最近の校内では専ら期末テストと夏休みの予定で学生たちの話題はもちきりだ。
勿論冬夜は期末テストのことしか頭にない。
自身の勉強もそうだが、春斗の成績が気がかりだったため、各教科のテスト範囲を確認しながら問題用紙の作成に励んでいた。
期末テストが近づくと各教室が解放されるため、そこからあまり人気のない教室を選び春斗と待ち合わせの約束をする。
放課後、待ち合わせの教室の扉を開けると既に春斗は待っており、冬夜に顔を向けると「よ!」と手を挙げ軽く挨拶する。
その顔を見て冬夜は自ずと口元が緩む。
「持たせてしまってすまないな」
「俺もいま来たとこー」
謝罪に春斗は軽い返事をする。
冬夜が前の席に腰掛けるのを春斗は頬杖を突きながら目で追い、独り言のように零す。
「夏休み楽しみだけど、冬夜とはあんまり会えなくなるなー」
春斗の意識は目先のテストより既に後の楽しみに向いている。
席に腰掛けた冬夜は姿勢を正すと、自身の鞄からクリアファイルを取り出し、自作した問題用紙を抜き取ると春斗へと差し出す。
「安心してくれ。夏休みも勉強会はしっかり開催する予定だ」
「それはそれは。嬉しいんだか悲しいんだか……。あ、でも俺夏休みはバイトするから、決まるまで予定いれるの待ってくれねぇ?」
差し出された問題用紙を受け取った春斗はさーっと目を通し、すぐ解けそうな問題を探す。
そんな春斗の予期せぬ発言に冬夜は一拍置いてから聞き返す。
「バイトするのか?」
「ああ。携帯代とお小遣い分は自分で稼げって母親から言われてるからさー。でも働きすぎても扶養?から外れるからほどほどにってさ。冬夜はバイトしないの?」
「僕は塾の夏期講習があるからな。学業優先だ」
「俺はバイトで冬夜は塾かー。予定合うかなー?」
片手で頭を掻きながら問題用紙とにらめっこする春斗。
ふいに言われた言葉の意味が気になった冬夜は心がソワソワし始める。
口元に手を当てこほんと咳払いし、冬夜はチラチラと春斗の様子を窺いながらも、なんともないように問いかけを口にする。
「春斗は僕と会えないのは寂しかったりするのか?」
「うん」
目線は問題用紙に向けたままであったが、春斗は即答し頷いた。
ほわっと胸が温かくなるのを冬夜は感じたが、それが悟られないようにもう一度咳払いをする。
平常心、平常心と心を落ち着かせた。
「なら期末テストは頑張らないとな」
「あー。夏休みの補習な。午前中だけでも潰れるの嫌だしなー」
これ以上予定が埋まるのは勘弁、と苦々しく顔を歪める春斗。
その姿を見て冬夜は可笑しくなりふっと笑い、春斗の持っている問題用紙を渡すよう促すとヒントを出しながら彼が解いていくのを見守った。
そうして放課後の勉強会を重ね、期末テストは二人とも満足のいく結果であり、気兼ねなく夏休みに思いを馳せた。
夏休みに入り、冬夜は夏期講習、春斗はバイトに勤しむ。
1週間が過ぎ、久々の逢瀬は春斗の夏休みの宿題が進んでないということで図書館での勉強会となった。
駅で合流し、春斗が「ほんと、俺等って清く正しい交際してるなー」とボヤけば冬夜が「素晴らしいことだ」と満足気に頷く。図書館行きの停留所まで着くと日陰に入り次のバスを待つ。
「バイトはどうだ?」
「覚えること多いけどなんとかやってけてるよ。多分夏休み明けてからも続けるかも」
「勉強は大丈夫か?」
「まあ、毎日入るわけじゃないから、冬夜と勉強会すればなんとか?」
首を傾げる春斗に、冬夜は呆れつつも不安げな眼差しを向ける。
何かを言おうか迷っていると、丁度バスが到着したため会話は途切れ二人はバスに乗り込んだ。
バスに乗っている間は特に会話することなく10分ほどで図書館前に到着し降車する。
「8月に神社の夏祭りあるじゃん?」
降りたと同時に春斗は冬夜に話を切り出す。
