「ありがとう」を伝えたくて

「失礼します。三年八組の下原ひなたです。伊藤先生に用があってきました。」

お昼休憩の後、私は
気候変動の要因の一つとなっているであろう、暖房とストーブの同時利用の達人たちが集う職員室のドアをノックする。

「あぁ、下原さん。よろしくお願いします。」

ドアに駆け寄ってきた伊藤先生は、いつものような威厳をまとっておらず、
私は少し驚く。

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

一礼する私に、伊藤先生は職員室の中にある自分の席の近くを指で示す。

「あそこの窓際が私の席なので、そこで練習でもいいですか?」

(え、職員室の中で面接練習するの?)

「私としてはどこでも大丈夫ですが…他の先生方のご迷惑とならなければ、大丈夫です。」

大丈夫、を二回繰り返し使わないといけないほど、
大丈夫ではないこの状況に、私は戸惑う。

そんな私をよそに、伊藤先生は笑って言う。

「迷惑にならないですよ。どの先生方も下原さんに期待しているのでね。
それに、廊下で練習となると寒いですし。」

きっと後半部分が本音なのだろう先生に仕方なくついていく。
これが、俗にいう上下関係だ。

「志望動機、活動実績…と。そうですね、はじめましょうか。」

「はい。お願いします。」

職員室の注目が少なからず集まる中、練習が始まった。


「うん、下原さんは大丈夫ですよ。」

「え、大丈夫、ですか…?」

面接練習が終わって職員室を出ようとしたところ、伊藤先生が声をかけてきた。
その言葉の意図がわからなくて、黙ってしまった私に伊藤先生が続ける。

「下原さんにとって、大学受験は、今まで勉強してきた目的ではなくて、
通過点なんだってことがよく伝わりました。」

(…?それっていいことなのか?)

「そうですね…。私にとっては、大学は必須ではなくて、夢を叶えるために必要な手段だったっていう感じだと思います。」

「そうそう。人生、いろんな生き方がありますからねぇ。
いろんな手段で楽しんでいってください。では、また次回の練習で。」

最後は謎の人生観で締めくくられ、私は返事の言葉が見つからず、
「また次回、よろしくお願いします。」
と答えるしかなかった。


「お疲れ様。」

面接練習を終えて教室に戻ってきた私に、星宮君は声をかける。

「うん、ありがとう。」

さっきまでの先生の言葉が頭から離れない私は、気を取り直して、英語の問題を解き始める。

「下原さんって、今、面接練習だよね?」

「うん、そうだよ。」

「面接って、英語なの?」

「いや、日本語だけど…」

私が海外の大学を受けると思っているのかと、
星宮君の質問が引っかかる。

「え、どうして?」

「いや、だって英語の問題解いてるから…」

星宮君に言われた通り、今私の手元にあるのは推薦で受ける予定の大学の赤本。
ただ、筆記試験の問題だから、推薦で受かれば本番解くことはない試験の過去問だ。

「赤本解くのに、理由はいらないよ。」

(いつか、志望大学じゃない大学の問題を解いてた誰かさんみたいにね。)

「それに、英語の問題、私は結構好きだし。」

ほぼ息抜きなんだってことも付け足す。

「いや、俺だったら面接練習だけで、手一杯。」

お手上げ、とでもいうようなポージングで星宮君は言う。
そういう彼は普通に一般選抜なんだって思い出し、大変そうだなと思う。

(落ちたら私の方が大変だけど…)

「まぁ、お互い自分らしく受験していけばいいしね。
推薦だからどうとか、一般だからどうとか、あまり関係ないし。」

その大学に入りさえすれば、あとは何でも自由だし。

そう思った私に、星宮君は付け足す。

「それに、自分らしく闘った方が勝つ確率あがるしね。」

満足げに赤本に向き直り、ペンを走らせる星宮君の横顔に、
目が釘付けになる。

(私らしく、か…)

