プロローグ

雪が降り積もるとある日、僕は公園の真ん中で一人佇んでいた。
輝くような青い空は真っ白な雲に覆われ、光ひとつ通そうとしない。
その景色はまるで、僕の心を映す鏡のような、とても切なくこの世の残酷さを物語っていた。

第一章

もしも、どんな願いでも一つだけ叶えられるとしたら一体何を望み、何を願うのだろう。
お金持ちになりたい。
夢を叶えたい。
宝くじで一等賞が当たるように。
それとも、誰もが一度は思ったことのある世界平和を願うのか。
人それぞれ、願い事は異なり、大それた望みを持つ者もいれば、時間をかければ叶うような現実的な望みを持つ者もいる。
けれど、この世界にはいくら時間を費やしても決して叶うことのない無慈悲な願いというものも存在する。
そして、僕はいつもこんなことを思う。
僕だけは例外だ。この世に叶えられない願いなど何一つないのだから。


冬の寒さも終わりを迎えつつあるこの頃。
足を覆い尽くすような積雪も太陽の暖かな日差しで徐々に溶け始めていた。
そんなことを考えながら、教室の窓から外を眺めてはひとつため息をついて暗然(あんぜん)するのを繰り返す。
それもそうだ。十日ほどあった冬休みが明け、高校二年生の生活も残りわずかになり、三学期が始まろうとしているのだから。
三学期からは進路や将来について深く考える時期もあって、他の学期と比べて凄く(わずら)わしい。
けど、そんなことを思っているのはどうやら僕だけみたいで、当たりを見渡せば、クラスメイト達は進学や将来の夢よりも友人関係の方を心配している。
四方八方から聞こえてくる「クラス一緒がいいな」だとか「クラスが別々でも昼休みに会いに行くよ」だとか青春を謳歌している人達の会話が教室を埋め尽くしていた。
それに比べて僕は一年生、二年生どちらとも高校生活を棒に振るって、まともに友達を作ろうともせず、ただひたすらに無気力な毎日を送っていた。
そんな、僕にとっては周りの友情関係の会話など、雑音にしか聞こえない。そう思っていると、教室のドアが、ガラガラという音を立てながら先生が入ってきた。
そして、クラスメイト達の会話を遮り、「みんな、席に着け」という言葉と共に一斉に自分たちの席に戻っていく。

「みんなもわかっているだろうが、今日から三学期だ。ほとんどの生徒が進学するのか就職するのか、もう決めていると思う。だが、決めていない生徒もちらほらいる。今日で全員将来について決めるように」

先生の言うちらほらいる生徒に僕も入っている。
恐らく、大半の生徒が夢を抱いていて、それを実現させるために、知識を蓄えたり専門学校や名門大学に進学したりするだろう。
たとえ、そうじゃなくとも就職をして自立したいと考えている人も沢山いる。
けど、僕は違う。まともに勉強をしてこなかったし、将来について深く考えたことも一度もなかった。
コンビニでアルバイトをして最低限の給料を稼いで、生きていければそれでいいと思っているから。
けれど、僕だって最初からこんな消極的な考えだったわけじゃない。
あの日、交通事故で両親を失うまでは。


それは、遡ること二年前

僕の両親は二人とも仕事の都合で家に帰れない日が結構あった。
勿論、幼い頃は寂しいと思う時もあったが日に日に慣れていき多少の間会えなくともなんとも思わなくなった。
毎日、連絡はしてくれるし、電話だってする。それに、学校の行事の時は必ず仕事を休んで見に来てくれた。
そんな中でも僕が凄く楽しみにしている日があった。
それは、必ず両親が家に帰ってくる週末の土曜日。
毎週、土曜日にはささやかなパーティーが開かれて一日中一緒にいれる。
僕にとっては学校の行事よりも自分の誕生日よりもとても特別な、これ以上にない楽しみだった。
けれど、そんな僕の至福(しふく)のひとときは唐突に終わりを告げる。
四月六日の月曜日。二日後に予定する僕の高校の入学式のため両親は二日も早く家に帰ると連絡をくれた。
けれど、その数時間後。僕のスマホに1件の電話がかかってきた。
スマホを手に取り、画面を見るとそこには僕の知らない電話番号が記載されていた。
疑義(ぎぎ)の念を抱きながらも僕は応答ボタンを押した。
その瞬間、耳に飛び込んできた言葉が僕の思考を停止させ、それと同時に平常心を奪っていった。

「ご両親が事故に遭いました」

僕は冷静さを失い、胸が張り裂けるような苦しみの中、どうか無事でありますようにと根拠の無い、万に一つの可能性を望みに託しながら病院に向かった。
僕が病室に着くとそこには二人の抜け殻のような姿が視界に飛び込んできた。
これは本当に現実なのか。
このような運命に対しての憎悪(ぞうお)と未だに信じられない残酷な現実に対しての悲痛(ひつう)な思い。

「なぁ…母さん…父さん…」

何度声をかけても、何度体に触れても二人からの応答は一度もなかった。

「明日、帰ってくるって連絡したじゃねぇか!!どうしてだよ…」

その後、医者から事故について詳しく教えてもらった。
どうやら、母さんと父さんが乗っていた車にスピード違反をした軽トラックが衝突し、数メートル先まで飛んだとのこと。
そして、高速度だったため衝突した時の衝撃も大きく、二人は即死だったということ。最高速度だったら、もしかしたら一命を取り留めいた可能性もあったといこと。
僕は事故の経緯を聞けば聞くほど、加害者に対しての憎しみと憤怒の気持ちを誰にもぶつけることができずにただひたすらに僕は泣け叫んだ。
その日の夜、僕は不思議な夢を見た。
誰の姿もなく、辺りを見渡しても何もなくて唯一分かることと言えば、果てしなく広がる真っ白な世界だということだけ。
そんな時、僕の耳に誰かの声が聞こえてきた。

「君に…」

聞き覚えのない男性の声。辺りを見渡しても人など見当たらない。それどころか、僕の手や足も視界に映すことはなかった。
そう思っていると、また男性が言葉を発した。

「君にどんな望みも一度だけ叶えることのできる力を(さず)けよう。流星群が降る日、夜空に向かって強く願えば君の望みは現実となるでしょう…」

一体何を言っているのか僕は理解できなかった。
それに対して反発しようと声をだそうとしたが言葉一つ発することはできなかった。
そして、夢は終わりを告げた。


あの、不思議な夢を見てから早二年が経とうとしているが未だに流星群が降る日は訪れていない。
それどころか、あの時男性が言っていたことは事実なのかそれとも事故直後の荒ぶった気持ちを落ち着かせるためのただの夢なのか。
でも、仮にただの夢だったとしても両親を失ってから世界が灰色に染まってしまった僕にとって、唯一すがれる物はあの時見た事実なのか根拠もない怪夢だけだ。
それなら、流星群が降る夜空に願ってやろうじゃねぇか。
"両親を生き返らせる"と。


残り五分で昼休みが終わろうとしている中、ガラガラという音を鳴らしながら教室のドアが開く。
担任の先生は教卓の前で止まり、騒ぎ合う生徒たちの会話を遮るように「みんな、一度席に着いてくれ」と口にする。
その瞬間生徒たちは一斉に自分の席へと戻っていった。

「今日から転入してきた生徒がいる。入ってきてくれ!」

そう、先生が口にした途端、生徒たちの間で様々な思考と推理が繰り広げられた。
それと同時に先程まで先生の話に凝視していた生徒たちが一斉にドアへと注目を向けた。
四方八方から飛んでくる、転入生への推理と願望。
女子からは「誰だろう」とか「仲良くなれるかな」という誰に対しても当たり障りのない誠実な発言に対して男子ときたら「可愛い子だといいな」だとか「女子だといいな」といった、前提が全て女子生徒に対しての会話。
仮に男子生徒だった場合、全く転入生に非がないのだけれど、その瞬間に男子たちは一気にしらけるだろう。
そうなると、空気が悪くなるのは目に見えている。
それを避けるためにも僕も転入生が女子だといいなという願望に一票を投じよう。
そんなことを考えていると教室のドアがゆっくりと開き、転入生と思われる生徒が緩慢(かんまん)な足運びで一つの棒をつきながら教室に入ってきた。
その時、先程まで騒ぎ合っていた生徒たちが一瞬にして静まり返り、クラスにいる全員の目が釘付けになった。

そして、転入生は黒板の前で止まり口を開いた。

「初めまして。染夜(そめや)星凪(せな)です」

転入生が女子だったという推理が的中し、感情が高ぶっている男子生徒もいたが、それ以上に僕たちは彼女に対してある疑問を抱いていた。
そして、思考を巡らせると同時に再び転入生が口を開いた。

「私は…目が見えません」


転入生が自己紹介を済ませると、丁度昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
五時間目の授業は進路決めと自主学習だったはずだが、そんなことよりも生徒たちは転入生の染夜星凪という人物に興味を惹かれるようで、机に向かって勉学にいそしむ者は辺りを見渡しても数人しかいない。
そして、染夜さんを囲むように男女どちらとも集まり、様々な質問を彼女にぶつける。
そんな、一度に沢山訊いたところで聖徳太子じゃないのだから聞き取れるはずがないと思うが。
けれど、そんな状況でも一切感情を乱さずに聞き取れた質問を順番に答えていく。
確かに、最初は目が見えないと口にした途端、大半の生徒が驚いていたが、それ以上に染夜さんはクラスメイトを魅了する力があった。
それは、夏の日差しを反射させるサラサラとした長い黒髪。女性が憧れるようなすらりとしたモデルスタイル。鼻筋の通った綺麗な鼻に紅葉のように赤い唇。
恐らく、大半の男子が彼女の姿を目にした瞬間、好感を抱いただろう。
例え目が不自由だという、負の側面を抱えていたとしても、彼女には男を魅了するには十分すぎる程の素材が備わっている。
そんな中、僕は一つだけ彼女にとある疑問を抱いていた。
一体どんな"瞳"をしているのだろうか。

第二章

朝のホームルームを終えると担任が「今日は修学旅行の班決めを行う。行き先は長野県で二泊三日だ。班の人数は四人一組とする」とだけ言い残して先生は教室を後にした。
そんな中、高校生活最後の修学旅行ということもあってか生徒たちは気合を入れ、感情を高ぶらせていた。
クラスを見渡せば、仲がいい子を誘いに行っていたり、好きな人と同じ班になれるように思考をめぐらせている男子生徒もいたりする。
そんなことを考えていると、ちらほらと班決めが終わっている生徒たちを見かける。
そんな状況でも、僕は自分の椅子から立ち上がることができずにただひたすらに黒板を見続けている。
友達がいない僕からすれば、班決めの時間や体育祭や文化祭などの一致団結するような、いかにも青春を謳歌する行事を有意義な時間だと思ったことは一度もない。
早くこの時間が終わってくれないかと思っていると、一人の生徒が僕の肩をトントンと叩き、呼びかけてきた。
その拍子に肩をビクッと震わせて、視線を後ろへと向けるとそこには、一人の男子生徒と二人の女子生徒の姿があった。
僕はその状況に疑義(ぎぎ)の念を抱いていると、そこにいた男子生徒が口を開いた。

「なぁ、お前、牧瀬(まきせ)未月(みつき)っていう名前だったよな」
「うん。そうだけど…」
「俺たちの班、あと一人足りないんだけど、見た感じお前まだ決まってないみたいだし俺たちの班に入らねえか」
「え、まぁ、別にいいけど…」
「よっしゃー!これで決まりだー!」
この生徒は僕と違って、凄く天真爛漫な性格だな。
同じ班になったら精神的にも肉体的にも修学旅行中は疲労困憊の日々が続きそうだ。
ここで断ったところで結局は人数の足りていない班に加わって、慣れない人達と関わる結末が待っている。
それなら、自ら誘ってくれた善良な心をもつ人達の方が多少はマシというものだろう。

「まずは、どこに行くか決めるか!みんなの希望はあるか?」

大体、体育系の男子生徒はリーダーシップがないのが定番だが、この松田(まつだ)英二(えいじ)という生徒はどうやら違うみたいだ。
自主的に班のまとめ役にまわり、楽々とこなしている。
それに、クラスメイト全員の名前と顔を把握していない僕が誘ってくれた生徒の名前も分かるはずもなく、失礼にならないようにさりげなく訊いてみようと、話しかければ一瞬にして見抜かれ、班の一人一人に自己紹介をしてもらた。
彼は頭が切れて、誰に対しても気遣いができる存在のようで、頭の中を覗かれている気分に陥る。

「私は国宝の一つでもある、松本城に行ってみたいかなー!それと、信州そばも食べてみたいなー!」

この、好奇心旺盛な彼女の名前は河下(かわした)(めぐみ)というらしい。
時々、無神経な一面を晒しているらしいが、そんな彼女の性格も天然で可愛いと評価が高いらしく、男女問わず人気な生徒だ。

「私も、信州そば食べてみたいです。それと、五平餅も気になります。」

そして、最後に控えめな性格をしている彼女は今日転入してきた染夜星凪。
転入生ということもあり、班決めの時間は彼女の奪い合いで争いが始まっていた。
人が多すぎで収集がつかないでいると、正義のヒーローが現れるかのように、松田が止めに入り、生徒たちを落ち着かせ、一段落がついた。
そして、そんな人気な班に何故か枠が空いていて僕が加わった。

「牧瀬はどこに行きたいとかあるか?」
「僕はとくにない。だから、みんなに合わせるよ」
「そうか。まぁ、でも行きたい場所ができたらいつでも言ってくれ!」
「…ありがとう」

松田のテンションにはどうもついていけない。
高校生になってからまともに人と話をしてなかったせいか、以前と比べて語彙力を失っているのがわかる。
彼は太陽のように眩しく、いつなんどきでも輝いて見える。それに比べて僕は、光がないと存在しない影のような、いわゆるモブキャラ。誰が見ても、真逆の立ち位置に存在していることは歴然(れきぜん)としていた。
まだ、数分しか話していないにも関わらず、松田がクラスメイトから慕われる理由が僕にも容易に理解することができた。

「それにしても、修学旅行で長野県行くのって珍しくない?大体京都なのにね!」
「確かに!俺たちの学校は二年生の時に京都いったもんな!だから、長野県ってなんか新鮮だわ!牧瀬もそう思うだろ!」
「あぁ、そう思う…」

僕は彼らたちの会話にオウム返しをするしかできなかった。
そんなことを思いながら、横目で染夜さんを確認すると、どうやらこの班に馴染めていなそうだ。
その瞬間、先程まで生徒たちから人気を集め、注目の的となっていた彼女だがもしかしたら、主体的に会話に参加をしない姿を見ると内向的な性格なのかもしれない。
染夜さんを同質だと思っていると、そんな僕の考えに反論するように染夜さんが口を開いた。

「私も長野県に行くのは初めてで修学旅行が待ち遠しいです!」
「高校最後の修学旅行だし、後悔がないようにせいいっぱい楽しもうな!」
「私もー!」

三人で顔を見合わせて満面の笑みをたたえていた。
そんな空間に参加できるわけもなく、僕だけが完全に浮いているのがわかった。
たとえ、最後の修学旅行だとしても、僕は元々旅行や遠出をすることに興味がなく、幼い頃からインドアだったため、彼らの言う楽しみという気持ちが理解できない。

「おーい、お前ら、パンフレット持ってきたからこれを見ながらどの順番でまわるか決めておけ」

僕たちは先生が持ってきたパンフレットを拝見しながら、改めて予定を組み直す。

「ねぇ、見て見て!このパンフレットに沢山美味しそうな料理が載ってるよ!どれも、美味しそ〜!」
「こっちは有名観光スポットが載ってるみたいだ。こんなにあると、決められないなー!」

僕もパンフレットを手に取り、何が載っているのか確認する。
そんな中、染夜さんが気になっていると言っていた五平餅が掲載されているページを発見した。
普段の僕ならば、自ら誰かに話を持ちかけるなど絶対にしないが、周りの雰囲気に呑まれたのか少し気持ちが浮かれ染夜さんに声をかけてしまった。

「…染夜さん。ここに五平餅について詳しく解説されてるみたいだよ」
「そうなんですか!牧瀬くん、読み上げてもらってもいいですか?」

染夜さんが視覚障害を患っているのを忘れていた。
僕はその時、初めて盲目の過酷さを認識した。
何気なく使っている視力だが、その部分が欠落していると驚く程に世界が豹変するのだろう。

「いいよ。じゃあ読むね。」
「お願いします!」
「半搗き状態にしたうるち米を串に刺して、醤油や味噌のタレをつけて焼いた食べ物らしい。芯までしっかり火を通すことが美味しく食べるコツなんだって。それに様々な栄養が付与されていて、体にもいいって書いてある」
「えぇー!そうなんですか!?意外と五平餅って深いんですね!」
「そうみたいだね」
「私は醤油タレの五平餅が気になります!牧瀬くんは醤油と味噌どっちを食べてみたいですか?」
「僕は三種類目のミックスかな」
「えぇー!三種類目なんて聞いてません!牧瀬くんだけずるいです!それなら私もミックスを選びます!」

そう言うと染夜さんは不服そうな表情を浮かべた後に僕の方を差しながら、「騙しましたねー!」と口にした。
そんな、やり取りが面白かったのか、さっきまでの不服そうな表情を崩し、満面の笑みを浮かべた。
あまりにも、彼女が楽しそうに笑うものだから僕までも釣られそうになってしまう。
やっと、僕たちもこの空間に慣れ始めてきたようだ。

「染夜さん。今、僕の方に指を差したけどよくわかったね」
「当たり前ですよ!目は見えませんがその代わりに張力は他の人たちよりも何倍もいいので!」
「何倍ってことはないだろ」
「いいえ、何倍もいいですよ!だって私、百メートル先の声も聞き取れますもん!」
「それはさすがに嘘だろ」
「あ、バレました?牧瀬くんは嘘を見抜く力が他の人たちよりも何倍もいいのですね!」
「…いや、さっきのは幼稚園でも見抜けそうだけど…」

染夜さんが口にした"力"という言葉を聞いて、僕はあることを思い出した。
二年前に見た不思議な夢。
僕には彼女の言う嘘を見抜く力はないけれど、それ以上に驚異的などんな望みでも叶えることのできる力を所持している。
あの時の言葉が本当なのかは今でも不明だが、僕には運命を変えられる可能性がある、非現実的な特殊能力があると考えている。


会話を繰り広げるうちに僕たちの距離は近くなり、意外にも話が弾んだ。
こんなにも、誰かと話したり冗談を言い合ったのは久しぶりだ。
両親を失ってから、毎日を無気力に生きるようになり様々なことに興味を失っていた。
そんな僕がもう一度誰かと言葉を交わすなど思いもよらなかった。
僕にも再び、活気に溢れた生活が送れる日はくるのだろうか。
今のままでは、そんな未来は来そうにもないけれど。

「なんか、二人とも話盛り上がってるじゃん!もしかして、どこか行きたい場所でも見つけたの?」
「いや、五平餅に対して熱く語っていただけだよ」
「そうそう!牧瀬くんの五平餅への熱愛がすごくて!」
「それは、染夜さんでしょ。僕は五平餅に情熱的な愛など抱いてはいない」
「本当に二人とも仲がいいね!なんか俺、妬けちゃうなー!染夜さんに!」
「そこは普通、僕に妬けるところでしょ」
「あれれー、松田くんと牧瀬くん熱愛発覚ですかー!」
「そうかもしれない…俺たち…」
「違うだろ!」
「ねぇねぇ、何の話?私抜きで仲良くならないでよー!」

松田たちとする会話がくだらなすぎで、思わず笑を零してしまう。
幼い頃から両親は仕事が忙しく、一人で留守番をする日々が大半だった。
そんなこともあってか、気がつけば一人で過ごす時間を有意義だと思うようになっていた。
でも、今は彼らと共有している時間や会話、何気ない空間が心地よいと感じている。
もしかしたら、無意識に心のどこかで友達が欲しいと思っていたのかもしれない。
毎日、クラスメイトたちの談笑を横目で見ながら、僕には縁遠いと感じている中、学校生活を送っていた。
時には、両親たちとの充実した時間を過ごしたという談笑に自分には無いものだからと羨望と憎悪を抱いて勝手にクラスメイト達を軽蔑していた。
けれど、そんなのは自分の醜い感情を誤魔化すための都合のいい解釈だったのかもしれない。
誰も必要ないんだ、僕は一人で生きていけるんだって、強気な態度をとって自分を正当化していただけだったんだ。
やっと、そのことに気がつくことができた。
今からでも、変われるだろうか。


放課後を知らせるチャイムが鳴り響く。
僕は椅子から立ち上がり、通学バックを手に取って教室を後にした。
下駄箱に着くと、そこには染夜さんの姿があり、何かを探しているようだった。
僕は彼女の近くまで向かい声をかけた。

「染夜さんどうかしたの」
「あ、牧瀬くんですか?」
「そうだけど…何か探しているの?」
「それが、自分の下駄箱の位置が分からなくて…。行きはお母さんと来たので大丈夫だったんですが、帰りのことをすっかり忘れてしまって…。もし良ければ教えてくれませんか…」
「あぁ、いいよ。染夜さんの下駄箱は右端の上から三番目だよ」

僕はそう言って、彼女の手を掴み確認させた。

「牧瀬くんありがとう!助かりました!」
「全然大丈夫」

そんな時、ある提案が思いついた。
僕は自分の通学バックから家の鍵を取り出して、つけていた鈴を取り外した。

「染夜さんの下駄箱に鈴をつけておくよ。そうすれば、少しでも鈴に触れれば音が鳴るから位置が分かるでしょ」

我ながら名案ではないかと自信に満ち溢れる。
恐らく、今の僕は誇らしげな表情だろうと鏡を見なくとも予想することができた。

「…本当にありがとうございます!牧瀬くんは頭がいいのですね!」
「そんことないよ。それと染夜さん、タメ口でいいよ。僕、敬語の人と話すの慣れてないし、タメ口の方が話しやすい」
「そうですか。それでしたら、タメ語では話させてもらいます」
「あ、敬語」
「ついつい癖で…」
「まぁ、でも徐々にでいいよ」
「はい!」

そう言い残し、僕は下駄箱を後にした。
家に着くと、誰もいないというのに「…ただいま」と言葉を発して、応答がないと分かっているのに「おかえり」という言葉を待ってしまう。
そういえば、幼い頃もと同じことを思っていたような気がする。
今と違って両親は亡くなっていなかったが、学校から帰ってきても、「ただいま」「おかえり」という言葉を交わしたことはなかった。
唯一、言葉を交わしたといえば、両親が仕事から帰宅する時の週に一度だけだった。
他の家族からすれば、言葉を交わすのが普通なのかもしれないが、それすらも僕にとっては価値ある特別なことなのだ。
両親が他界してから、家賃は祖父母に払ってもらっていたり、週に二回食べ物の仕送りを貰っている。
葬儀の時に一度、祖父母の家に来るかと提案されたが、僕が今いる家から去ってしまったら両親が生きた証が無くなってしまいそうな気がした。
それに、二年前の僕はもしかしたら帰ってくるかもしれないと淡い希望を抱いていた。
そう思うと、この家から離れることはできなかった。
それを祖父母に話しても決して怒ったり笑ったりもせずただひたすらに僕のことを抱き寄せて「大丈夫だよ」と言ってくれた。
祖父母が口にした言葉にどんな意味が込められていたのか分からないが、あの時の僕に多大な助力を与えた。
そんなことを考えていると、久しぶりに誰かと談話をしたせいか、疲労と睡魔が襲ってきた。
僕は素早く風呂と晩飯を済ませて、自分の部屋へと向かった。
すぐにベットに倒れ込み、抗えない睡魔に負けて一瞬にして眠りについた。


朝起きると身支度と朝食を済ませて、通学バックを手に取り家を出る。
ドアを開けた瞬間、僕の体を通り抜けるように冷気が入り込んできた。
てっきり、冬期は終わっていたと思っていたが、どうやら僕の勘違いだったみたいだ。
ドアを一度閉めて、自分の部屋にあるマフラーと手袋を取りに行った。
マフラーは見つけることができたが、手袋はどこを探しても見つけることができなかった。
そろそろ、家を出ないと授業に間に合わなくなると思い駆け足で玄関に向かい再びドアを開けた。
先程よりかは多少の防寒はできているようだが、それでも裾部分や襟の隙間から寒風が入り込んで体を冷やしてくる。僕はその時、冬は侮ってはいけない季節だと認識した。
それにいくら制服が冬服だとしても、薄過ぎやしないか。長袖長ズボンにすればいいというわけではない。
もう少し、生地を厚くしてしっかりと防寒対策をするべきだ。
まぁ、そんなことを教師に申し出たところで「予算が足りない」やら「高校指定のカーディガンを着ればいい」とか言われてまともに取り合ってくれないだろう。
そんな中、冬の冷気に苦難している生徒を横目に教師たちは防寒対策が完璧なジャケットを着て来たり、体育の授業の時も生徒は半袖半ズボンで辛抱しているというのにジャケットを脱がずに平然と授業を行っている。
過去に一度だけ、「みんなと同じように俺も半袖半ズボンで体育をしたいと思う!」と宣言した熱血体育教師がいたが、三日後再び体育の授業を行った時平然とジャケットを着て来て、見事に前言撤回した体育教師がいた。
体を震わせながら信号が変わるのを待っていると、横断歩道の向こう側で見覚えのある人を発見した。
あれは恐らく染夜さんだろう。
知らないふりをして通り過ぎようかと考えたけれど、昨日変わりたいと思った手前、声をかけざるを得ない。
信号が青に変わり、僕は自分の持っている僅かな勇気を振り絞って、染夜さんに声をかけに行く。

「…染夜さん」

名前を呼びかけると、肩をビクッと一度震わせてからこちらを向いた。

「あ、牧瀬くん。…おはよう!」
「おはよう。よく、僕だってわかったな」
「…当然だよ!耳は良いんで、誰の声なのかすぐに判断できんだ!」

そう言って、ぎこちないタメ語を並べながら、すごい自信に満ち溢れるてる表情を浮かべた。

「今日はいつもより一段と寒いな」
「そうだね。私もドアを開けた瞬間凍るかと思ったよ」
「確かにな。って実際に凍ったのか」
「そう言う冗談だよ冗談」
「なんだ、信じて損した…」
「そうやって、また私をからかうんだから!」

そんな他愛ない会話を並べながら僕たちは学校に向かった。
教室の前に着き、ドアを開けると早々に屈託な笑顔を浮かべながら松田が僕の元へと駆け足で向かってきた。
誰かが寄ってくるなど今までに一度もなかったため、僕はその状況に不思議な感覚に陥っていた。

「なぁなぁ、牧瀬!俺さ俺さ!」
「一回落ち着け!」
「あぁーごめんごめん!昨日、名案が思いついたんだけどさ、せっかく修学旅行の班が一緒になったわけなんだし、より仲を深めるためにも四人で出かけねぇーか!」
「僕は別にいいけど、染夜さんと河下さんにも訊かないと」
「それに関しては大丈夫だ!恵にはもう許可を貰い済みだ!染夜さんも大丈夫そ?」
「はい!私も四人で出かけたいです!」
「よっしゃー!これで決まりだー!」

朝からこんなにテンションが高いと流石に疲れてしまう。
普通は誰でも午前は気分が上がらないものではないのか。それとも、僕だけなのか。
そんなことよりも、友達とどこかへ出かけるなど何年ぶりだろうか。
一応、こんな僕でも小中は数人だが友達と呼べる者はいたことがある。今と違って、わんぱくな性格で近所の人から怒られたりと随分の悪ガギだった。
だから、公園でサッカーとか駄菓子屋でお菓子を買って食べるとか頻繁に遊んでいたのだが、高校入学と同時に両親を失って、僕はすっかり別人へと豹変してしまった。
そのため、友達とは遊ばなくなり、新クラスで友達になろうと声をかけてくれた生徒もいたが、僕はそんな親切な人に冷たく接したり、近寄り難い雰囲気を漂わせてクラスメイトと距離を置いていた。
そうして僕はなるべく誰とも関わらないようにと無愛想で話しかけずらい雰囲気を突き通した。
でも、三年生最後の学期で再び友達と呼べる人を作ることができた。
随分と遅くなってしまったが、多少は昔の自分に戻ることができたのかもしれない。
それで、あとは両親を生き返らせることができれば今度こそ本当の自分に元通りになれる。
でも、それ以前に、僕にそんな能力が付与されたのか未だに信じられないけれど。

「昼休みになったら、みんなで集まって予定立てようぜ!」
「あぁ、分かった」

そうして僕たちの会話は終わり、それぞれ自分の席へ戻って行った。


四時間目の授業の終わりを告げるチャイムがなりひびき、昼休みが始まる。
松田が一直線に僕の元へと向かってきた。
昼休みになったということもあってか、午前よりもまた一段とテンションが上がっていた。
こいつのテンションゲージは一体どのくらいがMAXなのだろうか。
上限に到達したら、爆発でもするんじゃないか。
そんな、くだらない思考を巡らせていると松田が僕の肩を掴んで左右に揺らしてきた。

「牧瀬!早く行こうぜ!」
「あぁ、分かってるから少し待てよ」
「俺が待てねぇーの知ってるだろ!」
「はいはい、そうでしたね」

呆れたように言葉を返しても、一切表情を変えずにひたすらに僕の肩を揺らしてくる。
松田はどんなことがあっても永遠に友達でいてくれそうな気がした。
そんな、寛容な性格が周りから人気を集める秘訣なのだろう。

「ほら、弁当もって屋上にいくぞー!」
「…あ、僕は弁当持ってきてないからいつも購買でパンを買ってるんだ。だから、三人で先に行ってていいよ」
「いいよ!俺も一緒に購買行く!」
「お前は弁当あるんだし購買来てどうするんだよ!僕もすぐに行くから」
「それもそうだな!じゃあ、俺たちは先に屋上行ってるからな!牧瀬も早く来いよ!」
「あぁ、精進するよ」