地元の祭りの一つで花火も打ち上がるので規模としては大きいものだ。
図書館への歩みを進めながら冬夜は相槌を打つ。
「ああ」
「一緒に行かね?」
さらりと誘われ、冬夜はピタリと足を止める。
春斗もそれに倣い歩みを止める。
「夏祭りデートしようぜ」
固まっている冬夜ににっと春斗は笑って、はっきりとその誘いの目的を口にした。
呆気にとられている冬夜の返事を春斗は期待に満ちた表情で静かに待つ。
「そ」
「そ?」
ようやく口を開いた冬夜の一言一句を聞き逃さないために春斗は耳に手を添え、耳を傾ける。
「そんなのデートじゃないか……!」
「うん。だからデートしようぜって誘ってるんだけど」
驚愕する冬夜に春斗は冷静にツッコミを入れる。
しかし、冬夜の耳には入っていなかった。
何故今、勉強する前に誘ったんだと、そんな事を急に言われたらそのことばかりを考えてしまうだろうと、脳内は既にお祭り状態だ。
「折角付き合って初めての夏休みだし、なんか夏っぽいことしたいなーって思ってさ」
頭を抱える冬夜に構うことなく春斗は自分の意見を包み隠さず話す。
冬夜としてはこうして夏休みに図書館に2人で赴くことも夏休みデートしているなぁと感じていたのだが、まさかそれ以上を提案されるとは思っておらず、心の準備が出来ていなかった。
「あ。もしかして塾があったりする?」
「あるが……19時の待ち合わせなら問題ない」
とはいえ、断る理由もない。
多少無理してでも行く気満々だ。
冬夜の返事に春斗はほっとする。
「じゃあまた日にちが近くなったら予定とか立てようぜ」
「あ、ああ。……た、楽しみだ」
「俺も楽しみ」
気恥ずかしさを抑えながら頑張って冬夜が気持ちを口にすると、春斗は笑顔でそれに応えた。
「うわー、すっげー人混みだな」
「まさかここまで賑わってるとは……」
祭りの会場にたどり着けば、出店で囲まれている道は人で埋め尽くされ、人の流れを一歩でも間違えれば途端に飲み込まれるほど行き交っていた。
神社の本堂までを目的とするなら辿りつくのに時間を要するであろう。
交通機関も混んでいたことからそれなりに覚悟をしていた二人であったが想像以上の光景に圧倒される。
「気を少しでも緩めれば一巻の終わりと言っても過言ではなさそうだ」
「まあ合流するの大変そうではあるな」
顎に手を添えながら人混みを眺め、真剣な眼差しで言い切る冬夜。
大げさな物言いではあるが、大まかな意見に同意は出来るので春斗は頷いた。
お祭りデートではあるが、二人の装いはラフなもので動きやすい格好をしている。
「こんだけ人が多いとはぐれそうだし、さすがに手繋ぐか」
ふいの提案に冬夜は肩をビクリと震わせギギギと効果音が鳴りそうなくらいぎこちなく顔を春斗に向ける。
春斗は人混みを物珍しそうに眺め続けている。
「(確かに、この状況で手を繋ぐ行為は合理的ではあるが……しかし、誰かに見られて……も不味いということもないな。付き合っているのだし。ただ、健全なお付き合いをしている身としては、やはり許さざるべき、か?)」
その場でしゃがみ込みうんうん唸りだす冬夜を春斗は横目でちらりと確認する。
また難しいこと考えてんだろうなとやや呆れつつも、それが冬夜という男なのだとなんとなく理解してきていた。
断られるのも念頭に入れつつ、待っていれば冬夜はすくっと立ち上がった。
「い、致し方なく、繋ぐんだからな」
「はいはい」
ツンデレな冬夜を春斗は軽くあしらう。
春斗の差し出された手を目にした冬夜は生唾を飲み込み、緊張した面持ちでぎこちなく自身の手を近づける。
指先が触れ合いびくりと手が一瞬引くも、ゆっくりと春斗の手を掴んだ。
手を握ると春斗の熱を感じ、冬夜の胸が弾む。
羞恥が先に立つかと思っていたが、春斗と手を繋げたことは冬夜にとって想像以上に感極まることであった。
