二月二十五日。春の訪れを告げるどころか、寒波の影響により真冬の朝に逆戻りしたかのような気温の朝だった。日頃の疲れが抜けきっていないままに朝を迎え、しまっておいた厚手のニットの上に冬物のコートを羽織り、いつもの鞄を肩にかけ、朝九時、咲佑は家を出た。

 玄関の扉を開けた途端に吹き付ける風。身体が縮こまるような寒さを感じた咲佑は、思わずコートのボタンを一番上まで留める。かじかむ手をポケットに詰め込み、その中でカイロを揉む。じんわりとした温かさを感じた。

 十時二十五分。正木は大きな手帳を脇に抱え、会議の準備に取り掛かる五人に話しかける。

「会議の前に、先に俺から伝えておきたいことがある」
「何?」
「こないだの電話のことでな」

音楽番組終わりに正木の元へかかってきた一本の電話。内容としては、五人最後のNATUralezaで何かファンに向けてのイベントができないかということだった。電話の相手は、NATUralezaが普段からお世話になっているイベンター。あの音楽番組を観て、即座にコンサートを運営することにしたらしい。時間的に厳しいこともあるかもしれないが、という条件付きだったが。そのことを納得したうえで、五人は手を叩いて歓んだ。

「まぁ、そういうことだから。会場は言ってくれたら向こうが手配してくれるみたいだし。とりあえず意見出して、簡単にまとめてくれればいいから」
「分かった」
「じゃあ、ちょっと仕事してくるから。あとは任せた」
「おう」

 スマホを操作しながら会議室を出て行く正木。扉が閉まった途端、五人は感情の赴くままに抱き合った。ただ、ふとした瞬間に我に返った五人。会議モードにスイッチを入れ直す。

 ボールペンを手先でくるくると器用に回しながら、「何か意見ある人いる?」と口を開く。字が綺麗だという理由で板書係に選任された桃凛は、ホワイトボードに、何やら線を引いていた。

「俺からいいっすか?」
「おっ、朱鳥。いいよ、何でも言って」
「まさっきぃの話によると、イベントする会場は決まってないんすよね?」
「うん。まぁ、大きいところは難しそうだけどな」
「だったら、デビューしてすぐに立たせてもらったサマイブはどうっすか? そこで咲佑くんの卒業式を開催するみたいな」
「学校の入学式と卒業式が同じ体育館で行われるのと一緒っていう感じですか?」
「そう! まさに夏生が言ったことが俺の言いたかったこと!」
「卒業式か、面白いな」

朱鳥の名案に唸る凉樹。ボールペンを回す手は動きを止めている。

 桃凛がホワイトボードに整った綺麗な字で書いていく。朱鳥が提案した会場に、現状誰も反対していない。むしろ好感触だった。卒業式というワードに。

「僕からもいいですかぁ?」
「いいよ、桃凛」
「会場はサマイブで全然いいんですけど、お客さんが入れるスペースも限られてると思うのでぇ、動画サイトとかで生配信するのはどうですかぁ?」
「生配信か、そんな考えなかったな」
「確かに。サマイブは入っても百人ぐらいだからな」

桃凛の思わぬ提案に、五人は頭をフル回転させる。が、なにも出てこない。

「アレだったら他のところにしますか? 俺から提案しておいてって感じっすけど」

朱鳥は申し訳なさそうに発言するも、凉樹が「待って」と掌を向ける。

「生配信できないか、まさっきぃに相談してみようぜ」
「え、まさっきぃに聞いて分かるんすか?」
「物は試しにだよ。今はほぼ白紙の状態なわけだし。最終的には向こうが決めてくれるけどさ、アイデアは多いほうがいいだろ?」
「そうですねぇ」
「ほんと、凉樹くんって行動が速いっすよね」
「まぁな」
「今回は否定しないんすね」
「もう否定することはやめた」