会話を終えると、松田は駆け足で屋上へと向かって行った。
僕も早く購買部に行かないと目当ての食べ物が売切れてしまう。
この高校は結構品揃えがいい方だと思うが、人間の性質なのか大半の生徒は目当ての物が一緒だ。
そのため、焼きそばパンやカレーパン、サンドイッチなどは、授業が終わった瞬間、疾走して購買部に向かわないと一瞬にして売り切れてしまう。
まぁでも、僕は食に興味が無いため授業が終わった瞬間疾走するわけでもなく、ゆっくりとした足取りで購買部に向かっている。
そのため当然のことだが、僕が購買部に着く頃には人気の商品は完売しており、不人気で売り残った商品を毎回購入する。
不人気だからといって決して不味いというわけではない。
ただ、他の商品と並べられると注目を浴びないのは必然的だ。
やがて、購買部に着き何が残っているのか確認すると普段は確実に完売している焼きそばパンが一つだけ売り残っていた。
僕は迷わず焼きそばパンを手に取り購入する。
先程、食には興味が無いと言ったが、即座に完売する程の人気な商品が残っていたら誰でもそれを選ぶだろう。
今日は運がいいなと思いながら僕は購買部を後にした。
屋上に着き、ドアを開けると、僕に気がついた松田が満面の笑みを浮かべながら手招きをしてきた。

「牧瀬ー!こっちだよ!」
「待たせてごめんな」
「いいよいいよ、そんなの。ってそんなことより牧瀬も来たことだし早速予定決めようか!」
「あぁ、そうだな」
「みんなは行きたい場所ある?」
「私、水族館行きたいー!いや、動物園もいいかも!」
「僕は特に行きたいと思う場所ないし、任せるよ。染夜さんはどこかある?」
「…私は遊園地が行きたいです!」
「…僕も染夜さんと同じで遊園地に行きたいかな」
「え、お前さっき行きたい場所ないって言わなかった?」
「今できたんだよ!」
「牧瀬が意見を言うのも珍しいしそこまで言うなら遊園地にするか!」
「いや、僕一回しか言ってないけど…」
「河下、遊園地でもいいか?」
「全然いいよ!遊園地もいいなって思ってたし!」
「よし!これで決まりだな!」

そう言って松田は立ち上がりガッツポーズをした。

「遊園地に行くの三日後の祝日とかいいんじゃねぇーか。みんな予定は空いてる?」
「私もその日は暇だよー!」
「僕も大丈夫だけど」
「私も特に予定はありません」
「なら、決まりだ!三日後、十四時に駅前に集合な!みんな遅刻するなよ」

そうして、昼休みが終了する二分前に予定決めは終わった。
授業が始まるギリギリということもあって、それぞれ弁当を片付けて、駆け足で教室に向かった。


あっという間に三日が過ぎ、遊園地に行く当日となった。
僕は身支度を済ませ、リュックサックを背負ってドアを開けた。
今日は天気予報によると一日中快晴が続くとのこと。
気温もいつもと比べ暖かく十五度というここ最近での最高気温を観測した。
これならマフラーがなくとも大丈夫そうだ。
そういえば、遊園地には久しく行っていない。
僕の記憶が正しければ、小学生の頃に遠足として訪れた以来かもしれない。
一般家庭は夏季休暇になると遊園地や動物園などに訪れて思い出作りをするのかもしれないが、僕の場合夏季休暇は毎年、家でゲームをするか祖父母のと一緒に過ごすかの二択だった。
それでも、一週間に一度だけ両親が帰ってくる日があったので、その時は一日中一緒に時間を共有した。
その度に両親からは「どこか遊びに行く?」って訊かれていたけれど、二人とも仕事勤めで疲れていると思い、遠慮して家にいる方を選んだ。
あの時の選択は正しかったのか、それとも子供っぽくわがままを言った方が良かったのか未だに分からない。
でも、遊園地に行こうが家で時間を過ごそうが両親と一緒にいれればそれだけで十分だった。
たとえ、他の子達よりも家族との思い出の数が少なくとも、僕にとってはどんな形であれ三人で過ごす時間はどれも価値ある日々だった。
そう考えているうちに気がつけば駅に着いていた。
ポケットからスマホを取りだし、時間を確認すると待ち合わせ時間の十四時よりも十分早く到着してしまった。
周りを見渡す限り、他の三人は見当たらないのでどうやら僕が一番乗りのようだ。
駅前に配置されてあるベンチに腰をかけて本を読みながら三人を待つ。
その数分後、向こう側から染夜さんらしき姿がこちらに向かってくる。
僕は自分の居場所を知らせるようにベンチから立ち上がり「染夜さん」と名前を呼びかける。
すると、僕の声に気がついた染夜さんは早足で駆け寄ってきた。

「おはよう!牧瀬くん」
「おはよう」
「声がしない感じ河下さんと松田さんはまだみたいだね」
「あと数分で十四時になるし、もう少しで来ると思うけど。立っているのもなんだしベンチに座ろうか」
「それもそうだね」

それから二分後松田が到着し、十四時ピッタリに河下さんが到着した。

「三人とも早いねー!」
「牧瀬くんが一番乗りでしたよ!」
「あれー、もしかして牧瀬今日の遊園地楽しみだったのかなー?」
「…そうだけど」
「え、なんか牧瀬が素直だ。これはおかしい。今日は雪が降るぞ!」
「生憎のところ今日は一日中快晴が続くから雪は降らないと思うよ」
「…そんなはずは無い。牧瀬がこんなに素直なわけが…」
「そんなにおかしかったか」
「あぁ、それはもう…」
「二人ともそんなことより電車もう来るよ!」
「遊園地に着く前からはしゃいでしまった…。遊ぶ気力を残しておかないと」

そんな松田の言葉にお前の活力は尽きないくせにと思いながら、僕たちは到着した電車に乗り込んだ。
電車で片道三十分で到着する遊園地に向かっている途中、僕たちは動物縛りしりとりをしながら時間を潰した。

「じゃあ、俺、恵、染夜、未月の順番な!」

いつの間にか松田からの呼び名が名前に変わっていた。

「しりとりの「り」から始めるぞ!それじゃあ、リス!」
「スズメ!」
「メガネザル」
「ルリコンゴウインコ」
「おいおい、なんだよそれー!お前、それ架空の動物だろ!」
「いやいや、本当にいるから。いいから次は「こ」だよ」

松田は唇を尖らせ、不満気な表情を浮かべていた。
その後、五分間思考をめぐらせ、遂に松田が口を開いた。

「こ…こ…、あ、こぐ…」
「子熊や子猫とかはなしだよ。それありにしたら、「こ」が来た場合、全て子供動物で対処できてしまうからな」
「そ、そんなの分かってるよ!こ…こ…。あー、思いつかない!ギブギブ!」
「早いな。まだ一周しかしてないけど…」

動物縛りにしたせいか一周でしりとりを終えてしまった。
最低でも三週はできると思っていたのだけれど。
そんなに甘くはなかったみたいだ。

「だって!「こ」から始まる動物なんていないだろ!」
「…いや、コアラがいるだろ」
「うわぁー!完全に忘れてた!」

松田は頭を抱え、電車の中だというのに盛大に叫んだ。
幸い、この列車には年寄りのおばあちゃんと親子連れの家族しかいなく、僕たちの騒いでいる姿を見ても優しく微笑んでくれた。
気をつけなければ。
ここは電車の中だということを忘れてはいけない。

「牧瀬がいきなり、意味不明な名前を言うもんだから戸惑ったんだ!あの状況になれば誰でもこうなるさ」
「そうかな…」
「そんなことより、ルリコ…なんとかっていう動物どこで知ったんだ?」
「あれは、中学生の頃図鑑を読んでいた時に見つけたんだ」
「お前、図鑑とか読むんだな」
「まあね…」

中学生の時に本に興味を惹かれた僕は一時期、小説や図鑑、漫画に浸る一日で打ち切りだった。
その時に偶然にも手に取った本が《世界の動物知識》という題名の図鑑だった。
そこには、過去に存在した生き物や絶滅危惧種、それ以外についても詳しく記載されていた。
その図鑑にはまだ、僕の知らないことばかりが載っていて、その時世界はこんなにも広いんだと実感した。
松田たちと時間を潰し、気がつけば目的地である遊園地からの最寄り駅に到着していた。
僕たちはそれぞれ荷物を手に取り、電車を後にした。

「やっと着いたー!ここから、どのくらい歩くのー?」
「えっと、地図アプリには徒歩五分だって!」
「それなら、駅を出れば観覧車やジェットコースターが見えるかもな」
「よっし!早く行くぞー!」

そうして、僕たちはバックから交通系ICカードを取り出して改札を抜けた。

「染夜さんこっちだよ」
「…ありがとう。牧瀬くん」

僕は染夜さんの腕を優しく掴み、彼らの元まで導いた。

「見て見て!あそこにジェットコースターが見えるよ!」
「本当だな!早く行こうぜ!」

そうして、駅から徒歩五分ほどで到着する遊園地へ向かった。
入口に着くと、高校生千五百円のチケットを購入し、入場する。

「ねぇねぇ!何から乗る?」
「そうだな。まずはあれだろ!」

そう言って松田が指を差したアトラクションは歪な形をしたジェットコースターだった。
高さはそれほどないみたいだが、それ以上にとにかく波を打つようにレールの部分が曲がっていた。
その名前を確認すると《蛇行コースター》と記載されていた。

「なんか、すごいくねくねしてるね!」
「初めて見る形だ!」
「染夜さんはジェットコースター大丈夫?」
「私は大丈夫だよ」
「…そっか、それならいいんだけど…」
「なんだー?もしかして、未月ジェットコースターが怖いのかー?」

僕を茶化すように肘を腕にぶつけてきた。
それに対抗すべく反論をした。

「別にそういうわけじゃないけど、僕知ってるジェットコースターの形じゃないから心配してるだけ」
「それを怖いって言うんだよ!」
「もう、そんなことどうでもいいだろ!早く乗りにこう」

蛇行コースターという名の謎のアトラクションに乗るため待ち時間十分の列に並んだ。
その間、四人で談笑をしながら時間を潰した。
気がつけば自分たちの番が回ってきていた。
僕は視力障害である染夜さんも乗れるかどうか確認するためアトラクションキャストに尋ねた。

「すみません。視覚障害の方も乗ることはできますか?」
「はい!可能ですよ。十六歳以上の方でしたら同伴者は必要ありませんので!」
「そうですか。ありがとうございます」

染夜さんも乗れると分かり安堵する。
僕はこんなところでも新たな知識を手に入れることができた。
僕たちは並び時間に決めておいた、松田×河下ペアと牧瀬×染夜ペアで乗り込むことにした。

「染夜さんここ段差あるからね」
「ありがとう牧瀬くん!」

染谷さんの手を取ってトロッコへ案内する。
蛇行コースターに乗り込んでから二分ほど経った頃、キャストさんの「出発進行ー!」という掛け声と共にジェットコースターが出発した。
歪な形のせいで、乗り物酔いをしてしまいジェットコースター特有の悲鳴をあげる行為よりも吐き気でいち早くでも降りたいという気持ちで悲鳴をあげるどころではなかった。
そんな中、僕の前方に座っている、松田と河下さんは「キャー」と楽しそうな悲鳴をあげていた。
そして、僕の隣に座っている染夜さんは「なにこれ!楽しいー!」と言葉を発しながら両手を上にあげていた。
そんか姿を見て、いつも控えめな性格の染夜さんだが、こんなにも屈託のない表情を見せるんだなと少し驚いた。

「いやー、楽しかったなー!」
「私もすっごい楽しかった!」
「牧瀬くん、大丈夫?」
「…あぁ、大丈夫…。少し乗り物酔いをしただけ。僕は少しベンチに座ってるから、みんなは遊んできて」
「そうか、じゃあ俺たちは遊んでくるけど何かあったら言えよな!」

松田は僕の目の前に親指を立てながら、満面の笑みでそう言った。

「未月、俺たちはあっちに行ってくるからな!」
「あぁ、楽しんできな…」

そう言い残して、松田と河下さんは駆け足で去っていった。

「…染夜さんも遊んできていいんだよ」
「ううん。私は牧瀬くんとここに残るよ!」
「…ごめん、僕がジェットコースターに酔っちゃったから」
「大丈夫だよ。私も丁度休みたいと思っていたし」
「そう、ならいいんだけど…」

でも確かに、あの二人についていくとなると相当の体力が必要とされる。
アトラクションを乗り終わったら息付く間もなく、次から次へと駆け足で移動するだろう。
そんなことをされては、いくら平常だったとしてもついていける自信が無い。
しかし、一つだけ不思議に思うことがある。
松田はサッカー部で毎日走り込みをしているため、体力があるのは納得がいくが、河下さんは確か新聞部だった気が。
だとしたら僕たち同様、体力がないのが一般的ではないのか。
それとも、頻繁に学校中の聞き込みで走り回っているため、自然と体力がついたのか。
それか、もしかしたらランニングが趣味で自主的に体力をつけているのか。
いや、でも、無邪気で明るい性格な彼女だけど、普段からクラスで友達と談笑を繰り広げる姿を見る限り大して体を動かすことは好きではなさそう。
それに部活から推理したところ、女子バスケ部や女子バレー部があるのにも関わらず室内で行ういわゆる文化部に彼女は所属している。
だとしたら、彼女には体力がないはずだが…。
そんな、河下さんの持久力の高さについて思考を巡らせていると隣に座っている染夜さんが僕の肩をトントンと叩き言葉をかけてきた。

「牧瀬くん。私ね最近ハマってるスマホゲームがあるんだ!」
「どんなやつ?」
「クイズゲームなんだけど、メッセージアプリと連動してて、一問正解する度にスタンプが一つプレゼントされるんだ!」
「えぇー、そんなゲームあるんだ。なんか、新鮮なゲームだね」
「ちなみに私はもう十二個もスタンプ貰ったんだ!でもね、十三問目からクイズが難しくて先に進めないんだよね…」
「どんなクイズ?」
「…えっとね」

そう言って染夜さんはバックからスマホを取り出した。
電源を入れ、クイズアプリを起動させると視覚障害の方への対応なのか読み上げ機能が搭載されていた。
そんな、便利な機能がスマホに備わっているとは知らなかった。
確かに、視覚障害を持っている人はスマホを利用するのは至難の業だ。
そういえば、この前スマホのニュースアプリで《新作文章読み取りモバイル》という点字が記載されていない文字を読み取ることで音声として教えてくれるという万能機械が発売されたという記事があった。
即完売するほどの人気な商品で予約受付終了するほど。

「牧瀬くん。これだよ!」
「えっと…」

染夜さんが見せてくれたクイズアプリには月➞水➞金➞火➞木➞土の順に漢字と矢印が記載されており、その下に『なんの順番でしょう』と記載されていた。

「…月の次に水…。火の前に金…」

僕は数分、思考を巡らせた後にやっと答えを導くことに成功した。

「わかったよ染夜さん」
「本当!?答えは何?」
「これはね、地球から見た惑星の近い順だよ」
「あぁー、そう…なの?」
「うん。だから答えは"太陽系の近い順番"だと思うよ」

染夜さんは音声機能を起動させ、マイクに向かって答えを吹き込む。
その後にピンポンと効果音が鳴り、スタンプゲット!という音声が出力された。

「ありがとう牧瀬くん!やっとクリアできたよ!それにしても、やっぱり牧瀬くんは頭がいいね!」
「そんなことないよ。理科の授業でやっていたのを思い出しただけ」
「私も聞いていたはずなのに覚えてない…」

そう言って、落ち込んだ表情を見せた。
僕は話題をそらすために話の内容を変えた。

「そんなことより、染夜さん。ここに《限定スタンプ手に入れ方》って書いてあるよ」
「え!そんなのあるの!?」

話題変換に成功し、浮かない表情から興味津々の顔つきへと変わった。

「どうやったらゲットできるの?」
「連絡先を通じてこのゲームに招待しようって書いてある」

友達を招待する代わりに特典を入手できるというよくあるゲームの手口だ。
僕も過去に一度スマホゲームをしていた時に一人招待すれば十連ガチャ無料券を入手できると記載されていたが当然僕には連絡を交わし合う相手など存在しないため、特典を入手することは叶わなかった。
祖父母に話を持ちかけようともしたが二人ともガラケーだったことを思い出してぬか喜びで終わった。

「ねぇねぇ、それなら牧瀬くん連絡先交換しようよ!」
「え、僕が?別に親の連絡先を招待すれば入手できると思うけど」
「両親はダメかな…。どっちもスマホには疎いから。だから、牧瀬くんお願い!」

そう言いながら顔の前に手を重ねて頼んできた。

「それならしょうがないか。いいよ連絡先交換しようか」

その時、スマホが疎い両親って一体何歳なんだという疑問を抱えながらも、連絡先の交換くらい別にいいかと結論づけた。
そうして僕たちは互いのスマホを近づけてピッという音と共に染夜さんの連絡先が追加された。

「やったー!ありがとう牧瀬くん!」
「いいよ別に」

今までは亡き両親の名前と祖父母の名前だけが表示されていた知り合い欄に新たに星凪という名前が追加され上記に表示された。
まさか、初めて交換する友達の連絡先が女子だとは思いもしなかった。
両親と祖父母の連絡先を交換した以来、変化しなかった知り合い欄に一人追加されたことによって色がついた気がした。
そんな、見慣れない光景に僕は唖然としてしまう。
画面を眺めていると先程追加した染夜という名前の横に一という数字が表示された。

「早速ゲットしたスタンプ送っちゃった!」

確認すべく染夜さんのトーク欄を開くと、そこには、シロクマがピースをしているスタンプが送られてきていた。
僕もそれに対抗するかのように猫がピースをしているスタンプを送信した。
その数秒後、染夜さんのスマホがピコンと音を鳴らし、読み上げ機能で「牧瀬から猫がピースをしているスタンプが送られてきました」と音声で知らせる。

「えぇー、牧瀬くん猫のスタンプなんか持ってるんだ!意外だな」
「こう見えても可愛い動物には目がないんだ」
「猫のスタンプ見てみたかったな…」

その瞬間、再び落ち込んだ表情を浮かべた。
そんな彼女の表情を見て自然と口角が上がっていることに気がついた。
こんなふうに、笑を零したのは久しぶりで僕は思わずいつもの無愛想な表情へと戻した。
染夜さんに気づかれなくて良かったと安堵する。
そんな時、向こうから松田と河下さんらしき姿がこちらに手を振りながら向かってきた。

「未月、体調は治ったか?」
「あぁ、おかげさまで」
「それなら良かったよ」
「松田と河下さんはなんのアトラクションに乗ってきたんだ?」
「えっとな、コーヒーカップと回転ブランコあとバイキングも乗ったかな。あと…」
「もういい。結構乗ったんだな。少しは疲れたんじゃないのか」
「いや、全然!まだまだ、乗る気だしね!」
「お前の体力は本当に尽きないな…」

乗り物酔いもすっかりさめたことだし、僕と染夜さんも再び参入した。
その後は松田が地図を丸暗記しているかのように指差しで僕たちを案内してくれた。

「ねぇねぇ、牧瀬くんと染夜さん!あそこにね鯉の餌やりがあるんだけどね出できた鯉の餌がハートの形をしてたんだ!鯉と恋でかけてるのかな?」
「だからか。祝日なのに家族で遊びに来ている人よりも恋人の方が多いいから、恐らく恋愛成就としてもここの遊園地は有名なのかもな」

遊園地内を見てまわっていると、料理の香ばしい匂いが鼻をかすめた。
そんな漂う香りに僕たちは抗うことができず、四人全員で顔を見合わせながら「行こう!」と言葉を揃えた。
他のものには目もくれず、一目散に飲食店へ向かった。
昼過ぎということもあってか、来客は少なく列に並ばずに入ることができた。
松田は席に着くなり、誰よりも先にメニュー表を手に取りパラパラ次のページを開いていく。

「俺もう空腹で倒れそう…」
「私もー!」

そんな、二人の言葉には聞く耳を持たずにテーブルに置かれているもう一つのメニュー表に手を伸ばした。
一ページずつ開いていくと意外にも品揃えが良く、定番のハンバーグやカレーライス以外にも和食や中華料理、ジャンクフードなど様々な項目の料理が用意されている。

「俺、色々ありすぎて決められない!未月はもう決めたのか?」
「あぁ、僕は既に決めてあるよ」

たとえ数々の料理の品を並べられようと僕は最初から何を注文するかは決めてある。

「早くね!?こんなにあるのによく決められるなー」
「僕は君みたいに食い意地張ってないからね」
「じゃあ、未月は何を頼むのさ!」
「僕はハンバーグを注文する」
「お前って見た目によらず意外と子供っぽいよな」

松田は憫笑しながら僕のことを指さしながら小馬鹿にした。

「そういう松田は何頼むんだよ」

そう訊いた後に自慢げな表情でメニュー表を僕に見せてきた。

「俺はな、ラーメンを注文する!」
「お前だって子供じゃないかよ」
「いいや、ラーメンは大人に人気だからつまり大人の食べ物さ!」
「何言ってんの」
「お前はまだ子供だから分からないんだよ」

そう口にする松田の顔が僕に嫌味を感じさせる。
ラーメンは大人の食べ物という謎の理論と僕を子供だと馬鹿にする彼をこれ以上相手にしていてはキリがないと思い彼の発する言葉を全て無視することにした。

「染夜さんは何が食べたいとかある?希望に合わせて注文するけど」
「今はオムライスを食べたい気分なんだけどあるかな?」
「エビとトマトソースのオムライスならあるけどそれでも大丈夫?」
「うん!じゃあそれにしてもらおうかな」

染夜さんにオムライスが好物なのか訊こうとしたがさっきみたいにまた子供っぽいとかほざく可能性があったので僕は訊くのを諦めた。

「河下さんは決まった?」
「…んー。ちょっと待ってね」

どうやら河下さんは何を注文するか迷っているらしく、探偵みたいに顎に手を当てて熟考していた。
それから数分後、どうやら決断したのか先程まで曇っていた表情が晴れ晴れとした表情へと変化を見せた。

「決まったー!私はこのダブルチーズのパエリアにする!」

意外にも好奇心旺盛で一番子供っぽい河下さんの口からパエリアという料理名が出てくるとは思わず、僕は唖然としてしまった。
しかし、この考えを言葉にしてしまえば松田と同類になってしまうと思い口を噤んだ。

「みんな決まったな」

全員注文内容を確定したのを確認し、テーブルの端に置いてある呼び出しボタンを押した。
それから、数秒後に店員さんが僕たちの席に到着しそれぞれの注文内容を伝達した。

「俺は味噌ラーメンで!」
「私はダブルチーズのパエリア!」
「僕はデミグラスソースのハンバーグで」
「私はエビとトマトソースのオムライスを一つお願いします」

店員さんは四人の注文内容を復唱した後に「かしこまりました」と一言残してその場を後にした。
僕たちは料理が運ばれてくるまで次は何のアトラクションに乗るか話し合い、食事を終えたらフリーフォールに向かうと結論づいた。
それから、数分後に染夜さん、河下さん、松田、僕という順番に料理が運ばれてきた。
デミグラスソースとハンバーグから溢れでる肉汁が混じり合い互いに引き立てあいながら食材の魅力を最大限に引き出している。
注文したデミグラスソースのハンバーグには間違えはなく極上の味わいで僕の口を最大に楽しませた。
そんな中、それぞれ違う料理を注文したため席に漂う香りが混合したが味噌ラーメンの香りが強すぎで一瞬にして支配されてしまった。
食事を終えると先程決めておいたフリーフォールに向かうという予定を実行させその後も様々なアトラクションに乗り僕たちは日が暮れるまで遊園地で遊びまわった。


「そろそろ、日も暮れてきたし最後に観覧車に乗って終わりにするか」
「そうだね。帰りの時間も考えるとそうした方がいいと思う」

遊園地の最後の要は観覧車で締めることにした。
日没を迎えたこともあってか、来客の足取りは退場口へと向かっていく人が多く、恐らく午後は行列で賑わって待ち時間が設けられているだろう観覧車も列に並ばずに乗り込むことができた。
やっぱり夕方頃に向かったのは正解だったのだ。

「見て見て!もう高いよ!」
「本当だな!景色も綺麗だ!」
「本当だ…」

そんな言葉をこぼした途端僕はあることに気がついた。
視覚障害を持っている染夜さんは景色を見ることができない。
僕たちだけが楽しい思いをして嫌な気分にさせてはいないだろうか。
そう思い、焦って染夜さんの表情を窺うと、意外にも彼女は笑っていた。
もしかしたら、僕たちの感想や楽しそうな声を聞いて一緒に染谷さんも楽しんでいたのかもしれない。
その時、僕は今の今まで忘れていたが染夜星凪とは情に溢れた優しい心を持つ女の子だということを思い出した。
けれど、僕の気のせいかもしれないが、そんな満面の笑みを浮かべる彼女の表情にはどこか儚げな印象を受けた。
気がつけば観覧車は終わりを告げようとしていた。
そんな中、僕の記憶には遊園地全体を照らす夕焼けの絶景よりも染夜さんの儚げなあの表情だけがの脳裏に焼きついた。

「いやー楽しかったね!」
「最後にいい景色が見られたな!」
「あぁ、そうだな…」

そんな時、何かを思い出したのか河下さんが大声を上げてみんなに呼びかけた。

「あー!お土産買うの忘れてる!」
「やばいよ!閉園時間まで後三十分しかないよ!」
「今ならまだギリギリ開いてると思うけど」
「なら、早く行こー!」

そう言って僕たちは現在地から一番近い土産売り場まで駆け足で向かった。

「良かったぁ、間に合った」
「そんな一安心してる時間なんてないよ」
「それもそうだね早く選ばないと!」

それぞれ、気になるエリアへ四方八方に散った。

「染夜さんは買いたい土産とかある?」
「私はぬいぐるみが欲しいかな」
「それなら、こっちだよ」

染夜さんをぬいぐるみエリアへ導いた。

「ぬいぐるみだとここのマスコットキャラクターしかないけど…」
「うん!それでいいよ」
「本当に!?お世辞でも可愛いとは言えないマスコットだけど…」
「私、ぬいぐるみ好きだし!」
「そう…ならいいんだけど」

染夜さんが選んだマスコットキャラクターのぬいぐるみは半袖とマフラーを着ている、目つきの悪いゴリラだった。
半袖とマフラーに関しては夏と冬の季節が混合しているし、動物をぬいぐるみにするのであれば、ゴリラよりも確実に人気のあるパンダやコアラとか、もっと選びようがあっただろうに。
そんな、可愛らしい動物たちを差し置いてゴリラを選抜するとはさぞかし、ゴリラが好きなのだろう。
そのせいもあってか、他の商品よりも売れ残りの数が多いい。
そんなことよりも僕も早く商品を決めなければ、閉園時間に間に合わなくなってしまう。
あちこち見て回ったけれど、買いたいと思う商品は見つからなかった。
お菓子は好んで食べるわけでもなしい、祖父母だって洋菓子よりも和菓子の方が気に入るだろう。
でも、この土産売り場には洋菓子しか置いていないみたいだ。
かといって、文房具を買ったところで、動物の柄入りシャーペンや消しゴムなどは僕のイメージ上学校では使いづらい。
ハンカチや小物入れも同じ理由で買わない。
でも、せっかく初めて友達と遊園地に来たんだし、記念品として何か買いたいというのも事実だ。
だとすれば、僕が興味を持てて、尚かつ誰かに見られたとしても違和感が無いもの。
その結果、導き出された商品は至って普通な動物のストラップとなった。
これならば、財布やキーケースに付けておけば人目に付くことは無いし、仮に誰かに見られたとしてもストラップくらい誰でも付けるだろ。
そうして僕はマスコットキャラクターの決して可愛いとは言えないゴリラのストラップを手に取りレジへと向かった。

「三百四十円です」
「四百円で」
「四百円おわずかり致します。六十円のお返しです。ありがとうございます」

アトラクションの絵柄が印刷されている紙袋を受け取り、みんなのもとへと向かった。
出口には三人の姿があり、どうやら僕が最後のようだ。

「未月買えたか!」
「うん」
「なら、走って出口に向かうぞー!急げ!」

駆け足で閉門口に向かっている途中に辺りを見渡したが、僕たち以外の来場客は見当たらなかった。
ポケットからスマホを取り出し時間を確認すると、閉園時間まで後十分を切っていた。
ただひたすらに時間に間に合うようにと思いながら一生懸命走った。
無事に閉園時間にはギリギリに間に合い、閉門口を通って遊園地を後にした。

「何とか間に合ったな!いやー、まじで焦ったよ」
「私もだよ。こんなの初めて!」
「染夜さん大丈夫?随分息が上がっているけど…」
「…私は大丈夫だよ。それよりも牧瀬くんの方が疲れてそうだけど」
「…あぁ、久しぶりに走ったもんだから、相当やばい…」

気温は十五度と決して暑くないはずなのに僕の額は汗を流し、両手で両膝を掴みながら「ゼーハーゼーハー」と息を荒くする。
体育の授業で時々行うマラソン大会では、疲れたと感じたら直ぐに足並みを遅くして、体力を回復されるのだが、今回の場合時間を押していたのもあってそういう訳にはいかなかった。
そのため、自分の限界を超えても尚、走り続けたのは初めてのことで苦しいと思いながらも足を止めなかったことにこれ以上にないほど自賛する。
けれど、そんな悶え苦しむ僕なんかと比べ、土産売り場から五十メートルはあったはずなのに松田と河下さんは疲れた素振りも見せずに平然と突っ立ていた。
本当に二人の持久力は底が知れない。

「帰りの電車まで七分もあるし、ゆっくり歩きながら向かうか」
「そうしてもらえると助かる…」

僕と染夜さんの体力を考慮してか、歩きながら向かうという選択をしてくれた。

「ねぇねぇ、みんなはなんのアトラクションが楽しかった?」
「そうだな。俺はやっぱりバイキングかな!想像していたよりも高さがあって、迫力もあったし。牧瀬は?」
「僕は、回転ブランコかな。風が涼しくて気持ちよかった」
「それ、アトラクションの感想じゃなくない?風なら一番最初に乗った蛇行コースターの方が気持ちよかった気がするけど」
「いや、風関係なしにもうあのジェットコースターには乗らない…」
「星凪ちゃんは?」
「私はウォータートンネルが一番楽しかったです!」
「あれ面白かったよな!新感覚のアトラクションだった」

