木の上で鳩が休んでいた。鳩の鳴き声が学校の中庭で響いていた。木で作られていた渡り廊下を弓道部の数名の生徒たちがキャッキャと騒ぎながら歩いていた。やっとケガが治って学校が解禁となった雪菜が部活に来るというを聞いていた後輩たちは喜んでいた。
部長がいないと部活動自体が成り立たないということがわかる。部長の雪菜がいない間はどうしていたかと言うと、代わりに凛汰郎が副部長として担っていたが、役割は果たしていなかった。部活に来ては、お辞儀をして挨拶したかと思ったら、すぐに矢を引きに行き、部員たちは基本放置して、それぞれやってくれというような雰囲気。3人同時に矢を引く射場があるのだが、凛汰郎はずっと端っこで独占して稽古していた。残りの部員たちは2箇所の射場を交代で稽古していた。凛汰郎はすべて黙ってこなしていくため、部員たちからクレームが上がっていた。
コミニュケーションがとにかく苦手の凛汰郎は行動や仕草を見せればすぐわかるだろうと浅はかな考えでいた。それはよろしくないと2年の菊地紗矢は、顧問の白狼いろはに相談した。職員室にて、いろはと紗矢は話していた。
「菊地、ごめんね。すぐに部活に顔出せればいいんだけど、こっちの業務も残ってて、どうした?」
「実は、雪菜先輩がお休みになってから部活の雰囲気が最悪なんです。先生、どうにかしてもらえます?」
「え、なんだって。もしかして、副部長の平澤の影響?」
「そうです。あんなに雪菜先輩に部長かわるかとか言ってる割に全然部活のこと考えていないんですよ、平澤先輩。自分だけずっと稽古して、ずるいんです。1人で何本矢を使う気なんだか……」
腕組みして、ため息をつく。
「えっと、ちょっと待って、一応は部活の決まりで1日何射までって決めてなかったかな。それ以上1人で練習してるの?」
「雪菜先輩休みになって、いなくなってからずっと、独占して同じ場所で黙々と……。後輩はどうするかとか考えてくれてないんです」
「コミニュケーションは苦手だろうなっていうのは知ってたけど、それほどまでに……。副部長にしたのは、3年が雪菜と平澤しかいないからなんだけどなぁ。よし、今日はこっちの仕事諦めて、部活に行くから。菊地は先に行っててくれない? 追いかけるから」
いろはは、席を立ち、引き出しに入れておいた帽子を頭に被った。
「わかりました。よろしくお願いします」
***
凛汰郎は、相変わらず、ずっと1人で矢を引いていた。数なんて数えずにとにかく、的を中央に射ることだけ考えて、目を酷使しながら、やり続けていると、校舎側から顧問のいろはと、菊地紗矢が弓道場に入った。殺気立っていたため、恐れていた後輩たちは端っこの方で見学をしていた。
「みんなお疲れ様〜。ちょっと話あるから、集合してもらえる?」
いろはのかけ声で、凛汰郎はハッと気づき、集合と叫んだ。弓道着を着てた部員たちが、いろはを中心に集まってきた。
「よろしくお願いします」
と副部長の凛汰郎が声掛けすると、みんなも続けて挨拶した。
「今、部長の雪菜がけがで休んでる訳だけど、代わりに副部長である平澤に役割を頼んでる訳なのね。ちょっと、相談受けたんだけど、部活動としてはよろしくない雰囲気だと聞いたけど、平澤何かある?」
「あー、すいません。稽古中、ずっと1人独占で矢を引いてました。納得のいく矢を引けば、参考にしてもらえると思いまして……」
「あー、ごめん。平澤、そのことを部員たちに説明してたのかな」
「……いえ。何も言ってません」
「そっか、何も言ってないのね。それでみんな誤解してるのよ。きちんと会話しよう。雪菜と平澤のやり方が違うのはわかるけど、混乱を招くからわからないことあったら、すぐに私に聞きに来て」
「そうですそうです!! しかも、平澤先輩ずっと同じ場所で、私たちばかり2つの射場をローテーションしてたので練習量が足りません。もうすぐ、新人戦あるのに……」
1年の楠木彩絵が叫んだ。鬱憤がたまっていたようだ。
「あ……」
やっと自分がやっていたことに気づいた凛汰郎は、居た堪れなくなった。
「そうだね。新人戦近いから、1年にたくさん練習させないと成績が上がらないね。んじゃ、ここから切り替えて、3つの射場でローテーションして、練習してもらっていいかな。あと、弓道は矢を的にあてることももちろん大事なんだけど、姿勢とか放つまでの工程とかが重要だからそこもしっかり練習してね。基本ルールの射法八節ね。忘れないように、ね! 平澤くん!」
いろはは、凛汰郎の肩を軽く叩いた。副部長として、役割を果たせないと感じた凛汰郎は、不機嫌になり、突然帰る支度を始めた。
「ちょ、ちょっと、平澤くん。何、帰ろうとしてるの?」
「俺、無理です。帰ります。新人戦の練習の邪魔しては悪いので、帰ります」
テキパキと荷物をまとめて、深々と姿勢良くお辞儀しては、更衣室の方へ行ってしまった。止める暇もなかった。
「先生、平澤先輩、帰ってしまいましたね」
「全く、これだから、雪菜いないと何もできないね。あの人は」
両手を腰にあてて、ため息をつく。
「え、そうなんですか? 平澤先輩が?」
「なんだかんだ言って、あの2人は、一緒にいて調和するっていうかバランス良いのよね。相性が良くないようにして、実は良かったりして? でも、みんな安心して。来週、雪菜が復活するから。まだ、弓道着は着れないけど、見学しながら、みんなの指導に入ってくれるから」
「本当ですか!? 楽しみです」
「それは嬉しいです」
他の部員たちも喜んでいた。一瞬空気がはなやいだ。
「もう、何だか今日は、しっくり来ないだろうからこれで終わりでいいよ。菊地、代わりに部員をまとめてくれる?」
