「女将、そろそろ締め頼むわ。五目チャーハンにしよかな」
ソファ席で寛ぐ、ふたり組のお仕事帰りと思しきスーツ姿の男性客からの注文だ。
「はい、お待ちくださいね〜」
世都はタロットカードをひとつにまとめ、カウンタの端にそっと置いて厨房に戻る。何だかどっと疲れた気がした。
結城さんはその性格からか、エネルギーが凄まじい。まるで周りのパワーまで奪い取ってしまう様な錯覚さえしてしまう。
要はその底抜けの明るさ、天真爛漫さに気圧されるのだ。自分の正しさ、正義を疑わない。それを自覚があるにしても無いにしても、他者が押し付けられてしまう。
その源は、結城さんの場合は恋愛なのだ。誰かを思うことで、誰かがそばにいることで発揮される。そういう性質の人なのだ。
その良し悪しは本人だけのものである。そうであることで幸せなことも不幸なことも起こるだろう。
だがそれは恋愛に限ったことでは無い。差はあるだろうがこだわりは誰しもが持つものである。
「結城さんのこと、実際どうなん?」
カウンタの奥あたりに掛ける高階さんが問うてくる。場所が場所なだけに占いの結果も聞こえていただろう。世都は声を潜めていたが、結城さんはいつものトーンだったので、聞かれても構わないと思っていたのだと思う。
「占いの結果通りですよ。まぁ結城さんのことですから、そのあたりは真っ直ぐに行かれるかも知れませんねぇ」
駆け引きなども必要になってくるのだろうが、きっと結城さんは自覚無くそれらを駆使するのだろう。
世都の横では龍平くんが五目チャーハンの具材の準備をしてくれている。ひとつのバットに五目の素材が揃えられ、小さなボウルで卵がほぐされる。
「俺は恋愛にのめり込むタイプや無いから、あんま気持ちは分からんけど、友だちを蹴落としてもって思えるのがええんか悪いんか」
「そうですねぇ」
世都はフライパンを温めてごま油を引き、溶かれた卵を入れる。じゅわっと音がし、卵が周りからふんわりと膨らむ。シリコンスプーンで軽く混ぜながら半熟状態にしたら温かいごはんを入れて、ごはんに卵を絡ませる様に大きく混ぜて行く。
「基本、人の心は自由やと思うんですよ。他人の犠牲が無ければ。でも何かひとつが動けば、必ず何かが犠牲になったり歪んだりしますよね」
「そうやなぁ」
「はなやぎ」の五目チャーハンの具材はみじん切りにしたかまぼこと人参、ハムとザーサイ、小口切りの青ねぎである。人参にはあらかじめ火を通してある。
鍋肌に日本酒を入れ、アルコールをしっかりと飛ばしたら具材を一気に入れた。
「俺も聖人君子や無いし、絶対に生きてる間に、知らんうちに誰かに嫌な思いとかさせとると思うねん。もちろんできるだけそうならん様にしてるつもりやし、それで身を引いたことかてある。でも結城さんはそうや無いんやな」
同じことを目の前にしてどうするか。それは千差万別である。100人いれば100通り。似通うことはあるだろうが、同じでは無い。
高階さんはお友だちのことを思って身を引き、結城さんは関係無いと突き進む。自分が犠牲になるか、人を犠牲にするか。その幅は決して狭まりはしないだろう。根本が違うのだから。
端から見ると結城さんの行動は褒められたものでは無いのかも知れない。自分本位だと咎められることだってあるだろうか。だが当事者には当事者の思いがある。お友だちとの関係が悪くなったとしても、好きな人を振り向かせたい、それは否定されるものでは無いのだ。
世都はチャーハンの味付けをする。お塩とこしょう、うま味調味料、鍋肌にお醤油。全体をざくざくと混ぜて。
「人さまの感情が絡むことは難しいですよねぇ。正解なんてきっと無いんでしょう。ただ、せめて近しい方をないがしろにはしないようにしたいとは思います」
「せやな」
高階さんはロックグラスを傾け、世都は穏やかな表情を崩さない様に努めながら、できあがった五目チャーハンを白い丸皿に盛り付けた。
世都にとって、恋愛とはやっかいなものである。「恋」と「愛」ふたつの感情が寄り合わさってこの「恋愛」と言う文字を形作っているが、このふたつは似て非なるものだと世都は思っている。
恋は自分勝手なもの、愛は相手も大事にするもの。乱暴で極端な解釈だと思うが、あながち間違ってはいない気もする。
愛と名の付く感情はいろいろある。恋愛もそうだし、家族愛、友愛もそうだ。相手を慮れるかどうか、それは自分自身のあり方としても大切なのでは無いかと世都は思う。
恋愛がらみの有事にのみ「はなやぎ」に来る結城さんの別の面を、世都はあまり知らない。だから普段の周りへの振る舞いは分からない。
お友だちと同じ人を好きになり、どちらかが成就したとして、お友だち同士の関係がどう変わるか、それはそれまでの付き合い方に寄るのだと思う。
悔しさや悲しさを抱えつつ、それでも落ち着けたとき、ほんの心の片隅ででも「おめでとう」と思えるかどうか。ふたりの幸せを雫ほどでも願えるかどうか。
綺麗事かも知れないが、そこにその人の本質が出てしまうものなのではと思う。恨みつらみを延々と持ってしまうのは、誰にとっても良く無いこと。私の方が相手を幸せにできるのに、なんて思うことは傲慢である。
結城さんは、どうなのだろうか。世都は何だか嫌な予感がした。
