そのカードを見たとき、世都は落胆してしまった。それが顔に出てしまったのか、相川さんは「ああ……」とため息混じりの声を漏らした。
「ソードの、4です」
意味は休息、タイミングを計る、退却、休戦など。今の相川さんにとっての展望が何ひとつ無い。
「……現状、奨学金をお返しすることしか、道は無い様です」
「やっぱり、そうですか」
相川さんは諦めの境地と言う様に、目を伏せた。そんな相川さんもとても美しかったが、その美貌、そして頭脳を持ってしても、打開できないことはある。
「せめて奨学金が給付型やったら良かったんですけどねぇ。母が実業家と結婚したんで、申請が通らんかったんですよ。母は母で、結婚相手には私のこと秘密にしてるから大きなお金は動かせんで。まぁあの母親なんで、私の学費をどうにかしようなんて、思ってくれへんかったでしょうけど」
相川さんは自虐的に苦笑した。どうして真摯に生きている人が、これ以上大変な思いをしなければならないのか。相川さんはただ学びたかっただけなのに。
今、奨学金の返済がネックになって、未来が拓けない人も多くいるのかも知れない。相川さんだけでは無いと言われればそうなのだろう。だが世都は今目の前にいる相川さんのために、何かできないだろうかと思案するが。
何も、無いではないか。
世都は相川さん行きつけのお店の店主、それだけの立場である。一体何ができるというのか。奨学金を肩代わりできるわけでは無い。相手のお母さまを説得できるわけでも無い。
自分の力の無さに情けなくなる。だが相川さん本人はもっと不甲斐無いと思っているだろう。
「そうですね。真面目に働いて、こつこつ返して行くことにします。終わるまでに分かれることになってしもたらそれまでってことなんでしょう。仕方が無いですよね」
世都は応えることができなかった。相川さんが初めて占って欲しがった。きっと藁にもすがる思いだったのだろう。だが世都は、良い結果を示すことができなかった。
本当に、無力だ。世都の心中に悔しさが広がった。
2週間後、5月に入ろうとしていた。町のあちらこちらではつつじが満開になり、ふわりと甘い香りを漂わせている。
今日は週末だ。相川さんは来てくれるだろうか。
高階さんは今夜も主の様な顔で、カウンタ席の一角を陣取っている。サマーゴッデスのハイボールをお供に、豚の角煮とだし巻き卵、オニオンスライスでお食事を楽しんでいた。
ありがたいことにお客さまは多く、ソファ席はふたつとも埋まり、カウンタ席もちらほらと空きがある程度。世都も龍平くんも忙しく動き回る。
龍平くんが日本酒を用意し、洗い物などもして、世都はフライパンを振るう。中身はきゃべつなどのお野菜に豚ばら肉と、おうどん。「はなやぎ」の焼うどんは肴に締めにと地味に人気なのである。
味付けは昆布茶とお醤油、おうどんをほぐすための日本酒。盛り付けてから削り節をふんわりと掛ける。日本酒に合うのかと世都も思うのだが、これが評判なのだ。
仕上がったので、テーブルに運ぶ。いつもは龍平くんにお願いするのだが、あいにく手が空いていなかった。
「焼うどん、お待たせしました」
注文のあったソファ席に置く。お客さまから「ありがとう」と声をいただいた。
「あ、なぁ、女将」
「はい?」
壮年の男性のお客さまに話しかけられ、世都は戻ろうとした足を止める。
「変なこと聞くけど、女将は大学行った?」
「あ、はい。行きましたよ」
「志望校っちゅうか、どういう基準で選んだとかある?」
「私は……」
世都は記憶を掘り起こす。もう10年以上前のことだ。
「確か、そんな明確な目標とかがあったわけや無いんですけど、将来潰しが効く様にて、経済学部を選びましたねぇ。そんときにお店やりたいとか思ってたら、経営学部とか選んどったかもですけど」
当時の世都には明確な夢なども無かった。だが親に大学進学の重要性を説かれ、なら、と進学を決めたのだ。
「まぁ、女将ですらそんな感じか。いやな、息子が来年高校卒業でなぁ、進学か就職か決めあぐねとるみたいやねんけど、今って昔に比べたら進学率高いやろ。猫も杓子もっちゅう感じで」
「そうですねぇ。今は進学できる環境にあるんやったら、やっぱり進学がええんでしょうけど、そればっかりはねぇ。結局進学しても、ちゃんと卒業できる様にお勉強するかどうかが将来の分かれ道な気もしますし。就職のための活動とかもねぇ」
「せやわなぁ」
お客さまは憂鬱そうにため息を吐く。
「いくら大学行っても、遊び回られたらどないやねんて感じやしなぁ。あ、呼び止めて済まんな」
「いえ、ごゆっくりどうぞ」
今度こそ世都はカウンタの内側に戻る。次のお料理に取り掛かるために、お鍋を出した。
来年度に高校を卒業するなら、もう希望の進路を決めていなければいけない時期だ。進路指導などは高校1年、入学直後から始まっているはずである。
だが、15歳や16歳で3年後を明確に見据えることができる学生が何人いるのか。10代にとっての3年間はとても長く、「今から言われても」と思う子だって多いかも知れない。
相川さんはどうだったのだろうか。相川さんのかつての環境では、就職を選んでもおかしくなかった。それでも大学生になることを選んだのだ。苦学生になることを覚悟して。そしてやり遂げた。