ウォータートンネルとは水上ジェットコースターのようなアトラクション。
入口前でキャストから紙の服を受け取り着用してからトロッコに乗る。
トンネルの中にランダムで設置されているスプリンクラーから水が放出され、それを避けながらトンネルを通り抜けて、誰が一番濡れなかったか競う新感覚アトラクションとのこと。
他の遊園地にはまだ実装されていなく、現地限定だったため、どのアトラクションよりも人気で行列だった。
僕たちが向かった時は待ち時間四十分とかなりの注目を集めていた。
そして、来客の期待を裏切らない程の面白さでとても絶賛されていた。
この、ウォータートンネルでは松田がサッカー部で得た、身体能力と反射神経でダントツで優勝を飾った。
それに比べ、僕ときたら大半の水を避けることができず、気がつけば襟部分しか残っていなかった。
そんな姿を見て、松田は盛大に笑い転げ、河下さんも必死に笑いをこらえていたが再び僕の姿を見ると「アハハッ」と腹を抱えて笑っていた。
けれど、松田はそれだけではとどまらず、染夜さんに僕の姿を詳しく伝達し、襟部分を触らせた。
そうすると、すぐに理解できたのか染谷さんも同様、くすくすと今までに見たことがないほど笑っていた。
そんな三人の反応に多少の苛立ちを覚えたが、染夜さんの快活で明るい一面を目にすることができたので今回のところは許すことにした。
そうこうしていると、気がつけば駅に着いていて、リュックサックから交通系ICカードを取り出し改札を抜けた。
乗り場に着いたと同時に帰りの電車も到着し、タイミングよく乗車することができた。

「今日は楽しかったなー!」
「そうだな。でも、疲れた…」
「未月、俺の肩空いてるぜ!寄りかかって寝てもいいんだぞ!」
「安心しろ。意地でもお前の肩は借りないから」
「そんなこと言わずに〜」
「やめろって!」

僕と違って松田は体力が残っているのかちょっかいを出してくる。
本当に彼は疲れ知らずたどつくづく思う。

「いつの間に二人はそんなに仲良くなったの!ついこの前知り合ったばかりだよね」
「まぁ、俺たちは赤い糸で結ばれている運命の人みたいな感じだから、すぐに打ち解けることができるのさ!」
「もし、運命の相手がお前だとしたらこの世界を恨むわ」
「酷いよ〜」
「二人ともお笑い芸人みたい!コンビ結成しちゃえば?」
「それいいかも!」
「絶対にやだ!」

そんな、くだらない会話を繰り広げていると、染夜さんの声だけが聞こえないことに気がつき、横に目をやると「スースー」と寝息を立てて眠りについている染夜さんがそこにいた。
電車の振動で体が左右に揺れる姿を見ていると、あまりにも無防備すぎて男心をくすぐられる。
恐らく、僕と同様に染夜さんも久しぶりに遊園地で満喫したせいか疲れてしまったのだろう。
それほど、彼女にとって有意義な時間だったのだと思うとなぜだか僕まで歓喜してしまう。
そんなことを考えて気が緩んでしまったのか、突然抗えない睡魔に襲われゆっくりと眠りについてしまった。


「未月もう着くぞ」
「…」
「み つ き !起きろー!」
「んー。あぁ、わかった。今起きるから」
「未月俺の肩使わないとか言ってたくせにガンガンに寄りかかってたよ!」
「は、マジかよ。一生の不覚…」

松田は僕をからかうように嘲笑した。
そんな彼の嫌味に溢れた表情のおかげで僕の眠気は一気にさめ自分のした行動に嫌悪を覚えた。
そんな思いに耽ていると隣から染谷さんと河下さんが談話する声が聞こえてきた。
どうやら、染夜さんは僕よりも先に目を覚ましていたようだ。
それと同時に二人の仲睦まじい姿を見ていると、今までに少し感じていた壁がすっかりと解消されていてこれまで以上に会話を楽しんでいた。
遊園地に出かけたおかげで僕たち四人の仲もさらに縮まった気がした。
下車する予定の駅に着きそれぞれのバックを手に取り電車を後にした。
交通系ICカードを取り出し改札を抜けると見慣れた風景の街並みに安心かを抱いたと同時に有意義だった時間も終わりを告げてしまったのだとこの時ようやく実感した。

「今日は本当に楽しかったな!また遊ぼうぜ!」
「あぁ、僕も楽しかったよ」

そう言った後に松田が驚愕した表情を浮かばせ「また、未月が素直だ。明日こそ雪が降るかも」と言葉にした後に僕もそれに続いて「明日も快晴の予定だよ」と言い返した。

「じゃあ、俺はこっちだから!みんなまた明日!」

その言葉に僕も真似するように「また明日」と返した。
四人それぞれ別々の帰り道で駅前で解散することになった。
ポケットからスマホを取りだし時間を確認すると六時半を過ぎていて日もすっかり暮れていたので僕は染夜さん「家まで送ろうか」と申し出たが「それほど遠くないから大丈夫だよ!ありがとう」と断られてしまった。
その後、僕は徒歩十五分をかけて家に着いた。


玄関のドアを開けすぐに自分の部屋に向かい僕はベットに倒れ込んだ。
今日を振り返るように一日を思い返した。
久しぶりの誰かとの遠出に期待が湧き上がりその気持ちを抑えることができなかった。
それほど僕にとっては価値のある一日でここ最近で一番充実した日になった。
恐らく、今日の思い出は一生記憶に残る出来事となっただろう。
こんな気持ちは僕だけじゃなく三人とも同様に思ってくれていれば良いなと心から願った。
いつまで、彼らと一緒にいられるのだろうか。
今日みたいな有意義とした一日はまた訪れるのだろうか。
それとも修学旅行を終えてしまえばこの関係は途絶えてしまうのか。
そんな、不安と焦りで心を乱しながらもそうなっては欲しくないなと仮に一生続いてくれたらたまらなく嬉しいと今までの自分からは考えられない感情に押しつぶされた。
一度冷静になるためベットから体を起こし、正面の壁にかけられているカレンダーに目をやる。
今日は祝日だったため休校だったが明日からはまた学校が始まるのだと少し憂鬱な気分に陥る。
ただ、以前とは違い友達ができ、一人じゃなくなったからか多少学校へ前向きな気持ちになるようになった。
僕も少しづつだか確実に昔とは違う変化を感じる。
無気力だった性格や喜怒哀楽が存在しない感情、誰かに対する態度それ以外にも様々な部分で進歩している。
そしていつか両親に成長した僕の姿を見てもらいたい。
再びあの日の夢を思い出して心にこう誓う。
僕は必ず"二人を生き返らせる"

第三章

朝目を覚ますと二度寝したいという気持ちを我慢しながら体を起こした。
今日さえ行ってしまえば明日からまた休日が始まるんだから頑張れと自分に言い聞かせる。
そして、いつも休日前になると毎度同じことを思う。
どうして休みが二日しかないのか。五日間の疲労が二日で取れるはずがないのに。
普通は逆ではないのか。休日が五日で平日を二日にするべきだと。
どうしてそこが逆転するのか理解しかねる。
それに世界中の大半の人が同意見だと思うのだが。
仕事を好んでする人は少数派だろう。
たとえ、幼い頃からの自分の夢を仕事にできたとしても人という生き物は必ずいつか限界が訪れるのだ。
その時は誰しもが休息を取りたいと願うはずだ。
自分のやりたい職業につけたとしても休息を必要ないとする人はいないだろう。
だからといってこの思案を誰かに訴えることも無く、休日が二日間しか存在しないのはしょうがない事だからと無理やり結論づけた。
考えを巡らせている間にも時間は刻一刻と経過していき、気がつけば家を出る五分前になっていた。
僕は急いで顔を洗うため洗面所に向かう。
何度冷水で顔を洗おうが一向に目が覚めず、タオルで濡れた顔を拭きリビングへ向かう。
前もって買っておいた菓子パンで腹を膨らませる。
その後もう一度時計を確認すると先程から三分経過し残りのタイムリミットは二分となっていた。
食べ終わった菓子パンの袋をゴミ箱に放り投げ、通学バックを手に取り玄関のドアを開ける。
今日はそれほど気温は低くなくマフラーや手袋が必要なくても大丈夫そうだ。


学校に着き下駄箱で靴を履き替えていると背後からアタックされ威勢のいい声で「おはよう!」と声をかけられた。
後ろを振り向いて確認しなくとも分かる朝というのにも関わらずこの活気のある声量。
そして、毎度僕に対する力の加減ができていないこの人物。
確実に松田だろう。
そんな推理を繰り広げながら背後を確認すると案の定そこには松田の姿があった。

「なんだよ…」

そんな彼に嫌味たらしく返事をすると浮かない表情で僕の顔を覗き込み「何か嫌なことでもあったのか?」と訊き返された。
今まさにお前が原因で気分を害したんだよと強く訴えかけようとしたけれど、そんなことをすれば間違いなく「なんでなんで?」と平然とした表情で会話を広げてくるにに違いない。
そうなれば、またしつこくまとわりついてくるだろう。
それを阻止するためにもここは込み上げてくる感情を抑えて「なんでもない」と言い返した。

「なぁ未月昨日の遊園地楽しかったな!」
「あぁ、そうだね」
「だろー!じゃあさ次はどこに行く?」
「昨日行ったばかりだろ。少し早くないか」
「そんなことないよ!」

どうやら昨日のだけでは満足しきれてないらしく「どこ行くどこ行く」としつこく迫られる。
確かに昨日の遊園地は僕にとっても凄く有意義な時間でかけがえのない思い出となったが、普段から外出をしないため僕にはそれほど持久力というものが備わってはいない。
そのため、少しの期間を置いてからまた四人で出かけたいという思いが本音だ。
それじゃなくても、昨日走りすぎで今朝から体全体が筋肉痛だというのにこれ以上頻繁となると流石に体がもたないだろう。

「また、一ヶ月後に行こうな」
「えー、一ヶ月ってまだまだじゃん…」

僕の言葉に松田は不満そうな表情を浮かべてみせた。
彼には申し訳ないと思いながらも僕の体力面を重視するとどうしても意見を曲げる訳にはいかないのだ。
そんな談話を繰り広げているうちに気がつけば教室に到着していた。
ドアを開けた瞬間、僕の隣にいた松田が大声を張り上げて「おっはよー!」とクラスメイト全員に呼びかけた。
そんな彼の声を耳に入れた生徒達が振り向き視線が一気に集まる。
僕は数年間、人と関わるのを避けた日常を送ってきて、会話どころか学校内にいる時だって空気のように存在を消して過ごしてきた。
誰とだって視線すらも合わせはしなかった。
そんな僕が大人数からの視線に耐えられるわけもなく、一瞬にして硬直してしまった。
クラスメイトが見ているのは僕ではなく松田だということはしっかりと理解している。
それでも、僕も見られていると錯覚してしまう。
そんな時、松田が肩をトントンと叩いてきた。その瞬間に硬直した体から自然と力が抜けていき徐々に冷静を取り戻すことができた。

「大丈夫か?」
「…うん」

いち早くにもこの場から立ち去りたいと思い、真っ先に自分の席へ向かった。
僕はまだ何一つ変わっていなかったとたった今思い知らされた。
数日前に松田と河下さん、そして染夜さんと友達になりたくさん会話だってした。
昼休みだって時間を共有したし、昨日だって遊園地へ出かけた。
今までからは想像できないほどの出来事があった。
だから、少しづつだけど確実に変わっていっていると感じていた。
でも、そんなのはただの勘違いに過ぎなかった。
今思い返せば、彼らと友達になれたのもあの日修学旅行の班を決める時松田が僕に話しかけてくれたから今こうして彼らたちと一緒にいられるのだ。
昨日の遊園地だって、四人の仲を深めるためにどこかへ行こうと提案を出したのだって松田だ。
何かの目的に対し主体的に行動をしたことなんて一度もなかったんだ。
誰かに誘われれば断る勇気を持ち合わせていないためそのまま引き受けるだけ。
予定を出されれば、それに乗っかって会話をするだけ。
全て松田のおかげで今があるということを忘れていた。
僕は何一つ変わってなんかいなかったんだ。
消極的な性格で無気力な人間。喜怒哀楽が存在しないのかという程の無愛想な顔つき。
そんな、ネガティブ思考を巡らせていると正面から一人の生徒が近寄ってきた。
顔をあげる気力もなく腕の隙間から見える微かな姿。
制服も確認できず女子なのか男子なのかも分からない。全く声も発さず一体誰なのだろうか。情報量が少なくて特定することができない。
けど、今の僕にはそんなことどうでもいい。
目の前にいるのが誰だろうと話す気力すら湧かない。
再び腕の中へ顔を深く沈めると一つの手が僕の頭を優しく撫でてきた。
なんの言葉も発さずただひたすらに温かい手で寄り添うように触れてきた。
そんな状況に耐えれることができず思わず顔を上げた。
その視線の先にいたのは想像もしていなかった人物で目を大きく見開いて驚愕した。

「…染夜さん」
「やっと、顔を上げてくれた!」
「どうして僕の頭なんかを…」
「牧瀬くんから落ち込んだ雰囲気を感じたから私が慰めてあげようと思って!」

右手の親指を立てながら自信に満ちた表情で僕の前へ突き出してきた。

「…ありがとう。染夜さんのおかげで少し元気を取り戻したよ」
「それなら良かったよ!」

染夜さんのその行動で確かに気持ちが軽くなった。
彼女にはそんな能力があるのだろうか。

「それにしてもよく分かったね。僕が落ち込んでいるって」
「私は目が見えないからみんなのようにすぐに判断することはできないけど、その代わりに相手の気持ちやその時の気分とかを読み取る能力だけは優れているんだ!」
「染夜さんって意外と高スペックだよね。前だって誰の声か判断できたり、今も僕の感情を読み取ったり」

その上、クラスメイトたちからは容姿端麗で温厚篤実と一目置かれていたり。
決して声に出して伝えはしないけれど。

「そう言ってもらえると嬉しいな!」

その後も染夜さんはどうして落ち込んでいたのか浮かない表情で顔をうずめていたのか何も訊かずにいつも通り明るく接してくれた。
僕にとってその対応が凄く紳士的で救われた気がした。


放課後を知らせる予鈴が鳴り響くと僕は真っ先に下駄箱へ向かった。
委員会も部活もしていないため、校舎に居座る理由はない。
それに早く家に帰宅して体を休ませたいという気持ちで心は埋め尽くされている。
上履きを脱ぎ靴に履き替えていると後ろから「未月!」と呼ぶ声が聞こえてきた。
男子生徒で僕の名前を大声で呼ぶ人物は一人しかいない。
もしかしたら僕も少しだけ染夜さんのような誰の声か判断できる能力を得つつあるのかもしれない。

「なんだよ松田」
「今から帰るのか?」
「そうだけど。松田は部活か?」
「あぁ、今から行くとこ!」

右手サッカーボールを持ちながら、泥水で汚れているユニフォームを纏っている。
その背面には十番とエースならではの背番号が記載されている。
実際、松田はサッカー部のストライカーで一年生の頃からよく注目されていた。
高校一年生から棒に振って無気力に過ごしてきた僕ですら名前くらいは知っている程の生徒だ。
高校入学当初からサッカー部で期待をされていたが、学年が上がるにつれ松田のドリブルテクニックやシュートの威力、誰一人寄せ付けないスピードの速さなども同様に上達していった。
二年生に進級すると必ずスタメンに選ばれ、高校生ながらも『幻の天才』と彼に異名が名付けられるほどに。
高校サッカーでも三点という好成績を残し高校生ハットトリックとして一躍有名にもなった。
当然U-十八にも起用されるという話もあり、サッカー業界でもかなりの注目を浴びているようだ。
そんな、優秀な人が真逆の立ち位置に存在する凡人で誰よりも劣っているであろう僕が松田と友達になれたことこそ奇跡だろう。
そんなことを考えていると突然今朝の記憶が蘇ってきた。
松田は高校を卒業した後はサッカーが強豪な大学へと進学を決めるだろう。
そうなれば、僕たちと過ごす時間も減っていき仮に彼がプロに昇格した時は減るどころか完全に無くなってしまう恐れすらあるのだ。
彼はそれを見越していたんだ。
だから、あんなにも次の予定を立てようと提案していたのだ。そのことをやっと今理解できた。
彼らと共有する時間が無くなるのは流石の僕でも嫌だ。
靴に履き替え、校庭へ走っていく松田を引き止めて僕は大声で伝える。

「…松田!近々また四人でどこか遊びにいこうな!」

そんな言葉に松田はこちらに振り向き、目を見開いて大袈裟に驚いて見せた。
その後、腕を大きく上げて手を振りながら口を開いた。

「あぁ、絶対だからな!」

そう言って、もう一度サッカーコートへ走っていった。
今ある時間を大切にしたい。
この先何があろうと絶対に後悔をしないように。
もう少しだけ勇気をだして、素直になろうそう思った。


家に着くと真っ先に自分の部屋へと向かった。
通学バックを床に置いて、ベッドに座り込んでリラックスする。
それと同時に五日間の学校生活が終わりため息をついた。
明日から二日間の休息が取れてまた学校が始まる。その繰り返しに嫌気がさす。
一日四十八時間と二日分の時間があれば土曜日と日曜日で合計九十六時間も休息を取れるというのに残念ながら世界は人間には甘くなく二十四時間と短時間しかないのだ。
天井を眺めながら思考を巡らせていると、机に置いてあるスマホがブルブルと振動した。
小刻み鳴り響く振動音を聞く限り、メッセージではなく電話だと推理できる。
そして、電話先の相手は恐らく祖父母のどちらかだろう。
文字を打つのを苦手とする祖父母は大抵の場合連絡手段はメッセージではなく電話になる。
月に一度ある僕の健康確認を確かめるために連絡してきたに違いない。
ベッドから立ち上がり机に置いてあるスマホに手を伸ばす。
電話画面を確認するとそこには僕の推理した祖父母の名前ではなく意外にも《星凪》と記載されていた。
両親と祖父母以外で電話をするのは初めてのことだ。
ましてや女の子とは想像すらもしてなかった。
先程までリラックスをしていたことによって平常だった心が《星凪》という名前を見る度に僕の鼓動が早くなっていく。
普段から学校では染夜さんと談話をしているが電話となるとまた話は変わってくる。
僕は深呼吸をして気持ちを整えてから電話に出ようと思ったのだが、次第に震えだしてきた指が不運にも応答ボタンを押してしまい心の準備がままならない状態で染夜さんとの通話が始まった。
慌てて両手で握っていたスマホを耳に当てる。

「牧瀬くん、今時間大丈夫?」
「……」

突然の事で僕はおもわず絶句してしまう。
染夜さんの言葉に返答しようと試みるが、どうしても言葉が出ず空気だけが口から抜けていく。

「…牧瀬くん?」

このままじゃ僕に何かあったのかと染夜さんに誤解を招かねない。
気持ちを落ち着かせるために一度深く深呼吸をする。
再び返答を試みる。

「…ごめん。どうしたの…」

何とか声を振り絞って言葉を返すことができた。

「大丈夫?何かあったの?」
「いや、大丈夫…」

染夜さんは少し戸惑った声をしていたがそのまま会話を進めた。

「牧瀬くん明日予定空いてる?」
「特に何もないけど…」
「なら私と映画館に行ってくれないかな?」
「…え!?」

いきなりの誘いに思わず唖然としてしまう。
松田からの誘いならまだしも女性への耐性がない僕からすれば染夜さんからの誘いに動揺し、ようやく気持ちが落ち着いてきたというのにまた鼓動が早くなってしまう。

「別にいいけど、どうして急に?」
「本当はお母さんと行く予定だったんだけど、急用が入っちゃって私一人で行こうとしたんだ。でも、お母さん心配性だからどうしても行きたいなら友達と一緒じゃなきたダメ!って言われちゃって…。」
「その映画僕とでいいの?松田は部活かもしれないけど河下さんなら時間空いていると思うけど」

そんな僕の問に少し間を置いてから言葉が返ってきた。

「松田くんや河下さんとでも楽しそうだけど、牧瀬くんとはいつも話しているし一番親しみがあるから一緒に行きたいなって…」
「そっか…」

染夜さんの言葉に羞恥心を感じて僕はその一言しか返すことができなかった。
電話越しの染夜さんも同じ気持ちなのか二人の間に沈黙が流れる。
とにかく会話をしないと思い適当に言葉を並べる。

「…いいよ。行こうか」
「牧瀬くんありがとう!楽しみだね!」

電話を切った後も結局鼓動がおさまることは無く、ただひたすらに緊張しながら会話をしていた。
そのせいで、声が震え何度か染夜さんに「本当に大丈夫?」と心配されてしまった。
その問いに毎度「気にしないで」と返答するがあまりの動揺っぶりにさすがの染夜さんもしびれを切らしたのか「さっきからどうしたの!」と少し強めの口調で問いかけてきた。
それに対し「染谷さんの電話で緊張しているんだ!」と言える訳もなく「部屋が寒いから」と意味がわからない適当な理由を並べてどうにか対処した。
けどそんな、変な理論が通用するはずもなく諦めた様子で「ならいいけど…」と呆れた雰囲気で言葉を返された。
その後、予定を立て染夜さんとの電話は終了を告げた。
スマホの画面を確認するとそこには通話時間五分と表示されており、僕は目を疑った。
緊張のあまりか脳内では十分以上は話していたつもりだったんだが意外にも短時間だったようだ。
恐らく、僕の人生の中で一番長いと感じた五分だっただろう。
そして決めた予定だが明日の十四時から上映される映画に間に合うよう十三時半に学校の校門前に集合とのこと。
校門前を待ち合わせ場所とした理由は互いの家を知らないため迎えに行くことも待ち合わせ場所として使うことも叶わない。
だとすると、互いに把握している場所且つ身近で時間もさほどかからない都合のいい待ち合わせ場所。
そう絞り込んでいくと必然的にも学校という案が一番妥当だろうと結論づいた。
それに加えなんの映画を選んだの訊いたのだが、「それは行ってからのお楽しみ!」と言葉を返され、映画の情報については何も教えてくれなかった。
僕は手に持っていたスマホを再び机に置き次は仰向けでベッドへ倒れ込む。
天井を眺めながら昔のことを思い出す。
映画館に行ったことなんて片手で数え切れる程しかないだろ。
幼い頃は勿論のことチケットの買い方も知らなければ映画館まで道のりも把握していない。
中学生、高校生の進学してもこれといって観たいと思う作品もなければ誰かと行くという予定もない。
そう考えると僕の記憶に残っているものだと、小学六年生の時に一人で行った国民的アニメの劇場版と中学二年生の時にネットで有名になっていホラー作品。
そして、中学三年生の冬、両親と行った記憶上最後の映画。
その時に観た作品は世界が月に行くまでの過程と歴史と僕にとっては全く興味が無いジャンルだった。
それに加え三時間の上映で一般よりも長尺だったのを覚えている。
でも、全く苦痛ではなかった。
勿論、宇宙なんて興味もないし上映中に発せられる用語についても当然知らない。
内容だって深く理解できなかった。
それでも、過去に観てきたアニメの劇場版よりもネットで名を馳せたホラー作品よりも劣ってはいなく他のとは比べ物にならないほど記憶に残る思い出として刻まれている。
考えるまでもなくその理由は至って単純だ。
一人ではなく三人で観に行ったから。
けれど、それから数ヵ月後に両親は交通事故に逢い、映画観どころか外出する機会もなくなってしまった。
そのため、映画館に行くのは三年ぶりとなる。
明日が楽しみと思う反面、僕と両親三人との最後の外出が映画館だったため、色々とフラッシュバックをして当日取り乱したりしないだろうか。
ネガティブ思考になりつつある僕は気持ちを整えるためにベッドから立ち上がり風呂へと向かう。
普段は浸からない湯にも浸かり、安らぎを得る。
気を逸らすために祖父母からの仕送りで毎度貰う野菜を使い、手のかからない簡単な味噌汁を作る。
仕送りのダンボールには丁寧にレシピ本も用意されており、ページを開くと料理の才能が皆無な僕でも作れそうな三品しか食材を使用しない料理や五分で調理完成する手短レシピなど閲読する限り全体的に初心者用向けのレシピ本らしい。
僕はその中でも調理できそうな料理を選択する。
七ページに記載されている『簡単に誰でも作れる豚汁』にすることにした。
材料という項目には豚バラ肉、こんにゃく、大根、人参、ごぼう、味噌と記載されているが突然料理をすることを決めたため、当然材料が全て揃っているわけもなく豚バラ肉とこんにゃく、ごぼうが不足している。
だが、それ以外の野菜類は祖父母からの仕送りのおかげで用意ができそうだ。
今から買い出しに行くのも面倒だし、豚バラ肉、こんにゃく、ごぼうが不足していたとしても大して豚汁に支障はないだろうと決断しとりあえず用意できそうな材料だけを使用して調理を始めようと思う。
僕は冷蔵庫から材料を取り出しまな板の上に置く。
その後、買ったはいいものの一度も使用しないまま奥底にしまわれていた包丁を取り出し早速野菜を切り始める。
大根と人参はいちょう切りにし用意しておいた鍋に少量の油をひく。それと同時に先程いちょう切りをした野菜を加えよく炒める。
本当ならばここで豚バラ肉を投入するらしいが今回は不足しているためその工程を省略する。
水を加え沸騰したら浮き上がるアクを取り除き、爪楊枝が刺さるまで具材を柔らかくし煮続ける。
その後火を止め味噌を溶いて入れ、茶碗によそう。
調理開始から三十分かけて完成した。
調理後の豚汁を見ると意外にも上出来で本当に僕が作ったのか目を疑う。
確かし、野菜の形はいちょう切りではなく不規則な形ばかりで誰かに振る舞うことはできたもんじゃない。
でも、料理初心者にもかかわらず豚汁と判別することができる。
後は味が美味しければいいのだけれど。
僕は晩飯にしようとパックご飯を電子レンジで二分温め、その間に豚汁をテーブルへ運ぶ。
前もって祖母に料理してもらった肉じゃがが入っているタッパーを取り出し皿に移す。
電子レンジがピピッピピッと音を鳴らしたながら二分経過したことを伝える。
肉じゃがも同様に温め一分半が経過したあと電子レンジが取り出す。
全ての品が揃いようやく食事につける。
恐る恐る、豚汁に手を伸ばし食すると案外美味しくできていて思わず驚いてしまう。
その後、黙々と食事をし完食したあと満腹と料理の出来に満足感を抱いていると視界に映る調理道具の洗い物が僕の感情を一瞬にして豹変させた。
普段の晩飯は弁当か祖母に貰った料理を食べるため、洗い物があるとしても、タッパーや皿、箸やコップと小物ばかりでそれほど時間もかからない。
でも今回はいつもと違って自分で料理をしたため、包丁やまな板、鍋や小物と普段の倍くらいは洗い物がある。
それに加え、まな板の上じゃない場所にも野菜の破片が転がっているし、料理よりもその後の片付けの方が面倒な気がする。
このまま放っておいても結局は僕が洗い物をするわけだし嫌なことは早めに終わらせた方がいいのかもしれない。
そう思い、速急に洗い物へ取り組み、その後二十分かけて片付けが終了した。
その反響で体が疲れたのか眠気に襲われ普段よりも随分と早い時間に眠りについた。

第四章

カーテンの隙間から差し込む陽射しが夢から覚まさせた。
目を擦りながらスマホを手に取り時間を確認すると十一時と表示されていた。
昨日は早めに就寝についたためかなりの睡眠時間が確保でき二度寝せずに起床することができた。
でも、染夜さんとの約束の時間には結構な余裕があるため、それまでアニメやゲームをしながら時間を潰すことにした。
僕はアニメとゲームに没頭し気がつけば二時間が経過していた。
映画の上演時間が十四時からだったのに対し今は十三時とそろそろ準備をしないといけないと思い動き始め。
とりあえず、服に着替えボサボサの髪の毛を整える。
普段ならば寝癖を治す程度で終えているのだが今日は染夜さんと出かけるということもあり髪型を少し変えてみることにする。
いつも松田がセットしている髪型を真似してみようと思いスマホで検索にかける。
該当欄にセンターパートと表示されそれと一緒にセットの仕方が記載されている。
説明欄を読み続けていくとどうやらワックスが必要らしく残念ながら僕は所持していないためできそうにないと思いページを閉じる。
そんな時、違うサイトにドライヤーだけでできるセンターパートと記載されているページを見つけ瞬時に開く。
丁寧なことに動画まであり、視聴しながら髪型をセットし始める。
五分経過した頃に鏡を見るとどうやら完成したらしく松田と同じ髪型になっていた。
多少苦戦したものの成功したことに満足感を覚え、髪の毛を揺らしても崩れることなく安堵する。
その後、必要なものをバックに入れ玄関に向かい家を出る。
ポケットからスマホを取りだし時間を確認すると十三時十分と表示されていた。
待ち合わせ場所である学校から映画館が入っているショッピングモールまでは大体徒歩で十五分程だろう。
それに、十四時から上映が開始するとしても最初に必ず数分の広告が入るため多少過ぎたとしても特に支障はない。
そんなことを考えていると学校が見えてきた。
校舎からは部活動に励む生徒たちの声が響き渡っている。
彼らに休息はないのだろうか。
休日なのだから二日くらいしっかりと休めばいいのにと思う。
でも、彼らにとっては部活が苦痛ではないのかもしれない。だから、休息など必要ないと考えているのだろう。
やがて待ち合わせ場所である校門前に着き、辺りを見渡しても染夜さんの姿がないためまだ来ていないらしい。
僕はポケットからスマホを取りだし、この前染夜さんに教えてもらったクイズゲームを起動させる。
ちなみに今は九問目と意外にもハマってしまっている。
問題が進むごとに難易度も上がり難しくなってくる。
そのため、勉強にもなるし日常生活に役立つ雑学とかも習得できる。
そんなこんなでゲームを楽しんでいると視界の隅にこちらに向かってくる染谷さんの姿が映った。
僕は周りに人がいないのを確認し名前を呼びかける。

「…染谷さん!」

その声に気がついたのか、小走りで向かってきた。

「牧瀬くんお待たせ」
「全然待ってないよ。まだ集合時間の十分前だし」
「それならよかった!」

そんな他愛ない会話を始め、僕たちは歩きを進めた。

「ねぇねぇ!今日の私の服どうかな?」
「…え、いいと思うよ」

突然の質問に戸惑いを見せつつ、率直な意見をぶつける。
誰かを褒めることは今までになく、慣れていないため上手く言葉にできないけどいつもと違う印象を受ける。
雪のように白いニットに落ち着きを感じさせる茶色のスカート。ブラックダイヤモンドのような黒いトートバッグ。陽射しを反射させる黒いロングヘア。
決して口に出すことはできないけれど、普段とは違う
華麗な姿で一段と魅力を感じさせられ。