「わかりました。それじゃ、後片付けしましょう!」
「はーい」
菊地に部長の仕事は任された。弓道場はさっきの殺気立った雰囲気から一気に柔らかくなった。部長が代わるだけでかなり空気感が違う。凛汰郎は想像以上に傷ついていた。役割を果たせなかったこととプライドがズタボロに崩れた。あんなに意気込んで雪菜に部長を代わると言ってた自分が情けなくなった。
「お疲れさまです。長い間、お休みしちゃってごめんなさい。みんな元気にしていたかな。これ、差し入れのバアムクーヘン持ってきたから食べてね」
雪菜は、制服姿のまま、松葉杖をついて弓道場に訪れていた。
手には紙袋にバウムクーヘンを部員のために買ってきていた。
「おかえりなさい。雪菜先輩。待ってましたよぉ。もう、大変だったんですから。いただきます、やったあ」
弓道着を着た1年の楠木が雪菜にハグをしてお菓子を受け取って話し出す。
「えー、どうしたの? 私いなくて寂しかった?」
「寂しいのはそうですけど、だってぇ、副部長の平澤先輩が……」
「彩絵、しっ!」
同じ1年の細川絵莉が凛汰郎が弓道場に入ってくるのが見えたのを指差した。
「あ……」
「なになに。もしかして、凛汰郎くんの話? 大体予測はつくけどね」
小声で話す雪菜は、後ろを振り返るとなぜか来たばかりの凛汰郎は、制服姿のまま校舎の方へ戻ろうとしている。
それに気づいた雪菜は慌てて追いかけた。
「ちょ、ちょっと凛汰郎くん!! 待って、あっ……」
ズテンと転んだ雪菜。松葉杖が地面にひっかかっていた。膝をぶつけていた。
「いたたた……」
それに気づいた凛汰郎は、急ぎ足で戻ってきた。何も言わずに、腕を引き上げて起こしてくれた。
「あ、ありがとう」
「まだ治ってないんだろ……」
「う、うん。まぁ、そうなんだけど。部活始まるんだから、なんで帰るのかと思って」
「……帰ろうと思ったけど」
「え、なんで、帰るの?」
「やっぱ戻るわ。引き止められたから」
「ん?」
よくわからないまま、弓道場に戻ろうとした。
「白狼、俺、やっぱ、間違ってたわ」
後ろ向きのまま話し続ける。
「え? 何が?」
「部長代わるって簡単に言って悪かった」
「え、ああ。そのこと? 随分前のことだから覚えてないよ。気にしないで。ほら、稽古しに行こう」
本当はすごく傷ついていたが、傷ついていないふりをした。それを言ったことで凛汰郎が困るのを見たくなかった。顔がふっと緩んでいたのを見て、安心した。
「あのさ、白狼、入院してる時、花飾ってた?」
「え、あーー。そうだね。なんか、雅俊が贈ってくれたって言う話だけど、あの人花なんて全然興味ないくせに
変なのって思ってさ。ん? 凛汰郎くん、なんでそんなこと聞くの?」
その話を聞いて、凛汰郎は、ムカムカと止まらなかったが、グッと堪えて、耐えた。怖い顔をおさえるのが逆に
気持ち悪い顔になっていた。
「え、どうかしたの? すごい変な顔してるけど……」
「……いや、綺麗な花だったんだろうなって」
「ん? そうだねぇ……雅俊がソネットフレージュの花だって言ってて、それ違うよってソネットフレーズだよって教えてあげたんだけど」
状況が読めずに雪菜は花の出来事を話し続ける。
「え、ソネットフレージュでしょう?」
「え、違うよ、凛汰郎くん。ほら、見て」
雪菜はスマホを見せて、正式な名前を確認させた。
「あ、本当だ」
「ここにも間違う人いたね。雅俊と同じ間違いするんだ。男子って細かいところ
気にしないもんね。なんでだろう……」
そういいながら、スマホをぽちぽちと触ってバックにしまおうとした。
「それ、俺だから!!」
黙っていられなくなった凛汰郎は叫んだが、雪菜には理解不能だった。そこへ、雅俊が通りかかる。
「あ! 雪菜、大丈夫なのか? 今日から部活参加するの?」
「雅俊! ううん、今日は見学しながら、後輩指導だよ。まだ松葉杖だしね」
「そっか、あんま、無理すんなよ。ん、誰?」
雅俊は、雪菜の横に立ち、近くにいた凛汰郎を指差す。
「誰って指差すな。先輩。3年の平澤凛汰郎くんだよ。」
「あー、弓道部の。どうも。雪菜がお世話になってます」
「誰がお世話よ。保護者じゃないんだからやめて」
「……」
「ごめんね、凛汰郎くん。この子、ウチの近所に住んでて幼馴染なの。生意気だからしごいてくれないかな」
「そっか。どうも」
眼力を強めに凛汰郎は、雅俊を睨みつける。
「こわっ」
「こら!!」
「それじゃぁ、お邪魔しましたぁ」
雅俊は、睨みを恐れて急いで、体育館の方へ進んでいく。
「ごめんね。生意気で。申し訳ない」
「白狼が謝ることはない」
「まぁ確かに。んじゃ、行こうよ」
松葉杖を横に無意識に凛汰郎の制服シャツをくいっと引っ張った。
少し接近したため、凛汰郎は頬を赤くして黙っていた。
屋上に飾られているカザミドリがカラカラと急いで回っていた。
雪菜は、久しぶりに弓道場で、稽古を見学した。
まだ松葉杖をついていたため、本格的な稽古はできなかったが、雰囲気を味わい、自分も参加している空気感を取り戻した。
後輩たちは、真剣に的を当てにいっている。姿勢も正しくできていて、申し分なかった。
ふと、椅子にすわって見ていると頭の中でさっき凛汰郎がさけんだ『それ、俺だから』のセリフが頭の中から離れなかった。
(凛汰郎くん、俺だからってどう言う意味だったんだろうなぁ……)
ふと、稽古に熱心な凛汰郎を見ると、これから的を打つぞという体勢だったが、雪菜の視線が気になったのか、こちらをチラリと見ては、怖い顔をしていた。
(え、私睨まれてる? なんで?)
