**無職68日目(11月7日)**


心太朗はここ2、3日、どうにか9時には起きている自分に驚いていた。彼にとって、朝の9時起きはなかなかに革新的な出来事で、これが昼夜逆転生活を送る夜型人間にとっては、まるで大きな進歩のように思える。しかも最近は、夜1時には寝れるようになったのだ。誰がそんな事を想像しただろうか。

「立ちっぱなし健康法」なるものを試し始めて、心太朗は自分の体調が少しずつ良くなっているのを感じていた。立ちっぱなしでいることで、朝から動き回るし、便秘も解消された。そして、何より昼寝をしなくなったことで、夜は自然と眠くなる。これが立ちっぱなしの効果だと思っているが、逆に言えば、今まで立っていないから体調が悪かったとも言えるのかもしれない。まぁ、そこまで深く考えないようにしている。

「少しずつ早起きしたい」—心太朗は目指すは6時起きだ、と心の中で宣言してみた。しかし、この目標に向けて一歩踏み出すのは、まだ少し先の話。

突然、澄麗が「赤ちゃんの名前、色紙に書こうよ」と言い出した。そうだ、産まれた赤ちゃんと写真を撮る時に、名前入りの色紙を一緒に撮るのだ。澄麗が言うと、なんだか楽しそうに思えてきて、心太朗もつい乗っかってしまう。いや、実際は「子供の行事は全部やりたい」と思っている自分がいるから、これはチャンスだと思っているだけだが。

澄麗と一緒に買い物に出かけることになった。天気は良いが寒い。いよいよ本格的に秋だと感じる気温だ。心太朗は薄めのセーターに秋用のブルゾンを着ていたが、それでも寒い。手袋やニット帽が欲しくなるくらいだ。彼は寒がりなのだ。

「いや、ほんと寒いな」と心の中でつぶやきながら、澄麗と歩く。そうしたら、彼女はなんと半袖で歩いているではないか。驚きだ。澄麗は寒さに強いらしく、この季節でも半袖でちょうど汗をかかないくらいがベストらしい。心太朗はただただ目を丸くするばかりだ。自分が寒がりだから、理解できるわけがない。

「産まれてくる子供には、澄麗には合わせずにちゃんと長袖着せてあげてよ」と心太朗は冗談を言って笑ったが、正直、言葉にしながらもどうして半袖なのか不思議で仕方がない。

いつものスーパーに寄ると、隣に西松屋がある。これまで何の興味もなかったが、最近はチャイルドシートや服を買うためにお世話になっている。ありがたいことだ。西松屋の便利さに感謝しつつ、澄麗と一緒に店内に入る。可愛いイラストが描かれた色紙もあったが、澄麗は「古風なものがいい」と言って、シンプルなデザインのものを選んで帰った。

後から知ったことだが、どうやら赤ちゃんの命名式というのは生後7日目の「お七夜」でするもので、正式には父方の祖父が書くものらしい。まぁ、そんなことは知ったこっちゃない。

心太朗は、赤ちゃんの名前を書くという大仕事を前に、以前趣味でやっていた書道道具を押入れから取り出すことにした。久しぶりに触る筆や墨汁に、何とも言えない懐かしさが込み上げる。あれから何年経っただろうか。あの時のように上手く書けるか不安ではあったが、気持ちを引き締め、まずは半紙に練習を始めた。

「うーん、思ったより難しいな」と心の中でつぶやく。文字を書くのって、こんなにも難しかったっけ? 気を取り直して、一文字ずつ、できるだけキレイに書けるように集中する。やはり、久しぶりに筆を持つと感覚が鈍っている。昔のようにサラサラと書けるわけではなく、何度もやり直しを繰り返してしまう。

しばらくして、なんとか納得のいく形になってきた。よし、いざ本番だ。

色紙を目の前に置き、墨汁を筆に染み込ませる。ゆっくりと筆を色紙に触れさせると、手が震えるのを感じる。緊張している自分に気づき、思わず自嘲しながらも、なんとか落ち着こうと深呼吸をする。

