現在地、今後の俺の生活拠点となる予定の個人部屋。設備は、シングルベッドがひとつに、三段のタンス、ローテーブルとエアコン、テレビ。俺はフローリングに正座していて、対峙するユニには座布団がある。

 「おかあさんに会わせてほしい」
 「ダメ」

 というやりとりが三回目。

 「顔を見るぐらいでも許されないもん?」
 「相談はしてみるけどけど、ねぇ?」

 自分でもわかっているんだろ、とでも言いたげな視線を返された。五代さんから『おかあちゃん』と言われて、俺は五代さんに飛びかかるような勢いで「会わせてください!」と頼んだ。土下座したら、向こうがドン引きしてしまった。

 弐瓶教授曰く、その後どうにかして教授がその場を取り仕切って、フランソワさんは素早い動きで俺を気絶させたらしい。宇宙人、怖い。

 気付いたらベッドに寝かされていて、そばに心配そうな顔――はしていないけれども、見守ってはくれていたらしい弐瓶教授がいた。こういう時に付き添ってくれるあたり、それなりに気はあるんじゃあないかって思っている。俺の勘違いかな。研究室に一晩泊めてくれたしさ。

 「なんで、俺の母親が?」

 俺の疑問に、弐瓶教授が自身のスマホをいじって、中国語か何かのサイトを見せてくれる。そこに載っている写真の女性は、俺と同じオレンジ色の瞳をしていた。だが、三月まではそれなりに優秀な高校生だった俺でも中国語は読めない。そこになんと書いてあるかまでは読み取れないけれど、この、成金っぽい女性が、おそらくは。

 「さっき、ウナギ屋さんのオルタネーターについて説明されたじゃーん?」
 「アニーちゃんですね。働き者で、可愛くて、いいと思います」

 一般的な感想を述べたが、弐瓶教授の表情に翳りが見えた。安心してほしい。教授のほうが可愛いって思っているよ。

 「アニーちゃんのように、オルタネーターをいろんな職場に派遣してみよう作戦が始まってるのん。その受け入れ先候補の企業のひとつが、参宮くんを産んだおかあさんのところ」
 「へえ。海外にも飛ばすんですね」
 「今回の『恐怖の大王』からの攻撃を受けたのは日本だけじゃないしねん」

 隕石が落ちたんだったか。日本は地震だけで済んだけれど、この狭い領土に隕石が落ちていたら大騒ぎになっていただろう。
 秋なのに真夏並みに暑いのは、隕石の影響があるという話をラジオでしていた。地球の気候すら変えてしまう宇宙人からの攻撃。恐ろしいったらありゃしない。

 「というか、よく日本まで来れますね」

 ラジオで思い出した。滑走路が台無しになっていて、影響の少なかった地域からの支援物資を届けるのに支障をきたしているんじゃあなかったか。自家用ジェットでも飛ばすの? いや自家用ジェットだったら滑走路必要じゃん。ヘリコプター……は香港からだと飛距離が厳しそう。どうやって来るつもりなのだろうか。船かな。どのみち、こちらまでの陸路が確保できてないし、どうすんだろ。

 「前々から『直接オルタネーターに会って、彼らと話したい』とは言ってたんだよん。それが今回のこともあって、より導入を急ぎたいって話じゃあないのん? ユニちゃんもまさかの明日とは思ってなかったけどけど」

 まさかの明日。
 まさかじゃあなくて、千載一遇のチャンスじゃあないか。

 「生き別れの息子と再会する、ってどうです?」

 弐瓶教授は「はぁー」とわざとらしくため息をついて、水色の前髪をいじりながら「君が物心ついてから今日までに、一度でもあちらからのアクションはあった?」と訊ねてきた。

 ない。

 顔はおろか、住んでいる場所が香港だってことも、事業を成功させていることも知らない。それでも、ひと目見ただけですぐに俺の母親だと判別できる。間違いない。この人が俺の母親なのだ。

 こうして再び巡り会えたのは、きっと、そういう巡り合わせのようなもので。このタイミングだからこそ、運命が引き寄せてくれた。きっとそうだ。そうに違いない!

 「ははは」

 実の母親なのだから、俺を愛してくれる。

 アンゴルモアがもたらした隕石によって地球全体は混乱の渦に巻き込まれて、人間はこれまで通りの経済活動が行えなくなっていたとしても、俺には愛がある。これまでの不幸はこの瞬間の為の前振りなのだと納得しよう。愛は救い、あるいは道、はたまた希望。儚くとも、もがいてでも、ようやく見えた兆し。掴まなければならない。掴んで離さない。

 おかあさん!