なんで怒っているのか謎だった。
(こっちジロジロ見過ぎだつぅーの。狙いがズレるわ。全く……)
そう思いながらも本当は見られて嬉しい凛汰郎だった。部長の雪菜が戻ってきてから、部活の雰囲気はいつものペースを取り戻した。和気藹々で、明るくなり、練習も順繰りできて、みんな気持ちはホクホクしていた。
複雑な気持ちがある凛汰郎も、ホッと安心していた。
「お疲れさま! ごめんね、遅くなった。みんな、調子どう?」
顧問のいろはが、弓道場の出入り口で声をかけた。
「みんな集合!」
先生が来たと分かると、雪菜の一声で円を囲むように集合し号令をかけた。
「よろしくお願いします」
「うん、うん。何だか、雰囲気見て分かるけど、調子良さそうだね」
「はい。部長が戻ってきたので、みんな喜んでます」
2年の紗矢が答える。
「本当は、どの人がいるいないに関わらず、やるべきことに集中してほしいものだけど、団体戦もあるから周りの状況把握も大切だよね。ま、これを教訓に次からは会話するべきところは会話して、連携組んでね」
「はい!!」
部員全員が返事をした。
「んじゃ、稽古の続けてください」
「はい!!」
それぞれに射場に戻っていく。
「雪菜、足はいつ頃から稽古に参加できそうなの?」
みんなが稽古に入っている中、いろはは、雪菜が座る椅子の近くまで、寄った。
「先生、やっとここに来れましたよ。ずっと寝てることが多かったからムズムズしてました。できることなら、早く稽古に参加したいところですよぉ」
いろはは、屈んで、雪菜の足の調子を確認した。
「あと、1・2週間ってところかなぁ? 大変だったよね。まさか、学校の前で交通事故になるとは……」
「あ、気になっていたんですけど、私が事故になった時って、誰が救急車とか呼んでくれたとかわかります?」
「えー……。確か、そこにいる平澤くんじゃなかったかな。目の前にいたって話してたよ」
「凛汰郎くんが?」
「ねぇ、平澤くん!!」
不意うちにいろはは、声の届くところで矢を引いていた凛汰郎に声をかけた。雪菜は声をかけないでほしいと
思いながら、鼓動が早くなった。
「え……。何の話ですか」
矢を引くのをやめてこちらに近づいてきた。なぜこちらに向かってくるんだと思いながら、雪菜はドキドキしていた。
「え、だから、雪菜が交通事故でけがしていた時、近くにいたんでしょう。平澤くんが救急車呼んだって話してたんだけど、そうなの?」
「あ、その話。そうですけど……」
目を合わせるのが嫌だったのか恥ずかしそうに斜め後ろを向く。
「あ、えっと、ありがとう」
「別に……」
後ろ頭をポリポリとかいて話す。
「平澤くんが、人のために行動するとは思わなかったなぁ。部活では、部員に関わらないでオーラ激しいのにね」
いろはが、感心していた。雪菜は、なんでだろうと思いながら、見ていた。
「当たり前のことしただけですから。目の前にけがとか病気で倒れてる人がいたら、助けるのが常識っすよね」
「ふーん……。全く知らない人でも 助けるんだ?すごいね」
いろはがカマをかける。
「んーー、それは……」
咳払いをして、ごまかした。顔全体に頬が赤くなっていく。
雪菜でなんでこんな顔するんだろうと不思議で仕方なかった。
「ま、ま。いいや。稽古に戻っていいよ。邪魔してごめんね」
「いえ、大丈夫っす」
そういいながら、元の位置に戻っていく。
「ちょっと、先生!! なんであんなこと聞くの?」
小声でいろはに耳打ちする雪菜。
「え、だって、気になったから」
「……凛汰郎くん困ってたじゃない。やめて、色々聞くの」
「困ってんじゃなくて、照れてたんでしょう」
「え、何に照れるの?」
「雪菜、鈍感だなぁ。お兄と一緒か。それとも、菜穂姉と一緒かな?」
「え、なんで、お母さんとお父さん出てくるの?」
「……自分で気づきな。それじゃ、反対側の1年の指導するから2年の方、雪菜指導して」
「わかりました」
口を大きく膨らませて、機嫌悪そうに返事をした。話を解決せずに終わったことが気に食わなかったようだ。
凛汰郎は、矢をある程度、引き終わった後、後ろ頭をボリボリとかきながら、熱心に後輩指導をする雪菜を
見ていた。
丁寧に弓を引く位置、矢を置く場所を確認しながら、説明している。自分にはできない姿を見て、情けなくなるとともに、感心していた。
雪菜の指導方法は、一人一人、何が合っていて、何が間違っているを矢を引くたびに熱心に教えていた。ある程度、型が決まっており、全体に指導する時はまとめて教えることもするが、結局は個人個人丁寧に教えないと伝わらないこともある。
もちろん、指導する際も、どんな性格でどんな特徴があるかなど把握してから話しかけていた。
雪菜は、自分自身の生活面こそ完璧にできないが、後輩たちとの関わる距離感や、相手の好きなものや嫌いなものを把握するのには卓越していた。
そして、話しやすい空間を作ってから優しい言葉も厳しい言葉も言えるようにと雰囲気作りにも力を注いでいた。
その段階があるから、みんなから慕われているんだろうなと凛汰郎は情けなくなり、前髪で目を隠した。
自分には、射法八節のことを考えてただただ、矢を引いては的に当てることだけ考えている。
周りのことなんか眼中にない。人間関係なんて考えたことさえない。
毎日の稽古で部活動での目標は、1日40射引くと決まっている。それが終わったら今日は終わりになる。
それだけを考えている。
人間関係のことを考えたら、目標値の40射なんて時間が足りなくて帰るのも遅くなる。部長たるもの、指導もしなくてはいけないし、みんなをまとめなくてはいけない。そんなの簡単とたかを括っていたが、全然できていないというか凛汰郎は平気な顔して、逃げていた。
そして、そう考えている凛汰郎であるのを雪菜はずっと前から受け入れていた。
矢を引くことに特化してるだなと前々から知っていたのだ。
わかった上で、自分が部長をやり続けると訴えていた。
今日も通常通りに弓道部活動は終わりを迎えた。
夕焼け色に染まった空にはカラスが鳴いて飛んでいた。
真っ赤な夕日が照らされる通学路。部活を終えた生徒たちが、行き交う校門前に雪菜は昇降口からゆっくりと松葉杖をついて、歩いていた.じゃあなと声を掛け合う生徒たちを横目に進んでいると、ふと急に持っていた荷物が軽くなった。
「ん?」
前を見ると、持っていたバックを手に持つ凛汰郎の姿があった。