だが、震えは止まらない。震えを少しでも抑えたくて、一文字を書くたびに息を止めることに決めた。息を吸って止めて、集中する。その度に心の中で「よし!」と自分を励ますのだが、どうしても手が震える。

すると、横で澄麗が動画を撮り始めた。その音がまた心太朗の集中力を削る。「ちょ、ちょっと気が散るんだけど!」と内心で叫びそうになるが、そこは冷静に、気持ちを切り替えて再度集中しようと努める。

「無心に…いや、無心じゃダメか…愛を込めて…」と心太朗は心の中で呟く。しかし、「愛とは一体何なのか? 見返りを求めたら愛なのか?」と頭をよぎる雑念に困惑する。「子供の笑顔が見たい…これは見返りか?」と、もはや意味不明な問いが次々と浮かぶ。

それでも、息を止めて、震える手を動かしながら書き進める。ふと「これでいいのか?」と自分に問いかけるも、手は勝手に動いていく。ついに、なんとか一文字が書き終わり、また次へと筆を進める。

そして、ついに完成した。深い息を吐き、力を抜いて色紙を見つめる。なんとか、無事に書き上げた。「長男 命名 健一 令和六年十一月…」と、心太朗は自分で書いた名前を見つめて満足感に浸る。日にちは産まれた日に改めて書くことにした。

「いやー、何とか書けたな…」と心太朗は達成感に浸りつつも、横で澄麗が嬉しそうに動画を見返している様子に気づき、なんだか照れ臭くなった。それでも、家族のために必死で書いた名前が、少しずつ形になっていくのを感じ、心の中で満足していた。

健一という名前は、澄麗が思いついたシンプルなものだった。「健康第一」という言葉が込められたその名前には、心太朗と澄麗が抱く深い願いが込められていた。健一という命は、生まれた瞬間からこの名前に宿り、二人の親のもとで成長することになる。

「身も心も健康で強く、生きることを一生懸命取り組む人」——その願いが健一の名前に込められている。親として、ただひたすらに子どもの幸せを願う。それが、健一という名前に込められた意味だ。

「産まれた命。産まれた時からその命は健一のモノだ。好きに生きればいい」心太朗は、ふと考えた。子どもにとって親の願いは重荷になるかもしれないけれど、それでも、少しでもその願いが伝わればと願う。実際、「親のわがまま」なのかもしれない。だが、それでも一つだけ、わがままを言えるのならば、「どうか健康で、生きることを諦めないでほしい」と願っているのだ。

名前とは、名付け親からの「手紙」のようなものだ。名前に込めた手紙を、健一がいつか読むことができたら——それが二人の願いだった。

澄麗の名前には、「清らかで素直な心を持ち、内面的な美しさや品位、優雅さを兼ね備えた人」になってほしいという願いが込められている。そして心太朗の名前には、「優しく、思いやりのある豊かな心を持った明るく立派な人」になってほしいという思いが込められている。

二人はそのことを思い出しながら、ふと笑った。「あー、名前負けしてるな」と。実際、自分たちの名前に込められた意味を考えると、どうしても自分たちの実際の姿とは少しズレがあるような気がして、笑ってしまう。しかし、それでも、この名前には本当に大切な思いが込められていることに変わりはない。

「名付け親からいただいた手紙の通り、生きる必要はないが、読むくらいはしてあげてもいいのではないだろうか」と、心太朗は思う。子どもにとっては、そんな「手紙」を読み返す時が来るのだろう。それがいつになるのか、何歳の時なのか、わからないけれども——。

心太朗は、「お前は俺のこと、父ちゃんとして尊敬できないかもしれないし、もしかしたら愛情をうまく表現できないかもしれない。でも、父ちゃんはお前のためなら頑張る。伝わっていなくても頑張る」と、心の中で呟く。

「いつの日か、この名前に込められた手紙をお前が読んでくれることを願う。お前への初めの手紙だ」心太朗は、目を閉じて静かに祈った。子どもが成長して、「手紙」を読む日が来るその時には、健一が愛されているということを感じてくれると、父ちゃんは嬉しい。そんな思いを込めて、心太朗は名前に込めた願いを胸に、改めて自分の父親としての責任を感じた。