2.
初舞台の翌日。
わたしが登校すると、クラスメイトがかわるがわる寄ってきた。
「ねえねえ、渡辺さん! 昨日、正門前で劇やってたよね⁈ 一年生で主役とか超スゴイじゃん!」
「渡辺さん、すごく目立ってたよー。後ろからでもバッチリ」
「正直言うとねー。芸術鑑賞で見た演劇が、意味わかんないし、つまんないしで。なにがおもしろいんだろうって、ずっと思ってたの。でも、昨日は色んな仕掛けがあって、王子様が近くまできてくれて! 自分も参加してるみたいで、すっごく楽しかった!」
「あの美人! 二年だろ? あとで名前教えてくれよー」
視線誘導のバトンリレーを、ミスしそうになったことも。
発声を間違えて、大声で叫んでしまったことも。
失敗したと思ったことは、たくさんたくさんあるけれども。
そんなものは全部、みんなの笑顔が吹き飛ばしてくれる。
「見てくれてありがとう! よかったら、次も見にきてね!」
満面の笑顔で、わたしは返答する。
普段は眠そうなチャイムまでもが、開幕の鐘のように鳴り響いた。
***
「失礼しまーす!」
わたしは元気よくあいさつし、地学準備室の扉を開ける。
「おはよう、モモ」
「メガネ先輩、おはようございますっ」
置いてあるスクールバッグは二つ。
定位置に座っているメガネ先輩が、ドーンと積み上がった紙の山に隠れている。
わたしが尋ねる前に、メガネ先輩が口を開いた。
「ユキは休み。野上は屋上で筋トレ中だ」
「ユキ先輩、体調悪いんですか?」
昨日も変な感じだったし……の言葉は、ゴクンと飲みこみ。
わたしはメガネ先輩の前のイスに座る。
「たんなる寝不足だ。ユキの体力は電池と同じだからな。充電が終われば戻ってくる」
寝袋が置いてある理由、活動中に寝てもいいルール。
@homeに入会して半月、ようやく謎が解けました。
「メガネ先輩。なにを作っているんですか?」
「中間テスト用の対策プリントだ」
「それ全部ですか?」
「モモ。恩は売り歩くものだぞ。倍返しの礼をもらうために」
クックックッと笑うメガネ先輩。
悪い人が笑う時にそっくりです。
口がさけても言えません。言いません。お口チャックです。
「半分以上は野上用の暗記プリントだがな。一年たっても成長しないとは、世話のかかるヤツめ」
やれやれといった様子のメガネ先輩が、プリントに向き直る。
わたしは「大変ですねー」と言い、スクールバッグを開けようとして。
メガネ先輩の言葉を、最初から最後まで再生し直し。
勢いよく立ち上がった。
「めめめメガネ先輩! 一年生のコウタ先輩を知っているんですか⁉︎」
「ああ。同じクラスかつ隣の席だったぞ。チッ」
舌打ちは、聞こえないフリをさせていただきます!
「聞きたいです! 一年生の時の話!」
目を輝かせたわたしを見て、メガネ先輩が頰づえをつく。
わたしは着席し、ウキウキした気分で話を待つ。
「私の運の尽きだ。それ以上でも以下でもない」
一年生のコウタ先輩へ。
地学準備室の温度が、氷点下になった気がします。
「モモ。野上について知っている事は?」
「はい! 二年B組で、@homeの代表です。演劇が大好きで、演技がすっごく上手で、演じている姿がとってもステキです。
トレーニングになるからって、朝刊配達のアルバイトをしていること。月・水・金の夜は、劇団で練習していること。土日は演劇の勉強会に参加したり、舞台を観にいっていること。
今までずっと無欠席なこと。制服をキッチリ着るのが苦手なこと。授業は楽しいけれども、テストの点は……なこと。小学生の妹と保育園児の弟がいること。弟がくれるキャンディーやチョコレートを持ち歩いていること。
それから、ユキ先輩と同じ中学で、演劇部仲間。中三で全国大会に出たこと。個人のスゴイ賞をとったこと。この話はユキ先輩が教えてくれたので、直接聞いたわけじゃないです。
あとは……あ! 購買で売ってるイチゴジャムパンがおいしいって、オススメされました!」
「全部か?」
「はい。全部です」
「モモ。はじめに言っておくぞ。野上本人が胸にひめている事に関して、私は一切語らない。それでもいいな?」
念押しするメガネ先輩の言葉に、わたしは首を縦に振り、背筋を正す。
一息吐き、メガネ先輩が再度口を開いた。
「自分の事を話すのは嫌いだが。モモが聞きたい話につながるからな、しかたない。
私の家は代々続く資産家でな。トップクラスの金持ちだと思ってくれ。超がつくほど孫バカのクソジジ……失礼。初孫フィーバーで舞い上がった祖父が、私の名前をつけた。そりゃあもう、脳内お花畑状態でな。漢字の読み方すら忘れてな。子供は親を選べないというが、私の場合は祖父も選べなかったわけだ。まったく、あのクソジジ……失礼。
モモ。仮にお前が、保育園の自己紹介で『わたちは、わたなべローザマリアクリスティーヌでちゅ☆』と名乗ったとしよう。当時は何も知らないおこちゃまだ。だが、幼稚園・小学生・中学生と大きくなるにつれ。自分の容姿と名前が、とほうもなくかけ離れている事に気づいた時。名前を消却したいと思わないか?」
ズモモモモ……
メガネ先輩の後ろに、黒い影が見えます。
セリフ部分だけアニメ声なのが、とてもコワイです。
「私の個人名をデカデカと書いた花輪を、記念行事のたびに送りつける祖父と両親だ。服の趣味含め、どうにもウマが合わなくてな。正直ウンザリしていた。そこで、私はささやかな反抗を試みた。
モモも聞いただろう、入学式での新入生代表あいさつを。去年は私が担当でな。あいさつ文を読み上げ、名乗る時に『私はメガネだ』と宣言した。
生徒が騒ぎ、教師が慌てだし、祖父と両親があぜんとしていた最中。
入学式早々遅刻してきたヤツが、白いパーカー姿で飛びこんできたヤツが。体育館中に響き渡る声で『スッゲー! カッコイイー!』と言ったんだ。体育館中の視線が集まっても、たった一人、笑顔で拍手し続けた。それが野上だ」
缶コーヒーに口をつけ、メガネ先輩が話を続ける。
「『へんなのー』と小学生低学年で言われていて以来。目立ちたがりの女子グループや男子グループに、笑いのネタを提供し続けてきた名前だ。スマホやパソコンの予測変換に出てこないのは当たり前、読めないのが当たり前。画数もやたら多くてな、テスト開始一分は氏名記入だけで終わる。
話を戻そう。入学式の後、私は職員室に呼び出された。一年時の担任が、生徒指導の教師でな。祖父と両親がしゃしゃり出てきた事で、校長まで巻き込む騒ぎとなった。名前は大事だの、アイデンティティがどうだの。私そっちのけで大討論会だ。
その途中。後ろの応接スペースで待機していた野上がパーテーションの上から、ひょっこり顔をだし。これまた笑顔で言ってのけた」
『おかしいなー。生徒の自主性を尊重するって、校訓に書いてあったけどなー。あ、おかしいといえば、もう一つあるんですけど。さっきから、メガネさん以外の人ばかりが好き勝手に話してますよね。高校に通うのはメガネさんでしょ。自主性うんぬん言うなら、メガネさんの話を聞くべきじゃないんですか?