「え」
「どこまで?」
「え、いいよ。すぐ迎え来るし」
「持つから。どこ?」
「あそこの校門近くに迎え頼んでた」
雪菜は校門を指差した。
「わかった」
「ごめん、ありがとう」
「……ああ」
3歩ほど前に歩きながら、恥ずかしそうに雪菜の荷物を運んでくれた。ちょっとした仕草が嬉しくて言葉が出なかった。
「雪菜! 今、帰り?」
部活で汗をたっぷりかいたであろう姿で 雅俊が後ろから駆け出した。
「う、うん」
「あー、それ、俺、持つっすよ。家、近いんで」
「あ……」
雅俊は凛汰郎から有無を言わせず、雪菜のバックを取り返す。凛汰郎は小さな音で舌打ちした。左肩に自分のバックと雪菜のバックを背負う雅俊は、雪菜の隣に寄った。かなりの至近距離で、凛汰郎は面白くない顔をした。
「今日、親父さん迎えに来るの?」
「うん。そうだね。雅俊、自転車じゃないの?」
「俺、今日寝坊して、車で乗せられてきた。ねぇ、俺も乗せてくれないかな?」
「えー、図々しいなぁ。でも、バック持ってくれるなら、お礼しないといけないかな……。お父さんに聞いてみるけど」
「やったぁ。ラッキー。あ……、先輩、ありがとうございます」
なぜか、雅俊は凛汰郎にお礼を言っていた。
「………」
凛汰郎は不機嫌になって、足早に立ち去っていく。
「あ、凛汰郎くん、ありがとう!!」
雪菜が思い出すように叫んだ。手をパタパタと後ろ向きに振られて歩いていった。
「全く、雅俊、タイミング悪すぎ……」
「なんだよ、俺のせいかよ」
「うん、雅俊のせい」
「雪菜、あいつのこと好きなのかよ?」
「……教えない!」
口をふぐのように膨らませて、スタスタと校門にとまっていた父龍弥の車に乗り込んだ。
「お父さん、雅俊も一緒に乗せて欲しいって言うんだけど、良いかな?」
「え、それって、ダメとかって断れないんだろ。別に乗ればいいだろ。助手席に乗れって言っといて!」
顔が厳しくなった龍弥。雪菜の隣には乗せないぞと思っていた。
「すいません。お願いします」
お辞儀をしながら、雅俊は助手席に乗り込んだ。
「どぉうぞ」
「おじさん、意外にも車綺麗に扱ってるんすね。見直しました」
「誰目線だよ、誰の。ほら、シートベルトしてよ」
「はいはい。すいません。できました。大丈夫っす」
龍弥はシフトレバーを PからDに変えた。生徒たちが歩く通学路を尻目に車を走らせた。少し小雨が降っていて、ワイパーを動かさないと見えないくらい細かい雨だった。
「今日は、無事に部活に参加できたのか?」
「うん。見学だったけど、後輩たちの指導もできたよ」
松葉杖を両手でおさえて、窓を見ながら答えた。
「え、それって、俺に聞いてたんですか?」
「聞いてないけど、聞いてほしいのか?」
「はい!!」
「んで、どうだったんだ? サッカー部のくせに帰宅部くんは」
「失敬な。帰宅部じゃないっすよ。たまに参加してるって感じですけど。今日は頑張って試合に出ましたから」
「真面目に参加しろよ」
「仕方ないっすよ。うちで親にバイトしろってうるさいんですから。部活の併用は厳しいんですから」
「なんだ、サボりの帰宅部じゃないのか」
「そもそも、なんで帰宅部って知ってるんすか」
「ん!」
運転席に座る龍弥は後部座席の雪菜を指さした。
「雪菜、なんでおじさんに言うのさ」
「バイトしてるって知らなかったから。サッカー部のなんちゃって帰宅部だと思って……ごめんね」
「ちぇ……。俺、意外と真面目なんすよ? 心外だなぁ」
「悪い悪い。齋藤家も大変なんだなぁ」
「お金ないわけじゃないんですけど、自立してほしいって気持ちが強いっす。うちの両親。こんなかわいい息子を世の中に
出すなんて」
自分の体をハグして言う。
「どこの誰がそれ言う? かわいいのか?」
「本当、コンビニのバイトしてるんすけど、いろんな人いるじゃないですか。大変ですよ、本当。素敵なお客様対応とかね。俺、頑張ってると思う。うんうん」
「お疲れさん、ほら、着いたぞ」
外に出て、バタンとドアを閉めた。
「あ、あざーす。マジ助かりました」
「俺も挨拶行くから。雪菜、ちょっと行ってくるから荷物は俺が運ぶから先に中入ってて」
「はーい」
龍弥は雪菜に声をかけると、雅俊の背中を押して、隣の家の齋藤家に入って行った。
「ただいまー」
「お邪魔します。お世話さまです。隣の白狼です」
「あら、白狼さん! どうしたの? 雅俊と一緒で」
雅俊のおばあちゃんの節子が中からエプロン姿でやってきた。
「さっき、娘と一緒に車で送らせてもらいました。今、娘の雪菜けがしてて荷物持ってくれたらしくて、助かりました。ありがとうございました」
「いやいや、いいんですよ。大したお手伝いできないですが、どんどん使ってやって。雪菜ちゃん、お大事にね。白狼さん、お土産。
梨買ってたから、ぜひ。どうぞ」
節子は台所から慌てて持ってきていた。かごにこんもりと入れた梨を龍弥に手渡した。
「いつもありがとうございます。ごちそうさまです」
「いいの、いいの。いつもお世話になってるから」
「それじゃぁ、失礼します」
「こちらこそ、どうもねぇ」
手を降って別れた。いつの間にか、雅俊は自分の部屋に駆け出していた。玄関先でモタモタと靴を脱ぐのに 困っていた雪菜がいた。
「何してんのよ。ほら」
言われる前に龍弥はテキパキと雪菜の靴を脱がした。
「ありがと!脱ぐの大変だった」
「黙ってないで助けてとか言えばいいだろ。ほら、齋藤家から梨頂いたぞ」
カゴに乗った梨を雪菜に見せた。
「言えるわけないじゃん。そうなんだ。美味しそう」
小声で話す雪菜。聞こえなかった龍弥はそのまま奥の方に入って行った。親子と言えども、高校生というある程度年齢を超えると素直にお願いごともできないこともある。複雑な思いだった。
久しぶりの学校でどっと疲れた雪菜は食べることよりも睡眠欲が勝ったらしくそのままベッドに横になっただけで、朝になっていた。熟睡していたようで起こしても起きなかったと母の菜穂は言っていた。雅俊と凛汰郎の板挟みが何となく頭に焼き付いて離れていなかった。夢にも出てきたくらいだった。
「いらっしゃいませ」
雅俊は、コンビニの白の青のシマシマの制服を着て、レジ横に立っていた。
「あのさ、タバコ」
「はい、どちらのおタバコにしますか?」
「マイセンで?」
「はい? マイセン、すいません。番号でおっしゃっていただきませんか?」
