「……わたし、おいしゃさんと、はなす……れんしゅ……う、はじ、め、たの。れんしゅ、う、すれば、いつかは、こえも、なおるって。
 だから、もう、まもって、くれ、な、くて、いい。
 コウタがまもる、のは、モモちゃん。な、なかせたら、ゆるさ、ないから」

 ユキ先輩が話し終え、ほほえむ。
 タブレットをいじっていた桜木くんが立ち上がり、ユキ先輩と場所を変わった。

「僕はまだ入ってペーペーですけれど。初めて見た日の寸劇がすごい楽しそうだったので、この同好会を選びました。入会してからも楽しいことがたくさんあって、みなさん良い人達ばかりで、毎日とても楽しいです。
 それから、演劇部が野上先輩を欲しがる理由なんですが」

 桜木くんがタブレットの画面をみんなに見えるように置き、先日観た『赤と黒のロンド』の脚本の一部を指さした。
 マリアが地下にいる老人・炭爺(すみじい)と会話する場面。先日の舞台ではこんな人はでてこなかった。

炭爺(すみじい)自体の出番はこの場面だけです。マリアがクロスなんていないことを知ってしまい、文通相手が炭爺(すみじい)だと知ってしまう。怒るマリアにひたすら炭爺(すみじい)が謝る場面です。色々動画を探してみたんですが、脚本改変禁止のこの場面、演じられるのは野上先輩だけだからじゃないですか?」
「ピンポーン。桜木くんの推理通りだと思う。炭爺(すみじい)がこの舞台で一番難しい役だから、完璧主義の菅井は今の一軍じゃ満足できないんだろうね。老人・独特のなまり・土下座の三つが揃った強敵だからなぁ、炭爺(すみじい)は。仮に俺が演じるとしても、今から練習始めたら遅いぐらいだよ。
 もちろん! 菅井部長さんにはきっちり丁寧にお断りしてきました! もともと俺と菅井は気があわないんだ、ベロベロバー」

 コウタ先輩の変顔にこっそり笑いつつ、桜木くんが席へ戻る。

「コウタ先輩。わたし、前に『なんで、@home(アット・ホーム)って名前にしたんですか?』って聞きましたよね。覚えてますか?」

 コウタ先輩がうなずき、わたしは桜木くんがいた位置に動く。

「コウタ先輩は笑って言いました。『響きがキレイだったのもあるけど。学校の中に、心安らげる居場所があったら。きっと、メンバー全員が笑える、楽しい場所になると思うんだよね』って。
 放送でも言ってくれましたよね。@home(アット・ホーム)の名前の意味は、“みんなの居場所“・”自分らしく楽しめる場所“・“メンバー人一人が輝ける場所“だって。
 わたし、いえ、わたし達は@home(アット・ホーム)が大好きです。大好きで大切な居場所です。コウタ先輩が願いをこめて、名づけたとおりの場所が、ココなんです。
 @home(アット・ホーム)のルール、その一。新しいことを始める時は全員が賛成してから。
 わたし達は、コウタ先輩と一緒にいたいです。同好会を続けたいです。コウタ先輩はイエスですか? ノーですか?」

 目を見開いたコウタ先輩が、大粒の涙をこぼす。
 ひとしきり、静かに泣くと。
 真っ赤な目をしたまま、ニッコリ笑った。

「もちろん、イエスで! 俺も@home(アット・ホーム)のメンバーです!」
「決まりだな」
「全員賛成ですね」
「う、ん」
「わたし達は五人で@home(アット・ホーム)です! 誰一人欠けても成立しませんからね! コウタ先輩は、絶対演劇部には渡しません!
 でーもー! とーっても心配したので! コウタ先輩は、髪グシャグシャのバツです!」

 わたしとユキ先輩で、コウタ先輩の髪をグシャグシャにする。
 されるがまま、コウタ先輩が嬉しそうに笑う。

 それを見ていたメガネ先輩が、ニヤリと悪い笑みを浮かべ。
 ククククク……と笑い始めた。

「め、メガネ先輩……?」
「あ、あやし、い、わら、い」
「メガネ先輩。何を思いついたんですか」
「聞きたいか?」

 わたし達四人は、大きく首を縦に振る。

 定位置に戻ったメガネ先輩が、ガサガサとプリントの山を探し。
 バーンと、長机に置いたのは。
 生徒会長の使用許可(きょか)ハンコが押された【文化祭舞台使用申請(しんせい)書】だった。

