金曜日の午後になると、あと少しで休日だという気の緩みからクラスメイトたちの私語が増えがちだ。今日なんて特に退屈な地理の授業が6時間目だったこともあり、教師の言葉に耳を傾けている生徒はほとんどいない。俺の前の席にいる佐々木は隠れて弁当を食べているし、凛と苺は放課後に備えてなのか念入りに化粧直しをしている。2つ左隣を見ると、乙木は熱心に鳥のデッサンを描いていた。そして、右隣にいる鈴木は前の席に座る曾根田とおしゃべりをしている。
「聞いた? うちの美術部、これまで廃部寸前って言われるくらい過疎ってたのに、乙木が入部した途端に女子が殺到したらしいよ」
「あーだから女子だけオーディション形式だったんだ」
「乙木効果エグいよね~」
「観賞する分には顔いいもん。話すとガッカリするけど」
「わかる」
 鈴木と曾根田は顔を見合わせてから、ケラケラと軽い笑い声を上げた。どうもこの2人は根っからの噂好きみたいだ。学校の噂話なんて好きなだけすればいい。だけど、曾根田がいつも乙木の話題をあげているのがどうにも気にかかる。まさか乙木のことを狙ってるのか? ライバルかよ、と横目で曾根田を睨む。まだ乙木の話をしている2人は会話に夢中で気づいていない。
 そうこうしているうちに、終礼のチャイムが鳴った。教室のあちこちから歓喜のため息が聞こえてくる。
「……なあ、空ってマジに乙木のこと好きなん?」
 チャイムが鳴ってからこちらへ駆けよって来た春斗が、開口一番にそんなことを聞いてきた。「どういう意味で聞いてる、それ」と確認すると、春斗はさっき俺が曾根田を睨みつけていたのを目撃したらしい。それは確かに疑わざるを得ないだろう。言い逃れ出来ない状況に、俺は横目でちらりと左横の乙木の席を盗み見た。乙木は既に姿を消している。ホームルームを待たずに部室へ直行したんだろう。相変わらず自由だ。
「それに昨日の昼、乙木が言ってたじゃん。『霜中は俺が好きだ』って!」
 春斗は似てない物真似口調で言う。乙木はそんな気色悪い作り声で話さないし、春斗が今やっている奇妙なくねくねした動きなんかしない。不愉快になり、「似てないからやめろ」と言い捨てた。
「好きか嫌いかでわければ、そりゃ好きだけど。乙木って親が芸能人らしいから、芸能人を家族に持つ仲間としてお近づきになりたいなーと思っただけ」
 ――霜中って、ずっと適当な嘘ばかり話してるなと思ってたから
 この前、乙木がなにげなく口にしたことは真実だった。せっかく高校入学後にクラス内でいい立ち位置につけたのに、ここでわざわざ自分の弱点をさらけ出す必要はない。同性愛を友人やクラスメイトが受け入れてくれるかどうかなんて、リスクの高い賭けでしかないんだから。すらすらと俺の唇は偽りの理由を並べ立てる。全てが嘘というわけでもなかったので、何も知らない春斗には到底気づけないだろう。
「え、ちょっ、ちょっと待って。聞いたことない話ばっかなんだけど!? 何、家族に芸能人がいるって」
 案の定、春斗は「芸能人」という話題に飛びつき、椅子から立ち上がりぐぐっと顔を近づけてきた。
「実は俺の弟、俳優やってんだよね。みんなには内緒な」
 芝居がかった仕草で周りを見渡してから、「シーッ」と人差し指を口元にあてる。春斗は大興奮したのか、頭をぶんぶんと振って頷く。そして「こんな身近に芸能人がいんの、すげーっ!」と騒ぎ始めたので、慌てて春斗の口を両手で抑えた。
 その時、ちょうどいいタイミングで担任のカナセンが教室の扉を開いた。乙木が席にいないのを見ると、カナセンはため息を吐いてやれやれと首を横に振る。それから、「ホームルーム始めるぞー。先生も早く帰りたいから静かにしてろよ」と、カナセンはみんなの笑いを誘う。俺は声を潜めてカナセンに注意されないように話を続けた。