そうそう。知ってます? 演劇部は、日常生活でも役名や部名で呼びあうんですよ。中学の時、俺はスマイルや王子先輩って呼ばれてました。本名に一文字もかすっていない呼び名でしたけど、ちゃんと俺だって理解されてました。だから、メガネさん本人が名乗りたい名前で、周りに知ってもらえばいいと思います。
それに。初対面の人だらけの中、注目されている中で、あんな堂々と言い切るなんて。なみの神経じゃできませんよー。経験積んだ役者さんでも、初舞台は緊張するって聞きますし。メガネさんは自分の意見をハッキリ言える、めちゃくちゃカッコよくてスゴイ人だなーって、俺は思いましたけどねー』
「それを聞いて、私は理解した。こいつは本物のバカだと。こいつは、いつ何時も自分に素直なヤツなのだと。真面目なイイ子を演じてきた私とは、真逆なヤツだと。
大口をたたいておきながら沈黙していた自分が、急にバカバカしくなってな。笑いだした私を見て、周りは不可解な顔をしていた。野上だけがきょとんとしていて、腹を抱えて笑ったものだ。笑い終えた後、私は言ってやったのさ。『私の名前はメガネだ。自主性を重んじるならば、校内では好きに名乗らせてもらおう』と。
クラスでも野上が『メガネさん』と連呼してくれたおかげで、私=メガネだと周知された。制服をキッチリ着ない事で、担任の興味も私から野上へ移った。
入学式に遅刻した理由は、演技の練習をしていたから。制服を着ない理由は、演技したいと思った時に動きにくいから。野上が演劇バカと気づくまで、時間はかからなかった。朝から晩まで好きな事に打ち込む姿は、青春そのものを体現しているようにも見えた。
二学期が始まってすぐの頃だ。放課後のチャイムが鳴ると同時に飛びだしていた野上が、教室に居残る事が多くなった。ただじっと、窓の外を見ていた。そんな姿が、数日続いた後。野上がまじめな顔をして、私に頭を下げたんだ。『メガネさ……メガネ先輩。同好会を作りたいので、俺に力を貸してくれませんか』と。
本名にわずらわされない高校生活を過ごせるのも、野上のおかげだ。面と向かって礼を言った事はないがな。一回ぐらいなら頼みをきいてやろうと、私は了承した。
メンバーが三人以上いないと同好会は作れない。決まっていたメンバーは野上とユキの二人だけ。時も場所も考えず、土下座して頼む野上に追い回され。演劇以外ポンコツの野上では、同好会維持は無理だと顧問に泣きつかれ。野上が好き勝手しないよう、見張り役が必要だと教師陣に迫られ。外堀を固められた私が三人目のメンバーになり、@homeができた。
野上に出会った事が、私の運の尽きだったわけだ。今後ヤツ以上のバカに出会う事は、そうそうないだろうな」
クスリと。
笑い声をもらし、メガネ先輩がほほえむ。
いつも冷静で、表情を変えないメガネ先輩。
そんなメガネ先輩さえ、笑顔に変えてしまうのだから。
やっぱりコウタ先輩は、笑顔の魔法使いだ。
「私が話せる事は以上だ」
「ありがとうございました!」
頭を下げたわたしを見て、メガネ先輩がプリントに向き直る。
わたしは制服を脱ぎ、赤いジャージに着替える。
「メガネ先輩。わたしも屋上で練習してきます!」
「気をつけてな」
トントン、トトトン!
屋上へ続く階段を、わたしはようせいのステップでのぼる。
昨日より今日。
今日より明日。
一つ、また一つ、新しい姿を知るたび。
とくんとくんと、鳴り響く音が大きくなって。
きゅうと胸がしめつけられて、息もできないぐらいに。
コウタ先輩だけでうめつくされていく、わたしの身体。
コウタ先輩が、ユキ先輩を好きでも。
わたしが知らない、他の人を好きでも。
とろとろに溶けだす、甘い甘い気持ちを。
見ないフリは、しない。
(……だからといって! 宇美ちゃんに貸してもらったマンガみたいには……あんなふうに、スラスラ言えるわけがないってば! はずかしくて、頭が真っ白になっちゃうってば!
うーん……れ、練習すれば言えるようになるかな……なるのかな……? す、す、す、す、す)
わたしが扉を開けるよりも早く。
屋上側から扉が開き、笑顔のコウタ先輩と目があった。
「モモちゃんの足音だと思ったんだー! 大当たりー!」
「すひゃい!」
「モモちゃん、カミカミ様がついてるよー。カミカミ様ー、カミカミ様ー。どうぞお帰りくださいー」
不意うちの登場に驚いた、わたしの返事は。
セリフをかんだ時に出てくる、カミカミ様(※コウタ先輩命名)だと思われたらしい。
にこにこ笑いながら、コウタ先輩がわたしの頭をなでる。
「こ、コウタ先輩。おはようございますっ」
「モモちゃん、おはようー!」
「あの、コウタ先輩」
「うん、モモちゃん」
「す……」
「す?」
コウタ先輩が笑いつつ、首をかしげる。
今は、まだ。
ムリムリムリムリ!
無理無理無理無理!
わたしは心臓が飛びだしそうなほど、ドキドキうるさい胸を押さえ。
両頬をチューリップよりも真っ赤に染めたまま、笑ってみせた。
「ストレッチ! 頭文字しりとりしながら、ストレッチしたいです!」
「オッケー! じゃあ、俺の番ね! “す”スタートだからー……鈴!」
「す、すみれ!」
「スイカ!」
「す、す、すいそう!」
「スイス!」
「いじわるです! す、す、すもも!」
コウタ先輩の横顔を見上げ、わたしは声にならない声でつぶやく。
──好き。
コウタ先輩。
もし、もしも。
言えるようになったら。
わたしの話を、聞いてくれますか?