「だーかーら!!」
奥の方から店長の渋谷が大きな声を聞きつけて出てきた。
「はいはいはい。どした、どした?」
「店長、お客様が」
額に筋を出しながら、聞く。
「ちょっと、あんた、店長なの?」
横柄な態度をとる小太りのお客が話し出す。
「はい、いらっしゃいませ。どうなさいましたか?」
「マイセンって言ってんのに、番号で言えって、どういう教育してんの?」
「大変申し訳ございません。高校生なもので、指導力不足でございました。お客様がおっしゃいます『マイセン』は『マイルドセブン』というおタバコの銘柄ですね。現在、名称が変わりまして、『メビウス』というものがありますが、こちらでよろしいでしょうか?」
「え?!まじで?! 名前変わったの? そっか、仕方ないな。何、め?メビ?」
「こちらが『メビウス』です。」
店長は棚から、青いパッケージを取り出した。
「んじゃ、それの5mgちょうだい。」
「かしこまりました。はい、齋藤くん、レジしてくれる?」
「あ、はい」
雅俊は、慌てて、タバコを受け取り、バーコードをスキャンした。お客さんはブツブツと文句を言いながらも財布から小銭をジャラジャラと出した。
「こちらは500円です」
「ちょっと、こっから取ってくれる?」
雅俊は面倒ながらも、100円玉4枚と50円玉1枚10円玉5枚を分けて、提示した。
「こちらの500円でよろしいでしょうか」
「ああ。」
「ちょうどお預かりいたします」
レジスターに小銭をしまって、商品のタバコとレシートを手渡した。
「ありがとうございました」
無事にお客さんが帰っていく。雅俊は、誰もいない店内でため息を大きくついた。
「店長、あのお客さんなんですか。超面倒臭いですね」
「タバコの銘柄ね、昔流行ったマイルドセブンってあるのよ。それをマイセンマイセンって略していう人いたからさ。でも、それ、もうどこにも売ってないわけよ。ああいう人時々いるから気をつけてね」
「そうなんですね。タバコも覚えるの大変っすよ。電子タバコ銘柄もあるし、ややこしいっす」
「そうだね。まぁ、基本は番号で言ってもらおう。間違えちゃうから。さっきみたいにわからなくなったら、また呼んでね。俺、あっちで仕込みやってるからさ」
「了解っす。ありがとうございます」
雅俊は、レジを抜けて、棚卸し作業に移動した。ちょうど、配送トラックが到着したところだった。すると、出入り口の自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
棚卸し作業をしながら、声を出した。歩く様子が背中で感じられた。パッと振り向いて、後ろを通りかかったお客さんを見ると、
同じ学校に通う3年の平澤凛汰郎だった。手には売り場から持ってきた炭酸ジュースのペットボトルをしっかりと持っていた。
「あ、先輩」
「…………」
凛汰郎は雅俊だと気づいていたが、知らない人の素ぶりをした。陽気な雅俊があまり好きじゃなかった。
「無視っすか。別にいいっすけどね」
届いたばかりのおにぎりの棚にどんどん補充していく。
「あんた、白狼の何だよ」
「え、急に話すの? えっと…。彼氏かなぁ? ってそうなれるといいなって思ってるんで、邪魔しないでくださいね」
声の調子が急に低くなった。下の棚を並べていた体をおこして凛汰郎の前にたちはばかる。身長が少しだけ雅俊の方が大きかった。
「そちらの商品をお買い上げですか?」
突然、後輩の態度から店員にモードを変えた。凛汰郎はレジ横の棚にペットボトルを置いた。目の前に雅俊がいるにも関わらず、ベルを鳴らした。
「お客様、こちらにいます!」
雅俊が体を曲げてアピールする。
「チェンジで!」
指で合図する。
「キャバクラか!?」
「ちっ……」
目と目で睨みあいのバトルが始まる。まるでコブラとマングースのように、はたまた犬と猿の喧嘩のように火花が飛び散った。
それに気づいた渋谷店長がささっと、凛汰郎が持ってきたペットボトルのバーコードを読み取った。
「お客様。お待たせしました。こちらは、150円です」
「はい。これでお願いします」
凛汰郎は財布からプリペイドカードを見せた。
「プリペイドカードですね。スライドしていただけますか?」
店長は2人の睨みあいを気にせず、レジ作業に没頭した。凛汰郎は手元だけ素直に言うことを聞いていた。
「お買い上げありがとうございました」
渋谷店長は、雅俊の頭をぐいっと下げて、丁寧にお辞儀を同時にした。凛汰郎は鬼のような目でこちらを見ながら、静かに立ち去って行った。
「ちょっと斎藤くん。公私混同しないでもらえるかな? 他のお客様にも影響するから」
「す、すいませんでした。気をつけます」
反省しつつ、棚卸作業に戻る雅俊だった。コンビニの中から煌々と光るLEDライトが、外の駐車場を照らしていた。凛汰郎は、道端に転がる石ころを蹴飛ばしながら、つまらなそうな顔をして、ペットボトルの飲み物をぐびぐび飲び、家路を急いだ。
コオロギが静かに鳴いている。秋の虫が増え始め、昼間の暑い時間がだんだんと短くなってきた。
学校の教室。季節問わず、今は風邪をひく生徒がいるためか、何席か空いている。
朝は涼しくなってるとは言えど、日中はまだまだ30度を超えている。
うちわやせんす、下敷きで仰ぐ生徒がところどころいる教室に龍弥は、数学の授業をしていた。
「この二次関数の問題は次のテストで出すから公式をしっかり覚えておくんだぞ」
黒板に例題をスラスラと書いて、教卓の上に重ねて置いたプリントを配り始めた。
「まだ時間あるから、今日はこのプリントを解いて終わりな」
5列に並べられた机の先頭にそれぞれ5枚ずつ配った。
「先生!欠席の人の分で余りました!」
「ああ、悪い。今、取りに行く」
龍弥は、座席の間を通り抜けて、取りに行く。途中、相変わらず、板書をせずに頬杖ついて、龍弥をずっと見ている杉浦美琴がいた。もちろん、龍弥自身も教師として困っていた。龍弥が通りかかろうとするとわざと消しゴムを床に落とした。
「あ……」
「杉浦、消しゴム、落ちてるぞ」
拾ったのは龍弥でなく隣の席の大野康孝《おおのやすたか》だった。杉浦は消しゴムを拾って舌打ちをした。本当は先生に拾ってほしかった。
「なんだよぉ。せっかく拾ったのに」
「どうした?」
「なんでもないで~す」
