一般的に高校の文化祭は九月から十一月にかけて開催されることが多いようだが、香村たちが通う高校では九月の下旬に開催された。香村はどの部活動にも参加していない所謂帰宅部であったため部活動での出し物は無かったが、代わりに二年B組の教室で開催されている喫茶店の模擬店に駆り出されていた。
二年B組の喫茶店は机と椅子を並び替えて客席を用意し、カーテンで仕切った先を作業場兼バックヤードにしただけの殆ど手間の掛かっていないつくりになっている。A組は教室から廊下の端までをレールで繋いだ簡易ジェットコースターなる大作を披露しているし、C組はかなり凝ったお化け屋敷らしいのでB組のやる気のなさは顕著であったが、クラス委員である香村もやる気の見られないクラスメイトを鼓舞して良い出し物をしようと声を大きくするような熱血タイプとは程遠いこともあり当日もまったりとした時間が過ぎていた。
せめてもの賑やかしとして希望者のみ激安量販店で仕入れてきたメイド服や執事服を身に着けており、要望があれば冷凍食品を温めたオムライスに謎の呪文と共にケチャップでハートを描くくらいのサービスはしている。
「榊原さんってハート描くの上手いよね」
ピンクの髪の上にちょこんと白いヘッドドレス……ホワイトブリムと呼ぶらしい……を乗せた榊原奈美は明らかに安物だとわかるテラテラとした水色のメイド服を翻しながら香村を振り返った。彼女が今提供してきたのはまさにメイドさん特製オムライスという名の冷凍オムライスを温めたもので、中学生くらいの少年たちのために綺麗なハートをケチャップで描いてバックヤードに戻ってきたばかりだった。
「三回目くらいで慣れてきたかも。オプションで名前とか書けっかもよ」
「いや、そういうシステムじゃないから……」
クラスメイトの女子の中では身長が高めで腰の位置も高い榊原が着ると安物のメイド服はスカート丈が膝よりやや上になってしまっている。今更寸法を直すわけにもいかないので、普段から派手な外見のため生活指導の教師に目を付けられやすい彼女は仕方なく中に学校指定のハーフパンツを履いていた。なかなかに妙な組み合わせである。
「つか、コームラってそういうカッコ似合うじゃん。マゴにも衣装っつーんだっけ?」
「それ誉め言葉じゃないけど……まあ、ありがとう」
クラス委員として逃げるわけにもいかず、香村は同じく量販店で購入した執事服を身にまとっていた。黒いベストに黒い燕尾服と、生地は薄いが形は思いのほか綺麗な作りとなっている。
「いやーでもさあ、シツジってんならもっと髪型変えたほうがぽいって」
榊原は何か思いついた様子で机の下に置いてあった自分のバッグを手繰り寄せると、中から丸い物を取り出してくる。
「え、何?」
「ワックス。コームラちょっと眼鏡外して」
「なんで?」
「いーからいーから、言うこと聞きな」
午前中という時間のためか客の入りはまだ少なく、店番をしているほかの生徒たちは暇そうにバックヤードでスマートフォンを弄っている。そのせいか榊原にバックヤードの隅へと追いやられていく香村を面白そうに眺めている者が多かった。少しは助けてくれてもいいものを。
榊原はネイルを施した長い爪にも関わらず慣れた様子で器用に丸いケースからワックスを掬い取って両手になじませ、渋々眼鏡を外した香村の髪に無遠慮にその両手を突っ込んでくる。思わずぎゅっと目を瞑ってしまった香村を尻目に彼女は容赦なく香村の少し前髪が長めの黒い髪をぐいぐいと後方へ撫で付けた。
「おー良いじゃん良いじゃん」
「え、なに、なに?!」
「眼鏡邪魔だから外せよ」
「無理だよ近眼なんだから見えないよっ」
無茶を言う榊原に困惑する香村だったが、満足したのか彼女は好き勝手弄っていた髪から手を離した。