伊藤先生が「下原さんなら大丈夫」と言ったのは、
私らしさ、が私の言葉、態度、姿勢を通して相手に伝わっているからなんだと
今更思い当たる。

人と話すこと、関わることが不思議と苦ではなくなった自分が、
受験の手段として「面接」を使うことは正解なのかもしれない。

そんな風に思えて、なんだか安心する。

私にとっては、
残すところあと二週間足らずとなった朝学習。

こんな風に、言葉を、考えを交換する相手がいることを大切にしようと思った。
「お疲れ様。」

「うん、ありがとう。」

普段のように教室に入ってきた私に、
星宮君は「おはよう」の一言よりも先に「お疲れ様」と言ってきた。

「面接、どうだった?」

「うん、楽しかった。」

「…遠足の感想?」

東京での面接を終えて、戻ってきた私は、
星宮君の指摘通り「遠足」のように楽しんできた気がする。

付き添いで一緒に来てくれた母と二人で新幹線に乗り、
試験会場近くのホテルに泊まり、次の日に受験。
受験が終わったあとは、東京観光(プチ・春休み)を満喫し、父が待つ自宅に帰る。

そんな受験が楽しくないわけがない。

「だって、面接とか、将来私が授業を受ける教授さんと話せるチャンスだよ!
すごいよ、こんな受験生のために時間を取ってくれてさ。」

「…うまくいったのならよかった。」

「うん、なんか話しすぎた気もするけど…」

「いや、下原さんの良さは話したほうが伝わるからいいよ。」

「え、なにそれ。」

「ほんと、ほんと。」

私の感想を一通りきいて、冗談を言う余裕もできた星宮君に目をやる。

東京での面接を終えて、気分が上がっている私が
勉強モードの星宮君の邪魔をしてしまっては元も子もないと、口をつぐむことにする。

「でも、朝学習は続けるんだよね?」

黙って席についた私に、星宮君が話しかける。

「うん、そうだね。
だって、これで落ちてたら合格発表…
あ、不合格発表の一週間後ぐらいには一般試験があるからね。」

「いや、大丈夫でしょ。」

「念には念を、だよ。」

使い方が合っているのかわからない日本語を引用してみる。

「そっかそっか。じゃあ、これからもよろしく。」

「うん、こちらこそ。」

朝学習フレンズ、な私と星宮君は、朝学習がなくなったら
つながるものが消えてしまうのかと思い当たる。

そう思うのは少し悲しいけど、仕方ない。
人間はみんな、目的を持ってつながっている。

私は最初、星宮君にとって「勉強を教えてくれる人」のはずだったけど、
今では私の方が星宮君の言葉に支えられている。

そんな気が、する。

「以上、320名。卒業生、起立。」

ザッ。

「気をつけ、礼。」

「卒業生、退場。」

音楽の先生が奏でる校歌を背景に、私たちは後輩たちがつくった花道を歩く。

一組から順番に退場していき、
体育館には八組が手持ち無沙汰に残っていた。

春の風に揺れながら、
高校生活への憧れや期待を胸に、入学式に出席したことが昨日のように思い出される。

受験も、「合格発表」も終えた私は早く大学に行きたい、
なんてはやる気持ちを抑える。

まだ、卒業式は終わっていない。
家に帰るまで、私は高校生なんだ、と考えているところで先生の言葉を思い出す。

「推薦で受かっても、一般で受かっても、
書類上は三月三十一日まで、高校生です。」

つまり、三月いっぱいまで学割が使えるな。
映画でも観に行こうかなと予定を立てようとした私に、
隣の星宮君が「大学生でも学割は使えるよ。」と教えてくれた。

それならばと、電車の定期券を使って、
定期券区間内でお出かけしようと気を取り直したつもりが、
この田舎町にはなにもないという現実が頭に浮かぶ。

私は、高校の思い出の中に、いつでも星宮君の姿があることに違和感を覚えることもなく、
ただ、それが当たり前になっていったのだと気づく。

(それも、今日でおしまいか…)

高校の卒業式は、基本三月初め、合格発表前に行われる。
ただ、私の高校は「自称進学校」であることを忘れてはいけない。

他の「進学校」と卒業式をずらすことで、
なんのメリットがあるのか今ひとつわかっていないが、
八組のクラスメイト曰く「プリクラが空いてるから、ラッキー」だそう。

(星宮君、大学どうだったのだろう…)