杉浦は笑顔で振り切った。大野に対しては怖い顔で睨みつける。大野は面白くない顔をして黙っていた。
なんとなく状況を読めた龍弥は、大野のそばに近づいて、肩をそっとなでた。
「ありがとうな、大野」
具体的には言わなかったが、察したようだ。
「俺は平気っす」
龍弥は、杉浦の行動に手を焼いていた。そろそろ、収束させないとと思いながら、授業を終えた。
「起立、注目、礼」
終了のチャイムが鳴る。教室内の椅子がガンガンとあたる音が響く。
「杉浦! ちょっと」
龍弥は、手招きして杉浦を呼んだ。階段の踊り場で話し始める。
「最近もまた、授業態度がよろしくないぞ」
「えー、別にいいじゃないですか。テストは高得点とってるわけだし」
「確かに点数とれてるのはいいと思うよ。でもさ、ここ学校だし、教室だから、規律を守ってもらわないと!」
「そういいますけど、先生が高校生の時はどうだったんですか? 私みたいのはいっぱいいたんじゃないですか?」
「……確かにいたかもしれないけど、過去と今は違うだろ? さっきの消しゴムの件も、見てたからな。わざとだろ?」
出席簿を軽く杉浦の頭に乗せた。
「げげ、見られてた。だって、先生に拾ってほしかったんだもん」
「そう、そういうの本当にやめてもらえる?」
杉浦は龍弥のワイシャツをくいっと引っ張る。
「えー、やだやだ。 私、先生のこと好きなんだもん。相手してほしくて、そうするの。わかってよ」
「杉浦、俺、教師。お前は生徒。それに結婚してるから、無理。好きになるのはうれしいけど、受け入れられないよ?」
杉浦の鼻を指さし、自分の顔を指さす。持っていた教科書類を持ちかえて左手の薬指につけた指輪を見せつけた。
「やだやだやだ」
小さなこどものように駄々をこねる。杉浦はどさくさまぎれに龍弥のおなか周りをハグした。
「だからさぁ。タイムスリップでもして、俺の高校生の時に現れて! 今は本当に無理」
「え、高校生の時に会ってたら付き合ってた?」
「んー-、可能性はゼロじゃないけど、今の嫁さんもいるから見込みは少ないかな?」
「むー---……。結局無理じゃん」
「ほらほら、次の授業始まるぞ。こんなおじさん相手にしないで、身近なクラスメイトとか学校の先輩とかにしろよ。俺にかまうな? な?」
「先生みたいな、かっこいい人いないもん。好きになれないし。もっさい人好きじゃないし」
「人を見た目で判断するなよ。外見はいくらでも変えられるんだぞ。もっさい人だって、こんなふうになるんだから。って、俺の場合はあえて地味なかっこうになってたんだけどな。地味な人ほどかっこよくなるのを見たらおもしろいぞ?」
「なるほど。そういう手があったか。私色に染めるってことね。ってことは、大野がちょうどいいな。めがねかけてるし、髪のこと全然気にかけないし。やってみようかな」
半ば気持ちが大野にシフトチェンジしたようでスキップして教室に戻っていく。龍弥はその姿を見て安堵していた。
お年頃の高校生を納得させるのも至難の業だと思った。
校舎のカザミドリが、いつも以上に強く風が吹いて勢いを増していた。
お昼休みのチャイムが鳴った。
授業を終えた生徒たちが、一目散に購買部に駆け出している。
教室のあちらこちらの引き戸が、大きな音を立てて開いていく。
雪菜はようやく松葉杖から解放されて、健康的な日常を取り戻していた。
机の脇にかけていたバックの中から長財布を取り出した。
「雪菜、今日購買部行くの?」
緋奈子が声をかけた。
「うん。久しぶりにパンでも買おうかなって。お弁当今日、持ってきて無いから」
「雪菜の好きなパンは人気だから難しいかもよ?」
2人は廊下で話しながら、購買部へ行く。その声を座席で聞き耳を立てながら、聞いていたのは凛汰郎だった。
(俺も、購買でも行こうかな)
バックから財布を取り出す。
「ねぇねぇ、凛汰郎くん」
クラスメイトの伊藤あゆみに声をかけられた。
「ごめんね、初めて話しかけるんだけど、君の家ってお花屋さん?」
「え……」
「先週の土曜日に母と一緒に花、買いに行ったとき、直接話してなかったけど、ちょうど君が部活から帰ってくるところ見かけたの」
後ろ頭をガリガリとかいて、照れ臭そうに話す。
「あー。うん。そうだけど」
「え!? マジで?!」
その話を聞いていたのは2年の斎藤雅俊だった。コンビニで飲み物を買った以来犬猿の仲だった。
「お前のうち、花屋なの?」
「……」
突然、後輩が先輩の教室に入ってきて、話に割ってくる神経が気に入らない凛汰郎はだんまりを続けた。
「なるほど~」
雅俊は、雪菜の机に寄りかかって顎に指をつけた。
「だから、あの花……。だよな、急に、男が花を持って行ったらキモイよなぁ。花屋って聞いて安心したわ」
独り言のようにぶつぶつという雅俊。隣にいた伊藤あゆみも反応する。
「斎藤くん、急にどうしたん?」
「え、伊藤さん。この人知ってるの?」
凛汰郎は、指をさしていう。
「えっと、元部活で一緒だったのよ。中学の時、同じ学校で。先輩、後輩」
「伊藤先輩こそ、ここのクラスだったんっすね。知りませんでしたよ。今日は、雪菜に会いに来たんですけど、いないっすね。購買でも行ったのかな」
窓際に駆け寄って、外を眺める。
「……というか、あんた、送ってもない花で名前、名乗っただろ」
「あ……。やっぱり、あれ、先輩だったっすね。ここでバラすんですか? 本人いないけど、大丈夫です?」
「俺じゃない」
「またまた強がっちゃって……。でも、俺の性格ではあんなことしないかな。なんとなく、陰キャラがしそうかなぁって……。黙っておくってことは俺しないし」
喧嘩を売るように話す雅俊の頬に強烈なパンチが入った。
罰悪くその良くないシーンで、雪菜が緋奈子とともに購買で買ってきたビニール袋を持って、教室出入り口で目撃していた。
「は? なにすんだよ!?」
雪菜が来てるとは知らずに乱闘騒ぎになる。横では伊藤あゆみが雅俊をとめて、その隣では凛汰郎の両腕をおさえる
五十嵐竜次がいた。慌てて、雪菜がもめている中の間に入った。
「ちょっと2人とも、やめて。原因は一体何なの?」
息が上がって、両者とも頬は赤くなる。お互いに黙ったまま、何も言わない。
「そうやって、黙るの良くないと思うんだけど……」
「……さっき聞いてた話では、花がどうたらこうたら言ってたよ」
伊藤あゆみが声を出した。
「花?何のことだろう」
「凛汰郎の家が花屋なんだってさ」
