夏休みに入って早々、啓介は表参道を上機嫌で歩いていた。
 ショーウィンドウに自分の姿を映し、カットしたばかりの髪を満足そうに横目で見る。

 オーバーサイズの白いカットソーに、アンクル丈の黒いワイドパンツ。足元は踵からつま先までヒールの高さが同じプラットホームサンダルで、黒いエナメル素材に映える銀色のスタッズが気に入っていた。
 好きな服を着て好きな街を歩くのは気分がいい。
 最先端の文化を発信しているという自負とプライドが街全体から伝わってきて、それがとても心地よかった。

 そのまま歩いて目的地である私立大に辿り着く。進路調査票で桜華大を消した跡に上書きした大学だ。
 正門をくぐり、キャンパスまで続くイチョウ並木に圧倒された。受付で参加証を提出し、そのまま奥に進む。受付と併設するテントには赤本やら運動部のグッズやらが販売されていて、商魂たくましいなと感心した。

 青々と茂った木々の隙間からこぼれる日差しを眺めていたら、都会のど真ん中にいると言う事を忘れそうになる。案内する在校生も見学に来た受験予定の生徒らも、誰もが皆、高揚しているように見えた。
 夏の匂いで満ちたキャンパスを、啓介はぐるっと見回す。ここに通えたら良いなと思う一方で、このキャンパスに馴染んでいる自分の姿はまるで想像できなかった。
 それは上京が難しいからというような現実的な問題ではなく、単純に「自分には似合ってないな」という感覚的なものだ。

 来たばかりだけど、もう帰ろうかな。そう思って来た道を戻ろうとした時、背後から肩を叩かれた。

「ねえ、キミ高校生? 一人で来たの? 心細いでしょう、案内してあげるよ」

 振り返ると、なんとも爽やかそうな青年が満面の笑みを浮かべて立っていた。必要ないと思った啓介は首を横に振って見せたが、青年は諦めずになおも食い下がる。

「そう言わずにさ。あ、もうお昼は済ませた? ここの学食有名なんだよ。一緒にランチでもどうかな。ご馳走するよ」
「いえ、結構です」

 啓介が声に出して断ると、明らかに動揺したように青年は目を泳がせた。

「えっ、あれっ。声低いね。もしかしてキミ、男の子?」

 青年の口から放たれた言葉で、ああ、ナンパだったのかと理解した。
 そう言えば今日は化粧をしているし、チョーカーで喉仏も隠れている。カットしたばかりとは言え、男にしてはまだ髪は長い方だろう。くるぶしまであるワイドパンツは、スカートに見えるかもしれない。
 女性と見間違えられるのも無理はないかと納得しつつ、小さくため息を吐いた。
 男かと聞かれて直ぐに頷けない自分がいる。

 青年は品定めするように、改めて啓介の爪先から頭のてっぺんまで粘っこい視線を這わせた。服の中までスキャンされているような感覚が不快でたまらず、その場から離れるために踵を返す。

「紛らわしいカッコすんなよ。おとこおんな」

 背後から聞こえた声を無視して立ち去ると言う選択肢もあったのだが、啓介は立ち止まることを選んだ。
 舌打ちと共に吐き出された毒が、足元からじわじわ這い上がって来る。
 こんな悪意に蝕まれるのは、まっぴらごめんだ。

「アンタが勝手に絡んできたんでしょ。僕は好きな格好してるだけ。ほっといて」

 気付くと手を伸ばして青年のシャツを掴んでいた。そのまま襟首を捻り上げると、体が浮いた青年が苦しそうに顔を歪ませる。啓介が華奢なので、無意識のうちに性格まで大人しいと思い込み、油断していたのだろう。

 手を離すと青年は、ヘナヘナと腰を抜かしたようにその場に座り込んだ。それを冷たく見下ろして、啓介がフンと鼻で笑う。これ以上関わるのは時間の無駄だと言わんばかりに、啓介は髪をかき上げ何事もなかったかのように駅に向かって歩き出した。

 普段なら声を掛けられても立ち止まることはないのだが、大学の構内なので油断してしまった。
 体の中の空気を入れ替えるように、啓介は大きく息を吸って吐く。せっかく髪を切って気分良く過ごしていたのになと、いじけたくなった。

 このまま歩いて渋谷に行こうか。お気に入りのショップを巡れば、そのうち気持ちも上がるだろう。
 それとも。
 歩きながらふと、桜華大(おうかだい)に行ってみようかという気持ちが湧いた。
 確か桜華も今日はサマーオープンカレッジを開催していたはずだ。事前予約が必要かどうかまでは調べていないが、もし入れなくても大学の周辺を見て回るだけで気分転換になるかもしれない。

「受験する気はないけど、他のコがどんな服を着てるのか気になるし。ちょっと見るだけ」

 誰に咎められる訳でもないのに、いちいち言い訳してしまう自分が少し可笑しかった。