お互いの進路について、秘密、を貫き通したおかげで
星宮君は、私の大学を知らないし、
私も、星宮君の大学を知らない。

今更だけど、気になる。

毎朝勉強していた星宮君なら第一希望に受かってるはず、
星宮君がいく大学は私のと近いかな、
とか無駄に考えていると、八組が退場する番がまわってきた。


花道をくぐると、保護者席があり、そこに母と父の姿を確認する。
卒業式、なんていう学校行事だからと二人とも仕事を休んで駆けつけてきてくれた。

そんな母の目には涙が…なんて言えたらドラマチックでカッコ良いのだけど、
私の母はいわゆる「強い母」なので、涙どころか満面の笑みを私に向けている。

その隣でカメラを構える父は、私の顔を見るとすぐ手を振ってきて、
映像がガタガタになっているだろうなと苦笑いする。

いつもの二人が、私の卒業を祝ってくれている。
卒業というよりも、卒業後に向かう先が確定しているから、
喜んでいるのかなと、今月何度目かの自惚れに浸る。

体育館を出るとすぐ、
まだ咲いていない桜の木が目に入る。

(来年の春、この桜の木を自分はどんな思いで見つめているのかな…)

なんて思っていたあの四月。
私は、林さんとも、五十嵐君とも、星宮君とも出会えるとは思っていなかった。

ただ、「受験」に没頭する一年が始まるものかと思っていた。

私とは違う、とレッテルを貼っていた林さん。
話してみると意外と国語が好きで、
好きなものを好きと言える子で、
そして、自分よりも友達のことを考えられる素敵な子だった。

生徒会長、に誇りを持っている五十嵐君。
最初は、眼鏡をかけた高身長の目立ちたがり屋さんだと思っていた。
だけど、本当は「生徒会長」という肩書きを利用して、
ただ周りを楽しませようと頑張っている人なんだって気づくことができた。

この二人の「知らなかった側面」をみることができて、
今までは縁がなかった「スクールカーストの上位層」と関わることで、
少しずつだけど、私が私のままでいてもいいって思えるようになった。

消したい過去もあるし、出会いたくなかった人もいっぱいいる。
そんな自分が嫌になっていた時期もあったけど、今は違う。

この世界は、本当にいろんな人たちでできていて、
その一つ一つ、一人一人が出会ったり、関わったりすることで「今日」がある。

そんな当たり前のようで、目を背けてしまっていた現実に気づかせてくれた人。

それは、私に毎朝関わってくれていた星宮君、だったのかもしれない。

私のどこをどう見て「友達」という肩書きを背負うことにしたのか、
私にはまだわからないし、もうこれからわかることもない。
それでも、キャラ設定をいつの間にか忘れてしまっていたこと、
過去も未来も共有して大丈夫だと思えたことは、星宮君おかげだと思う。

いつか伝えることができなかった、
私の心にある気持ちを伝えたい。

星宮君がいなかったら、「私」はいないって、
言葉にしないと気が済まない。

渡り廊下を横切って教室に戻ってから、
私は隣の席に座る星宮君に話しかけるタイミングを伺ってばかりいる。

話しかけるタイミング、なんて気にするのは今日が最後の日だからなのだろうか。
目の前で卒業生に向けたスピーチを披露する小谷先生の話を半分聞きながら、
私はいつ話が終わるのか、なんて失礼なことを考えている。

