会場は、県内の高校生が集まるため、駐車場も広く、花壇や針葉樹など植えられていて整っていた。天候にも恵まれて、気持ちもどことなく晴れやかだった。デザイナーが設計されたのか、斜めに下がる屋根の黒い建物の中に 皆、弓道道具を持って、次々と中へ入って行った。

保護者などの観客は、体育館ホールの座席があった。バスとは、別に雪菜の両親は、自家用車で後を追いかけては、上の方に座り、様子を伺っていた。

「なんだか、こっちまで緊張してくる。 いろはちゃんの時はどうだったんだろう。雪菜、大丈夫かな」

 菜穂は、手元にハンカチを握りしめて、座席からそわそわと立ったり座ったりと袴姿の雪菜を目で追いかけた。

「緊張しすぎじゃない? 菜穂が参加するわけじゃないんだから」

 龍弥は、菜穂の背中をよしよしと撫でて、落ち着かせた。

「いろはの試合の様子は、見たことないけど、じいちゃん、ばあちゃんに聞いた話では、あいつは、本番でも堂々とした姿してたって言ってたわ。ま、雪菜もおっちょこちょいなとこあるけど、ああいうのは、平気なんじゃないの? そうでなければ、部長つとまらんでしょう」

「そうなんだ。やっぱり、雪菜が弓道やりたくなったのっておばちゃんの影響あるんでしょう。いろはちゃん、全国大会まで行ったって聞いたから。県大会優勝トロフィー見て、すごいねって感心したのを雪菜が小学生の時に見てたから」
「へぇ、そうなのか。それは初めて知ったかもな。学校での部活は見たことないし、
 実際の弓道見るのも初めてだからな。しっかり動画撮らないと……」

 龍弥は、ズボンのポケットからスマホを取り出して、準備していた。電子掲示板に第一射場の男子団体戦メンバー5名が
表示された。雪菜と同じ高校の生徒の平澤凛汰郎をはじめ、1年2年の部員生徒たちが書かれていた。

 試合では、1人4射ずつはなたれ、的にあったら○となり、外れてしまったら、×となる。
 その○になった数で競い合う。5人で4射で平均12射以上打てれば、成績が良い方だ。

 凛汰郎が一番先に放つ大前というポジションだった。大前は、一番最初の1射目を中てることで流れを作る。チームの主将やエースがこの役回りになることが多い。

 3年で副部長でもある凛汰郎は、動じることもなく、集中して、射法八節を繊細かつ、一つ一つを大事に行動していた。 例に見習って、後輩たちも緊張感が増し、集中して、矢をひくことに専念できた。

 ただ、お互いの協調性がいまだ打ち解けていないらしく、矢を的に当てられるが、神経が途切れて、落ち前の2年 佐々木大我《ささきたいが》と落ちの1年 長谷川晴也《はせがわはるや》が4射中2射を外してしまっていた。他の大前の凛汰郎は全的を中てて、○は全部に記していた。弐的の2年鈴木 奏(すずきかなた)は、4射中、3射を打ち、中の2年及川 浩平(おいかわこうへい)は、4射中、4射中っている。本来ならば、中ったときに褒めたり、喜んだりするべきなんだろう。凛汰郎は、人に媚びを売るのを恥ずかしいと思っているため、ただ、副部長として、拍手を送ることしかできない。
  
  後輩たちは、それを不満に思うことが多かった。それでも、自分は自分と考える及川は、目の前の矢に集中して、楽しく競技に参加できていた。

 試合がすべて終わって、休憩していると、及川は凛汰郎に声をかけた。

「平澤先輩、俺、初めて大きな試合参加したんですけど、めっちゃ楽しかったっす。なんだか、全然違うんすけど、スマホのあれ、ほら、オンラインゲームの銃向けるのあるじゃないですか。この弓道もそれと似てるなって楽しめました。知ってます? ナイズドアクト」

