「義法」
二階から降りてくる彼に、私は声をかける。義法は気むずかしげに、眼鏡を押し上げた。その仕草が小学生三年生の時と変わらなくて、私は少しだけ安堵のため息をつく。その動作で、私のボブカットが揺れた。
深緑色のブレザーを着た彼は、私から視線を左へずらすと、少しだけ目を細める。
「……寿史も来てたのか」
「先生の葬儀だからね」
そう言って、義法と同じ檸檬月高等学校(ねいもうづきこうとうがっこう)の制服、深緑色のブレザーを着た東武 寿史(とうぶ ひさし)が柔らかく笑う。少し茶色がかった髪を揺らしながら、寿史は周りを一瞥した。
「あの夏を経験した僕たちの中に、今日ここに来ない人なんていないよ。紫帆も、そう思うだろ?」
「まー、そーだねー」
そう言って杉崎 紫帆(すぎさき しほ)が笑った。朱冨澤高等学校(あけとみざわこうとうがっこう)の制服である濃い赤紫色のブレザーを着崩した紫帆が、自分のポニーテールを右手で触って揺らす。髪が軽薄に揺れ、短すぎるスカートも一緒に揺れて、彼女の口が三日月型になった。
「でも皆と会うの、中学卒業以来なのに、なんだか久々だねー。よっしーとひさは同じがっこーで、しずーとしおしおも同じ学校なんだっけー?」
紫帆が私たちの事を、昔のあだ名で呼んだ。高校生にもなって小学生の時のあだ名で呼ばれるのは、なんだかこう、むず痒い気持ちになる。
「……え? え、あ、え、あ! そ、そうそう! 私今、静花ちゃんと一緒に石竹商に通ってるんだっ!」
ワンテンポ遅れて、賀勢 しおり(かせい しおり)はスマホから顔を上げる。しおりの言った通り、私たち二人は石竹商業高等学校(せきちくしょうぎょうこうとうがっこう)に通っている同級生だ。しおりは手にしたスマホが気になるのか、チラチラと視線をそちらへ向ける。その度に、ツインテールと、セーラー服の上からでもわかる膨らみが揺れた。
しおりと同じセーラー服に身を包む私は、残りの一人に視線を向ける。
「剛士は、天燈工だっけ?」
「……ああ」
天燈工業高等学校(てんとうこうぎょうこうとうがっこう)の学ランを着崩した長谷井 剛士(はせい たけし)が、ぶっきらぼうに答える。長身で胸板も厚い坊主頭の彼は、私たちの方へ視線を向けることもしない。
剛士の目は、一階奥に設置されているエレベーターに向けられていた。
義法が私たちのそばまでやってきたタイミングで、エレベーターが一階に到達。チン、とチャイムがなって、エレベーターの扉が開かれた。
中から現れたのは、棺。出棺の時間だ。
白く、冷たいそれが現れた瞬間、私の体が震え始める。あの中に、先生がいる。
先生の、死体。
棺に花を入れた時にも感じた、あの恐怖が蘇ってくる。
もう先生は、目を開けることも、声を上げることも、私の頭を撫でてくれる事も、もうない。
あれは、『死』だ。
『死』の象徴だ。
……私は、棺が、先生が、あれが、怖い。
ストレッチャーのようなものに乗せられたそれが、エレベーターから私たちの方にやって来る。車輪が床の上で回り、カシャカシャと音を立てて、棺がこちらにやって来る。
『死』が、私に向かってくる。
……嫌っ!
