翌日は衣替えの日だった。
わたしは真っ黒なセーラー服の上下から、白いセーラー服と紺色のスカートにチェンジ。
(……男子はブレザー脱いで、紺のズボン。コウタ先輩の夏服は、どんな感じなのかなぁ)
わたしはウキウキしつつ、屋上へ続く階段をのぼる。
昨夜家に着いた連絡をトークアプリでした際、二人だけで話をしたいと誘われたのだ。
わたしは屋上の扉を開け、屋上を見渡し。
コウタ先輩がいないことに、首をかしげた。
「コウタ先輩? コーウーターせーんーぱーいー?」
「はるかちゃん。こっち、こっちー」
コウタ先輩の声が上から降ってくる。
わたしは出入り口の上にある塔屋を見る。
太陽を背にしたコウタ先輩が、片手を振りながら笑っていた。
白いワイシャツ、ゆるめた青色のネクタイ。
ネイビーのTシャツが、ワイシャツの胸元からのぞいている。
黒色のズボンと白いランニングシューズは、いつも通り。
校則違反は変わらないですが!
ちゃんと制服を着ています!
春よりも大人っぽいです、コウタ先輩!
「今、はるかちゃんが考えている事を当ててみせましょー。むむ、むむ、むむむー。ピコンッ!
コウタ先輩、ちゃんと制服着てる!」
「半分当たりで、半分ハズレです。コウタ先輩、おはようございます」
「ちぇー。半分ハズレかぁ。はるかちゃん、おはよー。はるかちゃんもこっちに来る? 風が気持ちいいよー」
「はい!」
「カバンちょーだい。すべらないようにね、気をつけてね」
わたしのことになると、心配性になるコウタ先輩も好きですよ。
わたしは笑い、コウタ先輩へスクールバッグをさしだす。
塔屋の階段をのぼると、高校入学時よりも伸びた髪が風に揺れた。
「はるかちゃん。髪、伸びたねー」
「はい。でも、雨が降るとクルンってなっちゃうんです」
「俺もクセっ毛だから分かるー。女子は大変だよねー」
「コウタ先輩は猫みたいになりそうです」
「にゃーにゃーにゃーん」
両手で、猫の手のポーズを作り。
わたしの手に頬をこすりつけ、ゴロゴロと喉を鳴らすコウタ先輩。
自分で墓穴を掘った気がします!
ナデナデしたくなっちゃうじゃないですか、コウタにゃんこ先輩!
ああ、もう。好きです。好きです。大好きです。
「なでてもいいにゃ。ごろにゃーん」
「コウタ先輩。ギューをねだろうとしてませんか」
「あ、バレたー?」
パッと離れたコウタ先輩が、子供のようにあどけなく笑う。
コウタ先輩の笑顔は、わたしに笑顔の魔法をかけると同時に。
太陽の暑さなんてものともしない熱を、わたしの身体中に流しこんで。
身体中をめぐる熱を、キュンとドキドキに変えてしまって。
キュンとドキドキだけで、ギューンと幸福度数を上げてしまう。
トレーニングマットに座っているコウタ先輩の隣へ、わたしは腰をおろす。
スクールバッグから、買ってきたばかりのミネラルウォーターを取りだした。
「コウタ先輩。さしいれです」
「わーい。はるかちゃん、ありがとー。お礼にー……ジャジャーン。イチゴミルクでーす」
「あ、ありがとうございます」
話をしてもらうお礼のつもり、だったのだけれども。
わたしは物々交換でわたされた、イチゴミルクの紙パックを受け取る。
紙パックにストローをさす間。
ペットボトルのフタを外すコウタ先輩の指に、ついつい目が吸い寄せられる。
(……いいなぁ、ユキ先輩。少女マンガみたいに……あの指で、アゴをクイッてやってもらって……って! なにを! なにを考えているの、わたし!)