「おい、野上。世にも珍しい新入会員が来たぞ」
「新入会員!」
メガネ先輩が屋上の扉を押さえ、後方に控えている人物を手招きする。コウタ先輩が一気にテンション高くなったことで、わたしも慌ててジャージの埃を払った。
黒のブレザーに灰色のズボン、結ばれているのは赤いネクタイ。わたしは新入会員の顔を見て、「あ」と声を上げた。
「桜木くん?!」
「え、なになに、モモちゃん知り合い?」
「渡辺さんとは同じクラスです。桜木尚です。よろしくお願い致します」
薄いフレーム眼鏡をかけ、校則通りぴしっと頭を下げた桜木くんにコウタ先輩がふんふーんと上機嫌で近寄っていく。
「同好会代表の野上です。どうぞよろしくー。ところで……桜木くんは演者希望かな? かな?」
「いえ、僕は音響希望です」
「ふむふむ。演者きぼ……じゃないんかい! 音響かい!」
「私の役目が一つ減るな。万々歳だ」
「もしかして裏方は募集されてなかった……?」
「のんのん! そーんなことない! 大歓迎だよ、桜木くん!」
ばしばしと桜木くんの肩を叩くコウタ先輩の背中に、微妙なせつなさが漂って見えます。
「今日は一人休みだから、後日歓迎会をするとして! ようこそ桜木くん、@homeへ!」
「二年のメガネだ、よろしく」
「同じ一年のモモです! モモは同好会のあだなです! よろしくおねがいします!」
「桜木です。よろしくおねがいします」
桜木くんがコウタ先輩に入会届をさしだす。すかさず横から受け取ったメガネ先輩が、ぐっと親指を立てた。
新生@home、桜木くん加入でスタートです!
ユキ先輩が復帰し、桜木くんの歓迎会が行われた。
地学準備室にお菓子とジュースを広げて、まるで秘密のパーティー。桜木くんは自前のノートパソコンを持ち込み、撮り終わったばかりの寸劇『かかしのジョージ』を効果音つきで見せてくれた。
ジョージが折れた後のセリフがコウタ先輩の声でなく、テレビで使われるようなモザイク音に変わっていたり、ジョージが復活したところで拍手音が増えていたりと、わたしは目を見開いて完全に見入っていた。
「とりあえずこんな感じで作ってみたんですが、どうですか?」
「ジョージ! 俺のジョージが!」
「すごいよ、桜木くん!」
「ああ、実際に見てみるとすごいな」
[すごいと思う]
満場一致の拍手が鳴る。桜木くんは照れた顔をぱぱっと手で仰ぎ、長い息を吐いた。桜木くんも緊張していたに違いない。
わたしはイチゴミルクのパックにストローを刺し、興奮収まらない様子のコウタ先輩を見る。演劇の話をしているときのコウタ先輩は、いつみても素敵だ。
「これ全部自分で作ったの?」
「フリー音源もいくつか使いました。僕は音楽を作ることが好きなので、できたら全部自分で作りたいんですが。あと一応、権利関係に触れないものを使っています」
「権利云々は大事だからな。最初から心がけてくれているとは素晴らしい!」
「権利関係に触れるってなんですか?」
わたしはイチゴミルクを堪能したあと、疑問の右手を上げてみる。
「たとえばモモちゃんが好きな歌手とかグループがいるでしょ? その人達の歌には権利があるから、俺達が演劇で使うには許可を取らなくちゃいけない。無断で使ったりすると、重い重いペナルティー。膨大な使用金額払ったり、許可を取るために何枚も何枚も書類書かなきゃいけなくなる。フリー音源の中にはそこらへんあいまいなものも多いから、桜木くんは最初から気をつけてくれてありがたいなーというお話です」
「たしかに、いきなりドラマの主題歌とか流れてきたらびっくりします!」
「権利関係は台本にもあるからね。みんなで気をつけていこう!」
わたしは勢いよく「はいっ」と手を上げ直し、他のメンバーも深く頷いたのだった。
2.
【桜陽高校演劇部・学内公演『赤と黒のロンド』/△月△日五限目・第一体育館ステージにて上演】
「告白したの⁈」
わたしのうわずった声が廊下に響き渡る。
ポッと顔を赤らめた友人が、コクリとうなずいた。
「た、たまたま二人きりになったから……。な、なんか勢いで言っちゃえー……みたいな……」
「分かる。雰囲気って大事だし。で、返事は?」
「ぶ、部活終わったら……。どうしよう、どんな顔していったらいいのかなぁ」
「佳奈りん! 普通が一番だよ! 大丈夫、自信もって!」
「う、うん。も、もう言っちゃったし……が、がんばる。
そうそう。はるっちは、彼氏とどうなの?」
思いがけない方向から、話題が飛び火してきた。
わたしは化学の教科書を落とす勢いで、右手を振る。
「先輩は、か、か」
「はるっち。話をすればなんとやら」
こちらに向かって歩いてくる、青い体育ジャージ姿の男子生徒の集団。
友人が指すよりも早く、コウタ先輩の姿を見つけ。
わたしは鳴り響く心臓を押さえ、友人の影に隠れる。
「なーなー、佐藤。さっきのバスケでさー、こう後ろにシュッとしてーシュバってしたじゃん。足の動かし方、あとで教えてー」
「でたよ、洸太オリジナル語。英単語よりも古文単語よりもハードルたけーヤツ。どうせまた、演劇で使いたいーって言うんだろ?」
「もちろん! スッゲーかっこよかったからさー! 覚えたいなーって思って!」
「うーん……バックターンドリブルかな。擬音語的に」
「佐藤、マジでスゲーよ、お前……アレでよく理解できるわ。さすが学年3位」
「洸太、佐藤に感謝しろよー? お前の言葉を理解して訳してくれるのは佐藤ぐらいだぞ」
「え? みんなに分かるように話したけど」
「「「全然わかんねーよ」」」
「即答かよー!」
「まぁまぁ。洸太は少しずつ、擬音語を減らす努力をしようか」
「佐藤オカンに感謝だなぁ、洸太。
そうだ、四限の現国小テスト。点数で、購買のパンかけようぜー」
「今日は予習したからー……三十点! あ、やっぱり二十五点!」
「満点って言わんのかい! つーか、なんで五点ひいたし!」
晴れやかな笑い声を上げるクラスメイトに混じり、楽しそうに笑うコウタ先輩。
わたしの身体中を熱いものがかけめぐり、体温が二度上がる。
「洸太。くつヒモほどけてる」
「あれ、本当だ。気づかなかったー。佐藤、ありがとー」
「先いってるぞー」
「オッケー。追いかけるー」
その場にかがみ、くつヒモを結び始めるコウタ先輩。
友人達が歩きだし、わたしはゆっくり先へ進む。
コウタ先輩の横を通り過ぎる時、パチッと目があった。
「モモちゃん。また後で」
ささやいたコウタ先輩が、笑いながら立ち上がり。
わたしの頭にポンと手を置き、廊下をかけていく。
(……だから……そういう不意うちが、ずるいんです。コウタ先輩)
わたしは化学の教科書で、真っ赤になった顔をあおぎ。
二度以上上がった熱い身体のまま、友人達を追いかけた。
***
五限の先生に【出席振替表】を渡し、わたしはスクールバッグを右肩にかけ、第一体育館へ向かう。
『当同好会の活動と合致するため』と書かれた用紙のおかげで、教室にいなくても出席扱い。
授業の声を聞きながら人気のない廊下を歩くのは、なんだかワクワクする。
「モモちゃん、みーっけ!」
階段の上から、声が聞こえ。
わたしはドキンと心臓をバウンドさせ、足を止める。
スクールバッグを背負ったコウタ先輩が階段をおりてくる。わたしの右隣に並び、ほわんほわんと笑った。
「コウタ先輩、シーッです。他のクラスは授業中です」
「そうだったねー。授業中に出歩かないからさ。ワクワクしちゃったんだー」
ドキン。
同じことを考えた、なんて。
ドキン。ドキン。
胸の音が自分で聞こえそうなほど、喜んじゃいますよ。
ドキン。ドキン。ドキン。
頬がゆるみっぱなしになったら、コウタ先輩のせいですからね。
「メガネ先輩は桜木くん連れて先に行くって言ってましたけど。ユキ先輩は一緒じゃないんですか?」
「ユキは五限だけ、保健室で寝るって言ってたよー」
コウタ先輩と視線がぶつかり。
わたしは顔を正面に戻し、右手で髪を耳にかける。
恥ずかしい時に、ついやってしまうクセ。
くすっ。
忍び笑いのような声が聞こえ。
わたしが見上げると、コウタ先輩がほほえんでいる。
「モモちゃんのクセだから、それ」
「……!」
「日常生活のクセは、演じる時にもでちゃうんだよねー」
ドキドキうるさい心臓を押さえ、わたしは息を吐き。
間で揺れるコウタ先輩の左手の指を、ギュッとにぎった。
わたしの手じゃ、コウタ先輩の手全部はにぎれないけれど。
にぎった指先から、熱さは伝わるでしょう?