凉樹と朱鳥が繰り広げる会話はまるで漫才のようで、面白さから笑い合う五人。会議室は自ずとハッピーな空間になる。

 今まで何度も会議を重ねてきたが、今までとは明らかに違う空気で過ごせる。咲佑の脱退と新体制を発表した後なのだから、重たい雰囲気でなくなったのは当たり前のことだが、それとは別で、目の前に立ちはだかる壁を乗り越え、また新たな道を歩き出したからか、以前よりも居心地のよさを感じられるようになった。

五人の時間は永遠に続かない。時間は有限だ。だからこそ、今日よりも明日が良い日になるように全力で生きてやる。咲佑は自分で自分のことを鼓舞させた。
 まっさらだったホワイトボードは、会議を始めて一時間もしないうちに黒で埋められた。決定事項には赤線が引かれるなど、桃凛による工夫がされ、一番の重要事項である配信の二文字には赤い丸が書き加えられていた。

「会場は使えるかの連絡待ちだが、配信することは決まったから、あとはセトリ決めだな」

腕を組んだまま、何か考え事があるかのような感じを含めて言う凉樹。男らしい喉仏が彫刻のようにはっきりと浮かび上がっている。咲佑は思わず見惚れてしまう。

「ですね。いつ決めますか?」
「四人がいいなら今日詰めるところまで詰めておきたいんだが、どうする?」
「俺はいいっすよ。でも、夏生は仕事があるんじゃ」
「明日は午後からなので問題ないですよ」
「そうなんだぁ。僕も学業のほうは順調なので大丈夫ですよぉ」
「で、咲佑はどうだ?」
「俺も今日決めるので構わない。決めれるんなら早めに決めて、準備に時間をかけたいからさ」
「じゃあ決まりだな」

 凉樹は椅子から立ち上がり、ゆっくりと伸びをする。それに釣られるかたちで朱鳥と夏生も脚や腕を伸ばす。桃凛はスマホでカメラ機能を立ち上げ、ホワイトボード全体が写る構図で写真を撮る。咲佑は四人のタイミングが良さそうなときに、こう尋ねた。「なぁ、少し早いけど今からお昼休憩入れないか?」

「いいっすね」
「どこかお店入りますか?」
「四人はどこか行きたいところある?」
「俺はラーメンっすかね」
「僕は肉が食べられたら。なのでラーメンでもいいですよ」
「僕も夏生君と一緒でぇ、お肉食べたいです」
「凉樹は?」
「俺はどこでも」
「じゃあ、駅前のラーメン屋に行くか」
「いいっすね。あそこなら席数多いですもんね」
「だな。じゃ、行くか」

 五人は少し早めの昼食を食べに行く準備をする。それぞれが暖かそうなアウターを羽織り、荷物を持ち、会社から徒歩十分の距離にあるラーメン店に向かった。

その道中も、食事中も、五人は飽きることなくしゃべり続ける。常に会議が開かれているみたいな状態だった。仕事のことは周りの人たちに気付かれないように小声で、個人的なことは迷惑にならない程度の声量で話す。お昼を揃って食べるのは久しぶりで、普段より濃厚な時間を過ごした五人。休憩後も、ノンストップでセットリストを決めたりするなどの会議を続けた。


 太陽は山の向こうに沈もうとしている。十時半前に開始された会議も、お昼休憩も込みで十六時半過ぎまで行われた。五人は区切りがついたところで帰り支度をし、正木と次の会議予定を共有する。

「もうすぐ十七時回っちゃいますけど、まだまだ話してたいっす」
「今日の朱鳥はやけに熱量があるな」
「そんなことないっすよ。いつもどおりっす」
「じゃあ、せっかくだし昼の話の続きも込みで、呑みに行くか?」

凉樹は手で酒を飲むポーズをする。それを見た夏生と桃凛の顔がぱっと晴れる。

「いいですね!」
「僕も今日は久しぶりに呑みたい気分なんで、連れてってください」
「そうだな。今日は五人で呑み交わすか」
「はーい。行きましょ」

メンバーのやり取りを目を細めながら聞く正木。シルバーの腕時計を確認し、「みんなお疲れさん」と声を掛ける。

「とりあえず上に報告しておくから。今日の打ち上げ楽しめよ」
「ありがと。今度はまさっきぃも一緒に行こうな」
「そうだな。咲佑のおごりでな」
「分かってるよ。また誘うから」
「おう」

