**無職63日目(11月2日)**

心太朗は、朝から雨音を聞きながらぼんやりと天井を見つめていた。空は暗く、どこまでもどんよりとしている。テレビをつければ、全国各地で警報が発令されては解除され、また発令される、そんなニュースが流れている。不安定な気圧が頭を押さえつけるような重さを感じさせ、加えて昨日の寝不足もあって、体調は絶好調とは程遠い。「まったく、どうして雨の日ってだけで、こんなにやる気が失せるんだろうな」と心太朗は心の中で毒づいた。

この数日前、心太朗は日記小説で自分の一日のルーティンについて綴った。それは、ちょっとだけ意識高めに見える一日で、いわゆる「できる自分」を描写したものだ。そのおかげでフォロワーからは「充実してますね」「見習いたいです」といったありがたい反応をもらったのだが、心太朗は内心こう思っていた。

「いやいや、これは出来過ぎの俺です」

実際には、彼の生活はルーティン通りにはいかない日がほとんどだ。特に、今日のように雨が降る日など、心太朗のやる気は霧散する。ルーティンなんて気分に左右される幻想に過ぎないのだ。今日はその気分が最高に悪い日で、布団から出るのさえ面倒くさい。

そんな心太朗に、ふと一つの疑問が湧いた。彼もまた、他人のSNSを見て「俺、遅れてないか?」と思うことがある。そして同時に、彼の日記を見て同じように焦る人がいるのだと気づく。

結局のところ、SNSに上がるのは日常の一部分でしかない。皆、カメラを向ける瞬間だけ、自分の一部を切り取っているようなものだ。本当は、心太朗のように「今日は何もしなかったな」と反省する一日を送っている人も少なくないのだろう。彼は思う、「逆もあるだろうな、何もしてなさそうな人が実は裏でめちゃくちゃ努力してたりして」。

「他人の本当の姿なんて見えないんだよな」と心太朗はしみじみとした。自分のことは全て見えるから、「自分はなんて怠け者なんだろう」と感じてしまう。でも、他人の良いところだけを知っていると、無意識にその人と自分を比べてしまい、自分が遅れていると錯覚してしまうのかもしれない。

「もしかして、俺たちは自分の怠けてる姿ばっかりにフォーカスしてるんじゃないか?」と、心太朗は一人ごちた。隣の芝は青く見えるとはよく言ったもので、ちょっとした瞬間の努力だけで満足する人もいるかもしれないのに、彼らの成功だけを見て自分の失敗と比べるのは滑稽かもしれない。どこにフォーカスするかで、日々の気分も変わるというのに。

考えてみれば、昔働いていた職場では、心太朗は「自分が一番頑張ってた」と思っていた。周りは堂々とサボっている奴らばかりで、心太朗がコソッとサボるのすら、正直気まずいぐらいだった。とはいえ、誰がどう見ても、心太朗が一番働いていたと自負している。「でも、それって、ただ一日中一緒にいたからかもしれない」と思い直した。13時間も同じ空間にいれば、サボる姿も頑張る姿も見える。だからこそ、「俺が一番頑張ってる」っていう自信にもなっていたのだろう。

心太朗は、ソファでごろごろしながら、ふと世の中の人々を見渡して思うのだった。「久しぶりに会った友人たちとか、テレビに出てるキラキラした人たち、YouTubeの『効率アップの達人』みたいな人たち、SNSで充実した毎日をシェアしてる人たち…みんなすごく見えるけど、実際あの人たちも家じゃ怠けてるよな?」そう自分に言い聞かせた。

問題は、自分の怠けぶりが自分には丸見えだってことだ。「ああ、怠けてる…今日も何もしてない…」と自覚していると、まるで自分だけが世界一の怠け者なんじゃないかって気分になる。しかし、心太朗はある仮説にたどり着いた。「いや、違う。人間みんな怠け者だ。見えないところでしっかり怠けてるはずだ!」と。

もし自分が怠けていると思うなら、「よし、みんなも見えないところでサボってる」と思えばいいのではないか?そんな風に心太朗は自分を励ますことにした。

「ほら、自分だけじゃない、みんな怠け者なんだ!」と心の中で喝を入れてみるが、どこかでまだ納得しきれない自分がいる。「怠けてる自分を許せない?理想が高すぎるんじゃないか?」とまた自問する。心太朗は理想を持つことの大切さもわかっているが、自分に無理難題を押し付けるのは別問題だ。

彼はふと、もし自分の中に「親」と「子ども」の二人がいると考えたらどうなるかと妄想を広げた。親である自分が子どもの自分に「もっと頑張れ!」「他の子はしっかりやってる!」と理想を押しつけ、期待を裏切られるたびにガッカリしていたら、子どもはどう感じるのだろう?他所の子どもと比べられてばかりいたら、そりゃ嫌にもなるだろう。もしかして自分は自分にとっての毒親なんじゃないか?

心太朗はふと苦笑した。「いやいや、俺が自分に毒親かよ…って、まぁ、ちょっと当たってるかもな」。怠けている自分を許せず、他人と比べて落ち込む心太朗は、どうやら「親の自分」が強すぎるようだ。たまには「子ども」の自分に甘やかされる喜びを与えてやるべきなのかもしれない。そう思うと、心が少し軽くなった。

そして、今日もまたそんなやる気のない日だった。朝から「ルーティン崩壊の音がする」と思いながら、目は覚めたものの頭は完全に夢の中。どれだけ時間が経っても脳がシャキッとしない。「ああ、やる気が出ない…でも、ソファが俺を離してくれない…」と言い訳しながらゴロゴロしていると、眠気が再び襲ってきた。

何もしていないのに眠いなんて、どれだけ甘やかされた体なんだよと心太朗は内心突っ込みつつ、結局昼過ぎに仮眠を取ることにした。その間に、妊娠中の妻、澄麗は一人で買い物に出かけてくれていた。「相当ぐうたらしてるな…」と反省しつつ。

夜になってようやく少し元気が出てきた心太朗は、「今だ!」と日記小説を書き始め、なんとかSNSで軽い交流もこなした。今日一日を振り返って、昼間をダラダラと過ごしたことを責める代わりに、「夜になってでも少しできたことを褒めてやるか」と思った。まるで、親が子どもを優しく見守るような気持ちだ。「今日は少しでもやった。えらい、心太朗!」と自分に拍手を送り、気分は少しだけ上向いた。

もしかしたら、人は皆、本来は子どもで怠け者なのかもしれない。だからこそ、時には自分の怠けを認めてあげることも必要なのだ。これは自分自身のためでもあるが、これから産まれてくる健一に、理想を押し付けないために必要な考え方だと思った。心太朗はそんなことを考えながら、眠気を抑えきれず、またソファに身を沈めていった。