「はるかちゃん?」
「ななななんでもないです!」
「……」
「ど、どう、どうして黙るんですか、コウタ先輩」
コウタ先輩がはにかみながらうつむき、右人差し指で右頬をかく。
そうして、陽だまりのような笑顔がわたしに向いた。
「その顔は、何かあるなぁと思って。はるかちゃん。俺にどうしてほしいか、言ってごらん?」
「……っ! 後半はセリフじゃないですか!」
「はい、その通りです! はるかちゃん、ツッコミ早すぎね!
リアルヘタレ大魔王が、そそそそそそんな言葉! スラスラ言えるわけが、ななななないでしょー!
言った俺のほうが心臓ヤバイー……落ちつけ俺、落ちつけ俺、落ちつけ俺……」
さ、さすがに。
ききき、キス、してください、だなんて。
わたしから、言えるわけがないじゃないですか!
今の調子だと、コウタ先輩から言ってもらうにも、時間がかかりそうですけれど!
そっぽを向き。
わたしはイチゴミルクを飲み、コウタ先輩がミネラルウォーターを飲む。
さわさわと鳴る風が、どうにか間を取り持ってくれた。
コウタ先輩が、ミネラルウォーターのペットボトルを置く。
ゆるめていたネクタイを、キュッとしめ。
まぶたを閉じて息を吐き、一瞬見える真剣な表情。
コウタ先輩が、スイッチを入れる時の合図。
わたしは姿勢を正し、イチゴミルクの紙パックを置いた。
「さてと。じゃあ、話をしましょうか」
「はい」
「俺、小さい頃、シャボン玉になりたかったんだよねー」
「シャボン玉、ですか?」
「うん。青空に向かって飛んでいくシャボン玉を見て、すっげーキレイだって思った。それが、一番最初のキレイな記憶。
近所の商店街で、七夕祭りがあってね。保育園の先生が『短冊に願いごとを書きましょう』って言ったんだ。それで俺、ものすごく考えたんだけど」
「だけど?」
「何もでてこなかったんだ。他のみんなは、ヒーローになりたいとか、お姫様になりたいとか書いてたのに。シャボン玉になりたいって書けば、すんだ話なのに。どうして、俺は書けないだろうって、ウーンウーンって考えて。でも、結局。俺の短冊は、白紙のままだった。
短冊をかざりにいった時。商店街の小さなステージで、たった一人で演じている織姫に出会ったんだ。
ヒラヒラの布が、まるで生きているみたいに動いて。足音も気配も立てない中、シャランシャランって、かざりの音だけが鳴り響いて。透き通るような声が、りぃんって風に乗って。シャボン玉よりキレイなものを、目の前にして。俺は、わんわん泣いた。心が頭が身体全部がいっぱいになって、ただ泣くしかできなかったんだ。
舞台を終えた織姫が近づいてきて。俺の頭をなでて、笑ったんだ。『ありがとう。君の心に、俺の演技は届いたんだね』って言いながら。声を聞いて、俺はビックリしたんだ。女性だと思っていた織姫が、男性だったから。
その後すぐ、俺は短冊を書いた。この人みたいになりたいって。短冊を見た織姫がさ、『俺になりたいなんて、いい根性してるな』って、笑ってくれた。これが人生で二番目にキレイな記憶。
当時は意味の分からない言葉だったけど。今なら分かる。良い演技は、心をふるわせるんだ。演じている側が、届けたい感情を観客に届けられたら。きつくてツライ練習とか失敗した事とか全部吹き飛ばすぐらい、何よりも嬉しいって思えるって。演劇をやってて良かったって、心の底から思える瞬間だって。その瞬間が味わいたくて、俺は演劇をやってる。
ちなみに、その人が俺の演劇の師匠だよ。学内公演の時に話したっけ。四十分しかない舞台があったって。無名の高校の三年生、部員数たった一人で、全国大会に出場した師匠が演じた舞台。いつか必ず、俺も演じてみたい。それぐらい大好きな作品。俺が見すぎて読みすぎてボロボロになってるけど、同好会室に映像も脚本もあるから。あとで、はるかちゃんにも見て、読んでほしいな。
あの日の気持ちは忘れちゃいけない。俺は今でも、そう思ってるよ」