カーテンコールを君と一緒に。

2.
 初舞台の翌日。
 わたしが登校すると、クラスメイトがかわるがわる寄ってきた。

「ねえねえ、渡辺さん! 昨日、正門前で劇やってたよね⁈ 一年生で主役とか超スゴイじゃん!」
「渡辺さん、すごく目立ってたよー。後ろからでもバッチリ」
「正直言うとねー。芸術鑑賞(げいじゅつかんしょう)で見た演劇が、意味わかんないし、つまんないしで。なにがおもしろいんだろうって、ずっと思ってたの。でも、昨日は色んな仕掛けがあって、王子様が近くまできてくれて! 自分も参加してるみたいで、すっごく楽しかった!」
「あの美人! 二年だろ? あとで名前教えてくれよー」

 視線誘導のバトンリレーを、ミスしそうになったことも。
 発声を間違えて、大声で叫んでしまったことも。
 失敗したと思ったことは、たくさんたくさんあるけれども。
 そんなものは全部、みんなの笑顔が吹き飛ばしてくれる。

「見てくれてありがとう! よかったら、次も見にきてね!」

 満面の笑顔で、わたしは返答する。
 普段は眠そうなチャイムまでもが、開幕の鐘のように鳴り響いた。

***

「失礼しまーす!」

 わたしは元気よくあいさつし、地学準備室の扉を開ける。
 
「おはよう、モモ」
「メガネ先輩、おはようございますっ」

 置いてあるスクールバッグは二つ。
 定位置に座っているメガネ先輩が、ドーンと積み上がった紙の山に隠れている。
 わたしが尋ねる前に、メガネ先輩が口を開いた。

「ユキは休み。野上(のがみ)は屋上で筋トレ中だ」
「ユキ先輩、体調悪いんですか?」

 昨日も変な感じだったし……の言葉は、ゴクンと飲みこみ。
 わたしはメガネ先輩の前のイスに座る。

「たんなる寝不足だ。ユキの体力は電池(でんち)と同じだからな。充電が終われば戻ってくる」

 寝袋が置いてある理由、活動中に寝てもいいルール。
 @home(アット・ホーム)に入会して半月、ようやく謎が解けました。

「メガネ先輩。なにを作っているんですか?」
「中間テスト用の対策プリントだ」
「それ全部ですか?」
「モモ。恩は売り歩くものだぞ。倍返しの礼をもらうために」

 クックックッと笑うメガネ先輩。
 悪い人が笑う時にそっくりです。
 口がさけても言えません。言いません。お口チャックです。

「半分以上は野上(のがみ)用の暗記プリントだがな。一年たっても成長しないとは、世話(せわ)のかかるヤツめ」

 やれやれといった様子のメガネ先輩が、プリントに向き直る。
 わたしは「大変ですねー」と言い、スクールバッグを開けようとして。
 メガネ先輩の言葉を、最初から最後まで再生し直し。
 勢いよく立ち上がった。

「めめめメガネ先輩! 一年生のコウタ先輩を知っているんですか⁉︎」
「ああ。同じクラスかつ隣の席だったぞ。チッ」

 舌打ちは、聞こえないフリをさせていただきます!

「聞きたいです! 一年生の時の話!」

 目を輝かせたわたしを見て、メガネ先輩が頰づえをつく。
 わたしは着席し、ウキウキした気分で話を待つ。

「私の運の()きだ。それ以上でも以下でもない」

 一年生のコウタ先輩へ。
 地学準備室の温度が、氷点下になった気がします。

「モモ。野上(のがみ)について知っている事は?」
「はい! 二年B組で、@home(アット・ホーム)の代表です。演劇が大好きで、演技がすっごく上手で、演じている姿がとってもステキです。
 トレーニングになるからって、朝刊配達(ちょうかんはいたつ)のアルバイトをしていること。月・水・金の夜は、劇団で練習していること。土日は演劇の勉強会に参加したり、舞台を観にいっていること。
 今までずっと無欠席なこと。制服をキッチリ着るのが苦手なこと。授業は楽しいけれども、テストの点は……なこと。小学生の妹と保育園児の弟がいること。弟がくれるキャンディーやチョコレートを持ち歩いていること。
 それから、ユキ先輩と同じ中学で、演劇部仲間。中三で全国大会に出たこと。個人のスゴイ賞をとったこと。この話はユキ先輩が教えてくれたので、直接聞いたわけじゃないです。
 あとは……あ! 購買(こうばい)で売ってるイチゴジャムパンがおいしいって、オススメされました!」
「全部か?」
「はい。全部です」
「モモ。はじめに言っておくぞ。野上(のがみ)本人が胸にひめている事に関して、私は一切(いっさい)語らない。それでもいいな?」

 念押しするメガネ先輩の言葉に、わたしは首を縦に振り、背筋を正す。
 一息吐き、メガネ先輩が再度口を開いた。

「自分の事を話すのは嫌いだが。モモが聞きたい話につながるからな、しかたない。
 私の家は代々続く資産家(しさんか)でな。トップクラスの金持ちだと思ってくれ。超がつくほど孫バカのクソジジ……失礼。初孫フィーバーで舞い上がった祖父が、私の名前をつけた。そりゃあもう、脳内お花畑状態でな。漢字の読み方すら忘れてな。子供は親を選べないというが、私の場合は祖父も選べなかったわけだ。まったく、あのクソジジ……失礼。
 モモ。仮にお前が、保育園の自己紹介で『わたちは、わたなべローザマリアクリスティーヌでちゅ☆』と名乗ったとしよう。当時は何も知らないおこちゃまだ。だが、幼稚園・小学生・中学生と大きくなるにつれ。自分の容姿(ようし)と名前が、とほうもなくかけ離れている事に気づいた時。名前を消却(しょうきゃく)したいと思わないか?」

 ズモモモモ……
 メガネ先輩の後ろに、黒い影が見えます。
 セリフ部分だけアニメ声なのが、とてもコワイです。

「私の個人名をデカデカと書いた花輪(はなわ)を、記念行事のたびに送りつける祖父と両親だ。服の趣味含め、どうにもウマが合わなくてな。正直ウンザリしていた。そこで、私はささやかな反抗を(こころ)みた。
 モモも聞いただろう、入学式での新入生代表あいさつを。去年は私が担当でな。あいさつ文を読み上げ、名乗る時に『私はメガネだ』と宣言した。
 生徒が騒ぎ、教師が慌てだし、祖父と両親があぜんとしていた最中(さいちゅう)
 入学式早々(そうそう)遅刻してきたヤツが、白いパーカー姿で飛びこんできたヤツが。体育館中に響き渡る声で『スッゲー! カッコイイー!』と言ったんだ。体育館中の視線が集まっても、たった一人、笑顔で拍手し続けた。それが野上(のがみ)だ」

 缶コーヒーに口をつけ、メガネ先輩が話を続ける。

「『へんなのー』と小学生低学年で言われていて以来(いらい)。目立ちたがりの女子グループや男子グループに、笑いのネタを提供し続けてきた名前だ。スマホやパソコンの予測変換に出てこないのは当たり前、読めないのが当たり前。画数(かくすう)もやたら多くてな、テスト開始一分は氏名記入だけで終わる。
 話を戻そう。入学式の後、私は職員室に呼び出された。一年時の担任が、生徒指導の教師でな。祖父と両親がしゃしゃり出てきた事で、校長まで巻き込む騒ぎとなった。名前は大事だの、アイデンティティがどうだの。私そっちのけで大討論会(とうろんかい)だ。
 その途中。後ろの応接スペースで待機していた野上(のがみ)がパーテーションの上から、ひょっこり顔をだし。これまた笑顔で言ってのけた」

