「それでは皆さん、最後の合唱祭、全力で頑張ってくださいね。高校生になったら、皆で歌う機会なんてそうそうないですから」

 中学生活も大詰めとなった晩秋。僕らは合唱祭たるものを毎年経験してきたが、いよいよ今年で最後になる。小学校からか、あるいは幼稚園からか、物心ついた頃には歌の練習は日常の一コマだった。

 ただ、今年は一点だけ、予定の変更が生じたらしい。先生は保身的なにこやかさで説明する。

「今年は例年のプログラムに加え、特別支援学校の生徒が本校で歌を披露してくださることになっています」

 クラスメートたちは露骨に不満をあらわにした。他校の知らない障害者に時間を取られたくありませんとか、そういう企画は学校の評判を良くしたいためじゃないんですか、とか。

 中学三年にもなればいっぱしに文句を言う知恵もついている。夏が過ぎていった頃から皆、人生の分岐点を意識し始めたのか、妙に神経が(たかぶ)っていた。先生も先生らしく、正論で説得を試みる。

「もちろん、合唱祭の主役はあなたたちです。ただ、あなたたちは将来、社会に出るのですから、社会にはさまざまな人がいることを知っておくのも大事な勉強ですよ」

「先生、社会勉強は受験には必要ないから、あとで学べばいいんじゃないですか。高校とか、大学とかで」

 クラスメートのひとりが言い返すと、先生は若干厳しい口調になった。

「いいですか、これは学校同士で話し合われた地域の交流イベントのひとつです。決まったことですから、これ以上の文句は受け付けません」

 そこで異論を唱えた生徒たちも空気を察して身を引いた。

 どうやら皆、自分の進学先を決める、「受験」というステップが人生の一大事らしい。

 けれど、受験ってほんとうにそんなに大切なものなのだろうか? ランクの高い学校に進学したら、その先に幸せな未来が待っているというのだろうか?

 ふと、昨晩のニュースを思いだした。

 塾帰りの子供が飲酒運転の犠牲になったとか、いじめが原因の自殺者が何人いたとか、盲目の人が駅のホームから転落して電車にひかれたとか。

 世の中が不条理にできているのは火を見るより明らかだ。でも、そういう重要なことを教科書はまるで語ってくれない。
 
 だけど、そう思いながらも僕はいまだになにもできないでいる。手助けをしたくても、どうすればいいのかすらよくわからない。支えを必要としている人は、世の中にたくさんいるはずなのに。

 僕はとても無力でちいさい存在なのだと思う。だから僕は、自分がなんで生きているのかがわからなくて、霞がかったような毎日を繰り返している。

 他人の不幸を知るたびに、そう感じてしまう僕はおかしい人間なのだろうか?