正木は軽く手を挙げる。咲佑は歯をうっすらと見せて微笑んだ。

「頼んだよ、まさっきぃ」
「おう。任せとけって」
「もし駄目そうなら早めに連絡して」
「分かった。とりあえず打診しての結果を連絡するから」
「ありがとな」
「じゃあ、お疲れ」
「お疲れさん」

今から向かう先で待っているのは、おいしい料理と酒で客をもてなしてくれる居酒屋緋廻。お酒を呑み交わし、美味しい料理を堪能する。芸能人であることを忘れさせてくれる、そんな空間を求め、五人は会議室を出た。
 緋廻でも日常会話のように繰り広げられた会議。お酒を呑み交わし、頼んだメニューを交換し合いながら食べ、何気ない日常に幸せを感じる五人。酒が入ろうとも誓い合った約束事が変わることはない。五人は支えてくれた関係者に感謝を伝え、応援してくれているファンに喜んでもらうために。四人は咲佑に最高の卒業式をプレゼントするために。一人は四人との最後の思い出を作るために。そのためにイベントを開催する。

 珍しく酔い潰れた朱鳥と桃凛は机に突っ伏して寝始める。一方の夏生は元々お酒が入るとすぐに寝てしまうタイプで、今夜も会議の途中で夢の世界に片足を突っ込んでいた。咲佑と凉樹は、素面とは言えないものの普段とはあまり変わらない様子で、三人の寝姿を微笑ましく見守りながら話を続ける。

「凉樹、俺のこと支えてくれてありがとな」
「なんだよ、急に」
「何でもない。ただお礼が言いたかっただけ」
「なんだよ、それ」

呆れた様子を見せつつも、赤らむ耳を隠しながら笑う凉樹。咲佑はそんな凉樹の可愛い一面をずっと傍で見続けていたいと秘かに願う。

「One for All, All for One」

咲佑が囁く。それを耳にした凉樹は力が抜けたように頬を緩めた。

「それ、社長が大事にしてる言葉」
「社長もだけど、俺らだってモットーにしてる言葉だろ?」
「ああ。そうだな」
「結成当初から掲げてきたモットーを存分に発揮するとき、俺らどんな想いでいるんだろうな」
「今はまだ分からない。でも、きっとモットー以上のことが俺らにはできるんじゃないか」
「そうだよな」

凉樹の手によって熱燗から注がれる日本酒。美しいほどに透き通っている。

「咲佑は四人のために、俺ら四人は咲佑のために。できることならなんだってやる。それしかないんじゃないかな」
「うん」
「俺はどんなに難しいって言われることだって諦めない。妥協しない」
「何で?」
「それは、ナンバーワン、最高到達点を求めてるからに決まってるだろ?」

そう凉樹が言った途端、空気はしんみりとした。自分の発言が恥ずかしくなったのか、凉樹は急ぐ感じで日本酒を口に含ませる。

「カッケーこと言うじゃん」

頬が、耳が熱を帯びていく。

「なぁ咲佑」
「何?」
「俺らって、これからも友達でいられるよな」
「は? 今さら何言ってんだよ」
「ハハッ、だよな。はあ、俺何言ってんだろ。流石に呑み過ぎたかな」

