わあ、と柚月は大きく目を開いた。
「きていただけたんですか? お仕事は?」
「有給休暇を取りました。師匠の晴れ舞台へいくといったら、快く受理されました」
師匠って、と柚月は苦笑する。そして目をすぼめた。
今日の公武は白いコットンパンツに薄い青のリネンシャツ、それに眼鏡をかけていた。
「公武さん、目が悪かったんですね」
「あー、眼鏡でしたね。いつもはコンタクトなんです。より年寄りじみて見えるので外すつもりでしたが。忘れていました」
「よくお似合いです」
ちょっとちょっと、と亜里沙が柚月の腕を引っ張った。
「──誰?」
「えーっと……ご近所さん?」
首をかしげて公武を見ると、「そうですね。間違いないですね」と公武は柔らかい笑みを浮かべた。
「へ、へえ、そーなんだー」と亜里沙と仁奈は棒読みで答える。
「ご近所さんで、下の名前呼びなんだー」、「背も高いしー」、「カッコいいしー」、「ふーん」、「ふうーん」としつこくうなり続け、「そうだ」と亜里沙は目を輝かせた。
「柚月の梅シロップの白玉団子を食べましたか?」
「まだです。おいしそうですね」
「すっごくおいしいですよ。急ぎましょう。完売しているかも」
ほらほら、と亜里沙と仁奈が公武だけでなく柚月の背中も押した。
教室へ入ると「さあさあ柚月。作ってあげて」とエプロンを手渡された。
「えっと、梅シロップ白玉団子でいいですか? ほかにもいろいろありますけど」
「梅シロップは柚月さんが作ったものでしたよね。ぜひそれを。楽しみだなあ」
はい、とほほ笑んでカップへ盛りつけていく。「ああうまそうだ」とカップを受け取る前から公武は上機嫌だ。テーブルへ着いて白玉団子を口へ運び、公武は大きく目を見張る。
「うまい」
「でしょう? そりゃあもう柚月のメニューは大人気なんですよ」
「ちょっと亜里沙、強引よ。公武さん、あわただしくてすみません」
「いえいえ。これ本当にものすっごくおいしいです。梅の香りと味わいが格別ですね。白玉が小さいのがまたバランスがいいです」
「この梅、父が買ってきたやつなんです」
「え? 梅の目利きができるんですか?」
「そんな大したものじゃないんですけど。毎年、梅シロップを楽しみにしていて。もう大変」
「目に浮かぶようです」
ふふっ、と柚月は公武と笑い合う。
「なんなの? 親公認なの?」と仁奈と亜里沙が声を震わせた。「そんなんじゃないから」と小声でたしなめると、「そうだ」と仁奈が弾んだ声を出した。
「学内を案内してあげなよ。客足も落ち着いているから、あんたがいなくても大丈夫よ。行灯も見せてあげたら? ゆっくりしてきていいから」
「へ? いいの?」
どうぞどうぞ、とこれまた仁奈と亜里沙に背中を押されて、こんどは教室を追い出された。気づくとエプロンまで脱がされている。
廊下に立って公武と顔を見合わせる。そしてどちらからともなくプッと噴き出した。
「いいお友だちですね」
「はい」とうなずく。
胸がじわりとあたたかくなる。二人のことを騒がしい女子高生ではなく、わたしに気を遣っているってわかってくれた。それが嬉しい。
どちらからともなく歩き出して「そういえば」と公武が声を出した。
「さっき地震がありましたね。結構大きかった。大丈夫でしたか?」
「驚きました。でもどこも被害は出ていないみたい。最近、地震が多いので父がピリピリしています」
「ご専門でいらっしゃるから。僕はまったくの門外漢なので、ただ揺れたなとしか思えませんけれど、乙部先生はそれどころじゃないですよね」
「父にいわせれば『地震は防げない、ただ備えるだけのもの』らしいです」
「なるほど。まったくおっしゃるとおりです」と感じ入っている。
そんな公武と柚月の周りを生徒たちが笑いながら過ぎていく。公武はまぶしそうに目を細めた。
