蒸し暑さで目覚めた決戦日の朝。時刻は十一時を優に過ぎていた。重い身体を起こし、エアコンの電源を入れ、汗を流すためにシャワーを浴びに行く。周りは仕事をしているというのに、咲佑は呑気に家で過ごすだけ。自分がNATUralezaのメンバーでいる意味があるのか、日を増すごとに迷宮入りしていく。
デビューして丸三年。メンバーは確実に仕事を増やしていた。しかし、いつになっても咲佑にだけは何故か仕事の依頼が来なかった。凉樹は、とあるバラエティ番組に出演して以来、人気に火をつけた。朱鳥は歌うま芸能人が集う番組でその力を発揮し、今でも歌う関連の仕事中心に依頼が舞い込み、その度に、年上女性を中心に人気を博している。夏生は高校を卒業してすぐにドラマのオーディションに合格し、そこから一気に演技の仕事が入った。演技も上手く、そしてモデルのような顔の小ささとそれなりの身長からか、各方面から注目を集めている。桃凛は頭脳派の一面を活かし、有名大学に通いながら、今はクイズ番組で活躍している。そんなメンバーのことを、咲佑はただ何となく凄いという気持ちで眺めていた。いつか色んな番組に出て有名になりたい、なんて夢を持っていたことが、馬鹿馬鹿しく思える。やはり自分は芸能界に向いていないのではないかと思い始めていた。
そう思い始めた原因の一つが、母から掛けられた何気ない一言。その一言を言われたのは、つい一週間前、母と電話で会話をしているときだった。この日は母の機嫌も、そして咲佑の機嫌も悪かったためか、何気ない会話のつもりが、いつしか口喧嘩のような状態に陥ってしまっていた。気まずい空気になったのは、久しぶりだった。決して咲佑は母と仲が悪いわけではない。一か月に一度は必ず一人暮らしの家に来て、数種類の料理を作り置きしてくれる。そんな母に対し、咲佑は感謝してもしきれないぐらいの気持ちでいるが、そのことに関しても、会話の流れで喧嘩になった。
「咲佑、あなた一人じゃご飯作れないから、私が月に一度行ってあげてるのよ?」
「あげてるって、俺が頼んだみたいな言い方じゃん。あのさ、なんか料理できないって決めつけられてるけど、俺、料理しようと思えばできるし。それに今、仕事少ないから暇だし―」
「暇だし…って、ねぇ、咲佑、いつになったら売れるの? あなただけでしょ、売れてないの。お母さん心配なんだけど」
「そう言うなよ。売れる、売れない、その話今関係ないし。ってか俺だって分かってるよ。自分に人気がないことぐらい」
咲佑の母はこのとき、諦めからか大きなため息を吐いた。
「だからあの時言ったでしょ、咲佑に芸能界は向いてないよって」
「どういうところが向いてないって言うんだよ。具体的に教えてくれよ」
「咲佑の人気が出ない一因には、BL好きを公表してることにあると思う。咲佑は顔とかだと人気だと思うんだけど、やっぱり趣味が影響してるんじゃないの? 今からでもいいから、万人受けのいい趣味を見つけなさいよ」
「俺にBL以外の趣味は必要ないから」
「そんなこと言ってるから咲佑は人気が出ないのよ。自分でも分かってるんじゃないの?」
「分かってるよ。でも、人気が出ないから仕方ないだろ。周りが才能ある人間ばっかだったんだよ。だから俺は埋もれてるだけ。いつか芽が出ることを信じて今までやってきた。でも、今はまだ芽が出そうにないだけで―」
「だったら、いっそのこと芸能界辞めて企業に就職しなさいよ。お姉ちゃんは早々に芸能界諦めて、今は真面目に、しかも子育てしながら働いてるのよ? それにお父さんなんて高校から定年まで同じ会社に勤めたのよ? 咲佑にもその背中、見習って欲しいぐらいだわ」
早口でそう言われた刹那、咲佑のスイッチはオフになった。電話する気力もなくなり、「忙しいから」とだけ言って電話を切った。
*
咲佑が芸能界に入ることを薦めてきたのは、母ではなく父だった。母はどちらかと言えば芸能界入りを反対していた。父が薦めてきた理由は、子供に色々な経験をさせてあげたいという思いからだった。その想いに応えるべく、咲佑は芸能界入りを志願した。姉も芸能界に入りたいという夢を持っていたが、なりたい職業を見つけ、その道に進むことを決めた。
芸能界入りについて家族四人で話し合いをする際、姉は常に中立的な立場にいて、時には父の意見に耳を傾け、時に母の思いに寄り添っていた。そうは言っても、咲佑が自由に発する意見には興味を示そうとしなかった。当時は、年頃の男の子の発言としかとらえていなかったらしい。咲佑の芸能界入りが決まった時、姉は結局母の見方をした。咲佑の話も、父親の話もろくに聞かず、常に母親だけの話を聞いていた。立場的に一人になる母のことを見ていられなかったのだろうが、咲佑は少しだけ寂しい思いをしていた。
それから時が経ち、今となっては、姉はNATUralezaの虜になっている。しかし、母の思いは十年経っても全く揺らぐことはなかった。何度か姉に誘われる形でNATUralezaが出演するイベントに足を運んでくれたものの、それでも母の、咲佑に抱く想いは変わらなかった。芸能界に対してマイナスのイメージしか持っておらず、アップデートして、プラスにしようとはしなかった。そんな母のことを、咲佑もどう相手してあげればいいのか、どんな会話を交わせばいいのか、困っていた。
実家を出て四年。お正月とお盆以外は実家に帰ることはなかった。それは実家に寄り付きたくないという思いで埋め尽くされていたからでもあり、月に一度顔を見せに来る母親と、別に会う必要もないと思っていたからでもあった。寄り付きたくなかったのには理由もある。実家に帰り、その辺を散策しようものなら、必ずと言っていいほど同級生と出会う。その度にNATUralezaの話題になる。そして、BL好きであることを弄られる。毎回こういった流れになるのが嫌で、自然と帰る気も失せていった。
母の言う通り、いっそうのこと芸能界から身を引いて、地元ではないどこかの企業に就職して、結婚したほうがマシなんじゃないかと考えるようになっていた。が、その結婚相手が見つからない。そもそも咲佑は結婚どころか、女性に興味が無かった。興味があるのは、男性との同性婚。そういう、自分自身の恋愛観に関することは、今まで家族の誰にも相談してこなかった。でも、そのことを今日初めて、メンバーにだけ打ち明ける。間違えなく決戦日になるだろう、そう咲佑は思っている。
伝えない幸せもあるのかもしれない。けど、絶対に後悔だけはしたくない。その思いが咲佑の脚を引っ張っていた。
十八時の待ち合わせ前にやって来た凉樹。居酒屋ということもあってか、パーカーにデニムといういで立ちで現れた。
「よぅ、咲佑」
「お疲れ。早いじゃん」
「まあ、仕事あったの午前中だし。午後は暇してたから」
「そっか…」
咲佑は思わず半笑いしてしまう。そんな様子を気にしているのか、していないのか分からない笑みを浮かべる凉樹。
「それより、咲佑。お前やっぱ何か隠し事してるだろ」
冗談とも、真剣とも取れるその言い方に、咲佑は一瞬だけ下を向き、ニヤつく。
「何で、俺が隠し事してると思った?」
「お前が纏ってる負のオーラ。それが、もうすべて語ってんだよ」
「負のオーラ、か」
「それに、咲佑とはもう十年の付き合いだろ? だから分かるんだよ、それぐらい」
「そっかぁ。やっぱ、凉樹には隠し事できないな」
「やっぱりな。で、何隠してんだよ」
溜息交じりに息を吐く咲佑。凉樹の、探偵のような鋭い物言いに、思わず口が走りそうになるが、必死に堪える。
「その隠してたことを、今日この場で、メンバーにだけ話そうと思ったんだよ」
「そう、だったのか…。知らなくてごめんな」
「いいよ、知ってるほうが怖いって」
「だよな」
凉樹が、どことなくぎこちない笑みを浮かべる一方で、咲佑の表情は暗くなっていく。
「でも、凉樹には先に伝えておいたほうがいいかもしれない」
「え、俺にだけ…?」
「うん。グループにかかわること、だからさ」
「隠してたことって、重い系の話なのか?」
「うん、まあな。でも、メンバーがそれぞれどう捉えるかによって、重さは変わるだろうけどな」
「何だよ、それ」
悩みを切り出さない咲佑に、どう対応すればいいのか困った様子で、凉樹は他人事のように笑う。
「で、結局教えてくれないわけ?」
「教えてやってもいいんだけど。じゃあさ、今聞いて後悔するか、あとで一緒に聞いて後悔するか、どっちがいい?」
「どっちがいいって…。ってか、何で後悔する前提でいるんだよ。もっと前向きになれよ」
咲佑が出した二択に答えようとせず、悩み苦しんでいる咲佑に、さらに追い打ちをかけるかのような言い方をした凉樹。咲佑の心の奥の怒りが、湧いてきた。
「なれるわけないだろ。このことで俺がどれだけ思い悩んできたか、知らないからそうやって他人事みたいな感じで、ものが言えるんだろ」
「知るわけないだろ。俺はお前じゃないし。いいよ、あとで一緒に聞くから」
「……、分かった。じゃあ、あとで話す」
歪んだ空間。淀んだ空気。空っぽになった二人の心。そして二人は願う。早く、この場に来てくれ、と。
まだ料理も何も運ばれてきていない個室。メンバーが来れば、店長が直々に料理を運んでくれるようになっている。今回は咲佑自身が奢ることになっているため、格安メニューばかり頼んでいる。でも、その中にはメンバーの好物も入れている。それは、こうして同じ店で飲食できるのは、今日が最後になるかもしれないから。最後に思い出だけでも欲しいという、咲佑の、一個人的な気持ちがあるから。実際、今日が最後になるか分からないけれど、何となく、そんな気がしていた。
二人の願いが伝わったのか、五分もしないうちに朱鳥、夏生、桃凛がやって来て、個室の襖を開けた。
「凉樹くん、咲佑くん、お疲れ様です」
「お疲れ様」
「って、あれ? 料理まだ来てないんすか?」
朱鳥が二人に頭を下げたあと、どこか不服そうな感じで問う。
「そう焦るなよ。店長がもう運んできてくれるだろうから、それまでは待ってくれ」
咲佑が朱鳥を宥めるように言うと、朱鳥は「はーい」と、軽々しく返事した。
三人が荷物を置いたり、椅子に腰かけたりしていると、襖の奥から聞きなれた店長の威勢のいい声が聞こえてきた。咲佑はその声に、胸を撫でおろす。
「お待たせ。今日は特別だよ」
店長自らが運んできた料理を見た一同は、手を叩いて喜ぶ。現状のNATUralezaのことをよく知る店長が気を利かせ、いつもより豪快に盛り付けられた品々が、テーブルの上を支配していく。低価格とは思えないほどのクオリティと量。仕事終わりの男たちにとっては、そのすべてが輝いて見え、最高に思える。
