☆輝星side☆


 誰か教えてください!
 これはいったい、どういう状況なんでしょうか!

 揺れと睡魔がタックを組み襲ってきたので、僕は抗えず寝てしまったんです。
 バスの前方のひとり席で。
 それはいつものこと、そこはいいとして。

 いま僕は目を覚ましました。
 脳がボケボケのまま、座っているシートの左横を見ました。
 僕が着ているのと同じ制服のスラックスが、瞳いっぱいに映っています。

 感じる気配と普段のバスの閑散状況から、このバスに乗っている客はほぼいないと推測できるんです。
 後ろなんて振り向けないけれど、席はガラ空きで間違いない。
 それなのにですよ、わざわざ僕が座る隣の通路に立っている人がいるんですよ。

 こっ、この人は……

 足の長さと細身のシルエットという情報だけで、相手が誰なのか特定できてしまう自分が怖い。
 彼の肩に下げられたラケットケースが目に入った。
 人物特定の決定的証拠。
 
 ねっ、頭の中がパニックになるのはしょうがないでしょ?
 なななななっなんで、僕の隣に霞くんが立っているの?

 本物? まさかね。学校であれだけ避けられているんだ、ありえない。
 幽霊? 霞くんがこの世からいなくなるなんて絶対に嫌だから、その可能性は信じないとして。
 夢? いや、ついさっき睡魔が退散したでしょ。ちゃんと目覚めているでしょ、僕は。
 霞くんのことが大好きすぎて、ついに幻覚を見るようになっちゃったのかも。
 それなら僕の片思いは、治療や手術が必要なくらいの重症病みレベルということになってしまうのですが。

 頭を抱える。
 おかしくなった脳を正常に戻そうと、全指の腹で何度も何度も頭をつつく。
 この状況を視覚で確認したくて、波打つ前髪の隙間から目玉だけを左上にずらしてみた。

 僕の真横に立っているのは、間違いなく霞くんご本人です。
 片手で吊革を握り、僕にやや背を向け、無表情で視線をスマホに突き刺しています。
 どうやらまだ、僕がチラ見していることに気づいていないもよう。

 うわわーっと胸の鼓動が沸き立つ。
 口から空気を取り入れたいのに、ドキドキが肺に送り込まれてしまい呼吸が苦しくてたまらない。
 胸をさすっても平穏は戻らないので、諦めモードで息をひそめ、オロオロと霞くんを見続ける。

 うぅぅぅぅ、麗しい!

 彼のサラサラのブラウン髪が、バスの揺れに合わせてふわりと踊った。
 白い肌に映える上品で優しい瞳。通った鼻筋。薄くて形のいい唇。
 どの顔面パーツも見とれてしまうほど完璧で、黄金比率で小顔にはめ込まれていて、白いタキシードをまとわせたら童話の中の王子様にしか見えないほどの造形美。

 お城から僕に会いに来てくれたの?
 座席も車体も古びたこのバスよりも、白馬にまたがる方が霞くんにはお似合いだよ。

 どうしよう、緊張してきた、息が止まりそう。
 大好きな人をこんな至近距離で瞳に映しているなんて、不幸が訪れる予兆だったりして。
 このバスが崖から落ちたりでもしたら……
 その時は、霞くんを助けなきゃ。
 僕の命に代えても、絶対に。

 久々に湧き上がった使命感が懐かしい。
 小6までの僕は、自分の命より霞くんの命が大事だと思って生きていた。そう思い込んで疑わなかった。

 弱すぎる自分が霞くんを(あが)めすぎていたせいで行きついた、依存よりもヤバすぎる執着だったんだと、霞くんと離れてみて冷静に分析をしたけれど……

 月日が経ても霞くんから離れても、僕の核は変わっていないんだな。
 何かあった時はまた、僕が霞くんを守るから。
 
 6年前の古傷がうずく。
 右腕全体が鈍く痛みだし、大好きな人との唯一の絆を服の上から優しく撫でてみた。

 大好きな傷跡を撫でているのに、微笑むことができない。
 霞くんに避けられている日々がつらくて、みじめで、もう一度笑いかけて欲しくて、でも現実はそんなのありえなくて、唇を噛みしめながら手の平で何度も何度も古傷を愛でる。
 
 ひきつった顔を霞くんに見られないようにと、上半身を窓の方にひねった時だった。
 頭上から抑揚も感情もない、無機質な声が降ってきたのは。

 「痛むの?」

 極度の驚きで撫でていた手が固まる。
 心臓までもが止まりそうになって焦ったが、なんとか僕の生命は維持し続けている。

 霞くんが……
 僕に話しかけてくれた……

 心停止を免れた心臓はしだいに暴れだし、脈が異常なほど速く駆けはじめ、心臓と脈の乱動は一向に収まる気配がない。

 どうしよう……
 顔を上げられないよ……

 霞くんに久々に話しかけられ、嬉しさと感動がこみあげてきた。
 でも感情の大波の大部分は、恐怖が占めている。

 気軽に返事をして幻滅されたらどうしよう……
 もっともっと嫌われたらどうしよう……

 うつむいたまま返事をしないのも、好感度が下がるよね?
 何か言わなきゃ。
 でも言葉が出ない。
 何を話していいかわからない。

 拒絶されてからの6年間、霞くんが僕に話しかけてくれますようにと星に願い続けてきたのに、実際に奇跡が起きた今は、震えうつむくことしかできないなんて。
 僕のメンタルは豆腐確定だ。
 弱すぎて泣きたくなるよ。