「高校に入るのは十年ぶりくらいです。共学の高校ってこんな感じなんですねえ」
「男子校だったんですか?」
「中学からの一貫校でして。そりゃあもう、むさくるしいばかりです。大学も周囲はほぼ男子でしたから、こういうのはとても新鮮です」
いいながら公武は視線を窓の外へ向けた。
グランドにはズラリと行灯が並んでいる。
最終日の今日は行灯を担いで町内を一周する『町内行列』がある。その準備だ。
「全クラスの行灯で行列をするんです。行灯の中に電球も灯すんですよ。まだ日はありますが見ごたえがあります。楽しんでいただけるはず」
「いいですねえ。柚月さんのクラスの行灯はどれですか?」
「あのカニのやつです。準グランプリを取ったんですよ」
「そりゃすごい」と公武は目を丸くする。
「ちょっといってみますか?」とグランドへ出る。間近で行灯を見て公武は「おお」と声をあげた。
カニカニ合戦というふざけたネーミングとはかけ離れて、リアルな巨大な二匹のカニが取っ組み合っているデザインだ。その脚元に小さい猿が群がっている。
カニのデザインを反対していたクラスメイトも仕上がりを目にして「これなら弁慶にも負けないな」と笑みを浮かべたらしかった。
「いまにもカニが動き出しそうだ。ほかの行灯もどれも本格的だなあ」
世辞ではなく、公武は心底感心したように首を巡らした。
「行灯行列が終わって片づけをしてから帰宅ですか?」
「教室の片付けもあるので夜八時近くになっちゃうかも」
「そりゃ大変だ。乙部先生が迎えにきてくださるんですか?」
「父は文科省の視察があって。終わりの時間もわからないらしくて。学祭へくるつもりでいたので朝から大荒れでした」
なるほど、と笑って公武は「だったら」と続けた。
「僕が柚月さんをおうちまで送ります」
「えっ? いえそんなご迷惑をおかけできません」
「僕が心配です」
公武は表情を引きしめて断言した。本気で心配してくれている顔だった。胸が苦しくなる。
「……遅くなっちゃいますよ?」
「大丈夫です」
「じゃあ……お願いできますか?」
公武は「もちろんです」と力強くうなずいた。目尻が大きくさがる。やっぱり公武さんの笑顔を見るとホッとする。
それから時間まであれこれ校内を案内して回った。
教室校舎へ入ってお化け屋敷を回り、クレープ屋でクリームチーズとはちみつのクレープを頬張り、体育館でライブを見たり図書館を覗いたりだ。
天陣山でおにぎりを食べているときも思ったけれど、公武と一緒だとあっという間に時間がすぎる。
もう少しだけ、と廊下を進んでいると模擬店を片づけているクラスに気づいた。
「もうそんな時間? しまった。戻らなくちゃ」
「すみません。すっかりお引き止めして」
「公武さんのせいじゃありません。でもここで失礼して片づけにいきますね」
「校舎の外でお待ちしています。安心してゆっくり片づけをしてください」
はい、と頭をさげて公武へ背を向ける。
「遅くなってごめんー」と教室へ飛び込む。すぐに「本当だよ。遅いぞー」と仁奈と亜里沙の声が飛んできた。
見ると教室の片づけはほとんど終わっていた。あとは机を戻すくらいだ。
「あー……役立たずでごめんなさい」
「冗談だよ。ゆっくりしろっていったのはウチらだから。で? 楽しめた?」
うん、と大きくうなずくと「よかった」、「よしよし」と二人に頭を撫でられた。
「二人とも機嫌がいいのね。なにかあった?」
へっ、と二人そろって声を裏返す。
「いやあの」、「そうかな」としどろもどろになり、視線を合わせて「ひょっとして亜里沙も?」、「仁奈も? あら、おめでとう」と驚いていた。
「──またわたしだけのけ者?」
「ああごめん。そうじゃなくて」、「うん、そうじゃなくて」と二人が口々に、実は、といいかけたところだった。
勢いよく陽翔が教室へ駆け込んできた。