一歩後ろに下がるが、それより棺がこちらに向かってくる速度の方が早い。更に後ろに下がる前に、それは私の脇を通り抜けて、自動ドアを通過する。それを追って、参列者たちは自動ドアの前に横付けされている車のそばへとよっていった。
故人を葬儀会場まで運ぶ車を寝台車といい、葬儀会場から火葬場へ搬送する車を霊柩車というらしい。だから、今棺が乗せられている車は、霊柩車だ。
……怖い。
寝台車も霊柩車も、『死』を運ぶという意味では変わりない。
……それじゃあまるで、死神じゃない。
それなのに、私たち六人以外の参列者たちが霊柩車の周りに集まって平然としていられる理由がわからない。
焼香は、まだ先生と距離があったから、大丈夫だった。
花を添えるのも、まだ先生の顔が見えたから、我慢できた。
でも、今は無理だ。
触れたくない。近づきたくない。怖い。
私は、『死』が、ただひたすら、怖い。
棺を乗せた霊柩車が、雨の中参列者たちに見送られて、今出発した。雨に濡れないように並んでいた参列者たちは、それが視界から消えるまで見送ると、パラパラと解散していく。
帰路につく参列者たちを、私たちはしばらく黙って見つめていた。そしてエントランスから人影がいなくなった所で、紫帆がポツリと、こう言った。
「死んじゃったね、せんせー」
「う、うん。死んじゃったね、先生」
紫帆の言葉に、しおりはそう言って同調した。
行った、ではなく、死んだ。
棺の中にいる先生が火葬場へ移動した事ではなく、私たちの会話の主題は、棺に入る前の、先生の『死』だった。
「しお、私たちをあの時から診てくれていた先生を、沢山の人がお見送りに来てくれてたね! 良かったねっ!」
「……だが、死んだ」
しおりの言葉に、剛士が小さくつぶやいた。
「……生きてりゃ、死ぬ。『死』は、俺たちのすぐそばにあるものだ」
「でも、どーせなら、めいっぱい楽しんでから死にたいよねー」
剛士に向かって、紫帆が軽薄な笑みを浮かべる。
「せんせー、楽しんでから死んだのかなー?」
「くだらない」
義法は、苦々しげにそう言って吐き捨てた。
「死んだら、無くなってしまうんだ。楽しいとか苦しいとかも、無くなるんだよ。だから、そんなの無意味だ」
「でも、あの人のことだから、何か残していきそうなものだけどね」
「……何?」
義法が、同じ制服を着た寿史へ訝しげに視線を送る。
「残すって、寿史、お前まだそんな事言ってるのか?」
「僕にとっては、大切なことだよ。『死』との向き合い方、折り合いをつける考え方は人それぞれで、そのやり方に口は出さない。多数決で、そう決めただろ?」
その言葉に義法が舌打ちをするのと同時に、一階エントランスの自動ドアが開いた。私たち以外いない、閑散とした葬儀会場を訪れたのは、礼服を着込んだ眉雪の男性だった。年齢は五十代ぐらいに見えるが、背筋はピンと伸び、両目には力がある。
彼は水滴を垂らす漆黒の傘を丁寧に畳むと、私たちに向かって微笑んだ。
「君たちの中に、金丸静花さんはいるかな? あるいは庄野義法くん、賀勢しおりさん、長谷井剛士くん、杉崎紫帆さん、もしくは、東武寿史くんに用事があるんだが」
「……何だ、てめぇは?」
剛士が目を吊り上げ、初老の男性の前に一歩踏み出す。自分を見下ろす剛士に僅かも怯むこともなく、彼は懐から名刺を取り出した。
「失礼しました。私、こういうものです」
私たちは、彼から名刺を受け取る。名刺には小嶋 護(こじま まもる)という名前と、彼の名前の弁護士事務所の名前が刻まれていた。
私たちも小嶋さんに自分の名前を明かすと、私は彼に向かって問いかける。
「弁護士さんが、私たちに何の用ですか?」
「実は、先程お見送りをした故人の方から君たちに、遺言を預かっておりましてね」