「それでは、みなさん、最後のHRを締めくくりたいと思います。
ご卒業、本当におめでとうございます。」

このクラスで今一番泣きそうになっている小谷先生は、声をくぐもらせて
最後のHRを終わらせた。

その一声に、三年八組は口々に、「おめでとー」「またあおーね」「え、遊び行こっ!」「髪染めよ!」と卒業生らしい声をかけ合いはじめる。

どこか顔を綻ばせた星宮君に、
私は思い切って話しかける。

「星宮君。」

今日で、この名前を呼ぶのも最後なのかと、
勝手に切なくなる。

「うん。」

まるで、私に話しかけられるとわかっていたかのように
落ち着きはらった星宮君が私と目を合わせる。

「…あのね。」

「うん。」

「卒業、おめでとう。」

「はは、うん。ありがとう。」

思っていた言葉とは、違う言葉が私の口から滑り落ちる。

「下原さんも…」

「晴輝っ!みんなで写真とろーぜっ!」

星宮君の言葉を、いつものように五十嵐君が遮る。

「ちょっと、颯太ぁ!一人で突っ走らないでよ!」

その五十嵐君の後を、林さんがついてきてくる。

「ひなたも、一緒に写真とろ!」

さっきまで五十嵐君に使ったボイスをどこに置いていったのか、
林さんは私に明るい声をかける。

「うん、ありがとう。」

きっと、この前までの私だったら「え、いいの?」なんて訳のわからない返答をして、
林さんに「え、いいの?ってなにが?」とツッコまれていたのだろう。
私の返事に満足した林さんは、黒板の前にすらりと移動する。

「Congratulations!」

朝、いつものように早く学校に着いた私と星宮君が描いた
黒板アート、と呼びたいものを背景に、林さんに続いて五十嵐君、星宮君も並ぶ。

「ほら、下原さんも。」

星宮君に手招きされた私は、
五十嵐君のいう「みんな」に私も含まれていることを思い出す。

「あ、うん。」

そう言いながら教卓の前に立った私に、五十嵐君がハッと驚いた顔をする。

「え?どうしたの?」

私が隣に立ったことを嫌とでも思ったのかな、なんて不穏なことを考える。

「俺さ…」

卒業式には似合わない険しい顔をした五十嵐君の言葉を待つ。

「大学、受かった。」

「「「え、」」」

(そんな大事な連絡を、今、写真撮る前に言う?)