「きていただけたんですか? お仕事は?」
「有給休暇を取りました。師匠の晴れ舞台へいくといったら、快く受理されました」
師匠って、と柚月は苦笑する。そして目をすぼめた。
今日の公武は白いコットンパンツに薄い青のリネンシャツ、それに眼鏡をかけていた。
「公武さん、目が悪かったんですね」
「あー、眼鏡でしたね。いつもはコンタクトなんです。より年寄りじみて見えるので外すつもりでしたが。忘れていました」
「よくお似合いです」
ちょっとちょっと、と亜里沙が柚月の腕を引っ張った。
「──誰?」
「えーっと……ご近所さん?」
首をかしげて公武を見ると、「そうですね。間違いないですね」と公武は柔らかい笑みを浮かべた。
「へ、へえ、そーなんだー」と亜里沙と仁奈は棒読みで答える。
「ご近所さんで、下の名前呼びなんだー」、「背も高いしー」、「カッコいいしー」、「ふーん」、「ふうーん」としつこくうなり続け、「そうだ」と亜里沙は目を輝かせた。
「柚月の梅シロップの白玉団子を食べましたか?」
「まだです。おいしそうですね」
「すっごくおいしいですよ。急ぎましょう。完売しているかも」
ほらほら、と亜里沙と仁奈が公武だけでなく柚月の背中も押した。
教室へ入ると「さあさあ柚月。作ってあげて」とエプロンを手渡された。
「えっと、梅シロップ白玉団子でいいですか? ほかにもいろいろありますけど」
「梅シロップは柚月さんが作ったものでしたよね。ぜひそれを。楽しみだなあ」
はい、とほほ笑んでカップへ盛りつけていく。「ああうまそうだ」とカップを受け取る前から公武は上機嫌だ。テーブルへ着いて白玉団子を口へ運び、公武は大きく目を見張る。
「うまい」
「でしょう? そりゃあもう柚月のメニューは大人気なんですよ」
「ちょっと亜里沙、強引よ。公武さん、あわただしくてすみません」
「いえいえ。これ本当にものすっごくおいしいです。梅の香りと味わいが格別ですね。白玉が小さいのがまたバランスがいいです」
「この梅、父が買ってきたやつなんです」
「え? 梅の目利きができるんですか?」
「そんな大したものじゃないんですけど。毎年、梅シロップを楽しみにしていて。もう大変」
「目に浮かぶようです」
ふふっ、と柚月は公武と笑い合う。
「なんなの? 親公認なの?」と仁奈と亜里沙が声を震わせた。「そんなんじゃないから」と小声でたしなめると、「そうだ」と仁奈が弾んだ声を出した。
「学内を案内してあげなよ。客足も落ち着いているから、あんたがいなくても大丈夫よ。行灯も見せてあげたら? ゆっくりしてきていいから」
「へ? いいの?」
どうぞどうぞ、とこれまた仁奈と亜里沙に背中を押されて、こんどは教室を追い出された。気づくとエプロンまで脱がされている。
廊下に立って公武と顔を見合わせる。そしてどちらからともなくプッと噴き出した。
「いいお友だちですね」
「はい」とうなずく。
胸がじわりとあたたかくなる。二人のことを騒がしい女子高生ではなく、わたしに気を遣っているってわかってくれた。それが嬉しい。
どちらからともなく歩き出して「そういえば」と公武が声を出した。
「さっき地震がありましたね。結構大きかった。大丈夫でしたか?」
「驚きました。でもどこも被害は出ていないみたい。最近、地震が多いので父がピリピリしています」
「ご専門でいらっしゃるから。僕はまったくの門外漢なので、ただ揺れたなとしか思えませんけれど、乙部先生はそれどころじゃないですよね」
「父にいわせれば『地震は防げない、ただ備えるだけのもの』らしいです」
「なるほど。まったくおっしゃるとおりです」と感じ入っている。
そんな公武と柚月の周りを生徒たちが笑いながら過ぎていく。公武はまぶしそうに目を細めた。