「…………え、え、えっと、も、モモちゃん?」
「わたしも、コウタ先輩のクセは知ってるんですからねっ。クセ返しっ、クセ返しですっ」
「…………ば、ば、ば、バレてないと、お、思うけどなー?」
コウタ先輩が、はにかみながらうつむく。
右人差し指で右頬をかく。
反応が、ワンテンポ以上遅れて。
言葉が、しどろもどろになって。
はにかみながらうつむいて。
右人差し指で右頬をかく。
照れ隠しをする時のクセですよ、コウタ先輩。
顔をくしゃくしゃにして笑ったわたしを見て。
もう一度右頬をかいたコウタ先輩が、そうっとそっと。
わたしの指と自分の指をからめ、手をつないでくれた。
***
第一体育館に着くまで。
わたしはコウタ先輩と手をつないだままだった。
いざ離す時も。
ドギマギしつつ離したものだから。
わたしの顔は、ゆでたタコよりも真っ赤になっている。
(……佳奈ちゃんが言ってた『なんか勢いで』って言葉通りのことを……! どんな顔したらいいか分からない気持ち、今なら分かる、分かるよ、佳奈ちゃん!)
「モモ。野上」
「メガネ先輩!」
メガネ先輩が、メガネならぬ、女神に見えます!
わたしは早歩きし、すれ違った三年女子の先輩に頭を下げる。
【演劇部】の腕章をはめている先輩が、「あの」と声をかけてきた。
「人違いならごめんね。演劇部の仮入部初日にきてくれた子かな?」
「こんにちは! ……もしかして! 待機列を教えてくれた先輩ですか? あの時はありがとうございました!」
「どういたしまして。えっと……渡辺さん。同好会の活動は楽しい?」
「はい! とっても楽しいです! 演劇大好きです!」
「そっか。私も演劇好きだよ。今は二軍だから……基礎練と雑務ばっかりだけどね」
『部室を使えるのは一軍だけよ。私の演劇部はね、完全実力主義なの。実力のない者に与える場所も時間もない』
スパルタ先輩の声が、耳奥で響く。
同じ演劇部なのに。
演劇が好きな人同士なのに。
グループ分けをされて。
二軍になったら、好きなことも自由にできないなんて。
そんなの、おかしいじゃないですか……!
大声で叫びたい気持ちが足元からこみ上げ、わたしが口を開こうとした瞬間。
ポンと、肩に手が置かれた。
「おひさしぶりです、先輩。俺とモモちゃんは何すればいいですかー?」
「の、野上君。ひさしぶり、だね。
それじゃあ……野上君は、客席を設置してくれるかな。配置図はコレね。渡辺さんは、メガネさんの指示に従ってもらえれば」
「了解ですー。モモちゃん、メガネ先輩によろしくねー」
「は、はい!」
コウタ先輩が体育館前方に走りだす。
わたしは三年の先輩へ頭を下げ、改めてメガネ先輩の元へ。
初対面なら「おひさしぶり」なんて、言わない。
三年の先輩もコウタ先輩も、お互いを知っている。
でも。
笑顔で話していたのに。
二人の間に流れていた空気は、どこか変な感じがした。
(初めて会った日。『演劇部に入るの?』って、コウタ先輩にたずねられたけど。
第二体育館で活動していた部活は他にもあったのに……コウタ先輩は、演劇部って断言した。演劇部の仮入部期間はゼッケンをつけることを、知ってたからだ。
演劇大好きなコウタ先輩なら。中学でも全国大会にでて、個人のスゴイ賞もとったコウタ先輩なら。演劇部に入部していても、おかしくないのに。
同好会を立ち上げてまで、演劇部で活動しない理由って……演劇部の話を一度もしない理由って……なんだろう……?)
グチャグチャし始めた頭を、わたしは横に振る。
メガネ先輩に向かい、「メガネせんぱーい!」と声を張り上げた。
わたしはパンフレットを抱え、メガネ先輩と一緒に小走りで客席に並べていく。
【演劇部】の腕章をつけた人達が、体育館中をかけ回っている。
脚立にのぼり、照明器具をタワー状に組み立てているコウタ先輩も、ずっと動きっぱなし。桜木くんは音響関係に配置され、これまた顔をあわせる暇もない。
客席設置、衣装部屋設置。
衣装や大道具・小道具の搬入・設置、照明の設置・確認、音響の確認……寸劇の時にはやらなかった準備が、もりだくさん。
「音響確認オッケーです!」
「アンケート用紙刷ってきましたー!」
「衣装部屋設置できました! チェックも終わってます!」
「一軍入ります! 二軍は整列!」
兵隊の行進みたいに、リズムを乱すことなく、ザッザッザッ。
青と緑のジャージ姿の人達が、スパルタ先輩に続いて入ってくる。
腕章をつけた人達が整列し、頭を下げても。
おつかれさまの言葉も、ありがとうの言葉もない。
(……お礼言われたくて、やっているつもりはないけど! わたしは、たいしたことしていないけれど! その態度はなんなんですかぁぁぁぁぁぁ‼︎)
わたしはパンフレットをにぎる手に力をこめる。
グシャリと折り曲がったパンフレットを見て、メガネ先輩がささやいた。
「モモ。アイツに腹をたてるのはエネルギーのムダだ」
「メガネ先輩。スパルタ先輩を知っているんですか?」
「ああ。部活動・同好会会議で、嫌でも顔をあわせるからな。演劇部部長だ。理事長の娘だとか。普段からあの調子さ」
スパルタ先輩、いえ、スパルタ部長。
わたし、あなただけは好きになれないと思います!
ベーッだ!