「よし!じゃあアタシ手洗ってくんね」
そう言ってさっさと教室を出て行ってしまった榊原の背中を呆然と見送った香村は、教室の隅に掛けられている鏡の前に立ち外していた眼鏡を掛ける。すると鏡の中には、長めの前髪を後ろへと撫で付けられ所謂オールバックと呼ばれる髪型になった見慣れた顔があった。
やや混雑した昼を過ぎ、ようやく店番を交代した香村はどこへ行こうかと考えあぐねている。喫茶店の店番は交代制だったが、クラス委員である香村は撤収間際にもう一度接客に入ることが決まっていた為着替えるのも面倒で執事服のまま教室から出て来ていた。そのせいか、何度か廊下ですれ違い様に振り返られて少し気まずい。もっと奇抜な格好で呼び込みをしている生徒もいるのだからあまり見ないでもらいたいと思いつつ、ひとまず中庭に出店している焼きそばの屋台へと向かった。この屋台はサッカー部が運営しており、この時間帯はサッカー部員の中津祐輔が店に出ていると聞いていたからだ。
中庭は普段の様子と一変しており、いくつかの食べ物屋台のテントが張られて飲食できるスペースも確保されていた。昼を過ぎた時間帯だからだろう、それほど混雑はしていないが普段学校で見ることのない小学生くらいの子供たちや生徒の保護者であろう大人、制服を着ていないことから他校の生徒であろうと思われる少年少女たちが思い思いに楽しんでいるようだった。
焼きそばの屋台の前に立つと、本格的な鉄板から漂う熱とソースの良い香りがする。仕込みをしているらしい中津が顔を上げ、いらっしゃいと元気な声を上げたあとに何故か二度見をしてきた。
「びっくりしたー、誰かと思ったら香村君か」
「着替えるの面倒で。焼きそばひとつください」
「お、サンキュー! いや、服装もそうだけど髪型どうした?」
中津はそう尋ねながらもテキパキとした動きで刻まれたキャベツを熱せられた鉄板に乗せ、そのあとに豚バラ肉を投入する。ジュウ、と肉が焼ける音がして彼は両手で持ったヘラで器用にそれらを炒めてから焼きそばの麺を解しながら更に鉄板に乗せ、焦げ付かないように勢いよく混ぜてゆく。肉にしっかりと火が通ったのを確認し、市販のソースを麺の上からかければ更に大きな音でジュウジュウとソースが焼けて香ばしい食欲をそそる香りが立ち上った。
手際よく発泡スチロール製の容器に盛り付け、最後に紅ショウガを添えると割り箸と一緒に差し出される。香村は書かれていた値段の三百円を彼に手渡した。
「手際良いね。職人みたいだった」
素直に感嘆の声をあげた香村に対し、中津は自信ありげに胸を張る。所謂どや顔、というやつだ。
「さっきめちゃくちゃ作ってたからね。料理も嫌いじゃないし?」
「へえ、意外かも」
「いや、意外といえば香村君の髪型もだいぶ意外だけど。めちゃくちゃ目立たなかった?」
榊原には悪いが、やはりあまり似合っていないらしい。榊原に無理やり弄られたと言えば、中津は可笑しそうに声を上げて笑った。
「この後は体育館でダンス部だっけ?」
中津がポケットから取り出したスマートフォンで時間を確認する。香村も腕時計をちらりと見れば、時刻は午後一時半を少し過ぎたところだった。体育館でダンス部のパフォーマンスがあるのは午後二時からだ。
「廣川君に絶対に来てって言われてるから行くつもりだけど、俺ダンスとか全然わからないよ」
廣川七瀬はダンス部に所属している。部活動のある日は基本的に出ているようだが、香村は彼のダンスを一度も見たことがなかった。そもそも、香村の人生においてダンスは体育の授業で習わなければならない苦手なものの上位に位置している。リズム感というものが理解出来ないのだ。
