手が離れた途端、成実と就也は膝を折った。激しく咳き込み、えずく。
それと同時に、ふたりを覆ったまっくろな影が消え失せた。
「だ、大丈夫!?」
とりあえず校舎内に連れていって、濡れた背中をさするわたしに、成実が呼んだ。
「ごめん。羽鶴、ごめん!」
成実がわたしの腕に縋り、頭を下げた。
「ごめん……成実もごめん。オレ、最低なことをした……!!」
悲痛な声で謝るふたりに、わたしは安堵のため息を漏らした。
「元に戻ったんだね……」
成実が首を横に振る。
「元に……ってのは違うかもしれない。間違いなくあたしの本心だったもの。合格発表の日から、ずっと胸に得体の知れないまっくろなものがあって……押し潰されそうだった」
「羽鶴の合格を喜ばなきゃ、次に切り替えなきゃってのは自分でも思ってたんだけどな……」
「気づいたら、黒くてホコリみたいな……小さな影があたしの周りに漂ってたの。それが日毎に増えて……就也も?」
「ああ。だんだんそれに侵食されていくみたいな感じだった……」
ふたりともあれに……『魔』に気づいてたんだ。
予想は的中した。〈カナコちゃんの呪い〉は、やっぱり夢が叶った人の周囲に及ぶんだ。
「あんな態度取りたくなかったし、ひどい言葉も言いたくなかった、でも……」
どうしても自分をコントロールできなかった。
ふたりはそう告げると、いっそう謝った。わたしは〈カナコちゃんの呪い〉をかいつまんで説明する。
「だから大丈夫。ちゃんと分かってるよ」
そう言ったけど、成実も就也も頷かなかった。
「たとえ呪いで増幅されたとしても……あれがあたしの本音だった」
「あの卑怯さが、オレの正体だったんだな……」
ひどくショックを受けるふたりは、「もっと怒れ、殴ってもいい」と言ったけれど、わたしは拒否した。
「怒るのも殴るのもわたしには向かないよ。それに……わたしがふたりの立場だったら、きっと同じようになってた」
今回はたまたま、わたしが妬まないで済む立場だった。ただそれだけの違いだ。
成実も就也も納得がいかないようだけど、わたしは意見を変えなかった。
「わたし、雛田先輩を探さなきゃならないの。ごめんね、もう行くね」
階段を駆け下りる寸前、成実に呼ばれた。
「羽鶴。雛田先輩は、たぶん『あいつ』と一緒にいるよ」
「あいつ……カナコちゃんのこと?」
「ずっと取り憑かれていたせいかな。なんとなく分かるんだ……」
就也も同意するように頷いた。
「分かった」
立ち上がって、階段を下りる寸前、わたしは鞄とトートバッグの持ち手を持って、
「これ、お願い!」
と、ふたりの友達に託した。
廊下を急ぎながら、スマホで織屋先輩に電話を掛ける。すぐに出てくれた。
「雛田先輩、見つかりましたか!?」
『まだ。連絡もつかない。パイセンの家に電話しようかと思ったんだけど、香西先輩も家電は知らないっていうから、いま先生に頼んでる最中!』
「そうですか……」
どこにいるんだろう、雛田先輩は。
〈カナコちゃんの呪い〉の目的が、呪いの対象を孤立させて絶望させて、自ら命を絶たせることなら、先輩は危ない。
賞自体にこだわりはないとしても、先輩はシナリオに本気でぶつかり続けた。
それが評価されたのなら喜んだだろうし、夢を叶える切符を手に入れた万能感も普通にあっただろう。
わたしがもし、アロサカの企画が白紙になりました、あなたはもう要りませんと言われたら――絶望する。
あんなに頑張ったのに、もう二度と無いチャンスなのにと落ち込む。
本気であればあるほど、すぐに切り替えることなんかできない。
雛田先輩は強い人だ。
でも、いつでも強い人なんているわけない。
呪いは、その隙をついて、人を死に誘うんじゃないのだろうか……
「織屋先輩、あの、カナコちゃんの話なんですけど」
『えっ、なに突然?』
「その、文芸部とか教室以外で、カナコちゃんに繋がりそうな場所って分かりませんか? あの、その、たとえば死んだ場所とか!」
織屋先輩の返答は、『分からない』だった。
それもそうか。なんとなく学校で亡くなったイメージだったけど、七不思議のひとつだからって舞台が学校とは限らないわけで……。
……七不思議?
(そういえば、……就也が言ってた)
合格発表の前の他愛ない雑談。就也がこの学校の七不思議を諳んじた中に、
「『幽霊が出る講堂』……」
『え? はづるん、何?』
織屋先輩が戸惑ったけど、わたしは通話を切った。そして、再び校舎の外に出た。
講堂だ。
そう思ったのは、単にイメージの問題だった。
階段、鏡、肖像画は無機物。トイレにいるのは花子さん、理科室は模型、幽霊の正体が曖昧なのは講堂だけ。
だから、講堂に出るという幽霊こそがカナコちゃんなのではないか、と直感した。
アニメのキャラみたいに霊感や超能力なんて持ってない。けど、それ以外に思い当たらない!
いつものように、講堂を目指してグラウンドを横切る。砂がぬかるんで走りにくい。
雨足がどんどん強くなる。真っ昼間なのに逢魔が時以上の薄暗さだ。これから起こる恐ろしいことを予感させるような――まるで舞台の演出だ。
起こらない。恐ろしいことなんて、起こらせるもんか!
