朝、教室に入ると、俺の机は真っ二つに破壊されていた。

「は……?」

 俺は机(だった物)の前で呆然と立ち尽くした。天板が裂け、フレームがへしゃげている。まるで象にでも踏み潰されたかのような惨状だ。イスも巻き添えとなっている。教科書やノートが床に散らばり無事だったことが不幸中の幸いか。

「誰が百瀬(ももせ)の席を破壊した?」

 緊急のホームルームが執り行われた。担任の武永(たけなが)先生は教室内を眺め回し、真剣な面持ちで教卓を叩く。

「高校生にもなって、こんなイジメみたいなことをして恥ずかしくないのか! 席を失った百瀬の気持ちを考えてみろ!」

 今、教卓の隣に立たされて衆目に(さら)されている俺の気持ちもわかってほしい。顔から火が出るほど恥ずかしい。
 室内が水を打ったように静まり返る。誰もが(うつむ)いている中、一人のクラスメートがおもむろに手を上げた。

「……俺がやりました」

 誰もが後ろを振り返った。体格の良さが(あだ)となり、皆の邪魔にならないよう万年最後列に追いやられている男。その名も――

岩本(いわもと)ォ! 職員室に来ォォォい!!」

 岩本はまるで猫のように首根っこを掴まれ、武永先生と共に教室を退場していった。
 教卓に取り残された俺へと、クラスメートが同情の眼差しを向けてくる。

「とりあえず岩本の席座れば?」


 ***


 右肩が異様に熱い。ひしひしと威圧感が伝わってくる。恐る恐る横目に見ると、岩本が鬼の形相で俺を睨みつけていた。
 俺はムッとした。俺の机を破壊したヤツから睨みつけられるいわれはない。岩本を無視してノートを広げ、慣れない復習に取り掛かる。

「それ、俺のノート」

 岩本が俺の手元を指差す。当たり前だ。ここは岩本の席なのだから。
 仕返しとばかりに前方の席を指差す。そこには破壊の限りを尽くされた俺の机が鎮座している。

「返してほしいなら先に俺の席をどうにかしろよ。それとも何か? お前が俺の机になってくれるのか? ええ?」

 次の瞬間、机の上に何かを叩きつけられた。あまりの衝撃に突風が生まれ、俺の前髪は跳ね上がる。

「これで満足か?」

 それは新しい机だった。机オン机。机の上に机を載せられた。まるでダブルデッカー。二階建てバスだ。

「空き教室から持ってきた。さあ、早く退()いてくれ。授業が始まる」

 一時間目を知らせるチャイムが鳴り響く。クラスメイトが次々と着席する中、岩本だけが立っている。
 俺は茫然とし、咄嗟(とっさ)口許(くちもと)を押さえる。笑ってはいけない。ここで笑えば岩本のペースだ。
 机が載せられた机の上で復習の続きに取り掛かる。幸か不効か、机の脚部分が空洞になっているので、頭がすっぽりと収まる。

「どうして俺が退かなきゃならないんだよ。大体、イスが足りねえじゃねぇか。お前が俺のイスになってくれるのか? ええ?」

 岩本はじっと俺を睨みつけ、

「わかった」

 と(うなず)いた。


 ***
 

 一時間目の授業が始まり、数学の橋林(はしばやし)先生が板書してゆく。黒板一枚にびっしり書き終えると、それを上にスライドさせ、今度はもう一枚の黒板に板書し始めた。上下式黒板だと板書量が増えて、教師的にはやりやすいかもしれないが、生徒側からすると一度に書き写す量が増えて大変だ。
 微分や積分なんて、覚えたところで何の役に立つのだろうか。むしろ、脳の容量を圧迫するだけ無駄ではないか。理系クラスにいるものの、俺は数学が大嫌いだ。しかも朝イチ。寝るなと言うほうが無茶な話だ。
 普段ならとっくに夢の中にいるところだが、しかし今日の俺は目が冴えていた。眠気は皆無! 視界もクリア! これは凄いぞ!
 岩本に肩車されながら、俺は二階建ての机でペンを走らせた。岩本が黒板を見ようと顔を上げる度に内腿(うちもも)の辺りが擦れてくすぐったいし、前屈みになればバランスを崩しそうになるから、眠る暇なんてどこにもない。

「先生」

 岩本の右手が俺の真横に現れた。手を上げたのだろう。新鮮な感覚だ。

「何だ、岩本?」
「上の黒板が見えないので降ろしてもらえますか?」
「わかった。……おい、百瀬」

 ガラガラと黒板を下ろす音に続いて、先生の足音が聞こえる。はい、と返事して面を上げると、目と鼻の先(の少し下)に橋林先生が立っていた。丸めた教科書で手をパンパンと叩いている。
 いつもチョークを投げられてばかりの橋林先生を見下ろすのは気分が良い。今なら平手打ちだって避けられる気がする。

「今すぐ降りろ」

 スパーン、と丸めた教科書で側頭部を引っぱたかれ、俺は岩本の肩から墜落した。
 どうして俺がこんな目に……。元はと言えば、岩本が俺の机を破壊したのが悪いのに。
 普段の俺であれば、机を破壊されようと笑って許しただろう。岩本のことは苦手だが、こうして意固地になることはなかったはずだ。
 だが、『今日』に限っては許せなかった。これは俺の沽券(こけん)に関わる問題なのだ。