どきどきと胸が高鳴り、冬夜はニヤけそうになる表情を必死に抑えていた。
春斗はというと、繋いだ手をじっと見つめていた。
「じゃあ行こうぜ」
「あ、ああ」
にかっと笑いかけられ、冬夜ははにかみそうになりながら頷いた。
春斗が先導して出店の並ぶ道を歩く。
歩幅は制限され、窮屈な思いをしているというのに苦とは思わないのは繋がれている手にしか意識が向いてないからだろう。
冬夜は他のものには目もくれず繋いだ手を穏やかな気持ちで見つめていた。
「お!あっちに金魚すくいがある!行こうぜ!」
「ああ」
春斗の誘いに頷くと、手を引かれるまま冬夜は足を動かした。
金魚すくいをしたいのかと推測したが、金魚すくいの出店を覗いたと思えば春斗の興味はすぐに他を向いた。
「あっちには型抜き!そっちにはヨーヨーすくいもあるぞ!」
店を覗いては次の店へと向かい始める春斗に冬夜は戸惑いながらも足を動かしていたが、目的もなく歩き回る春斗に段々とイライラが募り始める。
10件目で冬夜はとうとう堪忍袋の緒が切れ、繋いでいる手を振りほどき春斗に詰め寄り、凄む。
「さっきから僕が何も言わないことを良いことに好き勝手歩き過ぎじゃないか!?」
「やー。ごめんごめん。冬夜と手繋いでると思うと嬉しくてつい調子乗っちゃってさ」
片手で自身の首を撫でながら楽しそうに笑って弁明する春斗。
謝ってるわりには悪びれている様子がない。
しかし、冬夜は嬉しくて、という言葉にピクリと反応する。
何も言わない冬夜に春斗は言葉を続ける。
「でも冬夜と手繋いだら幸せな気持ちになれるなんて大発見じゃね?」
屈託のない笑顔でそんな事を言い切られてしまえば冬夜は堪らなくなる。
怒っていた気持ちが風船から空気が抜けるように萎んでいく。
そして、代わりに湧いて出たのは照れであった。
口が緩みそうになるのをぐっと堪えたが抑えきれず、春斗から顔を背ける。
そして、数秒。
冬夜はおずおずと手だけを春斗に差し出した。
それを見た春斗はきょとんとする。
「ほら、手を繋ぐんだろ」
「振り回してもいいってこと?」
「今日だけだからな!あと、思いつきで歩き回るな!疲れる!」
「わかったわかった。ありがとな」
ふっと春斗は笑うと冬夜の手に自分の手を重ねる。
再び握られた手を冬夜は静かに握り返した。
それから先ほどとは打って変わって春斗は目についたものに飛びつかなくなり、のんびり歩き始める。
「腹減ったから何か食べねぇ?」
「そうだな」
二人は近くにあったたこ焼きの出店に立ち寄る。
香ばしい香りが食欲をそそるが、太い文字で書かれている値札を見て、春斗は目を見張り思わず小さく悲鳴をあげる。
「出店の食べ物たけぇー。たこ焼き2つ買ったら1時間分の給料一瞬で吹き飛ぶな」
「働いてる者のお金に対する重みは違うな」
「ほんとほんと。働き始めてからお金の大切さを理解できたよ」
春斗はため息を吐いて肩を竦めた。
冬夜は自分が経験していないことを春斗は先に学んでいるのだな、と少し尊敬の目を向ける。
うーんと値札とにらめっこする春斗は悩んだあと、冬夜に相談を持ちかけた。
「出店で売ってるのはシェアで食べて、足りなかったらコンビニでなんか買わね?」
「ああ。そうしよう。そちらの方が学生らしいし、シェアするのも楽しそうでいいな」
「じゃあ決まりだな」
それからたこ焼き、焼きそばと何種類か買い揃え、出店の道から外れると飲食をしている人たちが集まっている一角に行き、購入した食べ物を各々手に取る。
春斗は焼きそばのパックの蓋を開けようとして、何かを思いつき顔を上げた。
「そうだ。折角だし写真撮ろうぜ」
「し、写真か。まあ、構わないが……」
手を繋いだり、写真を撮ったりとやけに恋人らしいことが続いているが夏の暑さと祭りの熱気のせいで感覚が麻痺して受け入れやすくなっているのだろう。
冬夜はすんなり承諾した。