それと同時に、ふたりを覆ったまっくろな影が消え失せた。
「だ、大丈夫!?」
とりあえず校舎内に連れていって、濡れた背中をさするわたしに、成実が呼んだ。
「ごめん。羽鶴、ごめん!」
成実がわたしの腕に縋り、頭を下げた。
「ごめん……成実もごめん。オレ、最低なことをした……!!」
悲痛な声で謝るふたりに、わたしは安堵のため息を漏らした。
「元に戻ったんだね……」
成実が首を横に振る。
「元に……ってのは違うかもしれない。間違いなくあたしの本心だったもの。合格発表の日から、ずっと胸に得体の知れないまっくろなものがあって……押し潰されそうだった」
「羽鶴の合格を喜ばなきゃ、次に切り替えなきゃってのは自分でも思ってたんだけどな……」
「気づいたら、黒くてホコリみたいな……小さな影があたしの周りに漂ってたの。それが日毎に増えて……就也も?」
「ああ。だんだんそれに侵食されていくみたいな感じだった……」
ふたりともあれに……『魔』に気づいてたんだ。
予想は的中した。〈カナコちゃんの呪い〉は、やっぱり夢が叶った人の周囲に及ぶんだ。
「あんな態度取りたくなかったし、ひどい言葉も言いたくなかった、でも……」
どうしても自分をコントロールできなかった。
ふたりはそう告げると、いっそう謝った。わたしは〈カナコちゃんの呪い〉をかいつまんで説明する。
「だから大丈夫。ちゃんと分かってるよ」
そう言ったけど、成実も就也も頷かなかった。
「たとえ呪いで増幅されたとしても……あれがあたしの本音だった」
「あの卑怯さが、オレの正体だったんだな……」
ひどくショックを受けるふたりは、「もっと怒れ、殴ってもいい」と言ったけれど、わたしは拒否した。
「怒るのも殴るのもわたしには向かないよ。それに……わたしがふたりの立場だったら、きっと同じようになってた」
今回はたまたま、わたしが妬まないで済む立場だった。ただそれだけの違いだ。
成実も就也も納得がいかないようだけど、わたしは意見を変えなかった。
「わたし、雛田先輩を探さなきゃならないの。ごめんね、もう行くね」
階段を駆け下りる寸前、成実に呼ばれた。
「羽鶴。雛田先輩は、たぶん『あいつ』と一緒にいるよ」
「あいつ……カナコちゃんのこと?」
「ずっと取り憑かれていたせいかな。なんとなく分かるんだ……」
就也も同意するように頷いた。
「分かった」
立ち上がって、階段を下りる寸前、わたしは鞄とトートバッグの持ち手を持って、
「これ、お願い!」
と、ふたりの友達に託した。
廊下を急ぎながら、スマホで織屋先輩に電話を掛ける。すぐに出てくれた。
「雛田先輩、見つかりましたか!?」
『まだ。連絡もつかない。パイセンの家に電話しようかと思ったんだけど、香西先輩も家電は知らないっていうから、いま先生に頼んでる最中!』
「そうですか……」
どこにいるんだろう、雛田先輩は。
〈カナコちゃんの呪い〉の目的が、呪いの対象を孤立させて絶望させて、自ら命を絶たせることなら、先輩は危ない。
賞自体にこだわりはないとしても、先輩はシナリオに本気でぶつかり続けた。
それが評価されたのなら喜んだだろうし、夢を叶える切符を手に入れた万能感も普通にあっただろう。
わたしがもし、アロサカの企画が白紙になりました、あなたはもう要りませんと言われたら――絶望する。
あんなに頑張ったのに、もう二度と無いチャンスなのにと落ち込む。
本気であればあるほど、すぐに切り替えることなんかできない。
雛田先輩は強い人だ。
でも、いつでも強い人なんているわけない。
呪いは、その隙をついて、人を死に誘うんじゃないのだろうか……
「織屋先輩、あの、カナコちゃんの話なんですけど」
『えっ、なに突然?』
「その、文芸部とか教室以外で、カナコちゃんに繋がりそうな場所って分かりませんか? あの、その、たとえば死んだ場所とか!」
織屋先輩の返答は、『分からない』だった。
それもそうか。なんとなく学校で亡くなったイメージだったけど、七不思議のひとつだからって舞台が学校とは限らないわけで……。
……七不思議?
(そういえば、……就也が言ってた)
合格発表の前の他愛ない雑談。就也がこの学校の七不思議を諳んじた中に、
「『幽霊が出る講堂』……」
『え? はづるん、何?』
織屋先輩が戸惑ったけど、わたしは通話を切った。そして、再び校舎の外に出た。
講堂だ。
そう思ったのは、単にイメージの問題だった。
階段、鏡、肖像画は無機物。トイレにいるのは花子さん、理科室は模型、幽霊の正体が曖昧なのは講堂だけ。
だから、講堂に出るという幽霊こそがカナコちゃんなのではないか、と直感した。
アニメのキャラみたいに霊感や超能力なんて持ってない。けど、それ以外に思い当たらない!
いつものように、講堂を目指してグラウンドを横切る。砂がぬかるんで走りにくい。
雨足がどんどん強くなる。真っ昼間なのに逢魔が時以上の薄暗さだ。これから起こる恐ろしいことを予感させるような――まるで舞台の演出だ。
起こらない。恐ろしいことなんて、起こらせるもんか!