「乙木のやつ、入学してから1か月以上経ってもクラスに馴染めてないだろ? 勝手に仲間意識持ってたからさ、なんとかしてやりたいんだよ」
「なあんだよ、そういうことだったんなら早く言えよー! 凛とかぜってえ勘違いしてるぜ?」
「だよな。春斗からそれとなく伝えておいて」
「お~けえ~」
 ホッとしたように笑っている春斗。こいつに「俺が乙木を恋愛的な意味で好きなこと」を打ち明ける日は来ないな。心の中で、春斗に×マークをつけておく。悪いやつではないけど、所詮その程度の人間だったか。少しだけがっかりする。それでも、冷たい言い方をするようだけど春斗には利用価値がある。例えば、乙木に敵対心を燃やしている凛のストッパー役だ。
 俺たちが内緒話をしている間に、カナセンが本当に素早くホームルームを終わらせた。日直の「起立、礼」の掛け声の後に「さようなら」とクラスメイトの声が響く。
「……というわけだから、俺、美術部に顔出してから帰るわ。じゃあな」
 片手を上げて春斗に別れを告げ、教室を後にする。美術室に行くための階段を降りながら、そのうちどうにか策を練って凛と春斗をくっつけさせよう、と心に決めた。

 ***

 1階に降りた後、急いで美術準備室に滑り込み、小窓から美術室を覗く。今日はここに来たのが遅かったので、部員たちが勢揃いしている。美術部員がみっちりと教室いっぱいに座っているのが見えた。そのほとんどは、女子。そして、みんなしてチラチラと乙木を盗み見ている。鈴木と曾根田が噂していた話は本当かもしれない。はあ、と重たいため息が漏れる。美術部の部員たちがほぼライバルとは、頭が痛くなる話だ。
 乙木星凪は、みんなの熱視線に気づいてもいないようで、静かに絵筆を走らせている。今日は水彩画を描いているみたいだ。6時間目の授業中に描いていた鳥のデッサンが、今は色とりどりに装飾され、とてもドラマチックな作品に仕上がりかけていた。
「この鳥のモチーフは何から着想を得たの? 色が変わってるわね」
 乙木のキャンバスを見た美術部顧問の白浜先生が、不思議そうに乙木へ尋ねた。乙木は絵筆を動かしながら、「今朝見かけたカラスです。猫と喧嘩してて、それが面白くて……」と消えてしまいそうな小さな声で説明している。そんな彼を見て、以前もここ美術室で乙木に話しかけていた女の先輩が「乙木は相変わらず変わってるなあ」と笑った。
「うん、良く描けてる。強いて言うなら、ここに少しハイライトが欲しいかな。部長、白の絵の具ってまだ在庫ある?」
 白浜先生が先輩に言う。あの先輩は美術部の部長だったのか。そんなことをぼんやりと考えているうちに、部長である例の先輩は「取ってきます」と言うなり小走りで準備室に入ってくる。逃げる暇もなかった。俺と先輩は、準備室の中で相対して、固まった。
「……ど、どうも」
 気まずい沈黙が流れる。美術部の部長は眉を寄せ、「誰? ここで何してるの」とキツイ口調で言う。
「霜中?」
 俺が弁解する前に、乙木が俺の名前を呼んだ。部長が開きっぱなしにしていた準備室の扉から、俺の姿が見えたんだろう。ちょうどいい、乙木本人に助太刀して貰おうじゃないか。
「あのー、俺、乙木君のクラスメイトで霜中空って言います。美術部に興味があって、そのー、体験入部とかって出来ないですかね?」
 美術部に入ること自体は、乙木の後を追い始めてから考えていたことではあった。今まで様子見だけにとどめていたのは、慢心、そのひとことに尽きる。乙木の人気は知っていたけど、美術部内でここまで人気だとは完全に予想外だった。さすがに毎日は美術部の偵察をしていなかったのだが、それがいけなかった。入学当初は乙木のほかに男子が5名ほどいたはずが、今の部室の様子を見ると、彼らは皆辞めてしまったようだ。つまり、美術部とは名ばかりで、現在ここは「乙木星凪ファンクラブ」になっている、ということ。乙木はやっぱり特別ですごい、と感嘆するべき? それとも、ライバルが増え過ぎたことを悲しむべきか……。