「一軍は着替え始めなさい。二軍リーダーはこちらへ」
「「「「「はい!」」」」」
「は、はい、部長」
わたしに声をかけてくれた三年の先輩が、列から抜けだす。
スパルタ部長がグルリと体育館を見回し、冷ややかな声で言った。
「十五分前までには準備完了させるよう、伝えたわよね? 残りあと五分よ。時間通りに終わるのかしら?」
「も、も、もうしわけありません!」
「謝罪が聞きたいんじゃないわ。終わるかどうか、質問しているの」
「そ、それは……すみませ……さ、作業予定……は……」
「早くなさい」
わたしのムカムカ度が上がり始めた時。
大きな音を立て、コウタ先輩が脚立を折りたたみ。
うーんと伸びをし、にっこり笑った。
「先輩。設置終わったので、確認お願いしまーす」
「……え、あ……」
「先輩。先輩に確認してもらえれば、照明オッケーです。担当の子が、音響オッケーって言ってました。一番時間がかかる舞台上は、先輩がちゃんと確認してましたよ。照明のコードをつなぐ時にチラ見しましたけど、大道具も小道具も定位置にありました。
舞台上チェック、照明、音響オッケー。衣装、大道具、小道具オッケー。客席と衣装部屋の設置もオッケー。
パンフレットとアンケート用紙を配布すれば、全部終わるんじゃないですか?
メガネ先輩、モモちゃん。俺にもパンフレットとアンケート用紙くーださい」
「はい! コウタ先輩!」
「野上、ほれ」
「うおっとぉ! メガネ先輩、少しは自分で持ってくださいよー!」
メガネ先輩とコウタ先輩を追い、わたしは走りだす。
後押しされたかのように。
整列していた人達もパンフレットやアンケート用紙を抱え、客席へかけていく。
「……ぶ、部長。わ、私」
「あなたも配布しなさい」
「……は……はい……もうしわけ……ありません……」
三年女子へ、クルリと背を向け。
スパルタ部長が体育館の壁にもたれかかり、腕を組む。
────開演まで、残り十七分。
3.
五限終了のチャイムが鳴り、「全校生徒は第一体育館へ移動してください」の放送が流れると。
客席がうまり始める。
扇型に広がる観客席の直線部分。
そこが@home専用の観劇スペースだった。
「録画担当の私と桜木が両端。桜木に続いて野上、モモ、ユキの順だ」
「ちぇー。二階から観るつもりだったのにー」
「コウタ先輩、どうやって二階へあがるんですか?」
「モモちゃん。あのね、壁の途中にハシゴがついているんだ。けんすいの応用でー、こうしてーこうやってーホイホイっとー。ジャジャーン! 二階に到着!」
「けんすいの応用でのぼれるものなんですか……?」
「……コウタ先輩。ジャジャーンじゃないです。壁の途中にあるってことは、昇っちゃダメってことだと思います」
「モモが正しい」
[コウタ。階段に【野上使用禁止】って紙が貼ってあったよ]
「マジで⁈」
「ユキ先輩!」
ユキ先輩がノートを片手に持ち、ピースサイン。
「たくさん眠れましたか?」
[うん。もう大丈夫。心配かけてごめんね。
モモちゃん、メッセージありがとう。
おすすめのマンガ全部読んだよ。おもしろかった。
金曜のドラマも、先週いいところで終わったでしょう? マンガの感想と一緒に、モモちゃんと話したくて。
あと、ネットでおもしろい脚本を見つけたの。六限終わったらコピーしてくるね]
「わーい! たくさんはなしましょうね! 新しい脚本も、すっごく楽しみです!」
パイプイスへ腰をおろし、グッと親指を立てるユキ先輩。
寝れば寝るほど。
ツヤツヤキラキラ度が上がるのは、うらやましいかぎりです!
「そろそろ開演だな。トイレに行きたい場合は、壁の蛍光テープを目印に。アンケート用紙は終了後に回収・提出する。野上、スマホを鳴らすなよ」
「いえっさー!」
わたしはパイプイスに座り、パンフレットとアンケート用紙をひざに乗せる。
ひざの上にスクールバッグを置き、スマートフォンを探していたコウタ先輩が、ピタッと止まる。
喜びでキラキラ輝く目と嬉しさを隠さない横顔は、スマートフォンを見ている時の表情。
コウタ先輩の隣で、わたしは頬をふくらませる。
(前は、スマートフォンなんてそっちのけだったのに。最近のコウタ先輩は、練習中もスマートフォンを持ち歩いてるし。ちょこちょこスマートフォンを見てるし。見てる時、なんだかとっても嬉しそうだし! 見られそうになると隠すし! むーーーー!)
「コウタ先輩。サイレントですよ、サイレント!」
「……あ、うん。ちゃんとサイレントにしたー。モモちゃん、ありがとー」
サッとスクールバッグを床に置き、スマートウォッチをタイムカウント表示にしたコウタ先輩が笑う。
ワンテンポ、反応遅れてます!
見られないように、コソコソしてます!
あやしいです、あやしすぎます、コウタ先輩!
「演劇部学内公演・赤と黒のロンド。ただいまより上演いたします」
開幕のベルが鳴り、体育館が暗闇に包まれていく。
ヒュォゥ……ヒュォゥ……と、さびしそうな風の音が鳴り。
足元を、冷たい風が通りすぎる。
まっすぐな光に照らされた、上手と下手の階段。
右の上手には、真紅のドレスを身につけ、赤い花かざりをつけた少女。
左の下手には、真っ黒なドレスを身につけ、黒い花かざりをつけた少女。
それぞれの右手と左手が空中で止まり、鏡合わせのように同じ仕草をくり返す。
二人が向き合った瞬間。
地面から生まれたような声が、体育館中に響いた。
「『ついに! ついに産まれたか!』」
丸い光がいくつも重なり、閉じられたままの幕に、男性と女性達の影絵を映しだす。
ザワザワと騒ぐ音に混ざり。
赤ちゃんの泣き声が「オギャア、オギャア」と響く。
「『いけません、旦那様! 入らないでくださいませ!』」
「『なぜだ! なぜ入れぬ! 我が子が産まれたというのに!』」
「『私から理由をお話しいたしましょう。旦那様、心してお聞きください。奥様がお亡くなりになられました。そして……生まれた子供は、双子でございます』」
ピカッと一瞬、まぶしい光が弾け。
ゴロゴロ……ズドォォォォン!