 「大好き」という感情は、僕を弱くする。
 「嫌われたくない」という感情も厄介もの。
 一歩踏み出す勇気をガラスのごとく、粉々に砕いてしまうんだ。

 ドキドキを紛らわせたい僕は、膝に乗せてあったリュックを両手で抱きしめた。
 人肌を感じるわけでもないのに、緊張が少しだけ緩んでいく。
 生まれた心の余裕を糧に、うつむいたまま吐息に言葉を溶かした。

 「お……は……よう……」

 しまった!
 今は誰がどう見ても完全なる夜。
 バスの窓から見える薄い月が、僕の失態をイヒヒと笑っているではないか。

 恥ずかしい。
 なんてことを言っちゃったんだろう。
 小6の頃から脳が成長してないと、失望されたに違いない。
 
 自分にがっかりした僕は、これ以上霞くんと会話を続けるのを諦めた。
 肩を落とし、リュックを強く抱きしめ、早くバス停に着いてと懇願する。
 理由のわからない涙が、製造されそうになった時だった。
 薄くて縦長の小箱が、僕の視界に映りこんだのは。

 「これは?」と、瞳キョトンで霞くんを見上げる。
 箱を持った手を僕の前に伸ばしている霞くんの表情は、なんといえばいいものか。
 笑っているわけでも眉を吊り上げているわけでもない。
 感情が全く読めなくて。

 唇は一文字にぎゅっ。
 斜め上から真剣な目を、座席に座る僕に突き刺してきて。
 瞳が捕まってしまった僕は、ただただ霞くんを見上げることしかできない。

 「あげる」

 「この箱を……僕に?」

 「約束だったから」

 なんのことかわからない。
 僕と霞くんが何かを約束したとなると、拒絶される前、小6以前の話になるけれど。

 蓋をあけて中身を確認しようとした僕の手が完全にフリーズした。
 「テニスやるの?」と、霞くんが冷たい視線を突き刺してきたから。

 霞くんは、僕が父さんとテニス練習をしていることを知っているのだろうか。
 テニスは楽しい。
 ストレス発散になる。
 でもこの願望が一番強いんだ。

 【いつか霞くんと、もう一度テニスがしたい】


 「やるよ……テニス……」 

 「てらっ、萌黄《もえぎ》くんはイヤじゃないの?」

 やっぱり名前では呼んでもらえないか。
 灰色の悲しみが涙腺をつついてくる。
 今の質問はテニスはイヤじゃないの?という意味だろうか。
 勘違いされたくない。
 霞くんとボールを打ち合ったあの日々に勝る思い出なんて、この僕にはないよ。

 「好きだよ……今も……」

 「テニスが? それとも俺……」

 「え?」

 尻すぼみになった霞君の声は、最後の方が聞き取れなかった。
 僕は目をぱちくりせずにはいられない。
 だって霞くんの表情がおかしすぎなんだもん。
 
 何か恥ずかしいことでもあった?
 霞くん、顔が赤い。耳まで真っ赤だよ。
 視線を僕からそらし口元を手で隠している。
 伝染しちゃうからそんな顔しないで。
 僕の顔面まで熱くなり、心臓がバクバクとうなり始めちゃった。
 お互い顔を合わせられず、視線が迷子になる。
 くすぐったい空気が僕たちを包み込んでいるような気がして、どうも落ち着かない。
 僕まで得体のしれない恥ずかしさに襲われて、霞くんが何を考えているのか全く分からなくて。
 テニスが好きか聞かれたんだからちゃんと答えなきゃ。
 責任感にかられた僕は、照れ声を震わせた。

 「大好き……だよ……テニスが……」

 「あっ、テニスの方か」


 ふてくされたような声が届き、僕の心臓がズキリとうずく。
 僕、何か変なことを言っちゃった?
 霞くんの瞳があからさまに陰ってしまったことに、オロオロせずにはいられない。

 「萌黄くんは俺とペアを組みたくないと思うけど一日だけ我慢して、クラスのために」

 「あっうん、クラスのためにね……って、、、ん?」

 
 待って待って。
 霞くんとペア?
 一日だけ我慢?
 何の話をしているの?

 「萌黄くん、もう一つだけいい?」

 「はっ、はい」

 脳内がパニック。
 なぜか敬語になっちゃった。

 「校内でキスをするなら、人目につかないところを選んだ方がいいと思うよ。調理室もテニスコートから見えたりするから」

 え? 今、キスって言った? 
 それこそ何の話?
 全く身に覚えがないんですけど。

 聞きたいことは山ほどある。
 なんで霞くんは、寝ている僕の隣に立っていたの?
 なんで久々に話しかけてくれたの?
 渡されたこの小箱は何?
 テニス? ペア? キス? 
 えええ、なになになに???

