放課後の講堂に、わたしの声が響く。
 跳ね返ってくるそれをなるべく客観的に聴こうとしながら、わたしは最後の一行を「これで仕舞いです」の意を込めて放った。

「ホホ敬って、ういろうは、いらっしゃりませぬかーあ!」

 仕上げに手を合わせて深くお辞儀する。
 さてこの試みはどうだろうか、と、わたしは就也と――雛田先輩を窺った。
 顔合わせの日から九日経って、火曜日。部活の日。

「どうでしたか!」

 意見を促すと、就也が軽く拍手をする。
 就也は先週まで家の用事があったそうで、今日は久々の参加だ。

「うん。いいと思うよ。外郎売に設定をつけて読み上げるって、今まで無かった発想だったけど、面白いね」

 笑顔の就也とは対称的に、どっしりと胡座をかく雛田先輩は、しかつめらしい表情のままだ。

「今のは『家族が作った借金のせいでとにかく金が欲しい外郎売』でいいのか?」
「は、はい!」

 わたしは手早く足元に置いてあった小さめのリングノートを拾い上げる。

「必死さが足りない。金がなければ一家離散か一家心中の崖っぷちまでに追い込まれた人間にしては、緊張感が少なかった。あと設定に引っ張られるあまり、せっかく出来ていた鼻濁音と濁音の区別が曖昧になった。気をつけろ」
「はい!」

 必死にメモを取る。先輩は二度は言わないので、聞き漏らせない。

「個人的には先週金曜日の『実は詐欺師で眉唾物を売ろうとする外郎売』の方が面白かった。以上だ」
「はい、ありがとうございます!」

 大きく一礼する。
 就也がポカンと口を開けた。

「どしたの、就也?」
「や、羽鶴と雛田先輩、いつの間にそんな仲良く……距離が近くなったんだ?」
「仲良くなってねぇよ。こいつが部活の時間になったら俺がいる図書室まで来て、引っ張っていくんだよ」
「羽鶴がですか!?」
「誤解だよ、引っ張ってなんかない! ただ、練習を見てくださいってお願いしてる……だけで……」
「羽鶴が……?」

 就也が信じられないと言いたげな顔になるのも分かる。
 こんな積極的な行動、少し前のわたしなら考えられない。
 けれど、……手段は選んでいられないのだ。

「図書室とはいえ衆人環視の中、後輩の女子に頭下げられて断れるわけないだろ」
「迷惑だったらすみません。でも……先輩ならお世辞とか気遣いとか無縁だから、バシッと言ってくれて有難いんです」
「前から思ってたけど、おまえ結構失礼だな?」
「えっ!? そうですか!?」
「そうだよ。ついでに図々しい。東京に行く前の練習の日、俺のバアさんの話も聞き出そうとしただろ。直前にあそこまでボロクソ言われたのに、萎縮するだろフツーは」
「――しかしそんな後輩を、雛田颯は憎からず思っていたのだった」

 某まるこちゃんのナレーション口調で間に入ってきたのは、織屋先輩だった。

「ですよね、パイセン! 心の中でははづるんのこと可愛い後輩って思ってますよね!」

 グッとサムズアップして、織屋先輩が雛田先輩の顔を覗き込む。

「勝手に言ってろ、妄想女」

 と憎まれ口を叩く雛田先輩。その様子に、遅れて入ってきた香西先輩が苦笑する。
 織屋先輩は挫けない。

「えーでも、可愛い後輩だと思ってなきゃ何ゆえここにいるんですか。三年生はいま自由登校でしょ?」
「基本毎日登校してんだよ。図書室で勉強と執筆するためにな」
「えっ、新作書いてるんですか? ていうか家で書けばいーのに」

 ご尤もな疑問に、代わりに香西先輩が答える。

「もうすぐ卒業だからね、僕たちは」

 それを聞いて、織屋先輩が思い出したように頷いた。

「……ああ、そうですね」

 もう二月も半ば。
 あと数週間もすれば、雛田先輩も香西先輩も卒業だ。
 学校にいたい理由はなんだか分かる気がする。

「小山内さん。あんなこと言ってるけどね、雛田は練習に付き合うの嫌じゃないんだよ。元々面倒見もいい方だし、昔、一方的に練習日を減らした先輩と大喧嘩して部活やめたけど、演劇部自体は好きなんだよ。だからドンドン利用するといいよ」

 それを聞いて「はい」とは答えられない。

「利用っつったか今?」

 当の先輩が睨む。けど香西先輩はどこ吹く風だ。

「あ、もちろん喜多くんもね!」
「はあ……」

 就也も曖昧にしか頷けない。
 わたしは気を取り直して、就也に言った。

「待たせてごめんね、就也。他の人の外郎売も聞きたかったんだ」

 途端に、就也表情を曇らせた。

「ごめん。実はさっきの休憩で家から電話が入って……早めに帰らなきゃなんないんだ」

 手の先がピリッと痺れた。
 就也は何度も謝って、わたしは笑顔を作って、「仕方ないよー」と見送る。
 帰っていく就也が背中に、胸が痛くなった。

(就也……)
 気持ちが勝手に沈む。
 すると織屋先輩がわたしの顔を覗き込んだ。

「はづるんさ、なんか可愛くなった?」
「うえっ?」

 藪から棒にそんなことを言われた。

「あ、僕もそれ思った。髪型が少し変わったし、メイクもちょっとしてるよね」
「ですよねー。先週はあまり気づかなかったけど、可愛くなってる。雛田パイセンもそう思うっしょ?」
「……?」
「あ、ダメっすわ。これ全然分かってない顔っすわ。パイセン、顔だけなら学園もののイケメンヒーローでいかにも『面白れー女』とか言いそうなのに、何故そんなびみょーに残念なんですか?」
「何故と言われる方が何故なんだが。つまりこいつが外見を磨いたってことか?」

 もう少し言いようがあると思う。

「声優は外見も重要だと聞いたので……今更なんですけど。先週、初めて眉毛を描いて登校したら濃すぎて。クラスメイトに爆笑されて先生に呼び出されました……」
「あはは、あるあるー。でもいいことじゃん。やっぱり顔だよ顔! 顔がよければ八割よし!」
「すべてって言わないところが意外と冷静だよね、織屋さんは」

 ははは、とふたりの先輩の笑い声。
 先週の失敗を思い出し、苦々しく思っていると、

「……東京行って、何かに目覚めたってわけか」

 雛田先輩の問いに、わたしは迷いなく「はい」と答えた。