『おかしいなー。生徒の自主性(じしゅせい)尊重(そんちょう)するって、校訓に書いてあったけどなー。あ、おかしいといえば、もう一つあるんですけど。さっきから、メガネさん以外の人ばかりが好き勝手に話してますよね。高校に通うのはメガネさんでしょ。自主性うんぬん言うなら、メガネさんの話を聞くべきじゃないんですか?
 そうそう。知ってます? 演劇部は、日常生活でも役名や部名(ぶめい)で呼びあうんですよ。中学の時、俺はスマイルや王子先輩って呼ばれてました。本名に一文字もかすっていない呼び名でしたけど、ちゃんと俺だって理解されてました。だから、メガネさん本人が名乗りたい名前で、周りに知ってもらえばいいと思います。
 それに。初対面の人だらけの中、注目されている中で、あんな堂々(どうどう)と言い切るなんて。なみの神経じゃできませんよー。経験積んだ役者さんでも、初舞台は緊張するって聞きますし。メガネさんは自分の意見をハッキリ言える、めちゃくちゃカッコよくてスゴイ人だなーって、俺は思いましたけどねー』

「それを聞いて、私は理解した。こいつは本物のバカだと。こいつは、いつ何時(なんどき)も自分に素直なヤツなのだと。真面目(まじめ)なイイ子を演じてきた私とは、真逆なヤツだと。
 大口をたたいておきながら沈黙していた自分が、急にバカバカしくなってな。笑いだした私を見て、周りは不可解(ふかかい)な顔をしていた。野上(のがみ)だけがきょとんとしていて、腹を(かか)えて笑ったものだ。笑い終えた後、私は言ってやったのさ。『私の名前はメガネだ。自主性を重んじるならば、校内では好きに名乗らせてもらおう』と。
 クラスでも野上(のがみ)が『メガネさん』と連呼(れんこ)してくれたおかげで、私=メガネだと周知(しゅうち)された。制服をキッチリ着ない事で、担任の興味も私から野上(のがみ)へ移った。
 入学式に遅刻した理由は、演技の練習をしていたから。制服を着ない理由は、演技したいと思った時に動きにくいから。野上(のがみ)が演劇バカと気づくまで、時間はかからなかった。朝から晩まで好きな事に打ち込む姿は、青春そのものを体現(たいげん)しているようにも見えた。
 二学期が始まってすぐの頃だ。放課後のチャイムが鳴ると同時に飛びだしていた野上(のがみ)が、教室に居残る事が多くなった。ただじっと、窓の外を見ていた。そんな姿が、数日続いた後。野上(のがみ)がまじめな顔をして、私に頭を下げたんだ。『メガネさ……メガネ先輩。同好会を作りたいので、俺に力を貸してくれませんか』と。
 本名にわずらわされない高校生活を過ごせるのも、野上(のがみ)のおかげだ。面と向かって礼を言った事はないがな。一回ぐらいなら頼みをきいてやろうと、私は了承した。
 メンバーが三人以上いないと同好会は作れない。決まっていたメンバーは野上(のがみ)とユキの二人だけ。時も場所も考えず、土下座して頼む野上(のがみ)に追い回され。演劇以外ポンコツの野上(のがみ)では、同好会維持は無理だと顧問(こもん)に泣きつかれ。野上(のがみ)が好き勝手しないよう、見張り役が必要だと教師陣に(せま)られ。外堀(そとぼり)を固められた私が三人目のメンバーになり、@home(アット・ホーム)ができた。
 野上(のがみ)に出会った事が、私の運の()きだったわけだ。今後ヤツ以上のバカに出会う事は、そうそうないだろうな」

 クスリと。
 笑い声をもらし、メガネ先輩がほほえむ。
 いつも冷静で、表情を変えないメガネ先輩。
 そんなメガネ先輩さえ、笑顔に変えてしまうのだから。
 やっぱりコウタ先輩は、笑顔の魔法使いだ。

「私が話せる事は以上だ」
「ありがとうございました!」

 頭を下げたわたしを見て、メガネ先輩がプリントに向き直る。
 わたしは制服を脱ぎ、赤いジャージに着替える。

「メガネ先輩。わたしも屋上で練習してきます!」
「気をつけてな」

 トントン、トトトン!
 屋上へ続く階段を、わたしはようせいのステップでのぼる。

 昨日より今日。
 今日より明日。
 一つ、また一つ、新しい姿を知るたび。
 とくんとくんと、鳴り響く音が大きくなって。
 きゅうと胸がしめつけられて、息もできないぐらいに。
 コウタ先輩だけでうめつくされていく、わたしの身体。

 コウタ先輩が、ユキ先輩を好きでも。
 わたしが知らない、他の人を好きでも。
 とろとろに溶けだす、甘い甘い気持ちを。
 見ないフリは、しない。

(……だからといって! 宇美ちゃんに貸してもらったマンガみたいには……あんなふうに、スラスラ言えるわけがないってば! はずかしくて、頭が真っ白になっちゃうってば! 
 うーん……れ、練習すれば言えるようになるかな……なるのかな……? す、す、す、す、す)

 わたしが扉を開けるよりも早く。
 屋上側から扉が開き、笑顔のコウタ先輩と目があった。

「モモちゃんの足音だと思ったんだー! 大当たりー!」
「すひゃい!」
「モモちゃん、カミカミ様がついてるよー。カミカミ様ー、カミカミ様ー。どうぞお帰りくださいー」

 不意うちの登場に驚いた、わたしの返事は。
 セリフをかんだ時に出てくる、カミカミ様(※コウタ先輩命名)だと思われたらしい。
 にこにこ笑いながら、コウタ先輩がわたしの頭をなでる。

「こ、コウタ先輩。おはようございますっ」
「モモちゃん、おはようー!」
「あの、コウタ先輩」
「うん、モモちゃん」
「す……」
「す?」

 コウタ先輩が笑いつつ、首をかしげる。

 今は、まだ。
 ムリムリムリムリ!
 無理無理無理無理!

 わたしは心臓が飛びだしそうなほど、ドキドキうるさい胸を押さえ。
 両頬をチューリップよりも真っ赤に染めたまま、笑ってみせた。

「ストレッチ! 頭文字(かしらもじ)しりとりしながら、ストレッチしたいです!」
「オッケー! じゃあ、俺の番ね! “す”スタートだからー……鈴!」
「す、すみれ!」
「スイカ!」
「す、す、すいそう!」
「スイス!」
「いじわるです! す、す、すもも!」

 コウタ先輩の横顔を見上げ、わたしは声にならない声でつぶやく。

 ──好き。

 コウタ先輩。
 もし、もしも。
 言えるようになったら。
 わたしの話を、聞いてくれますか?