 でもでも、なにから質問していいかわからない。
 とりあえず視線を近づけたいと、座っていた僕は勢いよく立ち上がった。
 でも無意味だった。だって……

 「明日からよろしく」

 霞くんは僕に背を向けると、冷たい響きを残しバスから降りてしまったんから。

 いつの間にか霞くんの家の近くのバス停に到着していたんだと、窓の外の景色を見て気づく。
 次にこのバスがたどり着くのは、僕が降りるバス停。
 僕は霞くんを追いかけるのを諦め、座席にお尻を落とす。
 リュックからパスケースを取り出さなきゃとわかってはいるものの、手が拒んでいる。
 霞くんのことも気になるし、受け取った小箱の中身も気になって気になって。

 真っ白な小箱の蓋を持ち上げてみる。
 中に入っていたものは――
 薄くて丸くて金色で、カラフルなひもがついていて……

 って、これは金メダルだ。
 メダルの表面にはテニスをしている二人組の姿が彫られ、裏には優勝の文字が。
 霞くんと奏多くんのペアで勝ち取った、テニスの県大会優勝メダルで間違いない。

 なんで霞くんは僕にくれたの?
 箱を手渡しながら『約束だったから』と言っていたよね。

 あっ、思い出した。
 僕が霞くんとペアを組んでテニスの試合に出た、小5の時のこと。
 どれだけ練習しても勝てなくて。
 必死に球を追いかけても、上位入賞ですらほど遠く。
 試合に負けて、悔しくて悔しくて、陰で泣いていた僕に霞くんが言ってくれたんだ。
 『いつか俺が、輝星に金メダルをプレゼントしてあげるからね』って。
 僕はたまらなく嬉しくなって『絶対だよ、約束だからね』って、霞くんに抱きつき、わんわん泣いちゃったんだけど……
 
 もしかして霞くんは、ずっと勘違いしてたの?
 僕は霞くんと他の誰かが勝ち取ったメダルが欲しかったわけじゃないよ。
 霞くんと僕で優勝して、おそろいの金メダルを首から下げたかったんだ。

 この金メダルは、これ以上僕が触ってはいけない代物だ。
 キズをつけないよう丁寧に扱い箱に戻さなきゃ。
 ふたを閉める直前、堂々たる輝きを放つ金メダルに重いため息を吹きかけてしまった。

 僕の推しカプ二人がつかみ取った輝かしいメダルではあるけれど、僕が持っていたくない。
 霞くんにふさわしいのは奏多くんだって、このメダルが証明している気がするから。

 醜い嫉妬心とえげつない敗北感。
 どす黒い大波に襲われた僕は、霞くんと奏多くんが存在しない闇空間に、とてつもなく逃げたくなってしまったのでした。













 ☆輝星side☆


 長時間雨を降らせる梅雨前線は、いったいどこに行ってしまったんでしょうか?
 お願い、今すぐ戻ってきて、このお昼休みだけでいいから。
 拝むように手を組み、空を見上げる。

 「うっ、太陽まぶしいっ」

 夏直前の太陽は直視注意だったなと、僕は反射的に目を細めた。
 湿気を含んだ雨雲たちは、ギラギラな太陽の熱で蒸発してしまったのかもしれない。

 湧き出る汗をぬぐうため、指先まで隠れるジャージの袖でおでこをおさえている時だった。

 「なーにオマエ、そんな暑っ苦しいもの着て。日焼け防止? ついでにこれでもかぶっとけ」

 人懐っこいを通り越して暑っ苦しい長身男子が、かぶっていたキャップを僕の頭に乗せたのは。
 
 長めの前髪をワイルドにかきあげたのは、テニス部の奏多(そうた)くん。
 僕と同じ高3だけどクラスは違うし、まともに話しかけられたのは今日が初めて。

 「つーかマジで暑いくね? 冷えたスポドリ一気飲みしてー」

 奏多くんがオスっぽいフェロモンを無意識に振りまくだけで、テニスコートの周りに群がる女子たちから黄色い悲鳴が沸く。
 異様な光景だけど、僕の高校の生徒は見慣れている。
 いまさら驚くことでもない。

 「キャー、奏多くんカッコいい」

 「今、腹筋見えた。割れてた」
 
 「シックスパッドだったね。直視ムリ、でももっと拝みたい、触りたい、抱きしめられたい!」

 なんて女子たちがはしゃぎだしたのは、奏多君が体操服の裾をまくりあげ、腹チラ見せで顔の汗を拭いたから。

 「カスミの代わりに、俺がお前を鍛えてやるからありがたく思え」

 言葉だけとると乱暴だ。
 許可なく僕の肩を抱いて、許可なく僕の側頭部に額をぶつけてくるところがヤンキーっぽい。
 でも笑顔は幼くて八重歯を光らせながらヤンチャに笑っているから、不思議なほど憎めない。
 僕が冗談できつい言葉をぶつけても、笑い飛ばしてくれそうな安心感すらある。