竜次が興奮した凛汰郎をなだめながらいう。
「え……」
なんとなく、花と聞いて思い出すのは、雪菜が入院していた時にもらった
お見舞いの花束。雅俊から受け取ったはずだけども、この2人が殴り合うということは何かがおかしいと察した。
「もしかして、入院中に届けてくれた花って雅俊じゃなくて、凛汰郎くんなのかな?」
2人とも何も言えずにずっと黙っている。いたたまれなくなって、凛汰郎は廊下に飛び出していった。
「雅俊、嘘ついていたの?」
「そんなの知らねぇよ」
そう吐き出すと教室を出て行った。
クラスメイトたちは、なんだかもやもやした空気の中、それぞれの座席に着席した。
「雪菜、モテモテだねぇ」
「そんなじゃないでしょう、別に」
「え、付き合ってないの?」
「えーだって、誰と?」
「雅俊くんとじゃないの?」
雪菜はまさかと首を横に振った。
「幼馴染だよ。近所だし」
「あ、わかった。んじゃ、凛汰郎くんと?」
「ブッブー。部活が一緒ってだけ。違います」
(そうなれたらいいなぁとは思うけど、緋奈子にはまだ黙っておこう)
「もう、高校生活あと少しで終わるんだから、恋の1つや2つ、進展させてみようよ」
「努力します!」
雪菜は机に両手をついて、軽く緋奈子にお辞儀をした。
購買部で買ってきた大きいパンを大きな口を開けてほおばった。コーヒー牛乳がのどを潤した。
まさか、雅俊と凛汰郎が乱闘するとは思わなかった。
なんとなく、教室を飛び出した凛汰郎が気になって、パンを食べ終えると、凛汰郎の後を追いかけた。
昼休みの廊下は生徒たちの会話でざわついていた。
雪菜は口元にパンかすをつけながら、凛汰郎を探そうと教室から廊下に出た。
どこにも姿はなかった。
昼休みに行きそうなところを考えて、石畳が広がる中庭に行ってみると、そこにはひとりで購買部のパンをベンチで食べる凛汰郎がいた。今まで、同じクラスで、2人きりになって話したことはなかった。部活では、多少部活動で話さなければならないが、個人的な会話をするのは初めてだった。近づくだけでドキドキがとまらない。
屋上から飛び立ってきたハトが、凛汰郎の近くにやってきた。
あまりにも大きいパンだったためか、一口ちぎって、ハトの餌にしようとしていた。
「あ!」
「え、あ……ん?」
急に声をあげた雪菜にびっくりした凛汰郎は、ちぎったパンを自分の口にいれた。
「えっと……隣……」
雪菜は隣を指さした。
「?……どうぞ」
なんでここに来るのかと状況が読めなかったが、言われるまま要求をのんだ。
「ありがとう」
授業を受けている雪菜は部活をしているときと違って、さらりと髪をおろしていた。シャンプーなのか、制汗剤なのか、移動するたびにふんわりといい匂いがした。凛汰郎は、少し頬を赤く染めた。
「聞いてもいい?」
「ああ……」
「凛汰郎くんの家って、花屋さんなの?」
「……まぁ」
「いいね。花に囲まれてて。私、花好きだから。そういや、この間の入院中に持ってきてくれたの花って凛汰郎くんなんだよね?」
「え、違うけど。俺、行ってないし」
目がキョロキョロ動いて、話している。
「……嘘つくの下手だね」
クスクスと笑って、口元をおさえた。
「行ってないでしょう。会ってないし」
「ありがとう。ソネットフレーズだっけ」
「違うよ、ソネットフレージュ」
雪菜はさらに笑った。雅俊と同じ間違いをしていた。そして、花を贈ってくれたのは凛汰郎なんだと確信した。
「やっぱり、凛汰郎くんだ」
笑いながら、目に涙を浮かべた。
「な、なんで笑うんだ」
「ごめん、ごめんね。面白くて。花の名前間違うのが、雅俊と一緒だったから」
「え、間違ってないし。だって……。あ……」
凛汰郎はスマホをズボンのポケットから取り出し、検索ワードに『ソネットフレージュ』と打ち込んだら、花が一つも出てこない。
改めて、『ソネットフレーズ』と打ち直したら、一番上に写真つきで表示された。
「ほら、名前、違うでしょう?」
雪菜は、凛汰郎が見ているスマホをのぞき込んで指さした。かなりの至近距離で、ささっと体を遠ざけた。
顔や耳までが真っ赤になっていた。一瞬、凛汰郎の耳元に吐息がかかっていた。
「あ、ごめんね。近いよね。気をつけます……」
背筋ピンとして、座りなおした。
「こ、こっちであってるんだな。勉強になった。花屋の息子なのに知らないのは親父にしずられるから助かったよ」
「ん? お父さんかな。しずられるの? 怒られるんじゃないんだね。楽しいそうな家族……」
「……話し過ぎた。そろそろ、教室もどる」
家のことを話すのは恥ずかしかった。凛汰郎は、顔を赤くしたまま、立ち上がって、教室に戻っていく。
「え、待って。同じクラスなんだし、一緒に行こうよ!」
凛汰郎は黙って、すたすたと歩く。雪菜はその後ろを3歩ほどさがってついていく。背中で手を組んで、少し心がホクホクとあたたかくなった。隣じゃないが、一緒の方向に歩いてるそれだけでうれしかった。
教室につきそうになると、突然、女子グループに囲まれた。
「すいません、3年の白狼雪菜先輩ですか?」
「え、あ。そうですけど」
びくびくと恐れながら、返事をした。背の高い眼鏡をかけたショートカットの女子生徒は、仁王立ちしていた。
「先輩は、斎藤雅俊くんと付き合っているんですか?」
「え? 雅俊? 幼馴染で付き合ってはいませんけども」
「みんな、付き合ってないって。大丈夫じゃない?」
「え、あのあなたたちは?」
ひそひそ話をする女子たちは、雪菜を囲む。
「私たち、斎藤雅俊君のファンクラブです。彼女になるには、ファンクラブに入ってからみんなに認められて、初めてなれるんです」
「どんな決まり? 雅俊の気持ちは置き去りなのかな」
「それは、本人が決めることなので、先輩には関係ないです」
「そうなのね」
雪菜はあきれた顔をする。ぞろぞろと斎藤雅俊ファンクラブのみんなはいなくなった。
雪菜は、一瞬で一人になって廊下から教室の窓の風が吹くと猛烈に寂しくなった。
教室に入ると同時にチャイムが鳴る。
「雪菜、大丈夫?」
緋奈子が聞くと、雪菜は深呼吸をして、座席に座った。
「うん。まぁ、何とか。雅俊にあんなファンクラブ出来てたとは」
「モテモテだねえ。雅俊くん。雪菜、付き合うってなったらライバルがたくさんだわ」
「なおさら、無理だよ。ファンクラブの人たちににらまれそうだもん」
「確かに……」