 俺は両頬を手で挟んで持ち上げる。十九年ぶりに奇跡的な再会を果たして、俺は諦めていた〝家族愛〟を手に入れるのだ。あの父親が亡くなってしまって、絶望視していたが、――ここにきて最後のチャンスが到来した。逃せば次はない。そんな予感がする。

 真尋さんがひいちゃんは可愛がっていたように、世の母親がそうであるように、俺のおかあさんも俺を好きになってくれる。そうでないとおかしい。この空白の時間を、補って余りある愛情で満たしてくれる。もとより空虚だった俺自身の人生を、肯定してくれるだろう。

 事情通ではあれど赤の他人である弐瓶教授は俺と目が合うなり「……キモチワルイ」と感想を述べた。おそらく今の俺は、恍惚とした表情を浮かべている。気持ち悪いとまとめられてしまうのは、冷や水を引っ掛けられたような心持ちになってしまう。なんだよ。

 「君的には、ミラクルハッピー超展開な再会ってことにしたいのね?」

 教授がにじり寄ってくる。そのチワワのような潤んだ瞳で、斜め下の方向から俺に食い入るような視線で見上げてきた。教授と俺とでは頭ひとつぶんの身長差があるので、どれほどにらみつけようと迫力に欠けてしまう。

 「私は両親から大事に育てられたもんで、君が強めに抱いている母親に関する幻想をパーフェクトに理解してあげるのはぶっちゃけ難しい。でもね、」

 一旦切る。
 その目を伏せて「君は二度も自身の子どもを殺したじゃんか」と続けてきた。

 「二人に対して、君自身はどう思っているのかな。生まれる前に殺してしまった二人にだって、親から愛される権利はあった。父親である君が、――他の誰でもない、誰のせいでもない、真尋さんのせいでもなければ宇宙人のせいでもなくて。責任の所在ははっきりとしている。お前のせいで死んだ。お前は子どもを殺して親としての責任から逃げた。二度も」

 珍しく早口になるじゃん。

 ふーん。そう。そこか。そこで突っかかってくるのか。親となりそうだった俺は子どもを愛さずに切り捨てたのに、俺は親から愛されようなんてそうはいかねェからなって話ね。はいはい。

 「君をここまで育ててくれた君の父親のほうが、君よりだいぶマシだと思っちゃうんだけど、その辺はどう?」

 父親が俺よりマシ?

 「は?」
 「だってそうじゃーん。じゃん?」

 じゃん?

 じゃねェけど。何も知らないくせによく言うよ。あいつはただ、同世代の親たち、特に女親の方から「男手ひとりで男の子を育てるなんてえらい!」と褒められたかっただけ。そういう生き物。

 親の集まる行事には必ずやってきた。職場でも「嫁に逃げられて息子を頑張って育てている男」で押し通していたようだから、休みも取りやすかったらしい。本心では『有給休暇を取得できるちょうどいい言い訳』ぐらいにしか思っていないのだと。俺にだけは、嬉しそうに言ってくれちゃってたな。外では口が裂けても言わないけれどさ。

 あいつにとっての俺は、自分に付属してくる飾りみたいなもの。でかいアクセサリー。トロフィーワイフってあるじゃん。ワイフじゃあなくてキッズかな。

 あるいは、己の承認欲求を満たすためのオモチャ。

 俺は自殺を試みようとして、こともあろうかあいつに止められたことがあった。息子に先立たれたら。不慮の事故じゃあなくて、自らの意志で死を選ばれたら。せっかく築き上げた自らの〝評価〟が凋落してしまうしさ。なんかあったんじゃあないの、って疑われてしまう。何がなんでも止めなくちゃあいけない。そうだよな。俺はこういう人間だから、あいつの立場でも考えてしまう。わかるよ。父親として、予測できる事態は避けなければならない。

 結果、あいつの俺への接し方や態度が変わったかといえば変化はなかった。むしろ悪化したと言える。表にほ見えないように、親子として束縛され続けた。一般的には虐待と呼ばれているらしい。知らなかった。早く教えてほしい。皆が皆、家庭の事情は他人に喋らず、それっぽく見せているのかと思い込んでいた。

 なんてみじめでかわいそうなんでしょう。

 俺が他人に朗々と語る普通の家庭が、現実であってほしかったな。全部嘘だよ。そうあってほしかった話。実現しない夢。

 まあ、俺が正常な家庭に育っていたら、今の俺はいない。きっと、違う俺になっているだろう。そうしたら、父親は真尋さんと再婚していなかった可能性はある。となると、ひいちゃんとは出会えていない。それは困る。

 ありもしない過去を空想して、現実逃避していても仕方ない。タイムマシンで改変できるんなら、改変したいかもしれない。それこそありもしない話だ。ここに立っている俺は誰だよ。