 不思議な人だなと感心はしているものの、正直離れて欲しい。
 暑い、暑苦しい、そして霞くんから飛んでくる視線がものすごく痛い。

 僕はハッとなった。
 遅れてとんでもないことに気がついた。
 僕は今、霞くんに嫉妬され、恨まれているのではないかと。

 僕の肩を抱いたまま陽気にしゃべている奏多君の声なんて聞いているほど、能天気な脳みそを持ちあわせてはいない。

 霞くんは僕と奏多くんの真ん前に立ち、飛び切りの笑顔で僕たちを見つめてはいるものの……
 この笑顔はヤバい時のだ。
 小6までの霞くんをところどころ思い返し、僕の背中の広範囲から冷や汗が吹き出た。

 目じりが垂れている。
 口角が上がっている。
 一見、王子様スマイルなのだが……

 瞳の奥が笑っていない。
 これは怒っている時の顔だ。
 僕にはわかる。
 小6まで霞くんの隣を独占してきた僕だからわかる。

 そして霞くんが激怒している原因はこれしかない。
 僕に奏多くんをとられたと思い込んでいるんだ。

 好きな人に嫌われたくないという思いは、ものすごい原動力になる。
 僕の肩を抱え、僕の体を揺らし、一人しゃべりまくっている奏多くんの手を払い、僕は逃げだすことに成功した。

 「なんだよ、テニスでうまくなるための秘策を伝授してやってんのに、話は最後まで聞けっつーの」

 奏多くんの眉間のしわも、吊り上がった眉も、気にしてなんかいられない。
 僕は目にかかるユルふわ髪の隙間から、目玉を上向きにして霞くんを確認する。

 はぁ~良かった、もう怒っていないっぽい。
 いつもの優しい王子様スマイルに戻ってる。

 今ので【霞くんの好きな人は奏多くん】という事実が立証されてしまったのだが、悲しむのはあとにしよう。
 このお昼休みを、僕はなんとか乗り切らなきゃいけないのだから。
 もう流瑠ちゃん、なにとんでもないことをしてくれちゃったわけ!
 今朝の出来事がフラッシュバックしてきて、胃がきしむ。

 登校後の教室でビックリしたんだから。
 心停止寸前、魂が天に召されるかと思ったんだから。
 奏多くんのキャップを深くかぶりなおし、僕は記憶を蒸し返さずにはいられない。

 今朝教室に入ったら、ニマニマ嬉しそうな流瑠ちゃんが黒板に大きな文字を書き連ねていた。
 僕だけじゃない、クラスのみんなも黒板に大注目。
 チョークを置いた流瑠ちゃんは、キラキラ顔で黒板を叩いて。

 「変更になったよ、みんなよろしくね」と、ポニーテール大振りでニコリ。

 ルンルン跳ねる琉留ちゃんの声同様、黒板の文字も浮かれていた。
 でも僕の肝は瞬間冷凍。
 北極に行って白熊とかき氷でも食べたんですか?というくらいの、冷え冷えのガチガチさ。

 【諸事情により、霞くんと輝星くんでテニスの試合に出ることになりました!】

 黒板に書いてある文章を見て、ドッキリだと思い込みたかった僕が失望したのは

 『はいみんな、ナイスタイミングで登校してきたテラっちに拍手~』と僕を手のひらで指した流瑠ちゃんに加え、拍手パチパチでクラスメイト達が僕を取り囲んできたから。


 『萌黄(もえぎ)って、調理部だけど運動神経いいもんな』

 小6まで軟式テニスに打ち込んでいたおかげか、たいていのスポーツはそこそここなせるけど。

 『県大会優勝の霞と組むわけだし、絶対いい結果残せるって』

 待って、期待しないで、勝手に話を進めないで。
 僕はいま、テニスに出るって聞いたばかりなんだよ。

 『男テニの試合は球技大会の花形じゃん。校長も毎年楽しみにしているよね』

 体育大会は体育館でやる種目がほとんどだけど、唯一男子テニスの試合だけは外。
 雨なら高校の近くの室内テニス場を貸し切ってまでテニスの試合をするし、決勝戦は全生徒が見れるように会場までのバスも手配してくれるという熱のいれよう。
 
 球技大会に女子テニスの試合はない。
 昔はあったらしいが、男子テニスの試合を絶対に見逃したくない女子たちの強い要望でなくなったんだとか。
 
 『輝星くん、霞くんと組んで絶対に優勝してね』と控えめなクラスメイトにまで期待され、僕の胃がさらに縮こまる。

 霞くんは高校1のイケメンといっても過言ではない。
 見目麗しくて優しい王子様だって、同級生にも下級生にも大人気。
 一緒にダブルスを組んだら、僕まで注目されてしまう。
 