凉樹は頭をゆっくりと後ろに傾け、木目がハッキリと浮き出た天井を眺めながら、自分に呆れたように笑った。そのとき、凉樹の瞳から一筋の涙が零れていた。

「友達。いや、もっと上を目指せる気がする」
「ん? どういうこと?」

咲佑の発言に、凉樹は仰け反っていた身体を戻して聞き返す。

「ううん。何でもない」
「でも、いつまでも馬鹿やってたいよな」
「そうだな」
「俺さ、どうしても叶えたい夢があるんだ」
「夢? どんな?」
「いつかお前にとっての最高の男になること」
「え、それが夢? 小っさ」
「いやいや、夢に大きさとか関係ないだろ」
「……、もうなってるよ」
「え?」
「どんな凉樹だって、俺にとったら最高の男だよ」
 地方では桜が開花したという話題で盛り上がっているなか、五人はイベントに向けたレッスンで、日々の忙しさを痛感していた。だんだんと過ごしやすい気温になっていき、装いも自然と軽くなっている。居酒屋緋廻でも春が旬の魚料理が並ぶようになり、タイミングが合えば五人は揃って緋廻に顔を出して、季節を感じられる料理を堪能する。レッスンの合間には、息抜きがてら行きつけのカフェで同じメニューと春限定のドリンクを飲んだりもした。

 レッスンとプライベートを楽しんでいた三月末。しかし、四月になるとメンバー揃ってプライベートを楽しむことは無くなっていく。それは、トラブルが相次いで発生してしまったため。そのトラブルと対峙するために次々と会議やレッスンの日程が決まっていく現状。また、凉樹と朱鳥を中心に個人仕事も流れ込んできてしまい、次第に揃っての練習すらもできない日が増えていった。咲佑は、本当に今の状態でサマイブのステージに立てるのか、些か不安に思い始めていた。

 四人もそれは同じだった。イベントにかける熱量は同じであるはずなのに、足並みがそろっていないと感じ始めていた。個人仕事があるのは仕方のないことだとしても、やっぱり四人はそれぞれが焦っていた。さらに四月になって数多くのトラブルが一気に巻き起こるとは思っておらず、気持ちにも余裕が無くなっていく。そんな四人にとっては辛いとも言える現実を突きつけられながら、毎日をただガムシャラに生きていた。

 あと一か月もしたら四人体制で活動していく、その未来が待っていることを容易に想像することはできず、むしろこのまま五人でいつまでも一緒にいられるんじゃないかと夢を見ることだってあった。でもその夢は叶わない。その望みを叶えさせてくれるキューピットなんて、この世に存在しない。

 残り一か月で咲佑はグループ活動からの卒業を迎える。この一か月で咲佑はメンバーに何を残してあげられるのかと常に自分に問い続けていた。が、未だその答えは見つかっていない。メンバーで揃って何かをしているときも、家で自分の時間を過ごしているときも、時間は止まらずに進み続ける。止まってくれればいいのに、なんて思うことはもうやめた。時間が止まったとしても、答えが見つかるとも限らないから。

 自分にしか出せない答えが出ない。そんな苦悩に満ちた日々を送る咲佑のことを知っているかのように、会社近くにある緑地公園の花壇には、五月ごろに見頃を迎える花々がたくさん植えられている。咲佑は季節ごとに色んな表情を見せてくれる植物が好きだった。中でも一番楽しみにしているのが、まだ蕾の状態でいるジニア。それは明るい色の花を見るだけで、心が晴れやかになるため。どんな色を出して咲いてくれるのか分からないジニアの花に、咲佑は自分の願いを重ね合わせた。
 五月三十一日。NATUraleza五人で過ごす最後のとき。夏生まれが集まっただけあって、お昼には七月中旬並みの気温を突破した。そんな暑さの中、五人は最後のステージに立つ準備を進めていた。ファンに向けて開催される今日のイベントは、デビューしてすぐに立った小さなステージで行われる。イベントは同時に動画サイトで配信されるようになっていて、その分多くのスタッフたちが出入りする。

 二十歳越えの男たちには少し小さい楽屋。五人は身を寄せ合い、十八時からのイベントに向けて準備を着々と進める。そのころ、ちょうどキッチン側からは美味しそうな匂いがしてきていた。時計を見ると、十二時を過ぎたばかりだった。

 イベント前の食事は五人揃って食べることが、デビュー当時から暗黙のルールみたいなものになっていた。誰かが強制したものでなく、たまたま食事の時間が同じだったために、自然とできた流れだった。その代わり、ご飯を食べる前と食べた後は相手の邪魔もせず、黙々と自分たちのルーティンをして過ごす。これがお決まりになっている。今さら変えることはできない。

