**無職32日目(10月2日)**
朝6時、心太朗はまだ眠りについていなかった。夜明けの光が天井をぼんやり照らし始める頃、彼はベッドの中で天井を見つめていた。まるで自分の未来がそこに書いてあるかのように……しかしもちろん、未来どころか天井にはシミひとつない。瞼がようやく重くなり、眠りに落ちたのはその直後だった。次に目が覚めたのは昼の12時。彼は「しっかり寝たな」と思いたかったが、実際には体がコンクリートブロックのように重く、背中には鉛の板でも入っているかのような鈍い痛み。そして、何よりも心の中に、冷たい海から押し寄せてくるような不安が広がっていた。
「またか……」
彼は小さく呟きながら、ベッドの中で動かずにいた。6時間眠ったはずなのに、心太朗の体はまるで一晩中充電ケーブルを忘れられたスマホのようだ。しかも充電器、接触不良気味だ。「どうしてこうも役に立たないんだろう……自分も、この体も」と、彼はぼんやりと天井を見上げ、自己嫌悪という名の重りがじわじわと心に沈んでいくのを感じる。
そのとき、台所から聞こえてくる物音が彼の意識を引き戻した。「あ、妻が動いてる。人間ってちゃんと起きて動けるんだな」と思いつつ、何とか自分も動こうと試みるが、気力はお留守。妻の澄麗が、心太朗が目を覚ましたことに気づいたのか、寝室に入ってきた。彼女はいつものように穏やかな微笑みを浮かべている。
「少しは眠れた?」
彼女の声は優しい。しかし、心太朗が口にしたのはただ一言。
「まあ、なんとか……」
「なんとか」って何だ。何とか「生きてる」って意味か?彼は自分の言葉にツッコミを入れつつも、澄麗の優しさにほんの少しだけ心が温かくなるのを感じた。彼女がいなければ、心太朗はとうの昔に自分の暗闇の中で迷子になり、「現在地不明」で検索すらできない状態に陥っていただろう。
心太朗は、仕事を辞めてからというもの、無駄に過ごす日々をどうにかしようと、新しい生活リズムを作ろうと必死だった。彼のノートには、まるで誰かがコンサル料を取って作成したかのような完璧なスケジュールが書かれている。
•6:00〜9:00:起床、歯磨き、トイレ掃除、ストレッチ、筋トレ、朝食、身支度、SNSチェック
•9:00〜12:00:昼寝、自由時間(自由時間て、昼寝じゃないのか?)
•12:00〜15:00:神社参拝、昼食、用事
•15:00〜18:00:日記・小説執筆(執筆!?最近ペン握ったっけ?)
•18:00〜21:00:買い出し、夕食、お風呂
•21:00〜24:00 : 読書
•24:00:就寝
計画は完璧に見えた。少なくともノート上では。「これなら大丈夫だ!」と、彼は何度も自分に言い聞かせた。しかし、現実はノートに書かれた文字ほど優しくはない。彼の敵は不眠症と、謎の体調不良。時折襲ってくる「起き上がれない日」のせいで、スケジュールは毎日のように崩壊。「計画通りに進まないことに失望する」という新たな項目が勝手に追加される始末だ。
「また、うまくいかなかった……」
彼はため息をつきながら、ノートをパタンと閉じた。閉じる音すら「ガッカリ感」を象徴しているようだ。計画通りに物事が進まないたびに、心太朗は自分がどんどん遠ざかっていく感覚に襲われる。どこに向かってるのかは分からないけど、とにかく遠ざかっている。
しかし、その日、彼はふと思った。
「スケジュールなんてやめたほうがいいんじゃないか?」
その瞬間、心はふっと軽くなった。「なんで今までこんな計画に縛られてたんだ?」と、急に過去の自分が他人事に思える。そもそも、スケジュールを守る自分って誰だ?どのタイムラインの自分だ?少しずつでもいいから、気の向くままに過ごしてみればいい。無理に何かを達成しようとするのではなく、少しずつ自分を取り戻す。そのほうが実現可能な「計画」なんじゃないか。
その日は特に何の予定もなかった。というか、予定なんて最初からあってないようなものだ。心太朗は、澄麗と一緒にゆっくりと時間を過ごした。気の向くままに本を読み、少し散歩をし、夕食を作る彼女を手伝った。まあ、手伝いと言っても「何か取って」と言われて食器を取ったくらいだが、自分としては大きな進歩だ。そして気づく。「あ、これでいいんだ」と。
心と体の不安定さは相変わらずだが、その中に、ほんの少しだけ余裕が生まれた気がした。心太朗は、少しずつではあるが、自分を許すことを学び始めていた。
「明日の予定? 知らん。それが予定だ!」