体育館のあちこちに、雷が落ちる。
わたしはおもわず、コウタ先輩のパーカーの袖をつかむ。
そっと、わたしの指がほどかれ。
ちょこんと、大きな手のひらにのせられる。
わたしがドキドキしつつ、コウタ先輩の指先をツンツンつつくと。
三テンポ数えた後に、お互いの指がからんだ。
暗闇の中で手をつなぐことは、二人だけのヒミツみたいで。
わたしの心臓がせわしない音を鳴らし始め、カーッと全身が熱くなる。
「『古来より、双子は不吉の象徴です。このままでは奥様のみならず、一族みなが呪われるでしょう』」
「『ああああ! なんという事だ!』」
「『どちらを生かし、どちらを亡き者とするか。旦那様、お決めください』」
オギャアオギャアと泣き叫ぶ声が大きくなり、静かになったとおもいきや。
影絵が消え、オレンジ色の照明が当たる。
全身を白い布でおおい、白くて丸いものを持っている人。
「『あなたは私が助けましょう。表にでなくとも、生き続けなさい。そして、いつの日か。あの男へ復讐を──』」
舞台上の照明が消え、真紅のドレスが照らされる。
「『私はマリア。私にそっくりな、あなたは誰なの?』」
パッと照明が切り替わり、真っ黒なドレスが浮かび上がる。
「『私はダリア。ふふふ。何も知らない、バカなマリア。あなたは私。私はあなた。ふふふ、ふふふ、うふふふふ……』」
暗転。
舞台の幕が、静かに上がる。
アンティークの家具が置かれた室内。
どれが本物でどれが作り物なのか、すぐには見分けがつかない。
金色の糸でししゅうがほどこされた、黒いジャケットと黒いズボン。
首元に大きなフリル。
下手の揺りイスに座った男性が、パイプをふかしている。
「『お父様!』」
上手から、封筒を持った少女がかけてくる。
赤い花かざりをつけ、ゆいあげられた金髪。
大きなリボンがついた胸元、キュッと細い腰、フリルとレースで丸くふくらんだドレス。
舞台装置と衣装を見て、わたしは想像する。
演劇部が創りあげたい世界は、たぶん、少し昔の外国で。
死んだと思われているけれど、双子の一人は生きていて。
なぞの人が残した、『あの男へ復讐を』のセリフと。
ダリアのセリフが、物語のキーポイントになる気がする。
「『マリア。どうしたんだい。そんなに慌てて』」
「『クロス様から手紙がきたの! 近々、こちらにいらっしゃるんですって! ダンスのお誘いをいただいたわ! お父様、私がちゃんと踊れるか、見てくださいな!』」
封筒を父親に渡し、クラシックの音楽にあわせ、マリアがダンスを始める。
複雑なステップを踏み、クルリクルリと回転し、観客へアピールし。
クル、クルリ、タンッ。
音楽の終了と同時に、マリアがポーズを決めた。
『非日常の動作っていうのは、日常生活で自然にやらない動きの事。たとえば、立った体勢のまま、後ろにスーッと移動するとか。バレエダンサーみたいに、その場でクルクル回り続けるとか。
非日常の動作は、コツをつかむのはもちろんだけど。ケガをしない動き方を、体に覚えこませるんだ。演劇は生身の肉体で表現するものだから、自分の体を大事にしなきゃダメ。
今のモモちゃんだと、回転系の動きはフラフラして転ぶかもしれない。転んでケガをするかもしれない。可能性の話って言われたら、そこまでなんだけどね。俺がいるかぎりはダーメ。いいって言うまでダーメ。
モモちゃん。自分ができる仕草をイメージして、実際に動いてみて、一つずつ表現の方法を増やしていこう。想像力が広がれば広がるほど、演劇はもっともっと楽しくなるよ!』
ようせいを演じる前、コウタ先輩に言われたことを思い出す。
マリア役の人が、スゴイって分かるのも。
演劇部が創りあげたいものをイメージして、ワクワクできるのも。
全部、コウタ先輩が教えてくれたからです!
「『すばらしい。クロス様も、さぞ喜ばれるだろう』」
父親が大きな拍手をし、マリアがおじぎをする。
わたしも内心で拍手を送る。
下手から現れた使用人の男が、父親のそばで敬礼する。
「『旦那様。そろそろお時間です』」
「『うむ。かわいい、かわいい、私のマリア。私がでかけている間、いいつけを守れるね?』」
「『はい、お父様。お屋敷の外には、危険な動物がたくさんいるのでしょう? 中には、人の生き血を吸うモノもいるとか。
お父様こそ、お気をつけて。お父様がお帰りになるまで、私はおとなしく待っていますわ』」
父親の手をにぎり、ほほえむマリア。
マリアに当たっていた照明がスーッと薄くなり。
舞台前方に歩きだした父親へ、丸いライトが当たった。
「『ははははは! クロスからの手紙だって? そんな人物は存在しない! お前が文通しているのは、使用人の爺だ!
ははははは! 危険な動物だって? 人の生き血を吸うモノだって? そんなものは存在しない! お前が信じこんでいるのは、真っ赤なウソの作り話だ!
おろかであわれな子よ。死ぬまで、この屋敷から出られぬなど。知らないほうが幸せだ。
すべては私のため! いまいましい、血の呪いから逃れるため!
かわいい、かわいい、私のマリア! 私のために、お前の一生をささげておくれ! ははははは!』」
丸いライトが消え、再度室内が明るくなる。
マリアが揺りイスに座り、本を読んでいる。
父親と使用人がいなくなり、マリアが別の仕草を始めたことで。
あっという間に、舞台の時間が変わった。
音楽の合図を使わなくても、真っ暗闇にしなくても。
場面転換の方法は、たくさんあるんだ……!
本のページをめくり、イスを揺らし、マリアがティーカップに口をつける。
表情や仕草がゆったりしていて、流れ始めた音楽もスローテンポ。
(……お茶を飲んで、好きな音楽をきいて、好きな本を読んで。マリアは普段通りに過ごしてる。緊張した空気と、のんびりした空気の波が交互にきて、物語にメリハリがついてる。次はなにがくるんだろうって、目が離せない。スゴイなぁ……!)
上手から、黒髪をポニーテールに結んだメイド服の少女が現れる。
長い前髪で隠され、表情はよく見えない。
中央へ向かいながら、窓を押して歩くメイド少女。
開いた窓の向こう側には、真っ黒な引き幕が見える。
観客に背を向け、メイド少女がモップを使い、ほこり取りを始める。
マリアはのんびり、本のページをめくっている。
メイド少女が、次の家具へ移ろうとした瞬間。
ゾクン!と、わたしの背筋にふるえが走った。
……見てる。
……メイド少女が、マリアを見てる……!
……マリアを、ジッと見てる……!
うってかわって、不気味な静けさが舞台を包む。
メイド少女がそうじを再開し、わたしは大きく息を吐く。
ところが。
今まで背中を向けていたメイド少女が、クルリと向き直り。
丸テーブルにある花びんを、モップで揺らし始める。
グラグラ、グラグラと揺れる花びんが、少しずつテーブルの端へ。
ガシャァァァァン‼︎
割れる音が響き渡り、花びんが床に転がる。
「『な、なに⁈』」
揺りイスから立ち上がり、マリアが周りを見回す。
メイド少女がサッと両ひざを床につき、顔を両手でおおう。
マリアがメイド少女に気づき、しゃがみこむ。
「『泣かないでちょうだい。きっと、窓から風が入ってきたのよ。あなたのせいじゃないわ』」
「『マリアお嬢様! ご無事ですか⁉︎』」
「『ええ。私は大丈夫。風にゆられた花びんが、床に落ちてしまったの。驚かせてごめんなさい』」
「『お怪我がなくて安心いたしました。すぐに片づけましょう』」
小太りのメイドとマリアが話している間に、ゆっくり手を離したメイド少女が。
観客に向かい、くちびるの端をニィッとつりあげた。
(……っ! こここここ、こわいよ! あのメイドさん!)
