ホームルームが始まる直前になってようやく、朝練を終えた運動部の面子がぞろぞろ教室に入ってくる。
「うわぁ。でたよ、高嶺柊」
「今日も爆モテですな。我々オタクとは住んでる次元が違う。矢野氏もそう思うでしょう?」
話を振られた俺は、一呼吸置いてから「あー、そうだね」と同調の返事をする。
教室に入るなり――いや、廊下を歩いている段階で、周りに女子を侍らせているイケメンこそが高峯柊。
サッカー部のエースで、英語ペラペラの帰国子女。おまけに背も高くて、アイドル並みに顔が良い。親は誰もが知る大企業の重役なんだとか。
設定モリモリの爆モテイケメン。そんな男だ。
片やこちらは、教室の隅に集まってアニメやゲームの話をしているような、典型的な陰キャ集団。
声優の追っかけハシモッチャン、美少女ゲーム好きでオタク口調のノブさん、そして二次元を広く浅く愛す俺――矢野の三人組だ。
(普段パリピ滅べとか言ってるけど、悔しいことに実際、めちゃくちゃかっこいいんだよなぁ)
女子と話す高嶺の端正な横顔を観察していると、視線に気づいたのか、何故かイケメンがこちらに向かって歩いてくる。
「何だ? こっち来るぞ」
「さっきのが聞こえてたのでは?」
オタク仲間が戸惑い始める。
高嶺の視線は俺に向いていて、嫌な予感がした。
「のの……じゃない、矢野。昼に体育館倉庫来て」
彼はそれだけ告げて、またクラスの中心へと戻っていく。
二年三組が始まって早半年。
今まで一度だって、人気者の高嶺がオタク集団に話しかけにくることなんてなかった。
それが突然変わった。心当たりなら――実は十分すぎるくらいある。
「どういうこと?」
「カツアゲ?」
友人二人は放心状態で顔を見合わせている。
「そうかも……。俺、何かしたのかな」
俺はへらりと笑って誤魔化した。
◇
体育倉庫に入ると、高嶺は跳び箱の上に座ってスマホをいじりながら、焼きそばパンを食べていた。
なんてことない男子高校生の昼休みの図だというのに、それを高嶺がすることで、映画のワンシーンのように思えるから不思議だ。
「のの、教室にいなかったから、先行ったのかと思った」
高嶺は手を止めて、俺を見る。
その顔が、彼を取り巻く女子たちに向けるものより柔らかい気がして、不意にドキッとした。
高嶺の風貌は――今流行りの韓国アイドルみたいな感じ、とでも言えば良いだろうか。
背がすらっと高く、鍛えられていて引き締まった体に、男らしく、されど芸術品のように美しい顔が載っている。
(化粧せずにこれだもんなぁ……)
下手したら、最近姉がハマっているグループの、ビジュアル担当よりもかっこいいのではないだろうか。
そんなことを考えながら、ぼーっと眺めていると、高嶺は跳び箱から下り、こちらに向かって歩いてくる。
「昼ごはんは食べた? まだなら購買ついてくよ」
「学校では話しかけるなって言ったはずだけど」
ハッと我に返った俺は、近づいてくるイケメンに動揺して、ツンデレみたいな発言をしてしまう。
「ごめん。でも連絡先交換してなかったからさ。あの時間、ゲームのチャットは見ないだろうし」
「急に呼び出した要件は?」
俺はじりじり後退りしながら尋ねる。
「二人きりで会いたくなった」
高嶺はふっと笑みをこぼして言った。
(はい?)
思考が停止する。俺はしばらくその場に固まって、数度瞬きを繰り返す。
「なんか、朝、顔見たら喋りたいって思ってさ」
俺が女子なら、今この瞬間、目の前のこの男に惚れていただろう。
それほど破壊力の高い一言だった。
(ぐぅ、眩しい。イケメンなら、なんでも許されると思うなよ!)