「おい、野上。世にも珍しい新入会員が来たぞ」
「新入会員!」

 メガネ先輩が屋上の扉を押さえ、後方に控えている人物を手招きする。コウタ先輩が一気にテンション高くなったことで、わたしも慌ててジャージの埃を払った。
 黒のブレザーに灰色のズボン、結ばれているのは赤いネクタイ。わたしは新入会員の顔を見て、「あ」と声を上げた。

桜木(さくらぎ)くん?!」
「え、なになに、モモちゃん知り合い?」
「渡辺さんとは同じクラスです。桜木尚(さくらぎなお)です。よろしくお願い致します」

 薄いフレーム眼鏡をかけ、校則通りぴしっと頭を下げた桜木くんにコウタ先輩がふんふーんと上機嫌で近寄っていく。

「同好会代表の野上です。どうぞよろしくー。ところで……桜木くんは演者希望かな? かな?」
「いえ、僕は音響希望です」
「ふむふむ。演者きぼ……じゃないんかい! 音響かい!」
「私の役目が一つ減るな。万々歳だ」
「もしかして裏方は募集されてなかった……?」
「のんのん! そーんなことない! 大歓迎だよ、桜木くん!」

 ばしばしと桜木くんの肩を叩くコウタ先輩の背中に、微妙なせつなさが漂って見えます。

「今日は一人休みだから、後日歓迎会をするとして! ようこそ桜木くん、@home(アットホーム)へ!」
「二年のメガネだ、よろしく」
「同じ一年のモモです! モモは同好会のあだなです! よろしくおねがいします!」
「桜木です。よろしくおねがいします」

 桜木くんがコウタ先輩に入会届をさしだす。すかさず横から受け取ったメガネ先輩が、ぐっと親指を立てた。

 新生@home(アットホーム)、桜木くん加入でスタートです!
 ユキ先輩が復帰し、桜木くんの歓迎会が行われた。
 地学準備室にお菓子とジュースを広げて、まるで秘密のパーティー。桜木くんは自前のノートパソコンを持ち込み、撮り終わったばかりの寸劇『かかしのジョージ』を効果音つきで見せてくれた。
 ジョージが折れた後のセリフがコウタ先輩の声でなく、テレビで使われるようなモザイク音に変わっていたり、ジョージが復活したところで拍手音が増えていたりと、わたしは目を見開いて完全に見入っていた。

「とりあえずこんな感じで作ってみたんですが、どうですか?」
「ジョージ! 俺のジョージが!」
「すごいよ、桜木くん!」
「ああ、実際に見てみるとすごいな」
[すごいと思う]

 満場一致の拍手が鳴る。桜木くんは照れた顔をぱぱっと手で仰ぎ、長い息を吐いた。桜木くんも緊張していたに違いない。
 わたしはイチゴミルクのパックにストローを刺し、興奮収まらない様子のコウタ先輩を見る。演劇の話をしているときのコウタ先輩は、いつみても素敵だ。

「これ全部自分で作ったの?」
「フリー音源もいくつか使いました。僕は音楽を作ることが好きなので、できたら全部自分で作りたいんですが。あと一応、権利関係に触れないものを使っています」
「権利云々は大事だからな。最初から心がけてくれているとは素晴らしい!」
「権利関係に触れるってなんですか?」

 わたしはイチゴミルクを堪能したあと、疑問の右手を上げてみる。

「たとえばモモちゃんが好きな歌手とかグループがいるでしょ? その人達の歌には権利があるから、俺達が演劇で使うには許可を取らなくちゃいけない。無断で使ったりすると、重い重いペナルティー。膨大な使用金額払ったり、許可を取るために何枚も何枚も書類書かなきゃいけなくなる。フリー音源の中にはそこらへんあいまいなものも多いから、桜木くんは最初から気をつけてくれてありがたいなーというお話です」
「たしかに、いきなりドラマの主題歌とか流れてきたらびっくりします!」
「権利関係は台本にもあるからね。みんなで気をつけていこう!」
 わたしは勢いよく「はいっ」と手を上げ直し、他のメンバーも深く頷いたのだった。

2.
【桜陽高校演劇部・学内公演『赤と黒のロンド』/△月△日五限目・第一体育館ステージにて上演】


「告白したの⁈」

 わたしのうわずった声が廊下に響き渡る。
 ポッと顔を赤らめた友人が、コクリとうなずいた。

「た、たまたま二人きりになったから……。な、なんか勢いで言っちゃえー……みたいな……」
「分かる。雰囲気(ふんいき)って大事だし。で、返事は?」
「ぶ、部活終わったら……。どうしよう、どんな顔していったらいいのかなぁ」
「佳奈りん! 普通が一番だよ! 大丈夫、自信もって!」
「う、うん。も、もう言っちゃったし……が、がんばる。
 そうそう。はるっちは、彼氏とどうなの?」

 思いがけない方向から、話題が飛び火してきた。
 わたしは化学の教科書を落とす勢いで、右手を振る。

「先輩は、か、か」
「はるっち。話をすればなんとやら」

 こちらに向かって歩いてくる、青い体育ジャージ姿の男子生徒の集団。
 友人が指すよりも早く、コウタ先輩の姿を見つけ。
 わたしは鳴り響く心臓を押さえ、友人の影に隠れる。

「なーなー、佐藤。さっきのバスケでさー、こう後ろにシュッとしてーシュバってしたじゃん。足の動かし方、あとで教えてー」
「でたよ、洸太(こうた)オリジナル()。英単語よりも古文単語よりもハードルたけーヤツ。どうせまた、演劇で使いたいーって言うんだろ?」
「もちろん! スッゲーかっこよかったからさー! 覚えたいなーって思って!」
「うーん……バックターンドリブルかな。擬音語(ぎおんご)的に」
「佐藤、マジでスゲーよ、お前……アレでよく理解できるわ。さすが学年3位」
洸太(こうた)、佐藤に感謝しろよー? お前の言葉を理解して(やく)してくれるのは佐藤ぐらいだぞ」
「え? みんなに分かるように話したけど」
「「「全然わかんねーよ」」」
「即答かよー!」
「まぁまぁ。洸太(こうた)は少しずつ、擬音語を減らす努力をしようか」
「佐藤オカンに感謝だなぁ、洸太(こうた)
 そうだ、四限の現国(げんこく)小テスト。点数で、購買(こうばい)のパンかけようぜー」
「今日は予習したからー……三十点! あ、やっぱり二十五点!」
「満点って言わんのかい! つーか、なんで五点ひいたし!」

 晴れやかな笑い声を上げるクラスメイトに混じり、楽しそうに笑うコウタ先輩。
 わたしの身体中を熱いものがかけめぐり、体温が二度上がる。

洸太(こうた)。くつヒモほどけてる」
「あれ、本当だ。気づかなかったー。佐藤、ありがとー」
「先いってるぞー」
「オッケー。追いかけるー」

 その場にかがみ、くつヒモを結び始めるコウタ先輩。
 友人達が歩きだし、わたしはゆっくり先へ進む。
 コウタ先輩の横を通り過ぎる時、パチッと目があった。

「モモちゃん。また後で」

 ささやいたコウタ先輩が、笑いながら立ち上がり。
 わたしの頭にポンと手を置き、廊下をかけていく。

(……だから……そういう不意うちが、ずるいんです。コウタ先輩)

 わたしは化学の教科書で、真っ赤になった顔をあおぎ。
 二度以上上がった熱い身体のまま、友人達を追いかけた。
***

 五限の先生に【出席振替(ふりかえ)表】を渡し、わたしはスクールバッグを右肩にかけ、第一体育館へ向かう。
 『当同好会の活動と合致(がっち)するため』と書かれた用紙のおかげで、教室にいなくても出席扱い。
 授業の声を聞きながら人気(ひとけ)のない廊下を歩くのは、なんだかワクワクする。

「モモちゃん、みーっけ!」

 階段の上から、声が聞こえ。
 わたしはドキンと心臓をバウンドさせ、足を止める。
 スクールバッグを背負ったコウタ先輩が階段をおりてくる。わたしの右隣に並び、ほわんほわんと笑った。