春斗はスマホを取り出すと内カメラにし、画面内に2人が収まるのを確認すると「はい、チーズ」と掛け声をする。
冬夜は自身の体が少し身構えたのを感じた。
春斗の指が画面に触れるとパシャシャシャと何度もシャッター切る音が響いた。冬夜の目が点になる。
「今、連射になってなかったか?」
「……ぷっ。あっはっは!冬夜とのツーショットたくさん撮れたな!」
指摘に、春斗は噴き出した途端、腹を抱えて可笑しそうに笑い出した。
冬夜はますます頭にクエスチョンマークが飛び交う。
「今のは冗談なのか?それとも本気で間違ったのか?」
「なんかどっちでもいいくらいに面白かったな!」
「どっちなんだ?気になってしょうがないんだが……」
笑いながら春斗は撮った画像を確認する。
少し表情の固い冬夜が写ってるのを目にすると、春斗はカメラを再び起動させ、未だに詰め寄ってくる冬夜へとレンズを構え撮影した。
急なことで驚く冬夜だったが、再び春斗がレンズを向けて自身を撮ったことでぴくりと片眉が吊り上がった。
不躾に写真を撮られていると理解すると冬夜も負けじとスマホを取り出し、春斗を撮り始める。
「そちらがその気なら僕だって相応の仕返しをさせてもらうからな」
冬夜なりの宣戦布告であった。
それを聞いた春斗はスマホを構えながら悪戯な笑みを浮かべてひらひらと片手を振った。
「今、動画になってるぞー」
「んな!汚いぞ!」
途中から春斗のカメラ設定が動画に切り替わっていることを知らされた冬夜はそれをやめさせようと手を伸ばすが春斗はひらりとそれを躱す。
その攻防はしばらく続くが、春斗の腹の音が鳴ったところでようやく終りを迎えた。
「あー。ふざけてたら本格的にお腹すいたぜー」
「……本当に。こんなに空腹になったのは久々かもしれない」
二人はスマホを懐に戻し、改めて買ってきた食べ物へと手を付け始めた。
口にした食べ物の感想をいいつつ、半分食べたところで互いに交換する。
男同士ということもあり、やはり量が足りないので二人はコンビニへと向かう。
皆考えていることは一緒なのか、ほとんど品薄状態だった。
余り物は普段は買わないような物ばかりだったがこの際腹に入ればなんでも良かった二人は適当に籠に入れ、会計を済ませた。
コンビニを出てすぐに買ったパンを頬張る。
「さっき撮った画像送っとくなー」
「ああ。ありがとう」
春斗は片手でスマホを操作する。一拍置いて冬夜のスマホの通知が鳴る。
確認すれば二人で撮った画像と冬夜のみが写っている画像、そして動画が送られてきていた。
「……僕の画像と動画は消去しておいてくれ」
「わかったわかった」
軽い返事をした春斗はスマホを懐に仕舞った。
どう考えても消去する動作をしていない。
冬夜は疑いの目を春斗へと向ける。
「消していないよな?」
「家に帰ってから消すよ」
「本当に消すんだな?」
「……」
目を泳がせる春斗に冬夜は顔をしかめる。
そのまま時が過ぎるのを待つが、無言の圧に耐えられなくなった春斗は肩を落とし、観念するように自分の気持ちを吐露する。
「だって、折角撮ったんだぜ。勿体ないだろ」
「こっちは不意打ちを撮られたんだ。変な顔をしている画像を所持されているのを面白くないと思うのは当然の感情だろう?」
「大丈夫大丈夫。しっかりカッコよく撮れてたって」
「……送られてきた画像は間の抜けた顔をしていたが?」
「冬夜はどんな顔をしててもカッコいいよ」
「そんな言葉で誤魔化されると思っているのか」
キラキラした眼差しを向ける春斗。
そんな言葉に絆されることなく冬夜は春斗の腕を掴もうとしたが、危険を察知した春斗はひらりと逃げる。
スマホ争奪戦第ニラウンドの開始であった。
運動神経のいい春斗に翻弄されつつも冬夜は負けじと頑張り続ける。
