女子の家に上がるのは、これが初めてだったりする。しかも、彼女の両親は不在のようだ。改めて考えると、とんでもない状況だ。
 彼女に誘われ家に帰りたくなかった僕は、強くなっていく雨に逃れるため部屋に来てしまった。
 そう。雨宿りをするために一時的に避難しただけだ。胸中で、僕は自分に対して無意味な言い訳をする。

 室内は甘い香りがして、猫や可愛らしいキャラクターの小物があちこちに飾られている。よく片づけられた部屋の片隅で、僕はサヤカと向かい合ってクッションに座った。
 緊張のあまり肩に力が入り、正座をしても痺れを感じない。僕を眺めるサヤカは、不思議そうな顔をしている。
 彼女の膝の上には、目をとろんとさせてリラックスするろこの姿もあった。
 
 落ち着け、落ち着くんだ。いまは変に緊張している場合じゃないんだ。
 深呼吸をひとつ、ふたつ。とにかく、これからゆっくりと大事な話をしよう。

「ねえ、ショウくん」

 と、先に口を開いたのはサヤカだった。

「一緒に、答えを出してくれない?」
「答えって?」
「私たちの、未来を決める答えだよ」
「は……?」

 やっぱり、わからない。
 疑問符だらけの頭で考えたって、余計にこんがらがるだけ。だったら、彼女の話を最後まできちんと聞いてみるべきだ。

「さっきも言った通り、ショウくんは『私たち』との記憶を思い出すと死んじゃう可能性があるの」
「どういうことだ?」
「……どこまで言っていいかわからないんだけど……。ショウくんは、大きな病気を抱えてるの」
「病気? なんの?」

 僕は、幼い頃身体が弱かった。でもそれは、治療をしたおかげでだいぶよくなったはずだ。いまでも白鳥先生に定期的に診てもらう必要はあるし、頭痛に苦しめられているけれど。「大きな病気」と言われると、あまりしっくり来ない。
 そんな僕の疑問に答えるように、サヤカは言いづらそうに説明した。

「あの、ね……難しい病気なの。『奇病』っていうんだけど、知ってるよね……?」
「……え?」

 言葉が出てこなかった。
 奇病だと? サヤカは僕が奇病を患ってると、そう言ったのか?

「奇病は謎が多い病気。症状も人それぞれだし、治せるかもわからない。ショウくんの場合はね、事故に遭ったことがきっかけで奇病になったって言われてるんだよ」
「事故? 僕が?」
「小学生のとき、トラックに轢かれたの。ショウくんは、覚えてないよね」
「……覚えてない」
「私も事故の記憶はあんまりなくて。白鳥先生から聞いて知った話も多いかな」

 その名を聞いて、僕は息を呑んだ。サヤカの口から出る「白鳥先生」の名は、あまりにも不自然だ。

「なんで、サヤカは白鳥先生を知ってるんだ?」
「……だって。私も、先生にお世話になってるから」
「なんだって?」
「白鳥先生言ってたの。ショウくんの記憶が失われたのは、事故時のショックが原因の可能性もあるけど奇病も関係してるかもしれないって」

 彼女の口から語られる言葉の数々は、受け容れがたい内容の連続だった。
 それでも、僕はこのモヤモヤを消し去りたくてどうしようもなかった。

「なあ、サヤカ」
「うん?」
「僕とサヤカの過去を、全部教えてほしい」

 僕が懇願すると、サヤカの表情が曇った。うつむき加減で、ろこの頭を優しく撫でた。
 この暗い雰囲気を気にも留めず、ろこは気持ち良さそうに喉をゴロゴロと鳴らしている。

「簡単な話じゃないよ」
「なんでだよ?」
「さっきも伝えたでしょ。万が一ショウくんが過去の記憶を取り戻しちゃったら……死ぬかもしれないんだよ?」
「僕が死ぬなんて。こんなに元気なのに? たまに頭痛はするけど、それ以外は問題ないんだぞ」
「でも。それでも、ショウくんは奇病に罹ってる。無理をすると、ストレスで脳が萎縮しちゃう。命に関わるの。奇病は治せないんだよ。怖い病気なんだよ!」

 サヤカは顔を真っ赤にして、涙声で訴えてきた。肩で息をするほど乱れている。
 彼女の異変を察したのか、ろこが目を見開いて弱々しい声で鳴いた。「ごめんね、ろこ。なんでもないよ」とサヤカは言うが、その声は震えている。