その様子を見ていた凛汰郎は、口角をあげて、笑みを浮かべていた。
まったりとした夜ののんびりタイム。雪菜は部屋で今日の学校の宿題である
英語の教科書の日本語訳を必死で辞書をひきながら、解いていた。
徹平の部屋からナイスやちくしょーなどゲームをする声が響いてうるさかった。いつもだと、ヘッドフォンをして静かにゲームしているはずなのに、今日はやけに声が大きい。インターネットをつないでやってるオンラインのはずが声が2倍ですごく大きく聞こえる。
宿題に集中できないと思った雪菜は、バンッと英語のノートの上に辞書を置いて、徹平の部屋にノックなしで入って行った。
「ちょっと!徹平!!! ゲームの音大きいんだけど、宿題するからもう少し音小さくしてもらえないか……な。あ、あれ?」
「ちぃー--す」
スマホをポチポチといじりながら、徹平のとなりにいたのは、雅俊だった。オンラインでゲームしている声だと
思ったら、実際にこの部屋に入っていた。
「ちょっと姉ちゃん、ノックもなしに入ってこないでよ。俺が着替えてたら、どうするんだよ。恥ずかしいでしょう」
「誰が恥ずかしいか。というか、雅俊いつからいたの?」
「ひ・み・つ」
口に指をあてて、投げキッスをする雅俊。思いっきり嫌な顔をする雪菜。
「ほら、てっちゃん、ゲーム始まるよ。準備して。次はてっぺんとってやるからな。100人切りしてやるぞ」
銃で敵をやっつけるシューティングゲームを夢中になってやっていた。
「はいはい。まーくん。俺のフォローよろしくね」
「わかってますよ。任せとけ」
「ちょっと、2人とも私の話聞いてる? 大きい声出さないでね」
「はいはーい」
「それ絶対聞いてない返事。というか、雅俊、平然とそこにいるけど、あんたのファンクラブだかなんだか、しっかりしてよね。今日、私、ファンクラブ隊長みたいな人に睨まれたんだから」
「は? なにそれ。俺、知らないよ?」
「本人が知らずところでファンクラブができるって? そんなまさか。怖い怖い」
「俺はモテるってことだな。モテる男はつらいぜ。な、徹平、気をつけろよ」
髪をかきあげる雅俊は、徹平の肩をバシッとたたく。
「ちょっといいから。スマホ、しっかり持って。銃口向けて、打って。敵来てるよ?」
「お、おう」
2人でオンラインゲームに夢中になっている。雪菜は呆れて、部屋を出た。
「まったく、男子ってやつは……」
ぎゃーぎゃー騒ぐ徹平の部屋をもう気にせずにヘッドフォンをつけて、宿題に集中した。
今日は週末の金曜日。明後日の日曜日にある試合に向けて、やっておくべきことはやっておこうと思っていた。
スマホにライン通知の音がなった。
『試合のお知らせ』のタイトルに集合時間とバスの発車時刻が書かれていた。外部委託のバスが手配されていて、朝早くに集合となっていた。今回の試合は個人戦と団体戦が行われる予定だった。雪菜は今回の試合が3年で最後の出場の試合だった。 事故でけがした足もすっかり治っていて、試合に出れることに喜んでいた。
でも、まだ体の調子が戻っていなくて、練習で放った矢の的が落ち着かず、真ん中に当たらず、外れることが多かった。
凛汰郎とだんだんと自然な会話ができるようになっていた。的が外れていることを気にかけてくれていて、
「今日は風が少しあるし、たまたまだろ」
と励ましてくれた。
いつもだと、外れてよかったなといじわるを言われていたのになんだか、入院してはなれてから優しくなっていた。なんでだろうと疑問をもちながら、何度も矢をひいていた。机の上で頬杖をついて、部活のことを思い返すと、笑みがこぼれてしまった。
ドアの隙間から雅俊が雪菜をのぞく。
「きもっ」
「は?! 人の部屋、勝手にのぞくのやめてもらえる? 用事が済んだら帰って!」
「ひど。お客様にその態度。なんて日だ!!」
「い、いやいや。そのタイミングで小峠さんなんて面白くないから。はやく、どうぞ。ご帰宅くださいませ」
雅俊の背中を押す雪菜は、階段をおりると電子タバコの一服に行こうとするスーツ姿の父の龍弥と鉢合わせする。
「あれ、雅俊、いつの間にいたの?」
「えっと、昔から?」
「は?!」
なぜかガチギレする龍弥に雅俊は、失言だったと、慌てていた。
「ご、ごめんなさい。お邪魔しましたぁ」
そそくさと、その場から逃げ出していく。慌てて履いた靴が半分かかとの部分をつぶしていた。
「別にいいんだけどさ。家上がる前に、声かけろよ。徹平、あいつに言っておいて」
「まーくん、俺の部屋の窓から侵入してたから……」
「はぁ!? 住居侵入者だな。徹平も、ゲーム楽しいのわかるけど、勉強を疎かにするなよ?
中学生だって、難しい問題これからたくさん出てくるんだからな」
「……ほーい」
徹平は自分の部屋に駆け上がっていく。龍弥は灰皿がある外に一服に向かった。呼吸を整え、空に煙を吐く。
夜空には下弦の三日月が光っていた。
○○○
早朝の学校にて、雪菜を含めた弓道部の部員たちは、バスに乗り込んでいた。座席は、なぜか、凛汰郎の隣になっていた。部長と副部長だからと理由だからと言われていたが、納得できなかった。そう思う反面、本当は隣になれてうれしかったりする。
「出発するよ? 忘れ物ないよね?」
「はーい」
顧問の白狼いろはは、運転手の小林さんの近くに座って、発車するよう、うながした。
雪菜は、窓際で、ほぼ外しか見れない。何を話そうか迷っていた。
「今日、遅刻してないな」
ぼそっと話したのは凛汰郎の方だった。
「え……。うん。さすがに試合だから、今日は親に起こしてもらって車で送ってもらったよ。実は、寝坊……してたから」
「……あ、そう」
バスの通路側に顔を向けて、手で顔が見えないように隠した。凛汰郎は笑ってはいけないと体が震えていた。
「凛汰郎くん、笑ってもいいよ? 怒らないよ?」
「別に。笑ってないし……」
そういいながら、顔を腕で隠す。
「先輩、何の話で盛り上がってるんですか?」
菊池紗矢が後ろの座席に座っていた。にょきと頭を出して、2人に聞いてきた。
「紗矢ちゃん。なんでもないよ」
「なんだ、つまらないな」
「ごめんね、何もなくて」
すっと横を見ると、無表情の凛汰郎が見えて、逆にその姿に雪菜は笑いをこらえるのは難しかった。紗矢の前では、素の姿を見せたくなかった。またその様子を見た紗矢は楽しそうでうらやましいと思った。
試合会場につくまでに終始和やかに過ごしていた。