「店長、ドリンクの注文してもいい?」
店長と目を合わせて咲佑が尋ねる。店長は「あいよ」と、今度は渋い声を出す。
「凉樹は、何呑む?」
「俺はいつものレモンサワーで」
「俺も! 凉樹くんと同じレモンサワー」
朱鳥が凉樹の声に被さるようにして言う。店長は頭の中に注文を取る。そして、夏生がリンゴジュースを、桃凛がオレンジジュースを、咲佑はコーラを頼み、運ばれてくるのを待った。
「夏生、今日は緑茶ハイじゃなくていいのか?」
メンバーの前に小皿を並べながら、凉樹が聞く。
「はい。急遽明日朝早くに撮影が入ったんです。なので」
「そうか。で、どうなんだ、撮影は?」
「順調と言えば順調ですけど、まだ始まったばっかなんで、何とも」
「秋には主演映画の公開があって、冬には主演ドラマの放送って、売れっ子になったな、夏生も」
「そんなことないですよ。でも、NATUralezaの名前が全国に広がるよう、精一杯頑張ります」
「そうか。頼りにしてるぞ、夏生」
凉樹からの激励に、夏生は照れ笑いする。その様子を見て、朱鳥と桃凛も自然と笑顔になる。場は完全に和み始めた。
五人だけの食事会は久しぶりのことだった。デビュー当時はまだ互いに仕事が少なかったため比較的集まりやすかったが、ここ最近、個々の仕事が目立ち始めたばかりに、マネージャーの正木を含め、全員で集まれる機会が格段に減った。集まると言っても、五人揃っての番組収録ぐらいで、最近メンバーがどんなことをしているのか、共有のスケジュールアプリ上でしか知り得なかった。以前はメンバーの誕生日会をしていたが、一人、また一人と二十歳を迎えたことを境に、会そのものも無くなっていた。次集まるとすれば、桃凛の二十歳を祝う誕生日パーティーなのだろうが、現状開催されるかも未定で、そもそも咲佑がその場にいられるかどうかも分からない。だからこそ、今日は咲佑にとって決戦日であることに違いない。
「そう言えば咲佑くん、話ってなんですかぁ?」
「あっ、もしかして好きな人ができた的な感じすか?」
「好きな人ができたって、それ朱鳥くんのほうじゃないですか。咲佑くんはそんなこと、こんな場所用意してまで言わないと思いますけど」
「あ、確かに夏生の言う通りかもな」
三人は、凉樹と咲佑を置いて、勝手に盛り上がる。重い話であることを知る凉樹は口を閉ざしたまま、三人の動向を目で追う。
「ドリンクが運ばれてきてからすべてを話す。だから、俺の話が終わるまでは素面の状態で聞いて欲しい」
咲佑は明るく語ったつもりだったが、三人は隠し切れない咲佑の口調ぶりに表情を曇らせる。が、すぐに桃凛が雲の隙間から太陽が顔を覗かせるかのように、明るい笑顔を見せて咲佑に質問する。
「あの、僕はオレンジジュースなので、来たら飲んでもいいですかぁ?」
「乾杯はみんなと一緒のほうがいいだろ? 我慢しろよ、桃凛」
「そうだよ、桃凛。咲佑くんがそう言うなら、お酒とかソフトドリンクとか関係なしに、ちゃんと待ったほうがいいよ」
朱鳥と夏生という二人の兄に優しく注意された弟、桃凛は大人しく返事をした。凉樹はただ静かに俯いているだけで、何を考えているのか誰も分からない。力が入れられた唇。デニムに落ちていく雫を、咲佑は見逃さなかった。
ドリンクを注文して三分ほどが経ったとき、再び襖の向こうから店長の声がした。襖近くに座る夏生が開けると、両手にジョッキをガラスコップを抱えた店長が笑顔で立っていた。手分けしてドリンクを受け取り、テーブルの空いたスペースに乗せる。
「久しぶりの緋廻、楽しんでってよ」
「ありがとうございます、店長」
「おう。じゃあ、ごゆっくり」
襖が閉められた後に、店長の足音は遠ざかっていく。個室は静寂の世界に包まれる。
「料理もドリンクも来たことだし、話させてもらおうか」
机いっぱいに並べられた料理とドリンクを眼下に、咲佑は胸の内を明かすために呼吸を整える。
「俺、みんなに言わなきゃいけないことがあってさ」
「何ですかぁ?」
桃凛は咲佑の話に興味津々な様子でいる。が、朱鳥と夏生は黙り、咲佑が話すのをただ待つことにした。凉樹がそうであるように。
「俺はただのBLが好きな男じゃない。同性愛者だ」
「……」
咲佑がそう言葉を発したとき、桃凛の脳内からは興味という二文字が消え去った。一階から聞こえてくる客たちの騒ぐ声。まるで近くにあるスピーカーから流れてくるBGMのように大きく、はっきりと五人の耳に届く。
「咲佑くん、それってどういうこと…ですか?」
夏生が困惑の気持ちと疑問を抱いている口調で聞く。
「朱鳥が言ってたように、好きな人ができたんだよ」
四人は黙ったまま、誰が好きになったのかなどと深入りしようとしなかった。それが咲佑にとっては苦しかった。このままだと、ただ時間だけが過ぎていくだけ。料理が冷めてしまう。ドリンクも氷で薄味になってしまう。そんなのは、嫌だ。
「俺が好きになったのは、リーダー、石井凉樹だ」
「……、お、俺……?」
「そう。今まで黙っててごめん」
「え、でも、何で俺のこと、を」
「理由は分からない。でも、昔から意識してた存在ではあってさ。BL読んでるときに、主人公が俺で、相手が凉樹だったらいいのに、とか、凉樹とこんなことをしてみたい、とか思うようになったんだ。それに、凉樹がよく俺の些細な変化に気付いてくれたりするだろ? それが嬉しくて。気持ち悪いって思われるかもしれないけど、気付いたら四六時中、俺は凉樹のことばっか考え始めてるときもある。それぐらい、俺は凉樹のことが好きなんだよ」
咲佑の口から放たれる言葉ひとつひとつが、朱鳥、夏生、桃凛にとっては衝撃的で、現実として受け止めきれないといった様子でいる。対して凉樹はこのことを、リーダーとして、メンバーのこととして、大事な仲間として、受け止めようとしていた。そして、咲佑がまだ言えていない悩みを抱えていることを勘づいていた。
「咲佑、まだ何か言いたいこと、隠し持ってるだろ」
的を射抜かれた咲佑は、笑みを零す。
「ははっ、やっぱ隠すなんて、無理だよなあ」
あっけらかんとしている咲佑のことを、誰も笑おうとはしなかった。
「俺が本当に伝えたかったことは、NATUralezaを脱退したいってこと」
その場の空気は凍り付いた。ガンガンに効いている冷房から放たれる冷たい空気。料理から立ち上る湯気。ドリンクの氷が弾ける音。どれも幻覚や幻聴のように、美しくも儚く感じられる。
「メンバーのことを好きになった以上、俺はもうメンバーとして残る意―」
「咲佑くん、俺、咲佑くんに言いたいことあるんで、呑んじゃってもいいっすか。素面の状態じゃとても言えないんすよ」
朱鳥は既にジョッキに手を伸ばしていた。
「分かった。皆も飲んでいいし、料理も食べていいよ」
そう聞いた瞬間に、朱鳥は喉を鳴らしながらレモンサワーを呑んでいく。乾いた喉を潤すかのように。そんな朱鳥の様子を見ながら、子供のようにジュースを飲む夏生と桃凛。凉樹は目の前にあるジョッキから目を逸らし、一人箸を手に持つ。そして、鶏のから揚げを、少し控えめに一口齧る。
「唐揚げ、もうとっくに冷めてる。ん、でもまぁ美味いけど」
「ごめんな、もっと早く言えばよかったな」
「冷めても美味しいからいいっすよ。それに、俺は今からボルテージ上げてくんで」
「朱鳥くん、呑み過ぎないでよぉ」
「はいはい。心配してくれてサンキューな、桃凛」
唐揚げを一個だけ食べた凉樹は箸を置き、咲佑と目線を合わせる。
「なぁ咲佑。俺からも言いたいことがある」
「ん、何?」
「咲佑が、俺のことを好きになった。ってことまでは分かった。でも、それが理由で脱退したいっていうのは、俺には理解できない。それに朱鳥が遮る形でちゃんとした理由が聞けなかった。だからもう一回、脱退したいって考えてる理由、聞かせろよ」
「あぁ、そうだな。分かった。ちゃんと言うよ。メンバーのことを好きになった同性が、メンバーの一人としている。そんなグループ、ほかには無いだろ? 俺はもう凉樹のことを好きっていう感情でしか見れないし、朱鳥、夏生、桃凛のこともそういう目で見てしまうかもしれない。だから俺は脱退したいんだよ」
「咲佑くん、それは身勝手すぎますよ」
取っ付き難い雰囲気を醸し出す夏生。枝豆を掴み、口に運ぶ。
「夏生の言う通りだ。咲佑、脱退は自分のためを思って言ってるんじゃねえよな」
「当たり前だろ。メンバーのこと、まさっきぃのこと、俺たちを支えてくれてる関係者、ファンのことを一番に思ってるから、だからこの判断をしたんだ。こんなこと言うのも嫌だけど、十年も一緒に過ごしてきた凉樹なら、五年もの間一緒に活動してきたNATUralezaのメンバーなら、分かってくれると信じてるから、今俺はこうして話をしてるんだよ」
「だったら、脱退は違うんじゃないのか。グループに同性愛者がいてもいいんじゃないか。咲佑が言ってた言葉そのまま返すようになるけど、俺のことを好きになった咲佑がメンバーの一人としている。そんなグループ、ほかには無いだろ? だったら、俺たちがその代表になろうぜ。そういう気持ちでいようぜ」
「そうですよ、咲佑くん。個人的に思うんです。一人のメンズアイドルとして、世に発信できることがいっぱいあるって。それに、ファンは女性だけじゃなくて、男性も、もしかしたら中性とか無性の人とか、色んな方がいると思うんです。だから、このことを上手く宣伝すれば、NATUralezaのことをもっと知ってもらえるんじゃないですか」
凉樹の発言に乗る形で言う夏生。その間にレモンサワーを呑み終わった朱鳥は、酔いが回ったのか、頬を赤らめていた。
「咲佑くん、俺からもいいっすか」
「うん」
「今まで誰にも言ったことがなかったんすけど、俺、実は咲佑くんに憧れてこの業界に入ったんです。咲佑くんがゲストで出てたバラエティ番組を観て、歳も近いのに、こんなに面白い人がいるんだって思って。そんな人と同じグループになれて、デビューできて、今こうして同じ時間を共有できて、それが俺にとったら最高の幸せなんっすよ。俺は咲佑くんのファンなんです。だから、咲佑くんの話をメンバー目線からも、ファン目線からも聞いてたんですけど、俺は五人のNATUralezaのことを追いかけたいって思いました。NATUralezaは五人じゃなきゃいけないと思うんすよ。一ピースでも欠けたら完成しないパズルのように。部品が足りなかったら動かない時計みたいに……。それに、俺はメンバーの中に同性愛者がいても嫌じゃないっすよ。むしろ楽しくなるんじゃないかって。俺はいつまでも五人で、高校生みたいなノリでいたいんです。だから、咲佑くん、簡単に脱退したいなんて言わないでください。俺の憧れの存在として居続けてください」