「コウタ先輩、シーッです。他のクラスは授業中です」
「そうだったねー。授業中に出歩かないからさ。ワクワクしちゃったんだー」

 ドキン。
 同じことを考えた、なんて。
 ドキン。ドキン。
 胸の音が自分で聞こえそうなほど、喜んじゃいますよ。
 ドキン。ドキン。ドキン。
 頬がゆるみっぱなしになったら、コウタ先輩のせいですからね。

「メガネ先輩は桜木くん連れて先に行くって言ってましたけど。ユキ先輩は一緒じゃないんですか?」
「ユキは五限だけ、保健室で寝るって言ってたよー」

 コウタ先輩と視線がぶつかり。
 わたしは顔を正面に戻し、右手で髪を耳にかける。
 恥ずかしい時に、ついやってしまうクセ。

 くすっ。
 忍び笑いのような声が聞こえ。
 わたしが見上げると、コウタ先輩がほほえんでいる。

「モモちゃんのクセだから、それ(髪を耳にかける事)
「……!」
「日常生活のクセは、演じる時にもでちゃうんだよねー」

 ドキドキうるさい心臓を押さえ、わたしは息を吐き。
 (あいだ)で揺れるコウタ先輩の左手の指を、ギュッとにぎった。

 わたしの手じゃ、コウタ先輩の手全部はにぎれないけれど。
 にぎった指先から、熱さは伝わるでしょう?

「…………え、え、えっと、も、モモちゃん?」
「わたしも、コウタ先輩のクセは知ってるんですからねっ。クセ(かえ)しっ、クセ(がえ)しですっ」
「…………ば、ば、ば、バレてないと、お、思うけどなー?」

 コウタ先輩が、はにかみながらうつむく。
 右人差し指で右頬をかく。

 反応が、ワンテンポ以上遅れて。
 言葉が、しどろもどろになって。
 はにかみながらうつむいて。
 右人差し指で右頬をかく。
 照れ隠しをする時のクセですよ、コウタ先輩。

 顔をくしゃくしゃにして笑ったわたしを見て。
 もう一度右頬をかいたコウタ先輩が、そうっとそっと。
 わたしの指と自分の指をからめ、手をつないでくれた。

***

 第一体育館に着くまで。
 わたしはコウタ先輩と手をつないだままだった。
 いざ離す時も。
 ドギマギしつつ離したものだから。
 わたしの顔は、ゆでたタコよりも真っ赤になっている。

(……佳奈ちゃんが言ってた『なんか勢いで』って言葉通りのことを……! どんな顔したらいいか分からない気持ち、今なら分かる、分かるよ、佳奈ちゃん!)

「モモ。野上(のがみ)
「メガネ先輩!」

 メガネ先輩が、メガネならぬ、女神に見えます!
 わたしは早歩きし、すれ違った三年女子の先輩に頭を下げる。
 【演劇部】の腕章(わんしょう)をはめている先輩が、「あの」と声をかけてきた。

「人違いならごめんね。演劇部の仮入部初日にきてくれた子かな?」
「こんにちは! ……もしかして! 待機列(たいきれつ)を教えてくれた先輩ですか? あの時はありがとうございました!」
「どういたしまして。えっと……渡辺さん。同好会の活動は楽しい?」
「はい! とっても楽しいです! 演劇大好きです!」
「そっか。私も演劇好きだよ。今は二軍だから……基礎練と雑務(ざつむ)ばっかりだけどね」

『部室を使えるのは一軍だけよ。私の演劇部はね、完全実力主義なの。実力のない者に与える場所も時間もない』

 スパルタ先輩の声が、耳奥で響く。

 同じ演劇部なのに。
 演劇が好きな人同士なのに。
 グループ分けをされて。
 二軍になったら、好きなこと(演劇)も自由にできないなんて。

 そんなの、おかしいじゃないですか……!

 大声で叫びたい気持ちが足元からこみ上げ、わたしが口を開こうとした瞬間。
 ポンと、肩に手が置かれた。

「おひさしぶりです、先輩。俺とモモちゃんは何すればいいですかー?」
「の、野上(のがみ)君。ひさしぶり、だね。
 それじゃあ……野上(のがみ)君は、客席を設置してくれるかな。配置図はコレね。渡辺さんは、メガネさんの指示に従ってもらえれば」
「了解ですー。モモちゃん、メガネ先輩によろしくねー」
「は、はい!」

 コウタ先輩が体育館前方に走りだす。
 わたしは三年の先輩へ頭を下げ、改めてメガネ先輩の元へ。

 初対面なら「おひさしぶり」なんて、言わない。
 三年の先輩もコウタ先輩も、お互いを知っている。
 でも。
 笑顔で話していたのに。
 二人の間に流れていた空気は、どこか変な感じがした。
 
(初めて会った日。『演劇部に入るの?』って、コウタ先輩にたずねられたけど。
 第二体育館で活動していた部活は他にもあったのに……コウタ先輩は、演劇部って断言した。演劇部の仮入部期間はゼッケンをつけることを、知ってたからだ。
 演劇大好きなコウタ先輩なら。中学でも全国大会にでて、個人のスゴイ賞もとったコウタ先輩なら。演劇部に入部していても、おかしくないのに。
 同好会を立ち上げてまで、演劇部で活動しない理由って……演劇部の話を一度もしない理由って……なんだろう……?)

 グチャグチャし始めた頭を、わたしは横に振る。
 メガネ先輩に向かい、「メガネせんぱーい!」と声を張り上げた。

 わたしはパンフレットを抱え、メガネ先輩と一緒に小走(こばし)りで客席に並べていく。
 【演劇部】の腕章(わんしょう)をつけた人達が、体育館中をかけ回っている。
 脚立(きゃたつ)にのぼり、照明器具をタワー(じょう)に組み立てているコウタ先輩も、ずっと動きっぱなし。桜木くんは音響関係に配置され、これまた顔をあわせる暇もない。

 客席設置、衣装部屋設置。
 衣装や大道具・小道具の搬入(はんにゅう)・設置、照明の設置・確認、音響の確認……寸劇の時にはやらなかった準備が、もりだくさん。

「音響確認オッケーです!」
「アンケート用紙()ってきましたー!」
「衣装部屋設置できました! チェックも終わってます!」
「一軍入ります! 二軍は整列!」

 兵隊(へいたい)の行進みたいに、リズムを乱すことなく、ザッザッザッ。
 青と緑のジャージ姿の人達が、スパルタ先輩に続いて入ってくる。
 腕章(わんしょう)をつけた人達が整列し、頭を下げても。
 おつかれさまの言葉も、ありがとうの言葉もない。

(……お礼言われたくて、やっているつもりはないけど! わたしは、たいしたことしていないけれど! その態度はなんなんですかぁぁぁぁぁぁ‼︎)

 わたしはパンフレットをにぎる手に力をこめる。
 グシャリと折り曲がったパンフレットを見て、メガネ先輩がささやいた。

「モモ。アイツに腹をたてるのはエネルギーのムダだ」
「メガネ先輩。スパルタ先輩を知っているんですか?」
「ああ。部活動・同好会会議で、嫌でも顔をあわせるからな。演劇部部長だ。理事長の娘だとか。普段からあの調子さ」

 スパルタ先輩、いえ、スパルタ部長。
 わたし、あなただけは好きになれないと思います!
 ベーッだ!