「今頃になって体験入部? 志望動機は」
 美術部の部長は、乙木と話していた時とは打って変わって、高圧的な態度で問い詰めてきた。案外こっちのほうが素なのか。面倒くさそうな相手なので、無難に答えとくに限る。
「乙木君の様子を見ていて、楽しそうだなーと思って。ダメですかね?」
 わざとらしくコテン、と首を傾げた。これまでの経験上、こういうかわい子ぶった仕草は古臭い手だったけど、かなり有効だった。なので今回も上手くいくかと安易に考えていた。俺の想像とは反対に、美術部の部員たちは怪訝な目で俺を見つめている。あれ、とこっちも困惑してしまう。そんな時、思わぬところから援軍がやって来た。
「いいじゃない。今年は女子の入部希望が多くてたくさん辞退してもらったけど、逆に男子はみんな何故か辞めちゃってねえ。空きが出たから入部させてあげたら? 乙木君も友達が部内にいたほうがやりやすいでしょう」
 顧問の白浜先生がそう言って、微笑む。部長である先輩は舌打ちをしそうに顔を歪めたが、渋々頷く。
「……わかりました。霜中君、だっけ。私、部長をしてる3年の野村雛菊(のむらひなぎく)です。入部届はこれ」
「あ、ありがとうございます!」
 入部届を渡されたので、笑顔を向けてみたものの、部長の野村はニコリともしない。顧問に言われたから嫌々入部を認めたのが丸わかり。俺のことが相当嫌いなんだな。もしかしたら、この部長こそが1番乙木にご執心なのかも。そんな疑いを深めつつ、俺は乙木の隣に椅子を持っていき、近くにいた部員たちに「お邪魔します!」と挨拶した。やはり今回も俺の愛想は不発で、みんな苦笑いを向けてくるばかりだった。この空気はアレだ。明らかに気が合わない輩がやってきた、鎖国しよう。とでも言いたげな雰囲気を感じる。
「霜中は適当な嘘をつくのが本当に上手だね」
 唯一、俺を無視しないのは乙木だけだ。が、これまたチクりと棘のある言葉を吐いてくる。背筋にヒヤリとした感覚が走りつつ、「ごめんごめん、部活も一緒になったらもっと仲良くなれるかなーって欲が出ちゃって……」と言って、笑う。乙木はこちらの顔をひととき見つめてから、「欲、ね。それは『本当』なんだ」などと呟いた。変なことを口滑らせたかもしれない。俺は更に冷や汗をかいた。
「霜中はデッサンの描き方知ってるの」
 乙木は新品のキャンバスを俺に手渡してきて、言う。「あはは、知らなーい」と軽いノリで返事すると、「だと思った」なんてすぐに言い返されてしまった。そして、乙木らしからぬ発言が飛びだした。
「今日の課題もう終わったし、俺が教えるよ」
「マジ!? やったー!」
 願ってもみなかった幸運な出来事に、思いっきりその場でガッツポーズを作ると、周りから一斉に睨まれる。いや怖、と若干引く。でも俺が女子だったら、もっと酷い仕打ちを受けていたと思うので、我慢、我慢。「……乙木君が(けが)されるッ」「陽キャが美術部に来て何が楽しいんだよ」「私たちの乙木君が」とひそひそ声が聞こえてきていたけど、聞こえていないふりをした。
 陰湿な小姑たちに見守られる中、俺は乙木にデッサンの仕方を教わる。モチーフの林檎をじっくり観察してから、実際に鉛筆で描いてみる。乙木の説明付きで。
「――初めに鉛筆で薄くアタリをつけるんだ。ああ、そうじゃない。貸して」
 そう言って、乙木はなんと、鉛筆を持つ俺の手に乙木自身の手を重ねた。「ギャアッ」と美術室のあちこちから悲鳴が上がる。だけど乙木はそんなことはお構いなしに、俺の手ごと持った鉛筆でくるくると円を描く。