平静を装ってなんとか言葉を絞り出す。
「別に、今までは学校で喋ることもなかったし……急に言われても……」
「そうだよな」
眉尻を下げ、肩を落として残念がる高嶺に、心臓がぎゅっと握りつぶされたような心地になる。
負けだ。光のイケメンに勝負を挑んだ俺がバカだった。
「五分だけ。それなら良いよ」
そもそもどうしてこんなことになったのか。それを語るためには、少し時を戻す必要がある。
リーンの箱庭――有名ではないけれど、ユーザー数はそこそこいるスマホアプリゲームだ。
基本的には可愛らしいアバターを操作して、ほのぼの小さな町を築いて暮らすゲームだが、バトルで経験値を貯めたり、ギルドのメンバーと協力してこなすイベントも用意されている。
姉に頼まれて始めてみたら、意外と楽しくて、ユーザー登録をしてから既に三年が経過していた。
姉はとっくの昔に飽きて辞めてしまったが、ギルドのメンバーと仲良くやっているので問題ない。
画面上部にピコン、と通知のマークが表示される。
(あれ? 個チャだ。珍しい)
毎晩恒例のギルドイベントが終わった後、ギルドのチャットではなく、個人チャットにメッセージが送られてきた。
送り主は天丼さん。『天丼食べたい』とか『正義の天丼』とか、ふざけてよく名前を変えるが、皆天丼さんと呼んでいる。
お互い同じくらいの時期にギルドに加入したこともあって、俺にとっては気さくに話すことのできるメンバーの一人だ。
天丼大盛り『ののさんの家って、もしかして三鷹駅周辺?』
メッセージを見て、俺はなんとなく伝えたいことを察した。ベッドに転がったまま、ドキドキしながら返事を打つ。
ののえる『そうだけど……もしかして家近い?』
天丼大盛り『最寄り一緒!』
返事は早かった。俺は思わず「うそ!?」と叫んで、慌ててチャットを返す。
ののえる『えっ、すご! 東京住みで歳近いことは知ってたけど、まさかご近所さんだとはw』
天丼大盛り『それな。すごい偶然』
ののえる『でも何で分かったの? もしかして……ス◯ーカー(´・ω・`)?』
天丼大盛り『なわけないだろw』
ギルドチャットで他のメンバーと、『駅前に新しいカフェができたけど陰キャには無理』という話をしていたのを見て、もしやと思ったらしい。
しばらく他愛のないチャットを続けた後、返信の間が空いた。
寝落ちたのだろうかと思い、自分もアプリを閉じようとしたところ、通知のマークがつく。
天丼大盛り『良かったら今度会わない?』
俺は一瞬返事を躊躇った。
人の目を見て話さなくても良いように前髪は伸ばしっぱなしだし、遊びに着ていく服がない。コミュ障なので、面と向かって上手く喋れるかも分からない。
けれど、ゲーム内では早三年の付き合いで、話も合う。きっと向こうも同じようなオタクだろう。
オフ会というものに憧れがあった俺は、思い切って返事をする。
ののえる『いいよ』
俺はスマホを放り、「わーっ」と言って枕を抱きしめた。
こうして、生まれて初めてゲームで知り合った人とオフ会の約束をしたのだった。
◇
オフ会当日。俺は三十分前に待ち合わせ場所の改札前に着き、ゲームをしながらソワソワと天丼さんの到着を待っていた。
この日のために服を買った。
お洒落なブランド品ではなく、量販店のパーカーだけど。珍しく服が欲しいと言ったので、親は喜んでお金を出してくれた。
いつも顔の半分近くを覆っている前髪は、ワックスで整えられている。
ギルドのメンバーと遊びに行くと聞いた姉が、そのままでは相手に失礼だと言ってやってくれたのだ。美容師の卵だけあって、なかなか悪くない仕上がりだと思う。
格安天丼『もうすぐ着く。黒のTシャツに、グレーのジーパン。ロコロぬい持ってる』
緊張していたはずなのに、チャットを見た俺はふっと笑ってしまう。
(天丼さん、また変な名前にしてる)
格安天丼って何だよというツッコミを心の中で入れながら、急いで返事を打つ。
ののえる『もう着いてるよ。東改札前の柱にいる。グレーのパーカーに、五周年記念トート』
見つけやすいようにトートバッグのイラスト面を体の前に下げ、俺は辺りをキョロキョロ見回した。
ロコロとは、リーンの箱庭に出てくる魔獣だ。可愛らしい見た目で、マスコットキャラとして愛されている。
グッズとなると、よほどコアなファンしか持っていないので、人混みの中からでも見つけるのは容易と思われたが、しかし――。
(げっ。高嶺!?)