「一軍は着替え始めなさい。二軍リーダーはこちらへ」
「「「「「はい!」」」」」
「は、はい、部長」

 わたしに声をかけてくれた三年の先輩が、列から抜けだす。
 スパルタ部長がグルリと体育館を見回し、冷ややかな声で言った。

「十五分前までには準備完了させるよう、伝えたわよね? 残りあと五分よ。時間通りに終わるのかしら?」
「も、も、もうしわけありません!」
「謝罪が聞きたいんじゃないわ。終わるかどうか、質問しているの」
「そ、それは……すみませ……さ、作業予定……は……」
「早くなさい」

 わたしのムカムカ度が上がり始めた時。
 大きな音を立て、コウタ先輩が脚立(きゃたつ)を折りたたみ。
 うーんと伸びをし、にっこり笑った。

「先輩。設置終わったので、確認お願いしまーす」
「……え、あ……」
「先輩。先輩に確認してもらえれば、照明オッケーです。担当の子が、音響オッケーって言ってました。一番時間がかかる舞台上は、先輩がちゃんと確認してましたよ。照明のコードをつなぐ時にチラ見しましたけど、大道具も小道具も定位置にありました。
 舞台上チェック、照明、音響オッケー。衣装、大道具、小道具オッケー。客席と衣装部屋の設置もオッケー。
 パンフレットとアンケート用紙を配布すれば、全部終わるんじゃないですか?
 メガネ先輩、モモちゃん。俺にもパンフレットとアンケート用紙くーださい」
「はい! コウタ先輩!」
野上(のがみ)、ほれ」
「うおっとぉ! メガネ先輩、少しは自分で持ってくださいよー!」

 メガネ先輩とコウタ先輩を追い、わたしは走りだす。
 後押しされたかのように。
 整列していた人達もパンフレットやアンケート用紙を抱え、客席へかけていく。

「……ぶ、部長。わ、私」
「あなたも配布しなさい」
「……は……はい……もうしわけ……ありません……」

 三年女子へ、クルリと背を向け。
 スパルタ部長が体育館の壁にもたれかかり、腕を組む。

 ────開演まで、残り十七分。

3.
 五限終了のチャイムが鳴り、「全校生徒は第一体育館へ移動してください」の放送が流れると。
 客席がうまり始める。
 (おうぎ)型に広がる観客席の直線部分。
 そこが@home(アット・ホーム)専用の観劇スペースだった。

「録画担当の私と桜木が両端。桜木に続いて野上(のがみ)、モモ、ユキの順だ」
「ちぇー。二階から観るつもりだったのにー」
「コウタ先輩、どうやって二階へあがるんですか?」
「モモちゃん。あのね、壁の途中(とちゅう)にハシゴがついているんだ。けんすいの応用でー、こうしてーこうやってーホイホイっとー。ジャジャーン! 二階に到着!」
「けんすいの応用でのぼれるものなんですか……?」
「……コウタ先輩。ジャジャーンじゃないです。壁の途中にあるってことは、昇っちゃダメってことだと思います」
「モモが正しい」
[コウタ。階段に【野上(のがみ)使用禁止】って紙が()ってあったよ]
「マジで⁈」
「ユキ先輩!」

 ユキ先輩がノートを片手に持ち、ピースサイン。

「たくさん眠れましたか?」
[うん。もう大丈夫。心配かけてごめんね。
 モモちゃん、メッセージありがとう。
 おすすめのマンガ全部読んだよ。おもしろかった。
 金曜のドラマも、先週いいところで終わったでしょう? マンガの感想と一緒に、モモちゃんと話したくて。
 あと、ネットでおもしろい脚本(きゃくほん)を見つけたの。六限終わったらコピーしてくるね]
「わーい! たくさんはなしましょうね! 新しい脚本(きゃくほん)も、すっごく楽しみです!」

 パイプイスへ腰をおろし、グッと親指を立てるユキ先輩。
 寝れば寝るほど。
 ツヤツヤキラキラ度が上がるのは、うらやましいかぎりです!

「そろそろ開演だな。トイレに行きたい場合は、壁の蛍光(けいこう)テープを目印に。アンケート用紙は終了後に回収・提出する。野上(のがみ)、スマホを鳴らすなよ」
「いえっさー!」

 わたしはパイプイスに座り、パンフレットとアンケート用紙をひざに乗せる。
 
 ひざの上にスクールバッグを置き、スマートフォンを探していたコウタ先輩が、ピタッと止まる。
 喜びでキラキラ輝く目と嬉しさを隠さない横顔は、スマートフォンを見ている時の表情。
 コウタ先輩の隣で、わたしは頬をふくらませる。

(前は、スマートフォンなんてそっちのけだったのに。最近のコウタ先輩は、練習中もスマートフォンを持ち歩いてるし。ちょこちょこスマートフォンを見てるし。見てる時、なんだかとっても嬉しそうだし! 見られそうになると隠すし! むーーーー!)

「コウタ先輩。サイレントですよ、サイレント!」
「……あ、うん。ちゃんとサイレントにしたー。モモちゃん、ありがとー」

 サッとスクールバッグを床に置き、スマートウォッチをタイムカウント表示にしたコウタ先輩が笑う。

 ワンテンポ、反応遅れてます!
 見られないように、コソコソしてます!
 あやしいです、あやしすぎます、コウタ先輩!

「演劇部学内公演・赤と黒のロンド。ただいまより上演いたします」

 開幕のベルが鳴り、体育館が暗闇に包まれていく。
 ヒュォゥ……ヒュォゥ……と、さびしそうな風の音が鳴り。
 足元を、冷たい風が通りすぎる。
 まっすぐな光に照らされた、上手(かみて)下手(しもて)の階段。
 右の上手(かみて)には、真紅のドレスを身につけ、赤い花かざりをつけた少女。
 左の下手(しもて)には、真っ黒なドレスを身につけ、黒い花かざりをつけた少女。
 それぞれの右手と左手が空中で止まり、鏡合わせのように同じ仕草をくり返す。
 二人が向き合った瞬間。
 地面(じめん)から生まれたような声が、体育館中に響いた。

「『ついに! ついに産まれたか!』」

 丸い光がいくつも重なり、閉じられたままの幕に、男性と女性達の影絵を映しだす。
 ザワザワと騒ぐ音に混ざり。
 赤ちゃんの泣き声が「オギャア、オギャア」と響く。

「『いけません、旦那(だんな)様! 入らないでくださいませ!』」
「『なぜだ! なぜ(はい)れぬ! 我が子が産まれたというのに!』」
「『私から理由をお話しいたしましょう。旦那様、(こころ)してお聞きください。奥様がお亡くなりになられました。そして……生まれた子供は、双子でございます』」

 ピカッと一瞬、まぶしい光が弾け。
 ゴロゴロ……ズドォォォォン!
 体育館のあちこちに、雷が落ちる。

 わたしはおもわず、コウタ先輩のパーカーの(そで)をつかむ。
 そっと、わたしの指がほどかれ。
 ちょこんと、大きな手のひらにのせられる。
 わたしがドキドキしつつ、コウタ先輩の指先をツンツンつつくと。
 三テンポ数えた後に、お互いの指がからんだ。
 暗闇の中で手をつなぐことは、二人だけのヒミツみたいで。
 わたしの心臓がせわしない音を鳴らし始め、カーッと全身が熱くなる。

「『古来(こらい)より、双子は不吉の象徴(しょうちょう)です。このままでは奥様のみならず、一族みなが呪われるでしょう』」
「『ああああ! なんという事だ!』」
「『どちらを生かし、どちらを亡き者とするか。旦那様、お決めください』」

 オギャアオギャアと泣き叫ぶ声が大きくなり、静かになったとおもいきや。
 影絵が消え、オレンジ色の照明が当たる。
 全身を白い布でおおい、白くて丸いものを持っている人。