「こうやって気持ち大きめにアタリをつけて。それから影を描き込んで……こんな感じ」
「お、おお~」
 乙木の手によって、目の前のキャンバスにリアルな林檎がたちまちに出来上がる。前から上手いとは思っていたけど、本当に乙木は入部したてとは信じられないほど絵が上手かった。乙木が絵に集中している隙に、こっそり横顔を盗み見る。滑ったら怪我をしそうなくらい高くて綺麗な鼻筋。集中しているせいか半開きになった唇は、柔らかそうにぽってりとしていて、蜜を出して蜂を誘っている花みたいだ。
「ちょっと。俺じゃなくて、モチーフをちゃんと見る」
 ぼうっと見つめていたのがバレた。乙木は呆れたように言ってから、無理矢理に俺の頭を林檎の前へと固定した。

 ***

 6時過ぎ。部活終わりに買い食いしようと乙木をファーストフード店へ誘う。「腹減ったし寄ってこうぜ」と、駅前にある全国チェーンの店の前でハンバーガーが大きく写ったポスターを指差した。乙木は物珍しそうにポスターを眺めて、「入ったことない」と言う。
「え、生まれてからこれまで一度も?」
「うん。お母さんが食事には気をつけてるから。外食も仕事関係の時だけって決まってる」
「女優さんは体型管理とかあるだろうしなあ。でも、乙木は乙木の食いたいもん食えばいいのに」
 乙木の口振りから、もしかすると今まで食べたいものも自由に食べられなかったのかも、と疑いを抱いた。「ハンバーガー、食べてみる?」と続けると、乙木は「うん」と頷く。
「何にしよっかなー。あ、チーズバーガーセット食いたいかも」
 レジの真上に掲げられているメニューを見ながら、列に並び、何を注文するか悩む。わかりやすい味が好きな俺は、ファーストフード店に来るとかなりの確率でチーズバーガーのポテトセットとコーラを頼むのだった。横を向いて乙木の様子を伺うと、眉間に皺を寄せてメニューを凝視している。こんなに真剣な顔でメニューを見るやつ、初めて見たぞ。
「乙木は何にする?」
「あ、えっと、同じので……飲み物はアイスコーヒーがいい」
「おけおけー」
 乙木は初めてこの世界に生まれ落ちた赤ちゃんみたいに、目をキラキラさせて店内を眺めている。順番が来たので店員に注文しながら、こっそりとそんな乙木を見て笑った。こんな姿、きっと美術部のやつらも、クラスメイトたちも、これまで乙木に好意を向けていた大勢の人間みんな、知らないに違いない。無意識に、唇の端がうっそりと上がってしまう。俺はつまらない人間だから、これだけのことで、テンションが上がってしまう。一歩出し抜いてやったぜ、とウキウキした気持ちを隠しもせず、注文したチーズバーガーセット2つのトレイを両手に持ち、4人掛けのテーブル席に腰を下ろした。
「いただきまーす。ほら、乙木も食いな」
「うん」
 俺が勢いよくチーズバーガーを食べ始めたのを見て、乙木もおっかなびっくり包み紙を開け始めた。そして、恐る恐るチーズバーガーを齧ると「あ、美味しい」と驚いたように言った。
「美味しい? よかったよかった。それにしても、この歳になるまで食べたことなかった、ってのはほんと珍しいよなあ。星月アヤネほどの大女優が家族だと大変だな」
 チーズバーガーを数口で食べ終えた俺は、今度はポテトに手を伸ばしながら乙木に母親の話題を振る。「星月アヤネ」の言葉を聞くと、乙木の瞳からふっと光が消えた。やばい、この話題は禁句だったか。一瞬前の発言を後悔しかけた。だけど、乙木は気分を害した様子もなく、静かに話し出す。
「お母さんは……才能もあるし、すごい人だと思う。俺のこともそれなりに大事にしてくれてる。でも、お母さんと話してると時々、宇宙人と話してる気分にさせられるんだ」
 乙木いわく、幼い頃から親子の写真を「仕事だから」と無理矢理撮られたり、子役モデルの仕事も強要させられていたらしい。嫌だと何度話しても聞き入れてもらえなかった、と乙木は苦しそうに言った。