祭りそっちのけで追いかけっこのようなことをしていれば、体に響き渡るようなドンという音が鳴ると共に空が明るくなる。
春斗ははっとし、動きが止まっている冬夜の手を強引に掴むと「行こうぜ」と花火が見える位置まで引っ張り歩く。
勝負はまだ終わっていなかったが、有無を言わせないような力強さに冬夜は一時休戦ということで手を打った。
花火に魅了され立ち尽くしている人混みに紛れ、二人も並んで空を見上げる。
色とりどりの花火が打ち上がる様を、無言で鑑賞する。
花火が打ち終わると、立ち尽くしていた人々が徐々に動き始める。しかし、春斗は空を見上げたまま動こうとしなかった。
冬夜は不思議に思い、春斗の顔を見れば彼の口が開く。
「来年もまた来ような」
春斗が何気なく言った言葉を耳にした冬夜は息を呑んだ。
春斗の中で当然のように来年も自分は一緒にいるのだと伝えてくれているようで、嬉しくなり口元が緩む。
「ああ。来年も一緒に、な」
穏やかな気持ちで冬夜が応えると、春斗は冬夜に顔を向け口角を上げた。
夏祭りから帰宅後、冬夜は風呂を済ませ自室へと戻るとベッドに腰掛けた。
数時間のデートであったが、やけに濃い体験をしたような、だけどとても充実した時間だったと冬夜は今日あったことに思いを馳せた。
ぽわぽわと浮かれつつもスマホに目をやればある事を思い出し、慌てて春斗に文章で連絡を取る。
『そういえば画像は消したのか?』
花火が打ち上がったことで有耶無耶にされていた件がどうなったのかを問えば、数分経ってから春斗から返事が返ってくる。
『覚えてたか笑』
「(こ、こいつ……どさくさに紛れて〜っ)」
少しの憤りを感じた冬夜だったが、深呼吸し心を落ち着かせ改めて画像を見直すことにする。
不意打ちで撮られた画像はやはり間の抜けた顔で、嫌気が差したが動画を観ていなかったことに気づく。
再生を押してみれば、スマホを取り出している自分の姿が映り始める。
「(ついムキになってしまったな……)」
子どものように対抗意識を燃やしている自分に羞恥を覚えつつも動画を観ていると無邪気に笑う春斗が映り、反射的に指が動き停止させた。
指でその場面まで戻すと冬夜はじっとそれに目を落とす。
冬夜から逃れようとスマホを動かしたときにたまたま撮れたのだろう。
春斗のその顔を眺めていれば冬夜はなんだか全てのことがどうでも良くなってきていた。
「……」
瞳を閉じて冬夜は自身と葛藤するが、やはり春斗のたまたま映った笑顔が頭から離れず、誘惑に負けた。
春斗にメッセージを送る。
『やっぱり消さなくていい』
『え?いいの?』
『ああ』
『やりー!ありがとな!』
文字とともに感謝のスタンプが送られたのを既読すると、冬夜は画像フォルダを開いた。
指で操作し、スマホを構えている春斗の画像を表示する。
無言で見つめてから画面を消すと、自然と笑みがこぼれた。
「(写真も悪くないな)」
そっとそう思い、スマホを枕の横に置くと冬夜は寝床に入った。
姉は新しい推しが出来るとマスコット人形を自主制作し、お手製の祭壇に飾り、それを自慢げに冬夜にみせるまでが一連の流れであった。
冬夜としては全く興味はないが、姉弟としての義務として付き合ってあげていた。
今回もテンションの高い姉に呼び出され、部屋に入ると祭壇を自慢げに見せられ推しの良いところを長々と説明される。
そんな話を聞き流していれば、冬夜は姉の机の上に広がっている布が目についた。
「余った布は何かに使うのか?」
「特に使わないけど、使いたいなら持ってっていいわよ」
姉にそう言われた冬夜は遠慮なく布を部屋へと持ち帰る。
机に座ると、ルーズリーフを机から取り出し、そこにシャープペンシルで図形を書き込んでいく。
作りたい寸法の数字も書き出し、綿密に計画を立てたあとに裁縫道具を取り出す。
先程貰った布に定規をあてチャコペンで印をつけて裁ちばさみで切り取る。数時間かけてそれはようやく完成する。
