見落としてしまいそうな小さなそれは、いつの間にかこんなにも大きく育っていたらしい。
■□■
体育祭が終わり、中間テストが終わり、あとは夏休みを待つばかり──だと思っていたが、高校生は思っていた以上に多忙で、既に次の行事へ向け準備が始まっていた。
「飲食店にするなら何がいいか、できればコンセプトも。それから展示やアトラクション系なら、どういうことをするのか。必ずどちらかの案を出すように──」
夏休み明けには文化祭がある。高校行事の三本柱といえるであろう、この大きなイベントを成功させるべく、またもや教室内はざわついていた。
こういった行事に消極的な生徒も中にはいるが、そこは店番のシフトや準備の段階で何かしらの作業を担うことになるので、まったくノータッチとはいかない。
「フランクフルト。楽でいんじゃないか?」
「いや外販売暑いだろ。室内がよくね?」
「じゃあ冷やしパイン。あれうまいよな」
「お前が食いたいだけかよ」
文化祭実行委員がまずクラス内の意見をまとめてどういった模擬店にするか決定し、生徒会とは別に設置されてる実行本部へ計画書を提出しなくてはならない。
その計画書を作成するにあたり、ひとまず出せるだけ案を並べ、消去法で潰していくことになった。僕は安直かもしれないが、自分が食べたいチュロスを提案している。さて僕の案は最後まで残ることができるだろうか。
「安定のお化け屋敷」
「それ、たぶん先輩たちのクラスがやると思う。三年が優先になるじゃん?」
「そっか。じゃあ迷路?」
「いっそ、なんか組んでジェットコースター!」
「だったら観覧車いけるなっ」
男子高ということもあって、手作りの力技になったとしても大概どうにかなる。体力が尽きたら誰かと交代。シフトをいい感じに組めばおそらくどうにかできるだろう。それゆえ可能かどうかは別として、様々な案が挙げられた。
(観覧車……というか、コーヒーカップならできそう。キャスター付けた何かをぐるぐる回してさ)
教室内でやるには難しいことでも、まず案として挙げてみる。一見無謀なようだが代替案さえ浮かべばいけると思う。工夫次第ということだ。クラスメイトのそういったやりとりを見ているのは面白い。
(みんなノリよすぎ)
実行本部で内容の精査や他クラスとの重複を確認し、計画書の申請が通れば準備に取りかかれるのだが、それまでの道のりが長そうだ。だって、みんなすぐ脱線するから。
クラス内の意見が分かれているというより、あれはどうだこれはどうだとなかなか意見がまとまらない。
ちなみに提出した計画書が他クラスと重複した場合、話し合いで譲るかコンセプトに大きな修正を入れることになる。そうなると大急ぎで案の練り直しだ。これがなかなか面倒らしい。何しろこのとき決定した他クラスの模擬店とコンセプトとは被らないように考え直さなければならないのだから。
そういうこともあって事前に他クラスの様子を伺い、計画書提出の段階から重複を避ける。コンセプトが奇抜になるのはそのためだ。
こうして情報収集も含めクラスの話し合いも二回目となり、いい感じに話が煮詰まっていた。僕のチュロス案は早々に脱落してしまったので残念ながら候補ではない。
「仮装してスムージーとクッキーを提供するカフェ系飲食店か、簡単な障害物を作って迷路……の二択が残ったな」
計画書の作成にあたり、ふたつに絞られた模擬店案。ノリと勢いでまとめた計画書では本部のチェックが通らない。という噂があり、現実的な販売予定数や体験展示系であれば改善の余地がないように設計をしなければならない。
どちらにせよ、僕たちにとって初めての文化祭は準備から賑やかで、楽しくなりそうな予感がした。
「決を採るから必ずどっちか手を挙げるように。んじゃ、スムージーの人」
文化祭実行委員の声に僕は挙手した。教室内へ目を向けてみると、目算で半分以上の手があるかな。
『んー、多いな……下ろしていいよ』という委員の掛け声で手が戻された。
「一応聞くけど、迷路の人」
こちらも念の為、確認だ。けれどどこか勢いがなく、挙がった手の数はスムージーより少ない。結果は明らかだった。
「というわけで、うちのクラスはスムージーとクッキーの販売。コンセプトは仮装空間で非日常を楽しもう。でいきます」
実行委員が決定を告げると、おおーっ、という声と共に拍手が湧いた。
それから実行委員が計画書の作成する際、必要な備品の書き出しから手配のアテなど得意分野の面々が相談に乗り、文化祭本部のチェックを無事通ったのは一週間後のことだった。
楽しくなる予感がしたのは誰だ。僕だ。だって、まさかこんなことになるとは思わないじゃん。
「……なんでこうなるわけ?」
「そりゃ言わずもがな。このサイズ入るのが大和田と佐伯くらいだからな」
「まあこんなときでもなければ着ることないんだから。諦めて一緒に着ようって」
「なんで佐伯はそんな乗り気なわけ?」
「えー、そりゃお祭りだから。楽しいじゃん」
楽しいか? そうか、楽しいのか……って、メイド服だぞ。そもそも似合う似合わないはどうでもいいみたいで、カフェだから誰かの姉ちゃんが持っていた(学際で使ったそうだ)メイド服を使うことになり、レディースサイズを誰が着れるか問題が浮上。そりゃあね、多少の着づらさはあれど体型的に細身の佐伯と僕が当てはまるわけですよ。
そして黒子に徹すると裏方全般をを引き受けた竹田が、衣装の分類やサイズ確認を引き受けていた。
放課後。
