**無職49日目(10月19日)**

心太朗は、隣の県に車の点検に行くことになった澄麗を見送った。彼女は「点検のついでに実家にも寄ってくるから、今日は一人でいていいよ」と言ってくれた。その言葉には、心太朗の最近の精神的な疲れを見越した優しさが隠れていた。彼女は本当に優しい。時には、「その優しさ、どこで売ってるの?」と問いただしたくなるほどだ。

澄麗が出発した後、心太朗は一瞬孤独に襲われ、未来に対する不安が彼の心を包み込む。「これが、社会から追放された男の孤独か」と、自虐的に思う。だが、前日の心に決めた「とりあえず」精神を思い出し、少しずつ行動を起こすことにした。心も体も、なんとか回復しつつあるのだ。何もしないよりはマシだ。

「とりあえず」神社に行ってみる。神社には、独特の雰囲気があって、何かしら気持ちが落ち着く。祈りを捧げるついでに、心太朗は「とりあえず」お賽銭を投げ入れる。気持ちだけは、いつも金持ちだ。

次に、「とりあえず」チョコザップに行く。運動ができる場所として重宝しているが、運動自体は得意ではない。器具に向かって「俺は今日こそは頑張る!」と自分に言い聞かせ、苦手な運動を始める。心太朗の調子も上がってきたが、彼の運動センスは上昇しないまま。ウエイトを上げようとした瞬間、器具の位置がズレてしまい、「おっと、ここでもグダグダか」とツッコミを入れる。

帰宅後、心太朗は澄麗の優しさを思い出す。彼女はいつも「家事は私の仕事だから、気にしないで」と言うが、今の自分が無職ということを考えると、少しばかり罪悪感が湧いてくる。ただ一つ、彼女が嫌いな家事がトイレ掃除だということは知っている。ならば、少しでも彼女の負担を減らそうと、心太朗は決意した。「トイレをピカピカにして、澄麗を驚かせてやる!」

普段からトイレ掃除は少しずつやっていたので、そこまで時間はかからないと思っていた。しかし、そんな心太朗の考えは甘かった。掃除用具を持ち出して、意気揚々とトイレに向かうが、結局、トイレは彼にとっての試練だった。掃除をするにつれ、「これが本当にピカピカになるのか?」という疑念が湧いてくる。

掃除が終わり、次はベランダの掃除をすることにした。外に出てみると、床はなんだか汚れている。ゴシゴシとタオルで磨くが、これが意外と難しい。磨いたところを歩くと余計汚れるから、奥から少しずつ進めていくことが求められる。まるで人生そのものだ。「うわぁ、これが現実の厳しさか」と心の中でツッコミを入れながら、2時間ほど掃除に没頭する。

最後に洗面器に水を汲んで流すと、「これで澄麗も喜んでくれるだろうか?」と期待に胸を膨らませる。だが、普段の澄麗の頑張りと比べると、自分の努力はチリにもならない。心太朗の心の中で、優しさの天使と悪魔が言い争っている。「お前の頑張り、全然見合わねーだろ」「いやいや、こういう小さなことが大事なんだ!」

その後、心太朗は休憩を挟みつつ、手をつけていなかった2日分の日記小説を書くことにした。これで、なんとか追いつく! 心太朗の心も体も、少しずつ復活してきたのだ。今日一日を通じて、彼は自分なりに動けたことに満足感を覚える。さあ、澄麗の帰りを待つぞ。

心太朗は、ふと考えを巡らせる。自分の人生は本当にグダグダかもしれない。X(旧Twitter)のフォロワーさんたちも、休職や退職を経験している人が多い。そんな彼らも、自分のことをそう思っているかもしれない。だが、心太朗は自分の試行錯誤を振り返る。「毎日、少しでも幸せに生きようと頑張っているじゃないか」と、自分を励ます。苦労しながらも小さな方法を見つけて、それをシェアしていこうと思った。

「何があっても、心太朗は心太朗だ!」「自虐が多いのも、俺の個性だ!」と、自分にツッコミを入れつつ、彼は澄麗の帰りを心待ちにするのであった。