ソファ席で寛ぐ、ふたり組のお仕事帰りと思しきスーツ姿の男性客からの注文だ。
「はい、お待ちくださいね〜」
世都はタロットカードをひとつにまとめ、カウンタの端にそっと置いて厨房に戻る。何だかどっと疲れた気がした。
結城さんはその性格からか、エネルギーが凄まじい。まるで周りのパワーまで奪い取ってしまう様な錯覚さえしてしまう。
要はその底抜けの明るさ、天真爛漫さに気圧されるのだ。自分の正しさ、正義を疑わない。それを自覚があるにしても無いにしても、他者が押し付けられてしまう。
その源は、結城さんの場合は恋愛なのだ。誰かを思うことで、誰かがそばにいることで発揮される。そういう性質の人なのだ。
その良し悪しは本人だけのものである。そうであることで幸せなことも不幸なことも起こるだろう。
だがそれは恋愛に限ったことでは無い。差はあるだろうがこだわりは誰しもが持つものである。
「結城さんのこと、実際どうなん?」
カウンタの奥あたりに掛ける高階さんが問うてくる。場所が場所なだけに占いの結果も聞こえていただろう。世都は声を潜めていたが、結城さんはいつものトーンだったので、聞かれても構わないと思っていたのだと思う。
「占いの結果通りですよ。まぁ結城さんのことですから、そのあたりは真っ直ぐに行かれるかも知れませんねぇ」
駆け引きなども必要になってくるのだろうが、きっと結城さんは自覚無くそれらを駆使するのだろう。
世都の横では龍平くんが五目チャーハンの具材の準備をしてくれている。ひとつのバットに五目の素材が揃えられ、小さなボウルで卵がほぐされる。
「俺は恋愛にのめり込むタイプや無いから、あんま気持ちは分からんけど、友だちを蹴落としてもって思えるのがええんか悪いんか」
「そうですねぇ」
世都はフライパンを温めてごま油を引き、溶かれた卵を入れる。じゅわっと音がし、卵が周りからふんわりと膨らむ。シリコンスプーンで軽く混ぜながら半熟状態にしたら温かいごはんを入れて、ごはんに卵を絡ませる様に大きく混ぜて行く。
「基本、人の心は自由やと思うんですよ。他人の犠牲が無ければ。でも何かひとつが動けば、必ず何かが犠牲になったり歪んだりしますよね」
「そうやなぁ」
「はなやぎ」の五目チャーハンの具材はみじん切りにしたかまぼこと人参、ハムとザーサイ、小口切りの青ねぎである。人参にはあらかじめ火を通してある。
鍋肌に日本酒を入れ、アルコールをしっかりと飛ばしたら具材を一気に入れた。
「俺も聖人君子や無いし、絶対に生きてる間に、知らんうちに誰かに嫌な思いとかさせとると思うねん。もちろんできるだけそうならん様にしてるつもりやし、それで身を引いたことかてある。でも結城さんはそうや無いんやな」
同じことを目の前にしてどうするか。それは千差万別である。100人いれば100通り。似通うことはあるだろうが、同じでは無い。
高階さんはお友だちのことを思って身を引き、結城さんは関係無いと突き進む。自分が犠牲になるか、人を犠牲にするか。その幅は決して狭まりはしないだろう。根本が違うのだから。
端から見ると結城さんの行動は褒められたものでは無いのかも知れない。自分本位だと咎められることだってあるだろうか。だが当事者には当事者の思いがある。お友だちとの関係が悪くなったとしても、好きな人を振り向かせたい、それは否定されるものでは無いのだ。
世都はチャーハンの味付けをする。お塩とこしょう、うま味調味料、鍋肌にお醤油。全体をざくざくと混ぜて。
「人さまの感情が絡むことは難しいですよねぇ。正解なんてきっと無いんでしょう。ただ、せめて近しい方をないがしろにはしないようにしたいとは思います」
「せやな」
高階さんはロックグラスを傾け、世都は穏やかな表情を崩さない様に努めながら、できあがった五目チャーハンを白い丸皿に盛り付けた。
世都にとって、恋愛とはやっかいなものである。「恋」と「愛」ふたつの感情が寄り合わさってこの「恋愛」と言う文字を形作っているが、このふたつは似て非なるものだと世都は思っている。
恋は自分勝手なもの、愛は相手も大事にするもの。乱暴で極端な解釈だと思うが、あながち間違ってはいない気もする。
愛と名の付く感情はいろいろある。恋愛もそうだし、家族愛、友愛もそうだ。相手を慮れるかどうか、それは自分自身のあり方としても大切なのでは無いかと世都は思う。
恋愛がらみの有事にのみ「はなやぎ」に来る結城さんの別の面を、世都はあまり知らない。だから普段の周りへの振る舞いは分からない。
お友だちと同じ人を好きになり、どちらかが成就したとして、お友だち同士の関係がどう変わるか、それはそれまでの付き合い方に寄るのだと思う。
悔しさや悲しさを抱えつつ、それでも落ち着けたとき、ほんの心の片隅ででも「おめでとう」と思えるかどうか。ふたりの幸せを雫ほどでも願えるかどうか。
綺麗事かも知れないが、そこにその人の本質が出てしまうものなのではと思う。恨みつらみを延々と持ってしまうのは、誰にとっても良く無いこと。私の方が相手を幸せにできるのに、なんて思うことは傲慢である。
結城さんは、どうなのだろうか。世都は何だか嫌な予感がした。