 それは、雅俊と雪菜の弟の徹平もハマってるスマホのバトルロワイヤルオンラインゲームだった。

「ああ。知ってる。それ、ランク、ダイヤモンドだから」

 凛汰郎はさらっと答える。何でも一番になっていないと気が済まないため、ランクの最上級に君臨していた。

「マジっすか。俺、まだ、マスター止まりっすよ。え、んじゃ、今度、一緒にしましょう?」
「……」

黙っていたため、やりたくないかなと思ったのか、いつの間にか、スマホを取り出して、ゲームのIDを送信する気満々だった。友達が少ない凛汰郎はまさか話しかけてもらえるなんてと、心の中ではすごく喜んでいた。度と心が一致していない。顔はこわばっている。

「いいっすよね? 平澤先輩?」

黙って首を振ってうなずいている。

「あ、ちなみに、同じ学校の2年の斎藤雅俊っているじゃないですか。そいつもたまに参加するんで、ラインも教えてもらっていいすか? いつゲームする時間とか……?」

 目がキラキラしていた。ゲームを友達とするなんて、しかも時間を決めるとは?! 継続してゲーム相手してくれるとは?! と小学生以来の喜びでしかなかった。その気持ちが勝り、斎藤雅俊という名前をスルーしていた。

「あ、ああ。いいよ。はい。ID」

 凛汰郎は、何ともない表情に戻して、ライン交換し合った。もう、試合結果どころではなかった。自分自身の成績はよかったが、
 団体戦そのものは強豪校がそろっていたため、惜しくも敗退していた。次は雪菜が出るの団体試合だというのに、ゲームの誘いで有頂天になっている凛汰郎だった。
試合会場はざわついていた。とうに試合が終わった男子団体メンバーは観客席に移動していた。

電子掲示板に第1射場の女子団体の文字が書かれている。始めという合図とともにアナウンスの声が響いた。
「女子団体 第1射場 T高校
 大前 白狼 雪菜 選手
 弐的 菊地 紗矢 選手
 中  楠木 彩絵 選手
落ち前 大岡 美咲 選手
 落  日下 真緒 選手」

それぞれの射場で順番に弓に矢を固定していく。会場全体は、とても静かになっていて、息をのむ瞬間だった。雪菜から、まずは第1射放たれた。的に中った瞬間に「やー」と言ったかけ声が響く。中らなければずっと静かになる。競技する時間はみな、終始緊張していた。

龍弥と菜穂は、ルールを理解していてもやーと言うかけ声をすることはせず、ただただ見守っていた。

大前  4中/4射 
弐的  3中/4射
中   3中/4射
落ち前 3中/4射
落ち  2中/4射

女子団体の結果は15中/20射でなかなかの好成績だった。
雪菜はすべて的中していて満足そうな顔をしていた。

団体試合を終えて、これから個人戦の準備という中、観客席で水分補給をする凛汰郎を見つけ雪菜は、駆け寄った。

「お疲れ様。男子団体、残念だったね。でも、午後の個人戦は、凛汰郎くんがきっと勝ち進むね。昨年は、準優勝まで行けたから今年はきっと……」

 胸元でガッツポーズをして、話していると急に凛汰郎は、雪菜の顔に手を伸ばした。何も言わずに近づいてくるので、ドキッとした。

「髪、食ってる」

 頬に伸びていたおくれ毛が口もとに来ていたらしく、手でよけてくれた。

「あ、ごめん。ありがとう。全然、気づかなかった」

 恥ずかしすぎて、目も合わせられない。凛汰郎はなんてことない顔をしている。

「女子団体は、惜しかったな。第4位ってさっき聞いた。S高校は今年も強かったみたいだな」

 はっと気持ちを切り替えて、いつもの顔に戻る。

「無理無理。あそこ、パーフェクトだったみたいだからいくら好成績でも太刀打ちできないよ。1年生も足並み揃えて試合に出てくれただけでも助かるよ。良い経験だった」
「雪菜先輩! 個人戦の会場に行きますよぉ」

 階段の踊り場近くで叫ぶ紗矢がいた。雪菜は振り向いて、手を振った。

「ごめん! 今、行く。んじゃ、凛汰郎くん、頑張ってね」
「ああ」

 凛汰郎も荷物を持ち、試合会場へ移動した。個人戦は、男子女子のそれぞれの会場に移動して、一人8射を競い合う。10名ほど1列に並んで次々に矢を引いていく。的に中るたびに「やー」と声が上がる。