「どんな感じに?」

笑を浮かべながらからかうように僕に問いかける。
染夜さんの関わりだして結構経つが日に日に積極的になっていっている気がする。
今だってそうだ。
僕が誰かを褒めるのを苦手と知っているくせに無理やり答えさせようとしてくる。
以前だったらこうはならなかったはずだ。
そんな染夜さんに一発食らわせようと逆手にでる。
恐らく染夜さんは僕が適当にこの状況を受け流すと予想しているだろう。
だが、その裏をかいてあえて褒めたたえてみよう。
そうすればどうだろ。先程まで余裕をかましていた染夜さんの表情が一瞬にして豹変するに違いない。
そう思い早速実行する。

「ねぇねぇ、牧瀬くんどこがいいの?」
「その白いニットも茶色いスカートも染夜さんの魅力を最大限に引き出せていてとても可愛いと思うよ」
「…え、いや急にそんなこと言われたら」

僕の推理が的中し染夜さんの表情を赤面させた。
その後、顔を横に逸らし感情を悟られないようにと思ったのだろうけど、耳まで赤らめて全く隠せていなかった。
そんな行動が愛おしいと思ってしまったのは口に出さないでおこう。

「もう!また私をからかって!」
「染夜さんが僕に訊いてきたんでしょ」
「そうだけど…」

そう言いながらも口角を上げて満足気な表情を浮かべて見せた。
やがて目的地であるショッピングモールに到着し映画館のある階層へ向かった。
ポケットからスマホを取りだし時間を確認すると十三時四十五分と表示されていた。
上映時間である十四時にはまだ余裕があるため僕たちは少しの間ショッピングモールを見て回ることにした。

「染夜さん。雑貨屋があるけど入ってみる?」
「うん。行きたい!」

その瞬間、テンションを高くさせ「早く行こ!」と僕を急かしてくる。

「染夜さんは何か欲しい物とかあるの?」
「ん〜、そうだなー」

考える素振りを見せながら数秒後何か思い出したのか「あっ!」と言った後に首に指を差しながら再び口を開いた。

「そういえば、私ネックレスが欲しかったんだよね」

想像もしていなかった発言に思わず唖然としてしまう。

「どうしてネックレスを?」
「だって、アクセサリーをつけてると大人っぽく見えるじゃん!」

自信満々な表情でそう言った。
確かに染夜さんも女の子だし僕と違ってファッションには気を使うのかもしれない。

「でも、別にネックレスじゃなくてもピアスやブレスレット、ファッションリングとかもあるけど」
「だって、ピアスとかイヤリングって痛そうだし、ブレスレットは腕に違和感があって無理なんだよね。それにファッションリングはつけたくないんだ」
「なんで?」
「やっぱり最初に指につけるのは結婚指輪にしたいし!」
「そうなんだ…」

謎のこだわりに少し困惑しながらも、ピアスとブレスレットに関しては同感だ。
痛いのを我慢してまでピアスをつけたいとは思わないしブレスレットをつけると腕がムズムズして落ち着かなくな。
そう考えると僕も何かしらのアクセサリーを買うとするならばネックレスかファッションリングになるだろう。

「それなら、ネックレスも売ってるかもしれないし見てみようか」
「うん!案内よろしくね!」

店内を少し進み、アクセサリーの売り場を探し回る。

「あったよ染夜さん」
「ネックレスも売ってる?」
「数は少ないけど」
「牧瀬くん出番だよ!」

僕の肩にトンと手を置きながらそう言った。
状況が掴めず困惑しているともう一度肩をトントンと叩きながら口を開いた。

「牧瀬くんが私のネックレス選んでよ!」
「僕が決めてもいいの?」
「うん!せっかくなら牧瀬くんに選んで貰ったのを買いたいし」
「…そう。ならいいけど」

四個程あるネックレスを隅々まで見てどれが良いのか検討する。
それぞれ形と色が違い模倣宝石がネックレスに取り付けられている。
薔薇のように赤いルビー。海を連想させる青いサファイア。自然を感じさせる緑のエメラルド。光を反射させる白いダイヤモンド。
どれも綺麗だと思うが、その中でも特に惹かれる宝石があった。

「決めたよ染夜さん」
「何にしたの?」
「さあ、なんでしょう」
「えー、教えてよ!」
「どうしようかな」

僕の体を左右に揺らしながら「教えて教えて」と口にしてくる。
特に染夜さんに教えたくない理由はないのだけれど、あまりにも反応が良いため辞めるに辞められなくなってしまった。
僕が意地でも口を開かないからか染夜さんは不機嫌な表情を浮かべながら諦めた様子を見せた。

「染夜さん。そのネックレス僕が買うよ」
「…え、いいよいいよ私が買うから」
「せっかく染夜さんと来たんだし、いつものお礼も兼ねてプレゼントさせてよ」
「本当にいいの?」
「任せて!」

僕はネックレスを手に取りレジへと向かった。
プレゼントと言っても安物だし、染夜さんに喜んでもらえるかは分からないけれど、今の僕にできることはこれぐらいしかないし。

「七百九十円です」
「千円で」
「二百十円のお返しです。ありがとうございます」

会計を済ませると出口で待っている染夜さんの元へ向かい早速渡しに行く。

「お待たせ。ネックレス買ってきたよ」
「ありがとうね。牧瀬くん!」

染夜に渡そうとしたらその瞬間に手を引っ込められて、僕は困惑の表情を浮かべる。

「どうしたの染夜さん」
「牧瀬くんがつけてよ!」
「…え、僕が」
「いいから早く!」

この状況に多少の戸惑いを見せながらも染夜さんの背後に回りネックレスをつける。

「できたよ」
「…どう似合ってる?」

染夜さんの照れくさい表情になぜだか心を打たれた。

「…あぁ、凄く似合ってる」
「それなら良かった!」

笑を浮かべながら、軽い足取りで映画館の方面へ向かった。
ようやく今日本題の映画鑑賞に移る。

「染夜さん、ポップコーンでも買っていく?」
「そうだね!映画にはポップコーンが必須だもん!」
「塩とキャラメルあと期間限定でチョコバナナ味が発売されているみたい。どれがいい?」
「それはやっぱり、チョコバナナ味でしょ!」
「だよね。じゃあ買ってくるからそこで待ってて」
「はーい」

その場を後にして売り場へ向かった。
それにしてもチョコバナナ味のポップコーンなど前代未聞ではなかろうか。
チョコ味単品ならありそうだがチョコバナナ味となると色々混ざり過ぎていて味がごちゃごちゃしそうだ。
だけど、人間たるもの期間限定という言葉を聞くと必ず手を伸ばしたくなってしまう生き物。
たとえ、美味しくないと分かっていても気がつけば購入をしてしまっている。
もしかしたら、人間とは意外にも単純な生物なのかもしれない。
程なくして僕の番がまわってきて注文をする。

「チョコバナナ味のポップコーンを一つください」
「以上で大丈夫ですか?」
「あと、メロンソーダを二つ追加で」

事前に飲み物を訊くのを忘れていたが適当にメロンソーダと選択する。

「かしこまりました。合計千五百円になります」
「二千円で」
「五百円のお返しになります。ありがとうございます」

ポップコーンを受け取った瞬間、チョコバナナの香りが僕の鼻腔を刺激した。
メロンソーダがこぼれないように慎重に運び、染夜さんの元へ急ぐ。

「お待たせ。行こうか」
「うん!」

そうして僕たちは映画鑑賞するシアターへ向かった。

「それにしても凄いチョコバナナの匂いだね」
「本当だね。どんな味か楽しみだ」

座席は一番後ろの真ん中二席を予約したらしい。
比較的見やすく完璧な位置取りだ。

「今の今まで教えてくれなかったけど、結局なんの映画なの?」
「始まってからのお楽しみだよ!」

染夜さんは未だに映画の内容を教えてくれない。
彼女のことだしホラー系やアクション系ではなさそうだけど。
だとすれば、恋愛ものかアニメそれともSF系なのか。
謎は深まるばかりでより一層期待度が上がる。
それと、気を使って一応訊かないでおいたけれど、染夜さんは視覚障害を患っていて目が見えない。
それでも、映画を楽しむことはできるのだろうか。
そんな、僕の心を読んだかのように染夜さんが口を開いた。

「今の時代はすごいよね。私みたいに視覚障害の人でも映画を見ることができるように音声ガイドっていうシステムがあるんだよ!」
「…そうなんだ」
「その反応、まさか牧瀬くん知らなかったの?」
「…いや、まぁ」

音声ガイドという言葉は過去に聞いたことがあったけれど、それほど意識をしてこなかった。
それどころかその機能が人生で体験することがあるとは思ってもみなかった。
恐らく一世代前まではこんな便利なシステムなど存在しなかっただろう。
そのため、障害者の方は鑑賞するどころか足を踏み出すことすら躊躇ってしまう。
けれど今は違う。
世界中のあらゆる人達まで目を向け丁寧に対処をし続けている。
音声ガイドシステム以外にも車いす専用スペースを配置したり聴覚補助システムを提供したりと時が進む事に様々な工夫を重ね日々進化し続けている。
こういう些細なことにも意識を向けることが世界平和の一歩となり残りピースを埋めていくのかもしれない。
そんな思考を巡らせていると「それにね」と言葉を続け再び口を開いた。

「確かに目が見えない分たとえ音声を聞いたとしてもキャラクターの明確な判断をするのは難しい。全て自分の想像になってしまうから。でも、それって小説も同じだと思うの。文字だけで語られ、その時の風景や表情はたとえ詳しく言葉で綴られていたとしても結局は自分の想像で作り上げてしまう。そのため人それぞれキャラクターの容姿や感情の捉え方は気持ちの入れ方によっても左右してしまう」

それから一呼吸置いてから再び言葉を発した。

「でもね、私はそんな小説のように正解など存在しなくて、人の数ほど答えが導かれる。想像を膨らませれば膨らませるほど光景が浮かび上がってきて可能性は無限大だなって思うの」

言葉を並べている染夜さんのいつもとは違う真剣な表情をしていて、でもどこが儚げで。
あの日観覧車で見せた同じ表情。
心の隅に隠して誰にも悟られないように"笑顔"という仮面で誤魔化している。
僕はそんな気がした。
いつかの未来で染夜さんの目が見えるようになればいいなと淡い期待を寄せた。

「牧瀬くんもう始まるよ!」

上映内が徐々に証明を落とし暗くなっていく。
それから数秒後に上映が開始した。
物語が進んでいくと徐々に内容を理解することができた。
どうやら、純愛と感動を兼ね備えた物語らしい。
主人公の青年が聴覚障害を患っている少女に密かに想いを寄せる恋愛アニメ。
そんな彼女と会話をするために手話を習得し、仲を深めていく。
けれど、彼女の抱えている障害の重さに気がつき、ある日を境に距離を置いてしまう。
自分の無神経な関わり方でいつか傷つけてしまうかもしれない。
自分がいない方が彼女にとって幸せなんじゃないのか。
そんななんの根拠もないことに恐れ彼女から逃げてしまう。
けれどそれから一ヶ月後、彼女は交通事故に巻き込まれしまう。
青年は急いで病院に向かったが彼女が意識を戻すことはなかった。
青年は今までの自分の行動を憎みその時から無気力な生活を送る日々となる。
そんなとある日青年は不思議な森へと導かれるように足を運ぶ。
進んだ先にはツタが巻き付き、今にも壊れそうな不穏な空気を感じる神社を見つける。
そこには一枚の紙が貼っており、こう綴られていた。
"寿命を代償に願いを叶えよ"
その文字を見て青年はただひたすらに強く願った。
"彼女を返してください"
それから数日後、青年の望みが叶ったのか彼女は何事も無かったかのように生きていた。
どうやら、一命を取り留めたのではなくあの日の事故自体が存在しなかったことになっているようだ。
青年は過去の過ちを再び犯さないように毎日会いに行っては思う存分手話で会話をし続けた。
けれど、そんな充実した時間は束の間にすぎなかったのだ。
彼女が生き返ってから数週間後青年は息を引き取った。
一度他界した人間を再び生き返らせるには相当の代償が必要だったらしい。
そのため、青年の残りの寿命と引き換えに彼女の命を蘇生したことによって自分自身も自覚していなかった程に寿命を削っていたのだ。
結局、彼女に想いを伝えることもできずにこの世を去ってしまった。
そして、青年と時間を共有するごとに彼女もまた想いを寄せ最愛なる人を失った。
互いの恋が叶うことはなく物語はバッドエンドで終わりを告げた。
そんな時、僕の頬に一滴の涙がこぼれ落ちた。
その時初めて自分が涙を流していることに気がついた。
どこか物語が自分の過去に似ていて無意識に重ねてしまっていたのだ。
上映内が徐々に明かりを灯していき、ふと横に目をやるとそこには僕と同様に涙を流す染夜さんの姿が映った。
障害は違えど、染夜さんにもどこか思う部分があったのだろう。
そんな彼女に声をかけることができなかった。
僕は一言も喋らずに自分のバックから一枚のハンカチを取りだし染夜さんに渡した。

「…いやー、いい話だったね」
「そうだね…」
「私なんて思わず泣いちゃったよ〜」

僕も感動して泣いてしまったとは言える訳もなく、その時だけ染夜さんの目が見えなくて良かったと思ってしまった。

「牧瀬くんハンカチありがとう。明日洗って返すね」
「気にしないでいいよ」
「そろそろ行こっか」
「…うん」

映画館の席で数分間佇み、その場を後にした。

「私少しお腹すいちゃったんだけど、どこかで食べていかない?」
「そうだね。僕も何か食べたい気分だ」

そうして僕たちは一階にある、フードコートへ向かった。

「色々あるね!」
「僕はなんでもいいから染夜さんが決めていいよ」
「何にしようかなー」

周りを見渡すと様々な飲食店が構えてある。
ラーメン屋にファミレス、ファストフード店に和食屋どれも興味がある。
時間は中途半端だということもあってか客足は比較的少ない。
空席も多く待つことなく直ぐに食事につけそうだ。
きっと、昼前だと席も確保できない程の人混みで賑わうのだろう。

「牧瀬くんファミレスにしよっか」
「分かった。早速行こうか」

入店すると早々に席へ案内された。

「案外人が少ないね」
「混む時間帯でもないしね」
「それもそうだね」

僕と染夜さんはテーブルの端に置かれているメニュー表に手を伸ばし閲覧する。
ファミレスということもあって様々な料理があり、迷ってしまう。
久しぶりに贅沢をしてステーキを注文するかそれともいつも通りハンバーグにするのか。
全く違う角度から攻めてパスタやカレー、ドリアを選択するのか。
そんな思考を巡らせている中、僕より一足先に注文内容を決め終えたのかメニュー表をバンッと勢いよく閉じ元にあった場所へ戻した。
待たせては悪いと思い急いで料理を選択する。

「染夜さんはもう決まったの?」
「うん!私はこのベーコンエッグパスタにする」
「なんか新鮮な料理だね…」

ベーコンパスタや最後にトッピングとして卵を乗っけるとかは見たことあるけどそのふたつを掛け合わせたベーコンエッグパスタは聞いたことも見たこともない。
そもそも、ベーコンエッグとは予めベーコンを焼きその上に卵を割り落とし目玉焼きにした料理ではなかっただろうか。
それがパスタに乗ってるとなるとこの店は革命を起こそうとしているのか。
僕の想像の遥か上をいきそうな予感がする。
そんなことはさておき、早く決めなければ。

「僕も決めたよ」
「牧瀬くんは何にしたの?」
「エビとトマトのドリアにするよ」
「おっ!今日はハンバーグじゃないんだね!」

からかうような笑を浮かべながらそう言った。

「まあね、久しぶりに変えてみるのもいいかなって思って」
「なんか牧瀬くんにしては珍しい気がする」
「そうかな」

互いの注文内容も決め終わり僕はテーブルの真ん中に置いてある呼び出しボタンを押した。
それから数秒後店員が到着しオーダーを受けた。

「この、ベーコンエッグパスタとエビとトマトのドリアでお願いします」

その後、店員は注文内容を復唱し「かしこまりました」と一言残してその場を後にした。

「牧瀬くん意外と気が利くね!」
「なにが?」
「…え、もしかして無意識!?いや、でも牧瀬くんに限ってそれは…」
「勝手に話を進めないでよ」

顎に指を当て探偵のポーズをしながら僕を置き去りにし、染夜さんは推理を繰り広げた。
彼女の言うことがいまいち理解できず今僕がした言動に気が利く部分があっただろうか。
別にどれも意識的に行ったものもないし、いくら思考を巡らせても一向に思いつく要素が見当たらない。
流石にギブアップを要請し染夜さんに答えを求める。

「一体どこを見てそう思ったの?」
「さっきの注文の時に自分の料理名と一緒に私のも頼んでくれたでしょ」
「うん」
「それ!」
「…え?」

改めて説明を訊いても全く理解できない。
それのどこが良かったのか。

「ごめん、どういうこと?」
「大体の人は自分の分だけ注文して相手にパスするんだけど気が利く人は相手の料理も一緒に頼んでくれるの!」
「…そんな些細なことが?」
「そう!牧瀬くんの何気ない行動が女性にモテる一つのポイントなんだよ!それをあたりまえにできる牧瀬くんは本当に凄いね!」
「…そうかな」

結局、納得できないまま会話が終了し、程なくしてそれぞれの料理が運ばれてきた。
染夜さんの注文したベーコンエッグパスタは僕の想像を超えることなく麺の上にベーコンエッグが乗っかったまんまの料理だった。
パスタとベーコンエッグが絡まっていないため凄く食べづらそうではあるが、そんな見た目でも意外にも食欲をそそわれてしまう。
辺りを見渡せば同じ料理を注文している客が多数発見する。
そこから推測する限り、もしかしたらベーコンエッグパスタはこのファミレスの看板メニューなのかもしれない。
そして、僕が注文したエビとトマトのドリアに関しては運ばれてきた瞬間にグツグツと音を鳴らしながらエビとトマト、チーズの香りが座席一面に漂わせた。
甲殻類特有の匂いにトマトの酸味と甘味を兼ね備え、それに加え果物の香りも感じさせる。
ただ、今口にしてしまえば間違いなく舌と口内を火傷させるだろう。
そのため、数分冷まさせる必要がありそうだ。
それに比べ、染夜さんの料理は多少の熱を籠っていたとしても口にする時に吹き冷ませばすむこと。
そういうこともあり早速食事につこうとしていた。

「いただきます!」

染夜さんの食事を見ていると必然的にも食欲が湧いてしまう。
パスタを巻き付ける時に鳴らす微かな食器音。
ベーコンエッグと麺を噛み砕く咀嚼音。
それを食した後に見せる染夜さんの幸せに満ち溢れる表情。
その全てを目にしてしまえば誰しもが三大欲求の一つでもある『食欲』という怪物に理性を奪われ、感情をコントロールするのは至難の業となるだろう。
そして、僕もまた敗北を喫ししてしまう一人であった。
当然抗うことができず、湯気が立ちながらグツグツと音を鳴らし今食べてしまえば確実に火傷しますよと忠告してくれているにも関わらず、思うがままに行動をしてしまった。

「…いただきます」

意を決して、ドリアを口にすると案の定舌と口内を火傷させた。
それと同時に「熱っつ!」と大声を上げ、一目散にテーブルに置いてある水に手を伸ばし豪快に一気飲みを見せた。
そんな僕の声に目の前にいる染夜さんは肩をビクッと震わせ驚かせてしまった。

「牧瀬くん大丈夫!?」
「…凄い熱かった」
「火傷した?」
「…うん」

そのせいで気分が少し下がってしまったが、エビとトマトのドリアは想像以上に絶品な味で思わず驚いてしまう。

「あ!忘れてた。牧瀬くんさっきの映画の感想言い合おうよ!」
「そうだった。僕もすっかり忘れていたよ」

やっと本来の目的でもある映画の感想を共有し合う時間が始まった。

「最後悲しかったね」
「せっかく蘇らせることができたのに次は主人公が死んでしまうなんて。流石の僕でも感動したよ」
「もしかして牧瀬くんも泣いてたの?」
「…いや、泣いてはない」

僕があの映画で涙を流したことは染夜さん相手でも決して教えることはできない。
こんな僕にもプライドという物も存在するのだから。
けれど、先程の言葉に多少の動揺しそれが現れ染夜さんに伝わっていなければいいのだけれど。
不安に感じながら染夜さんの顔を伺ったが見た感じどうやらバレていないみたいでため息をついて安堵する。

「ねぇねぇ牧瀬くん」
「なに?」
「もし、大切な人がなんかしらの理由で死んでしまったら牧瀬くんなら自分の寿命を代償にその人を生き返らせる?」

染夜さんの真剣な問いに僕は数秒間頭を悩ませる。
彼女の質問が僕の現状と同じため多少の焦りと動揺を見せてしまう。
それから数秒後意見を固め決断する。

「…僕はたとえ自分の数十年という寿命を犠牲にし、映画の主人公のような結末を迎えるとしても大切な人を生き返らせる方を選ぶよ」
「その人と数日間しか一緒にいることができないとしても?」
「あぁ、一時間でも五分でも会うことができるならばそっちが良い」
「…でも、それって悲しくない?」
「確かに一度合って話してしまえば、終わりが来る時はそれなりの悲嘆に押しつぶされると思う」
「それなら」

染夜さんの言葉を遮るように僕は再び口を開いた。

「…でも、生きていればいつかは別れは来るよ」
「…」
「誰かと出逢えば必ず別れも訪れる。かといって別れを恐れ誰とも出逢わなければ、ずっと一人で人生という残酷さに耐えきれなくなりいつか折れてしまう。人間は一人では生きていけない脆い生き物なんだ。どちらを選んだとしても悲惨な結末が待ち構えているならば僕は出逢うことを選択するよ」
「そっか。なんか牧瀬くんらしくない真面目さに少し驚いたよ」

確かに僕らしからぬ発言をしたと気がついた。
真剣に語り、自分の意見を述べる。
今までの自分ならばそのような事はしなかっただろう。
適当に言葉を並べて返答する。
その場を乗り越えるために思ってもいない事を発言し相手の意見を尊重する。
場の空気を読み、誰の機嫌も損なわせないように気を遣う。
けれど、今の僕は相手の気持ちなど関係なしに自分の意見を尊重させ真剣に質問に返答する。
それが今の僕なのかもしれない。

「染夜さんならどうするの?」
「私もいざその場面に遭遇したら牧瀬くんと同じで寿命を犠牲に生き返らせると思う」
「そっか」
「だってもう一度会いたいんだもん!」

食事をしながら他愛もない会話を繰り広げ、時間を過ごした。
それから数十分後僕たちは食事を終え会計を済ませファミレスを後にした。

「美味しかったね!」
「そうだね。僕も満足だよ」
「また来ようね!」
「いつかね」

さりげなく次の約束をした。

「まだ、行きたい場所とかある?」
「んー、今日はいいかな」
「そう?じゃあもう帰ろうか」

特にショッピングモールに目的がないので出口へ向かった。
自動ドアを通り抜け外に出ると日はすっかり落ちて夜とかしていた。
ポケットからスマホを取りだし時間を確認すると六時をまわっていた。
季節が冬ということもあってか日が暮れるのも早く、まだ夕方だというのにすっかり夜に姿を変えた。
ショッピングモールから出て帰り道に進んでいると染夜さんが足を止め僕に一声かけてきた。

「ねぇ、牧瀬くん」
「どうかしたの?」
「確かこの近くに夜景が綺麗な海沿いスポットがあったよね」
「うん」
「私今から行きたいんだけどいいかな?」

その時の染夜さんには笑顔などなく、深刻な表情を浮かべて見せた。
映画と食事の疲労が顔に出ているのかと思い特に気にすることなく会話を続けた。

「僕は別にいいけど時間とか大丈夫なの?」
「私も大丈夫だよ」
「そう。なら行こうか」

帰り道に進んでいた足の向きを変え、海の方面へ歩みを進めた。

「一応連絡とかしておいた方がいいんじゃない?家の人も心配すると思うし」
「本当に大丈夫だよ」
「でも、染夜さんは女の子なんだし、せめて一言だけでも」
「いいの!」

僕の心配した言葉がしつこすぎたのか、染夜さんの機嫌を損なわせてしまったみたいだ。
嫌な思いをさせてしまったと思いすぐに謝罪をした。

「…ごめん」

そんな、僕の言葉と声色を聞いて染夜さんは顔の前で手を左右に振りながら焦った表情を浮かべた。

「違うよ!私別に怒ってなんかないよ!」

慌てながら否定をし「本当だよ!」と言葉を続けた。

「私こそ強く言っちゃってごめんね。牧瀬くんは心配してくれていたのに」
「僕も少ししつこかったと思う。ごめん」
「じゃあ、お互い様ってことで!仲直り仲直り!」

満面の笑みを浮かべながら言葉を並べた。
程なくして目的地である海岸へ着いた。

「ザーって波の音が聞こえるね!」
「相変わらず染夜さんは耳がいいね」

一面に広がる海に月明かりが反射し、宝石のように煌めいていた。
その絶景に唖然としてしまいその時の僕はただひたすらに海を見つめることしかできなかった。
周りの走行音や話し声、風の吹く音さえも僕の耳には入ってこなかった。
唯一聞こえてきたのは海波のザーザーという音だけ。
心を癒し落ち着かせ、自然と過去を思い出してしまう。
切ない感情に閉まったはずの涙腺がまた緩んでしまいそうになる。
油断をすれば瞳から涙がこぼれ落ち頬に流れてしまう。
そうならない為に必死にこらえ感情を押し殺す。
仮に涙を流したとしても染夜さんに見られることはないだろう。
だけど、もし染夜さんの勘が働き泣いていることに気がつかれてしまえば僕はいたたまれない気持ちになるのは目に見えている。
そのためにも、感情をコントロールし神経を注いで耐えるしかないのだ。

「牧瀬くんどうかしたの?」

あまりにも沈黙の時間が続いてしまったため、不自然になってしまった。
その場を乗り越えるため必死に対応をする。

「いや、なんでもない。ただ、絶景だったから」
「私も見てみたかったな」
「映画館の音声ガイドみたいに僕が解説しようか?」
「それいいね!牧瀬くんお願いします!」
「それではいきます…」

僕は一度目を閉じる。
塩水と砂浜の匂い。
耳に響き渡る波打ち際の音。
月明かりを反射させる景色。
それぞれを汲み取りその時に感じたことをそのまま伝える。
気持ちを落ち着かせ僕は再び目を開け言葉を並べる。

「青く美しい海はザーザーと波音を奏でながらゆっくりと寄せあったり引いたりを繰り返しています。そして、夜空に輝く月明かりを一面の海が鏡のように反射しその光景はまるで満天の星空のようです。海岸から漂う塩水の香りが鼻腔を刺激させ、自分を盛大にアピールしているかのように感じさせます」

再び一呼吸置き、口を開く。

「…どうかな。今僕が見ている景色をそのまま伝えたつもりなんだけど」
「…」

僕の言葉に染夜さんはなんの応答もせず、上手く伝えられなかったのかもしれないと不安な気持ちになる。
染夜さんの方に目を向け、再び声をかけようとした時、僕の瞳には涙を流す一人の少女が映っていた。
そんな状況に戸惑い慌てて言葉を並べる。

「どうしたの!?僕なにか不愉快にさせること言っちゃったかな」
「ううん、ごめんね…。あまりにも牧瀬くんの言葉が優しくて…」

頬につたる一つの雫を指で拭き取り、こちらを向いた。

「…ありがとう。牧瀬くんの見ている景色が私にも見えたよ!」
「それなら良かったよ」
「それにしても、解説上手いね〜。私驚いちゃったよ。そのせいで感情移入したし」
「僕は一心不乱に染夜さんに伝えたいって思っただけ」
「だとしたら牧瀬くん天才だよ!」

盛大に僕のことを褒めちぎっては拍手をしてくる。
それほど、説明が上手かっただろうか。
確かに、詳しく伝わるように言葉選びや使い方、その場の雰囲気にあった表現方法をしたけれど、そのせいで逆に難しくなってしまったのではないかの心配をしていた。
だけど、杞憂だったみたいだ。
染夜さんからの絶賛と表情を見る限り、僕の瞳に映っている光景を伝えることができたみたいだ。
それだけで、もう満足だ。
きっと、今の僕はいつもの無愛想な性格からは想像できない程の満面の笑みを浮かべているのだろう。
唇を指でなぞると口角が上がっているのを確認できる。
そんな時、僕の足元からザクッと音が鳴り違和感を覚えた。
足をどけて見てみるとそこには、ピンク色に煌めく貝殻が落ちていた。
凄く綺麗だと思いすぐに拾い上げ染夜さんに伝えに行く。

「染夜さん!ピンク色の貝殻見つけたよ。珍しいね、僕はてっきり白だけかと思っていたから」
「ピンク色の貝殻…」

「んー」と頭を悩ませながら「あ!」と大声を上げ何かを思い出したかのような反応を見せた。

「それって、桜貝ってやつじゃない?」
「桜貝…?なにそれ」
「幸せの貝殻って言ってね滅多に手に入る物じゃないんだよ。割れやすくて大体は海流によって粉々になっちゃうんだけど、稀に割れずに砂浜に辿り着く場合があるの。それを見つけられた人は幸運が訪れると言われているんだよ」
「そんな貝殻があるんだ」

僕が拾った桜貝は淡いピンク色で周りの光を反射させ煌めいていた。
とても美しく誰もを魅了する見た目、だけど凄く脆く今にでも壊れてしまいそうな感じが伝わってくる。

「これ、染夜さんにあげるよ」
「…え、いいの?」
「僕なんかよりも染夜さんの方が似合うと思うし」
「…それってそういうこと?」
「なにが?」

染夜さんの言葉に理解できず、もう一度聞き返してしまう。

「…桜貝ってね、恋愛成就の意味もあるんだよ。つまり、私に告白ってこと?」
「…いや、別にそういう訳じゃ」
「振られた…」
「そんなつもりじゃ」
「冗談だよ!牧瀬くんは真に受けやすいね」