「遺言?」
「せ、先生から?」
私としおりは、困惑げな表情を浮かべる。剛士も似たような表情だ。紫帆は軽く口角を釣り上げ、義法は不機嫌そうな表情を浮かべ、寿史は一瞬瞳を輝かせた。
そんな私たちの表情を頷きながら見つめた後、小嶋さんはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「では、お手数ですが二階にお戻り頂けますか? この会場の親族控え室、そこを使えるように手配しておりますので」
二階から降りてくる彼に、私は声をかける。義法は気むずかしげに、眼鏡を押し上げた。その仕草が小学生三年生の時と変わらなくて、私は少しだけ安堵のため息をつく。その動作で、私のボブカットが揺れた。
深緑色のブレザーを着た彼は、私から視線を左へずらすと、少しだけ目を細める。
「……寿史も来てたのか」
「先生の葬儀だからね」
そう言って、義法と同じ檸檬月高等学校(ねいもうづきこうとうがっこう)の制服、深緑色のブレザーを着た東武 寿史(とうぶ ひさし)が柔らかく笑う。少し茶色がかった髪を揺らしながら、寿史は周りを一瞥した。
「あの夏を経験した僕たちの中に、今日ここに来ない人なんていないよ。紫帆も、そう思うだろ?」
「まー、そーだねー」
そう言って杉崎 紫帆(すぎさき しほ)が笑った。朱冨澤高等学校(あけとみざわこうとうがっこう)の制服である濃い赤紫色のブレザーを着崩した紫帆が、自分のポニーテールを右手で触って揺らす。髪が軽薄に揺れ、短すぎるスカートも一緒に揺れて、彼女の口が三日月型になった。
「でも皆と会うの、中学卒業以来なのに、なんだか久々だねー。よっしーとひさは同じがっこーで、しずーとしおしおも同じ学校なんだっけー?」
紫帆が私たちの事を、昔のあだ名で呼んだ。高校生にもなって小学生の時のあだ名で呼ばれるのは、なんだかこう、むず痒い気持ちになる。
「……え? え、あ、え、あ! そ、そうそう! 私今、静花ちゃんと一緒に石竹商に通ってるんだっ!」
ワンテンポ遅れて、賀勢 しおり(かせい しおり)はスマホから顔を上げる。しおりの言った通り、私たち二人は石竹商業高等学校(せきちくしょうぎょうこうとうがっこう)に通っている同級生だ。しおりは手にしたスマホが気になるのか、チラチラと視線をそちらへ向ける。その度に、ツインテールと、セーラー服の上からでもわかる膨らみが揺れた。
しおりと同じセーラー服に身を包む私は、残りの一人に視線を向ける。
「剛士は、天燈工だっけ?」
「……ああ」
天燈工業高等学校(てんとうこうぎょうこうとうがっこう)の学ランを着崩した長谷井 剛士(はせい たけし)が、ぶっきらぼうに答える。長身で胸板も厚い坊主頭の彼は、私たちの方へ視線を向けることもしない。
剛士の目は、一階奥に設置されているエレベーターに向けられていた。
義法が私たちのそばまでやってきたタイミングで、エレベーターが一階に到達。チン、とチャイムがなって、エレベーターの扉が開かれた。
中から現れたのは、棺。出棺の時間だ。
白く、冷たいそれが現れた瞬間、私の体が震え始める。あの中に、先生がいる。
先生の、死体。
棺に花を入れた時にも感じた、あの恐怖が蘇ってくる。
もう先生は、目を開けることも、声を上げることも、私の頭を撫でてくれる事も、もうない。
あれは、『死』だ。
『死』の象徴だ。
……私は、棺が、先生が、あれが、怖い。
ストレッチャーのようなものに乗せられたそれが、エレベーターから私たちの方にやって来る。車輪が床の上で回り、カシャカシャと音を立てて、棺がこちらにやって来る。
『死』が、私に向かってくる。
……嫌っ!