「できた」
小さく呟かれた声音は弾んでいる。
春斗の姿を模したマスコットのぬいぐるみを両手で持ち上げ、冬夜は歓喜の瞳で見つめている。
そうして見つめていれば春斗の顔が思い浮かび、冬夜は頬が緩む。
「あ、あんたそれってもしかして……」
すぐ背後から姉の声が聞こえ、冬夜は声なき悲鳴を上げた。
いつの間に部屋に入ってきたのか、姉は冬夜の手に持つマスコットを驚いた表情で見ている。
「ね、姉さん!ノックぐらいしてくれよ!」
冬夜は非難するが、心中穏やかではない。
姉に見られた、春斗の存在がバレてしまう、どくどくと心臓が脈打つ。
姉は慄いているような様子でマスコットに近づく。
「それって……機動変態ジーサンジーのサンくんじゃない!」
「(だ、誰なんだそれは!?)」
姉の口から予想だにしなかった奇妙な言葉が発せられ、冬夜は思わず心の中でツッコミを入れる。
そんな冬夜に気づいていない姉は彼からマスコットを奪い取ると天高く掲げ、それを見上げた。
「へー。まさかあんたがサンくんのファンだったとはね」
「え?あ、ああ。テレビをつけたら目について、いつの間にか、な」
心の中では「(なんなんだ機動変態って!?)」と疑問符だらけの冬夜だったがここで否定すればそれじゃあ誰なのだと追究されるのは目に見えていたため敢えてサンという男のファンを騙ることにした。
「今度私にも作ってよ」
「だ、駄目だ」
「なんでよ。ケチー」
姉はサンとかいうキャラと勘違いしているようだが、冬夜にとってそのマスコットは春斗であり、それが人の手にわたるのは以ての外だった。
姉を部屋から追い出し、冬夜は改めてマスコットを眺めていた。
翌日、鞄にマスコットを忍ばせ学校へ登校する。
鞄の中に春斗がいるのだと思えば冬夜の胸は弾んでいた。
しかし、これだけ上手に出来たのであれば春斗本人にも見せたいという欲求が生まれた。
どうすれば自然に彼の目にとまるのか。冬夜は授業中そればかり考えていた。
昼食時にポケットにマスコットを忍ばせ、そのまま春斗と中庭へと向かった。冬夜は明らかにそわそわしていた。
春斗はそれが気になり声を掛ける。
「どうした?トイレか?我慢は体に良くないぞ」
「だ、大丈夫だ。ただお腹が空いてるだけだ」
「あー。昼までが長いもんなぁ」
わかるー。と春斗は同意する。
そんな彼に適当に相槌をし、冬夜はタイミングを見計らっていたが、ポケットからマスコットを取り出す良いタイミングなんて存在するはずがない。
考えた末、春斗の目が他所に向いた瞬間を狙い、冬夜は光の速さでポケットからマスコットを取り出すと春斗の前にころりとマスコットを転がした。
冬夜は「しまった。落ちてしまったか」とわざとらしい言葉を口にしながらゆっくりと拾い上げる。
「冬夜、それってもしかして……」
狙い通りに春斗に気づかれ、冬夜は顔がカッと熱くなった。
気づかれて嬉しいやら気恥ずかしいやら。しかし、そこに負の感情はない。
寧ろ彼がどんな反応をしてくれるのか冬夜は密かにわくわくしていた。
冬夜からマスコットを奪うと春斗はそれをまじまじと見つめる。
「機動変態ジーサンジーのサンくんじゃねぇか!手作りか!?」
「だから誰なんだそれは!?」
春斗が食い入るようにマスコットを凝視する姿に、冬夜は大きくツッコミを入れる。
サンくんとやらに振り回され、冬夜は機動変態を嫌いになりそうだった。
ツッコミを入れられた春斗は瞳をパチクリさせ冬夜を見る。
「違うのか?」
「違う!お前だよ!お前!」
気づいてもらうつもりが、つい自分から教えてしまい冬夜ははっと口を押さえる。
恐る恐る春斗を見ればきょとんとした表情で自身を指さし「俺?」と問う。
冬夜は口に出すのが恥ずかしくなり頬を染めながらこくこく頷いた。