 それ以上の問題は、霞くんは僕なんかとテニスをしたくないはずってこと。
 中1から避けられてきたわけだし。

 あれ? そういえば昨日のバスの中で、霞くんが『テニスするの?』って言ってたけれど、もしかして球技大会のことだった?
 霞くんは僕とテニスの試合に出るってことを、昨日の帰りには知っていたんだ。
 
 僕たちが組んでテニスの試合に出るのは決定事項なの? 覆らないの? なんでこんなことに……

 そのあと登校してきた体育委員の堀北くんから事情を聴き、一連の犯人が発覚した。
 黒板書き書きと拍手誘導の時点で、親友の腐女子ちゃんに目星をつけてはいたが大当たり。

 脳も心もだいぶ落ち着いた2限目の授業中、机に立てた教科書で顔を隠し『僕をはめたな!』と流瑠ちゃんを睨んでみた。
 ……ものの、流瑠ちゃんへのダメージはゼロだった。ただただ僕の疲労が蓄積されただけ。

 流瑠ちゃんは悪びれもせず、満面の笑みで僕に両手ピースを送ってきて。
 ――腐女子ちゃんの行動力を見くびっていた……
 自分が甘すぎだったと、気力プシューで僕は片ほっぺを机に押し当てたのでした。

 これで終わりならよかったのに。
 予期せぬことが次から次に襲ってくる今日は、厄日ですか?

 3時限目終了のチャイムのあと、奏多くんが僕のクラスに来ました。
 いつものように霞くんとおしゃべりを楽しむんだろう。
 カスミソウコンビは高1から仲良すぎだから。
 そう思って瞳を陰らせていたら、奏多くんは僕の席にまっしぐら。
 座っている僕の肩に腕を回し、真っ白な歯が全見えするほどニカっと笑って
 『今日の昼休み、ジャージに着替えてテニスコートな』と、肩を抱く腕に力を込めたんです。

 もちろん僕は瞳キョトン。

 『もしかして……テニスを……僕に教えてくれるとか?』

 『ありがたいだろ? 俺に感謝しろ』

 次の授業が終わったら、僕は奏多くんとテニスをしなきゃいけないの?
 うそだよね? 
 
 『ラケットとか……持ってないし……』

 『貸してやる、俺の予備』

 うっ、結構ですなんて言えない雰囲気。
 今週末にテニスコートを借りて練習しますから。
 硬式テニス経験者の父さんにしごいてもらいすから。
 それで勘弁してください。

 『でも……奏多くんのお昼休みの時間が減っちゃうよ……』

 『もしかしてオマエ、俺とテニスしたくない?』

 バレてる!
 笑顔でごまかさなきゃ。

 『ううん、そういうんじゃないよ。県大会優勝した奏多くんに教えてもらえるなんて光栄すぎて、なんか申し訳ないなって。奏多くんだって自分のために昼休みの時間を使いたいだろうし』

 『オマエ、いいやつだな』

 『え?』

 『霞が目で追ってる理由、わかった気がする』

 『ん? 今なんて言ったの?』

 急に声のボリュームが小さくなったから、全然聞き取れなかったんだけど。

 『人って関わってみないとわかんないもんだなって、自分のガチガチな固定観念にメスぶっ刺したてただけ』

 『?』

 『上目遣いのキョトンやめろ。襲われるぞ俺に』

 『襲う? 僕を?』

 『冗談だって。ライオンに食べられそうになってるヒヨコにしか見えねー。マジで沼るわオマエ』

 大きな手の平で、僕の髪の毛をワシャワシャしないで。
 と言えなかったのは、いつも吊り上がった奏多くんの目じりが垂れさがり、楽しそうに笑っていたから。
 
 凛々しいワイルドフェイスが笑うと幼い感じに崩れるところが、奏多くんの魅力なのかもしれないな。
 霞くんだけじゃなく、同級生男子が奏多くんに群がる理由がわかる気がする。

 なんて、強面奏多くんのギャップに引き込まれている場合ではありませんでした。
 お昼休みのテニスは断らなきゃ。
 奏多くんと霞くんは、いつも二人でお昼を食べている。
 僕が奏多くんをとったと、霞くんに勘違いされたくない。
 これ以上嫌われたくない。

 『あの……昼休みは……』

 予定があると嘘を吐き出そうとしたが、奏多くんが陽気に片手を上げたから僕の口が固まってしまった。

 彼の熱い瞳が見つめる先を、目で追いかける。

 『なんで朝から、奏多が俺のクラスにいるの?』

 上品な笑顔を浮かべた霞くんが、奏多くんを軽くいじって

 『俺がテラセを最高のライバルに仕上げようと思って』

 奏多くんはニヒヒと笑いながら、椅子に座る僕を後ろからハグ。

 クラス女子たちが『キャー』『テラセくんが抱きしめられてる』っと黄色い悲鳴をあげ、『萌黄(もえぎ)って小動物みたいな顔してるもんな』と、男子たちは意味不明な頷きをコクコク。
 いやいや、クラスメイトなんてどうでもいい。
 僕の斜め前に立つ霞くんの目が、異常なほど怖くて。
 笑っているのに、怒っているのがまるわかりな目で。
 