一歩後ろに下がるが、それより棺がこちらに向かってくる速度の方が早い。更に後ろに下がる前に、それは私の脇を通り抜けて、自動ドアを通過する。それを追って、参列者たちは自動ドアの前に横付けされている車のそばへとよっていった。
故人を葬儀会場まで運ぶ車を寝台車といい、葬儀会場から火葬場へ搬送する車を霊柩車というらしい。だから、今棺が乗せられている車は、霊柩車だ。
……怖い。
寝台車も霊柩車も、『死』を運ぶという意味では変わりない。
……それじゃあまるで、死神じゃない。
それなのに、私たち六人以外の参列者たちが霊柩車の周りに集まって平然としていられる理由がわからない。
焼香は、まだ先生と距離があったから、大丈夫だった。
花を添えるのも、まだ先生の顔が見えたから、我慢できた。
でも、今は無理だ。
触れたくない。近づきたくない。怖い。
私は、『死』が、ただひたすら、怖い。
棺を乗せた霊柩車が、雨の中参列者たちに見送られて、今出発した。雨に濡れないように並んでいた参列者たちは、それが視界から消えるまで見送ると、パラパラと解散していく。
帰路につく参列者たちを、私たちはしばらく黙って見つめていた。そしてエントランスから人影がいなくなった所で、紫帆がポツリと、こう言った。
「死んじゃったね、せんせー」
「う、うん。死んじゃったね、先生」
紫帆の言葉に、しおりはそう言って同調した。
行った、ではなく、死んだ。
棺の中にいる先生が火葬場へ移動した事ではなく、私たちの会話の主題は、棺に入る前の、先生の『死』だった。
「しお、私たちをあの時から診てくれていた先生を、沢山の人がお見送りに来てくれてたね! 良かったねっ!」
「……だが、死んだ」
しおりの言葉に、剛士が小さくつぶやいた。
「……生きてりゃ、死ぬ。『死』は、俺たちのすぐそばにあるものだ」
「でも、どーせなら、めいっぱい楽しんでから死にたいよねー」
剛士に向かって、紫帆が軽薄な笑みを浮かべる。
「せんせー、楽しんでから死んだのかなー?」
「くだらない」
義法は、苦々しげにそう言って吐き捨てた。
「死んだら、無くなってしまうんだ。楽しいとか苦しいとかも、無くなるんだよ。だから、そんなの無意味だ」
「でも、あの人のことだから、何か残していきそうなものだけどね」
「……何?」
義法が、同じ制服を着た寿史へ訝しげに視線を送る。
「残すって、寿史、お前まだそんな事言ってるのか?」
「僕にとっては、大切なことだよ。『死』との向き合い方、折り合いをつける考え方は人それぞれで、そのやり方に口は出さない。多数決で、そう決めただろ?」
その言葉に義法が舌打ちをするのと同時に、一階エントランスの自動ドアが開いた。私たち以外いない、閑散とした葬儀会場を訪れたのは、礼服を着込んだ眉雪の男性だった。年齢は五十代ぐらいに見えるが、背筋はピンと伸び、両目には力がある。
彼は水滴を垂らす漆黒の傘を丁寧に畳むと、私たちに向かって微笑んだ。
「君たちの中に、金丸静花さんはいるかな? あるいは庄野義法くん、賀勢しおりさん、長谷井剛士くん、杉崎紫帆さん、もしくは、東武寿史くんに用事があるんだが」
「……何だ、てめぇは?」
剛士が目を吊り上げ、初老の男性の前に一歩踏み出す。自分を見下ろす剛士に僅かも怯むこともなく、彼は懐から名刺を取り出した。
「失礼しました。私、こういうものです」
私たちは、彼から名刺を受け取る。名刺には小嶋 護(こじま まもる)という名前と、彼の名前の弁護士事務所の名前が刻まれていた。
私たちも小嶋さんに自分の名前を明かすと、私は彼に向かって問いかける。
「弁護士さんが、私たちに何の用ですか?」
「実は、先程お見送りをした故人の方から君たちに、遺言を預かっておりましてね」
「遺言?」
「せ、先生から?」
私としおりは、困惑げな表情を浮かべる。剛士も似たような表情だ。紫帆は軽く口角を釣り上げ、義法は不機嫌そうな表情を浮かべ、寿史は一瞬瞳を輝かせた。
そんな私たちの表情を頷きながら見つめた後、小嶋さんはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「では、お手数ですが二階にお戻り頂けますか? この会場の親族控え室、そこを使えるように手配しておりますので」