他愛ない会話で盛り上がり、からかったり、からかわれたり染夜さんといるといつもこんな感じだ。
でも、そんな空間がいつの間にか心地よいと思っていた。

「ありがとう!大切にするよ」

僕から桜貝を受け取り、右手で優しく包み込んだ。
それからもう一度海を眺め本当に綺麗だと何度見てもそう感じる。
そういえば、海辺に来るのは初めてかもしれない。
学校の修学旅行でも目的地が海水というわけでもなかったし、家族で出かけたことも一度もなかった。
僕が知らなかっただけで一面に広がる青い海はこんなにも美しいものなんだ。
まるで、青空を見ているかのようで気持ちを落ち着かせてくれる。
またいつか訪れてもいいかもしれない。
今度は松田と河下さんも誘って四人で。
そろそろ、帰路に着いた方がいいのではないかと思い染夜さんに言葉をかける。

「もうそろそろ、帰らないと親も心配するんじゃない?」
「…大丈夫だよ。だから、まだいようよ」
「…でも」

僕はこの状況が良くないと感じた。
さっきと同じ展開で空気が悪くなってしまう。
確かに僕がしつこいのは自覚している。
でも、染夜さんは女の子だ。
日が沈み、もう辺りも暗くなって完全に夜を迎えている。
一つの連絡もせず、これ以上この場所に居続ければ確実に親が心配する。
そんなこと染夜さんだって分かっているはずなのに、どうしてここまで硬くない帰ろうとしないのだろうか。
僕の思考を遮るかのように染夜さんは口を開いた。

「…牧瀬くん。私ね親いないんだ」

海岸にその言葉だけが響き渡った。

「…え」

染夜さんの言葉に疑たがい、あまりにも唐突すぎで頭が追いつかないでいる。
また、冗談を言って僕を驚かせようとしているのかと思い顔を伺ったが、いつも以上に染夜さんは真剣な表情を浮かべていた。
その時、やっと理解した。
これは僕をからかって冗談を吐いたわけではなく、事実を口にしたのだ。
そんな言葉になんと声をかければいいのか、どうしたら染夜さんを傷つけずにいられるのか今の僕には分からなかった。
そんな時、話を切り出したのは彼女の方だった。

「そんな暗くならないで。もう慣れたし」
「…そうなんだ」

この言葉しか返答することができなかった。
でも、僕と同様に染夜さんにも両親がいないとは思いもしなかった。

「別に亡くなったわけじゃないんだよ。ただ、お母さんもお父さんも家から出て行っちゃったんだ」

そんな話をしているのにも関わらず彼女の表情は曇っていなくそれどころか多少の笑みを浮かべながら淡々と言葉を並べてい。
どうして、そんな顔ができるのか、どうしてそんなにも冷静な口調で話すことができるのか今の僕にでも理解することができた。
きっとこれは、染夜さんなりに僕に気を遣ってくれているのだろう。
沈痛な表情を浮かべて見せてしまえば、僕の気持ちもこの空間も重くなってしまう。
そうならない為にも、彼女は冷静な姿を装っているのだ。
そんな中、一呼吸置いてから染夜さんは口を開いた。

「…私ね夢があったんだ」
「夢…」

染夜さんの言い方に僕は違和感を覚えた。
それじゃあまるでもう諦めたような言い方だったから。

「そう、夢」

こちらを向いていた染夜さんが僕に背を向け言葉を並べた。

「私ね幼い頃から絵を描くのが好きだったんだ。いつしか画家になるのを目標にして毎日毎日、色々なものを描いていたの。風景画や肖像画 、静物画に博物画、本当に沢山描いていたんだ。小学生の頃に天才画家として一躍有名にもなったんだよ!」

彼女の言葉でとあることを思い出した。
小学生という年齢ながらも天性の才能を持つ者がいると。
画家として未来有望され、国内に名を馳せた一人の少女がいた。
それが、染夜星凪だ。
でも、いつしかその名前を聞くことも見ることもなくなっていた。

「もちろん、小学生画家なんて滅多にいるもんじゃないし嘱望もせれていたんだ。当然お母さんもお父さんも私を精一杯応援してくれたし私もそんな日々が本当に楽しかった」

そして、染夜さんは再びこちらに振り向き「でもね」と言葉を続けた。

「高校一年生くらいの時だったかな、私の視力が低下し始めたのは。最初の頃は絵の描きすぎで視力が悪くなったのかなって思ってた。それにその時の私は全く危機感なんて持っていなくて多少目が悪くなっても眼鏡を付ければ問題ないだろうなんて軽い気持ちでいたんだ。実際本当に大丈夫だったし。でもね、少しづつだけど確実に視力が低下し続けていた。私の未来を期待している両親には相談できなかった。っていうかしたくなかった。失望させてしまったら嫌だったから。そんな悠長にしていたから私に天罰が下ったんだと思う。一年後、高校二年生に進学したある日、私の両目は完全に視力を失った」

そう言葉にしたと同時に染夜さんは自分の両目に触れ、儚げな表情を浮かべて見せた。

「あの時はびっくりしたなー。だって朝起きたら視界が暗かったんだもん。微かな光しか感じられなくて凄く焦った」

冗談交じりな言い方をしているがそんな気持ちの裏側には耐え難い苦痛と悔しいさがあるのだろう。
そんな姿を一切見せず今も尚彼女は笑顔を装っている。
僕が一声かけてしまえば崩れてしまいそうな脆い笑顔を。

「冷静さを保てなくなって早く伝えないとって思ったんだ。その時の私には自分の部屋から出ることすら至難の業だった。普段から出入りしているから感覚で覚えていたはずなのに、いざ視界を奪われてしまうと焦りと不安で上手く動けないもんなんだね。膝はぶつけるし何かに引っかかって転けたりもした。きっとその時凄い物音がしたんだろうね。お母さんが心配そうな声で私の部屋まで来てくれたんだ」

染夜さんの声色が徐々に暗くなって、はぁとため息をついた。

「目が見えないことを伝えてすぐに病院に向かった。そうしたらねお医者さんから原因不明の視覚障害と判断されたんだ。手術をしても絶対に治ることはないと。私の画家になる夢はここで途絶えた。でもね、お母さんとお父さんはそんな私自身じゃなんて私の秘める画家の才能を心配したんだ」

そんな親がいていいものなのか。
絶対にあってはならないない事だ。
自分の娘よりも才能を優先するなんてきっと僕には耐えきれない。

「時には感覚で描いてみなさいなんて無茶振りをされたりもした。当然、描けるはずもなく才能すらも失って両親からは失望された。そんな、無能な私は二人には必要なくて、次の日朝起きると家には私一人取り残されて誰もいなかった。その時にわかったんだ、私は所詮金稼ぎの道具に過ぎなかったんだって」

そんな言葉に悲歎的な感情を抱いたりもせず、ただひたすらにこのような運命が存在するんだという世界の残酷さに打ちのめされていた。

「だからね、一時期朝を迎えるのが怖かったんだ。視力は失うし、両親に見捨てられるしで次は何を奪われるんだろうって本当に不安だった」

その時、僕はようやく理解することができた。
視覚障害を患っていてもなお染夜さんは屈託のない笑顔をみんなに振り撒き、天真爛漫な姿を見せ続けている。
僕はそんなことから、たとえ目が見えなくとも満足な人生を送っている。楽しい日々を過ごしている。
全然苦痛になんて感じていないのだとそう思っていた。でも、そんなのは僕の勘違いだったのだ。
目が見えなくて辛くないはずがないのに。
悲痛な思いをしないはずがないのに。
彼女は視覚障害を患ったせいで幼い頃からの夢を諦め今を生きているというのに。
彼女のそんな一生懸命な生き方に感銘を受けるよりも
そう思っていた自分に心底腹が立つ。

「…もう大丈夫だよ」

彼女の話を聞いてなにが大丈夫なのか、どうしてそんな言葉を言ってしまったのか今の僕には分からないけれど、これまで気を張って生きて何もかも奪われて耐えきれない苦痛に抗って運命という残酷さに屈せず生きてきたんだ。
もうこれ以上彼女から何も奪わないで欲しい。

「君は精一杯頑張ったよ」

僕なんかが何を言っても彼女の心には響かないだろう。
でも、それでもこんな僕でも染夜さんの力になりたいそう思ったんだ。
なんの取り柄もなく、ただ無気力に消極的な日々を送って抗えない運命を憎み続けた僕でも彼女に寄り添いたい。
これは決して同情ではなく嘘偽りのない真実だ。

「…そうかな。そうだといいな。」

染夜さんの頬には一粒の雫が流れ落ちた。
海辺で月夜に照らされながら涙を流す姿はどの景色よりも僕の瞳には美しく映された。
もう、彼女を悪夢というしがらみから解放してあげてください。そんな望みだけが僕の心には抱いていた。

「…ありがとう牧瀬くん」
「僕は何もしてないよ」
「ううん。君に出会えなかったらもっと辛かったと思う。この巡り合わせには感謝しないとね」

染夜さんは声を振り絞りながらそう言った。
彼女の生き方を見ていると、たとえ似たような境遇の過去を持っていたとしても僕とは全然違うような気がした。

「染夜さんは本当に強いね…」

僕なんかよりもずっと辛い過去を持っているのに人生を捨てなかった。
視力を奪われ、両親には裏切られ、幼い頃からの夢も崩れ落ちきっと僕だったなら立ち直れないだろう。
事故で両親を失ったあの時ですら、あのありさまだ。
膝から泣き崩れ、現実を疑い自暴自棄になっていた。
救われたと言うなら僕の方だ。
染夜さんと出会っていなければ僕の未来はより一層破局していたはずだ。
そんな今の気持ちを伝えたくて、僅かな勇気を振り絞り言葉にする。

「…僕も染夜さんに出会えて本当に良かったよ」

そう口にした途端、染夜さんは驚いた表情を浮かべた後にすぐに赤面した。

「ど、どうしたの急に」
「いや、本心を言っただけ」
「いつもの牧瀬くんならこんな恥ずかしいこと絶対に口にしないのに」
「僕だって感謝を伝えたい時だってあるのさ。ただ、普段よりも素直になろうと思ったんだ」

確認することはできないけれど、僕の顔は染夜さん以上に赤面しているだろう。
淡々と口にしているが恥ずかしさのあまり今にでもこの場から去りたい気持ちだ。
言葉が震えないよう、冷静さを保った状態を装って話すのが精一杯。

「よっし!さすがにもう帰るよ。牧瀬くんのおかげで元気を貰ったことだし」
「もういいの?あと一時間くらいなら付き合うけど」
「あれー?さっきと言ってたことが違うけど!私を心配する人がいないと分かった瞬間にそうなるんだから!」

頬を膨らませながら、不機嫌そうな表情を浮かべて見せた。
そして、先程までの感情とは裏腹に染夜さんは普段のように天真爛漫な姿を見せた。

「冗談だよ。もう帰ろっか」
「そうだね!」

そう言って僕たちは三十分ほど海辺に留まっていたこの場所を後にした。
日も暮れて、すっかりと夜となり辺りも暗くなっていたので染夜さんを家まで送り届けてから自分の家へと歩みを進めた。
そしてこの時僕はあることに気がついた。
今日は染夜さんとのお出かけということもあったため、普段では絶対にしない髪型や服装に気を遣ったものの彼女は目が見えないため関係なかったのかもしれない。


やがて、自宅に到着し玄関のドアを開けた。
靴を脱ぎ真っ先に自室へと向かう。
いつものようにベッドに倒れ込み僕は今日のことを思い返せす。
久しぶりの映画館にファミレスでランチ。
染夜さんにネックレスをプレゼントし最高の思い出として僕の記憶に刻まれただろう。
そしてその後、海へ行こうと提案されショッピングモールから徒歩数分で到着する目的地へ足を向け歩き出す。
着いた先には想像を超える絶景が一面に広がっていて僕の視界を埋めつくした。
月明かりに照らされ煌めく海水を眺めていると満点の星空のように思えてきて、なぜだか心が浄化されるようなその光景に目を奪われるような今までにない感情に襲われた。
あの時の光景を何年経ったとしても色褪せずに鮮明に映し出され忘れることはないだろう。
その後、見たこともない綺麗な貝を見つけ、名称が桜貝ということも知れた。
美しくも儚い見た目をした桜貝を染夜さんにプレゼントした。
片手に桜貝を持つ染夜さんの姿もまた、月明かりに照らされて美しく僕の瞳に映った。
そして、その数分後、染夜さんの口から知られざる過去を打ち明けられた。
僕と同じ境遇の持ち主で彼女の語る雰囲気、表情、声色に様々な感情が溢れ出てきた。
初めて聞いた話に対しての驚愕。
僕と似た過去だと知り共感。
その後、僕以上に辛い思いだと感じて悲痛。
平常を装いながら淡々と言葉を並べる彼女に対してやるせない気持ち。
あの時の僕も冷静さを保ったように装いながらも、恐らく表情までは隠しきれていなかっただろう。
歯を食いしばり、力強く手を握り、染夜さんの話を聞いていた。
仮に、彼女の目が見えていたならば一瞬にしてバレてしまっていたはずだ。


次の日の日曜日は特に変わったこともなく、いつも通りゲームやアニメ、小説で時間を潰し僕の貴重な二日間の休日は終わりを迎えた。
翌日、カーテンの隙間から入り込む太陽の陽射しが僕の夢を覚まさせた。
目を擦りながら、スマホに手を伸ばし時間を確認するとそこには八時二十分と表示されていた。
その光景に僕はベッドから飛び起きて急いで身支度の準備に取り掛かる。
寝癖のついた髪の毛を適当に直し、冷水で顔を洗い目を覚ませる。
その後、冷蔵庫から栄養ゼリーを取り出して数秒で朝食を済ませる。
全ての身支度が終わり、通学バックを手に取って玄関へ向かう。
もう一度、時間を確認すると八時二十五分と表示されていた。
急いで支度をしたはずなのにすでに五分も経過していた。
僕の学校は八時半から朝のホームルームが始まり、その時に着席していないと当然遅刻扱いにされてしまう。
だが、不運なことに自宅から学校までは数十分はかかってしまう。
そのため、朝のホームルームには間に合わず遅刻してしまうだろう。
けれど、不思議なことにそんな危機的状況にも関わらず焦ることもなく冷静さを保っていた。
そんな時、僕の頭脳から一つだけ名案な策が思いついた。
普段は学校まで徒歩で向かっているのだが、それを自転車に変更することによって低確率ではあるが遅刻を免れる可能性がある。
それを実行するためには必要条件がいくつかある。
当然、普通に自転車を漕いでいたらたとえ徒歩ではないとはいえ遅刻してしまう。
そのため、常時立ち漕ぎで猛スピードを出す必要がある。
そして次に今回の策略の決定打ともなり得る絶対条件。
それは、担任の先生が普段よりも数分遅く教室に到着することだ。
少なくとも五分、欲を言えば十分、遅く向かってくれれば成功確率は格段に上がるだろう。
逆に言えば、先生が普段と同じ時間に教室に到着しても普段よりも早く到着ししたとしてもどちらかになってしまえば今回の策略は失敗する。
ただ、この二つさえ成功してしまえば恐らくギリギリで遅刻は免れるだろう。
そうときたら、僕はすぐに家を飛び出し自転車を取りだした。
鍵を挿し、猛スピードで自転車を走らせ一心不乱に学校へ向かった。
運がいいこと一度も信号で自転車を止めることなく、スムーズ進むことができた。
やがて、学校が見えてきて、間に合いますようにと願いながら駐輪場に自転車を停めた。
その後、駆け足で下駄箱に向かい上履きと履き替え、投げるように靴を下駄箱に放り込んだ。
自分の教室がある階層まで急いで上がり、登り上がった時には僕の体力は底を尽いていた。
腕をフラフラと脱力しながら、早足で向かい教室が目前となった時、目の前から先生らしき姿がこちらに歩いてきた。
僕はすぐに顔を逸らして、教室に入る。
自分の座席へと向かい急いで着席すた。
その数秒後にガラガラという音を鳴らしながら先生が教室に入ってきた。
間一髪でどうやらひと足早く到着することができたため、遅刻を逃れることができた。
先生と鉢合わせた時は肝を冷やしたがすぐに顔を逸らしたため、恐らく見られてはいないだろう。
見事に僕の策略は成功し一度ため息をついて安堵する。
そんな時、教卓の前に着いた先生が口を開いた。

「おい、牧瀬!今回は見逃してやるが次は躊躇なく遅刻扱いにするからな!」
「…あ、はい…」

間に合ったと安堵した手前、思いもよらない言葉に愕然としてしまい、掠れた声で返事をすることしかできなかった。
そんな姿を見た生徒たちは「アハハ」と笑いを上げてクラス中がその大勢の笑い声で埋まった。

「未月惜しかったなー!」

その後松田がそう言葉にし、それを聞いた生徒たちが「もう少しだったな!」「バレてんじゃん!」と言葉を続け、さらに笑い声の声量が上がった。
そんな時、ふと染夜さんに目を向けるとこちらを見ながら彼女も笑いをこぼしていた。
そんな、状況に多少の羞恥心を覚えたがクラスに馴染めているような気がしてなんだか心地よかった。
その後、普段通りし朝のホームルームを始め、一時間目が開始した。


昼休みを知らせるチャイムが鳴り響くと松田が真っ先に僕の席へと向かってきた。

「なぁ、未月!今週の土曜日暇なんだけど遊びの予定立てないか」
「唐突だな」
「まあな!ここ最近、部活の大会やら勉強やらであまり時間を取れなかったからな!」

僕とは真逆の生活で似ても似つかない日常を松田は送っているようだ。
部活にも入部をしていなく、勉強も最低限しかしていなほ僕からすれば暇な時間など余るほど持て余している。
それに比べ、松田はサッカー部のエースということもあって常にスタメン。
そして、ついこの前は別高校との強化試合が開催され普段よりも部活の時間も延びてより一層に力を入れていた。
さらに、学生の本分でもある勉学にも取り組まないといけない。
僕とは違い松田は優等生であるため勉強にうつつを抜かしたりは一切しない。
部活と勉学の両立は誰でも難しい。
僕には一週間で最低でも二日間は休日があるが、松田の場合は違う。
七日間大抵の時間は部活の練習や勉強の時間に割り当ててまともな休息を取れていないはずだ。
僕の休日と松田の休日は月とすっぽん程の違いと価値がある。
そんな、彼の貴重な休息の時間を僕が奪ってもいいものなのだろうか。

「せっかくの休日なんだしゆっくり過ごしたほうがいいんじゃないか。遊ぶのだってまた今度でもいいわけだし」
「いいや、違うぞ未月!俺はお前たちと過ごすことで癒しを貰い疲労を回復するんだ!」

自信気な表情でそう言う松田を見て凄い喜ばしいことを言ってくれているが、それと裏腹にその言葉の意味に僕は羞恥心にかられた。
そんなことを気にもとめず松田は淡々と話を進めていく。

「まぁ、松田がそう言うならいいんだけど…」
「よっし!早速決めるぞ!」

右手を上にあげながらそう言った。

「未月はどこか行きたい場所あるか?」
「いや、僕は特にないかな。だから、松田が決めていいよ」
「どこにしようかなー」
「そういえば、染夜さんと河下さんには訊かなくていいの?」
「そう言うと思ってもう、訊いてあるぜ!」

親指を僕の目の前に立てながらどうだと言わんばかりの表情を浮かべる。
そんな姿に相変わらず仕事が早いなと関心をする。

「そうなんだ。じゃあ後は目的地だけなんだな」
「そういうこと!」

松田との談話を繰り広げていると昼休み時間も残りわずかとなり、チャイムが鳴る目前となっていた。
それに気がついた松田が会話を途中で終わらせた。

「明日までには予定立てておくから楽しみにしておけよ!」
「あぁ、期待しておく」

そう言い残して、松田は自分の席へと向かっていった。
以前は動物園へ出かけたが今回はどこに行くのか期待で気持ちが膨らむ。
少しづつだけど確実に外出の機会が増えている。
これも全て松田のおかげなのだろう。
本当に感謝をしなければな。


そうして、残りの授業も取り組み気がつけば放課後のチャイムがクラス中に鳴り響いていた。
バックに筆箱や教科書などの持ち物を入れている最中に後ろから「未月また明日な!」という松田声が聞こえてきた。
それに対して、僕も振り向き「また明日」と伝える。
それから、数分後帰りの支度が完了した僕も通学バックを手に取り教室を後にした。
下駄箱へ着くと偶然染夜さんと鉢合わせた。
その瞬間、一昨日の出来事がフラッシュバックし話しかけようか迷ってしまう。
あのあとは特に気まずい空気が流れることなくむしろ染夜さんは笑みを浮かべ帰路へ着いたが、彼女の過去を知った手前なんだか言葉をかけずらいと思ってしまう。
ただ、ここで怖気付いて声をかけなければ以前の僕に元通りだ。
それに、染夜さんと喧嘩をしているわけでもあるまいし単に僕の気にしすぎなのかもしれない。
僕は渾身の勇気を振り絞って彼女に声をかけることにした。

「…染夜さん偶然だね」
「あ、牧瀬くん?」

少し驚いた表情を見せながらこちらを向いて言葉を並べる。

「牧瀬くんも帰る途中?」
「…そうだよ」
「それなら、せっかくだし一緒に帰ろうよ!」
「まぁ、いいけど」

染夜さんは両手をパチンと合わせてから名案を言い放つかのように口を開いた。
思わず、彼女の提案に乗ってしまい多少の動揺を見せるが一度呼吸を整えてから途中で中断していた靴の履き替えを再開する。
その後、松田のサッカーする姿を横目に染夜さんと一緒に学校を後にした。

「そういえば、松田が今週の土曜日にどこかに出かけるとか言ってたけど染夜さんは何か希望とかないの?」
「私は別にないかなー。この前は動物園に言ったし、一昨日だって牧瀬くんと映画館にも行ったから」

彼女の口からすんなりと一昨日の出来事が発せられたためそれほど気にすることでもなかったのかと安堵する。

「そっか。もし、行きたい場所が思い浮かんだら僕が松田に伝えておくよ」
「ありがとう!」

そう言いながら笑みを浮かべた表情が愛らしいと思ってしまい僕は頭を触りながら「いいよ…」と思考を悟られないように微かな声で返事をした。

「それにしても牧瀬くん私の時だけなんか頼りがいがあるよね」
「そうかな。別にみんな時と同じだと思うけど…」
「全然違うよ!松田くんや恵ちゃんの時はみんなに任せます!みたいな感じであまり自分を見せないというか主体的じゃない雰囲気を漂わせているけど、私と二人の時は率先して行動してるよ!」

彼女の僕への印象が分かって、思いもよらない言葉に多少の驚きを見せる。

「それは染夜さんの思い過ごしだよ。僕は自ら行動を起こすような人間じゃないよ」
「またー、そんなこと言って本当は私にかっこいいところを見せたいとか思っているんでしょー」
「染夜さんこの頃僕をからかう頻度が増えてきていない?」
「そ、そうかな。そんなことないと思うけど…」

僕の反撃に戸惑いを見せる染夜さんに満足感を抱く。
段々と彼女のからかいへの対処法が掴めてきている。

「あ!そんなことより一昨日牧瀬くんから貰ったネックレス今日もつけてきたんだよ!」

僕に図星を突かれ、分かりやすく話題を変えた。
そんな、彼女の話題変換に乗り素直に許すことにした。

「そうなんだ。大事にしてもらっているようで良かったよ」
「あたりまえだよ!牧瀬くんからのプレゼントだもん!」
「でも、アクセサリーの使用って校則的にダメじゃなかったっけ?」
「そんなことどうでもいいの!私は肌身離さず持っていたいから!」

校則に対してどうでもいいとは優等生でもある染夜さんが口にするとは思わなかった。
でも、確かにアクセサリーの使用が禁止されていたとしてもピアスよりかは多少はマシな方なのかもしれない。
ネックレス自体を服で隠せないこともないし、腕につけるブレスレットや指につけるファッションリングと比べて見えやすいわけでもない。
それなら特に問題はないのではと僕までもの納得してしまった。

「そっか…」

彼女の言う肌身離さず持っていたいという言葉に思わずはにかんでしまう。
そこまで、大切にしてくれているとは思ってもいなかったので不意にそんなことを口にされては戸惑ってしまう。
顔を逸らしなるべく今の感情を読み取られないようにと精進する。
その後も僕たちは談話を繰り広げ帰路へ着いた。

第五章

次の日教室に到着すると真っ先に僕の元へ松田が駆け寄ってきた。
歓楽な表情を浮かべながら近寄ってくる姿に多少の苦手意識を感じた。
陰キャな僕からすれば彼の笑顔に満ち溢れた表情や行動は太陽のような存在でとても眩しく見えるのだ。
そんな姿が嫌いというわけではないが、やはり真逆の立ち位置に属する僕にとっては苦手な性格へと分類されてしまうのは必然的だ。
だが、松田だったから良かったものの同様の陽キャ生徒に近寄られてしまえば無意識的にも後ずさってしまうだろう。
そう考えると多少の気遣いができて思ったことをなんでも言える相手が松田だからこそ僕は気に入っているのかもしれない。
たとえ自分の苦手とする存在だっとしても彼だったらすぐにでも克服できそうな気がする。

「未月ー!昨日の話の途中だけどさ!」

座席に着くなりそうそうに高テンションだとさすがについていけない。
克服できるとは言ったがもう少し時間がかかりそうだ。

「それで、決まったのか?」
「あぁ、聞いて驚くな。なんと…」

焦らしてくる松田に対してそうする必要があるのかと疑問を抱える。
その後、一呼吸置いてから一段と声量を上げて口を開いた。

「宿泊するぞー!」
「…はぁー!」

思いもよらない提案に驚愕してしまい思わず椅子から立ち上がり大声を上げてしまった。
そんな姿にクラスメイト達がこちらに視線を向け四方八方から「おい、牧瀬が声を上げたぞ…」「あんな声量存在したんだ」という言葉クラス中を飛び交う。
過去最高で注目を浴びた日と刻まれただろう。
今の空気感に耐えかねた僕はすぐに椅子に座りなおし数秒間顔を伏せる。
そして次第に僕に視線を向ける生徒たちが少なくなり普段通りの日常へと戻っていった。

「…急に大声上げてどうした」

僕が驚愕した理由を理解していないらしく困惑な表情を浮かべて見せた。

「…お前が急に宿泊するとか言い出すからだろ」
「…何かおかしい?」

状況を説明しても未だに理解しかねるようで再び疑問点を僕に訊いてきた。

「僕はてっきり水族館や動物園とか日帰りだと思っていたから」

というかそれが普通というか当然なのではないか。
誰もが宿泊するなど予想もしていなかっただろう。
この状況に対して驚愕を見せずに冷静さを保っていられる者がいるならば絶賛したいほどだ。

「いやー俺も最初はそのていで予定を立てていたんだけど急遽親戚からホテル宿泊チケットを譲り受けたからさ」
「それなら家族と行けばいいじゃん」
「けど、その日ちょうど俺の家族たち予定入ってるんだよ。両親は早朝から仕事だし兄貴は課題の山盛りで行けないし。このままど勿体ないじゃんだからせっかくなら未月たちと行こうかなって」

松田の口から発せられる数々の言葉に頭がついていけない。
日帰りかと予想して心待ちしていたにも関わらず宿泊と斜め上を行く提案に動揺を隠せず、その後松田に兄弟がいたという新事実とこの数分で想定外のことが起きすぎている。
一度心を撫でおろして、気持ちを整えた。

「それはそうとして、染夜さんと河下さんに了承を得ているのか?」
「あったりまえだろ!そのことについても、了承済みだ!」

「…はぁ」もため息をついてから改めて思う。
こいつは本当に仕事が早いと。

「それならいいんだけど…」

けれど、僕の思考に一つだけ疑問が浮かんだ。
染夜さんは両親との交流が途絶えたため素直に了承するのは何となく分かるが河下さんに関しては違うだろう。
彼女の家族構成を知らないため明確には分からないが。
たとえ、女子が二人いるとはいえ同様に男子も二人いるのだ。
そんな空間に自分の娘を行かせるという許可を容易くだすだろうか。
自分で言うのもなんだけど年頃の男女が一夜共に過ごすことになるのだから多少の危機感は持っておいた方がいいのではないか。
そんなことを考えていると新たな疑問が浮かんできた。
その疑問点は今回には関係ないのだけれど、染夜さんは以前両親とは疎遠になってしまったと言っていたが、それなら一体どうやって生活をしているのだろうか。
染夜さんの過去の会話文からもバイトらしき話題は一度たりともでてきたことがない。
そのため、そこから推測する限りでは染夜さんはバイトをしていないことになるのだが。
まぁ、そんなことを一人で考えたところで一向に真実が見えてくることはなくそれどころか余計に気になってきた。
この気持ちを解消するためにも昼休みになったら訊いて確かめてみようと結論づけた。

「それで、肝心の目的地はどこなのさ」
「それは、 な い しょ 」

そう言いながら右手で人差し指を出して口元へ置いた。
そんな彼に似合わない言動に多少の不快感を覚える。

「昼休みになったら三人に教えるからそれまで期待を膨らませていろよ!」

自信気に言葉を発してから自分の座席へと向かっていった。


それから数時間、時が流れついに昼休みを知らせるチャイムが鳴り響いた。
その瞬間に僕の席へと松田が駆け寄ってきた。

「未月ー、早く行こうぜ!」
「僕は購買でパンを買ってから向かうから先に行ってて」
「じゃあ、屋上で待ってるから早く来いよな!」
「あぁ、分かった」

そう言い残して、松田はすぐに屋上へと歩みを進めた。
彼の希望に添えるように僕も早足で購買部へ向かいその後、ホットドックを二つほど購入してからみんなのいる屋上へと足を向けた。
屋上のドアを開けると三人が談話している姿あり、そこに混ざるかのように近寄っていく。
僕に気がついた松田こちらに招くように手を上下に振ってくる。

「お待たせ」
「未月も来たことだし早速本題に入るぞ!」

持っていた弁当箱を一度床に置き、改めて会話を切り出す。

「今回の宿泊施設はなんと…静岡県です!」
「おー!静岡に行けるんだね!」

松田の告知に続くように河下さんが言葉を並べた。
そんな二人の姿を横目に先程購入したホットドックを一つ袋から取り出して口に運ぶ。
ケチャップとマスタードの香りが鼻腔を刺激してくる。
そして何よりもこの格別な味わい。
これからも買い続けること間違いないな。