朱鳥の、酔った状態だからこそ聞けた本心。感動したのかよく分からないが、夏生と桃凛が涙を流していた。
「朱鳥も、いいこと言うじゃん」
ボソッとした声で言う凉樹。朱鳥に向ける視線はメンバーという関係より、親として子供を優しく見守っているような、そんな感じだった。そんな凉樹の目にもキラリと光るものが浮かんでいた。周りに涙を誘わせた当の本人は、突然酔いが醒めたかのように目を開き、サラダを貪るようにして食べ始めた。頬は先ほどよりも赤らんでいた。
「凉樹くんも、夏生くんも、朱鳥くんも、咲佑くんに思いをぶつけてるので、僕も思ったことぶつけちゃってもいいですかぁ?」
「あぁ、もちろんだよ」
「僕は、咲佑くんが悩んで辛くなるんなら、脱退するっていう道もあるんじゃないかって思うんです。決して、同性愛者のメンバーなんていらないとか、そういうことを言ってるんじゃないですよぉ。僕が言いたいのは、咲佑くんがこのことで責められたりして、精神的に病んだりしないかが心配なんです。咲佑くんって、いっつもメンバーのこと優しく見守ってくれるじゃないですか。だから僕も安心してNATUralezaのメンバーとして活動できてるんです。でも、そんな咲佑くんが病んだりするようなことがあったら、僕は悲しいし、寂しいです。今の咲佑くんのことが好きだから、だから咲佑くんには自分自身のことを守って欲しいです」
咲佑は、一筋の涙を流した。
「桃凛、大人になったな」
「僕、来月で二十歳になるんですからぁ。もう子供扱いしないでくださいよぉ」
桃凛が口をわざとらしく尖らせる。その姿をみて四人の顔が綻ぶ。
「咲佑くん、これが僕たちの意見です。まぁ朱鳥くんは素面の状態で言ってないですけど」
「夏生、そこはいいじゃねぇか。俺もちゃんと伝えたんだからよ」
「ですね」
朱鳥と夏生は互いの顔を見合わせて笑っていた。
「咲佑、もう一度考え直してみろよ。俺らはいつだってNATUralezaのメンバーなんだから」
「あぁ、そうするよ。凉樹、朱鳥、夏生、桃凛、今日は変な空気にさせて悪かった。ちゃんと考え直すから。そのときはまた付き合ってくれよ」
「はーい」
「ってことで、今日は互いに涙して、笑い合って、最高の夜にしましょう」
「えー、それ朱鳥くんが言っちゃいますぅ?」
「確かに。朱鳥くんじゃないですね」
「言うの俺じゃないか」
「まあいいじゃねぇか。な、咲佑、お前も今までの話は置いといて、楽しむぞ」
「だな」
歓声が上がり、楽し気に盛り上がる中、咲佑だけは静かにメンバーのことだけを見続けた。人知れず滲んでいく視界で。
なみだの決戦日。どんな終わりを迎えようとも受け止める。咲佑は頬を伝ってきた涙をのみ込んだ。
俺が悩みを打ち明けてから十日。メンバーに対して複雑な思いを抱いたまま、夏生の誕生日当日を迎えた。俺は決戦日当日、すぐに脱退の話がまとまるものだと考えていたために、夏生へのプレゼントも用意できていないし、そもそもどんなテンションで夏生をお祝いしてあげればいいのか、分からなくなっていた。誕生日に暗いままでいるのは、メンバーに迷惑をかけることぐらい分かってる。だからと言って、わざと明るく振る舞うのは自分のキャラにも合わないし、かえってメンバーに心配をかけてしまうだろう。その白黒思考のせいで、俺は平然を装うことができなくなった。でも、そういうテンションでいるのは俺だけ。三人は今日の主役を祝う気満々でいた。
*
凉樹、咲佑、桃凛の三人は会社四階にある会議室にいた。夏生と朱鳥、二人の合流予定時間はまだ先なのに、暑さのせいで外に出る気にはならず、冷房の効いたこの会議室で、特に何かをすることもなく、ただ待つことにした。ブラインドの隙間から差し込む、眩しいほどの陽の光。天井の空調から送り出される、どこか埃っぽい冷気。普段と変わらない感じで話をする凉樹と桃凛。会議室の外から聞こえてくる、会社関係者同士の楽しそうな会話。いつもと同じ感じなのに、なぜか咲佑にはこの会議室の空気は明らかに重く沈んでいるようにしか感じられなかった。
この十日間、仕事がなかったのは咲佑だけで、ほかの四人は個人仕事をこなしていた。その間、メンバーがどんな思いで過ごしていたのか、咲佑は全くもって知らない。かと言って、改めて聞いてみたいとも思わなかった。そもそも、咲佑はそのことを聞く勇気を持ち合わせていなかった。聞いてみたいと思えば思うほど、震える拳。誰にも見られないように、咲佑はテーブルの下で拳を反対の手で握る。でも、この一連の動作を見ていたのか、それともやはり咲佑の普段とは違う雰囲気のせいか、凉樹は気が気じゃない様子で、桃凛との会話の途中で咲佑に声を掛けた。
「咲佑、ちょっといいか」
「何?」
平然を装うとするのに、咲佑の声はオドオドしているのか震えていた。
「今日、夏生の誕生日だろ?」
「あぁ、うん」
「メンバーに会うのが十日ぶりで、しかも、あんな話をした後だから、より気持ち的に暗くなってるんだろうけどさ、もっと明るくいてくれよ。せっかくの誕生日が泣くだろ?」
「誕生日が泣くって…」
「そこ突っ込まなくていいところだから」
「あ、ごめん」
凉樹が咲佑のことを和ませようと言った冗談が、今の咲佑には届かなかった。謝られたことに対し、凉樹はちょっとだけ笑みを零す。
「今、咲佑が気持ちでいるかも分からないし、まだ知りたくない。でも、咲佑の精神が不安定なことぐらい、俺には分かる」
「…だよな」
咲佑は、凉樹の少し強めともいえる口調に思わず項垂れる。会話が途切れてしまったためか、どんよりとした空気を察してなのか、桃凛は二人の会話が途切れたタイミングで徐にスマホを取り出し、画面を注視していた。
「それに、今の咲佑には夏生の誕生日を、二十歳をお祝いしてあげる権利がある。でもさ、俺が見ても、ってか誰が見ても暗い雰囲気ってのが如実に現われてるこの状態でお祝いされても、夏生は嬉しくないだろうし、そんな気持ちで祝う咲佑だって嬉しくないだろ? だからこそ、いつもの咲佑でいて欲しい」
凉樹の的を得た発言に、咲佑はもう頷くしか、納得するしかない。反論する余地はない。
「分かった。…ごめんな、凉樹。俺のせいで会議室の空気を変な感じにして」
「おう。まぁ、俺もはっきり言い過ぎたよな。なんか咲佑の身になれば、その気持ち分からなくもないからさ、つい」
「ううん。逆にはっきり言ってくれてありがとう」
「おう」
「桃凛もごめんな。凉樹と会話してる途中だったのに」
「大丈夫です。ゲームに集中してたのでぇ」
桃凛は咲佑にプレイ中のゲーム画面を見て、にっこりと笑った。その罪のない笑顔を見て、咲佑は後悔した。自分のせいで凉樹だけでなく、年下の桃凛までにも気を遣わせてしまったことを。
空調の音と、桃凛が画面を連打する音が共鳴する会議室。凉樹はゲームに集中する桃凛との会話をやめ、鞄から小説を取り出し、一人の世界に没入していた。咲佑はそんな凉樹の真剣な表情を見つめ、抱きしめてキスをしたい、なんてことを思い始めていた。儚くも、滑稽で、叶うはずもない夢を、咲佑は見続けていた。
つい二十分前まで晴れていた空も、黒く、分厚い雲に覆われ始めていた。まるで咲佑の心模様を表しているかのような、そんな空だった。
十四時を過ぎた頃、朱鳥と夏生が一緒に会議室へと入ってきた。夏生は茶色い紙袋を大事そうに手に抱え、ニコニコしていた。一方の朱鳥は額から汗を滲ませ、それを服で拭っている。二人の行動は夏生の誕生日と、外の暑さを体感させる。
「二人ともお疲れ様。外暑かっただろ?」
小説に栞を挟みながら気遣う凉樹。二人の目を見ていないのに、優しさが滲み出ている。
「暑かったっす。今は雲が出てきて幾分マシになった気もするんすけどね。それに、会議室のエアコンが効いてるんで、暑さはだいぶ」
背負っていたリュックを置いた朱鳥は、今度は服の下の方を持ち、ぱたぱたと音を立てながら扇ぐ。そんな朱鳥が着ている服は、昨年夏生が誕生日プレゼントとして朱鳥に渡したものだった。
「夏生も、暑い中のドラマ撮影大変だろ?」
「いえ。前に凉樹くんと一緒だった撮影に比べれば全然。ドラマだって主演じゃないし、そこまで外での撮影が詰まってるわけじゃないんで」
凉樹の気遣いに、夏生もそれらしく気を遣う。話に一旦の区切りがついたとき、咲佑は平然を装い、夏生に声をかける。
「夏生、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
「嬉しそうな顔してるけど、もしかして現場で」
「はい。お祝いしてもらいました。それにプレゼントまでいただいちゃって」
数回軽く頭を上下に揺らした夏生。その視線の先には、夏生が大事そうに持っていた袋があった。中からは、夏生のメンバーカラーである緑色の包装紙が顔を覗かせている。その中身が気になったのか、桃凛が夏生に話しかける。
「夏生くん、誕生日おめでとうございます!」
「ありがとな、桃凛」
「何もらったんですかぁ?」
「まだ開けてないから知らないんだ」
「そっかぁ。そういうのって一つの楽しみですもんねぇ」
「うん。だから家帰ったら開けようと思ってる」
「いいですね!」
桃凛はこの場で開けさせようとしたみたいだが、夏生に軽く流される形になり、すんなりと諦めた。それで正解だと思った。
「夏生、おめでとう」
「ありがとうございます、凉樹くん」
「プレゼントは今用意してるところだから、待っててくれ」
「はい。楽しみに待ってます」
凉樹も祝福の言葉を伝え終わった。朱鳥も祝うのかと思ったが、ここに来る途中で先に伝えたのか、ここでは何も言わなかった。そのせいで会話はストップ。時間が止まったように感じられた。
当たり前だが、時間が止まることはない。五人の状況なんて知る由もない時間は、刻一刻と進んでいくだけ。それを思った咲佑が口を開く。
「いい時間だし、そろそろ始めるか」
そう言うと、返事をしないまま朱鳥と夏生は椅子に腰かけ、桃凛はプレイしていたゲーム画面を終わらせ、ズボンにスマホを忍ばせる。凉樹は咲佑の目を見て頷いた。そしてまた咲佑も凉樹の目を見て頷いた。