 凛汰郎は8射のすべての矢が中り、上位決定戦の試合までこぎつけた。

 同校の他の男子部員は、2年の及川浩平8射をすべて的に中てられた。他の部員は何射かをミスをしてしまい、脱落していた。上位決定戦は、同じ高校の対決になってしまった。

 上位3名の決定戦は、3年 平澤凛汰郎と2年 及川浩平とS高校の3年 斎藤陸翔《さいとうりくと》との勝負だった。この試合では、1人4射放つ。感情を押し殺し、目の前の的だけに集中して、1つ1つの矢を引いた。静けさを増す。

 平澤 凛汰郎 ○○○○ 4中/4射
 及川 浩平  ○○×× 2中/4射
 斎藤 陸翔  ○○○× 3中/4射

 結果として、男子個人戦は凛汰郎が優勝した。会場で拍手が沸き起こっていた。続いて、女子の個人戦が行われた。T高校の女子が並び、S高校の女子も横に並んでいた。雪菜は一番端で準備していた。

 龍弥と菜穂は息をのんで、動画を撮り続けていた。深呼吸してから、1本1本の矢に気持ちを込めた。矢を引いた瞬間にビュンと風が吹いた。8射をすべて、いつも通りに邪念を消して、ど真ん中に打つことができていた。

 観客席から、手すりに手をつけて、凛汰郎も真剣に雪菜の競技を見つめた。

 上位3位決定戦では、全部が他校で、残念なことに後輩たちは、すべて中てることができなかった。今度は強豪校のS高校が2人も参戦していた。

S高校 2年 中川 桜 ○○×× 2中/4射
S高校 3年 庄司 優月 ○○○○ 2中/4射
N高校 3年 白狼 雪菜 ○○○× 3中/4射

というような試合結果になり、惜しくも雪菜は、準優勝となった。

男子個人でトロフィと賞状を獲得し、雪菜は賞状を獲得できた。

試合を団体戦と個人戦、結果発表とすべて、終えて、部員たちが出入り口付近で荷物をまとめていると、雪菜の両親が声をかけた。

「雪菜、試合、お疲れさま。頑張ったわね」
「よく頑張ったな」
「お父さん、お母さん。見てたんだね。うん。賞状もらったから、最後の試合に満足してるよ」

 3人で話していると、横から顧問のいろはが声をかけた。

「お兄、来てたんね」
「おう。お疲れ」
「いろはちゃん。お疲れ様。元気にしてた?」

 菜穂は、久しぶりに会ういろはを見て背中をポンっとさすった。

「菜穂ちゃん。元気よ。試合、雪菜、参加できて本当よかったね。事故に遭ったときはどうしようと思ったよ。3年生だし、これ出なかったら絶対悔い残るって思ってたから」

 腰に両手をあてて、安心するいろは。

「おかげさまで、先生の励ましがあったから試合に出れました。ありがとうございます。悔いはないです」

「先輩? 先生と雪菜先輩のお父さんってご兄妹なの?」

 紗矢は横から雪菜に話しかけた。

「紗矢ちゃん。そうなの。お父さんと先生は実の兄妹なの。ごめんね、親戚絡みで」
「白狼、バスの発車時間過ぎてるぞ?」

 凛汰郎が雪菜に声をかけた。

「え、うそ、それは大変だ。んじゃ、お父さんたちあとでね」
「車乗ってってもいいだぞ」
「だめ、わたし、部長だから!!」

 慌てて、部員たちとともにバスに乗り込んでいく。責任感強いんだなと感心する龍弥だった。試合でかなり疲れたらしく、凛汰郎の左肩をいつの間にか借りいて、頭をのせて寝ていた。

 凛汰郎は、雪菜の頭を調整しながら、緊張しすぎて、眠りにつくのは不可能だった。
 
 目のやり場にも困りながら、学校に着くのはいつだろうと考えた。
 もう少し時間が止まってくれたらいいのにと願った。

 空はオレンジ色の夕日に照れされて、カラスが鳴き続けていた。