僕が今袖を通している服。黒いワンピースを土台に白いひらひらしたエプロンが縫い付けてあるタイプで、このレディースサイズが入るかどうか試着することになった。竹田をはじめ裏方の面々が衣装管理するにあたり、これを着れるかどうかで必要なものが変わるから今すぐ着ろとのこと。
姉のいない僕はこういったスカートやお姫様ごっこ、仮装やコスプレには縁がない。せいぜい子供の頃ハロウィンイベントに参加するからと母親に連れられ、マントを羽織ったくらいだと思う。
既にメイド服へ袖を通している佐伯は、くるりと回って裾を翻した。『俺、違和感ねえな』と自画自賛。僕より少しだけ、ほんの少しだけ身長が高く、目にかかりそうな前髪を耳にかけていると、色白なこともあって確かに似合う。自画自賛するだけのことはあった。
「足がすーすーして変な感じする」
「まあ慣れるって」
「そもそも似合わない気がする」
「心配無用。大和田もぜんぜん違和感ないから大丈夫。文化祭なんて俺らが楽しけりゃいいんだよ」
「そうだけど、そうなんだけどさ……」
サイズが合えば誰が着る衣装なのか名前を書いた袋へ入れるなりハンガーへタグを付けるなりして、文化祭当日までクラスに割り振られた備品保管部屋に入れておくという雑な運用だ。何しろ高校生の文化祭。だから提供された衣装は安価なものが多い。言い換えれば布地がペラペラしていた。
風呂に入るときの全裸や着替えとは違い、布があるのに足と足が擦れる感覚はなんというか心もとなかった。いつもどうやって立ってたっけ。足を閉じればいいのか肩幅で開けばいいのか正解がわからず、心もとなさを埋めるために自分で自分をぎゅっと抱きしめた。
「自信持てって、似合うから。あ、小笠原だ……うえー、すげえ。似合いすぎ」
「え?」
佐伯が言うところの自信とやらは何に対しての自信なのか聞き返そうとしたら、僕の後ろへ目を向け『小笠原』という名前が出てきたことで問うことはできなかった。
(う、わっ……)
僕も後ろを振り返った。
かき集めた衣装や仮装道具の中から各自好きなものを選んでよいことになっている。着たいものがなければ『こういうの持ってないか?』と誰かに言って数日待てば、どこからともなく入手できた。
奇抜な衣装は面白がられ『お前が着るべき』なんてそそのかされた奴が着る場合もあるが、どちらにせよ小笠原にこれを勧めたのは誰なんだ。似合いすぎて、思わず僕は固まった。
「大和田?」
白シャツに黒のベストみたいなのと長いエプロン。それから蝶ネクタイもしている。これはテレビで見たことがあるやつだ。
都会のオシャレな雰囲気のいい店で、カフェ店員として立っていそう。というか、こういう服を高身長かつ体の厚みがある小笠原が着るとパリッと感が半端ない。めちゃくちゃかっこいい。
クラスの模擬店がカフェだから仮装というよりそのまんまだけれど、それにしたってよく似合っていた。感心と感動のまざったものが自分の中でもにょもにょしてよくわからない。
だから小笠原の姿に気を取られ、このとき自分がどういう格好をしているのかすっかり忘れていた。
僕を見た小笠原も、一瞬驚きの顔をしていたのだ。
「似合う、って言っていいのかわからないけど。かわいいな」
「かっ、……!」
からかうでもふざけるでもなく、いつもと同じように優しく笑って言うから、僕の何かが間違えた。
かわいいって、言った?
小笠原が僕に言うはずのない単語が聞こえてきた。だから動揺して言葉が詰まったせいで声にならなかった。咄嗟に反応できなくてどこかの伝達で誤作動を起こした。
ちがうちがうちがう。そうじゃない。
顔が勝手に熱くなるし、じわじわ変なものが込み上げてきて、堪らず僕は自分の顔を両手で覆った。
ここは『そうだろ、かわいいだろ』とか小笠原の言葉に乗るべきで、反応を間違えている自覚はあった。けれどもうどうにもならない。
「うわー、大和田が照れてる〜」
「うるさい、違うっ」
「耳まで赤くなってるじゃん。そっかそっか〜」
佐伯、覚えてろよ。
恨めしく思いながら、カッカと熱くなる顔はどうにもならない。落ち着け落ち着けと祈るような気持ちで願うが、何を落ち着ければいいのか途中でわからなくなる始末。
ドクドク鳴る心臓か? ドクドクしなくなったら止まるじゃん、なんて自分にツッコミを入れた。もう頭の中はごちゃごちゃだ。
僕がこんなことになっている原因は小笠原の一言だ。感情を乱されるってこういうことかと体験してしまった。恥ずかしい……いや、それとはちょっと違う。佐伯に言われてもなんともなかったのに小笠原だからなのか? なんなんだこれ。
慌てふためく僕の様子をどう思っただろう。きっと真に受けてバカだなって、そんな風に思われたに違いない。
ごめん、間違えたんだよ。本当は軽く躱せばいいのに動揺しちゃって、おかしな反応してしまった。
ここは切り替えてすべてなかったことにしてしまおう。いつもと違う格好をしていたから見られて動揺した、みたいな。何もかも気のせいだ。忘れてくれ。
そう思って顔を覆っている手を外した。
「はっはーっ 着たことないから、さ」
「……ちょっと、大和田借りるわ」
「どうぞどうぞ」
「なっ、!」
どうして佐伯が了承するんだ。意味がわからない。
言葉の途中で遮られたかと思うと、大和田は僕の手首を掴み、本人の同意を得ることなくすたすた歩きだした。
「ちょっ、小笠原!?」
歩幅がかなり違うため、小走りでついていく。というか、引きずられる勢いだ。
『え、どういうこと?』って後ろを向いて投げた僕の声は、誰も拾ってくれない。ただ佐伯に向けた疑問だらけの視線に対して、ひらひら手を振りながら『がんばれー』なんて意味のわからない声援が送られた。