わたしの体が勝手にブルブルとふるえ、つい舞台から目をそらしてしまう。
とん、とん、ぎゅっ。
とん、とん、ぎゅっ。
手をつないだままのコウタ先輩の指が、同じリズムで動く。
とん、とん、ぎゅっ。
とん、とん、ぎゅっ。
大きくて優しい手が、今、わたしとつながっている。
そう、思ったら。
心の奥が、ポカポカ温かくなって。
とくとくと胸が鳴る音にあわせ、自然と笑顔がこぼれた。
話さなくても、気づいてくれて。
表情が見えなくても、気づいてくれて。
いつだって。
コウタ先輩がわたしに、笑顔の魔法をかけてくれる。
わたしがまっすぐ舞台を見ると、指の動きは止まった。
花びんを片づけ、小太りのメイドが退場する。
顔をそむけたままのメイド少女の手を、マリアが両手で包む。
「『あなた、知らない顔ね。名前は? 年はいくつ? どこからきたの?』」
「『……』」
「『ああ、私ったら! 年の近い子がいないものだから、つい興奮してしまって。ごめんなさい。私はマリア。あなたのお名前は?』」
メイド少女が、ゆっくり顔を戻し。
長い前髪の下からジーッとマリアをみつめ、重い口を開いた。
「『自分の名前も、年も、どこからきたのかも。私は、何も覚えていません。
他の使用人が言うには、お屋敷の入口で倒れていたそうです。少しでも恩返しができればと思い、働かせてもらえるよう、頼みこんだのです。
初日から、花びんを割ってしまうなんて……もうしわけありません』」
わたしは、ウーンと首をかしげる。
メイド少女が話したのは、初めてだけれども。
この声……どこかで聞いた気がする……ような……
「『そうなの……かわいそうに……。記憶が戻るまで、屋敷にいてかまわないわ。花びんの事は、気にしないでちょうだい。
私ね、年が近い話し相手が欲しかったの。よければ、私の話し相手になってくれるかしら?』」
「『喜んでお受けいたします。マリアお嬢様』」
「『ありがとう。でも、さすがに名前がないと不便だわ。そうね……あなたの名前は……』」
色々とポーズを変え、マリアが考えだす。
間があき。
マリアが自分の花かざりをはずし、メイド少女の髪につけた。
「『決めた! あなたの名前はダリアよ!』」
微笑むマリアを見て、わたしがゾクゾクした直後。
メイド少女がニンマリ笑った。
「『ステキな名前をありがとうございます。マリアお嬢様』」
間違いない。
少しだけ、高い声に変えているけれど。
声の主は、ダリアだ……!
ダリアがメイドに変装して、マリアに近づいたんだ……!
スゥと、暗くなっていく舞台。
ヒュォゥ……ヒュォゥ……と、さびしそうな風の音が鳴り。
足元を、冷たい風が通りすぎる。
「『ふふ、ふふふ。バカなマリア。おろかなマリア。ふふ、ふふふ。まさか、ダリアと名づけるなんて。
ダリアの花言葉には、“裏切り”もあるのよ。ふふ、ふふふ……うふふふ!
私を亡き者にした父! 私を知らず、のうのうと生きていたマリア! あなた達をあざ笑うには、ピッタリな名前ね!
さあ、始めましょう。裏切り者達への復讐を!』」
ダリアの笑い声が、暗闇に響き渡る。
ゴクリと、わたしは息を飲んだ。
舞台が明るくなったら。
ダリアの復讐が、始まる……!
最初は、下手の揺りイスと上手の家具前で。
次は、マリアだけが、赤いソファーに座り。
最後は、マリアとダリアが二人そろって、ソファーに座った。
距離が近くなっただけなのに。
二人がどんどん、仲良くなっていくのが分かる。
実際の位置=心の距離。
わざわざ言葉で説明しなくても。
舞台では、人の位置で表現できるんだ。
「『それでね、お父様が……』」
マリアは話し相手ができたことが嬉しい様子で、ダリアに話しかける。
母親がいないこと、生まれてからずっと屋敷にいること、父親のこと、好きな食べ物や文通相手のこと。
黙って聞くだけ。
あいづちを打つだけ。
聞き手だったダリアが、たずねだす。
「『どうして、母親がいないのですか?』」
「『どうして、ずっとお屋敷にいるのですか?』」
「『クロス様は、どんな方ですか?』」
身ぶり手ぶりを交え、マリアが答える。
棒読みのような口調で「『そうなんですね』」と、ダリアは毎回同じ返事をする。
マリアが話せば話すほど。
ダリアのくちびるが、ニヤリニヤリとつり上がっていく。
わたしがハラハラしていた先で、マリアが「『あら?』」と声を上げた。
「『ダリア。私、気づいたのだけれども』」
き、気づいた?
マリア、ダリアの正体に気づいた?
ダリアの長い前髪を、マリアが手で持ち上げ。
観客へ向かい、ダリアの素顔をさらす。
「『前髪を切って、金髪にすれば。あなた、私にそっくりだわ!』」
「『本当ですか?』」
「『ええ! だって、顔のつくりが似ているもの! こんな偶然もあるのね!」』
双子だから!
気づいて、マリア!
わたしは声がだせないかわりに、両手をブンブン振る。
コウタ先輩とつないでいる右手も、勢いよく振ってしまい。
わたしが隣を見上げるより早く、わたしのひざの上にアンケート用紙が置かれる。
【その他】の半分以上が埋まっている用紙の一番下。
大きな◯で囲まれた一文が見え。
火が出る勢いで、わたしの顔は熱くなった。
──モモちゃんの反応が、全部カワイイ。
わたしが口を開く前に、サッとアンケート用紙がひっこめられる。
ま、また、不意うち……!
ずるい、ずるい、ズルイ……!
バラバラになりそうなほど、うるさく鳴る心臓の音が。
熱くて熱くてたまらない、わたしの体温が。
舞台でなく、他のものでなく。
先輩一人だけにドキドキしているって、バレちゃうじゃないですか、コウタ先輩。
舞台上が暗くなる。
黒子の人達が、揺りイスとソファーを残し。
大道具を含めた家具にバサリと布をかけ、隠してしまう。
マリアとダリアが、それぞれ上手と下手に消える。
丸いライトがクルクル回りながら、舞台を照らす。
大道具にかけられた布のあちこちが、キラキラと光る。
クルリ、クルリ、ピタリ。
中央で止まったライトの中。
背中合わせの2人のマリアが、観客を見つめていた。
(……三年の先輩が、準備中に見学させてくれたけれど。舞台袖は、思っていたよりも狭かった。観客から見えないよう、幕の調整が必要で。袖幕から明かりがもれないよう、真っ暗にする必要があるって言ってた。
そんな場所で、衣装も髪型もメイクも変える役者さん。一分もたたずに、役者さんを舞台へ送り返す裏方さん達。
見えない人達の力もあわせて、演劇の世界は、舞台は創られてる……! すごいなぁ……すごいなぁ……!)