林さんも私と同じことを思ったらしく、動揺を隠せない。

「え、受かったって…颯太が?」

「いや、他に誰の話だよ。失礼なやつだな。」

「だって『大学に行く』って、真面目に受け取ってなくて…」

「…もっと失礼なやつだな。」

相変わらずの二人のやりとりをただ眺めることしかできなかった私を、
星宮君の言葉が助けてくれる。

「おめでとう、五十嵐。」

「おうよ。」

皮肉る林さんとは対照的に、ただ「おめでとう」と笑う星宮君に、
五十嵐君は満更でもない様子。

(そうか、こういう時は、「おめでとう」と言うのか…)と気づいた私も星宮君に続く。

「おめでとう、五十嵐君。」

私の言葉に、五十嵐君はまた笑顔になる。

「いや…」

笑顔と裏腹な言葉が飛び出してきて、一瞬思考停止する。

「下原さんこそ、ありがとう。」

「え?」

まだ思考停止状態なのか、ありがとうと言われる筋合いを思いつかなくて戸惑う。

「ほら、あの時、って励ましてくれたから、ちゃんと目指せたんだよね。
だから、ありがとう。」

そう言って笑う五十嵐君は、
今まで見た五十嵐君の中で一番清々しくて、なんだかカッコよかった。

「うん。こちらこそ。」

こういう時は素直に受け止めた方が、特に相手が五十嵐君の場合だとそうだと思い、
頷いておく。

「え、颯太、どこ行くの?」

いまだに信じられないのか、林さんが五十嵐君に尋ねる。

「九州。」

「九州っ⁈」

短く答えた五十嵐君のセリフを、林さんがリピートする。

「いや、俺海好きだからさ。」

てへっと頭をかく仕草をする五十嵐君。

「え、でも九州って遠いよ…」

大学進学、という衝撃告白に続いて、
日本だけど、本州と繋がってはいない場所を選んだ五十嵐君にショックを受ける林さん。

「遠くない遠くない。飛行機でビューンって飛べばいいし。」

なんの問題もないかのように口にする五十嵐君。
まだ安心しきっていない林さんに五十嵐君は続ける。

「大丈夫。月一で会いにくるから。」

「ほんと…?」

「俺、嘘はつかないからなっ。」

もうほとんど涙目の林さんを五十嵐君がなだめていると、
教室から「ヒューヒューッ」「イチャイチャすんなってぇ!」と茶化す声が聞こえる。

黒板の目の前で何をやっているのかと、今になって私たち四人をメタ認知する。
確かに、卒業式でお別れを嘆く姿は嘲笑の対象だろう。

ただ、それよりも…

「え、五十嵐君と林さんって、そういうこと…なの?」

私は星宮君に近づいて、小声で尋ねる。
目を丸くした星宮君に、しまった…と思った私だったけど、

「え、下原さん、気づいてなかったの?」

と逆に質問された。

「気づくも何も…え、『幼馴染』じゃなくて?」

「んー、名前をつけるなら『カレカノ』が正解かも。」

(一年間、同じクラス、同じ空間にいたのに、私って鈍感…?)

五十嵐君の大学進学、そして五十嵐君と林さんの「意外な」関係に、
今日はお腹いっぱいだと思う。

「…いや、やっぱいい。」

「え?」

林さんの一言に、教室も、そしてその言葉が向けられた五十嵐君も黙る。

「え、ゆり、どういう…」

月一で会わなくても大丈夫、という意味に聞こえたのか、
五十嵐君はあたふたする。
そんな、五十嵐君に、林さんはキッパリと言い放つ。

「私が、颯太に会いに行く。」

「へ?」

「うん。」

五十嵐君をはじめ、私も、クラスメイトも
ホッと胸を撫で下ろしたことが空気で伝わってくる。

「うん、わか…」

「それで、私に九州を案内してよ。」

「え?」

林さんのセリフに、私たちは混乱する。

「だって、こんな田舎町で待ってるだけじゃ嫌だし。
颯太のいるところに、私が行った方が早いよ。」

いつもの元気さを取り戻した林さんが答える。

「お前…」

「それに、ゆりがそっちに行ったら、
月一じゃなくても会える…でしょ?」

きっとクラスの人たちには届かないような小さな声で、林さんは付け足す。

(九州観光、なんかじゃなくてそっちが本音なんだろうな)
恋する乙女を目の前にして、私はキュンとなる。

顔を赤くして小さくなる林さんの頭を
「おうよ。」と五十嵐君はその大きな手でポンポンと叩く。

「…っ!ヘアが崩れるっ!」

「ごめんごめん」

触れられたところを手で抑える林さんに、五十嵐君がぶっきらぼうに謝る。

林さんとの会話が終わったのか、
五十嵐君は私たち二人に向きなおる。

「…それじゃ、写真、撮る?」

「そうしよっか。」

なんのためにこの四人が黒板の前に集まったのか、
ようやく思い出した五十嵐君はスマホを構える。
その様子を見て、私が今星宮君の隣に立っていることを思い出し、
林さんの隣に移動しようとする。