「『あなたは私が助けましょう。(おもて)にでなくとも、生き続けなさい。そして、いつの日か。あの男へ復讐(ふくしゅう)を──』」

 舞台上の照明が消え、真紅のドレスが照らされる。

「『私はマリア。私にそっくりな、あなたは誰なの?』」

 パッと照明が切り替わり、真っ黒なドレスが浮かび上がる。

「『私はダリア。ふふふ。何も知らない、バカなマリア。あなたは私。私はあなた。ふふふ、ふふふ、うふふふふ……』」

 暗転。
 舞台の幕が、静かに上がる。

 アンティークの家具が置かれた室内。
 どれが本物でどれが作り物なのか、すぐには見分けがつかない。
 金色の糸でししゅうがほどこされた、黒いジャケットと黒いズボン。
 首元に大きなフリル。
 下手(しもて)()りイスに座った男性が、パイプをふかしている。

「『お父様(とうさま)!』」

 上手(かみて)から、封筒を持った少女がかけてくる。
 赤い花かざりをつけ、ゆいあげられた金髪。
 大きなリボンがついた胸元、キュッと細い腰、フリルとレースで丸くふくらんだドレス。
 舞台装置と衣装(いしょう)を見て、わたしは想像する。
 演劇部が創りあげたい世界は、たぶん、少し昔の外国で。
 死んだと思われているけれど、双子の一人は生きていて。
 なぞの人が残した、『あの男へ復讐(ふくしゅう)を』のセリフと。
 ダリアのセリフが、物語のキーポイントになる気がする。

「『マリア。どうしたんだい。そんなに(あわ)てて』」
「『クロス様から手紙がきたの! 近々(ちかぢか)、こちらにいらっしゃるんですって! ダンスのお(さそ)いをいただいたわ! お父様、私がちゃんと(おど)れるか、見てくださいな!』」

 封筒を父親に渡し、クラシックの音楽にあわせ、マリアがダンスを始める。
 複雑(ふくざつ)なステップを踏み、クルリクルリと回転し、観客へアピールし。
 クル、クルリ、タンッ。
 音楽の終了と同時に、マリアがポーズを決めた。

『非日常の動作(どうさ)っていうのは、日常生活で自然にやらない動きの事。たとえば、立った体勢のまま、後ろにスーッと移動するとか。バレエダンサーみたいに、その場でクルクル回り続けるとか。
 非日常の動作は、コツをつかむのはもちろんだけど。ケガをしない動き方を、体に覚えこませるんだ。演劇は生身(なまみ)の肉体で表現するものだから、自分の体を大事にしなきゃダメ。
 今のモモちゃんだと、回転系の動きはフラフラして転ぶかもしれない。転んでケガをするかもしれない。可能性の話って言われたら、そこまでなんだけどね。俺がいるかぎりはダーメ。いいって言うまでダーメ。
 モモちゃん。自分ができる仕草をイメージして、実際に動いてみて、一つずつ表現の方法を増やしていこう。想像力が広がれば広がるほど、演劇はもっともっと楽しくなるよ!』

 ようせいを演じる前、コウタ先輩に言われたことを思い出す。
 マリア役の人が、スゴイって分かるのも。
 演劇部が創りあげたいものをイメージして、ワクワクできるのも。
 全部、コウタ先輩が教えてくれたからです!

「『すばらしい。クロス様も、さぞ喜ばれるだろう』」

 父親が大きな拍手をし、マリアがおじぎをする。
 わたしも内心で拍手を送る。
 下手(しもて)から現れた使用人の男が、父親のそばで敬礼(けいれい)する。

「『旦那(だんな)様。そろそろお時間です』」
「『うむ。かわいい、かわいい、私のマリア。私がでかけている(あいだ)、いいつけを守れるね?』」
「『はい、お父様。お屋敷(やしき)の外には、危険な動物がたくさんいるのでしょう? 中には、人の生き血(いきち)を吸うモノもいるとか。
 お父様こそ、お気をつけて。お父様がお帰りになるまで、私はおとなしく待っていますわ』」

 父親の手をにぎり、ほほえむマリア。
 マリアに当たっていた照明がスーッと薄くなり。
 舞台前方に歩きだした父親へ、丸いライトが当たった。

「『ははははは! クロスからの手紙だって? そんな人物は存在しない! お前が文通しているのは、使用人の爺だ!
 ははははは! 危険な動物だって? 人の生き血を吸うモノだって? そんなものは存在しない! お前が信じこんでいるのは、真っ赤なウソの作り話だ!
 おろかであわれな子よ。死ぬまで、この屋敷から出られぬなど。知らないほうが幸せだ。
 すべては私のため! いまいましい、血の呪いから(のが)れるため!
 かわいい、かわいい、私のマリア! 私のために、お前の一生をささげておくれ! ははははは!』」

 丸いライトが消え、再度室内が明るくなる。
 マリアが()りイスに座り、本を読んでいる。
 父親と使用人がいなくなり、マリアが別の仕草を始めたことで。
 あっという間に、舞台の時間が変わった。

 音楽の合図を使わなくても、真っ暗闇にしなくても。
 場面転換(ばめんてんかん)の方法は、たくさんあるんだ……!

 本のページをめくり、イスを揺らし、マリアがティーカップに口をつける。
 表情や仕草がゆったりしていて、流れ始めた音楽もスローテンポ。

(……お茶を飲んで、好きな音楽をきいて、好きな本を読んで。マリアは普段通りに過ごしてる。緊張(きんちょう)した空気と、のんびりした空気の波が交互にきて、物語にメリハリがついてる。次はなにがくるんだろうって、目が離せない。スゴイなぁ……!)

 上手(かみて)から、黒髪をポニーテールに結んだメイド服の少女が現れる。
 長い前髪で隠され、表情はよく見えない。
 中央へ向かいながら、窓を押して歩くメイド少女。
 開いた窓の向こう側には、真っ黒な引き幕が見える。
 観客に背を向け、メイド少女がモップを使い、ほこり取りを始める。
 マリアはのんびり、本のページをめくっている。
 メイド少女が、次の家具へ移ろうとした瞬間。
 ゾクン!と、わたしの背筋にふるえが走った。

 ……見てる。
 ……メイド少女が、マリアを見てる……!
 ……マリアを、ジッと見てる……!

 うってかわって、不気味(ぶきみ)な静けさが舞台を包む。
 メイド少女がそうじを再開し、わたしは大きく息を吐く。
 ところが。
 今まで背中を向けていたメイド少女が、クルリと向き直り。
 丸テーブルにある花びんを、モップで揺らし始める。
 グラグラ、グラグラと揺れる花びんが、少しずつテーブルの端へ。
 ガシャァァァァン‼︎
 割れる音が響き渡り、花びんが床に転がる。

「『な、なに⁈』」

 揺りイスから立ち上がり、マリアが周りを見回す。
 メイド少女がサッと両ひざを床につき、顔を両手でおおう。
 マリアがメイド少女に気づき、しゃがみこむ。

「『泣かないでちょうだい。きっと、窓から風が入ってきたのよ。あなたのせいじゃないわ』」
「『マリアお(じょう)様! ご無事(ぶじ)ですか⁉︎』」
「『ええ。私は大丈夫。風にゆられた花びんが、床に落ちてしまったの。驚かせてごめんなさい』」
「『お怪我(けが)がなくて安心いたしました。すぐに片づけましょう』」

 小太(こぶと)りのメイドとマリアが話している間に、ゆっくり手を離したメイド少女が。
 観客(こちら)に向かい、くちびるの端をニィッとつりあげた。

(……っ! こここここ、こわいよ! あのメイドさん!)