七月三十日、十四時十三分。最初の会議を開くときが訪れた。五人が醸し出すそれぞれの気合を感じ取ったのか、エアコンも一段と強く冷気を送り出す。過ぎた時間はもう戻らない。でも、今から過ごすこのときは自分たちの手で変えられる。そう信じて、咲佑は、五人は前進する。
静まり返る会議室。空調の音を掻き消すかのように降り出した雨。窓ガラスに水滴がついては、下に流れ落ちていく。
「咲佑、十日経ったうえで今どんな気持ちでいる?」
「正直言って心境に変化はない。話しておいてなんだけど楽になったとかも分からないし、苦しくなったとかもない。ただ、自分のことよりも、話を聞いたみんながどう思ったかが知りたいとは感じてた」
「そうか」
「それで俺の話を聞いてから今日まで、何か思ったことあるかを聞きたい。まず凉樹から、聞かせてくれ」
「そうだな。俺は、咲佑が脱退することには反対だ」
凉樹の発言は、前ほどのパッションを感じられなくなっていた。何かまだ隠し持っている思いがあるんじゃないかと思えてしまうほどに。
「うん。じゃあ次は朱鳥の意見を」
「改めて考えてみたんですけど、俺は咲佑くんがどんな道を進んだとしても、憧れの存在であることに変わりはないんすよ。NATUralezaに残ってくれても、脱退したとしても、俺が憧れた咲佑くんが生きてくれてるだけでいいかなって。すごい馬鹿みたいっすよね、俺。でも俺にとっては、どんな咲佑くんでも憧れの存在なんです。例えば急に脱退とか言い出す、そんな人でも」
朱鳥の視線は終始泳いだままだった。動揺しているとかそういう感じではなく、視線が合ったタイミングで意図的に逸らす。恐らく朱鳥は嘘をついているのだろうと咲佑は感じ取った。ただ何が嘘か分からないからこそ、これ以上何も追及しないことにした。
「うん。じゃあ次は夏生の意見を」
「はい。僕は、咲佑くんに明るい未来が訪れるほうを選んで欲しいです。だから僕は敢えて脱退がいいとか残って欲しいとか言いません。言っちゃったら何か分からないけど、何かが終わる気がするので」
夏生の一歩引いた目線からの意見を聞いた咲佑は黙っていられなかった。それは多分夏生はもっと違う意見を持っているはずだと感じたから。
「夏生、まだ言いたいことあるんじゃないか?」
「えっと・・・」
「夏生は、いつも一歩引いた目線から意見を言ってくれる。そういう意見は夏生がいないと出ないから助かってる。でもさ今日は夏生の誕生日だろ? 今日ぐらい弱音を吐いてもいいんだよ。敢えて言わないっていう道を選んでるんだろうけど、俺は夏生の本音が聞いてみたい。だから抱いてきた思いを教えて欲しい」
咲佑が全く視線を逸らそうとしないために、夏生は俯くしかなかった。唇は小刻みに震えていた。
「じゃあ誕生日の今日だけ、今日だけ弱音吐きます」
呼吸を静かに整える夏生。咲佑含めた四人は夏生が言葉を放つのをただただ待った。
「咲佑くんが脱退するなんて悲しすぎます。別に脱退を選ばなくてもいいんじゃないかって思うんです。まだまだ咲佑くんと一緒にNATUralezaで活動したいんですよ。メンバーが四人になっちゃう未来がくるのは怖いし、嫌なんです。凉樹くんと朱鳥くん、桃凛のことを信用してないってわけじゃななくて、僕は五人でNATUralezaだと思ってるので。それに咲佑くんがいることで僕らメンバーは安心して仕事ができてるところもあると感じてます。あと咲佑くん普段から仕事がないって嘆いてますけど、咲佑くんの恋愛対象が男性であることを公表すれば、また違う方面からの仕事の依頼が来ると思うんです。公表すればファンだけじゃなくて勿論関係者にも衝撃が走るだろうけれど、それでNATUralezaの仕事の幅を広げることもできるかと。あ、僕は決して咲佑くんを利用したいとかじゃなくて、どんば咲佑くんもNATUralezaの一員であることに気付いて欲しいんです。ただそういう思いで……」
夏生がメンバーの前で初めて吐いた弱音と本音。その思いに感動したのか涙もろい桃凛は知らず知らずのうちに涙を零していた。
「何で桃凛が泣いてんだよっ」
朱鳥が空かさず突っ込みを入れる。凉樹は桃凛の泣き笑いの顔を見て聖母のように微笑む。
「だって、夏生くんの話を聞いてたら、つい感動しちゃってぇぇ」
「感動しても泣くのは桃凛じゃないだろーよ。ほんと、桃凛は涙もろいな」
朱鳥が少年のような笑みで言う。桃凛の目から零れた一筋の涙を朱鳥が優しく指の腹で拭う。自然体のままに。
「じゃあ最後は桃凛の意見を」
「僕はぁ、咲佑くんの背中を押してあげることしかできそうにないですぅ。十日間、必死に考えたんですけどぉ、やっぱり咲佑くん自身が傷ついたり病んだりしちゃうのは避けてほしいことですしぃ、悲しくなっちゃいますからぁ」
泣き面で言うためかいつもより語尾を伸ばしているように聞こえてしまう。
「そうか。分かった」
この十日間、何も考えていなかったのは咲佑だけだった。脱退する、しないの問題を議題に出したのは自分自身であるのに、解決に導くための糸口を見つけていない。完全に人任せにしてしまっていた。咲佑はメンバ―に比べてまだまだ子供で、自分に素直になれていなかったのだ。そう思えば思うほど悔しくて、自然と涙が溢れてきてしまう。そして誰にも見られることなく、咲佑は静かに涙を一滴、黒いTシャツに落とした。
「咲佑くんに聞きたいんすけど、咲佑くんってグループに残りたいって気持ち、どんぐらい持ってんすか?」
「あぁ、それ俺も聞いてみたかった」
真剣な目つきで聞いてきた朱鳥と凉樹。咲佑は目を擦るふりをして涙を拭きとり、二人の目を見ながら、こう答えた。
「脱退したいっていう気持ちが六割、脱退したくない気持ちが一割、公表することで出てくる影響に抱く恐怖心が三割、って感じだな」
でも、これはその場でついた嘘だった。本当のことを言えば、公表してからの影響を恐れる気持ちが九割を占めている。でも、俺まで弱音を吐くことは許されないと思ったからこそ、そう答えてしまった。そうなれば、嘘をつき通すしかない。
「俺のこと助けてあげようとか、可哀想とか、皆にはそういう気持ちでいて欲しくない。ただ、やっぱり同性愛者であることとか理解されにくい現状があるから、周りから偏見の目で見られることも多々あると思う。俺自身は別にどんなことを言われてもいい。でも凉樹、朱鳥、夏生、桃凛の四人に酷い言葉とかが浴びせられたりするほうが怖い。そのことでグループの活動に影響があるんなら俺は脱退したほうがマシだと考えてる。皆に迷惑かけるのも嫌だし、そういうことが重い荷物になるんなら、俺がすべてを背負う。そういう覚悟でいる」
「咲佑くんがすべてを背負わなくてもぉ…」
「桃凛、ありがとな。でも俺のことでメンバーに迷惑をかけるのは違うと思ってる。だから―」
「咲佑!」
咲佑が話している途中、凉樹の中のパッションが弾けたのか、突然目つきを変え、口調を変え、椅子から腰を上げ一人立ち上がった。そのことに驚いた夏生が小さく「えっ」と声を出した。
「咲佑、なんで全部自分が背負おうとしてんだよ! 自分が背負えばマシとかって考えてるんだろ? その考え間違ってる。それじゃ、お前のメンタルがやられて終わりだろ! 背負えるものを分け合ったら、それだけお前は楽になれる。朱鳥とか夏生とか桃凛に背負わせたくないなら、俺がその分背負ってやる。それぐらいの覚悟を俺も持ってる! 俺はNATUralezaのメンバーとして、リーダーとして、咲佑の友達として、どんな形になろうとも支えていく。咲佑の今までの苦しみとか俺には分からないことも多い。でも今からでも遅くないなら、俺にもその苦しみ分けて欲しい! 共有させてくれ! 俺が嘘を言ってないことぐらい、お前が一番分かってるだろ? なぁなんか言えよ。咲佑、お前の思い聞かせろよ! ぶつけてみろよ!」
凉樹は息を切らしながら椅子に腰かける。朱鳥、夏生、桃凛の三人は、普段の凉樹なら見せることのない一面に、未だ驚いたままでいる。咲佑も凉樹がここまで熱くなっている姿を見るのは初めてで、嘘をついたことに罪を感じた。本音を言わなければならないと思い始めた。
「ごめん。俺、さっき朱鳥に聞かれた質問の答え、嘘ついてた」
「え」
「やっぱりな…」
溜息まじりに言う凉樹。咲佑の考えていることはお見通しだと言わんばかりに。
「本当は、俺は脱退したいとかしたくないとか、そんなことよりもメンバーへの影響のことを一番に心配してる。男を好きになるのは俺自身の問題だ。でも、そういうメンバーがいることによってファンが減ったり、皆の個人仕事が減ったりするんじゃないかって考えたんだ。俺がいることでどんな影響が出るかなんて、実際に公表してみないと分からない部分もある。でも、大体予想できるだろ? 俺の仕事が奪われるのはいい。元々仕事量も少ないし、母から芸能界に向いてないって言われてるぐらいだから。ただ、凉樹はバラエティ番組に出てるし、朱鳥は歌が上手いから音楽系の番組に呼ばれたりしてるし、夏生は主演映画の公開も控えてるし、桃凛は頭脳を活かしてクイズ番組に出たりもしてる。俺とは違って個々の能力を存分に発揮してる。だからこそ、いまここで影響が出て欲しくないんだ。俺やっぱりNATUralezaのことが好きだから、だから怖いんだよ」
朱鳥がボソッとした声で何かを呟いた。誰にも聞き取れない声量で。
「咲佑くんにも凉樹くんにも抱えきれない荷物、僕にも背負わせてください。グループのことを二人だけに背負わせません。僕だってNATUralezaの一員なんですから」
「だったら! 俺も背負います」
「どうして」
「年下の夏生に背負わせるの、カッコ悪いじゃないっすか」
「そんな理由かよ」
「突っ込まないでくださいよー。いいじゃないっすか」
「ごめんごめん。ありがとな、朱鳥」
凉樹が朱鳥の頭を撫でる。朱鳥は恥ずかしそうに目を細める。
「朱鳥くんも夏生くんも背負うなら、僕にも背負わせてください」
「桃凛も?」
「はい。皆で背負えば一人で背負うよりも軽くなりますからねぇ」
「確かにな」
「やっぱり桃凛も大人になったなあ」
「だからぁ、揶揄わないでくださいよぉ」
桃凛の浮かべる笑顔につられる形で夏生の頬も緩んでいた。心から笑えていないのは咲佑だけだった。俺は駄目な人間だと言い聞かせる咲佑の肩に、徐に手を伸ばす凉樹。それは、凉樹は咲佑の恋愛対象になっていることを忘れたことにして、ただ咲佑のことを想っての行為からだった。
「咲佑」