「いくよー」

五十嵐君の声がすぐに飛んできて、私は移動を諦める。

「はい、チーズ!」

パシャッ。

「どれどれ…」

撮った写真をすぐに確認するのはいかにも「高校生」という感じがして、
最後の高校生を噛み締めている感じがする。

「ハハハッ」

写真を見てすぐ笑い始めた五十嵐君。

「俺の口、にこりじゃなくて『ズ』って言ったせいで、
キスする時みたいになってるっ」

自分の顔にツボったのか、笑いがとまらない五十嵐君。

「え、ちょっと!せっかくの写真なのに〜。
撮り直そっ!」

写真を確認した林さんは撮り直しを勧める。

「いや、そのままでいいよ。」

「え?」

星宮君の言葉に、林さんは納得しない。

「そうだな、晴輝のいう通り、このままにしとこ。」

五十嵐君は星宮君に賛同する。

「そっちの方が、俺っぽいし。」

「…確かにね。」

「っなんでそこは否定しないんだよ!」

「ゆり、嘘つかないから〜」

どこかで聞き覚えのあるセリフで、林さんは言い返す。

「じゃあ、写真はこれで。」

「おうよ、ありがとなっ!」

後で送っておくから、と言い残して五十嵐君は林さんと教室を出る。

星宮君と二人、手をひらひら振りながら見送る。

「意外とお別れってあっさりしてるね。」

「…それ、同じこと思った。」

九州に行く五十嵐君と再会するのは、
限りなく可能性が低いのに、立つ鳥跡を濁さずかの如く消えていった五十嵐君。

それくらい、振り切って生きていった方が楽なのかもしれない。

ピコンッ。

LINEの通知音が私のスマホと、星宮君のスマホで同時に響く。

「じゃあ、また会おう!」

きっと送られてくることは最後なのだろう生徒会長のスタンプと共に、
先ほど撮った写真がメッセージ画面に表示される。

ありがとう、の意味を込めてグッドマークのリアクションをつける。

そこで、星宮君に伝えたかった言葉を思い出す。

もうすでに帰りの用意を整え、卒業証書の筒を片手に持つ星宮君に、
「あのさ」と声をかける。

すでにデジャヴな光景に飽きず、星宮君は私に視線を合わせてくれる。

「私、星宮君に伝えたいことあって…」

言い出しから重々しい空気を出しまくった自分に、
遅い緊張が走る。

「なんでもないんだけど、この一年間、ありがとうって。」

「ありがとう?」

私の言葉をそのまま受け止めない星宮君は尋ねてくる。

私は、星宮君に「ありがとう」というべき理由を探し始める。

「だって、星宮君がいなかったら、私は林さんとも五十嵐君ともここまで話せてなかったよ。それに、星宮君のおかげで高校生らしいこともたくさんできた。あとは、朝学習のおかげで、勉強もできたし…」