 わたしの体が勝手にブルブルとふるえ、つい舞台から目をそらしてしまう。
 とん、とん、ぎゅっ。
 とん、とん、ぎゅっ。
 手をつないだままのコウタ先輩の指が、同じリズムで動く。
 とん、とん、ぎゅっ。
 とん、とん、ぎゅっ。
 大きくて優しい手が、今、わたしとつながっている。
 そう、思ったら。
 心の奥が、ポカポカ温かくなって。
 とくとくと胸が鳴る音にあわせ、自然と笑顔がこぼれた。

 話さなくても、気づいてくれて。
 表情が見えなくても、気づいてくれて。
 いつだって。
 コウタ先輩がわたしに、笑顔の魔法をかけてくれる。

 わたしがまっすぐ舞台を見ると、指の動きは止まった。

 花びんを片づけ、小太(こぶと)りのメイドが退場する。
 顔をそむけたままのメイド少女の手を、マリアが両手で包む。

「『あなた、知らない顔ね。名前は? 年はいくつ? どこからきたの?』」
「『……』」
「『ああ、私ったら! 年の近い子がいないものだから、つい興奮(こうふん)してしまって。ごめんなさい。私はマリア。あなたのお名前は?』」

 メイド少女が、ゆっくり顔を戻し。
 長い前髪の下からジーッとマリアをみつめ、重い口を開いた。

「『自分の名前も、年も、どこからきたのかも。私は、何も覚えていません。
 他の使用人が言うには、お屋敷の入口で倒れていたそうです。少しでも恩返(おんがえ)しができればと思い、働かせてもらえるよう、頼みこんだのです。
 初日から、花びんを割ってしまうなんて……もうしわけありません』」

 わたしは、ウーンと首をかしげる。
 メイド少女が話したのは、初めてだけれども。
 この声……どこかで聞いた気がする……ような……

「『そうなの……かわいそうに……。記憶が戻るまで、屋敷にいてかまわないわ。花びんの事は、気にしないでちょうだい。
 私ね、年が近い話し相手が欲しかったの。よければ、私の話し相手になってくれるかしら?』」
「『喜んでお受けいたします。マリアお嬢様』」
「『ありがとう。でも、さすがに名前がないと不便(ふべん)だわ。そうね……あなたの名前は……』」

 色々とポーズを変え、マリアが考えだす。
 ()があき。
 マリアが自分の花かざりをはずし、メイド少女の髪につけた。

「『決めた! あなたの名前はダリアよ!』」

 微笑むマリアを見て、わたしがゾクゾクした直後。
 メイド少女がニンマリ笑った。

「『ステキな名前をありがとうございます。マリアお嬢様』」

 間違いない。
 少しだけ、高い声に変えているけれど。
 声の(ぬし)は、ダリアだ……!
 ダリアがメイドに変装して、マリアに近づいたんだ……!

 スゥと、暗くなっていく舞台。
 ヒュォゥ……ヒュォゥ……と、さびしそうな風の音が鳴り。
 足元を、冷たい風が通りすぎる。

「『ふふ、ふふふ。バカなマリア。おろかなマリア。ふふ、ふふふ。まさか、ダリアと名づけるなんて。
 ダリアの花言葉には、“裏切り”もあるのよ。ふふ、ふふふ……うふふふ!
 私を亡き者にした父! 私を知らず、のうのうと生きていたマリア! あなた達をあざ笑うには、ピッタリな名前ね!
 さあ、始めましょう。裏切り者達への復讐(ふくしゅう)を!』」

 ダリアの笑い声が、暗闇に響き渡る。
 ゴクリと、わたしは息を飲んだ。

 舞台が明るくなったら。
 ダリアの復讐(ふくしゅう)が、始まる……!

 最初は、下手(しもて)の揺りイスと上手(かみて)の家具前で。
 次は、マリアだけが、赤いソファーに座り。
 最後は、マリアとダリアが二人そろって、ソファーに座った。

 距離が近くなっただけなのに。
 二人がどんどん、仲良くなっていくのが分かる。
 実際の位置=心の距離。
 わざわざ言葉で説明しなくても。
 舞台では、人の位置で表現できるんだ。

「『それでね、お父様が……』」

 マリアは話し相手ができたことが嬉しい様子で、ダリアに話しかける。
 母親がいないこと、生まれてからずっと屋敷にいること、父親のこと、好きな食べ物や文通相手のこと。

 黙って聞くだけ。
 あいづちを打つだけ。
 聞き手だったダリアが、たずねだす。

「『どうして、母親がいないのですか?』」
「『どうして、ずっとお屋敷にいるのですか?』」
「『クロス様は、どんな方ですか?』」

 身ぶり手ぶりを(まじ)え、マリアが答える。
 棒読みのような口調で「『そうなんですね』」と、ダリアは毎回同じ返事をする。
 マリアが話せば話すほど。
 ダリアのくちびるが、ニヤリニヤリとつり上がっていく。
 わたしがハラハラしていた先で、マリアが「『あら?』」と声を上げた。

「『ダリア。私、気づいたのだけれども』」

 き、気づいた?
 マリア、ダリアの正体に気づいた?

 ダリアの長い前髪を、マリアが手で持ち上げ。
 観客へ向かい、ダリアの素顔をさらす。

「『前髪を切って、金髪にすれば。あなた、私にそっくりだわ!』」
「『本当ですか?』」
「『ええ! だって、顔のつくりが似ているもの! こんな偶然(ぐうぜん)もあるのね!」』

 双子だから!
 気づいて、マリア!
 わたしは声がだせないかわりに、両手をブンブン振る。
 コウタ先輩とつないでいる右手も、勢いよく振ってしまい。
 わたしが隣を見上げるより早く、わたしのひざの上にアンケート用紙が置かれる。

 【その他】の半分以上が埋まっている用紙の一番下。
 大きな◯で囲まれた一文が見え。
 火が出る勢いで、わたしの顔は熱くなった。


 ──モモちゃんの反応が、全部カワイイ。


 わたしが口を開く前に、サッとアンケート用紙がひっこめられる。
 ま、また、不意うち……!
 ずるい、ずるい、ズルイ……!
 バラバラになりそうなほど、うるさく鳴る心臓の音が。
 熱くて熱くてたまらない、わたしの体温が。
 舞台でなく、他のものでなく。
 先輩一人だけにドキドキしているって、バレちゃうじゃないですか、コウタ先輩。

 舞台上が暗くなる。
 黒子(くろこ)の人達が、揺りイスとソファーを残し。
 大道具を含めた家具にバサリと布をかけ、隠してしまう。
 マリアとダリアが、それぞれ上手(かみて)下手(しもて)に消える。
 丸いライトがクルクル回りながら、舞台を照らす。
 大道具にかけられた布のあちこちが、キラキラと光る。

 クルリ、クルリ、ピタリ。
 中央で止まったライトの中。
 背中合わせの2人のマリアが、観客(こちら)を見つめていた。

(……三年の先輩が、準備中に見学させてくれたけれど。舞台袖(ぶたいそで)は、思っていたよりも(せま)かった。観客から見えないよう、幕の調整が必要で。袖幕(そでまく)から明かりがもれないよう、真っ暗にする必要があるって言ってた。
 そんな場所で、衣装も髪型もメイクも変える役者さん。一分もたたずに、役者さんを舞台へ送り返す裏方(うらかた)さん達。
 見えない人達の力もあわせて、演劇の世界は、舞台は創られてる……! すごいなぁ……すごいなぁ……!)