 星月アヤネは、国内で知らない人はいないくらい有名な女優だ。真に迫った演技力に定評があり、たまに映画で何らかの賞を受賞して、ニュースになったりしている。バラエティー番組に出演した際にも穏やかな印象だったので、まさか息子に対して心ない態度を取る人だとは。意外だ。でも、芸能人はその人のとびきり良い面を見せるのだから、割とよくあることなのかもしれない。
 そんなことを考え込んでいると、俺の表情を見た乙木は、母親の肩を持つように「お母さんだけの責任じゃないよ、長く芸能生活してると、周りにおかしな人たちが集まってくるから」と言って、ポテトに手を伸ばした。そしてポテトの味は乙木的に微妙だったらしく、残念そうに「……ふにゃふにゃ」なんて呟く。
「お母さんの側にいる人たち、みんな嘘つきだった。ずっと嘘をつかれてきたから、嘘つかれると『嘘だな』ってすぐにわかる。人は嘘を話す時、違和感を自覚しながら話すだろ。そうすると、どうしても声のトーンや目線、表情、仕草……どこかにブレが生まれる。そのブレを見つけるのがうまいんだ、俺」
 乙木は、かなり久しぶりにこんな長い文章を話したのかもしれない。話し終えると、ケホケホ、と苦しそうな空咳をした。「飲みなよ」とアイスコーヒーを差し出すと、乙木は両手で紙コップを抱えてアイスコーヒーを啜り出す。儚げな美人なのにその様が子供っぽくて、ギャップが可愛いな、なんて密かに思う。
 それにしても、確固たる自分の価値観を持ち、自由気ままに生きているように見えていた乙木星凪が、幼少時から苦労していたとは。衝撃だ。でも、いやに「本当のこと」に乙木がこだわる理由も、これでわかった。息をするように嘘をつくところがある俺としては、気まずかったけど。
 アイスコーヒーをいくらか飲んだ乙木は、喉の調子を取り戻したようだ。いちど咳払いをしてから、再び話し始めた。
「何を言っても人は聞きたい答えしか受け入れないし、人はたいてい本当のことを話さない。それなら言葉なんて無意味だ。そうだと思わない?」
 星凪の声は静かな夜にぽつぽつと降る雨みたいだ。決してうるさくはないのに、何故か心に響く。ずっと聞いていたい。そう思った時には、彼の音が消えている。
「でも、俺はもっと乙木の言葉を聞きたいけどな」
 本心から言うと、乙木は「そう?」とだけ返し、強張らせていた顔の緊張を緩めた。
「家族が芸能人だと多かれ少なかれ苦労するんだな、お互い。実は俺の弟も俳優やっててさ、『霜中碧生(しもなかあおい)』って言うんだけど」
 乙木だけに家族の話をさせるのはフェアじゃないよな。そう思って、弟の話をした。俺が永遠に(かな)わない相手――碧生。名前を聞くと、当然のように乙木は知っていたらしい。「あの人か」と、まるで知り合いのような反応を見せる。
「そういえば同じ名字だね」
「それだけ? 乙木のお母さんとも共演してたし、結構売れてる役者なんだけどな」
「そうだね、お会いしたこともあるよ」
「……あ、そうなんだ」
 やっぱり面識があるのか。ちょっと落ち込んで、無言のままコーラを飲む。すると、そんな俺を見て乙木がクスクスと笑い出した。
「え、どこにツボったの。今、笑うとこあったか?」
「は、はは……はあ、ごめん。屈折してるなとは思ってたけど、そこまで拗ねると思わなくて」
 どうやら、乙木の中で俺は「適当な嘘ばかりつく屈折したやつ」らしい。普段から他人へ好印象を植え付けるよう努力している身としては、悔しいことこの上ない。だけど、あの乙木が俺の無様さを見て笑ってくれたのは、救いのようにも感じた。
 腹を抱えて爆笑する乙木は、いつものお上品な微笑ではなく、歳相応の笑顔をしていた。