咲佑の瞳が捉えたのは凉樹の顔ではなく、Tシャツからはみ出した男らしい鎖骨だった。慌てて目線を逸らそうと左を向いた瞬間、既に凉樹の顔がすぐ横にあった。急にドキドキと音を立てて騒ぎ出す心臓。咲佑は高鳴る胸の鼓動を抑えることができないまま、「何?」と言ってしまう。凉樹は咲佑がドキドキしていることなど知る由もなく、耳元でこう呟く。
「お前なら大丈夫だ。俺が傍にいてやるから」
咲佑の胸はさらに鼓動を早くする。緊張のあまり凉樹の顔を直視できない。
「辛くなったらいつでも頼れよ」
耳元で発せられる凉樹の低くて甘い声。咲佑の体温は上がる一方で、下がる気配がない。行為をされた側の咲佑も、行為をした側の凉樹も、二人ともに妙な緊張感が走る。咲佑が感謝を言葉にしようとしたとき、凉樹のほうが先に口を開いた。しかも、さっきよりも咲佑の耳元に近づいて、さらに男らしい声を出して、こう言う。
「だって俺は―」
「え?」
「まぁ、そういうことだから。今言ったこと、俺と咲佑だけの”秘密”だからな」
凉樹が言ったこと。それは雷鳴に搔き消されてしまい、咲佑の耳に届くことはかなかった。それでも咲佑は何となく分かっていた。その聞こえなかった言葉を、静かに胸の中に仕舞い込んだ。
凉樹は何事もなかったかのように、朱鳥たちが会話する中へと自然な形で合流する。朱鳥も、夏生も、桃凛も表情は笑っているものの、やはり目の奥は真剣そのものだった。自分のせいで雰囲気を壊していることに気付いてはいるものの、何と声を掛けていいか分からない咲佑は、少しだけ無理をして周りと遜色のない笑顔を見せる。
「ごめん」
「えっと…」
「みんなの言う通りだよ。悩みって誰かに相談しないと解決できないもんな。俺一人で解決しようなんて、まだ早かった。俺は馬鹿だ。もっと素直にならなきゃな…。ごめんな、俺のことでこんな暗い雰囲気にさせて。今日みんなが俺に言ってくれたこと一生忘れないから」
凉樹は赤らんだ耳を隠すように触りながら、今日一番の笑顔を見せる。
「あったり前だろ? てかやっぱり、俺らに暗い話し合いは似合わないな」
「笑顔が一番っすよ」
「そうそう。俺らは全員夏生まれなんですからぁ、太陽みたいな笑顔で過ごしましょうよぉ」
「どんなに暗い内容でも、自分たちが明るくいないと、ですね」
朱鳥、桃凛、夏生の三人は、凉樹に負けないほどの眩しい笑顔を見せていた。
「咲佑。お前は不器用な人間なんだから、そういうことは器用な俺らに任せてくれればいつでも解決してやる。年齢は関係ない。俺らはNATUralezaのメンバーで、唯一無二の仲間なんだからよ。咲佑が抱えてきた悩みは人一倍苦しいものだと思う。だからこそ今からでも遅くない。俺たちに教えてくれないか? 咲佑のこと、もっと知りたいから」
もっと知りたい。その言葉が咲佑の胸に潤いを与える。
「……だな。俺、ちゃんともう一回NATUralezaのメンバーとして話をしたい」
「そうとなれば決まりだな。よし、一旦休憩挟んでから、また話し合いするぞ」
凉樹の発言に、四人は大きく頷く。決意を新たに。
咲佑は天井の空調をぼんやり眺める。小さな埃がエアコンから吐き出される空気によって揺らされながらも必死に耐えていた。咲佑はこの埃に自分の意思を託し、落下してくるまでに話を終わらせようと決めた。五人の間に生まれた溝は、絶対に自分の手で埋めてやる。
雪の華がちらつく二月十七日。メンバー五人はいつもの会議室に集まった。あの日から半年間続いた話し合い。その答えが出されるときが今日、訪れようとしていた。
夏生の仕事が終わるのを待つ間、四人は普段と変わらない様子で過ごしていた。咲佑は自分の固い決意を胸に秘めつつも明るく振る舞い、凉樹、朱鳥、桃凛の三人は咲佑の口から何が発せられるのか分からず、内心ドキドキしているものの、それを隠して振る舞う。仮面を被った者同士で繰り広げられる会話は、仕事のことやプライベートのことなど様々だった。
天井からは暖かい空気が送られてくる。先週掃除されたばかりのエアコンからは埃一つ落ちてこない。咲佑は思った。もう埃に意志を託すことはないと。
十五時を過ぎた頃、夏生は颯爽と会議室に現われた。「お疲れさまです」と声を掛けてから、首に巻かれたネイビーのマフラーを軽やかに取るその姿からは、スターのオーラしか感じられなかった。
「お疲れ。仕事は順調か?」
「はい。凉樹くんにアドバイスいただいてから更に良くなった気がしてます」
「なら良かったよ」
「はい。あ、来週から新曲の振り入れに力入れることにしてるんで、お願いします」
「分かった」
夏生はマフラーを丁寧に折りたたみ、リュックに入れる。パンパンに膨らんだリュックの中に、付箋がいっぱい貼られた紙の資料が入っていた。
「夏生、お疲れ様」
「咲佑くん、久しぶりに会えましたね」
「だな。もう一か月ぐらい会えてないもんな」
「そうですよ。でも今日久しぶりに咲佑くんの顔が見れて良かったです」
「そう言ってもらえて、俺も嬉しいよ」
今年の秋に放送予定のドラマのオーディションを受けている夏生は、この一か月、新曲に関する仕事に顔を出していなかった。その間にも咲佑が脱退することについての話し合いは数回行われていたが、夏生がいないと話もうまくまとまらず、五人揃わないなら意味がないという判断となり、ただの現状報告会だけが開かれていた。そして夏生がオーディションを受けているときにも、凉樹、朱鳥、桃凛はそれぞれ個人仕事をしたり、学業に勤しんだりしていた。そんなこともあって、五人がこうしてちゃんとした形で顔を合わせるのは、おおかた二か月振りだった。
「揃ったし、そろそろ話し合い始めるか」
「そうですね」
五人は椅子に腰かけ、互いの目を見合ったりする。久しぶりの会議にこの場にいる全員が違う緊張感を持っていた。
「誰から話しますか?」
朱鳥の軽めの問いかけに、「俺から」と胸元で手を挙げて答えた咲佑。凉樹は咲佑の醸し出す雰囲気を感じ取ったのか、その雰囲気を切り裂くようにこう話しかけた。
「咲佑、決断したこと話そうとしてないか?」
凉樹の瞳は一瞬たりともブレることなく咲佑を追い続ける。
「よく分かったな」
咲佑はこう答えることしかできなかった。誰よりも落ち着いたその声で。
「分かったも何も…。それより、まだ決断したこと言わせないから」
「は? いや何で言わせてくれないんだよ」
「五人でちゃんと話し合いするのは二か月ぶりだろ? 朱鳥や桃凛の意見はつい先週聞いたばかりだ。でも、夏生の意見はずっと聞けてない。だから、まずは夏生の意見を聞いたほうがいいんじゃないか。な、そうだろ?」
凉樹は優しそうな視線を夏生に送る。飛び火を受けた夏生は、どこか気まずそうに椅子に座っていて、一方の朱鳥と桃凛は凉樹と目を合わせないように俯いている。
「そうかもしれないけどさ」
凉樹の圧に負けそうになる咲佑。その視線の先には、黒系のアーガイルニットの服を着ている桃凛がいた。
「だったら、咲佑くんの意見を聞いてから話し合いをするのでもいいんじゃないですか」
「桃凛は、どうしてそう思う?」
「凉樹くんの言いたいことも分かります。でも、すぐに夏生くんにすぐ意見を求めるのは可哀想って言うか、ちょっと違う気がして。夏生くんは今の僕らがどんな状態でいるかもあまり知らないと思うんです。だから先に咲佑くんの決断を聞いて、そのあとまた五人で話し合いをすればいいんじゃないかなぁって」
同情するわけでもなく、だからと言って反対の意見を言うわけでもない感じの発言をした桃凛。一番賢い切り抜き方をする。そんな桃凛の肩に朱鳥はそっと手を置いた。
「ったく、桃凛にそう言われるなら仕方ないな。じゃあ、もうこうする。咲佑の決意を先に聞く。それから五人で話し合い。それでいいな」
四人とも言葉を出さずに頷くだけだった。凉樹は年下の意見に追いやられて、折れた。が、その口調からはまだ根に持つ怒りとはまた違う感情が隠しきれていなかった。
「じゃあ、先に言わせてもらう。まぁ、これは前置きに過ぎないかもしれないけど、俺は今から言うことをたった今決意した。もう、何を言われても揺るがないから」
咲佑が身に着けているネックレスは、ある一部分だけが欠けていた。でも、それを咲佑は捨てたり、形を変えたりすることはなかった。それは、今まで築き上げてきたものが壊れる気がしていたから。咲佑の決意は固くもあり、時に脆くなるダイヤモンドそのものだった。その決意を変えられるのは、大事な仲間から瞬間的に与えられる刺激だ。
咲佑の発言とともに静まり返る会議室。暖房の稼働音だけがうるさいほどに響く。
「NATUralezaを脱退する」
咲佑が紡いだ言葉。たった二つのキーワード。その言葉に、キーワードに、四人は解せないままでいた。
「……、あ、いくらなんでもストレートに言い過ぎた…か。でも、今言ったことが、俺の決意でもあり、もう決断したことだから」
場を取り繕うように言った咲佑だったが、既に手遅れだった。その発言が凉樹の琴線に触れてしまった。
「お前、やっぱり変えなかったのか」
「あぁ。そういうことだ」
「そういうこと…、って。咲佑くん、ちょっと待ってくださいよ」
「夏生、俺は何を待てばいい? 夏生の意見がまとまるまでか?」
咲佑は鋭い眼光を夏生に向ける。そういうつもりじゃないのに。気持ちじゃないのにと思いつつも、なぜか強く当たってしまう。夏生は咲佑のことが直視できず下に視線を逸らす。凉樹はただ静かに咲佑のことだけを捕らえ続ける。
「咲佑くん、怖いですよぉ。ちょっと落ち着いてください」
桃凛が宥めるように言うが、今の咲佑に気を収めるつもりは全くない。むしろ、さらに気を強めていく一方だった。
「咲佑くん、夏生はそういうつもりで言ったんじゃないと思うんすけど」
「じゃあ朱鳥は、なんで夏生が待ってって言ったか分かるのか?」
「多分、夏生はNATUralezaのことが好きだから、だから、だから……」
言葉に詰まり始める朱鳥。夏生に向けられた眼光が今度は朱鳥に降り注ぐ。
「いや、だって咲佑くんがNATUralezaを脱退するって言って、それを凉樹くんが『決意が変わらなかったのか』って簡単に流している感じがしたから、もしかしたら咲佑くんの脱退を止める気でいるのは僕だけなんじゃないかって不安になったんです。それで…」
段々と涙声になっていく夏生。唇も、身体も小刻みに震え始める。何かに怯えているみたいに。
凉樹はゆっくりと椅子から立ち上がり、そのまま俯く夏生に近づき頭を優しく撫でる。その様子を見て、咲佑はなぜか胸が締め付けらる感触を覚えた。