そう思うと、やはり相川さんの意志の強さと聡明さに感嘆するのだった。
「ソードの、4です」
意味は休息、タイミングを計る、退却、休戦など。今の相川さんにとっての展望が何ひとつ無い。
「……現状、奨学金をお返しすることしか、道は無い様です」
「やっぱり、そうですか」
相川さんは諦めの境地と言う様に、目を伏せた。そんな相川さんもとても美しかったが、その美貌、そして頭脳を持ってしても、打開できないことはある。
「せめて奨学金が給付型やったら良かったんですけどねぇ。母が実業家と結婚したんで、申請が通らんかったんですよ。母は母で、結婚相手には私のこと秘密にしてるから大きなお金は動かせんで。まぁあの母親なんで、私の学費をどうにかしようなんて、思ってくれへんかったでしょうけど」
相川さんは自虐的に苦笑した。どうして真摯に生きている人が、これ以上大変な思いをしなければならないのか。相川さんはただ学びたかっただけなのに。
今、奨学金の返済がネックになって、未来が拓けない人も多くいるのかも知れない。相川さんだけでは無いと言われればそうなのだろう。だが世都は今目の前にいる相川さんのために、何かできないだろうかと思案するが。
何も、無いではないか。
世都は相川さん行きつけのお店の店主、それだけの立場である。一体何ができるというのか。奨学金を肩代わりできるわけでは無い。相手のお母さまを説得できるわけでも無い。
自分の力の無さに情けなくなる。だが相川さん本人はもっと不甲斐無いと思っているだろう。
「そうですね。真面目に働いて、こつこつ返して行くことにします。終わるまでに分かれることになってしもたらそれまでってことなんでしょう。仕方が無いですよね」
世都は応えることができなかった。相川さんが初めて占って欲しがった。きっと藁にもすがる思いだったのだろう。だが世都は、良い結果を示すことができなかった。
本当に、無力だ。世都の心中に悔しさが広がった。
2週間後、5月に入ろうとしていた。町のあちらこちらではつつじが満開になり、ふわりと甘い香りを漂わせている。
今日は週末だ。相川さんは来てくれるだろうか。
高階さんは今夜も主の様な顔で、カウンタ席の一角を陣取っている。サマーゴッデスのハイボールをお供に、豚の角煮とだし巻き卵、オニオンスライスでお食事を楽しんでいた。
ありがたいことにお客さまは多く、ソファ席はふたつとも埋まり、カウンタ席もちらほらと空きがある程度。世都も龍平くんも忙しく動き回る。
龍平くんが日本酒を用意し、洗い物などもして、世都はフライパンを振るう。中身はきゃべつなどのお野菜に豚ばら肉と、おうどん。「はなやぎ」の焼うどんは肴に締めにと地味に人気なのである。
味付けは昆布茶とお醤油、おうどんをほぐすための日本酒。盛り付けてから削り節をふんわりと掛ける。日本酒に合うのかと世都も思うのだが、これが評判なのだ。
仕上がったので、テーブルに運ぶ。いつもは龍平くんにお願いするのだが、あいにく手が空いていなかった。
「焼うどん、お待たせしました」
注文のあったソファ席に置く。お客さまから「ありがとう」と声をいただいた。
「あ、なぁ、女将」
「はい?」
壮年の男性のお客さまに話しかけられ、世都は戻ろうとした足を止める。
「変なこと聞くけど、女将は大学行った?」
「あ、はい。行きましたよ」
「志望校っちゅうか、どういう基準で選んだとかある?」
「私は……」
世都は記憶を掘り起こす。もう10年以上前のことだ。
「確か、そんな明確な目標とかがあったわけや無いんですけど、将来潰しが効く様にて、経済学部を選びましたねぇ。そんときにお店やりたいとか思ってたら、経営学部とか選んどったかもですけど」
当時の世都には明確な夢なども無かった。だが親に大学進学の重要性を説かれ、なら、と進学を決めたのだ。
「まぁ、女将ですらそんな感じか。いやな、息子が来年高校卒業でなぁ、進学か就職か決めあぐねとるみたいやねんけど、今って昔に比べたら進学率高いやろ。猫も杓子もっちゅう感じで」
「そうですねぇ。今は進学できる環境にあるんやったら、やっぱり進学がええんでしょうけど、そればっかりはねぇ。結局進学しても、ちゃんと卒業できる様にお勉強するかどうかが将来の分かれ道な気もしますし。就職のための活動とかもねぇ」
「せやわなぁ」
お客さまは憂鬱そうにため息を吐く。
「いくら大学行っても、遊び回られたらどないやねんて感じやしなぁ。あ、呼び止めて済まんな」
「いえ、ごゆっくりどうぞ」
今度こそ世都はカウンタの内側に戻る。次のお料理に取り掛かるために、お鍋を出した。
来年度に高校を卒業するなら、もう希望の進路を決めていなければいけない時期だ。進路指導などは高校1年、入学直後から始まっているはずである。
だが、15歳や16歳で3年後を明確に見据えることができる学生が何人いるのか。10代にとっての3年間はとても長く、「今から言われても」と思う子だって多いかも知れない。
相川さんはどうだったのだろうか。相川さんのかつての環境では、就職を選んでもおかしくなかった。それでも大学生になることを選んだのだ。苦学生になることを覚悟して。そしてやり遂げた。
そう思うと、やはり相川さんの意志の強さと聡明さに感嘆するのだった。