心臓が、ドクンドクンと低い声で叫び続けている。
 僕を見るサヤカの目が、脳裏に焼き付いて離れない。まるで「他人」を見るような目だった。
 彼女の部屋に上がったときは普通に接してくれたのに。「またね」と笑顔を向けてくれたのに。

 家の近くの公園に辿り着いた。僕はベンチに腰かけ、この状況を整理しようとした。
 けれど、考えても簡単には答えが出ない。
 サヤカの瞳の色を思い出す──たしかに、濃い海色に変化していた。いままでは綺麗な水色だったのに。今日になって、青色に近づいていた。
 なんらかのきっかけがあって、僕を忘れてしまったのか。彼女の死期が遠のいた、ということにもなるのか……?
 そもそも彼女の余命がいつだったのか、僕は知らない。
 サヤカはどこまで記憶を失ってしまったのか。アルバイトは普通にしていたし、その記憶は残っているはず。
 学校については?
 朝のホームルームで、担任がサヤカは休みと言っていた。
 ということは、サヤカはちゃんと学校に欠席の連絡をしたんだろう。だとすれば学校のことは忘れていない。
 友だちやクラスメイトのことはどうなんだ?
 ああ、考えれば考えるほど疑問が湧き出てくる。
 サヤカが僕の存在を忘れていたとして、連絡先を見て違和感を覚えるのではないだろうか。
 僕たちはこれまで、何度もメッセージのやり取りをしている。通話記録だって残っているだろう。履歴には、若宮ショウジの名前があるはずだ。
 クラスメイトたちだって、僕たちがよく話していたのを知っている。僕らの関係性を誰かしらの口からサヤカに伝えられる可能性だってあるんだ。
 サヤカ自身が忘れていたとしても、僕が同じクラスの幼なじみだってことに遅からず気づくんじゃないか?
 あんなに元気そうに働いていたんだ。明日はきっと学校に来るに違いない。そのときに、話しかけよう。
 もどかしさが募るが、いまはなにもできない。焦らず、落ち着いてこの状況を乗り越えるしかない……。
 奇病とは、なんて面倒な病気なんだろう。命に関わるだけじゃなく、身近な人を忘れてしまうなんて。
 無意気のうちに大きなため息が漏れた。

 そんなさなか、背後から足音が聞こえてきた。人の気配を感じ、僕はふと後ろを振り返る──
 目の前にいた人物を目にして、僕は思わず顔をしかめた。

「……母さん」

 母さんは僕を見て、固まっていた。大きく口を開けて、震えながらこちらに駆け寄ってきた。

「ショウジ!」
 
 ずいぶんと慌てた様子。僕は思わず身を引いてしまう。
 母さんは、落ち着かない様子で僕の腕を掴むと、震えた声になった。

「大丈夫なの!?」
「なにが?」
「目が……目が、水色になってるじゃないの!」
「ああ」

 そうだったな。
 立て続けに色んなことが起きすぎて、いま自分の置かれている状況を忘れかけていた。

「病院に行くわよ!」
「は? いまから?」
「そうよ! 白鳥先生に診てもらわないと……!」
「そんなに焦る必要なんてないだろ」
「なに暢気なこと言ってるの! だってあなたは……!」

 と、母さんはそこで中途半端に口を噤んだ。
 まさか、この期に及んで事実を言わないつもりか。
 僕はもう、知ってるんだよ。死ぬんだろ? わかってるよ。それくらい。

「白々しいよな、母さんは」
「……え?」
「隠したって無駄だ。僕、聞いたんだ。事故のことも、奇病のことも」
「そんな……まさか、サヤカちゃんから聞いたの!?」
「そうだよ。サヤカからもコハルからも。色々聞いた。過去を思い出すと、僕は死ぬんだろ? 瞳の色が薄くなるほど、死期が近くなるんだよな」

 まるで他人事のように、僕はそう言い放った。内心、すごく怖いのに。死にたくないって思ってるのに。
 僕の感情は、ぐちゃぐちゃだった。

 母さんはこんな僕を見て、顔を真っ赤にする。

「……だから、あの子と近づけたくなかったのよ……!」

 語気を強くして、母さんは乱暴に言葉を放つ。

「いつかこうなると思ったのよ……! あなたを守りたいから、忠告もしたのに……! サヤカちゃんと離すために、わざわざ引っ越しもしたの……! なのに、なんで同じ高校になってしまったの……!? どうしてサヤカちゃんは、ショウジに近づいたのよ……!!」

 母さんは嘆き、その場に座り込んだ。
 そんな母さんの姿を見て、僕は胸が痛くなる。どれだけ必死に僕を守ろうとしていたのか、理解したくなくても気持ちが伝わってきてしまうから。
 やっぱり僕は、サヤカと再会しない方がよかったのか。いますぐにでも、彼女のことを忘れた方がいいのだろうか。