「ごめんな、夏生。簡単に流したつもりはなかったけど、そう聞こえたんだな。悪かった。不安な気持ちにさせてごめん」
優しい声のトーンに耐えきれず泣き出した夏生。そんな夏生に釣られたのか、朱鳥が「ダメだ。もう我慢できねぇ」とボソッと呟き、パーカーのフードを被って、声を出さずに静かに泣き出した。
「凉樹くん、教えてください。咲佑くんがいないNATUralezaが存在する意味を」
語尾を伸ばすことなく、真剣な口調で凉樹に問う桃凛。凉樹は夏生の頭を撫でながら、ゆっくりと話し始める。
「米村咲佑、石井凉樹、水森朱鳥、田村夏生、葉山桃凛。この五人でNATUralezaだと思ってる。誰か一人でも欠けたら五人のNATUralezaではなくなる。当たり前じゃねえかって言われそうだけど、人数のことだけで言えば、咲佑が抜けたのなら四人のNATUralezaとして新たな物語を歩み始めるだけだ。こんな言い方をしたくはないが、朱鳥も、夏生も、桃凛も、そのことを受け入れられていないだけだと思う」
「じゃあ、凉樹くんはそのことを受け入れてるってことですか?」
「俺は受け入れてる。咲佑の決意はもう変わらないと思う。何を言っても、どんな刺激を与えようとも。これは何年も咲佑と過ごしてきたから分かること。俺にしか分からないことだ。だからそう簡単に朱鳥、夏生、桃凛は事を受け入れられないかもしれない。でもな、咲佑のことを想ってやれる気持ちがあるんなら、脱退を認めてやるのもいいんじゃないか。俺だって辛いけどさ、ここまできたらもう咲佑の背中を押してやることしかできねぇんだよ」
「そんな…」
凉樹の発言に、桃凛も遂に戦意喪失したという様子で佇む。
夏生が合流した頃には、まだ太陽は優しい陽の光を会議室内に届けてくれていたが、今は山の向こうに沈んでいこうとしている。太陽が沈んでいくように、その場にいる五人の気持ちも沈んでいく。それによって再び静寂の世界に包まれた会議室。椅子に掛けていた咲佑のコートがドサッという音を立てて床に落ちる。そのコートを手に取り付着した埃を払うその背中に、凉樹が問いかける。
「咲佑、脱退したいっていう話は、俺ら四人以外に話したか?」
「いや、まだ」
「だったら、まさっきぃ呼んでもいいか? 意見をもらうわけじゃないけどさ」
「おう」
「分かった」
そう言ってから凉樹はすぐに会議室から出て行った。そこに残された朱鳥、夏生、桃凛の三人は、とても今の咲佑には話しかけられないでいる。そんな咲佑の心境は、三人に話しかけてもどうせ怖がられて、宥められて、相手にされないだけだ、というものだった。
マネージャーである正木には、会議室の外で待機してもらっていた。今まで何度も重ねられてきた会議。しかし、どのときも正木が会議に加わることはなかった。それに加え、正木がいる空間では誰一人として咲佑が脱退したいと言っていることについて話さなかった。咲佑に口止めされていたからではない。自分たちで考えて、そのような行動を取っていた。
唐突に連れて来られた正木。どんな話をしているか知らないはずなのに、内容の重さに気付いているのか、神妙な面持ちをしていた。
「まさっきぃ、ごめんな」
咲佑はまず謝った。ラフな感じで。正木は小さく頷く。
「俺はたった今、凉樹に声をかけられてここに来た。それでも、咲佑が言いたいことは分かる。でも、あえて口にはしない。俺はNATUralezaのメンバーじゃない。マネージャーだからな」
「うん」
「それに凉樹に意見を求められたが、今から言うことは、ただの感想だと思って聞いて欲しい」
「うん」
「俺は誰の味方もしないからな」
「分かった」
五人は正木の動向だけを静かに追った。
「俺はマネージャーとしてNATUralezaを三年間見守ってきた。デビューしてからずっと、誰一人として欠けることなくよく走ってきたと思う。ただな、やっぱり長年一緒にいるとその関係性が突然崩れてしまうことがある。まるでジェンガのように。でもそれは、メンバー一人ひとりに原因があるわけじゃない。時間とともにヒビが入り、それが裂けていく。その時を迎えようとしているだけだと思うんだ。それに、今のNATUralezaは、前方に大きな岩があって、その先に行けなくなっている状態だ。でもその原因が解消すれば通れる。そしてその先には新たな道が続いているんだ。その道だって決して通りやすいものばかりじゃないと思う。五人が今まで歩んできた道は楽なものだけじゃなくて、時に厳しいものもあっただろ? でも、乗り越えたから今がある。その道は必ず残されている。苦しくなったらその道を振り返って、また歩き出せばいい。それだけだ」
五人は正木の発言を聞いて言葉を失っていた。宣言通り誰かの味方をするわけでもなく、かと言って批判するわけでもない。あくまで中立の立場での発言。
「俺からの話は以上だ。どういう結末を迎えようが俺は受け入れるからな。五人にとって最善の選択をしてくれ。そういうわけで。俺は外で待ってるから。終わったら声かけろよ」
「ありがとな、まさっきぃ」
咲佑はそう伝えることしかできなかった。四人は何も言えなかった。マネージャーという立場から紡がれる言葉の魔力に引き込まれていたから。
最後までマネージャーとして会議室を出て行った正木。
「やっぱり、どこまでいってもまさっきぃは最高のマネージャーだな」
凉樹が笑いながら言った。何で笑っているのか咲佑には不明だったが追及しなかった。
「まさっきぃ、いいこと言ってましたね」
夏生が当たり障りのないテンションで言うも、凉樹以外頷かない。
「だな。で、まさっきぃの話聞いて、朱鳥はどう思った?」
「俺は、まさっきぃの言ってたことも一理あると思いました。確かに、ずっと五人でいられるなんて確証はどこにもないんですもんね…」
「まぁ、そうだな。夏生は何か感じたか?」
「僕は、もう咲佑くんが脱退するっていう決断をしてるなら、その決断を尊重してあげたいです。これ以上、話をしても埒が明かないと思うんです。言い方変かもしれないですけど、咲佑くんの決意は、もう変わることが無いと感じて。だから、これからは四人で…」
「夏生の言う通りかもしれないな。これ以上話しても、五人のNATUralezaのことを壊すだけかもな」
凉樹の言うことに頷く朱鳥と夏生。そして桃凛は小さく頷いたあと、凉樹から聞かれる前に先に口を開いた。
「僕も、そう思います。これ以上、五人のNATUralezaに傷を付けたくないです。やっぱり五人が四人になるのは寂しいですけど、新たな道を進むべきなのかもしれないです」
「そうか。桃凛がそう感じたのなら、俺らは四人で再出発するべきなのかもな」
桃凛の発言を一言ずつ噛みしめながら頷き、腕を組む凉樹。朱鳥は桃凛の肩に手を回し微笑みかける。その様子を咲佑はひっそりと、どこか親目線で見てしまう。
「咲佑、お前は本当に脱退という道を選ぶんだな」
「あぁ」
「それで合ってるんだな?」
「合ってる。正しいよ。俺はNATUralezaを脱退する」
「そうか。じゃあ報告に行くぞ」
「え、誰に」
「社長に。五人で」
全員が強く頷いた。この瞬間、もう誰も咲佑の意見に反対しないことを誓い合った。どんな結末になるか分からない恐怖に怯えながらも俺たちは進み続ける。やがて来る明日を信じて。
会社五階にある社長室。エレベーターの扉が開くと同時に現われる、長く続く廊下。その先に、社長室はどっしりと構えている。まるで、このフロアすべてを支配しているみたいに。ラスボスが待つ空間みたいに。
「凉樹くん」
「何? 朱鳥」
「そもそも今日って、社長いるんすか」
「いるよ。それに、グループで会いたいって伝えてる」
「えっ、先にアポ取ったんすか」
「まぁな」
「凉樹はホント仕事が早いよな」
「咲佑ほど早くはねぇよ。それに、咲佑のためを思って、のことだからさ」
夏生と桃凛が咲佑の前で顔を見合わせ、戸惑いと驚きの表情を浮かべる。
「咲佑くんのためって、凉樹くん流石っすね。俺には到底できそうにないっす」
頭を掻く朱鳥の肩に手をかける凉樹。
「大丈夫。朱鳥も、誰か大切に思える存在の人ができたら、簡単にできるから」
「そういうもんなんすか?」
凉樹の発言が冗談に聞こえたのか、朱鳥は半笑いするしかなかったみたいで、二人の何気ないやり取りによって、社長室に行く前の緊張は幾分解れたような気がした。
社長室が目前に迫る中、五人は緊張を改めて持ち始める。会議室からここまでは笑顔でいたが、社長に会うということで、表情も引き締める。
「よし、入るぞ」
「はい」
代表で凉樹が社長室の扉をノックする。中から社長 ― 風間倫太郎《かざまりんたろう》の太く、落ち着いた声が響く。
「失礼します」
凉樹が扉を開けた先には、輝きを放つガラス張りの壁とともに、紺色のスーツを纏った社長がいた。
「おぉ、NATUralezaじゃないか」
「社長、お久しぶりです」
「久しぶりだね、石井くん」
「急なお願いに応えてくれてありがとうございます」
「いいんだよ。それで、どんな要件かね?」
「それは俺からではなく、咲佑の口から説明を」
「そうか。分かった。まぁとりあえず、ソファに座って」
「ありがとうございます」
社長の指差した方向には、真っ黒の本革で包まれたソファが鎮座している。高級そうな見た目から、五人は思わず歩く、座るだけの単純な行動にすら緊張感が走る。
「じゃあ、早速米村くんの口から聞かせてもらおうかね」
手に持っていたコーヒーのカップをガラステーブルの上に置き、足を組む。カラーレンズの眼鏡の奥にある黒くて大きな瞳をギラリと光らせ、咲佑を捕らえる。
太陽は完全にビル群の向こうへと沈み、夜と化している。近隣に建つビルの明かりと、近くを走る幹線道路の街頭の明かりを、瞳は自分勝手に吸収していく。鏡に映る自分の姿を見た咲佑は、思わず息をのむ。纏わりついていた毛皮みたいなものが剥がれ、その向こうから美しい新たな毛皮が見え始めていたから。
あぁ、これで俺は新しい自分になれているんだな。
そう思った。
会議室に戻った五人を待ち構えるかのように付けられた暖房と部屋の明かり。長く感じられた廊下によって冷えた身体に染み渡っていく機械的な温かさと、オレンジの明かりから感じられる温もり。五人の緊張は自然と緩んでいく。
「とりあえず、方向性は決まったな」
「ですね」
「咲佑が抜けるまで残り三か月と少し。この三か月間は、今までにないぐらいファンのみんなを喜ばせよう。そのためには、まず俺たち自身が誰よりも一番楽しまないといけない。だから、前を向こう」
