**無職4週目(9月22日〜9月28日)**



ある日、澄麗が言い出した。「今度、マタニティ教室があるから行こうよ。」

マタニティ教室とは、各市町村が開催する出産を控えた夫婦が集う特別な空間である。この教室では、出産に向けた準備や育児の基礎知識を学ぶためのプログラムが用意されている。

心太朗はその提案に少し戸惑った。澄麗は心太朗の体調を気遣っているようだったが、彼の心の中では「外に出る=社会との接点」という公式が成り立っていた。仕事を辞めてから、引きこもり生活が続いていたのだ。澄麗は慎重に言葉を選ぶ。「行ってみようよ。勉強や授業みたいなの、コタちゃんは好きでしょ?それに、赤ちゃんのことだし、興味もあるんじゃない?」

彼女の言葉に心太朗は少し揺れた。外出自体は面倒だが、赤ちゃんについて学ぶことには興味があった。澄麗の真剣な顔を見て、彼は教室に行く決意を固めた。どこか心の中で「お父さんになる覚悟はできてるのか?」と自問自答しながらも。

彼らが向かう保健センターの前には、「グラッツィエ」の分店があった。マタニティ教室の前に、その店に立ち寄ることにした。心太朗は「グラッツィエ」の本店で店長を務めていたが、その経験はもはや悪夢のようなものだった。長時間の労働、休日出勤、人間関係のストレス…。まるで自己啓発の逆バージョンで、「自己を壊すための12ステップ」とでも名付けてやりたい気分だった。

それでも、分店には愛着があった。本店に配属される前の一年半、ここで修行していたのだ。本店とは違い、スタッフは真面目で明るく、誰もが協力的だった。おかげで仕事は楽しかった。こんな環境を求めていたのに、なぜ本店で自ら墓穴を掘ったのか。

佐藤という人物は心太朗の師でもあった。52歳の彼は、中学卒業からこの業界で生き残り、キャリアを積んできた。が、40歳で胃がんにかかり、完治後に「グラッツィエ」にやってきた。彼はまるで「経験者は語る」って感じの広告塔だった。心太朗はその背中を見て、調理や数字、仕事に対する姿勢を学んだ。たまに一緒に飲みに行くと、10歳以上歳下の心太朗だが、いつも多めに支払っていた。財布に数百円しか入っていない佐藤の見栄を張らない姿も愛おしかった。授業料だと思い気持ちよく支払っていた。

退職後、まだ佐藤に会っていなかった心太朗は、分店に寄ってみることにした。しかし、佐藤は休みだった。運命の悪戯だ。「ああ、こんなもんか」と思いながら、代わりに他のスタッフたちが温かく迎えてくれた。彼らといろいろな話をしているうちに、心太朗は「やっぱり、この店は好きだな」と思い直す。

最後に、佐藤によろしくとお土産を渡し、マタニティ教室へと向かった。教室に入ると、周りの妊婦さんたちの「赤ちゃんへの愛」が充満していた。心太朗はその空気に呑まれていた。

平日だし、父親たちの参加は少ないだろうと思っていた心太朗。しかし、教室に入ると意外にも父親たちがぞろぞろと集まっていた。今日は沐浴の授業があるとのこと。

沐浴とは、生まれたばかりの赤ちゃんをお風呂に入れる特別な儀式で、親子の絆を深める大切な時間である。温度37〜38℃に調整されたお湯に赤ちゃんを優しく入れ、洗浄剤で丁寧に体を洗う。特にシワや折れ目を優しく触れながら、赤ちゃんの肌が清らかさを取り戻していく。すすぎ終わったら、柔らかなタオルで包み込み、丁寧に水分を拭き取る。沐浴後のリラックスした表情は、親にとって最高の喜びとなり、この時間は親子の愛情を深める特別な瞬間なのだ。

実際に沐浴を始めると、心太朗は昔、甥を洗った経験がよみがえり、スムーズに進める一方で、澄麗は初めてで戸惑っていた。赤ちゃんを優しく抱きかかえて、そっと洗面器に入れると…あれ?どうやって支えたらいいの?と心の中でパニックに陥った。澄麗が「こ、こんな感じ?」とガーゼを持って必死に赤ちゃんの顔を拭く姿に、「それじゃあ赤ちゃん窒息するよ!」とツッコミたくなる。

その後のまさかの交流タイムでは、心太朗は人見知り全開だった。アタフタしていると、澄麗が明るい性格で他のお母さんたちとすぐに打ち解けていく。あれ?僕も父親なのに、まるで親が子供の友達に挨拶しに来たかのような気分だった。

澄麗は他の参加者たちと妊娠中の悩みや喜びを語り合う中、心太朗はそれを見守るばかりだった。「赤ちゃんが生まれたら、もっと大変だよね」とつぶやくと、「こんな夫だから君が大変だよ!」と心の中で自虐的にツッコミを入れてみる。

そんなこんなで、知らない知識を得ることができた有意義な日となり、心太朗と澄麗はますます生まれてくる赤ちゃんに会うのが楽しみになったが、育児の洗礼が待っていると思うと、「さあ、これからが本番だ!」と自分に言い聞かせるしかなかった。