講堂に着くと、わたし以外の部員はみんな集まっていた。

(あれ? 三年の先輩たちもいる)

 受験のために夏休み前に引退した三年生たちもいて、いつもより賑やかだ。
 舞台下に可動式のホワイトボードを置いて、その前で体育座りをして各自おしゃべりに興じている。
 それでも人数は十五人にも満たない。二年生は十人近くいるけど、一年生なんてわたしと成実と就也の三人だけだ。

 そういえば今日は大事なミーティングだって言ってたっけ――そう考えた時、ふと、最前列に座る成実と目が合った。

 けれどすぐにそらされ、背を向けられる……いつもなら、笑って手招きしてくれるのに。
 胃がぎゅっと縮むのを感じた。

 仕方なくすみっこに座ると、近くにいた二年生の織屋先輩が、

「はづるん。成実ちゃんと何かあったの?」

 そう訊いてきた。
 わたしは曖昧にごまかすしかなかった。

「時間になったので始めるよー」

 部長の板山(いたやま)先輩が号令をかける。
 その隣には、三年生の香西(かさい)皐平(こうへい)先輩がいた。
 分厚い眼鏡をかけて少し神経質そうに見えるけど、人望の厚い元部長だ。舞台の監督や演出も兼任していた。

「みんな久しぶり。元気だったかな?」

 香西部長……じゃなくて、香西先輩が明朗な調子で尋ねると、口々に返事が飛ぶ。

「今日は、三月にある卒業式公演の話をしにきたんだけど……覚えてた人、いる?」

 しーん、と静まりかえる。
 香西先輩は苦笑いした。

「まじかー。ゆるゆる部活でも覚えておいてほしかったな。一応、秋の文化祭公演と並んで、我が演劇部の二大イベントなんだけど」

(そこは全国大会とかじゃないんだ……)

 毎年夏に全国高等学校演劇大会というのがあるけど、この部は地区大会にすら出ようとしない。
 入部した直後に年間スケジュールを見た時、予定らしい予定がなくてすごくびっくりした。特に成実が。

「簡単に説明するよ。卒業式で、送辞と答辞の間に軽演劇をします。演目はオリジナル脚本の十分程度の短編。これはうちの伝統行事です」

 二年生のひとりが、手を上げた。

「伝統行事なんですか? 去年そんなのやった覚えがありませんけど」
「それは君たちが、一年生トリオと同じく今年度の四月から入部したから。やった覚えがないのは当然だね。そして去年の卒業式は人手が足りなくて中止になった」

 そういえば、そのあたりのことも最初の頃に聞いた。
 今の二年生は、全員内申書に『部活動経験あり』って書くためだけに入部したんだって。
 でも、この学校ではそういうのは珍しくなくて、むしろ純粋に演劇目的で入部したわたしたちのがレアなんだと香西先輩が言ってた。
 ――「だから歓迎するよ!」
 四月の桜散る頃。香西先輩が笑顔でわたしたちに言ってくれたことを思い出す。
 香西先輩は演劇が好きなんだなってよく分かった。

「でも今年は、声優志望の一年生トリオがいるからね。喜多くん、南野さん、小山内さん、よろしく頼むよ」

 急に話を振られて、焦った。
「はい!」と就也。
「……はい」と成実。
「は、はいっ」
 一拍遅れてから返事をする。少しどもっちゃった。
 就也はにこやかだけど、成実はふてくされた態度だった。

 成実は、この演劇部が嫌いだから。
 事あるごとに「超がっかり。っていうか裏切られた気分」「演劇の強豪校だって聞いたから、頑張って入学したのに」って愚痴る。
 ……何より、わたしのこともあるのだろう。
 またおなかがギュッとなった時、背後からドアが開く音がした。
 顧問の先生かなと思って振り向くと、

「あっ」

 講堂に入ってきたその人と、同時に声を上げる。
 スラリとした背格好、甘さの少ないシャープな顔立ち。ブレザーの胸ポケットの万年筆。
 さっき一緒に靴を探した、あの三年生の男子生徒だった。
 隣にいる織屋先輩が「うわっ、顔がいい」と息を呑み、女子からざわめきが起こる。