 霞くん違うの。
 奏多くんを霞くんからとろう、なんて考えてないからね僕は。

 『テラセって抱き心地いいのな。肉があんまないこの骨っぽさ、家で飼いたい、オマエのこと』

 奏多くんはさらに力を込めてギュッ。
 力が強すぎて逃げられない。

 『奏多は萌黄(もえぎ)くんのこと、テラセって呼ぶようにしたんだね』

 ニコニコなのに声が低い霞くんが、なんか怖くて。

 奏多くんお願い、バックハグやめて、今すぐ離れて。
 テニスやるから。昼休みにテニスコートに行くから。

 『今日の昼休み……テニスを……僕に教えてください……』

 奏多くんと霞くんのそばから一秒でも早く逃げたかった僕は、しぶしぶテニス練習に同意してしまったのでした。
 
 
 

 
 過去回想から意識を現実に戻す。
 今はお昼休みです。
 お弁当は食べていません。
 ストレスで胃が膨らんでいて、食べ物が入り込む隙間はないからよしとします。

 とりあえず誰か、僕を助けてくれませんか?
 テニスコートの周りを取り囲むカスミソウ推しの女子たちの視線が突き刺さって、痛いこと痛いこと。
 奏多くんにバックハグをされたからといって、霞くんから奏多くんをとったりしないからご安心をと女子たちに言って回りたい。
 逆もしかり。
 霞くんに嫌われている事実を重く受け止め、僕は初恋を諦めたんです。
 僕にとっても霞くんと奏多くんが推しカプなんです。
 霞くんと僕、奏多くんと僕は、僕にとって地雷カプなんです。
 僕の代わりに霞くんとペアを組んでテニスの試合に出てもいいよというクラスメイトが現れたら、病みぎみのメンタルが回復できると思うのですが……

 テニスコートから今すぐ逃げられたらと切に願う。
 薄曇りの空を見上げると、あんなにギラギラだった太陽が雲に隠れていた。
 僕の周りを雨雲が取り囲んでくれたら、太陽みたいに雲隠れすることができるのにな。

 逃げたい。
 教室にこもりたい。
 でも熱血ワイルドの奏多くんは、なぜか僕を逃がしてはくれない。

 「太陽出てないし、これはもういいよな」と僕の頭からキャップを奪うと、自分の頭にキャップをかぶせて僕の腕をガシリと掴んだ。
 そして霞くんにボヤキをひとつ。

 「カスミ、オマエはもう教室戻っていいわ」

 「え?」

 「テラセに興味が湧いた。俺一人でこいつをビシバシ鍛えあげることに決めたから」

 目を見開いて固まる霞くんを置き去りにして、僕の腕をぐいぐい引っ張っていく奏多くん。
 
 「ちょっと奏多くん、僕をどこに連れて行く気ですか?」

 強制連行って言葉がぴったりなほど、僕は強引に引きずられていますが……

 「なぜ俺に敬語?」

 だって奏多くんは、上から物申すときの威圧感がすごくて……

 「壁を感じる。鳥肌立つからやめろ」

 「あっうん、わかったよ」

 これ以上にらまれたくないから、言うことを聞くよ。

 我が道を行くがごとし。
 まっすぐ前だけを見て進む奏多くんの前に、両手を広げた霞くんが立ちはだかった。
 僕の足が歩みをやめ、僕の口から安どのため息がこぼれる。

 「奏多、萌黄(もえぎ)くんが困ってるでしょ。今日は3人でテニスの練習を……」

 「ヤダ、カスミはぜってーこいつを甘やかすから」

 「球技大会は部活じゃないんだ。楽しく練習するのが一番だと思うけど」

 「あと数日しかないってわかってんの? こいつを鍛えれる日。んなら、ビシバシ行くしかねーよな?」

 「自分にも他人にも厳しい奏多一人にコーチを任せたら、萌黄くんのメンタルが壊れちゃう」

 「心配するなって、ちゃんと飴も用意する」

 「そういうことじゃなくて……」

 「テラセは俺がもらってく。カスミは食堂で優雅に紅茶でも飲んでろ」


 奏多くんの手のひらが、僕の腕をさらに強く掴んできた。
 また連れ去られちゃうんだ。
 ヘルプメッセージを瞳に託し、霞くんを見あげる。

 でもすぐに後悔が湧いた。
 いつも優雅に微笑んでいる霞くんの顔から、一切の笑みが消えていたから。
 悔しそうに拳を握り、きつく唇をかみしめる霞くん。
 瞳が悲しげに揺れている。
 こんなに痛々しい表情を見たのは、あの時以来かも。
 僕が火の中に飛び込んだ小6の……

 やめて奏多くん、これ以上僕にかまわないで。
 なんで霞くんが怒っているかわかるでしょ?

