手紙……と、母は言っていたけど、正しくは葉書だった。
母から手渡された葉書には、確かに筆文字で私たち家族しか知らない思い出話や、母を励ます言葉がならんでいる。
でもたどたどしくひらがなの多い丸文字は、明らかに父の筆跡と違う。
手紙が実在するのは気味が悪いけど、母はボケたのではないことに安心するべきなのだろう。
なんとも言えない気分で葉書を裏返すと、実家の住所の書かれた葉書の左端には不細工な筆文字で『あの世より 音羽 幸一』と父の名前があった。
そして切手の上には左に羽の生えた亀、右に藤の花、真ん中にタワーが描かれた消印が押されている。
一番下には、亀戸駅前の文字も。
「亀戸」
私は思わず素っ頓狂な声を上げる。
その声を聞いて、母はお腹を抱えてケラケラと笑う。
もちろん亀戸に『あの世』などない。あるのは桜子のお店だ。
改めて見直すと筆ペンだから最初気付かなかったけど、ひらがなだらけでまん丸な文字は、桜子のものだ。
「あの世だなんて、せめてお父さんが天国から手紙を送ってくれな、私も安心して死ねへんわ」
困った子。そう言って笑う母は、目尻の涙をシャツの袖口で拭いた。
私ももう笑うしかない。
笑いながらも、あの日、私と姉が見て見ぬフリをした母の老いに、桜子だけはちゃんと向き合っていたんだなって思った。
向き合って、母を元気づけようとして、父のフリをして励ました……ようだけど、母は「あの子が心配だから、まだまだ現役でいなきゃ」と、違う角度で元気を取り戻している。
「さて、せっかくだから桜子のおにぎり食べよう」
声に笑いの余韻を残したまま母が言う。
見ると桜子のおにぎりは、いつもお店で売っている丸じゃなく、細長いたわら方をしていた。
子供の頃、母がよく作ってくれたおにぎりの形だ。
食べると、丸いおにぎりと同じように口の中でほろりと解けていく。
「お母さんの味に、よく似ている」
「親子だからね」
おにぎりを食べる母の何気ないひと言に、この家で育った日々を思い出す。
姉妹三人、母におにぎりを作ってもらっていた頃が懐かしいけど遠く感じるのは、ここがもう私の居場所じゃないからだ。
「私もやっと子育が終わってのんびりしているから、無理して帰ってこなくていいからね」
おにぎりを一つ食べ終えた母が、次のおにぎりに手を伸ばしながら言う。
そして今度、友達と旅行に行くのだと話してくれた。
それを聞いていて、フッと心が軽くなる。
母は一生『お母さん』という役割を果たすべき人で、子供の私たちは、その役割に母を縛りつける代わりに、その人生になんらかの責任を持たなくちゃいけない気になっていた。
でもそれは子供の思い込みで、母も一人の女性で人間で、自分の考えを持って今を楽しんでいるのだ。
「あ、でもまだ一人、手のかかる子がおった」
そう言いながら、桜子のおにぎりを摘んで揺らす。
その言葉に、私は笑う。
なんだか母が『お母さん』ではなく、女友達のような近い存在に思えてくる。
母と一緒に笑っていると、私のスマホが鳴った。
見ると、姉からの母の調子を心配するメッセージだった。
このことの顛末を聞いたら、姉は間違いなく怒る。でも最後は『桜子のすることだから』と、許してしまうのだ。
そんな桜子を、ズルいと思う反面愛おしい。
「向こうに戻ったら、姉さんと一緒に桜子の店に行ってくるね」
よく考えたら、私たちは大人になってからの方が仲がいい。
同じ家で暮らす『姉妹』という枠組みから解放されて、それぞれに都内で暮らしていると、急に同郷の仲間意識が強くなるからなのかもしれない。
それぞれに姉で妹で、友人のような関係になっている。
なんとなく、それが大人になるってことなのかなとも思う。
「そうしてあげて」