「決まったとはいえ、やっぱり気持ちの整理がつかないです」
「夏生がそういう気持ちになってるのも分かる。やっぱり今はまだ状況が受け入れられずに苦しい思いをしてるかもしれない。でも、俺たちが悲しい、苦しいって姿を見せたりしてると、ファンはもっと悲しい思いをする。だからこそ、俺たちは前を向かなきゃいけない。朱鳥、夏生、桃凛、お前らなら大丈夫だ。できる。でも、一人で何もかも抱えるのだけはやめろよ。苦しくなったら俺を頼れ」
三人は何も言わずに凉樹の言うことに頷くだけだった。それに対して凉樹もまた、頷くだけだった。
「咲佑は脱退するまでの三か月、全力でNATUralezaに貢献するんだ。お前のファンのために、五人のファンのために。公表したら色々言われたりするかもしれない。辛いと感じたら俺に相談しろよ」
「おう」
「場合によったら出るとこ出るぞ。メンバーのことを悪く言う奴はNATUralezaのファンである必要はないからな」
「分かった」
咲佑は凉樹とアイコンタクトを取る。二人の間で結ばれた絆は、永遠に切れない。
「凉樹くんが苦しくなったら、僕ら三人がいつでも話聞くので、そのときは遠慮せずに頼ってください。これからは四人で頑張らないといけないですから」
「ありがとな、夏生」
「いえ」
五人は顔を見合わせ誓い合った。もう涙を流さない、と。もう誰も泣かせない、と。
社長に、咲佑が同性愛者であること、NATUralezaを脱退したいとの意向を伝えてから一週間。世間は両者をニュースを大きく取り上げた。テレビでは芸能ニュースのトップを、各有名新聞でも一面を飾っていた。そして五人が一番心配していたSNSでの非難。やはり発表と同時に拡散され、時間が経つとともに咲佑に対する非難の声が、咲佑を応援する声を大きく上回っていった。脱退と同時に報じられた咲佑が同性愛者であるという事実。テレビや新聞はこぞって咲佑が同性愛者であることを取り上げる。中には過去のインタビュー映像を引っ張ってきて、咲佑の恋愛に関する質問と、その答えを流していた。
同性愛者であるという事実が、突然独り歩きをはじめ、ありもしないような噂までも流れ始めた午後。五人は音楽番組の収録が行われるテレビ局へと集まった。
「咲佑、お前大丈夫か?」
「何で?」
「いや、朝からSNSで色々呟かれてるし、メンタル的にどうかと思ってな」
「あぁ、うん。まあ、何とか」
「ならいいけど」
咲佑は嘘をついた。心はダメージを受け、ボロボロの端切れ状態。これ以上裂けようがない生地なのに、まだ裂けようとしている。このあとの音楽番組までメンタルが保てるだろうか…。
「咲佑くん、ちょっといいですか」
「どうした?」
「これって、事実じゃないですよね…?」
そう言って夏生がスマホを咲佑の前に突き出す。画面では一本の動画が流れていた。
「なんだよ、これ」
「今、再生回数が急上昇してるんですけど、これ明らかに咲佑くんのこと言ってますよね」
「ちょっと、最初からもう一回見せて」
咲佑は夏生のスマホを取り、画面を注視する。動画は、人口的に作られた人物が、モザイクがかけられている咲佑のことを、不自然な語り口調で何の感情もなく喋っている。内容は、咲佑が仲のいい後輩俳優Hを連れてホテルに泊まり、そこで刺激的な一夜を過ごした、という事実無根のものだった。
「咲佑くんは、こんなことしてないですよね」
夏生の声が震える。朱鳥と桃凛は自分たちのスマホで同じ動画を無音で見始める。
「俺が、こんなことするわけないだろ?」
「…、ですよね…!」
「でも、このホテルに連れて行ったのは事実だ」
「それって、どういうことですか」
「ホテル近くにある会員制のバーに誘われて行ったんだが、後輩が酔い潰れてな、家がどこにあるか答えてくれなかったからさ。俺ん家までも遠いし、連れて行くのもどうかと思ったから、仕方なくホテルに泊めることにしたんだよ。それでホテルの部屋まで連れて行った。だが俺はその場で別れて、電車で家まで帰った。だからその夜、俺はホテルで過ごしてない」
「あー、そういうことだったんですか。咲佑くん、驚かせないでくださいよ」
「悪かったな」
「でも、こういうことはすぐに嘘だとバレる。だから大丈夫だろ。な、とりあえず今は収録に向けて準備するぞ」
「はい」
楽屋の外では、あわただしくスタッフたちが駆けている。その中に、誰かに謝っている正木の声が混ざる。その声は五人の胸を締め付けていく。咲佑は、自分のせいでメンバーや正木を苦しめていると責めてしまう。自分なんていなければ。その苦しい思いは声にはならない。
出番十分前、正木が楽屋に入ってきた。表情は酷く疲れているように見えたが、メンバーに心配されたからか、目じりを垂らし頬を緩め、疲れていないように見せるが、目の奥はすべてを物語っていた。
「いやぁ、参ったよ」
「今までかかってきてたの、俺に関する電話だろ?」
「あぁ、ホテルの一件でな。あんな嘘を信じた奴らが拡散して炎上してる。それに関することで関係者から電話がな…。はぁ、ほんと呆れるよ。言っちゃまずいだろうがな」
「まさっきぃ、俺のせいで迷惑かけてごめん。今度お詫びさせて」
「お詫び? いいよそんなの。これもマネージャーの仕事だから。あ、でも食事は行くよ? 咲佑と呑みたいからな」
「おう。任せといて」
楽屋ドアがノックされ、女性スタッフが出番であることを知らせに来た。正木は時計を見て、あぁ、と額に手を当てる。
「もう出番か、色々大変だろうけど、とりあえず頑張ってこいよな」
正木に背中を押され、五人は楽屋を出る。すれ違う出演者たちの視線を感じつつ、収録が行われているスタジオへ続く道を足早に歩く。
生放送の出演が決まったのは四日前。社長や正木からは今置かれている状況的に大変だから断っていいと言われたが、五人は出演させてほしいと懇願した。発表当日だって構わない。俺らにしかできないステージにしてやるから、と。
そして迎えた今日。五人はメインスタジオの裏で、スタッフらの視線を集めながら円陣を組む。
「本番で何を言われたとしても、俺たちは真実を答えるだけだ。いいな」
凉樹が四人の目を見て伝える。四人は強く頷き、そして手を重ね合い、静かに天に向けて突き上げた。
「続いてはNATUralezaの皆さんの登場です」
二十時十分過ぎ。司会者の声掛けとともに、五人はメインステージへと足を運ぶ。観覧者、司会者、この場にいるスタッフたちの視線が、NATUraleza五人ではなく咲佑一人に、一斉に向けられる。その視線はまるで今晩の獲物を捕らえた肉食動物のように。また、一部は死んだ魚のごとく濁った眼で見るものもいた。これほどに送られる視線が怖いと思ったことは無かった。もう二度とこんな視線を浴びることはないだろう。
「NATUralezaのみなさんはまさに今日、グループに関して大きな発表をされましたね。そのことについてリーダーの石井さん、視聴者の方へ一言もらってもいいかな」
「はい。えーっと、本日発表しましたように、俺たちNATUralezaは五月三十一日をもって五人体制から卒業する運びとなりました。そして今、咲佑に関しての様々な憶測、噂がSNS上で拡散されておりますが、俺たちが今日発表させていただいた内容以外、どれも真実ではございません。これだけはお伝えさせていただきたく、本日少しお時間をいただきました。各出演者の皆さま、番組を支えてくださっているスタッフの皆さまには、一グループのために貴重なお時間を割いていただき、申し訳なく思っております」
凉樹が頭を下げるタイミングで四人も頭を下げる。
「咲佑が脱退するまで三か月しかありません。この三か月間、俺たちにできることは何でもさせていただきます。放送後にSNSのほうで質問箱を用意するので、どのようなことでも構いません。質問を送ってください。どのような質問であってもメンバー自身が偽りなく答えさせていただきます」
隣に立つ司会者が、ほぉ、とマイクが拾うか拾わないか絶妙なラインの声を漏らす。
「不器用な俺たちですが、最後まで五人のNATUralezaを応援していただけたら、と思います。よろしくお願いします」
もう一度五人は揃って頭を下げる。咲佑は先ほどよりも深く、礼儀正しく首を垂れた。
一呼吸あったところで、司会者が咲佑に視線を移し、じろっと見ながらこう聞く。
「米村さん、なぜ君は脱退の道を選んだんだい? 発表した以外にも理由、ありますでしょ?」
咲佑は司会者の態度に動じず、嘘をつかず、自分の意思を述べた。そのことをただ隣で静かに聞く凉樹。後ろから咲佑のことを見守る三人は、五人でこうして歌番組に出られることに喜びと、これが五人で最後の出演になるかもしれないという悲しみを、秘かに抱いていた。
生放送だというのに、咲佑に対する質問は止まらなかった。しゃべり過ぎる司会者が、皆が抱いているであろう質問を、まるで自分が代表して聞いているかのような、偉そうな態度で聞いてくる。そんな空気にも一瞬たりとも流されることなく、真剣に答える咲佑。四人は話が振られるまでの間、ずっと黙ったままでいた。
「まだまだ米村さんに対して色々お聞きしたいんだけどね、もう時間みたいだから、最後に一言もらえるかな」
「はい。突然の発表に驚かれた方も多いと思います。僕のことで悲しませてしまったのなら、本当に申し訳ありません。六月からNATUralezaは四人になりますが、変わらず応援していただけたらと思いますし、僕自身、応援してくださっているファンの皆さま、支えてくださった方に恩返しができるよう精一杯頑張らせていただきますので、最後までよろしくお願いします」
咲佑の締めのコメントに、一部の観客がまばらな拍手を送る。
「はい、ありがとうございます。それでは、歌っていただきましょうか。スタンバイよろしくお願いします」
「お願いします」
神妙な空気から一変、アニメ主題歌に起用された新曲のポップ過ぎるイントロが流れ始め、五人はまるで別人格が憑依したような表現力で、ダンスで、歌で、会場を魅了していく。そのステージは間違いなく、五人だけの空気で支配されていた。
歌い終わりと同時に巻き起こる拍手。NATUralezaに向けられる視線は、歌う前と変わらなかった。むしろ厳しくなっているように感じられた。咲佑に向けられる視線はナイフのように鋭い。刺されたら致命傷になるかもしれないほどに。もう誰も咲佑のことを信じていないみたいに。咲佑の味方はいないことを知らしめるかのように。