 霞くんはね、奏多くんと二人だけになりたいんだよ。
 僕が邪魔なの。
 彼が抱く怒りの名は嫉妬なの。

 僕の腕を掴んでないで、霞くんをハグしてあげて。
 オマエだけが大事だって、甘い言葉をささやいてあげて。

 背が低くて華奢で、昔テニスで俊敏性を鍛えた自分の特性をいかんなく発揮するのは今しかない。
 奏多くんに怒鳴られる覚悟を決め、捕まれている腕を振り払いながらしゃがみ込む。
 背中を丸めながら地面を蹴り、奏多くんの前から逃げることに成功した。

 「オマエな」と僕を睨む奏多くんをなだめるように、霞くんがおっとりと微笑んだ。
 奏多くんだけを真ん前から見つめ、半袖から伸びる奏多くんの腕をさすっている。

 「奏多、萌黄(もえぎ)くんにすごまないの」

 「だってテラセって、見るからにテニスヘタそうだし。俺の剛速球を打ち返すどころか、怖いとか言いながらブルブル固まってそうじゃん。だからまずはメンタルを鍛えねーと」

 「見た目で勝手に判断したらダメだよ。萌黄くんはテニスが上手なんだよ。小学校の時だって……」

 「へぇ」

 「奏多、なに?」

 「テラセがテニスしてるとこ、カスミは見たことがあるんだ」

 「……えっ」


 あわわ、霞くんの繊細な眉が下がってる。返答に困ってる。

 「いつ見た? どこで見た? 練習、大会? テラセ何位だった?」

 まくし立てながら、霞くんの肩を揺らす奏多くん。

 「別にどこでもいいでしょ」と、霞くんが奏多くんの手を肩から外しても
 「うまいなら、それなりの結果を残してるってことだよな? 知ってること全部言え。俺に教えろ」と、霞くんに額をぶつけそうなほど奏多くんは前のめりになっていて、目がやけにキラキラ輝いていて。

 「早く練習しないと、お昼休みが終わっちゃう。はい、奏多の大好きなテニス練習をはじめるよ」

 霞くんが奏多くんの背中に手を当て、テニスコートの中央まで押し戻したところで、ようやく奏多くんがうんうんと頷き始めた。

 「まぁそうだな。今日は3人で打ち合いするか」

 「奏多、萌黄くんに貸すラケットは?」

 「あっ忘れた。置きおっぱだ、部室に取りに行かんと。マジめんどい」

 ぼやきながらも部室棟に向かって走り出した奏多くん。
 小さくなっていく彼の背中を見つめる僕の肩から、たまりにたまっていた緊張感が少しずつずり落ちていく。
 
 はぁぁぁぁ、いったん嵐が去ってくれた。
 でもまだ心臓はバクバクとうるさいまま。
 テニスコートに霞くんと二人だけになってしまった。
 彼の心底を探れていない僕は、視線が交わることすら気まずくて目線が下がってしまう。
 
 嫌いな僕とテニスのペアを組むなんて、霞くんは嫌だよね。
 練習すらしたくないと思うんだ。
 でも霞くんは優しいから、当分のあいだ学校に来れない小倉くんのために、僕とテニスをしたくないとは絶対に言わなくて。
 今もお兄さんみたいな穏やかな笑顔で、僕に微笑みかけてくれている。
 
 「萌黄くんは、テニスをやっていたりするんだよね?」

 またしても苗字呼び。
 話し方も他人行儀だ。
 心無い笑顔の花が咲き誇っていて、壁を作られているのがまるわかり。

 「週に2回くらい、父さんと黄色いボールを打ち合ったりしてるよ」
 
 「頼りにしてるね」

 「あっ、うん」

 髪が躍るほどオーバーに頷いた僕だけど、うまく笑顔が作れない。
 霞くんが僕の目の前で咲かせている笑顔の花は、仲が良かった小学生のころとは全く違う色どりだ。
 僕が得意としている作り笑いと同じだと、簡単に見破ってしまった。
 テニスコートの周りを囲んでいる女子たちの目があるから、とりあえず僕に微笑んでいるだけ。
 本当は今すぐ僕の前から消えたくて、僕なんかと関わりたくもないに決まっている。

 悲しみが僕の右腕の傷跡をつつく。
 痛むのは右腕なのか、ハートなのか、それとも両方なのかわからない。
 ジャージの長袖に覆われた腕を体に巻き付け、うつむいた時だった。
 「危ない!」
 切羽詰まったような声が僕の耳に突き刺さったのは。

 何が起きたのかわからなかった。
 叫んだのは霞くんで間違いない。
 大好きな声が耳に届き肩を跳ね上げはしたものの、状況を確認する時間は0.1秒もなくて。
 誰かに腕を引っ張られたと思った直後、僕の体が何かにすっぽりと包まれたんだ。

 動けない。
 今この瞬間も。
 甘い熱に体中が縛られ、心まで捉えられてしまったから。

 僕の右頬には固いものが押し当てられていて、ドクドクと響くような心拍が心地いい。
 腰に巻きついているのは、程よく筋肉がついた腕。
 顔を守るように僕の片耳に大きな手の平が添えられていて、後頭部に当たっているのは(あご)……だよね?