「予定日は今週の土曜日で一泊二日!十三時に駅前集合で!はいこれ宿泊券と新幹線のチケットな!当日絶対に忘れるなよー」
「了解」
「未月集合時間に遅れんなよー!」
「なんで僕なのさ。この前だって一番最初に到着したの僕だけど」
「あれ?そうだっけ」

松田はそう言いながら笑みを浮かべて僕をからかってきた。
内容を伝え終えたからか先程床に置いた弁当箱をもう一度手に取り、唐揚げを箸で掴んで口に運んだ。
それと同時にお米も口にかきこんで頬が膨らんでいる。
今の松田を動物で表すなら満場一致でハムスターだと口にするだろう。

「えー、楽しみだなー。富士山行けるかなー」
「河下さん。さすがに富士山は無理だと思うよ」
「…そっか…」

僕がそう言うと河下さんは表情を一変させ、分かりやすく落ち込んでみせた。
そんな、彼女を励ますように僕は言葉を続けた。

「…あ、でも他の観光地なら行けると思うよ」
「本当…?」

目を子猫のようにキラキラと輝かせ、僕に訴えてくる。
松田はハムスター、河下さんは子猫のような表情に、ここはペットショップなのかと勘違いしそうになる。
そんな、圧に押されるがまま下手なことは言えないと思い松田に視線を向け助けを求める。
そんな僕のメッセージに気がつき食事に集中していた松田が困惑した表情でこちらを向いてきた。

「…なぁ、松田!」
「ん?何が」
「だから、富士山は無理でも他の観光地だったらまわれるよな!」
「…あぁ、まあな」

普段では見せない僕の威圧に多少の戸惑いを見せながら松田は苦笑いをしながら声を振り絞った。

「まぁ、静岡県は富士山だけじゃないしな!」
「そうそう!」

松田のフォローに続いて言葉を並べる。

「それに、うなぎやお茶も有名だし食べ物も美味しんだぜ!」
「えー!そうなの!」

松田のおかげで何とか河下さんの気分をあげることに成功した。
今回に関しては間違いないく僕一人じゃ成し得ないことだった。
僕は小声で感謝の気持ちを伝える。

「…松田ありがとう」
「うん。ってなにが?」

どうやら、僕が何に対して感謝をしているのか理解できていないらしく、首を傾げて見せた。
その後、僕は「なんでもない」と言葉を続けて再びホットドックを口に運んだ。

「あぁー、食べた食べた!もう、何も食えん」

弁当箱の蓋を閉めながら、松田は腹をポンポンと叩いた。
その数秒後に僕もホットドックを食べ終わり一段落する。
パンの袋をくしゃくしゃと丸めた後、くつろぐように両手を後ろに着くと何かが僕の手に当たった。
斜め後ろに視線を向けると、そこにはもう一つのホットドックが姿を見せた。
その時まで二つ購入したとすっかり忘れていたため、目を見開いて驚愕した。
そもそも、どうして僕は一つではなく二つも購入してしまったのだろうか。
僕は比較的少食なため普段から食事の量を少なくしているのだ。
それなのにもかかわらず、久しぶりに目にしたホットドックの見た目に魅了されつい二つも購入してしまった。
その結果、僕には一つだけでちょうどよく満腹状態になってしまった。
家に持ち帰っても特に食べる機会もないし、かと言って捨てるのはさすがに勿体ない。
あと残されている選択とすれば、誰かに譲ることだけ。
そう思い、僕の隣に座っている染夜さんに話を持ちかけた。

「…染夜さんホットドック食べない?」
「えっ、なんで?」

急に声をかけられ、その上第一が「ホットドック食べない?」と訊かれれば当然誰もが戸惑いを見せるだろう。

「…いや、購買部でホットドックを二つ買ったんだけど、どうやら僕には一つだけでよかったみたいで余ってしまったんだ」
「…別にいいけど、なんで二つも買ったの?」
「それは…、欲に負けたというか魅了されたというか」
「まぁ、よく分からないけどせっかくだし貰おうかな」
「ありがとう」

例のホットドックを手に取り染夜さんに渡す。
そんな僕たちの姿を見ていた松田が口を開いた。

「えー!ずるい!俺も欲しい!」
「お前はもう弁当をたらふく食べただろ!」
「そうだけどー」
「それに、さっきもう食えんって言ってたじゃん」
「あっ、そうだった!」

松田は過去の自分の言葉を思いだし「アハハ!」と大袈裟に笑ってみせた。
そんな、僕たちの会話には目もくれず染夜さんはただひたすらにホットドックを食べることに夢中のようだ。
そして、予想外の美味しさだったのか口いっぱいに頬張り、数分前の松田みたいにハムスターのような顔になっていた。

「染夜さん美味しい?」
「うん!凄く美味しいよ!」
「そっか、ならよかったよ」

ホットドックの味は確かに格別だったし彼女の食事をする様子はなぜだか癒させる。

「ぷっ!ははは」

染夜さんの食事を眺めているとあることに気がつき思わず笑ってしまった。
そんな、僕の笑い声を聞いた染夜さんが訊ねてきた。

「牧瀬くん、急に笑いだしてどうしたの?」
「いや、なんでもないよ」
「なになに、気になるじゃん」

焦らす僕に染夜さんは更なる圧をかけてくる。
このままだと永久に圧力が続くと思い僕が笑った理由を教えることにした。

「…いや、染夜さんの口にケチャップがついてるから」
「えっ、どこ!?」
「ぷっ、ハハハ!」
「もう!笑わないでよ!」
「いや、だって…」

正直言うと面白かったというよりも、口にケチャップをつけている姿が無邪気な少女に見えて可愛らしいと思ってしまったからである。
けれど、そんなことを口にできるはずもなくこの事実は僕の心の内に秘めておこう。

「牧瀬くん、どう?拭けた?」
「いや、まだついてるよ」

何度口元を拭いてもケチャップの部分は未だに残り続けている。
一度おさまった笑いが彼女の顔を見ると再び吹き出しそうになってしまう。

「これでどう?」
「あぁ、もう大丈夫」
「はぁ、やっと…」

ようやく、拭き終わった彼女は一度ため息をついてから安堵した様子を見せた。
そんな僕たちの姿を見ていた松田が微笑ましい表情で口を開いた。

「本当に二人は仲良いな!」
「なんだ、松田ー、僕に妬いているのか」
「いや、本当に染谷に嫉妬してしまうぜ!」
「おい、普通逆だろ!」

なんかこのやり取り以前にもあったような気がする。
本当に松田はいつもふざけているな。
でも、この時間が好ましいと心地よいと感じているのもまた事実だ。
きっと、僕の人生最大の青春は今この時だろう。
そんなこんなで僕たちは食事を終え、昼休みの時間も残りわずかとなり屋上を後にした。
階段を下っている時、あることを思いだし僕の少し前にいた河下さんに声をかける。

「あの、河下さん」
「んー?どうしたの牧瀬くん!」
「一つ訊きたいことがあって」
「いいよ!なんでも訊いてちょうだい!」

そう尋ねると河下さん右手の親指を立てて僕の前に突き出した。
河下さんも比較的陽気な性格の人で普段からクラスメイト達に元気を振りまいている。
まぁ、松田程ではないが。

「河下さんも今回の旅行に行くんでしょ」
「うん!」
「よく、両親から了承を得られたね」
「なんで?」
「だって、河下さん女子だし。いくら染夜さんもいて二人とはいえ、同様に男子も二人いるんだよ。それに、日帰りじゃなくて宿泊だし。了承を得るのはそんな容易なことではないと思うんだけど…」

僕の問いかけに河下さんは「あーそういうこと」と一言発し、内容を理解できたのか人差し指を立てて言葉を続けた。

「ふふん、それはね。私と英二、実は幼なじみなんだ!」
「…って、えーっ!?」

またしても、新たな情報に大声をだして驚愕してしまった。
まさか、河下さんと松田が幼なじみなんて思ってもみなかった。
今日はなんだか色々なことに驚いてばかりいるな。
今までにそんな素振りなかったし、二人が幼なじみだという関係を関連させる言動だって一切なかった。
だから、僕はてっきり高校で知り合ったもんだと。
それに、河下さんは誰に対しても距離感が近いから、余計に分からなかった。

「そう…なん…だ…」

突然の新事実に戸惑いを隠せないでいる。

「牧瀬くん!ビックリした?」
「そりゃ…まぁ…」

僕の驚愕した反応を見た河下さんは「ウシシシシ」いかにも悪者のような笑い方で僕をからかってきた。

「別に隠していたわけでもないんだよ!言わなくてもいいかなーって思っていたら意外に結構な月日が経っちゃったってだけで…」
「そういうことか…。別にいいよ。誰だって隠し事の一つや二つあるし」
「そう…、って隠してないってば!」

先程のお返しとして僕もちょっとしたからかいをして見せた。
そうしたら、案の定河下さんは食いつき僕の言葉に指摘を入れてきた。
まぁ、でも二人が幼なじみだったなんて本当に驚いたものだ。
なんだか、これからも彼らに驚かされそうな気がする。


やがて、六時間目の終わりのチャイムが鳴り響き放課後になった。
僕は筆箱や教科書などの持ち物を通学バックに入れて帰りの支度を済ませる。
そんな中、僕の元に染夜さんが駆け寄ってきた。

「ねぇ、牧瀬くん!」
「染夜さんどうしたの?」
「今日一緒に帰らない?」
「…え、別にいいけど」

今までは下駄箱で遭遇して、一緒に帰る流れになったことは多々あったけれど、今回みたいに教室で染夜さん自ら帰りの誘いをしてくるのは珍しいなと思った。
僕はそんな上京に多少の戸惑いを見せたが瞬時に返事をすることができた。
過去の僕だったら今の状況に後数秒は戸惑ってあたふたしていただろう。
でも、段々とこの日常にも慣れてきたのか今までのような姿を見せることはなくなった…気がする…。

「じゃあ、行こっか!」
「そうだね」

僕は机の横にかけていた通学バックを手に取り、染夜さんと共に教室を後にした。
下駄箱に行くまでの間は今日の授業で起きた面白いことを話しながら時間を過ごした。
染夜さんと談笑をしていたからか気がつけば下駄箱に着いていて確実にいつもよりも早く感じた。
それから、僕たちは上履きと靴を履き替えて学校の門を出た。

「あのさ、染夜さん」
「んー?なにー」
「染夜さんに訊きたいことがあるんだけど」
「いいよ!なになに?」

僕は今日二つの疑問を抱えていた。
その内の一つでもある、河下さんの旅行了承件についてだかこれに関しては数時間前に解決した。
だが、まだもう一つの疑問が残されていた。
それが染夜さんどうやって生活しているのか疑問だ。
あまり、個人のプライベートを訊くのは良くないと思うけど、流石に我慢の限界に到達したためできるだけ言葉を選んで質問を持ちかける。

「…染夜さんって…バイトしてるの?」

この言葉が今の僕にできる最大の気を遣った話の切り出し方だ。
これ以上のことは今の僕ではできない気がする。

「えっ、別にしてないけど。なんで?」

あまりにも本来の問から離れている訊き方をしてしまったため、染夜さんに分かりにくく伝わってしまった。
本筋を理解できなかったらしく、困惑した表情を浮かべて見せた。

「いや…その…」

なんと訊きだせば、伝わるのか試行錯誤しながら思考を巡らせた。
その結果導き出された答えがこれだ。

「…最近宝くじとか当たった?」
「えっ、何その質問…。別に当たってないよ」
「あっ、そっか…」

またしても、遠回しの訊き方をしてしまった。
どうやら僕の導き出された答えは正解ではなかったらしく二度目の失敗となった。
どうすれば、染夜さんに伝わるのだろうか。
このままでは一生、真実の疑問には辿りつかずにただ僕が変な質問を投げかける変わり者だと染夜さんの記憶に保存されてしまう。
あらゆる思考が飛び交う中染夜さんが口を開いた。

「さっきからどうしたの牧瀬くん!」
「いや…別に…」
「訊きたいことがあるなら正直に言いなさい!」
「でも…」
「大丈夫だよ。牧瀬くんは私を傷つけるようなことをしないって分かっているから」

僕の本来の質問は分からなくとも、何かを遠回しに訊きいているということは理解していたらしい。
染夜さんは本当に勘が鋭いなと心底思う。

「分かった。質問するよ」
「いいよ。なんでも訊いて」
「染夜さんは以前両親とは疎遠になったって言ってたけど、今はどうやって生活してるのかなって…」
「えっ!?それだけ?」
「まぁ、そうだけど」

僕の質問に思いもよらなかったのか、口をポカーンと開けて唖然としていた。
その数秒後、僕の問いかけに対して真剣に答えてくれた。

「それはね、私の祖父母のおかげなんだ」
「…祖父母」
「そう。私が両親に見捨てられたあとも祖父母だけは私の味方でいてくれたの」
「そうだったんだ…」
「私だけが家に取り残されたあの日、祖父母が私を迎えに来たんだ。その時にね「ごめんね星凪ちゃんを苦しませるようなことをして」って言って二人が私をギューって抱きしめてくれたの。凄く安心したんだ。その後、温かく歓迎してくれて本当に嬉しかった…」
「優しい方だね」
「うん!あの時、私にとっての唯一の救いだったんだ」

そう言いながら彼女は微笑んでみせた。
それにしても、僕といい染夜さんといいどちらも祖父母に助けられている。
本当に二人には感謝をしなければならないな。

「じゃあ、染夜さんは祖父母の家に住んでいるんだ」
「そうだよ!」

染夜さんは自分の過去を僕なんかにさらけ出してくれたというのに僕は未だに彼女に自分の過去を伝えられていない。
いつか、僕にも言える時が来るのだろうか。
いや、待っていてはダメだ。このままじゃ僕はきっとずっと言えない。
今、ここで彼女に伝えるんだ。僕の過去を。

「…あの、染夜さん。僕も君に言わなければならないことがあるんだ…」

僕の口から明かされる過去に彼女は黙って聞いていてくれた。
これを伝えたところで何かが変わるわけじゃない。
それでも、僕は君に知って欲しいとそう思ったんだ。

「そうだったんだ…。牧瀬くんも辛かったんだね」

彼女のその言葉に涙が一気に溢れだしそうになった。
涙を流さないよう目に力を入れて必死にこらえる。

「ありがとう染夜さん…」
「大丈夫。牧瀬くんはもう一人じゃないから」

第六章

それから、変わらぬ日常を過ごし数日が経った。
そして、今日は静岡県に旅行する当日なのだ。
前日に小物類の持ち物や衣服や下着などは全て準備済み。
あとは、集合時間に間に合うように家を出るだけ。
実のことを言うと数日前から楽しみにしていたのだ。
それもそのはず、僕が家族以外で宿泊するなど学校の修学旅行以来だからな。
それに、校外学習や修学旅行は友達がいる人しか楽しめないという謎の前提があるため、あまりいい思い出がない。
けれど、今回は違う。
松田と河下さん、そして染夜さんと一緒に行けるなんて今までの僕だったら想像もできない光景だ。
そのため、普段よりも気分高くし張り切って旅行を楽しもうと思っていた…にも関わらず、なぜ僕は今、松田と電話をしているのだろうか。

遡ること数分前

僕は集合時間に間に合うように余裕を持って目覚ましを設定した。
そして、いつでも出られるようにと身支度を整えていたところ、机に置いてあったスマホかブーブーと振動させた。
最初は染夜さんかなと思いながらスマホを手に取ったが、画面には身に覚えのない電話番号が表示されていた。
一応祖父母の電話番号は記憶しているし、染夜さんとは連絡先を交換している。
これらのことから推測する限り、高確率で電話先の主は僕の知らない人だろう。
多少の不安を抱えながら、恐る恐る応答ボタンを押した。

「…もしもし…」
「あっ!未月?」

電話越しに聞こえる声は僕に考えるまでもなく瞬時に誰なのか特定することができた。
それもそのはず、聞き覚えのありすぎる声で逆に間違える方が難しいだろう。

「なんだ、松田か…」
「なんだとはなんだ!松田様だぞ!」
「いいから早く要件を話せ」
「未月は冷たいなー」

先程の心配と不安を返せよと言いたくなる。
恐る恐る、電話に応答した自分が馬鹿ではないか。

「急で本当に申し訳ないんだけど俺と恵行けなくなったから!」
「はぁー!?なんでだよ!」
「いやーまぁ、色々あって、用事…とか?でも未月これを機に染夜といい感じになれよ!」
「おい!僕はそんなこと…って松田の奴切りやがった」

勘の悪い僕だけど、松田が何を言いたかったのか今の僕は容易に理解できた。
おそらく、松田言う用事で行けなくなったというのは嘘だろう。
僕と染夜さんの仲を見てあいつは僕らを付き合わせようと策略しているのに違いない。
だが、僕はそんなこと一度たりとも頼んだ覚えはない。
だと、いうのに余計なことしやがってと怒りがこみ上げてくる。
それにさっきは焦りと戸惑いで忘れていたけれど、松田の奴どうやって僕の電話番号を入手したのだろうか。今度会った時はそれも兼ねて気が済むまでとことん文句を言ってやる。
ってそんなことよりも、早く染夜さんに伝えなければと思い焦って電話をかける。
けれど、一向に電話に出る雰囲気はなくスマホから発せられる音声は「おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、または電源が入っていないためかかりません」というアナウンスだけ。
僕は電話で伝えることは諦め、直接行って伝えることにした。
時間を確認すると集合時間である十三時まで残りわずかとなっており僕は急いで駅前へと向かった。


一心不乱に走り続け気がつけば駅前へと着いていた。
辺りを見渡し染夜さんかいるか探していると、少し離れた先に染夜さんらしき姿を見つけ、僕は直ぐに駆け寄り今の状況を伝えに行く。

「染夜さん…」
「あっ!牧瀬くんおはよう!」
「あの、染夜さん…」
「どうしたの?」
「凄く言い難いんだけど、今日の旅行行けなくなったって…」
「えっ、どうして…」

先程まで明るかった表情が一瞬にして沈んだ表情へと豹変した。

「いや、松田と河下さんが急な用事が出来たってさっき電話があって…」

松田の本来の策略に関しては黙っておこう。
仮に言ってしまえば一番の被害者は間違いなく僕になるのだから。

「でも、松田くんからチケット貰ってるし、それに私ずっと楽しみにしてたのに…」
「それは僕もだよ…」
「それなら、いっそのこと二人で行こうよ!」
「いや、それは…。年頃の男女が二人っきりで宿泊するのは流石にまずいと思うんだけど」
「そうかな…。私は…牧瀬くんとなら二人っきりでも全然いいよ…」

うっ!今日の染夜さんは何かがおかしい。確かに普段から僕のことをからかってくるけれど、今回のはいつもとは違う。
これじゃあ、まるで染夜さんが僕のことを…。
僕はそこで思考を停止した。
これ以上考えてしまえばただの自意識過剰なだけではないか。

「染夜さんの祖父母も流石に心配するんじゃないかな…」
「それは大丈夫!おばあちゃんもおじいちゃんも牧瀬くんのことは気に入っているから!」

自信満々な笑みを浮かべながらそう口にした。
確かに以前、海辺に出かけた日もう夜遅いからと家の前までは送っていったが中までは入ってはいない。
そのため、僕は一度も染夜さんの祖父母にあっていないのだけれど。

「なんで、染夜さんの祖父母が僕のこと知ってるの?」
「それは、いつも私が話しているからに決まってるでしょ!」
「そう…だったんだ…」

僕のことについて話していると新情報を得て、多少の戸惑いを見せたが、それ以上に染夜さんのことだしあることないこと言われていそうで少し怖い。

「だからさぁ、牧瀬くん一緒に行こうよ!」

僕だって行きたくないわけではないのだ。
むしろ、静岡県に旅行をするのはずっと楽しみにしていたし最高の思い出作りになりそうだと浮かれていた。
でも、流石にこれは…。
気持ちが沈み下に目を向けると僕はあるものを持っていた。

「バック…」

僕は無意識ながらも前日に持ち物を準備した、大容量のトートーバッグを持ってきていたのだ。
焦りと戸惑いで全然気づかなかった。
もしかしたら、自分が思っている以上に今日という日を待ち望んでいたのかもしれない。
この瞬間に僕の意思は確実に固まった。

「…染夜さん行こう。静岡県に」
「えっ、いいのー!」
「うん。せっかくだし…」
「やっったー!」

そう伝えると染夜さんは大きく飛び上がって、今の感情を盛大に表した。
そんなことをしていると僕たちが乗車する新幹線がまもなく到着するとアナウスが流れた。

「染夜さん!もう新幹線来るって!」
「はっ!そうなの!?急ごう急ごう!」

そうして僕たちは持ち物を急いで手に取り、バックから交通系ICカードを取り出して改札を抜けた。
それから数十秒後にお目当ての新幹線が到着し、ドアが閉まる前に飛び込んだ。

「…えーっと、僕たちの座席はここか…」

新幹線の座席チケットと座席番号を照らし合わせて見つけることができた。

「牧瀬くんは窓側がいい?」
「僕は別にどっちでも。染夜さんが座りたい方でいいよ」
「それじゃあ、行きの新幹線は私が窓側で帰りの新幹線は牧瀬くんが窓側ね!」
「分かった。それでいいよ」

持ってきたバックを荷物棚に置いてそれぞれ座席に着いた。

「牧瀬くんはお昼ごはん食べてきた?」
「あっ、そういえば忘れてた」

昼食を食べる前に松田から電話があり、行けなくなったという連絡を急いで染夜さんに伝えないと焦っていたから食べずに家を出てきてしまった。
それに、色々あってギリギリで新幹線に乗車したため駅弁は買い損ねたし、ここはグリーン車じゃないから車内販売は行っていない。
これは、現地に着いてからコンビニで買うしかないなと絶望的な状況に陥っていると僕の隣に座っている染夜さんが口を開いた。

「フフン!牧瀬くんがそう言うと思って私お弁当作ってきました!」
「えっ!?本当に」
「凄いでしょ!有能でしょ!天才でしょ!」

僕の反応に便乗し、染夜さんの自画自賛が数秒後とに繰り広げられる。
今回に関しては彼女が気が利いたことをしたというのは事実だ。
そのため、僕も褒め称えることにした。

「染夜さん準備がいいね。見直したよ!確かに天才…かも…」
「なんで最後だけいやいや言うみたいな感じなのさ!」
「冗談だよ。今回は本当に助かった。ありがとう」
「そういうことそういうこと」

染夜さんは僕の言葉に納得したのか何度も大きく頷いた。

「私もお腹ペコペコだし食べようか!」
「そうだね。僕も空腹で倒れそうだよ」

染夜さんは自分のリュックサックから二つの弁当箱を取り出して、目の前にあるテーブルに置いた。

「じゃあ、牧瀬くん開けるよ!」
「お願いします」
「とくとご覧あれ!」

そう言いながら弁当箱の蓋を取り外した。

「どうどう!私の手作りなんだけど?」
「え!?これ染夜さんが作ったの!?」
「まぁね!頑張ったんだよ!以前からおばあちゃんと一緒に料理の練習してたんだ」
「凄いよ染夜さん!」

料理の完成度と染夜さんの手作りということに多少驚愕し、素直に賛称すると染夜さんは頭に触れながら「そんなに褒めないでよー!照れるじゃん」と言って赤面して表示を浮かべて見せた。
なんだか小動物を見ているかのようで癒される気持ちになる。

「ほらほら、早く食べよう!」

照れ隠しか僕の褒め言葉を遮るかのように染夜さんは言葉を挟んできた。

「そうだね」

そうして、僕たちは言葉を揃えて「いただきます」と言い、食事についた。
染夜さんが作ってきてくれた、弁当には様々なおかずが入っていて色とりどりに具材が並べられていた。
卵焼きに唐揚げ、ほうれん草の胡麻和えやアスパラの肉巻き。そして、キラキラ輝き食欲がそそられるお米。
僕の空腹状態は我慢の限界でおかずとお米を口いっぱいにかき込む。

「…美味い」
「本当!それなら良かったよ」

冗談抜きで格別の味だと思った。
卵焼きの味付けも唐揚げのカリッとした食感も全て僕好みで食べる手が永遠に止まらない。

「あっ、それと染夜さん。さっきみたいなことは言わない方がいいよ」
「さっきのことって?」
「あれだよ。駅前で言っていた僕となら二人っきりでもってやつ。人によっては勘違いをするから」
「勘違いって?」

なんだか今日の染夜さんは勘が鈍いな。
いつもなら、すぐに気がつく部分だと思うのだけれど。

「…だから、その…恋愛感情があるみたいな…って僕に言わせるなよ」

ここ最近で一番恥ずかしいことを口にしてしまった。

「勘違い…じゃ…ないかもよ…」
「はっ!?だから、そういうのだって!」

本当に今日の染夜さんはおかしい。
こんなにも積極的ではなかったし、そもそも男相手にそんなことを言ってしまったら本当に勘違いをさせてしまう恐れがある。

「って染夜さん顔赤いよ。そんなに恥ずかしいならあんなからかい方しなければいいのに」
「別に赤くなってないし!恥ずかしくないし!」

謎のプライドがあるのか僕が図星をついた途端意地を張り出した。
そして、両手で顔を覆い隠し僕に確認されないようにと言わんばかりに。
それから、僕たちは談笑を繰り広げながら食事を済ませた。

「ごちそうさま」
「お粗末さまです」
「本当に美味しかったよ。ありがとう」
「そう言ってもらえると私も嬉しいよ!」

それから僕たちは目的地の静岡駅に到着するまでの間、持参してきた僕特製の点字がついているトランプでババ抜きをしたり染夜さんが持参してきた視覚障害者も遊ぶことができるオセロで時間を過ごした。


僕は夢を見た。

「…今宵…流星群が…降り注ぐだろう…」
「っ…」

前回と同様に声を出そうと何度も試してみたが僕の口からは息が漏れだすだけだった。

「時が満ちた時…夜空に向かって強く願うのだ…君の内なる願望を…」

そこで夢は終わりを告げ、現実へと戻された。

「…くん…牧瀬くん…」
「…んん」
「もう、着くよ」
「…あっ、ごめん。行こうか…」
「うん!そうだね」

僕ちは新幹線から降りて改札を抜けた。
どうやら、僕は知らぬ間に寝てしまっていたようだ。
そして、久しぶりにあの不思議な夢を見た。
確か、今日の夜に流星群が振るって言っていたような。
というか、そもそも本当に流星群が降るのだろうか。
夢の中だったし、事実じゃない可能性だって全然有り得る。
そう思い、僕はポケットからスマホを取り出して検索欄に「流星群 降る日」と入力し検索ボタンを押した。
すると、該当欄に今日の日付が表示され、それに加え、十時から十一時の間で見ることができるとも記載されていた。
ウェブのニュースアプリを開くと早速拡散され話題となっていた。
夢の中で言っていた"願いを叶える力"というのは本当なのかは分からないけれど流星群が降るというのはどうやら本当だったみたいだ。
ただ、僕自身は流星群に関して一切把握していなかったにも関わらず、夢の中で言っていた言葉が見事に的中した。
そして、あれ以来見ることなかったあの不思議な夢がこのタイミンで再来した。
こんなにも辻褄が合うといくら現実味がないとはいえ、信じざるを得ないだろう。
以前よりも確実性を帯び、もしかしたら本当に僕には願いを叶える力が存在するのかもしれない。

「…ねぇ、どうしたの牧瀬くん。さっきから浮かない顔だけど」
「…えっ、僕そんな顔してた?」
「うん…。悩みでもあるならなんでも言ってね。解決策は見つけられないかもしれないけれど、一人で抱えるよりかは楽になると思うから」
「…いや、悩みは特にないよ。ありがとう心配してくれて…」
「…そう?それならいいんだけど」

流石に特殊能力があるかもしれないなんておかしなこと口が裂けても言えない。
仮に口にしてしまえば、厨二病で痛い人と思われるに違いない。
それに、まだ事実なのかどうか確定したわけでもなしいし。
あくまで、以前よりかは多少現実味を帯びただけっていうこと。
そんなことを考えていると起動していた地図アプリのから「目的地に到着しました」と音声が流れた。

「染夜さん、宿泊施設に着いたよ…」
「もう?意外と早く着いたなね」
「そうだね。もっと歩くと思っていたよ」

それにしてもここの旅館想像していた以上に立派建物だな。
入口まで赤い橋がかかっていて、建物自体からもレトロを感じる。
あまりに驚きすぎて口が塞がらない。
もしかしたら、この旅館の宿泊料金は高額で滅多に泊まれるような場所ではないのかもしれない。
今回の旅行を主催しチケットまで貰ったにも関わらず肝心の松田が不在なのだ。
そんな中来てしまったもんだから、凄く罪悪感を感じる。

「とりあえず、受付に行ってチェックインしよっか」
「そうだね!私も早く部屋に行きたいし!」

それから、僕たちは赤い橋を渡って入口を抜けフロントへ向かった。
エントランスに入ると休日ということもあってか、日本人の来客以外にも外国の方も多々見受けられることから静岡県では有名な旅館施設なのかもしれない。

「染夜さんはそこのソファーで休んでていいよ」
「えっ、私も行くよ。牧瀬くんだけにやらせるのは申し訳ないし」
「染夜さんは僕の分まで弁当を作ってきてくれたしそのお礼だと思って」
「牧瀬くんがそういうなら…」
「じゃあ、行ってくるから少し待ってて」
「牧瀬くんありがとう!」

そうして、僕はフロントへ向かい宿泊の手続き、客室のカードキーの受け取り、近辺の観光スポットの紹介などをフロントスタッフ行ってもらった。
それと同時に僕は衝撃的な事実を知ってしまった。
それは…僕と染夜さんの宿泊する部屋が同室だということ。
僕と染夜さんの所持している旅館のチケットはどうやらペアチケットらしい。
本来ならば僕と松田が同室で河下さんと染夜さんが同室で宿泊する予定だったのだけれど、偶然僕と染夜さんが同室のペアチケットを受け取ってしまい今に至る。
だが、これは本当に偶然なのだろうか。僕にはどうも松田の仕込んだ罠にしか思えないのけだれど。
電話の時も僕と染夜さんをくっつけようとしているぽかったし。
ただし今はそんなことよりも早くこのことを染夜さんに伝えなければ。