「NATUralezaの皆さんでした」
「ありがとうございました」
出番を終えた五人は、ほかの出演者たちに紛れて楽屋へ戻る。その足取りは重く、ただ脚を上げて前に進んでいるだけのような状態だった。
「お疲れさん。凉樹、咲佑、ナイスコメント。朱鳥も、夏生も、桃凛も、ナイスフォロー。受け答え完璧だった」
「いえ」
「まさっきぃ、まだ炎上してるんですか?」
「いや、放送観た人たちがコメントを載せてからか、だいぶ落ち着いてきた。ただ、やっぱりまだあの一件の解決がされてないから荒れてる部分も否めない」
正木がスマホを五人の前に差し出し、炎上しているSNSの画面を見せてくる。
「そっか。少しでも落ち着いてくれたらいいんですけどねぇ」
「それより、みんな大丈夫か? 俺のせいで迷惑かけて―」
「かけてないですよ」
「僕たちは大丈夫ですよぉ」
「早く落ち着いて欲しいっすね」
「そうだな。咲佑、お前は大丈夫なのか?」
「俺か? うん、まあな」
「ならいいけどさ、強がるなよ」
「ありがとな、凉樹」
咲佑は余裕あり気な笑顔を浮かべる。
「ってか、あの司会者、結構咲佑くんに詰め寄ってましたよね」
「僕だったら、あんな感じで聞かれたらまともな答え出せないですよ。咲佑くん流石ですね」
「いや、俺だってギリギリだったから。実際、どんな質問されたか覚えてないし」
「でも咲佑くんの答え聞いて、見てたお客さんとか結構頷いてたっすよ。まぁ、俺が見れる範囲なんであれですけど」
「僕も見ましたよ。頷いている人のことぉ」
「いずれ落ち着くと思うので、それまでの我慢ですね」
「朱鳥も、夏生も、桃凛も、ありがとな」
三人は少しだけ戸惑いを見せながらも、すぐに少しだけ歯を見せて笑う。
「よーし、今からSNSで質問箱やるから、もうひと頑張りしてくれよ」
手を叩いて空気を変える正木。五人は口々に叫び、気合を入れ直す。そんなとき、正木が手に持っていた仕事用のスマホが鳴り出し、一定のリズムで着信音が狭い楽屋内に響く。正木は画面を一瞬だけ凝視したのち、即座に耳元に当て、そのまま楽屋を急ぎ足で出て行った。正木の元にかかってきた一本の電話。誰からかかってきた電話か五人は分からなかったが、何となくいい予感がした。
二月二十五日。春の訪れを告げるどころか、寒波の影響により真冬の朝に逆戻りしたかのような気温の朝だった。日頃の疲れが抜けきっていないままに朝を迎え、しまっておいた厚手のニットの上に冬物のコートを羽織り、いつもの鞄を肩にかけ、朝九時、咲佑は家を出た。
玄関の扉を開けた途端に吹き付ける風。身体が縮こまるような寒さを感じた咲佑は、思わずコートのボタンを一番上まで留める。かじかむ手をポケットに詰め込み、その中でカイロを揉む。じんわりとした温かさを感じた。
十時二十五分。正木は大きな手帳を脇に抱え、会議の準備に取り掛かる五人に話しかける。
「会議の前に、先に俺から伝えておきたいことがある」
「何?」
「こないだの電話のことでな」
音楽番組終わりに正木の元へかかってきた一本の電話。内容としては、五人最後のNATUralezaで何かファンに向けてのイベントができないかということだった。電話の相手は、NATUralezaが普段からお世話になっているイベンター。あの音楽番組を観て、即座にコンサートを運営することにしたらしい。時間的に厳しいこともあるかもしれないが、という条件付きだったが。そのことを納得したうえで、五人は手を叩いて歓んだ。
「まぁ、そういうことだから。会場は言ってくれたら向こうが手配してくれるみたいだし。とりあえず意見出して、簡単にまとめてくれればいいから」
「分かった」
「じゃあ、ちょっと仕事してくるから。あとは任せた」
「おう」
スマホを操作しながら会議室を出て行く正木。扉が閉まった途端、五人は感情の赴くままに抱き合った。ただ、ふとした瞬間に我に返った五人。会議モードにスイッチを入れ直す。
ボールペンを手先でくるくると器用に回しながら、「何か意見ある人いる?」と口を開く。字が綺麗だという理由で板書係に選任された桃凛は、ホワイトボードに、何やら線を引いていた。
「俺からいいっすか?」
「おっ、朱鳥。いいよ、何でも言って」
「まさっきぃの話によると、イベントする会場は決まってないんすよね?」
「うん。まぁ、大きいところは難しそうだけどな」
「だったら、デビューしてすぐに立たせてもらったサマイブはどうっすか? そこで咲佑くんの卒業式を開催するみたいな」
「学校の入学式と卒業式が同じ体育館で行われるのと一緒っていう感じですか?」
「そう! まさに夏生が言ったことが俺の言いたかったこと!」
「卒業式か、面白いな」
朱鳥の名案に唸る凉樹。ボールペンを回す手は動きを止めている。
桃凛がホワイトボードに整った綺麗な字で書いていく。朱鳥が提案した会場に、現状誰も反対していない。むしろ好感触だった。卒業式というワードに。
「僕からもいいですかぁ?」
「いいよ、桃凛」
「会場はサマイブで全然いいんですけど、お客さんが入れるスペースも限られてると思うのでぇ、動画サイトとかで生配信するのはどうですかぁ?」
「生配信か、そんな考えなかったな」
「確かに。サマイブは入っても百人ぐらいだからな」
桃凛の思わぬ提案に、五人は頭をフル回転させる。が、なにも出てこない。
「アレだったら他のところにしますか? 俺から提案しておいてって感じっすけど」
朱鳥は申し訳なさそうに発言するも、凉樹が「待って」と掌を向ける。
「生配信できないか、まさっきぃに相談してみようぜ」
「え、まさっきぃに聞いて分かるんすか?」
「物は試しにだよ。今はほぼ白紙の状態なわけだし。最終的には向こうが決めてくれるけどさ、アイデアは多いほうがいいだろ?」
「そうですねぇ」
「ほんと、凉樹くんって行動が速いっすよね」
「まぁな」
「今回は否定しないんすね」
「もう否定することはやめた」
凉樹と朱鳥が繰り広げる会話はまるで漫才のようで、面白さから笑い合う五人。会議室は自ずとハッピーな空間になる。
今まで何度も会議を重ねてきたが、今までとは明らかに違う空気で過ごせる。咲佑の脱退と新体制を発表した後なのだから、重たい雰囲気でなくなったのは当たり前のことだが、それとは別で、目の前に立ちはだかる壁を乗り越え、また新たな道を歩き出したからか、以前よりも居心地のよさを感じられるようになった。
五人の時間は永遠に続かない。時間は有限だ。だからこそ、今日よりも明日が良い日になるように全力で生きてやる。咲佑は自分で自分のことを鼓舞させた。
まっさらだったホワイトボードは、会議を始めて一時間もしないうちに黒で埋められた。決定事項には赤線が引かれるなど、桃凛による工夫がされ、一番の重要事項である配信の二文字には赤い丸が書き加えられていた。
「会場は使えるかの連絡待ちだが、配信することは決まったから、あとはセトリ決めだな」
腕を組んだまま、何か考え事があるかのような感じを含めて言う凉樹。男らしい喉仏が彫刻のようにはっきりと浮かび上がっている。咲佑は思わず見惚れてしまう。
「ですね。いつ決めますか?」
「四人がいいなら今日詰めるところまで詰めておきたいんだが、どうする?」
「俺はいいっすよ。でも、夏生は仕事があるんじゃ」
「明日は午後からなので問題ないですよ」
「そうなんだぁ。僕も学業のほうは順調なので大丈夫ですよぉ」
「で、咲佑はどうだ?」
「俺も今日決めるので構わない。決めれるんなら早めに決めて、準備に時間をかけたいからさ」
「じゃあ決まりだな」
凉樹は椅子から立ち上がり、ゆっくりと伸びをする。それに釣られるかたちで朱鳥と夏生も脚や腕を伸ばす。桃凛はスマホでカメラ機能を立ち上げ、ホワイトボード全体が写る構図で写真を撮る。咲佑は四人のタイミングが良さそうなときに、こう尋ねた。「なぁ、少し早いけど今からお昼休憩入れないか?」
「いいっすね」
「どこかお店入りますか?」
「四人はどこか行きたいところある?」
「俺はラーメンっすかね」
「僕は肉が食べられたら。なのでラーメンでもいいですよ」
「僕も夏生君と一緒でぇ、お肉食べたいです」
「凉樹は?」
「俺はどこでも」
「じゃあ、駅前のラーメン屋に行くか」
「いいっすね。あそこなら席数多いですもんね」
「だな。じゃ、行くか」
五人は少し早めの昼食を食べに行く準備をする。それぞれが暖かそうなアウターを羽織り、荷物を持ち、会社から徒歩十分の距離にあるラーメン店に向かった。
その道中も、食事中も、五人は飽きることなくしゃべり続ける。常に会議が開かれているみたいな状態だった。仕事のことは周りの人たちに気付かれないように小声で、個人的なことは迷惑にならない程度の声量で話す。お昼を揃って食べるのは久しぶりで、普段より濃厚な時間を過ごした五人。休憩後も、ノンストップでセットリストを決めたりするなどの会議を続けた。
太陽は山の向こうに沈もうとしている。十時半前に開始された会議も、お昼休憩も込みで十六時半過ぎまで行われた。五人は区切りがついたところで帰り支度をし、正木と次の会議予定を共有する。
「もうすぐ十七時回っちゃいますけど、まだまだ話してたいっす」
「今日の朱鳥はやけに熱量があるな」
「そんなことないっすよ。いつもどおりっす」
「じゃあ、せっかくだし昼の話の続きも込みで、呑みに行くか?」
凉樹は手で酒を飲むポーズをする。それを見た夏生と桃凛の顔がぱっと晴れる。
「いいですね!」
「僕も今日は久しぶりに呑みたい気分なんで、連れてってください」
「そうだな。今日は五人で呑み交わすか」
「はーい。行きましょ」
メンバーのやり取りを目を細めながら聞く正木。シルバーの腕時計を確認し、「みんなお疲れさん」と声を掛ける。
「とりあえず上に報告しておくから。今日の打ち上げ楽しめよ」
「ありがと。今度はまさっきぃも一緒に行こうな」
「そうだな。咲佑のおごりでな」
「分かってるよ。また誘うから」
「おう」
正木は軽く手を挙げる。咲佑は歯をうっすらと見せて微笑んだ。
「頼んだよ、まさっきぃ」
「おう。任せとけって」
「もし駄目そうなら早めに連絡して」
「分かった。とりあえず打診しての結果を連絡するから」
「ありがとな」
「じゃあ、お疲れ」
「お疲れさん」
今から向かう先で待っているのは、おいしい料理と酒で客をもてなしてくれる居酒屋緋廻。お酒を呑み交わし、美味しい料理を堪能する。芸能人であることを忘れさせてくれる、そんな空間を求め、五人は会議室を出た。