「良いの良いの、香村君が行ってあげれば廣川も張り切るから」
「まあ……そうかもしれないけど」
ステージの上で香村を見つけ、はしゃいだ犬のように喜ぶ彼の姿が目に浮かんだ。
二年B組の喫茶店は机と椅子を並び替えて客席を用意し、カーテンで仕切った先を作業場兼バックヤードにしただけの殆ど手間の掛かっていないつくりになっている。A組は教室から廊下の端までをレールで繋いだ簡易ジェットコースターなる大作を披露しているし、C組はかなり凝ったお化け屋敷らしいのでB組のやる気のなさは顕著であったが、クラス委員である香村もやる気の見られないクラスメイトを鼓舞して良い出し物をしようと声を大きくするような熱血タイプとは程遠いこともあり当日もまったりとした時間が過ぎていた。
せめてもの賑やかしとして希望者のみ激安量販店で仕入れてきたメイド服や執事服を身に着けており、要望があれば冷凍食品を温めたオムライスに謎の呪文と共にケチャップでハートを描くくらいのサービスはしている。
「榊原さんってハート描くの上手いよね」
ピンクの髪の上にちょこんと白いヘッドドレス……ホワイトブリムと呼ぶらしい……を乗せた榊原奈美は明らかに安物だとわかるテラテラとした水色のメイド服を翻しながら香村を振り返った。彼女が今提供してきたのはまさにメイドさん特製オムライスという名の冷凍オムライスを温めたもので、中学生くらいの少年たちのために綺麗なハートをケチャップで描いてバックヤードに戻ってきたばかりだった。
「三回目くらいで慣れてきたかも。オプションで名前とか書けっかもよ」
「いや、そういうシステムじゃないから……」
クラスメイトの女子の中では身長が高めで腰の位置も高い榊原が着ると安物のメイド服はスカート丈が膝よりやや上になってしまっている。今更寸法を直すわけにもいかないので、普段から派手な外見のため生活指導の教師に目を付けられやすい彼女は仕方なく中に学校指定のハーフパンツを履いていた。なかなかに妙な組み合わせである。
「つか、コームラってそういうカッコ似合うじゃん。マゴにも衣装っつーんだっけ?」
「それ誉め言葉じゃないけど……まあ、ありがとう」
クラス委員として逃げるわけにもいかず、香村は同じく量販店で購入した執事服を身にまとっていた。黒いベストに黒い燕尾服と、生地は薄いが形は思いのほか綺麗な作りとなっている。
「いやーでもさあ、シツジってんならもっと髪型変えたほうがぽいって」
榊原は何か思いついた様子で机の下に置いてあった自分のバッグを手繰り寄せると、中から丸い物を取り出してくる。
「え、何?」
「ワックス。コームラちょっと眼鏡外して」
「なんで?」
「いーからいーから、言うこと聞きな」
午前中という時間のためか客の入りはまだ少なく、店番をしているほかの生徒たちは暇そうにバックヤードでスマートフォンを弄っている。そのせいか榊原にバックヤードの隅へと追いやられていく香村を面白そうに眺めている者が多かった。少しは助けてくれてもいいものを。
榊原はネイルを施した長い爪にも関わらず慣れた様子で器用に丸いケースからワックスを掬い取って両手になじませ、渋々眼鏡を外した香村の髪に無遠慮にその両手を突っ込んでくる。思わずぎゅっと目を瞑ってしまった香村を尻目に彼女は容赦なく香村の少し前髪が長めの黒い髪をぐいぐいと後方へ撫で付けた。
「おー良いじゃん良いじゃん」
「え、なに、なに?!」
「眼鏡邪魔だから外せよ」
「無理だよ近眼なんだから見えないよっ」
無茶を言う榊原に困惑する香村だったが、満足したのか彼女は好き勝手弄っていた髪から手を離した。
「よし!じゃあアタシ手洗ってくんね」