 清涼感のある心地い匂いが鼻腔をくすぐり、ハートまでくすぐってくる。
 極上の毛布に包まれているようなぬくもりに溺れそうになって、息苦しくて。

 「大丈夫だった? 輝星」

 優しさと焦りが溶け合うような甘い声が、僕の鼓膜を揺らした。
 さらに強く抱きしめられ、沸騰しそうなほど血液の温度が上がってしまう。

 抱き好きな人に呼んでもらえた……輝星って……嬉しい……
 
 湧き上がる喜びは涙腺を弱くするらしい。
 感極まって瞳に滲みだした雫。
 霞くんの胸に頬を当てていると、彼の心拍がダイレクトに伝わってくる。
 ものすごく早いビートを刻んでいるような。
 僕に負けないくらいの駆け足気味。
 この身体現象が、僕を抱きしめていることによるドキドキだったらいいのにな。
 
 霞くんの胸板から頬を外し、僕は緊張気味に視線を上げる。
 騎士のように凛とした顔で遠くを見つめていた霞くんが、視線を下げた。

 至近距離で目が合う。
 視線が絡みあう。
 霞くんの綺麗な瞳に、この僕だけが映っている。

 この瞳を独占したいと、この6年間思ってきた。
 僕だけを見つめて欲しいと願い続けてきた。
 その夢が今叶うなんて。
 このままずっと抱きしめられていたいと思うのは、僕のワガママだよね。
 僕を抱きしめる腕がほどけないのはなぜ?
 恥ずかしさの中に甘さが溶けこんでいるような表情で、僕を見つめ続けてくるのはなぜ?
 

 「キャー! カスミ先輩がテラセ先輩を抱きしめてる!」

 遠くから黄色い悲鳴が飛んできて、現実に意識が引き戻された。

 「やめて、私の推しカプはカスミソウなのに!」

 「麗しい霞先輩と可愛い輝星先輩のカプなら、わたし推せちゃう!」

 みんなに見られているという現実が羞恥心をいたぶってきて、僕と霞くんは焦りに任せお互い背後にジャンプを決める。
 僕たちの間にはリンゴが10個並べられそうな距離が生まれてしまった。
 流れ出す気まずい空気。
 ビビりな僕は顔を上げられない。
 霞くんの靴を見つめれば見つめるほど、霞くんへのハテナが募ってしまう。

 大好きな人のぬくもりに包まれている時は幸せすぎて冷静に考えることができなかったけれど、霞くんはなんで僕を抱きしめたりなんかしたんだろう。
 『危ない』と叫ばれてからのギュッ。
 何かから僕を守ってくれたのかな?

 いやいや、そんなことはどうでもいい。
 キャーキャー飛び跳ねるような黄色い声が四方八方から飛んでくるから、恥ずかしすぎて。
 消えたい。
 透明人間になりたい。
 みんな、テニスコートにいる僕と霞くんを注目しないで。

 僕は霞くんに嫌われているんだよ。
 頬に刻まれてしまった霞くんのぬくもりを消したい。
 力強く抱きしめてくれた彼の腕の圧を消し去りたい。

 でも本当は消したくなくて。
 ずっとずっと僕の中に残って欲しくて。
 宝物にしたくて。

 【霞くんの特別は、僕じゃなくて奏多くん】

 悲しい現実が苦しくてたまらなくなった僕は、萌え袖からちょっとだけはみ出す指たちで顔を押さえた。


 「つーか、女子たちはしゃぎすぎ。耳痛いんだけど」

 靴を引きずるような足音にハッとし、体をひねって後ろを向く。

 「うちの高校の王子様人気、まじエグイよな」

 黄色いテニスボールを手の上でポンポン投げながら僕たちに近づいてきたのは、奏多くんだ。

 だるそうに口を曲げ、反対の手で握っているラケットの先をテニスコートの外にいる女子たちに向けている。

 「一部始終見てたけどさ、飛んできたテニスボールから姫を守ったって、カスミの王子様伝説がまた一つ増えるんじゃねーの? あほくさ」

 テニスラケットを肩に担いだ奏多くんの言葉に、ようやく僕はこの状況を理解した。

 そういうことだったんだ。
 霞くんに抱きしめられてドキドキに襲われていたけれど、霞くんは僕がボールに当たらないように腕を引っ張てくれただけなんだ。

 とっさのことで覚えていないけれど、もしかして僕から霞くんの胸に飛び込んじゃったのかな?
 抱きしめられたというのも僕の思い込みで、ただ霞くんの腕が僕に当たっていただけだったのかも。

 そうだよ、絶対に。
 だって霞くんは僕のことが嫌いなんだもん。
 6年間も無視され続けてきたんだもん。

 さっきだって、僕と奏多くんが話していただけで嫉妬していたし。
 それくらい奏多君のことが大好きってことだよね?
 そういうことだよね? 霞くん。