「『ダリア。あなた、ステキよ! 本当に、私が二人いるみたいだわ!』」

 マリアとダリアが見つめあい、鏡合わせのポーズを決める。
 ほほえむ仕草、おじぎの仕草、ダンスまで息ピッタリ。

「『入れ()わりごっこが、こんなに楽しいなんて! ダリア、見てちょうだい! メイドの驚いた顔を! 使用人が腰を抜かした姿を! 大声で笑ったのは、いつぶりかしら!』」
「『喜んでくださって嬉しいです、マリアお嬢様』」
「『ああ、でも……屋敷にいる者は全員、驚かせてしまったわ。楽しい遊びだったのに』」

 意地(いじ)の悪い笑みを浮かべる、マリアが。
 マリアに()けたダリアが、本物のマリアの両手をとり。
 ピカッと光った雷の音にあわせ、ささやいた。

「『まだ一人、いらっしゃるではありませんか。あなたのお父様が。
 いかがでしょう、マリアお嬢様。明日、旦那様がお戻りになられたら。二人で一緒にダンスを踊り、どちらが本物か、旦那様に当ててもらうというのは』」
「『それは良い考えね! きっと、お父様も楽しんでくださるわ!』」
「『ええ。私も、とてもとても、楽しみです。マリアお嬢様』」

 ふふふ……ふふふ……
 流れる音楽に、ダリアのくぐもった笑い声が混じる。
 舞台前でダンスを踊る、本物のマリアは気づかない。
 斜め後ろに立つダリアが、お腹を抱えて笑っていることを。
 ダリアが、マリアを(わな)にかけようとしてる……!

 回りだした丸いライトが、マリアとダリアを照らす。
 黒子(くろこ)の人達が、家具をおおっていた布を取り払い、マリアとダリアを隠す。
 次の瞬間。
 舞台は室内に戻り、誰の姿もなかった。

 パカラッ、パカラッと、馬のひづめの音が鳴り。
 ギギ……ギィ……と、重い扉が開く音が鳴り。
 下手(しもて)から、父親が現れる。

「『かわいい、かわいい、私のマリア。どこに隠れているんだい?』」

 シーンとした空気に包まれる舞台。
 父親が慌てた様子で「『マリア? マリア?』」と、大声を張り上げる。
 わたしが五つ数え終わっても。
 マリアもダリアも現れない。
 ヒソヒソ、ザワザワ。
 観客席が少しずつざわめきだし、ポツポツとスマートフォンの光が点滅(てんめつ)する。

 観客が……現実へ戻り始めてる……!

 わたしが、コウタ先輩に声をかけようとした矢先(やさき)
 バタバタと走る足音が聞こえ、「今、保健の先生を呼んだから!」とあわてた声が聞こえ。
 首をかしげるよりも前に、幕が()り始めた。
 父親のかんだかい叫び声が上がり、ダリアの声が響き渡る。

「『ふふふ。ふふふ、うふふふ……! あはははは! 私の復讐(ふくしゅう)は終わった……! ふふふ、うふふ、あはははは!』」
「以上、演劇部学内公演・赤と黒のロンドでした。アンケートのご協力をお願いいたします。本日はありがとうございました」

 アナウンスが流れ、体育館が明るくなる。
 わたしは()いた口がふさがらないまま、()りた幕を見る。

(こ、これで終わり⁈ どっちが本物か当てるゲームで、ダリアが選ばれて! マリアと父親をやっつけて! ダリアがスカッとしたところで、話が終わるんじゃないの⁈
 それに……保健の先生って……なにかあったのかな……?)

「メガネ先輩。録画時間、何分ですか?」
「五十分十二秒だ」
()き幕は機械まかせだったから……四十九分あるかないか、か。短すぎる。三幕構成(さんまくこうせい)の脚本で、あえてラストシーンを改変する理由って……まさかな……」

 コウタ先輩が唇に人差し指を当て、考えだす。
 間近(まぢか)で見た真剣な顔に、ドキドキと胸の音を鳴らしつつ。
 わたしはおずおずと、コウタ先輩にたずねた。

「コウタ先輩。短いって、上演時間のことですか?」
「うん。高校演劇の上演時間は六十分以内。装置の設置や撤去(てっきょ)が三十分以内。一秒でも超えたら失格になって、審査対象から(はず)される。地区予選だと地域で変わる事があるんだけどね、全国大会では絶対的なルール。だから、五十五分以上五十八分以内で上演する学校が多いんだ。別作品で上演時間四十分の舞台もあったけど、例外といえば例外かな。
 モモちゃん。別の学校が同じ脚本を上演した時は、上演時間が五十七分だったんだ。三幕構成(さんまくこうせい)の脚本だから、ストーリー展開は変わらないはずなのに。今日の舞台はラストの展開を無視して、強引(ごういん)に終わらせた気がした。
 あ、ええとね……【設定・対立や衝突(しょうとつ)・解決】という三つの(まく)で作られているものを、三幕構成っていうんだ。第一幕は誰が・何をするストーリーなのか設定されて、主人公の目的が(しめ)される。第二幕は、対立や衝突。ライバルがでてきたり、解決しなきゃいけない問題がでてきて、主人公が成長する。第三幕は、成長した主人公が、一番乗りこえなきゃいけない問題を解決して、クライマックスへ向かう。
 ハッピーエンドかバッドエンドかは別として、必ずエンディングはくる。幕が()りるって事は、物語が、世界が、終わるって事だから。
 今日の結末(けつまつ)は、ダリアが復讐(ふくしゅう)をとげる事。亡き者にされたダリアが、何も知らないマリアに近づいて。マリアとそっくりな姿になって。どちらが本物か当てるゲームで、父親が……っと。
 勢いあまって、ネタバレしそうになっちゃったー。ごめんね、モモちゃん」

 真剣な表情から、いつもの笑顔へバトンタッチ。
 クルクル変わるコウタ先輩の表情に。
 わたしの心臓が燃えて燃えて、身体中にドキドキの命令をだしている。
 熱い熱い頬のまま、わたしはコウタ先輩のほうへ、体の向きを変える。

「コウタ先輩が教えてくれたんですよ。想像力が広がれば広がるほど、演劇は楽しくなるって。
 わたしも、自分で想像したんです。きっと、どっちが本物か当てるゲームで、ダリアが選ばれて。マリアと父親に復讐(ふくしゅう)して。最後は、ダリアがスカッとするんだろうなって。
 だから、幕が()りた時。ラストシーン、ダリアが本当にやりたかった事なのかなって……。お父さんが勝手にテレビのチャンネルを変えた時みたいに、すっごくモヤモヤして!
 コウタ先輩。正しいストーリーを教えてください。モヤモヤしたまま帰ったら、ずっとモヤモヤしそうです!」

 隣のイスに身を乗りだす勢いで、わたしはコウタ先輩を見上げる。
 コウタ先輩が目をパチクリさせ、一・二と()があく。
 ほほえんだコウタ先輩が、わたしの耳元へ口を寄せる。
 吐息が聞こえる距離まで、近づいた直後。
 コホンと、メガネ先輩が咳(ばら)いした。

野上(のがみ)。モモ。邪魔(じゃま)をして悪いが。アンケート用紙を記入するように。
 お前達、さっきから注目の(まと)だぞ。この位置(観劇スペース)は、全校生徒の通り道という事を忘れたか。周りに何を言われても、私は知らん。不純異性交遊(ふじゅんいせいこうゆう)ではないからな。自己責任だ」