「そろそろご飯食べるか」

 凉樹が触っていたスマホを机に伏せる形で置き、ケータリングがある方向を指差す。朱鳥たちは返事をして、料理が並ぶスペースへ歩いて向かう。それぞれが好きな料理を皿に盛りつけ、テーブルに並べ、顔を見合わせながら食べる。

朱鳥や桃凛はおにぎりやサラダなど、自分の好物をどんどんと口に運んでいく。しかし夏生の手は止まったままで、うどんの麺が太っているような気がした。そのことに気付いた凉樹が納豆をかき混ぜながら聞く。

「夏生、うどん食べないのか?」
「いえ、食べますよ」
「食べないと伸びるんじゃないのか?」
「そうですね…」
「どうした? 元気ないな」
「元気ですよ。でも、楽屋で五人揃って食べるご飯も今日が最後なんだって思うと、なんか食べる気が失せちゃって」
「そうか」

凉樹は納豆の入ったパックをテーブルの上に置き、夏生の背中に手をやる。二人のやり取りを目の前で見ていた朱鳥と桃凛も、食べる手が止まっていた。

「夏生、そうやって思ってくれてありがとう。でも、今は食べないと後の日程が差し支える」
「ですよね…」
「こうやって楽屋でご飯を食べるのは最後だけど、食事会みたいなのは日程さえ合えばできるんだよ。だからそう寂しがらないで。せっかくのうどんが伸びたらおいしくなくなるだろ?」
「咲佑くんの言う通りですね。すいませんでした」
「いいんだよ。夏生、ありがとう」
「いえ。じゃあ、いただきます」

夏生は咲佑の前で太ったうどんを啜る。瞳には涙を浮かべているようだった。

 時間までの間にそれぞれがルーティンを終え、出番五分前にスタッフの案内でステージ裏に行く。すでに客席からはコールがかかっている。会場ではNATUralezaの曲がカラオケの状態で流れているのに、それに負けじと声を出すファンたち。その声を聴きながら、五人は最後の円陣を組む。

「咲佑くん、準備できてますか?」

咲佑の左隣で肩を組む夏生が、音楽とファンたちの声に搔き消されないように問う。

「おう! バッチリできてんぞ! 朱鳥も、夏生も、桃凛もできてんのか?」
「俺たちもバッチリっす!」

三人は大きく頷く。

「凉樹は、盛り上がる準備できてんの?」
「この状況で盛り上げられないわけないだろ!」
「だよな!」

一番テンションが高い凉樹。隠しきれないワクワクが口調からはみ出ていた。

「最高の卒業式にしましょうねぇ!」
「だな!」
「咲佑くんが誰よりも楽しんでくださいよ!」
「おう! みんなも、楽しんでくれよ!」
「任せてください!」
「じゃあ、行くぞ!」
「っしゃぁー!!」

五人の表情は一片の曇りもなく快晴だった。ファンが作り出す熱気の中へ、五人は勢いそのままに飛び込んだ。

 五人の登場を待ち侘びていたファンたちは、大きな拍手と歓声を上げる。大量のスポットライトが当たるステージで、ファンたちが持つペンライトに照らされて踊り出す。デビューしてすぐに立ったあのときよりも、輝きを放つ五人。その一瞬一瞬が、今日まで歩んできた道は、間違っていたわけじゃないことを示してくれているみたいだった。
 二十時を過ぎた頃、イベントは無事に終了した。五人は鳴りやまない拍手の中、ステージの裏でハイタッチを交わす。会場に退場のアナウンスが流れるのを聞きながら楽屋へ戻る。その足取りは軽やかで、咲佑は明日からの不安を胸に、四人は明日から始まる新たな道を歩むための希望を胸に、衣装を脱いでいく。滴る汗は塩辛かった。

 帰宅の支度を終えた五人は正木の運転する車に乗り込み、イベントの打ち上げと、五人のNATUralezaに幕を下ろすための打ち上げを兼ねて、緋廻に向かった。明日を迎えるまで残り三時間。一歩ずつ着実に、咲佑の、五人のNATUralezaの物語が終わりを迎えようとしている。最高のエンドロールを迎えるために。その思いで、咲佑は胸に手を当てた。