「いや、全然俺のおかげとかじゃないよ。」

「そうだよ。」

いつまでも謙遜し続ける星宮君に私は声を張り上げる。

「星宮君は、星宮君が思ってるよりも、私にとって大事な人だったよ。」

「え?」

きょとんとする星宮君に私は続ける。

「いつかの人権学習の班活動、覚えてる?」

「ああ、あの『暇じゃないからいじめない』の話?」

私の突拍子もない標語を思い出したのか、星宮君は笑いはじめる。

「…標語のことはいいから。」

じゃあ、一体なんのことなのか?
自分でもわからなくなる。

ただ、あの時、星宮君が話を遮ってくれなかったら、
私は思い出したくもない過去を抉られていたのだろう。

「いじめとか、私、苦手な話題なんだよね。」

「得意な人、いないと思うけど。」

「そうだけど…でも、」

「でも?」

「私の話をしなくて済んだから、助かった。」

「…なら、よかった。」

まだ私の言葉に納得いっていない様子の星宮君が頷く。

思い返すと、ちょうどあの人権学習以来、
星宮君は私にかまってきたのかもしれない。

私の思い出の景色にいつも星宮君の姿があって、
その存在に付随するように、林さんも五十嵐君も立っている。

「星宮君って、本当に『ヒーロー』みたいだね。」

「『ヒーロー』?」

さらに困惑する星宮君に私は続ける。

「だって、私、自分がこのクラスで生きてけるって、全く思ってなかったから。
星宮君が引っ張ってくれたおかげで、なんか…」

このたくさんの日々に当てはまる形容詞が思いつかなくて、
私は頭の辞書を引き出す。

「楽しかった?」

「うん、楽しかった。」

星宮君の言葉に私は同意する。

このまま何も言えなくなった私に、ただ時計の針が回っていくだけ。
星宮君も、私の会話の続きを促さない。

「じゃあ…」

沈黙に耐えきれなくなった私が口をひらく。

「またね。」

「また」会えるなんて確証はどこにもないのに、
私一人勝手に「また」によがる。

「うん、また。」

どこか清々しい顔をした星宮君が私に手を振る。
その顔を見るのは今日で最後なのか、なんて思うと、なんだか切なくなる。

「元気でね。」

頑張って笑顔をつくって、私も手を振り返す。

そんなぎこちない笑顔に満足したのか、
星宮君は歩き出す。

その後ろ姿を眺めていたら、
ポケットに入ったスマホが振動し、私はポケットに手を入れる。

「ひなた!今どこにいる?」

早く帰りたいのだろうか、卒業式に来ていた母からのメッセージだった。

「今、教室。」

短い言葉で返信をすると、
すぐに既読がつき、お腹を抱えたクマのスタンプが送られてくる。

「早く帰ろー!」

お腹が空いて早く帰りたがっている母の姿がありありと浮かび、
思わず笑ってしまう。

「ちょっと待ってて」と返信してスマホをしまう。

顔を上げると、もうそこに星宮君の姿はなかった。
エピローグ

『ヒーロー』なんかじゃない。

俺は、救ったんじゃない。
救われたんだ。

  ***

父親の海外赴任が決まったのは、小学校四年生の時。

毎年変わるクラス、馬鹿馬鹿しい校則、
背中にのしかかるランドセルの重さにようやく慣れた頃だった。

親は、俺の学校のことなんて気にも留めず、
「夏休み明けから、ハンガリーに引っ越すの。」と淡々と告げた。

海外の学校は9月入学システムをとっていることが幸いし、
編入することになんの不安もなかった-勉強に関しては。

クラスメイトからもらった寄せ書きと、花束を片手に帰り道、
泣きじゃくる夕梨亜とそっぽを向く五十嵐に別れを告げ、そのまま車で空港に向かった。

ハンガリーに赴任となったのは俺の父親だけじゃなかったらしく、
空港で会社の人たちと待ち合わせをした。

「俺、そらっ!蒼に空って書いてそらっ!よろしくな!」

父がスーツに身を包んだ上司に挨拶をするのを見ていた俺に、
さっきまで上司の横にいた子が話しかけてきた。

「お前は?」

「え?」

急に名前を紹介され、手を差し出すその子に戸惑っていた俺の横にその子は立つ。

「な、ま、え!教えてよ。」

「はるき。えっと…晴れに輝きって書いてはるき。」

差し出される手にたどたどしく右手を重ねる。

「はるきか!いい名前だな!」

ニカッと笑ったその少年、蒼空は、同い年に見えなく、
大人な握手をしてきた。

(さすが、偉い人の息子…?)