天丼さんを見つける前に、クラスメイトを見つけてしまった。
長身なうえ、道行く人間が「俳優か何か?」と関心を向けているので余計に目立つ。相変わらず、眩しすぎるくらいのイケメンだ。
(どうしてここに高嶺が? 家こっちなんだっけ……)
興味本位で観察していると、視線が合った。彼はこちらに向かってずんずん歩いてくる。
(えっ!? ……どういうこと???)
よく見ると、高嶺は手に可愛らしい魔獣のぬいぐるみを持っていた。
黒のTシャツにグレーのジーパン。シンプルだが高嶺が着ると、着ている本人のかっこ良さが際立つ。制服姿よりも大人っぽく見えた。
「ののえる、さん?」
「こ、こ、こ、こんにちは。もしかして、天丼さんですか?」
動揺と緊張のあまり、声をかけられた俺はニワトリみたいな返事をしてしまう。
「はい。会えて嬉しいです」
高嶺は目を細めて笑った。
教室ではあまり見たことのない、自然な表情に高鳴る鼓動が止まらない。
(かっこ可愛い……じゃない、落ち着け。向こうは一軍、片や三軍以下の俺。きっと認識されてないはず)
すー、はー、と深呼吸していると、高嶺はなんてことないかのように尋ねてくる。
「もしかして矢野?」
「え」
「矢野のえる。だからののえるか」
なるほど、納得した。みたいな顔をされても困る。
(何でバレたんだ!? いつも顔半分は隠してるのに!)
冷や汗がダラダラ背中を伝う。
そのユーザー名は姉がつけたのであって俺の趣味じゃない、とか。ロコロぬいを鷲掴みにして待ち合わせに持ってくる奴があるか、とか。
どうでもいいことばかりが脳裏を駆け巡る。
「今日、いつもより可愛いな」
(へっ!?)
高嶺の口から発せられた言葉に、俺は益々動揺する。
「あー、男に可愛いって駄目か」
高嶺はぽりぽり後頭部を掻いてから言った。
「こんなところで突っ立って話すのもなんだし、移動しよう」
◇
二人は一駅先の繁華街に移動して昼ごはんを食べた後、アニメショップで買い物し、それからゲームセンターに向かった。
ギルドメンバーとのオフ会にクラスメイト――しかも一軍トップのイケメンが現れてどうなることかと思いきや、リーンの箱庭について話し始めると、あっという間に緊張がほぐれた。
面と向かって話すのは初めてに等しいが、オンライン上では長い付き合いなのである。当然と言えば当然だ。
「それって今アニメやってるやつだっけ。観てないけど面白い?」
俺がクレーンゲームでとったフィギュアを見て、高嶺が尋ねてくる。
「一話切りする人多かったけど、三話からぐっと面白くなるから絶対見た方が良い!」
「へー、じゃあ今度観てみよ」
「高嶺は普段どんなの観るの?」
「俺は普通にロボットものとか。あと、日常系も結構好きかも」
高嶺は見た目が優れているだけではなく、性格も良いらしい。
俺みたいなオタク陰キャにも普通に話しかけ、馬鹿にすることなく話を聞いてくれる。
(た……楽しい……)
ハシモッチャンもノブさんも家が遠いので、こうして誰かと学外で遊ぶのは久しぶりだ。
俺はいつの間にか、高嶺と二人で過ごす時間を楽しんでいた。
「俺もゲームしようかな」
高嶺は移動しながら、きょろきょろとクレーンゲームを見回す。そして可愛い猫のぬいぐるみの前で、足を止めた。
確か最近、女子の間で人気のキャラクターだ。
「高嶺、こういうの好きなの?」
何気なく尋ねると、高嶺はびくっと肩を跳ね上げる。
「いや……妹にとってあげたら喜ぶかと思って」
高嶺は気まずそうに頰を掻く。
珍しく動揺しているように見えた。