「スッゲー! 俺が申請(しんせい)した時はダメだったのに! メガネ先輩、どんな手を使ったんですか⁈」
着任(ちゃくにん)前から恩を売っておいただけだ。現・生徒会長様は、数学の赤点回避(かいひ)に必死だからな。クックックッ」

 メガネ先輩(二年連続学年一位)が作る、試験対策プリントさまさまです。
 わたしもお世話になりました。
 中間テスト、まさかの学年二十位以内。
 お母さんが「同好会ってステキね!(勉強的な意味で)」と言っていました、メガネ先輩。

「この申請書があれば、舞台を三十分間使う事ができる。今年は夏の文化祭だからな。大会を(ひか)えた文化部は、ほぼ非レギュラー部員だろう。
 だが、高校の看板を背負っていると思いこんでいる演劇部だけは違う。あのクソ女……失礼。演劇部部長の事だ、間違いなく一軍をだしてくる。
 私から提案(ていあん)だ。文化祭での舞台勝負を、演劇部に申しこもうじゃないか。売られたケンカは演劇で返す。賛成する者は?」
「はい! わたし、やりたいです! 演劇部部長をギャフンと言わせなきゃ、気がすみません! それに、文化祭の舞台に立てるなんて! すっごくワクワクします!」
「さん、せい」
「賛成です」
野上(のがみ)。残るは、お前の意見だけだ」

 視線が集まった先。
 考えていたコウタ先輩が、唇から指を外す。
 パチンと指を鳴らし、いたずらっこのように笑った。

「やりましょう。
 そこで、メガネ先輩にお願いしたい事があります。
 一つめ。演劇部の舞台より、俺達の舞台は後にしたいです。ラストがとれたら最高ですけど、こればっかりは運なので。メガネ先輩の力を信じてます。それから、俺達の舞台の前に、音楽系発表が入らないようにしてほしいです。観客の聴覚がマヒして、セリフがキレイに響かないから。
 二つめ。俺達が勝負する事を一般生徒にバラさないよう、演劇部に念押ししてください。“全国常連”という知名度(ちめいど)で、俺達は演劇部に負けているからです。勝負の結果は、観客の拍手の大きさで。用紙系は細工(さいく)されるおそれがあるので、今回はナシ。良い舞台ほど、大きな拍手がわきますから。演劇部部長も、断る理由を見つけられないはずです。
 三つめは──」

3.
 みんなで帰る準備をしていた途中、桜木くんに「渡辺」と声をかけられた。わたしも含めてメンバーが疑問符をあげる中、桜木くんが「渡辺。少しだけ話がしたい。屋上に来てくれないか」と言った。
 わたしはカギ閉め当番のメガネ先輩の顔を見る。メガネ先輩が腕時計をみやり、「五分だけやる。とっとと話してこい。桜木」と許可をだした。
 わたしはスクールバッグを左肩に下げた桜木くんを追い、右肩のスクールバッグを揺らす。毒舌ウサちゃんのキーホルダーがちゃりっと音を立てた。
 屋上には、わたしと桜木くんしかいない。
 自然と向かい合う形になり、わたしはなにを言われるのか今か今かと待っていた。

「渡辺」
「う、うん」
「仮定の話で聞いてくれ。もし、俺が野上先輩より先に告白していたら、渡辺はどうしてた?」
「ごめんなさい!」
「即答かよ」
「ご、ごめん……でも、先に告白されていたとしても、答えは変わらないから。だから、ごめんなさい」

 桜木くんが長い息を吐き、明後日の方向を見てぷはっと笑った。

「なんか渡辺らしいや。ごめんな、話につきあわせて」
「わたしらしい?」
「野上先輩とおにあいだってことだよ。よし、話も終わったし帰ろうぜ。メガネ先輩に怒られちまう」

 桜木くんがわたしに背を向け、階下に続く扉を開ける。わたしは慌てて追いかけて、慌てて声を出した。

「桜木くん」
「ん?」
「今まで通り仲良くしてくれるよね……?」
「当たり前だろ」
「そっか、良かった。これからもよろしくね!」
「おう」

 桜木くんが足早で階段をおりていく。地学準備室前で待っていてくれた先輩達に頭を下げ、さらに階下へとおりていった。

「モモちゃん、帰ろー」
「本名じゃないので返事しません」
「は、はる、はるかちゃん! 俺と帰ろー!」
「はい、コウタ先輩!」

 わたしはぱっと笑顔を咲かせ、駆け足で階段をおりた。