 緋廻近くの路上に止められた車を降りた五人。マネージャーである正木も誘ったが、あっけなく断られた。「彼女と美味しい手料理が待ってるから」と。でも、その言葉の中には、最後ぐらい五人だけで過ごせ、というメッセージが込められているのだろうと、五人はそう感じていた。

 徒歩で向かうこと二分。暖簾が降ろされ、明かりも灯っていない緋廻がぽつんと、寂れた感じで建っていた。もう営業が終わったのかもしれないと思いつつ、凉樹が扉を開ける。やはり店内には人っ子一人いなかった。

「もしかして、今日って休みだったんじゃ・・・」

恐る恐る尋ねる夏生。それに対し、朱鳥が「だったら鍵ぐらいかかってるだろ」と、瞬時に答える。

「何かあったとか、そんなことは無いですよね」

どこか自分に言い聞かせるように言う桃凛。口調から心配しているようだった。

「とりあえず店長呼んでみるか」

そう凉樹が言った途端、店内の明かりが一斉に灯る。まるで停電から復旧した住宅街のように。

「えっ!」

明かりが点いたことにより、店内の様子が一気に視覚、聴覚、嗅覚を通じて脳に伝わる。店内の壁にはカラフルな装飾品が貼ってあり、テーブルには盛大な料理が並べられ、店内に流れている曲はNATUralezaのデビュー曲、という普段の居酒屋緋廻ではない、パーティー会場と化した居酒屋緋廻がそこにあった。

「咲佑、凉樹、朱鳥、夏生、桃凛、卒業おめでとう!」

揃えられた声のあとにバラバラな音を奏でるクラッカー。店の奥から飛び出してきた店長と奥さんの優子さん、そしてカウンター席の下から飛び出てきた従業員の小林さん。三人の手には小さなクラッカーが握られていた。

「ありがとうございます」

五人はあまりのことに驚きを隠せず、嬉しいはずなのにそれが上手く体現できない。

「ごめんな、驚かせるかたちになって」
「ホントですよ。暖簾もかかってないし、店の明かりも消されてるから、今日休みだったっけ? って焦りましたよ」

冗談っぽく笑って見せる凉樹。桃凛は嬉しさの感情が今頃現われたのか、目には涙を浮かべていた。

「悪かったな。でも、こうしたいって言ってきたの優子なんだ」
「えっ、優子さんが?」
「そうよ。五人のこと驚かせようって思ってね。それで小林ちゃんも巻き込んじゃったの。でも少しやり過ぎたかしら」
「そんなことないですよ。まあ、驚きましたけどね」
「ふふっ。サプライズ成功ね」

お茶目な優子さんのことを店長は優しい目で見ていた。

「そうだ。料理作りたてだから温かいうちに食べちゃって」
「ありがとうございます」
「うわぁ、美味しそう!」

料理に目を輝かせる五人。その横では女性二人が話していた。

「小林ちゃん、後片付けは私たちでやっておくから、今日はもう上がっていいわよ」
「でもまだ営業時間中じゃ」
「いいのいいの。私の我儘聞いてくれて、こうして準備手伝ってくれたんだから」
「分かりました。じゃあ、お先に上がらせてもらいます」
「うん」

エプロンを外しながら咲佑に話しかけた小林。

「米村さん。今日までお疲れ様でした。私、これからも皆さんの活躍楽しみにしてます」
「ありがとうね。時間あるときにまたお邪魔させてもらうから」
「はい!」

 五人は軽く会釈し、小林にお礼を伝えた。その小林は頭をぺこぺこと下げながら店外へ出て行く。ショートボブの髪からは微かに甘い香りがしていた。

「今日までよく頑張ったな。お疲れさん」
「ありがとうございます」
「ドリンクは店からのサービスだ。遠慮なく飲んでくれよ」
「えっ、いいんですか?」
「それぐらいしかお祝いできないから」
「全然っ! 逆にありがたいですよ。お言葉に甘えさせていただきますね」
「はいよ」