 俺は面前の弐瓶教授にどんな言葉を返すかへ考えを巡らせる。

 「君が今こうして、五体満足で、日本語で意思疎通ができるのは父親のおかげ。親として、子どもに向き合い、育てた成果」

 わかった、わかったよもう。もうたくさんだ。あいつの話はしたくない。

 「俺が子どもを中絶させたように、俺の実の母親(この人)は俺を捨てたんだから俺には会いたくない、って?」

 何やら言いたげな教授の、その顔を右手で押さえつける。

 「当事者ではないお前が決めつけんなよな。俺の母親であるこの人は、俺を愛してくれる。あいつは俺を育ててくれはしたよ。そうだよ、そうでなきゃここにいないよ、俺のことなんて自分の〝価値〟を高めるための付属品ぐらいにしか思ってねェもん。俺が生まれてから、あいつが事故で死ぬまでに、一回も親からの愛情を感じるようなイベントは起こらなかった。あいつから『好き』って言われていない!」

 口を挟ませないように物理的にさえぎったこの右手を、弐瓶教授は両手で掴んで外すと「親だからね」と言い返してきた。

 なにそれ。

 「親から子どもに『好き』とは言わないでしょう。好きなのが当然なんだから」
 「……説得力がないなあ」

 弐瓶教授には子どもはいないし。

 図星だったからか、唇を尖らせて「んもー! 揚げ足を取らないのー! もー! そういうとこだぞー! キラーイ!」と言い放ってから、ベーっと舌を出す。親指を下に向けた。ただでさえも弱すぎる説得力がさらに弱まってくる。

 じゃあ、何。
 俺があいつから振るわれていた暴力は何。何だったの。

 耐えられたから耐えてしまった。その結果がここにいる。もしかしてあれが愛情なのか。愛情の正体。あいつなりの『好き』の表現技法だったってこと?

 「なんとなーくそこはかとなーく君の思考ロジックがわかってきちゃった。ような気がしなくもない。たぶん。ここをこうしてこうじゃ。思い違いかもしれない。同意はできないし、嫌いなのには変わりないけどねん」

 あっ、そう。嫌いなの。俺は弐瓶教授のこと、嫌いじゃあないよ。

 「あとさーあ、これを突っ込んじゃいけなかったらごめんなんだけどさーあ、なんで避妊しなかったの?」

 まだ続くの?

 「百万光年歩ぐらい譲って、宇宙人だから『どんなにヤっても地球人の子どもなんて妊娠しないもん!』はありえたかもかもだけど。それでもさーあ。おかしいと思わなかったのん?」
 「俺は、その、子どもは欲しくなくて、結果こうなったんですが。あちらが無知だったというか。マヒロさんにはひいちゃんがいるんだから、というか、過去に一回やっているのに、ナマでしたがるから」

 いや、スタート地点に戻ってきたのか。どうして『子どもが生まれる前に殺してしまったのか』をつっこまれていたんだった。そこから、どういうわけかあの父親と比較されてキレそうっていうかキレたけれど。やめてほしい。できれば思い出したくないタイプの思い出だから。

 「で。真尋さんの話になるんだけどさーあ。納得いかなくてさーあ。前にさーあ、君は『真尋さんのほうから迫ってきた』って言ってたじゃーん?」
 「そうですよ」
 「真尋さんは、ああ、宇宙人じゃあないほうね? 元の真尋さんは、君のことを嫌ってたんじゃあないのん? 嫌いな相手とそんなさあ、……する? しないよね?」
 「俺が一色京壱を知らないように、ユニは真尋さんのことを又聞きでしか知れないじゃあないですか。家族にしか見せない裏があったって話ですよ」
 「白々しいな」

 何度かこの人、俺のことは嫌いって明言してくれているけれど、こういう反応されるとほんっとーに嫌いなんだろうなって思えてくる。悲しいなあ。まるで信じてくれていないこの目。俺って嘘をつくのが下手なのかな。小さい時から今の今まで嘘を積み重ねてきたし。周りも信じてくれていたように見えたけれど。

 この年齢になってから、疑われやすくなったような。

 「そうだとしても、だとしてもですよ、君の意志でどうにか回避できたのではなくて? だってさ、どうなるかぐらいわかってたでしょ? そんなに君にとっての子どもの命って――待って、理解してあげたくないのに自己解決しそう。自分で自分がキモチワルイ」

 弐瓶教授はあからさまに震え上がるような仕草を見せ「ほら見て、鳥肌が立っちゃった。やだもお」とその右腕を見せてくる。そういう細かいところがかわいいね。

 「俺は父親にはなりたくなかったし、」
 「母親のように生んでしまってから見捨てるようなマネもできないから生まれる前に殺した」

 でも。
 それでも。

 父親と違って、母親なら、俺を愛してくれる。真尋さんはひいちゃんを愛していたし、宇宙人が自ら命を絶ったのは――真相は本人にしか知りえないけれど――俺が子どもを中絶させようとしたから、……ってことにしておこう。今のところは。すなわち、母親はどうであれ子どもを愛してくれるもの。絶対にそう。

 生まれてすぐに見捨てた理由は後々にでも聞けばいい。
 とにかく成長した俺を見てほしい!

 「ははは、ははは」

 もうすぐ会える。
 自然と笑いが込み上げてきて、口元を押さえた。