そう言ってさっさと教室を出て行ってしまった榊原の背中を呆然と見送った香村は、教室の隅に掛けられている鏡の前に立ち外していた眼鏡を掛ける。すると鏡の中には、長めの前髪を後ろへと撫で付けられ所謂オールバックと呼ばれる髪型になった見慣れた顔があった。
やや混雑した昼を過ぎ、ようやく店番を交代した香村はどこへ行こうかと考えあぐねている。喫茶店の店番は交代制だったが、クラス委員である香村は撤収間際にもう一度接客に入ることが決まっていた為着替えるのも面倒で執事服のまま教室から出て来ていた。そのせいか、何度か廊下ですれ違い様に振り返られて少し気まずい。もっと奇抜な格好で呼び込みをしている生徒もいるのだからあまり見ないでもらいたいと思いつつ、ひとまず中庭に出店している焼きそばの屋台へと向かった。この屋台はサッカー部が運営しており、この時間帯はサッカー部員の中津祐輔が店に出ていると聞いていたからだ。
中庭は普段の様子と一変しており、いくつかの食べ物屋台のテントが張られて飲食できるスペースも確保されていた。昼を過ぎた時間帯だからだろう、それほど混雑はしていないが普段学校で見ることのない小学生くらいの子供たちや生徒の保護者であろう大人、制服を着ていないことから他校の生徒であろうと思われる少年少女たちが思い思いに楽しんでいるようだった。
焼きそばの屋台の前に立つと、本格的な鉄板から漂う熱とソースの良い香りがする。仕込みをしているらしい中津が顔を上げ、いらっしゃいと元気な声を上げたあとに何故か二度見をしてきた。
「びっくりしたー、誰かと思ったら香村君か」
「着替えるの面倒で。焼きそばひとつください」
「お、サンキュー! いや、服装もそうだけど髪型どうした?」
中津はそう尋ねながらもテキパキとした動きで刻まれたキャベツを熱せられた鉄板に乗せ、そのあとに豚バラ肉を投入する。ジュウ、と肉が焼ける音がして彼は両手で持ったヘラで器用にそれらを炒めてから焼きそばの麺を解しながら更に鉄板に乗せ、焦げ付かないように勢いよく混ぜてゆく。肉にしっかりと火が通ったのを確認し、市販のソースを麺の上からかければ更に大きな音でジュウジュウとソースが焼けて香ばしい食欲をそそる香りが立ち上った。
手際よく発泡スチロール製の容器に盛り付け、最後に紅ショウガを添えると割り箸と一緒に差し出される。香村は書かれていた値段の三百円を彼に手渡した。
「手際良いね。職人みたいだった」
素直に感嘆の声をあげた香村に対し、中津は自信ありげに胸を張る。所謂どや顔、というやつだ。
「さっきめちゃくちゃ作ってたからね。料理も嫌いじゃないし?」
「へえ、意外かも」
「いや、意外といえば香村君の髪型もだいぶ意外だけど。めちゃくちゃ目立たなかった?」
榊原には悪いが、やはりあまり似合っていないらしい。榊原に無理やり弄られたと言えば、中津は可笑しそうに声を上げて笑った。
「この後は体育館でダンス部だっけ?」
中津がポケットから取り出したスマートフォンで時間を確認する。香村も腕時計をちらりと見れば、時刻は午後一時半を少し過ぎたところだった。体育館でダンス部のパフォーマンスがあるのは午後二時からだ。
「廣川君に絶対に来てって言われてるから行くつもりだけど、俺ダンスとか全然わからないよ」
廣川七瀬はダンス部に所属している。部活動のある日は基本的に出ているようだが、香村は彼のダンスを一度も見たことがなかった。そもそも、香村の人生においてダンスは体育の授業で習わなければならない苦手なものの上位に位置している。リズム感というものが理解出来ないのだ。
「良いの良いの、香村君が行ってあげれば廣川も張り切るから」
「まあ……そうかもしれないけど」
ステージの上で香村を見つけ、はしゃいだ犬のように喜ぶ彼の姿が目に浮かんだ。