「お待たせ。染夜さん」
「チェックインはできた?」
「…そのことなんだけど、宿泊する客室が僕と染夜さん同室らしいんだけど…どうする?」
「私は全然いいよ!」

僕の言葉に染夜さんは表情一つ変えずに即決してみせた。
思いもよらない想定に僕は多少の戸惑いをみせてしまう。

「…えっ、僕と同じ部屋なんだよ。それでもいいの?」
「牧瀬くんとなら全然嫌じゃないよ!それに私は最初からそのつもりだったし」

またしても彼女は誤解を招くような言葉を並べた。
それに最初からそのつもりだったという発言にも違和感を覚えた。
女子たるものもう少しの警戒心をも持った方がいいのではないかと。
そんなに無防備な姿を見せているといつか危ない目に会いそうだ。

「それにせっかく静岡まで来たんだし泊まらないと損だよ!」
「…そうだけど」
「私がいいよって言ってるんだからいいんだよ!ほら早く行こ!」

そう言って僕の考えと感情を無視して染夜さんは僕の引っ張って催促してきた。

「わかったよ…。染夜さんがそう言うなら」

彼女の言い分に全て納得したわけではないけれど、こうしてても埒が明かないと思い、今回は染夜さんの言葉に従った。
そうして、僕たちは歩みを進めフロントを後にした。


「えっと…僕たちの部屋はここか…」

僕は手に持っているカードキーに目を向け、記載されている番号とドアに記載されている部屋番号を照らし合わせた。

「もう着いたの?」
「うん」

鍵穴に鍵を差し込みガチャという音と共にドアが開いた。

「染夜さん先に入っていいよ」
「ありがとう!」
「結構広い部屋なんだな」
「どのくらい広いの?」
「十畳の部屋が一つとその奥に広縁がある感じかな」
「十畳もあるんだね」
「でも、二人ならこのくらいなのかもな」

そうして僕たちは旅行バックを床に置いた。
ここまでの遠出をするのは久しぶりで流石に疲れてしまった。
僕ははぁ…と一度ため息をついてから椅子に腰をかけた。

「言いそびれちゃったけどさっきはありがとうね!」
「えっ?何が」
「受付とか私の案内とか色々」
「あぁ、それなら礼を言うほどでもないよ」

僕は特に礼を言われるようなことは何一つしていない。
フロントに行って受付をしたのだって僕から進んで行動したわけで、それにこれまで染夜さんにしてきたことは全て僕がしてあげたくてしてあげたことなんだし。

「…そんなことないよ。牧瀬くんは凄く頼りになるから甘えすぎちゃうんだ。きっと、私一人だったら受け付けどころかここに来ることさえもできなかったよ」

染夜さんは僕の目の前にある椅子に腰をかけながらそう言った。

「そんなことないと思うよ。染夜さん一人だってきっとこなせてみせたと思うし、それに…僕は君が思うような人間じゃないよ」

そうだ、僕は彼女の思うような人間ではない。
彼女のように強く生きようと思ったこともないし、頼りになるなんて以ての外だ。
そんなことを思っていると僕の言葉が癇に障ったのか染夜さんはいきよいよく椅子から立ち上がり不機嫌な表情で僕に言葉をぶつけてきた。

「もう!牧瀬くんのそういうところ良くないよ!」
「…そういうところって?」
「だから!否定的なところ!」

彼女は頬を少し膨らませてそう言ってきた。

「…別に否定的じゃないよ。ただ、事実を言っただけ」
「充分否定的だよ。牧瀬くんは凄く優しいし、気遣いもできる。私が困っていたらすぐに助けてくれて頼りになる。それに私は牧瀬くんが…」

最後に何か言いかけたような気がしたけれどきっと僕の気のせいだろう。

「でも、さすがにそこまで褒められると僕でも照れるんだけど…」

染夜さんの僕に対する印象と褒め言葉が僕の頬を熱くさせた。
こんなにも僕のことを受け入れてくれた人は過去に一人もいなかった。
だから、誰からか褒められるという行為は慣れていないのだ。
そんな僕の姿に染夜さんは満面の笑みを浮かべならからかってきた。

「えー!牧瀬く今照れてるのー?見たかったなー」
「別に見るほどのでもないよ」

今の僕の顔は染夜さんには絶対に見てもらいたくない。
きっと、僕の頬は過去最高に赤らめているに違いないからだ。

「だからね牧瀬くん、次からは否定的なことは言っちゃダメだからね!私が言う牧瀬くんに対することは全て事実なんだから!」
「あぁ、精進するよ」

それから僕たちは数十分体を休めてから近辺の観光スポットへ向かう準備を始めた。
先程フロントで観光スポットのパンフレットを貰ったため、予定が立てやすい。
パンフレットを見る限りかなりの観光地が記載されている。

「動物園とか神社とか色々あるけど行きたい場所とかある?」
「私、熱海サンビーチに行きたい!」
「今の時期にビーチだと流石に寒くて入れないと思うけど。それに僕たち水着は持ってきてないし」
「別に入れなくてもいいかな。波の音とか聞いて楽しめるから」
「それならいいんだけど」

そうして僕たちは最低限の荷物だけを持って旅館を後にした。
パンフレットには僕たちが宿泊している旅館から徒歩十五分で到着すると記載されている。
交通機関としてバスでの行き方もあったけれど、次のバスが来るのは十二分後ということもあり、徒歩で向かったとしても大して差がないのではと思い徒歩で向かうことにした。

「ちょうどいい涼しさだね!」
「そうだね。このくらいが僕は好きかな」
「牧瀬くんはどの季節が好き?」

彼女の質問に僕は数秒頭を悩ませてから口を開いた。

「僕は…冬かな…」
「どうして?」
「昔から暑いのは苦手なんだ。寒い方がまだマシ」
「そうなんだ」

確かに僕は夏季の猛暑日はあまり得意ではない。
でも、僕が冬季を好きとする理由はそれだけではないのだ。
僕が染夜さん達と出会ったのが冬の時だったから。
それが、たとえ偶然だっとしてもずっと一人だった僕にこれほどにも素敵な友人と出逢わせてくれたことに僕は感謝をしているのだ。
でも、こんな恥ずかしいことを口にする勇気はどうやら僕にはないようでこれは心に留めておこう。

「染夜さんは?」
「私はね秋かな」
「どうして?」
「だって、秋は他の季節と違って極端に寒かったり暑かったりってないじゃん。だから、一番過ごしやすい季節かなって」

以外にも普通な回答で僕は思わずプッと笑い声をこぼしてしまう。

「でも、それなら春でもいいんじゃない。桜も綺麗だし」
「確かに春も捨て難いけど、秋よりも少し寒いんだよね」
「そうなんだ。初めて知ったよ」

今までに春と秋の気温の差など気にしたことがなかったけれど、彼女が言うには春よりも秋の方が気温が落ち着いて過ごしやすいらしい。

「僕は桜とか好きだから春の方がいいけどな」
「秋にだって紅葉とか、あと…秋刀魚とかもあるよ!」
「どうしたの急に。凄い秋に対して熱弁するじゃん」
「秋の良さを牧瀬くんにも知ってもらおうと思って!」

そこまで、秋に対して熱狂的なファンだとは思わなかった。


それから僕たちは他愛ない会話を繰り広げながら時間を過ごし、目的地である熱海サンビーチに到着した。

「あっという間に着いたね」
「そうだね!私はもう少し牧瀬くんと話したかったけど」
「僕との会話そんなに楽しい?」
「凄く楽しいよ!永遠にできちゃうくらいだよ!」
「そっか…」

またしても、彼女の言葉に頬を赤らめてしまった。
両親を失ってから数年間、誰とも関わってこなかったためそんなことを言ってもらったことなんて一度もなかったから。
最近は染夜さん達のおかげでクラスでの僕の印象が少しづつ和らいできてはいるが、これまではそうでもなかった。
普段から無愛想なうえに無口で、声をかけてくれた子に対しては冷たく接し近寄り難い雰囲気を漂わせて、その結果僕のクラスでの印象は最悪だった。
次第にクラスメイトたちは僕とは距離を置いて意識をしなくなったり、時には冷たい視線を向けたりとあの時期は本当に毎日が憂鬱でしかたがなかった。
でも、三人と出会って僕の人生は一変して以前よりかは憂鬱だと思う日が少なくなった。

「…僕も染夜さんと話している時間は凄くあっという間でずっと話していたいと思っているよ…ってやっぱり今のなしで!」
「えー!そんなふうに思ってくれてたんだ!なら、もっともっと話そうね!」
「…うん」

淡々と言葉を並べる染夜さんに目を向けると彼女もまた頬を赤らめていた。
どうやら、動揺をしていたのは僕だけではなかったみたいだ。
そんな、染夜さんの表情を見ると自然と口元が緩んでしまった。

「あんまり人の声が聞こえないね」
「そうだね。僕たち以外には数人しかいないから」

この時期ということもあってか客足が少ない。
確かに今日は好晴で普段よりかは気温も暖かいが流石に海に入るには気が引ける。

「せっかく来たんだし、足だけでも入ろうかな」
「足だけなら僕も」

僕は染夜さんの手を優しく引っ張って海水へと導いた。

「キャッ!やっぱり冷たいね!」
「夏だと気持ちいいんだろうな」
「そうだね!今度は夏の時に来ようよ!」
「それもいいかも。機会があったらまた来るか」

染夜さんとまた出かけることができることにこの先の未来に楽しみを感じてしまう。

「私少しお腹空いてきちゃった。屋台とかないの?」
「あることにはあるけど、今日はやっていないみたいだよ」
「えー、そうなんだ…」

まぁ、確かにこの時期に屋台を開いたところで客足が少ないから売上も期待できないだろう。
おそらく、夏場になれば大勢のお客でここ一面が賑わって盛り上がっているただろうけど。

「この空腹は旅館の晩飯まで取っておこうよ」
「そうだね!今食べちゃったら夜ご飯に響くし!」

少し歩けばコンビニくらいは見当たると思うが、せっかくの旅行なんだし、地元でも買える食べ物よりも静岡県ならではのご当地グルメで胃袋を満腹にしたい。

「染夜さんって海が好きなの?」
「どうして?」
「だって、この前映画館見に行った時も途中で海に向かったから。それに今日だって動物園とかもあったのにビーチを選んだから」
「私ね波の音や砂浜を歩いた音、鼻を刺激する海水の匂いとか好きなんだ。心もリラックスできるし」
「そうだね。僕も海は嫌いじゃないよ」

以前までは海なんかに興味がなかった僕でも今は彼女と同じ考えだ。
染夜さんの言うように乱れた心を落ち着かせ癒し効果を持っている。
それに、僕はあの時に見たの光景が頭から離れないのだ。
初めて染夜さんと行った、月明かりに照らされ宝石のように煌めいていた一面に広がる青い海を。


それから僕たちは砂浜で城を作ったり、冷たい海水に足だけ浸かりかけあったりと楽しい時間を思う存分過ごした。
少しづつ日も暮れ外も暗くなり、旅館に戻ることにした。

「はぁー、楽しかったね!」
「そうだね。泳げなくても意外と楽しめるもんなんだな」
「そういえば、夜ご飯て何時からだっけ?」
「えっと…確か、十八時に女将さんが客室に運んできてくれたと思う」

僕はフロントで受け取った予定表を確認する。
そこには、晩飯の時間だけではなく朝食の時間も記載され、コース料理も載っていた。

「料理長特製料理や和風をイメージした郷土料理を用意させていただきます。って書いてあるよ」
「郷土料理かー楽しみだね!」
「確か、松田も凄く美味しいとか言ってたし」

客室にかかってある時計を確認すると五時をまわっていた。

「晩飯までまだ時間があるけど、先にお風呂済ませておく?」
「そうだね!私もさっぱりしたいし!」

僕たちはバックからバスアイテムを取り出し、クローゼットに用意されていた旅館浴衣を手に取って一階にある温泉へと向かった。

「じゃあ、また後で」
「牧瀬くんも体を休めていなね!」

温泉に入るのは何年ぶりだろうか。
そもそも、外出をあまりしない僕からすれば旅行自体が珍しい。
それに、風呂にもあまり興味が無いので家の近くにある銭湯にも一度も立ち寄ったことがなく、いつも家の風呂で済ませている。
そう考えると中学生時代し修学旅行以来かもしれない。
そんなことを思いながら、服を脱ぎロッカーへと放り投げる。
バスアイテムを片手に持って早速温泉へ入る。
空いている場所に座り、頭を濡らそうとお湯を出すとシャワーからは熱気を放った熱湯が僕の全身を驚かせた。
その瞬間、思わず「あっっつ!」と声を出してしまい、周りの人から一気に注目を浴びた。
きっと、僕の前に使った人がお湯の温度を高くしたのだろう。
その後、温度調節を元に戻さなかったため僕に被害がまわってきたのだ。
それから、自分に合った温度に調整し頭、顔、体の順番で洗った。
そして、ようやく湯船に浸かる時が訪れどれを選ぶか思い迷う。
浴場の真ん中に円形の大きな湯船が設置されていて、外には露天風呂までもある。
それ以外にも電気風呂に水風呂、ジェット風呂にサウナと様々な効能を堪能することができるようだ。
時間もあることだし、一個一個入ることにしよう。
まずは、ジェット風呂から。説明文を見ると浴槽から噴出された気泡が体を刺激し、リラックス効果や血行促進。それ以外にも新陳代謝が向上し老廃物の排出が行われ疲労回復にも期待できるとのこと。
それから、僕は水風呂、電気風呂、露天風呂という順番で入浴し最後にサウナでかいた汗をシャワーで洗い流し浴場を後にした。
部屋から持ってきた、旅館浴衣に着替え更衣室から出ると温泉入口前に設置されているソファーに腰をかけている染夜さんの姿があった。

「遅くなってごめん染夜さん」
「全然大丈夫だよ!それより疲れは取れた?」
「それに関してはバッチリだよ」
「そう!それなら良かったよ」

染夜さんは腕を上に伸ばしソファーに寄りかかった。

「染夜さんはどうだった?リラックスできた?」
「凄く気持ちよかったけど、十分くらい浸かってたらのぼせちゃって長居はできなかったかな」

確かに、染夜さんの顔を見ると少し赤くなっていた。

「もう大丈夫なの?」
「うん、今は落ち着いてきたよ」
「そっか、良かったよ。一応水分補給もした方がいいと思うし飲み物買ってくるけど染夜さんは何がいい?」
「そうだなー、フルーツ牛乳にしようかな」
「分かった」

僕はすぐ近くにある自販機でフルーツ牛乳とコーヒー牛乳を購入し染夜さんの元へ戻った。

「はい、どうぞ」
「ありがとうー」

ゴクゴクと音を鳴らしながら飲んでいく。
今買ったばかりだと言うのに僕と染夜さんが持っている瓶の容器は中身をからにさせ飲みきってしまった。

「これ、美味しいね!」
「コーヒー牛乳も凄く良かった」
「ふぅー、休憩もできたことだし部屋に戻ろうか」
「もういいの?まだ、ここにいても大丈夫だけど」
「ありがとうもう大丈夫だよ!」

飲み終わった瓶の容器を自販機の横にあこゴミ箱に入れて、自分たちの部屋へと歩みを進めた。

「さっき、言いそびれたけどその浴衣似合ってるよ…」
「…ど、どうしたの急に!」

素直に染夜さんの浴衣姿に対して褒めると、再び頬を赤くし動揺をみせた。
それと同時に階段を上っていた足を止め、僕の方へと振り向いた。

「牧瀬くん!いきなりは反則だよ!」
「褒める時は大体いきなりだと思うけど…」
「そうだけどそうじゃない!」
「どういこと?」

染夜さんが何を言っているのか僕は理解できなかった。

「それじゃあ、次からは何も言わないでおくよ」
「それもダメー!」

彼女は赤く染った頬を少し膨らまして再び歩みを進めた。

「…でも、私も牧瀬くんの浴衣姿見たかったな…」
「普通だよ普通。染夜さんが想像しているような感じじゃないと思うよ」
「そうかなー、それにまだ牧瀬くんの顔も知らないし」
「別に知らなくても損はしないけど」
「ねぇねぇ、牧瀬くんはどんな顔をしているの?誰かに似ているとか言われたことない?」
「えー、そう言われても…」

染夜さんの質問に僕は数分頭を悩ませる。
僕の容姿が誰かに似ているなんて言われたことあっただろうか。
今までの周りからの僕の印象として、いつも無口で何を考えているのか分からないことから死神と言われたり、根暗男子とあだ名をつけられたらことは過去にあったけれど、それはあくまで僕の全体像としてだろう。
だが、顔だけとなると言われたことがないような気がする。
中学生時代や高校一年生二年生の時を思い返し、必死に考えていると、過去に一度だけ似ていると言われたことがあったのを思い出した。

「あっ、あった…」
「えっ、なになに!」
「そういえば、以前松田に猫みたいだなって言われたような」

あの時は確か、学校に向かっている途中、偶然松田と鉢合わせて一緒に行くことになった。
その時に松田から「俺に似ている芸能人っている?」と訊かれ「狐…かな」って答えたら「いや、人で頼むよ」という談笑を繰り広げた記憶がある。
その後に「未月は猫っぽいよな」と言われ顔が猫ってどういうことだろうと疑問を抱えたままその会話は終わりを告げた。

「牧瀬くんは猫顔なんだ。でも、声質とか雰囲気とか性格からも猫っぽさが伝わってくる気がする」
「そ…そう?」

僕の疑問は相変わらず晴れずに、染夜さん一人だけが納得してしまった。

「それじゃあさ、私を動物で例えると何?」
「そうだな、染夜さんは…」

僕は染夜さんの顔を数秒間見つめて、最も似ている動物を探しだす。
光を反射させる長い黒髪。鼻筋の通った高い鼻。薔薇のように真っ赤な薄い唇。スラリとしたスタイル。
そこから導きだされる答えは…。

「キツネ…かな」
「キツネ?どうして?」
「…染夜さんは可愛いと言うよりも美人な印象があると思う。涼しげな雰囲気と凛とした美しさがキツネっぽいかな…」
「ま、牧瀬くん…それ、言ってて恥ずかしくないの…?」
「えっ、何が?」

そう言いながら彼女は動揺を見せていたが僕はなにかおかしいことでも言っただろうか。
キツネ顔は染夜さんの特徴を捉えた最高の結論だと思ったのだけれど。

「…いや、だから…牧瀬くん今、私のこと美人とか美しいとか…」
「それがどうしたの」
「…さすがにそんなこと言われると私でも照れるんだけど」
「僕はただ染夜さんは綺麗な人だという事実を言っただけだよ」
「それだよ!」

染夜さんはそう言いながら両手で顔を覆い隠した。
彼女の容姿は美しく魅力的だと誰もが思っているだろう。
だから、僕はてっきり染夜さん自身も少なからず自覚があったのだと思っていたのだけれど今の反応を見る限りどうやらそうではないみたいだ。

「もういいよ!そんなことより夜ご飯はまだー?」

分かりやすく彼女は話の話題を変えた。
ここで僕が否定し再び話を進めれば今以上に染夜さんの顔を赤面させ照れさせることができるだろう。
だが、これ以上続けてしまえば嫌われてしまう恐れもあると思い僕は素直に染夜さんの話題変換に乗ることにした。

「もう少しだと思うよ」
「私もうお腹ぺこぺこだよー!」
「僕もだよ…」

噂をすれば部屋のドアからコンコンとノック音をたて「失礼します」という言葉と共にドアが開いた。

「来たよ牧瀬くん!」
「そうだね」

その瞬間、曇っていた染夜さんの表情が一気に晴れ晴れとし満面の笑みを浮かべてみせた。
それほどに彼女は空腹だったのだろう。
けど、それは僕も同じで顔と声では分からないと思うがそれなりにテンションが上がっていた。

「いっぱい持ってきたー!」
「食べきれるかな…」

その後、女将さんが淡々とテーブルの上に料理を運んでいくと同時に一つ一つ紹介していった。
コース料理もきちんと説明し終えた女将さんは「ごゆっくりどうぞ」と言葉を残し部屋を後にした。

「ねぇねぇ、早く食べようよ!」
「そうだね冷めないうちに」

そうして僕と染夜さんは口を揃えて「いただきます!」と言って食事についた。

「なにこれ!凄い美味しいんだけどー!」
「本当だね。これだったらいくらでも食べられる自信があるよ」
「私もー!まだまだ食べられるよ!」

運ばれてきた料理には見たことの無いものまであり、どれから手をつけようか迷ってしまった。
これまでは食事に関してはあまり興かがなかったが今回は例外だった。
テーブルに並ぶ一面の料理に目を奪われ、様々な食感で食事を楽しませ辺りに漂う香りが鼻腔を刺激させ最大限に料理の良さを引き出していた。
その後も僕たちは時間をかけてコース料理を全て完食し空腹だった胃袋が今では満腹へと変化をみせた。

「あー、美味しかった」
「もう、何も食べられない…」
「そう?私はまだ食べられるけど!」
「…染夜さんって意外と大食いなんだね」
「そうかな」

食事を終えた僕たちは一休みをすることにした。
そんな時ふと、広縁に目を向けるとテーブルの上に何か置いてあることに気がついた。
座っていた椅子から立ち上がり広縁に向かうとそこには、ご自由にどうぞと記載されてるプレートと共に白い器に入ったうなぎパイが置いてあった。
おそらく、ここの旅館に宿泊した来客の方におもてなしと用意されたものだろう。

「染夜さん、うなぎパイがあったけど」
「えっ!食べたい食べたい!」
「それじゃあ、はい」
「ありがとうー」

胃袋の容量は既に限界を迎えているがうなぎパイ一つくらいなら食べられそうだ。
袋から開封し中から取り出すとバターの甘い香りがより一層うなぎパイを引き立てる。
過去に一度だけ鰻を食べたことがあったが、うなぎパイも名前通り鰻の味がするのだろうか。
そんなことを疑問に思いながら口に運ぶ。

「んっ!私これ好きかも」
「なにこれ、凄く美味しい…」

先程の僕の疑問点の答え合わせをすると全く鰻の味はしなかった。
ただ、これはこれでまた違った美味しさがある。
周りについている砂糖の甘さと微かに香るしょっぱさとのコンビネーションが混ざり合いちょうどいい味わいとなっている。
その上、パイ生地のサクサクした歯ごたえが次に手を伸ばしたくなるように思わせ、次から次へと止まらない、言わば無限ループに陥る。

「もう一個貰ってもいい?」
「別にいいよ」

どうやら、早速染夜さんはうなぎパイの虜になってしまったようで食べ終わった瞬間にもう一度手を伸ばし再び口に運んだ。

「確かにこれ止まらないね」
「私なんてもう三個目だよ!」
「…いつのまに」

先程僕の胃袋を限界を迎えもう何も入らないと言ったがこれは例外だ。
まだまだ、食べることが可能だ。
もしかしてこれが、いわゆる"別腹"というものなのだろうか。
今まで別腹というものに出会ったことがなく本当に存在するのかと疑問と不信感を抱いていたが数十年の時を経てやっと今人生で初めて別腹というものに遭遇した。

「僕ももう一つ」

そう思い白い容器に手を伸ばしうなぎパイを取ると、どうやらこれが最後の一個みたいだ。
でも、僕がさっき見た時は七個ほど用意されていた気がしたのだけれど。
そんなことを思いテーブルの上を見渡すと染夜さんの近くに無造作に開封されているからの袋が散らばっていた。

「染夜さんこれ気に入ったの?」
「うん!あっ、ごめん私食べすぎちゃった?」
「ううん、そんなことないよ。美味しかったなら明日の帰りにお土産として買っていこうか」
「牧瀬くんそれはいいアイデアだね!」

そう言って、砂糖がついた手で親指を立て、僕の提案に肯定するかのようにみせた。

「どう?染夜さん満足かな?」
「うん!ごちそうさま」

口の周りに砂糖の小さい粒をつけながら、手を合わせてごちそうさまという染夜さんが凄く可愛らしいと思った。
それから僕たちは談笑を繰り広げたり、互いが持ってきた物で遊んだりと凄く有意義な時間を過ごした。

「あぁー、また僕が負けたぁ」
「牧瀬くん相変わらず弱いね!」
「染夜さんが強いんだよ…」

やっていたゲームも一段落が着き、僕は上に手を伸ばしながら後ろに倒れる。
寝っ転がった状態でスマホに手を伸ばし時間を確認すると九時四十分をまわっていた。
それと同時に僕の目の前に座っていた染夜さんが口に手を当てながら「ふぁわ〜」とあくびをした。

「染夜さん眠い?」
「…うん少しだけ…」
「いつも何時に寝てるの?」
「九時には布団に入ってるかな…」
「ってもう四十分も過ぎてるじゃん」

染夜さんは僕と違って規則正しいようだ。
普段から九時が就寝時間なんて改めて優等生なんだなと感心する。
それに比べ僕ときたら、大体は夜中の三時に眠りにつき、良い時でも一時だというのにそれでも彼女にとっては遅いのか。

「それなら、もう寝ようか」
「えっ、いいの?せっかくの旅行なのに…。私少しくらいなら起きていられるよ…」
「大丈夫だよ。僕もちょうど眠くなってきたところだし」

そうやって僕は平気で嘘をつき、なるべく染夜さんに負担をかけないようにと自分にできる最大限の努力をする。
それに、普段から遅い時間に寝る僕が早い時間で寝たところで特に問題はなく、むしろ規則正しい生活をしていることになる。
だが、染夜さんのように普段からきちんと決まった時間に寝て、規則正しい生活を心がけている彼女にとっては夜更かしというものはとても苦しいものだろう。
睡魔に抗う苦難さは僕でも重々承知している。

「そう?ごめんね…」
「全然いいよ。それじゃあ、布団をひいちゃうね」
「お願い…」

染夜さんはもう既に横にふらつきながらうとうとしている。
今にでも寝てしまいそうなほどに。
こんな彼女を僕の身勝手な行動で夜更かしさせるほど僕の性格は落ちぶれてはいない。
まぁ、仮に相手が松田だったなら話は変わってくるが。
だが、これは断じて差別ではなく歴っきとした対応だ。

「…よし!染夜さんひき終わったよ」
「…ありがとう…」

僕が寝る布団と染夜さんが寝る布団の間には三人ほどが寝そべることができるくらいの距離をとり、この部屋でできる最大限の処置をした。
年頃の男女が同じ部屋で共に一夜を過ごすというのだからこのくらいの処置は必要だろう。
一方の染夜さんは僕の心理なんかには気にもとめずに無防備な姿をさらけ出している。
一応ここに同じ学校の同じクラスの男子がいるにもかかわらず。
他の男子にもしてしまうのだろうかと考えてしまうと本当に心配でたまらなくなる。
ただ、この状況で一つだけ知り得た情報があった。
駅前のあの発言と僕と同室だと告げた時のあの発言を聞いた時は染夜さんはもしかしたら僕のことをなんて確かな根拠もないくせに一人で思い上がっていた。
だが、今ならわかる。彼女は僕のことを意識しているのではなく、むしろその逆で僕を男として見ていないのだ。
だから、あんなにも勘違いさせるような言葉を言ったりしていたんだ。そして、僕が恥ずかしがる声色や口調を聞いて楽しんでいたのだろう。
そんなことを考えていると眠気の限界だった染夜さんがふかふかな布団に倒れていった。

「…牧瀬…くん…ごめん…もう寝るね…」
「あっ、うん。おやすみ」

一応僕も布団には入ったけれど、当然普段から夜更かしを繰り返しているため全く眠くなく今の僕はただひたすらに天井を眺めている状況だ。
そんな時、ふと視線を横にずらし広縁の方を見ると綺麗な満天の星空が顔を出していた。
それと同時に僕はあることを思い出した。
そういえば今夜の十時から十一時の間に流星群が降るんだった。
そして僕は遂に望みを叶えることができるのだ。
以前までは本当にどんな願いでも叶えられる力なんて僕にあるのだろうかと不信感を抱いていたが今は違う。
あの時の出来事は事実だと、あの不思議な夢の中で言っていた言葉は嘘偽りのない真実だとそう信じたい気持ちへと変わっていっていた。
僕は寝っ転がっていた体を起こし、立ち上がった。
隣にいる染夜さんはスースーと微か寝息を立てている。
しっかりと眠っているなと確認し、僕はスマホを片手に持ってなるべく音を立てずに静かに部屋から出た。
仮に染夜さんが起きてしまえば言い逃れをする必要があり、そうなってしまえば間違いなほ僕は動揺をみせてしまうだろう。
そうなればいらぬ誤解をうみ、不審に思われてしまう。
今ここで僕が不思議な力を持っているかもしれないということは染夜さんには絶対に知られてはいけない。
もし仮に染夜さんに気づかれてしまいその事を口にした場合、大抵は信じないだろう。
そうなれば、僕は厨二病でイタイ男だと思われるかもしれない。
その逆も然りだ。
僕の言葉に対し染夜さんが信じてしまえば、人間ではないのかと恐怖心を与えたり、不気味だと気持ち悪がれてしまうかもしれない。
そうなってしまえば、今の関係が崩れてしまうのではないかと不安で仕方がないのだ。
今まで染夜さんと関わってきて、彼女がそんな人ではないということは僕だって知っている。
でも、それでも…、万が一のことを考えてしまう。
染夜さんが僕から離れていってしまったらどうしよう、もう関わることがなくなってしまったらどうしよう。そんな、ことを考えては不安と恐怖で押しつぶされそうなんだ。
僕は絶対に今の日常を手放したくはない。
そんな信念を抱きながら旅館から少し離れた場所へと向かった。