 五人は座席に腰かけ、NATUralezaの曲を聴きながら、手を顔の前で合わせる。

「いただきます」
「いただきます!」

目の前に置かれた店長特製の料理を食べ始める。そんな料理はいつもよりも温もりを感じられた。咲佑は思った。店長と優子さん、二人の愛情が詰まっているからだろう、と。

 店に来て一時間。五人は用意された料理をすべて平らげた。二人は五人が美味しそうに料理を食べ進める様子を、目を細くして見つめていた。

「全部食べてくれてありがとな」
「お腹空いてたので、ペロリですよ」
「店長、優子さん、いつもより美味しかったです」
「そうか? ならよかった」

満更でもなさそうな顔の店長。その服の袖を引っ張る優子さん。

「あなた、向こうで片付けしないと。明日の仕込みもあるでしょ?」
「ん? いや仕込みは特に…」
「いいから、ちょっと」
「お? あ、あぁ」
「私たちは一旦席外すけど、みんな、ゆっくり楽しんでってね」
「すいません。ありがとうございます」

無理やり腕を引っ張られ、なんで連れていかれたのか分からないといった表情で去っていく。優子さんが気を利かせて五人だけの空間を作ってくれたのだろう。五人は申し訳なく思ったが、その気持ちは最後に伝えればいいと思って、今はお礼以外、特に何も言わなかった。

 五人だけになったその刹那、店内には別れを惜しむ空気が流れ始めた。時間が迫っているのもあるのだろうが、今まで仲良くしていた友達が違う学校に進学していくみたいな、永遠の別れでもないのに寂しくなる、あの何とも言えない空気が。別れを切り出すのは自分からだろう。そう思ったときには、咲佑は自分の思いを口にしていた。

「みんな。今日まで俺の一個人的なことで苦しくさせて申し訳なかった」
「咲佑くん…」
「最後に、俺からみんなに、伝えたいことがある。今はもう耐える必要はない。泣きたいなら泣いてもいいから」

泣きたいなら泣いていい。この言葉は、何事も上手くいかず苦しんでいた時代、咲佑自身が凉樹からかけられた言葉だった。
「じゃあ、まずは朱鳥」

「はい」

「朱鳥、俺に憧れて芸能界に入ってくれてありがとな。芸能界で朱鳥に出逢えて、そして同じグループで活動できて本当に良かったよ。まぁ俺に憧れてるなんて、変な奴だなって思ったけどな」

「えっ、何でですか? 俺そんなに変でした?」

「なんでって…、俺のどこに憧れてるか分からなかったからだよ。でも、変だと思ってたのは最初だけ。朱鳥と同じグループで活動する中で、本当の朱鳥のことが知れて。そっからは朱鳥のことを変だとは思わなくなった。だから、もう安心しろよ」

「そうだったんすね。安心しました」

「そのことに関して、前に酒の力借りて伝えるって言ってたけど、あのとき酔ってない状態で言ってくれたこと、俺は見逃さなかったからな。まぁでも、素直に伝えてくれて俺は凄く嬉しかった。恥ずかしそうにしてる朱鳥も新鮮だったし。これからは朱鳥が誰かから憧れてもらえる、そういう存在になるんだぞ。それに、今の朱鳥は、もう既に俺のことを超えてる。だからもう俺には憧れないほうがいいよ・・・って、それは朱鳥の自由か。まあとにかく、朱鳥の美しすぎる歌声で、ポテンシャルの高さで、色んな人たちを笑顔にしてあげろよ」

「はい。咲佑くんに出逢えて、こうして芸能界に入れました。だから、明日からはこの恩を返していけるように、そして咲佑くんが言ってくれたような人になれるよう、頑張ります」