「小山内さん、雛田(ひなた)と知り合い?」
「えっ?」

 みんなが一斉にわたしに注目する。

「さっき、ふたりとも『あっ』って言ったよね」

 香西先輩めざとすぎっ。

「さっき、ちょっとな」

 低い声で、雛田と呼ばれた先輩が簡潔に言った。

「ふうん。――遅かったね。何かあった?」
「電話がかかってきた」
「へえ。ディレクターさんから?」

 聞き慣れない単語に、頭にハテナが浮かんだ時だった。

「うそっ、もしかして雛田(はやて)さん!?」

 成実が立ち上がって大声を上げた。わたしからは背中しか見えないけど、興奮しているのが分かった。

「テレビ夕陽(ゆうひ)の、シナリオ新人賞で大賞とった人ですよね! 帝都(ていと)チカヤ主演で映像化されるやつ!」

 誰もが知ってるテレビ局と男性アイドルの名前が出てきて、一気に場の空気がアツくなる。

「えぇええええ! まじ!?」
「チカやんがSNSで言ってたやつ!?」
「ネットで史上初の高校生受賞者って話題になってたけど、うちの高校のやつだったの!?」

 さっきまでこっそりスマホをいじっていた人も、居眠りしかけてた人も、みんな一様に驚いている。
 わたしは驚きすぎて声も上げられなかった。

(そんなすごい人だったの……?)

 チープな感想しか浮かばない。
 当の雛田先輩はうるさそうに耳を撫でた。こんなに歓声を浴びてるのに、どうでもいいみたいに。
 香西先輩が手を叩いて、場を鎮める。

「紹介する前にうっかりバレちゃったな。――改めて、こちらは雛田颯くん。うちの元部員で、南野さんの言うとおり、テレビ夕陽シナリオ新人賞の今年の大賞受賞者だよ」

 おおー、とざわめきが起こる。

「でも、できればこれはオフレコにしてほしいな。今は三年生が大事な時期だから、なるべく刺激しない方がいいって先生方の意見なんだ。雛田も卒業するまでは騒がれたくないって。そうだよね」
「まあな」

 雛田先輩が短く答える。
 ……言っちゃ悪いけど、無愛想な人だなぁ。さっきは親切だったのに、ちょっと怖いかも。

「だから演劇部以外の人には言わないでほしい。もちろんSNSに書き込むのもやめてやってね」

 隣の織屋先輩が、ギクッと身体をこわばらせるのが分かった。
 こそこそSNSのアプリを開いてるなと思ったら。そういえばこの先輩、ミーハー気質のオタクだった。
 成実が「分かりました」と答える。それでみんな、了承したようだ。

「ありがとう。――ほら、雛田もお礼言って」
「なんで俺が」
「礼儀は大切。演劇の基本だろ」
「……」

 雛田先輩はばつが悪そうに、「よろしく」と言った。お礼……ではないような。
 香西先輩は軽くため息をつくと、パッと切り替えた。

「さて本題。雛田は今年の答辞担当なんだ。だから劇との兼ね合いもあるから、ちょくちょく顔を合わせると思う」

「すごいね。答辞って学年主席がやるんでしょ?」

 織屋先輩がこっそり話しかけてきた。

「頭いいんですね……」

 シナリオの賞ってことは、脚本家? 高校生で?
 すごいなぁ。才能があって頭もよくて、おまけにあんなにかっこいいなんて。本気でアニメの中の人みたい。

(生きる世界が違うって感じ……)

 そして、香西先輩が卒業式当日の簡単な流れと、軽演劇の内容について説明する。
 台本も配られた。十ページほどのペラペラの台本は、内容も「みんなで夢を叶えよう」とペラペラだった。
 雛田先輩はずっと険しい表情で、何ひとつ口を挟まなかった。機嫌が悪そうに見える。

「ねー部長、練習ってどうなんの?」
「俺、バイトあるからさ、放課後居残りとか無理なんだけど」
「私も予備校が……」

 二年生から質問が飛ぶと、板山部長は両手を振った。

「大丈夫だよ! 見てのとおりの短い劇だから、特に練習はいらないよ。軽く読み合わせをして、動きを決めて、前日に通しでやるくらいだから!」

 そんな説明をされた後、成実の方を見ると……じっと床を見つめていた。
 明らかに不機嫌そうだ。二年生の態度と、「特に練習はいらない」が勘に障ったのだろう。

(あれ?)

 気のせいかな……雛田先輩も、眉間の皺が深くなった気がする。
 雛田先輩の隣でずっとニコニコしてる香西先輩が、板山部長の肩を叩いた。

「うちの演劇部、今はこんなゆるふわだけど、昔は全国大会常連の強豪校だったんだよ。面目躍如、頑張ってくれよ」
「不安……しかないです」

 板山部長は完全な『名前だけ』部長だ。文化祭の公演も、香西先輩が仕切った。既に引退していたのに。
 大丈夫大丈夫、と香西先輩が優しく繰り返して、板山部長が顔を上げた時だった。

「――そう思うんならやめろ」