(あれ、そういえば天丼さんって日朝アニメのマスコットキャラとか好きだったよな。ロコロぬいを持ってることからしても、案外可愛いもの好きなのかも)
学校でそんな素振りを見せたことはないので、普段は隠しているのかもしれない。
俺はなんとなく察する。
「もしかして、自分用? 別に隠すことないよ。俺も男の癖にイケメンキャラとか結構好きだし」
「そっか。そうだよな。ののは俺が可愛いもの好きなの知ってるんだった」
どちらかというと、高嶺が可愛いもの好きということよりも、いつの間にか親しげに「のの」と呼ばれていることの方が気になった。
高嶺はそんな俺の心情を知るよしもなく、プラスチックの板にくっついて中の景品を見つめる。
「んー、でもこれ。アーム弱そうだし難しいかな」
「ふふふ、任せとけ」
自慢ではないが、俺はクレーンゲームが得意だ。
攻略動画を見てハマり、一時は毎日のようにゲーセンに通っていた。
このタイプの機種には、アームをぶん回してとるという裏技がある。
「はい!」
俺はとれたてのぬいぐるみを高嶺に渡す。
一発というわけにはいかなかったが、三回目でとれたのなら悪くないだろう。
「ありがと」
高嶺はふわりと柔らかい表情を見せる。
クレーンゲームをした時の高揚感の名残か、俺の心臓はドクドクと煩かった。
そんなことがあって、話は冒頭に戻る。
二人で出かけた時は想像以上に楽しかったけれど、学校ではそうもいかない。
クラスイチ――いや、学校イチのイケメンと、隠キャが仲良く話をするなんて無理だ。周りの目が気になって仕方ない。
「顔、出さないの?」
高嶺は何の前触れもなく、ぼんやりしていた俺の額に手を当て、顔の半分を覆う前髪を掻き上げた。
「ぎゃっ!!」
至近距離で顔を覗き込まれ、動揺した俺は逃れようとして尻餅をつく。
「悪い。この前の髪型が良かったからつい」
高嶺は平然と言ってのける。
(陽キャの距離感恐ろしすぎる……ここは外国か!)
そういえば、高嶺は帰国子女だった。
海外ではこのくらいのスキンシップが普通なのかもしれないが、日本でこんなことをするのは二次元の、それも少女漫画のヒーローくらいだろう。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃ、ない」
高嶺は手を差し伸べてくれたが、何故か無性に恥ずかしく、俺はそれを無視して立ち上がった。
「高嶺は自分のかっこ良さ、もっと自覚しろよ。俺とは住んでる次元が違うの。急に近づかれたらびびるし、逆に俺はブスすぎてドアップに耐えられない」
俺は動揺したまま、わーっと早口に言う。
「見た目のことはよく言われるけど……俺は普通のDKだよ。知ってるだろ。それにののはブスじゃない」
高嶺は視線をふいと逸らし、「むしろ可愛いというか。女々しいわけじゃなくて、勿論男として見てるけど」とごにょごにょ付け加える。
(……このイケメンは何を言ってるんだ)
高嶺がうっすら頰を染めているのに気づき、俺も視線を逸らす。顔が火照って仕方ない。
(でも……)
男にしては可愛らしい容姿にコンプレックスがあるはずなのに、高嶺に可愛いと言ってもらえるのは不思議と嬉しかった。
「うん、なんかありがと。でも俺、学校では目立ちたくなくて」
「分かった。じゃあSNS教えて。そっちで声かけるから、時々こうして会ってくれたら嬉しい。あと、また二人で遊びに行きたい」
高嶺が真剣な表情で言うので、俺は心の内で「仕方ないな」と唱えながら頷く。
「分かった。たまに、だからな」
◇