「『ダリア。あなた、ステキよ! 本当に、私が二人いるみたいだわ!』」
マリアとダリアが見つめあい、鏡合わせのポーズを決める。
ほほえむ仕草、おじぎの仕草、ダンスまで息ピッタリ。
「『入れ替わりごっこが、こんなに楽しいなんて! ダリア、見てちょうだい! メイドの驚いた顔を! 使用人が腰を抜かした姿を! 大声で笑ったのは、いつぶりかしら!』」
「『喜んでくださって嬉しいです、マリアお嬢様』」
「『ああ、でも……屋敷にいる者は全員、驚かせてしまったわ。楽しい遊びだったのに』」
意地の悪い笑みを浮かべる、マリアが。
マリアに化けたダリアが、本物のマリアの両手をとり。
ピカッと光った雷の音にあわせ、ささやいた。
「『まだ一人、いらっしゃるではありませんか。あなたのお父様が。
いかがでしょう、マリアお嬢様。明日、旦那様がお戻りになられたら。二人で一緒にダンスを踊り、どちらが本物か、旦那様に当ててもらうというのは』」
「『それは良い考えね! きっと、お父様も楽しんでくださるわ!』」
「『ええ。私も、とてもとても、楽しみです。マリアお嬢様』」
ふふふ……ふふふ……
流れる音楽に、ダリアのくぐもった笑い声が混じる。
舞台前でダンスを踊る、本物のマリアは気づかない。
斜め後ろに立つダリアが、お腹を抱えて笑っていることを。
ダリアが、マリアを罠にかけようとしてる……!
回りだした丸いライトが、マリアとダリアを照らす。
黒子の人達が、家具をおおっていた布を取り払い、マリアとダリアを隠す。
次の瞬間。
舞台は室内に戻り、誰の姿もなかった。
パカラッ、パカラッと、馬のひづめの音が鳴り。
ギギ……ギィ……と、重い扉が開く音が鳴り。
下手から、父親が現れる。
「『かわいい、かわいい、私のマリア。どこに隠れているんだい?』」
シーンとした空気に包まれる舞台。
父親が慌てた様子で「『マリア? マリア?』」と、大声を張り上げる。
わたしが五つ数え終わっても。
マリアもダリアも現れない。
ヒソヒソ、ザワザワ。
観客席が少しずつざわめきだし、ポツポツとスマートフォンの光が点滅する。
観客が……現実へ戻り始めてる……!
わたしが、コウタ先輩に声をかけようとした矢先。
バタバタと走る足音が聞こえ、「今、保健の先生を呼んだから!」とあわてた声が聞こえ。
首をかしげるよりも前に、幕が下り始めた。
父親のかんだかい叫び声が上がり、ダリアの声が響き渡る。
「『ふふふ。ふふふ、うふふふ……! あはははは! 私の復讐は終わった……! ふふふ、うふふ、あはははは!』」
「以上、演劇部学内公演・赤と黒のロンドでした。アンケートのご協力をお願いいたします。本日はありがとうございました」
アナウンスが流れ、体育館が明るくなる。
わたしは空いた口がふさがらないまま、下りた幕を見る。
(こ、これで終わり⁈ どっちが本物か当てるゲームで、ダリアが選ばれて! マリアと父親をやっつけて! ダリアがスカッとしたところで、話が終わるんじゃないの⁈
それに……保健の先生って……なにかあったのかな……?)
「メガネ先輩。録画時間、何分ですか?」
「五十分十二秒だ」
「引き幕は機械まかせだったから……四十九分あるかないか、か。短すぎる。三幕構成の脚本で、あえてラストシーンを改変する理由って……まさかな……」
コウタ先輩が唇に人差し指を当て、考えだす。
間近で見た真剣な顔に、ドキドキと胸の音を鳴らしつつ。
わたしはおずおずと、コウタ先輩にたずねた。
「コウタ先輩。短いって、上演時間のことですか?」
「うん。高校演劇の上演時間は六十分以内。装置の設置や撤去が三十分以内。一秒でも超えたら失格になって、審査対象から外される。地区予選だと地域で変わる事があるんだけどね、全国大会では絶対的なルール。だから、五十五分以上五十八分以内で上演する学校が多いんだ。別作品で上演時間四十分の舞台もあったけど、例外といえば例外かな。
モモちゃん。別の学校が同じ脚本を上演した時は、上演時間が五十七分だったんだ。三幕構成の脚本だから、ストーリー展開は変わらないはずなのに。今日の舞台はラストの展開を無視して、強引に終わらせた気がした。
あ、ええとね……【設定・対立や衝突・解決】という三つの幕で作られているものを、三幕構成っていうんだ。第一幕は誰が・何をするストーリーなのか設定されて、主人公の目的が示される。第二幕は、対立や衝突。ライバルがでてきたり、解決しなきゃいけない問題がでてきて、主人公が成長する。第三幕は、成長した主人公が、一番乗りこえなきゃいけない問題を解決して、クライマックスへ向かう。
ハッピーエンドかバッドエンドかは別として、必ずエンディングはくる。幕が下りるって事は、物語が、世界が、終わるって事だから。
今日の結末は、ダリアが復讐をとげる事。亡き者にされたダリアが、何も知らないマリアに近づいて。マリアとそっくりな姿になって。どちらが本物か当てるゲームで、父親が……っと。
勢いあまって、ネタバレしそうになっちゃったー。ごめんね、モモちゃん」
真剣な表情から、いつもの笑顔へバトンタッチ。
クルクル変わるコウタ先輩の表情に。
わたしの心臓が燃えて燃えて、身体中にドキドキの命令をだしている。
熱い熱い頬のまま、わたしはコウタ先輩のほうへ、体の向きを変える。
「コウタ先輩が教えてくれたんですよ。想像力が広がれば広がるほど、演劇は楽しくなるって。
わたしも、自分で想像したんです。きっと、どっちが本物か当てるゲームで、ダリアが選ばれて。マリアと父親に復讐して。最後は、ダリアがスカッとするんだろうなって。
だから、幕が下りた時。ラストシーン、ダリアが本当にやりたかった事なのかなって……。お父さんが勝手にテレビのチャンネルを変えた時みたいに、すっごくモヤモヤして!
コウタ先輩。正しいストーリーを教えてください。モヤモヤしたまま帰ったら、ずっとモヤモヤしそうです!」
隣のイスに身を乗りだす勢いで、わたしはコウタ先輩を見上げる。
コウタ先輩が目をパチクリさせ、一・二と間があく。
ほほえんだコウタ先輩が、わたしの耳元へ口を寄せる。
吐息が聞こえる距離まで、近づいた直後。
コホンと、メガネ先輩が咳払いした。
「野上。モモ。邪魔をして悪いが。アンケート用紙を記入するように。
お前達、さっきから注目の的だぞ。この位置は、全校生徒の通り道という事を忘れたか。周りに何を言われても、私は知らん。不純異性交遊ではないからな。自己責任だ」