先生が死んだ。
 そう連絡を受けたのは、高校一年の梅雨時。だから今日の葬儀も、残念ながら雨が降っている。
 残念だと思いながらも、鈍色の雲から落ちてくる雨で、いっそこの世界を全て水で押し流してしまえばいいのにとも思った。
 ……だって、どうせ最後は、皆死ぬ。
 死んだら、もう何も残らない。一切合切、終わって、無くなるのだ。
 なら、この世界に意味なんてあるのか? ないだろ? 最後は死んで、何も無くなるのに。無くなるとわかっているのに何かを成そうと足掻くなんて、無意味以外の何ものでもない。
 いや、それ以上だと言ってもいい。例えるならそれは、毎朝毎朝一生懸命浜辺に砂の城を作りに行くようなものだ。それは次の朝には必ず潮に流され、崩れ落ちる定めと決まっている。それなのにその行動を繰り返すのは、ある種哀愁すら感じさせるものにならないだろうか?
 ……だったら、最初から砂の城なんて作らなければいい。
 右肘を少しさすった後左手でブレザーのネクタイを少し緩めながら、俺は雨の中、葬儀会館への道のりを歩いていた。ビニール傘に雨粒が当たり、安っぽい音を立てて、次第に俺の鞄を濡らす。
 その鞄を何度か肩に掛け直しながら歩いていると、葬式会館が見えてきた。スマホの地図アプリで場所が間違いない事を確認して、俺は更に足を進める。葬式会館自体は二階建てでそこまで大きく見えないのに、駐車場はやたらと広くて、そのアンバランスさに妙に俺の心がざわめいた。
 会場は二階がエントランスに覆いかぶさるようなL字型になっていて、入り口の自動ドアの前が駐車場と直結されており、自動ドアの前に車を横付け出来るようになっている。二階が突き出ている構造のため、エントランス付近ではもう傘は不要だった。雨の中でも故人を見送れるように、配慮してこうした作りになっているのかもしれない。
 ……ホテルのエントランスも同じ様な形だけど、こっちはなんだか味気ないな。
 エントランス前で傘を畳む俺のそばを、喪服姿をした人が、ぽつり、ぽつりと葬儀会場へと吸い込まれていく。葬儀会場の案内板には先生の名前しか記載がなかったため、きっと彼らも先生の関係者なのだろう。黒と白の彼らの隣を、深緑色のブレザーを着た俺が立っていることに居心地が悪くなり、無意味にリムレスフレームの眼鏡を押し上げる。その自分の行動に、俺はわずかに苛立った。
 ……居心地の悪さなんて、感じる必要なんてないのに。
 あの夏、眼前に突きつけられた『死』に変わってしまった俺たちを、最後まで診てくれたのが先生だ。先生がいなければ、俺たちは今もまともに話せなかったかもしれない。だから先生は俺たちの恩人で、恩人を見送るのに、告別式に参加するのに疎外感なんて感じる必要なんて、どこにもない。
 でも、俺たちを診てくれていた先生も、やっぱり最後は死を迎えた。
 俺たちは、今を生きているんじゃない。
 まだ、死んでいないだけだ。
 右腕が、少し痛む。
 自動ドアをくぐって会場の中へ入ると、喪服姿の大人が二、三人、エレベーターを待っているのが見えた。それを見た俺は内心舌打ちをして、二階への階段を登っていく。二階へ登ると、ホールの前には更に黒白の姿をした人々がいて、俺は少し眉をひそめた。
 小さく唇を噛んで、俺は受付の列に並ぶ。受付でお香典を渡そうとするが、故人の意向で受け取れないと言われ、少しだけ俺は肩の力が抜けた。お香典を受け取らないという配慮が、先生らしいと思ったのだ。
 受付で自分の名前や住所を記入し、礼状をもらってホールの一番後ろの席に腰を下ろす。百名ほど入れるホールには、先生の顔写真が飾られた祭壇が佇んでいる。その中で、俺は式が始まるのを待っていた。もう、居心地の悪さは感じない。
 やがて坊さんがホールに訪れ、俺を含む参列者が起立して頭を下げた。司会者の開式の辞に続いて、坊さんがお経を読み始める。俺はそれを、数珠を手でいじりながら黙って聞いていた。数珠なんて普段握らないから、手のひらの異物が少し気になる。
 弔辞と弔電が読み上げられると、次は焼香だ。坊さんの後に続いて、先生の親類、関係の親しい人から列をなして、焼香を行っていく。俺の番は、最後の方だった。
 先生の親類に一礼をして、見様見真似で抹香をつまんで、自分の額の所まで持ってくる。そして静かに、香炉へそれをくべた。
 席に戻り、抹香をつまんだ指を擦り続ける。指差にについた香の感触と臭いが、気持ち悪い。
 焼香が終わり、坊さんが退出する。すると参列者は、また列を作り始めた。次は先生の眠る棺に、花を入れるのだ。
 焼香をしたのと同じ順番で並び、俺は用意された花を手に取り、棺の前に立った。その中には、先生の姿がある。先生は花の中から顔を出し、文字通り眠ったような表情をしていた。
 先生の顔の近くに花を挿し、俺は物言わぬ先生の顔にそっと触れる。
 温度は、冷たい。
 感触は、ゴムを触ったみたいだ。
 冷たいゴムみたいな感触なのに、俺の指が先生から押し返される不思議な感覚。これが、先生の『死』なのだ。
 ……先生も、終わって、無くなったんだ。
 参列者全てが花を入れ終え、それから閉式の辞が終わると、ホールから徐々に人が外へ出ていく。出棺を、つまり、棺で眠る先生を火葬場へ連れて行くのを、見送るためだ。
 俺も自分の席から立ち上がり、ホールを出て、一階に降りる階段に足をかける。一段一段踏みしめるように下っていくと、参列者たちが一階のエントランスに集まっていた。その一階に、制服を着た五人組がいるのが見える。制服の種類は同じ学校のものを着ている人もいれば、違う制服を着ている人もいた。俺はその一人と、目が合う。あれは――
 ……静花、か。