「水森朱鳥。出逢えて本当によかった。今日まで本当にありがとう。大好きだぞ」

「俺も、咲佑くんのこと大好きです。今度、また遊びに連れてってくださいね」

「おう」

 朱鳥は我慢しきれず、唇を小刻みに震わせながら涙を流した。一筋の、綺麗な涙を。咲佑は両手を広げる。朱鳥は飛び込むようにして抱きついた。朱鳥の涙が服に零れて濡れたとしても、気にせずに。
「夏生は、いつも一歩引いたところからNATUralezaのことを見て、色んな意見を出してくれる。時には真面目に、時にはふざけた意見をな。でも、そのどれもが的を得てるし、的確な情報として教えてくれる。流石だと思ったよ。俺は、そんな夏生に出逢ってから今日まで、数えきれないぐらいたくさん救われた」

「そんな・・・。僕が咲佑くんのことを救ってたなんて、それは大袈裟じゃないですか・・・?」

「大袈裟なんかじゃない。実際、夏生の誕生日当日の話し合いのときだって、弱音を吐いてまで俺の脱退に反対してくれてたし、公表後どんな仕事に結び付けられるとか、自分の知らないことを積極的に調べて、それで新たな道を示してくれた。グループを抜けちゃだめだって引き留めてくれたのに、最後の最後、勇気を出して、俺の背中を押す決断をしてくれてありがとう」

「いえ。僕は何もしてませんから」

「夏生。そこまでネガティブになってたら駄目だ。夏生からすれば何もしてないように思うのかもしれないけど、夏生がやってくれてることは、ちゃんと俺たちの心に響いてるし、為にもなってる。夏生の立ち位置は決して間違ってない。だから大丈夫。そんな夏生のこれからを俺は楽しみにしてる。夏生はNATUralezaが行き詰ったとき、助けてやる資格があるんだから」

「はい」

「夏生はこれからも演技を武器に、老若男女問わず魅了してやれよ」

「はい」

「田村夏生。出逢えて本当によかった。今日までありがとう。大好きだぞ」

「僕もです。咲佑くん、これからは友達として、お願いします」

「おう」

 夏生は、咲佑が紡ぐ一言一句を、嚙みしめるようにして聞き、そして頷いた。握られた拳が震えていた。咲佑はその拳を優しく包み込み、「大丈夫」と夏生にしか聞こえない声量で伝えた。夏生は再び頷いた。
「桃凛は、俺が最初に脱退したいって話したときに、そういう道があってもいいと思う、って一番に言ってくれた。そのとき、三つ年上の俺なんかよりもしっかりしてて驚いた。それと同時に桃凛の成長が嬉しくなった」

「咲佑くん。まるで親みたいじゃないですかぁ」

「そりゃあ、親目線になっても仕方ないだろ? だってさデビューした当時なんてまだ十五歳で、高校生にもなってないから働ける時間にも制限があったりして。だから思うようにいかないって、悔しい気持ちになったことも多々あったと思う。それでも、こうして一緒に活動できた日々は、俺にとって大切な思い出として胸に刻まれてる」

「僕も、今日までの楽しさとか、悔しさとか全部が良い思い出です」

「大学と仕事の両立は色々と大変だろうけど、頑張れよ」

「当たり前じゃないですかぁ。僕も咲佑くんみたいに、学業と仕事の両立頑張りたいんですからぁ」

「そっか。でも、頑張り過ぎて身体壊したら元も子もないから。それだけは気を付けるんだぞ」

「はい。気を付けます」

「桃凛は、まだまだこれからも成長できる。伸びしろしかない男だ。そんな内に隠し持ってる才能が開花する日が来ること、俺は信じてるから。焦らずに、ゆっくりでいい。これからの活躍も、楽しみにしてるからな」

「咲佑くん、ありがとうございます。僕、頑張りますっ」

「葉山桃凛。出逢えて本当によかった。今日までありがとう。大好きだぞ」

「こちらこそですぅ。咲佑くん今日まで本当にお疲れ様でしたぁ。また絶対に会いましょうね」

「おう」

 桃凛は泣き笑いの顔で咲佑に抱きついた。その背中に、咲佑はそっと腕を回し、優しく抱きしめる。その様子を、朱鳥と夏生は笑みを零し、凉樹は澄んだ瞳で笑いかける。

ゆっくりと体を引き離した桃凛は、咲佑に向かって強く頷き、そして微笑んだ。