母は楽しそうに笑う。
母から手渡された葉書には、確かに筆文字で私たち家族しか知らない思い出話や、母を励ます言葉がならんでいる。
でもたどたどしくひらがなの多い丸文字は、明らかに父の筆跡と違う。
手紙が実在するのは気味が悪いけど、母はボケたのではないことに安心するべきなのだろう。
なんとも言えない気分で葉書を裏返すと、実家の住所の書かれた葉書の左端には不細工な筆文字で『あの世より 音羽 幸一』と父の名前があった。
そして切手の上には左に羽の生えた亀、右に藤の花、真ん中にタワーが描かれた消印が押されている。
一番下には、亀戸駅前の文字も。
「亀戸」
私は思わず素っ頓狂な声を上げる。
その声を聞いて、母はお腹を抱えてケラケラと笑う。
もちろん亀戸に『あの世』などない。あるのは桜子のお店だ。
改めて見直すと筆ペンだから最初気付かなかったけど、ひらがなだらけでまん丸な文字は、桜子のものだ。
「あの世だなんて、せめてお父さんが天国から手紙を送ってくれな、私も安心して死ねへんわ」
困った子。そう言って笑う母は、目尻の涙をシャツの袖口で拭いた。
私ももう笑うしかない。
笑いながらも、あの日、私と姉が見て見ぬフリをした母の老いに、桜子だけはちゃんと向き合っていたんだなって思った。
向き合って、母を元気づけようとして、父のフリをして励ました……ようだけど、母は「あの子が心配だから、まだまだ現役でいなきゃ」と、違う角度で元気を取り戻している。
「さて、せっかくだから桜子のおにぎり食べよう」
声に笑いの余韻を残したまま母が言う。
見ると桜子のおにぎりは、いつもお店で売っている丸じゃなく、細長いたわら方をしていた。
子供の頃、母がよく作ってくれたおにぎりの形だ。
食べると、丸いおにぎりと同じように口の中でほろりと解けていく。
「お母さんの味に、よく似ている」
「親子だからね」
おにぎりを食べる母の何気ないひと言に、この家で育った日々を思い出す。
姉妹三人、母におにぎりを作ってもらっていた頃が懐かしいけど遠く感じるのは、ここがもう私の居場所じゃないからだ。
「私もやっと子育が終わってのんびりしているから、無理して帰ってこなくていいからね」
おにぎりを一つ食べ終えた母が、次のおにぎりに手を伸ばしながら言う。
そして今度、友達と旅行に行くのだと話してくれた。
それを聞いていて、フッと心が軽くなる。
母は一生『お母さん』という役割を果たすべき人で、子供の私たちは、その役割に母を縛りつける代わりに、その人生になんらかの責任を持たなくちゃいけない気になっていた。
でもそれは子供の思い込みで、母も一人の女性で人間で、自分の考えを持って今を楽しんでいるのだ。
「あ、でもまだ一人、手のかかる子がおった」
そう言いながら、桜子のおにぎりを摘んで揺らす。
その言葉に、私は笑う。
なんだか母が『お母さん』ではなく、女友達のような近い存在に思えてくる。
母と一緒に笑っていると、私のスマホが鳴った。
見ると、姉からの母の調子を心配するメッセージだった。
このことの顛末を聞いたら、姉は間違いなく怒る。でも最後は『桜子のすることだから』と、許してしまうのだ。
そんな桜子を、ズルいと思う反面愛おしい。
「向こうに戻ったら、姉さんと一緒に桜子の店に行ってくるね」
よく考えたら、私たちは大人になってからの方が仲がいい。
同じ家で暮らす『姉妹』という枠組みから解放されて、それぞれに都内で暮らしていると、急に同郷の仲間意識が強くなるからなのかもしれない。
それぞれに姉で妹で、友人のような関係になっている。
なんとなく、それが大人になるってことなのかなとも思う。
「そうしてあげて」
母は楽しそうに笑う。