**無職33日目(10月3日)**
心太朗は9時に目が覚めた。夜更かしして寝たのは3時頃だったから、睡眠時間は6時間ほど。どう考えても不健康な生活リズムだが、目が覚めると不思議と気分は少しマシだった。「…まあ、気分が良いってことにしておこう」と、自分を無理やり納得させながら布団に横たわる。
最近は「早起きは三文の得とかもういいから、まずは寝かせてくれ」という境地に達し、無理に早起きをやめた結果、心の負担が軽くなった気がする。なんというか、やっと人間らしい生活になったのかもしれない。もっとも、世間的には人間扱いされてるかどうかは怪しいが。
心太朗は、布団の中でごろごろしながらスマートフォンを手に取り、X(旧Twitter)を開く。退職してから「何かしなきゃ…!」という焦りと、「…でも何もしなくても、どうせ誰も気づかないよな」という悟りの間で揺れながら、無職生活の記録をつけ始めた彼。どうせ暇なんだから、と軽い気持ちでSNSを使うようになった。最初はただの愚痴を書き連ねていたが、徐々に日記型短編小説まで投稿するように。動画や画像も試してみたものの、まさかの3日坊主で終了。「いや、継続は力なりって言うけど、力つく前に飽きるから無理だし」と開き直った。
それでも、小さな努力が次第に形を成し、心太朗は同じような境遇の仲間や、精神的に疲れた人たちとのつながりを持ち始めた。「顔も名前も知らないけど、優しい人たちばかりだなあ…」と心の中で密かに思う。SNS上でのつながりに一種の安堵を感じながら、フォロワーたちの投稿を読み進める。皆、失業や休職、うつ病などを抱えながらも、どうにか前へ進もうと奮闘している。彼らの姿勢には素直に励まされる心太朗。
彼自身も、何かに挑戦して失敗し、それでも「どうせやることないし」と言い訳しつつ続けてきた。これって意外と生きてる証なのかも、と彼はうっすらと感じていた。「自分も一人じゃないんだな…他にも同じような人がいるってだけで、なんか安心するな」と、ちょっとほっとする瞬間だ。
しかし、そんな心太朗にも気になることがあった。フォロワーの中には、どうやら、ネガティブな内容を書くのをためらう人が多いらしい。「いや、ネガティブなんて標準装備だろ?」「無職の俺たちがそんなに明るいわけないだろ!」と思うが、どうやら彼らは他人を不快にしたくないらしい。心太朗も同じだった。自分の憂鬱な気持ちを書いて、誰かに「また暗い話かよ」って思われるんじゃないかとビクビクしてしまう。
でも、心太朗が救われるのは、むしろそうしたネガティブな投稿にこそだった。皆が自分の心の中を正直に吐き出している姿に共感し、孤独感が薄れていく。そんな彼らが少しでも前に進もうと奮闘している姿に、心太朗もまた元気をもらう。「俺もいつかは進むんだ…いや、いつかっていうか、今日じゃないけど」と、自分に言い聞かせるように。
「これって、俺も少しずつ社会と繋がってるのか…?」と、心太朗はぼんやり思う。退職してから続いていた孤独な日々が、SNSを通じて少しずつ彩られ始めたのだ。彼はそのつながりを大事に思い始めていた。
その様子を、妻の澄麗は静かに見守っていた。心太朗が少しずつ元気を取り戻していく様子に、「まあ、このペースなら50年くらいで完全復活するかもね」と冗談を言いつつ、彼女はそれでも彼の復活を信じていたのだった。