「高校に入るのは十年ぶりくらいです。共学の高校ってこんな感じなんですねえ」
「男子校だったんですか?」
「中学からの一貫校でして。そりゃあもう、むさくるしいばかりです。大学も周囲はほぼ男子でしたから、こういうのはとても新鮮です」
いいながら公武は視線を窓の外へ向けた。
グランドにはズラリと行灯が並んでいる。
最終日の今日は行灯を担いで町内を一周する『町内行列』がある。その準備だ。
「全クラスの行灯で行列をするんです。行灯の中に電球も灯すんですよ。まだ日はありますが見ごたえがあります。楽しんでいただけるはず」
「いいですねえ。柚月さんのクラスの行灯はどれですか?」
「あのカニのやつです。準グランプリを取ったんですよ」
「そりゃすごい」と公武は目を丸くする。
「ちょっといってみますか?」とグランドへ出る。間近で行灯を見て公武は「おお」と声をあげた。
カニカニ合戦というふざけたネーミングとはかけ離れて、リアルな巨大な二匹のカニが取っ組み合っているデザインだ。その脚元に小さい猿が群がっている。
カニのデザインを反対していたクラスメイトも仕上がりを目にして「これなら弁慶にも負けないな」と笑みを浮かべたらしかった。
「いまにもカニが動き出しそうだ。ほかの行灯もどれも本格的だなあ」
世辞ではなく、公武は心底感心したように首を巡らした。
「行灯行列が終わって片づけをしてから帰宅ですか?」
「教室の片付けもあるので夜八時近くになっちゃうかも」
「そりゃ大変だ。乙部先生が迎えにきてくださるんですか?」
「父は文科省の視察があって。終わりの時間もわからないらしくて。学祭へくるつもりでいたので朝から大荒れでした」
なるほど、と笑って公武は「だったら」と続けた。
「僕が柚月さんをおうちまで送ります」
「えっ? いえそんなご迷惑をおかけできません」
「僕が心配です」
公武は表情を引きしめて断言した。本気で心配してくれている顔だった。胸が苦しくなる。
「……遅くなっちゃいますよ?」
「大丈夫です」
「じゃあ……お願いできますか?」
公武は「もちろんです」と力強くうなずいた。目尻が大きくさがる。やっぱり公武さんの笑顔を見るとホッとする。
それから時間まであれこれ校内を案内して回った。
教室校舎へ入ってお化け屋敷を回り、クレープ屋でクリームチーズとはちみつのクレープを頬張り、体育館でライブを見たり図書館を覗いたりだ。
天陣山でおにぎりを食べているときも思ったけれど、公武と一緒だとあっという間に時間がすぎる。
もう少しだけ、と廊下を進んでいると模擬店を片づけているクラスに気づいた。
「もうそんな時間? しまった。戻らなくちゃ」
「すみません。すっかりお引き止めして」
「公武さんのせいじゃありません。でもここで失礼して片づけにいきますね」
「校舎の外でお待ちしています。安心してゆっくり片づけをしてください」
はい、と頭をさげて公武へ背を向ける。
「遅くなってごめんー」と教室へ飛び込む。すぐに「本当だよ。遅いぞー」と仁奈と亜里沙の声が飛んできた。
見ると教室の片づけはほとんど終わっていた。あとは机を戻すくらいだ。
「あー……役立たずでごめんなさい」
「冗談だよ。ゆっくりしろっていったのはウチらだから。で? 楽しめた?」
うん、と大きくうなずくと「よかった」、「よしよし」と二人に頭を撫でられた。
「二人とも機嫌がいいのね。なにかあった?」
へっ、と二人そろって声を裏返す。
「いやあの」、「そうかな」としどろもどろになり、視線を合わせて「ひょっとして亜里沙も?」、「仁奈も? あら、おめでとう」と驚いていた。
「──またわたしだけのけ者?」
「ああごめん。そうじゃなくて」、「うん、そうじゃなくて」と二人が口々に、実は、といいかけたところだった。
勢いよく陽翔が教室へ駆け込んできた。