「そっかー。俺だったのかー。へぇ。作ってくれたんだ」
理解し、春斗はマスコットを興味深く隅々まで観察し始める。そしてふっと笑ってマスコットを冬夜に手渡す。
「なんか可愛いな」
「か、可愛いって何に対してだよ?」
「さあ?どっちだろうなー」
からかうような口調でしらばっくれると春斗はわざとらしく冬夜から視線を逸らした。
どっちと言う言葉で冬夜かマスコットの二択になる。
冬夜のことを言っているのだとしたら一言物申したいが、自分のことを指していないのであればただの自意識過剰になってしまうので冬夜は口を噤むしかなかった。
次の日、やけに上機嫌な春斗が昼食の誘いをしてきた。
冬夜は好きなおかずでも弁当に入っているのだろうと勝手に解釈する。
中庭に着いた途端、春斗は自身の懐をゴソゴソと弄った。
「じゃーん!これなーんだ!」
春斗が懐から取り出したのはツギハギだらけの何かを模した布の塊だった。
冬夜はなんだこのゴミは?と首を傾げた。
「どうだ?」
「中庭にはゴミ箱がないから後で捨てたほうがいいぞ」
「ゴミじゃねーよ。冬夜だよ、冬夜」
にこにこしながら春斗はずいっと冬夜の目の前にマスコットを差し出す。
冬夜はゴミだと思っていたものがまさかの自分だと言われ、衝撃を受ける。
そしてまじまじと見つめる。
目のようなガタガタとした茶色い布が肌色の布の上に付いてあり見ようによっては顔に見えなくない。
肌色の布の上部には茶色の布が縫い付けてあり髪の毛のようなものに見えなくないもない。
冬夜はこれが俺……?と不服な気持ちを抱いたが、マスコットを持つ指に目がいく。
慣れない縫い物で指を刺したのか、痛々しく絆創膏が貼られている。
それに気づくと春斗の作ったゴミのようなものが光り輝くお宝のように見え始めた。
感動のあまり口元を押さえる。
「どうだ?なかなか上手く出来てるだろ?」
得意げに笑う春斗に冬夜は愛おしい気持ちが溢れて出た。
そして、昨日春斗が言っていた可愛いと言った気持ちがわかったような気がした。
感極まった感情を抑えるように口元を手で押さえてこくこくと頷いた。
「これを冬夜だと思っていつも持ち歩くよ」
「は、春斗……」
見つめ合う二人を恋人らしい空気が纏う。
冬夜は春斗もマスコットも大事にしようと心の中でそっと思った。
しかし、春斗はマスコットを雑に鞄に入れて放置していたため教科書で見るも無残に潰れるには1週間もかからなかった。
ボロボロになった冬夜だったものを「どうしよう?」と悪びれもなく春斗が見せたため冬夜は憤慨した。
「僕を雑に扱うんじゃない!お前の気持ちはその程度だったのか!?」
「やー、ごめんごめん。鞄に入れてれば安心かなって思ってたからさ。まあ、まだ冬夜っぽいし大丈夫だよな」
「どこが僕だ!こんなのゴミだゴミ!」
冬夜は春斗に怒鳴り、マスコットを奪い取った。そのまま踵を返すと立ち去った。
そして帰宅後、春斗から奪ったマスコットを机に飾ってから手芸屋で買った布を取り出しせっせと作業し、自分の形を模したマスコットを完成させ次の日春斗に手渡した。
「次こそは大事にしろよ」
「なんか悪いね。次はポケットに入れとくわ」
「今度こそ、大事にしろよ!」
口酸っぱく念押しする冬夜に春斗は「はいはい」とマイペースを崩さず返事する。
「そういや、俺のマスコット捨ててくれた?」
「……さ、さあな」
追求されるのを恐れた冬夜はぷいっとそっぽ向く。
それを見た春斗は捨ててないのかと察し、ふと笑った。
「可愛いな」
「? 何がだ?」
「俺のマスコットが可愛いなーってな」
にやーっと笑って春斗はマスコットを自身の頬にくっつけ冬夜に見せつけた。
満足気に笑う春斗に冬夜は口元を緩めた。
「僕が作ったんだから当然だ」
「さっすが俺恋人様だ」
腕を組み誇った口調で言い放つ冬夜に春斗は軽口を叩いた。