ここなら、外灯もなく星明かりだけが唯一の光。
僕は片手に持っていたスマホを開き時計を確認する。画面には九時五十八分と表示され、流星群が降る予定の時間まで残りわずかとなっていた。
それと同時ほ僕の鼓動は徐々にスピードを上げていき、ドクドクと音を立てていた。
なぜ、こんなにも緊張をしているのだろうか。
僕の大の苦手とする人前に立つことをしているわけでもなく、見られたら恥ずかしいことをしているわけでもない。
僕はただ、星空を眺め、まだかまだかと流星群を待ち望んでいるだけなのに。
それとも、僕の望む願いが鼓動を速くしているのか。
まだ、あの夢の言葉に確信がない以上少なからず不安感があるのかもしれない。
一度心を落ち着かせるため「ふぅ…」と息を整えたそんな時、夜空に一つの流星群が流れた。
そして、その数秒後に次々と流星群が流れていき僕の瞳には夜空に煌めく流星群たちが映しだされた。
その光景に目を奪われ僕は唖然としてしまう。
それと同時にもしかしたら夢の中の出来事は本当なのかもしれないと思えてきて、さっきまであった不安が完全になくなっていた。
どうか、僕の願いを叶えてくださいと心の中で唱えた。
そして僕は流星群が降りそそぐ夜空の下で両手を握り、今の自分の望みを強く強く願った。

"染夜星凪の両目を治してください"

第七章

あたかも、僕のことを見ていたかのように願い終わった数秒後に流星群がピタリと流れなくなった。
特に僕の体に変化はなく本当に願いは叶ったのかと疑問に思う。
僕が勝手にしたことだが、ここまでやらせといて全て嘘でしたなんて言わないよなと多少の怒りも込み上げ今の僕の頭には様々な感情が混ざりあっている。
そんな時、後ろからタッタッタッと走ってくる音が僕の耳に飛び込んできた。
もしかしたら、旅館の受付人が外に出ていく僕を見て不思議に思い追いかけてきたのかもしれない。
確かに未成年が夜中に一人で出かけるのを見てしまえばそう思わずにはいられないだろう。
そう思うとほ僕の鼓動のスピードは次第に加速していった。
焦っている中、恐る恐る後ろを振り返った。
だが、そこには僕が予想した旅館の人ではなく数十分前まで一緒にいた僕のよく知っている女性の姿があった。

「…染夜さん…どうしてここに…」
「それは、私のセリフだよ」

僕の目の前に立っている彼女は明らかにいつもと違っていた。
僕の瞳には両目を閉じていた彼女ではなく、両目を開けた彼女が映っていた。
その、姿を見た瞬間、僕は大きく目を見開き、開いた口が塞がらない。
それと同時に僕の望みは本当に叶ったんだ、あの時の夢は嘘ではなく真実だったんだと心の底から安堵した。

「…牧瀬くん、私…目が見えるの…」

彼女の言葉に対してなんて返せばいいのか分からなかった。
下手に言葉を言ってしまえば染夜さんに気づかれてしまう恐れもある。どうして僕はこうなると考えていなかったのか、前もって返事を決めておけばこうはならなかったのにと過去の自分を悔やむ。
ただ、そんなことを言ってもいられず僕は必死に思考を巡らせ、この状況に適した言葉を探しだす。

「…奇跡…が…起きたんじゃないかな…」

必死に考えたにも関わらず導き出された答えは結局これだけだった。
こんなことを口にしてしまえば誰だって怪しく思うに違いないのに。
だが、僕がそんなことを言っても彼女の表情は変わらず不思議に思う素振りすら見せない。
むしろ、最初から彼女の表情は目が見えるようになったことに対しての歓喜ではなく、今にでも涙を零してしまいそうなほどの切ない表情だった。

「…牧瀬くん。私の目が治ったのは奇跡なんかじゃないよね…」
「えっ、なんで…」

彼女から発せられた言葉が僕の鼓動をより一層加速させた。
やっぱり僕の言葉に対して不思議に思ったのかもしれない。
僕の力がこんなところで気づかれてはいけないと思い必死に言葉を並べる。

「目が見えるようになるなんて、奇跡以上に何もないじゃないか!きっと、神様が治してくれたんだよ!」

彼女を説得させるために発せられた僕の言葉震えていて、口調すらもおかしくなっていた。
額には汗を垂らし、両手は震え、徐々に呼吸が荒くなっている。
こんな姿を見せてしまえば流石にもう言い逃れはできないのかもしれない。

「…違うよね牧瀬くん」

彼女は僕を諭すように語りかけてくる。
言い方から察するに既にもう彼女は気がついているのかもしれない。
僕の表情は次第に暗くなっていき、そんな状況に抗えないと悟り顔を俯かせる。

「…そうだよ。君の言う通り奇跡なんかじゃない」

僕の声色はいつも以上に冷たく発せられ、今の感情を盛大に表していた。

「…どうして、そんな顔をするの?牧瀬くんが私にしてくれたこと全部知ってるよ。むしろ、誇りに思うところじゃないの」
「そうなのかもしれないけど…」

確かに僕が彼女にしたことは誇るべきことなのかもしれない。
でも、そんなことよりも彼女に本当の僕の姿を知られてしまったことの方が重要で一番起こって欲しくない現状に対して悲観に暮れているのだ。

「…私ね、夢の中で牧瀬くんが夜空に向かって強く何かを願っている光景が見えたの。そして、夢が覚めた時、私は涙を流していた」

彼女の言葉は凄く信じ難い。
でも、僕にはそれ以上に不思議なことを体験している。
どんな望みさえも叶えてしまう力があるなら彼女の言うことも嘘ではないのかもしれない。

「私はその時わかったんだ。牧瀬くんが私の目を直してくれたんだって…」
「…なら、どうして…、君は今そんなにも悲しそうな顔を見せるの」

淡々と言葉を並べていく彼女はとても切なく見えた。

「…だって、私は牧瀬くんの過去を知ってるんだよ。私の障害なんかよりも両親を生き返らせる願いの方が君にとっては重要なんじゃないの」
「…それは…違うよ」

確かに僕の望みは最初から彼女の障害を治すことではなかった。
あの日、事故で両親を失い、世界を憎み、絶望に陥っていた。
そんな時、不思議な夢を見て突然、特別な力を授けると言われ僕の頭は混乱の渦に巻き込まれていた。
そして、たとえ嘘でもいいからとあの時の夢は現実逃避をするための幻覚に過ぎなかったて、それでもいいから僕の望みを両親を返してくれという望みを叶えてほしかった。
でも、彼女と出会い時間を共有していけばしていくほど、僕は君を意識し始めた。
そして、気がつくと僕の望みは両親を生き返らせることではなく、君に対しての願いへと変わっていったんだ。
しっかりと、正面から彼女と向き合おう。
今の気持ちを全て君に伝えよう。

「…僕が君の目を治したのは同情でも憐れみでもない。ただ…この力を君のために使いたいと思ったんだ」
「でも、それだけじゃ私の目を治す理由にはー」

僕は彼女の言葉を遮るように口を開いた。

「充分理由になるよ」

今までずっと気づいていないフリをしていたんだ。
その気持ちを認めてしまったら、きっといつか失ってしまうから。それが怖くて僕は現実から目を背けていた。
でも…もうそれもやめにしよう。
今の僕はあの時の僕じゃない。
自分の気持ちに正直に生きよう。
君といた時間が僕にそう思わせてくれた。
君の言葉が僕の世界に色をつけてくれた。
君が僕を救ってくれた。
そう…僕はきっとー

「…好きです。染夜さんのことが…ずっと前から」

僕はその時初めて染夜さんの瞳の色を見た。
ガラスのように透き通った綺麗な瞳を。
僕の言葉に彼女は涙を流し、今までにないほどの笑みを浮かべていた。
その光景は凄く美しく僕の瞳に映っていた。

「…牧瀬くんずるいよ…そんなの…」

彼女は声を震わせながらそう言った。
こんな時に告白するなんて卑怯だったかもしれないとやっと今理解することができた。
この状況で言ってしまえば断るに断れないじゃないか。

「…ごめん染夜さん、今のことは忘れー」

その瞬、僕の視界が一気に暗くなり体に勢いよく衝撃が走った。

「忘れないよ。絶対忘れない。だって…私も牧瀬くんのこと…ずっと好きだったんだよ」

彼女は僕を力強く抱き寄せながらそう伝えてくれた。
僕はその言葉を聞いた瞬間、堪えていた気持ちが溢れ出し僕の頬にひとつの涙が零れ落ちた。

「…染夜さん…それって…」
「なにー、私から言わせるのぉー」
「…そうだね、これは僕から言うべきだ」
「うんうん!」

彼女は目をキラキラ輝かせなが僕の言葉を待っている。
早く早くという圧が伝わってくるほどに僕の目をじっと見つめていた。
そんな、彼女を見た僕もまた自然と口角が上がり、以前とは比べ物にならないほどの柔らかい笑顔を浮かべていた。

「染夜さんとずっと一緒にいたいです。僕と付き合ってください」
「…私、牧瀬くんのことずっと離さないよ。それでもいいの」
「あぁ、君がいい。君じゃなきゃダメなんだ」
「そこまで言うなら私が牧瀬くんとずっと一緒にいてあげるよ」

彼女はそう口にした途端「プッ」と笑いを吹き出した。

「…どうしたの染夜さん」
「…いや、だって牧瀬くんの顔本当に猫っぽいんだもん」
「それ、褒めてるの」
「うん…あたり…まえ…じゃん」

彼女の言い方に多少の悪意を感じた。

「…絶対、嘘でしょ」

彼女は笑い涙を手で拭き取り、僕の目を見つめた。

「本当だよ。牧瀬くんは世界一かっこいい。私が保証するよ」
「そ…それはどうも」
「なーに、照れてんの!」
「…いや、別に照れてないし」

僕は彼女から顔を逸らし何とか誤魔化す。

「ふふん。牧瀬くん残念だったね!そんなことしてももう無駄だよ!なぜなら…私は目が見えるから!」
「…クッ、そうだった」

今までは彼女の目が見えないのをいいことに僕が涙を流そうが、顔を赤くし赤面しようが関係なかった。
だが、彼女の目が治った以上今までの対処法が全て無意味とかしてしまったのだ。
そして、この短時間で僕の泣き顔と頬を赤く染めた照れ顔を見られてしまった。

「牧瀬くん私に褒められるとそんな顔するんだね〜」
「…もう、しないし」
「牧瀬くんかっこいい!」
「はっ」
「ほらー、また赤くした!牧瀬くんわかりやすいね」

彼女はそういいながら僕のことをからかってきた。
でも、以前とは全然違ってなんだか悪い気はしなかった。

「あっ!そうだ、牧瀬くん私いい提案があるんだけど」
「なに」
「私たちせっかく付き合ったんだし苗字呼びやめようよ!」

確かにこれからも今まで通り互いに苗字呼びをするとどこか距離を感じるし何よりも他人行儀な気がする。

「それは、僕も思ってた」
「じゃあ、これからは牧瀬くんのこと未月くんって呼ぶから私のことも星凪って呼んでね!」
「えっ、いきなり呼び捨て!?」

染夜さんとさん付けで呼んでいたぶんいきなり呼び捨てとなると流石に抵抗がある。
それじゃなくても、名前を呼ぶこと自体にも慣れていないというのに。

「当たり前でしょ!やっぱり呼び捨ての方が"彼氏"っていう感じがするし!」
「染夜さんの思う彼氏像ってそんな感じなんだね」
「それに、さんを付けると少し仲が縮まった友達みたいじゃん」

確かにと不覚にと彼女の言葉に納得してしまった。

「…一理ある」
「でしょ。納得したなら早く早く!」
「わかったよ」

しょうがないここは新たな挑戦ということで乗り切るとするか。

「…星凪」
「…改めて呼ばれると照れるね」
「君が急かしたんだろ!」

彼女はわかりやすく顔を赤くした。
そんな彼女にわずかな時間も与えず、次は僕が対抗した。

「ほら、次は君の番だよ」
「牧瀬くんのくせに」
「いいからいいから」

彼女がさっき僕にしたように「早く早く」と急かした。

「…未月くん」
「あれー?なんで今顔を逸らしたの」
「…もう!未月くんの意地悪!」

そういいながら彼女は頬を少し膨らめ、数秒後には盛大に笑ってみせた。

「…ねぇ、未月くん…。私が気づいてないとも思ってるの」
「えっ、なにが」
「さっきから私の名前を言うのを避けるために"君"って呼んでるよね」
「…いや、まぁ…それは」

隠しきれていると思っていたんだけれど、どうやら彼女には通用しなかったみたいだ。

「誤魔化さないで!許してあげるから、ほらもう一回」
「…また、今度ね」
「もう!」

僕にとっては難易度が高すぎる。
レベル一だった奴がレベル三十の敵に勝てるわけがない。
他の人からすれば容易にこなして見せるのだろうけど、名前呼びは愚か、人との関係を数年間断絶していた僕からすれば武器を持たずにボスステージに挑むようなものだ。
彼女には申し訳ないが僕が少し慣れるまで待ってもらおう。

「寒くなってきたしもう旅館に戻ろうか」
「……」
「ん?どうしたの」

僕の言葉に彼女のからの返答はなかった。
その場でじっと留まり、不機嫌そうな表情をしている。

「…未月くん…名前を…呼んで」
「プッ、アハハハ」
「なんで笑うのさ!」
「だって…」

彼女の不貞腐れる表情が凄く可愛くて、ずっとこのままでもいいかもって思ってしまった。
かまってもらえなくて不貞腐れる小動物かのようで凄く愛おしかった。
それと同時に僕が彼女の名前を呼んだら一体どんな表情をしてくれるのだろうと気になったので素直に彼女のご希望に応えよう。

「ほら、行くよ!星凪!」
「はぁ!今、星凪って呼んでくれたー!」

僕が名前を呼んだ瞬間に彼女の表情が一気に明るくなり、そう表すとするならば僕たちの頭上で輝いている星空のようにキラリと輝き僕にはとても眩しかった。

「待ってよー未月くん!」
「いつまでも待つよ」

そうして僕たちの甘酸っぱい告白の時間は終わりを告げ、二人並んで旅館へと戻った。


翌日、僕らは朝食を食べ終わったあと帰りの支度を済まして部屋を後にした。
そして、旅館内にあるお土産売り場に向かいどれを買おうかと選んでいる途中。

「ねぇ、未月くんこれとかどうかな」
「富士サンドイッチ…。なんか斬新だね」

初めて見る食べ物や小物に多少の驚きを見せる。

「未月くんは何買うか決めたの?」
「僕はまだ迷っているんだよね」

せっかく静岡に来たのだからとここでしか買えないものにしようと意気込んでいたもののどれもが珍しすぎて逆に迷ってしまっている。
今回の予定を立てたにも関わらず来ることができなかった松田と河下さんの分もなにか選んでおこう。
そんな時、面白い物を見つけた。

「なぁ星凪これいいんじゃない」
「どれどれ。えっ、なにこれ」
「うなぎ箸だって」
「うなぎ…箸…」

僕が目をつけたのは食器エリアに置いてあったうなぎ箸という商品だ。
そこには、うなぎシリーズといってこれ以外にもうなぎをモチーフとした様々な食器類が置いてあった。
例えば、うなぎパイの形をした小皿やうなぎがミニキャラとかしたコップなど多種多様ものが品揃えよく販売してある。

「よし!決めたこれを松田に買おう」
「何にしたの?」
「うなぎシリーズ三点セット!」

そう、僕が選びに選んだ松田へのお土産は大人気絶頂中と書いてあったうなぎシリーズ三点セット。
その、三点セットにはうなぎのように曲がりくねった実用性があるのかも分からない箸と一見普通に見えるがよく見るとうなぎの顔と模様が入っている水筒、あたかもうなぎが入っているかのような雰囲気を漂わせるが実は内側のデザインがうなぎパイとなっている重箱。
僕はこの商品をカゴに入れて彼女の元へ向かう。

「星凪は何買うか決まった?」
「うん!まずはこれ」

そう言って彼女が僕に見せたものは昨晩数秒で食べ尽くしたうなぎパイの箱だった。

「それ、星凪美味しいって言ってたもんね」
「そう!これを松田くんと恵ちゃんにも食べて欲しくて」
「そうだね。きっとあの二人も喜ぶと思うよ」

二人に渡す前に新幹線の中で彼女が全て食べてしまいそうな気がするけれど。

「それでね未月くん。私もう一つ絶対に欲しいものがあるの」
「どれ?」
「えっとね…これかな」

彼女の両手には色違いのキーホルダーをひとつづ持っていた。
ただ、普通のキーホルダーではなく二つを合わせたら一つのハートの形になるという、いわゆるペアキーホルダー。

「…だめ…かな…」
「全然いいよ。ちょうど、僕もそういうのが欲しいと思っていたところだし」
「やったー!」
「これが最初のペアグッズだね」
「未月くんいいこと言うじゃーん」

彼女は腕を僕に当てながらそう言った。

「じゃあ、買ってくるから商品全部ちょうだい」
「いいよ。私が欲しいものは自分で買うから。未月くんばかりに払わせるのは流石に悪いよ」
「気にしないで。それに、少しくらい彼氏っぽいことさせてよ」

そう口にしたものの未だに星凪の彼氏だという実感がわかず、見事に顔を赤らめてしまった。
でも、実感がわかなくとも昨日の夜、本当に僕らは恋人になったんだ。

「…未月くんがそう言うなら。でも、今度私にも何かお礼させてよね!私だって君の彼女なんだから!」
「そうだね。星凪が僕に何をしてくれるのか楽しみに待っておくよ」
「期待しておいてね!未月くんが腰を抜かすほど驚くことをしてあげるから!」
「腰を抜かすのは嫌だけど大いに期待しておく」

その後、僕は彼女から商品を受け取りレジへと向かい会計を済ませた。

「よし、お土産も買い終わったし行こっか」
「そうだね!新幹線の時間もあるし」

僕と彼女はお土産売り場と宿泊していた旅館を後にした。
それと同時に彼女との旅行の時間が刻一刻と終わりへと向かっていると思うと一気に悲しい気持ちになった。
ずっと終わって欲しくないとそう思った。

「…なぁ、星凪」
「ん?どうしたの」
「また…僕と一緒に出かけてくれるかな」
「深刻そうな顔で何を言うかと思えばそんなこと」

僕の言葉に対し彼女は優しい笑みを浮かべた。

「当たり前でしょ!未月くんが言わなくても私から誘っていたよ」

そんな、彼女の言葉に僕もまた表情を緩めた。

「でも、未月くん!それを言うなら"デート"してくれるかなでしょ!」
「別にどっちでも…」
「全然違うよ!私そこは割り切れないよ。ほら、言い直して!」
「えー、わかったよ。僕とデートしてください」
「いいよ。今度一緒に予定決めて"デート"しようね!」

なぜか、"デート"という言葉だけ強調しながら言っていたような。
その後、僕たちは新幹線に間に合うように駅へと向かった。

「意外とギリギリだったね」
「危なかった…」

時間を確認しながら駅へ向かっていたはずなのになぜだか、出発ギリギリで新幹線へ乗り込んだ。

「あっという間だったね。当日はどうなるかと思ったけど、予想以上に楽しかった」
「未月くん、帰るまでが旅行だよ!だから、私たちの旅行はまだ終わってないよ」
「…それもそうだね」

彼女の言う通り僕らの旅行はまだ終わりを迎えてはいないようだ。
それから、僕たちは二日間の旅行について談笑を繰り広げたり、僕の持ってきたトランプや彼女が提案した絵しりとりなどで目的地の駅に到着するまで時間を過ごした。


やがて、目的地の駅に到着し僕らは新幹線を降りた。
彼女と一緒にいると、どんな場所でもどんな時でも時間が早く過ぎ去っていく。
僕らは改札を抜け、地元への安心感に浸る。

「やっぱり、新しい土地もワクワクするけど、見覚えのある街並みもいいよね〜」
「そうだね。心が安らぐというか」
「この後、どうする?私はまだ時間大丈夫だけど」
「まだ、一緒にいたいって言いたいところだけど、今日はもう帰ろうかな」
「そっか。まぁ、未月くんが私に会いたくなったらいつでも言って!すぐに行くから!」
「その時は僕の方から星凪に会いに行くよ」

そんなことを口にすると「本当に月くんは私が好きだね〜」と茶化すように言ってきた。
それに対抗し「そうだよ。君以上にね」と言葉続け見事に彼女の顔を赤面させることに成功した。
最後の最後まで彼女と楽しい時間を送れ、その上可愛らしい表情まで拝見することができた。

「それじゃあ、また明日ね未月くん!」
「あぁ、また明日」

これで、本当に彼女との二人の旅行の時は終わりを迎えた。


翌日、僕の夢を覚まさせたのは一通の電話の着信音だった。
僕は眠い目をこすりながら、手だけ伸ばしスマホの在処を探す。
その後、親指で応答ボタンを押し電話に出た。

「…もし…もし…」
「未月くんもしかして寝てた?」
「…そうだけど。どうしたの…」

僕のスマホから発せられる声は祖父母ではなく彼女の方だった。

「今日一緒に学校まで行きたいなって思って」
「…別にいいけど」
「じゃあ、私今から未月くんの家に向かうけど大丈夫?」
「…今!?起きたばっかりで何も支度してないから後数分待ってほしい」
「しょうがないなー。じゃあ、ゆっくり未月くんの家に向かうから私が着くまで支度済ませておいて!」
「…えっ、待ってよ…って切れてる」

僕のスマホからは彼女の声はせず、ピロンという電話が切れた音だけがスマホから鳴っていた。
そんなことよりも、早く支度を済まさなければ彼女が僕の家に到着してしまう。
僕は寝っ転がっていた体を勢いよく起こし、ベッドから飛び起きた。
リビングに置いてあった一枚の食パンを手に取り、焼かずにジャムを塗り口に運ぶ。
彼女がいつ到着するかも分からない以上、なるべく最小限の時間で支度を済まさなければならない。
そのため、パン一枚を焼く時間すらも省略するのだ。
洗面所に向かい顔を洗い歯を磨いている時僕はあることに気がついた。
そういえば、彼女は僕の家を知っているのだろうか。
僕は一度、家まで彼女を送り届けたことがあったため、僕は彼女の家を知っているただけれどその逆は無かった。
そう考えると彼女は今、途方に暮れているのではないだろうか。
僕はすぐにポケットからスマホを取りだした。
画面を見ても彼女からの連絡は一切なかった。
もしかしたら、意気込んで僕を迎えに行くと言った手間、僕に電話をかけるにかけられないのだろうか。
彼女にもプライドがあるんだなと改めて実感し、僕は彼女の連絡先に指を伸ばし電話をかけた。
だが、何コール待っても彼女が電話を出ることはなくプルルルプルルルと鳴り響くだけだった。
もしかしたら彼女に何かあったのかもしれないとお思い、一気に体が凍りついた。
その後、僕は家を飛び出し彼女の家周辺を探し回った。
そんな時、片手に持っていたスマホが振動した。画面には星凪の表示されており、僕は瞬時に応答ボタンを押した。

「あっ、もしもー」
「星凪!何かあったのか!無事なのか!今どこにいるんだ!」

僕は彼女の声をかき消すかのように言葉を並べた。

「未月くん落ち着いて!どうかしたの?」
「…星凪」

彼女の声を聞いた瞬間一気に体の力が抜けていった。

「…どうして、電話に出なかった…」
「ごめんね。バックに入れてたら何かの拍子にスマホの電源が切れちゃってたみたいで…」
「…そっか。それなら良かった…。僕はてっきり星凪に何かあったのかと思って…」
「本当にごめんね。未月くんに心配かけて。今度からは今みたいなことにならないようにするから」
「別に星凪のせいじゃないしそんなに気に病まないで。でも…本当に何も無くて良かった…」

どうやら、僕の早とちりだったみたいだ。
僕は両親を失って以来、連絡を取れないことに対し良くない方向へと結びつけてしまう。
彼女なら尚更だ。ようやく、僕を受け入れてくれる人と出逢ったというのにまた失ってしまったら今度こそ僕は立ち直れない。

「それでね、未月くん。よく良く考えたら私未月くんの家知らないんだった」
「…そうだと思って今君の家の近くにいるんだけど」
「そうなの!?それじゃあもうすぐ会えるかも。私もとりあえず家に戻ろうと思って帰ってる途中だから」

その数秒後に後ろから彼女の声が聞こえてきて、僕は勢いよく振り向き、走って彼女の元へ駆け寄った。

「あっ!未月くー」

彼女が僕の名前を呼んだけれどそんなこときにもとめず僕は彼女を抱きしめた。

「…未月…くん…」
「さっきは君は悪くないって言ったけど、僕に心配をかけた分もう少し我慢して」
「本当にごめんね」

そう言ってから彼女もまた僕を強く抱きしめた。
その後、二人一緒で改めて僕の家に向かった。

「それにしても、未月くん寝癖も直さず制服にも着替えずに私を探してくれたんだ〜!それ、パジャでしょ」
「それどころじゃなかったんだもん」
「そっかそっか、未月くんはそんなに私の事好きだったんだ」
「そうだよ。何か悪いか」

そう言うと彼女は多少の同様を見せた後、優しく微笑みながら「私もだよ」と言ってくれた。
やがて僕の家に到着し、途中で中断していた支度を済まして僕ちは学校へと向かった。

「思っていたよりも未月くんの家綺麗でびっくりしちゃった」
「君は一体どんな想像をしていたんだ」
「だって、男の人の一人暮らしって散らかってるイメージだから」
「僕の場合は散らかっていないというよりも物が少ないから散らかっているように見えないだけだと思うけど」

思い返せば、家族以外で誰かを家に入れるのは初めてだ。

「今度は私の家に招待してあげるよ!きっと、おばあちゃんもおじいちゃんも喜ぶと思うし」
「それは楽しみだ」

僕らは学校に到着するまでの間談笑を繰り広げた。


あっという間に時間が過ぎ去り気がつけば教室に着いていた。
ドアを開けた瞬間松田が僕らの元へ駆け寄ってきた。

「どうだった、未月。二人っきりの旅行は楽しかったか?」
「あぁ、そのことに関しては昼休みにじっくりと話してやるよ」
「なんか、圧がすごいんだけど…」

そんな時、ふと彼女に目をやると僕はあることに気がついた。しかもかなり大事なことに。
そして、僕に考える隙も与えずにそれに対して松田が問いかけてきた。

「あれ?染夜が目を開けてる!」
「あっ!これは…その…」

どうやら、彼女も僕と同様にこの状況になった時の対処を考えていなかったみたいだ。
そして、松田から「なんでなんで」と質問攻めをされ、彼女は必死に目で僕に助けを求めてきていた。
僕に任せてと言わんばかりに目で合図をした。

「そう!ごく稀に目が治ることがあるんだよ」
「えっ!?そうなの!俺初耳なんだけど!」

僕が今咄嗟に考えたのだから驚くのも無理はないだろう。
僕は下手すぎる嘘を信じた松田に対して驚くのだけど。

「よかったな染夜!」
「…う…うん!」

これに対しては流石の彼女も苦笑いを浮かべていた。
その後、河下さんも合流し松田と同じ理由で説得させた。
松田と違って、すぐには信じてはもらえず何度か揺さぶりをかけられたが見事に耐え抜き、半無理みたいなところはあったけれど、とりあえず納得させることには成功した。
クラスメイト全員に同じ理由で説明しても必ず疑ってくる人がいると思い、一人一人が納得するような様々な理由で乗り越えた。
それぞれ、説得させた理由が異なるため、いつか食い違い危うくなる時も来るだろうけどその時はその時で未来の自分に任せよう。


何事もなく昼休みを迎えた。
以前ならば購買部でパンを買い、屋上に向かっていたのだけれど今回は違う。
なぜなら、星凪が僕の分まで弁当を作ってきてくれたからだ。
学校に行く途中にその事を教えてもらい、理由を訊いたところ旅行の時に僕が絶賛したのが思いのほか嬉しく「また、作ってきちゃった!」とのこと。

「はいこれ、未月くんのお弁当」
「ありがとう。また今度お礼させて」
「いいよいいよ、お礼なんて」

そんな、僕らの様子を見た松田が何かを言いたげな顔をしていた。

「なぁ未月、なんとなく予想はつくがお前ら付き合ってるだろ」
「あぁ、よく分かったな」
「当たり前だろ!逆にそう思わない奴の方がおかしいは」

僕らから打ち明ける予定だったのだがまさかの松田から先に言われてしまった。

「そんなに分かりやすかったか?」
「あぁ、それはもう。名前呼びになってるし、前よりも確実に距離感が近くなってるし、そして何よりの証拠がそれだ!」

そう言いながら松田が指を差したのは僕が持っている弁当箱だった。

「あのな!友達でそれも異性で弁当を作ってきてもらうこのなんてないんだよ!」
「はぁ…なるほど」
「お前もついにリア充になってしまったのか…」

そう言いながらシクシクと泣き真似をした。

「そう言うけど、松田だってモテるだろ」
「はっ?俺モテねぇーけど」
「いやいや、それはない。いつも、サッカー部の時キャーキャー言われてるだろ」
「あれ、俺にじゃないと思うけど」

どうやら、彼は自分がモテているという自覚がないようだ。
部活の時はキャーキャー人気を浴び、大抵の女子生徒からは告白され、謎のファンクラブすらも存在する。
これだけの証拠があっても尚更モテてないと言い張るのは逆に凄い。
こんなにも鈍感だと誰かに告白されるのではなく、自分から誰かを好きになり告白しない限り一生恋人ができることはなさそうだ。

「あっ、そうだった松田にお土産があるんだった」
「え!まじで!それは普通に嬉しい」
「えっと、これかな」

お土産が入った大きな袋を松田に渡した。

「なんだなんだ」
「多分、気に入ると思う」

松田はニコニコしながら袋から取り出した。

「いや、まじでこれなんだ…」
「よくぞ聞いてくれた。これこそがうなぎシリーズ三点セットだ!」
「そんな言い方されても初めて見るんだけど」

何も理解できていない松田のために一つ一つ丁寧に説明をした。

「是非部活に愛用してくれ!」
「あのさ、一つ言っていいか」
「なに?」
「お前は俺がよく使う物をうなぎで埋め尽くす気か!これじゃ、俺がうなぎ好きみたいになるだろ!」
「プッ、アハハハ!確かに」
「笑うなー!」

せっかく静岡に来たのだからとうなぎシリーズを買ったが言われてれば、水筒に弁当箱、箸という松田にとっては実用性しかない物ばかりだった。
だが、全てうなぎかモチーフとなっているため多少の使いずらさはあるようだ。

「まぁでも、未月がせっかく買ってきてくれたんだし有難く使わせてもらうよ」
「是非ともそうしてくれ」

そうして僕は改めて食事についた。

「未月くん美味し?」
「あぁ、凄く美味しいよ」
「そっか、それなら良かった!」