さっきから丁寧な日本語でゴマをすり、ペコペコ頭を下げている父を横目に見る。

「ところでさ」

視線を逸らされたことが気に食わなかったのか、蒼空が口を開く。

「晴輝は何年?」

「え、四年です。」

年上なのか、なんのかわからないからとりあえず無難に敬語を使った俺に蒼空は言う。

「なんだ、同い年じゃん。」

そう言って笑う蒼空はどこか嬉しそうだった。

「じゃあ、クラスでもよろしくってことで。」

手をひらひら振り、父親の方へ駆けていく後ろ姿が、どこか頼もしかった。


ハンガリーに着いてもいないのにハンガリーでの友達ができた俺は、
一週間後の初登校でも、蒼空が隣にいたから、何も困らなかった。

インターでは、四年からの編入生として俺と蒼空だけだったからか、
他のいろんな国からきたクラスメイトはとても優しかった。

日本のアニメが流行っているおかげで、
話題には困らなかったし、カタコトの英語でも、なんとか通じた。

俺と蒼空はいつも一緒で、登下校も、グループワークも、昼食も、
当番も、委員会も、なんでも一緒にした。

学年を重ねるごとに難しくなってくる英語での授業に危険を感じ、
俺と蒼空は放課後まで残って勉強会をし、翌朝には授業の予習を交換しあった。

蒼空のおかげで、俺は学校が楽しかったし、
蒼空もそうだったと思う。

親友、だった。


そんな平和な学校生活が変わったのは、
俺たちと同じ日本からの編入生、海斗がやってきた中学一年の九月だった。

蒼空のことだから、真っ先に声をかけて、
これからは俺たち三人で過ごすんだろうなと思っていた。

「あいつさー、なんか、うざくない?」

まだ知り合って数日も経っていない頃、蒼空は不満そうに口にした。

訳もわかってない俺に構わず、次の日から蒼空は海斗を無視するようになった。

海斗はまだ英語も十分にわかってなかったから、
他のクラスメイトも蒼空に倣い、海斗を仲間外れにした。

俺のことは、たどたどしい英語でも、みんな仲間に入れてくれ、
話しかけてくれたし、休み時間だって一緒に遊んでいたのに…

クラスメイトたちの知らなかった、知りたくもなかった
暗い一面に気付かされ、俺は怖くなった。

「なにやってんだよ。」

ある日、我慢できなくなった俺は、蒼空を問い詰めた。

「なんで海斗のこと無視したり、仲間はずれにするんだ?」

肩を揺さぶっても、何も言ってこない蒼空に俺はイラつく。

「お前、そんな奴じゃないだろ…」

「ほっとけよ!」

振り払われた右手がヒリヒリと痛む。
一瞬、何が起こったのかわからず呆然とする俺に、蒼空は続ける。

「お前だって、ハブリにしてやったっていいんだぞっ」

見たこともない表情で、聞きたくもなかった言葉を吐く蒼空に、
かけるべき言葉が見つからなかった。

「お前も、あいつも、みんないなくなればいいんだ!」

そう怒鳴って最後、いなくなったのは蒼空だった。


蒼空がいなくなった学校で、俺は海斗のそばにいることにした。

仲間はずれにされて、無視されて、その上満足に英語も使えない海斗。

俺は、かつて蒼空が俺にしてくれたみたいに、力になりたかった。

自己満足だって、わかっているけど、蒼空が仲間はずれを貫いた数ヶ月間、
何もできなかったことを謝りたかった。

海斗は本当にいいヤツで、謝った俺をすぐに許してくれた。

「俺もきっと、同じ立場だったら、同じことしてたから。」

そんなふうに笑った海斗を見て、
蒼空のことを止められなかった自分に嫌気がさした。

蒼空と俺がしていたように、放課後と朝の学習を続けていくと、
海斗の英語力はすぐに向上し、クラスメイトとも溶け込めるようになった。

「海斗、めっちゃ面白いやつじゃん!」

英語がわかって、コミュニケーションになんの阻害も感じなくなったクラスメイトは、
何事もなかったかのように海斗に話しかけるようになった。

海斗はそれで、大丈夫だったみたいだけど、俺は納得がいかなかった。

(あんなに仲間はずれにしてたのに、結局これかよ。)

一度、醜い仕打ちができる奴らだとレッテルを貼ってしまっては、
もう二度と「いいクラスメイト」として見ることができない。

どこか居心地の悪さを感じつつ、俺は日々を淡々とこなしていった。

「中学三年は、日本に戻るよ。」

受験はどうするんだろう、なんて呆然と考えていた中学二年の冬休み、
親にそう告げられ、俺はインターを出ることになった。

日本を出た時とは違い、
色紙も花束もなく、「元気でな。」という海斗の一言と、
いつもの「バイバイ」と全く同じ温度で手を振るクラスメイトに別れを告げる。

そして、唯一の心残りである蒼空との思い出もその地に置いていき、
ハンガリーをあとにした。

日本に戻ってからは、高校受験があるからと、
インターで磨かれた英語以外の教科の勉強に励んだ。

再開した夕梨亜も、五十嵐も何にも変わっていなくて、なんだか安心した。

ただ、俺に対する周りの反応は変わった。

今までとは違って「帰国子女」という肩書きがある分、
ずっと日本にいたクラスメイトたちとは明らかに扱われ方が違った。

ことあるごとに指をさされ「あいつ、帰国子女だから。」と言われる。

そんな日々に俺は、疲れていた。

高校受験が刻々と迫る冬、雪の降るある日、高校に行って人権学習を行う
謎のイベントがあった。

ハンガリーのインターの講義室とは違って、
真冬の冷たい体育館の床に座らされ、早く終わらないかな、なんて考えていた。

スピーチをするらしき人の列は、パイプ椅子に座っていて、
無神経ながら椅子に座るためだけにスピーチしますとか言えばよかったと考えてしまった。

高校生、中学生、小学生の一人ずつが代表として選ばれたらしく、
トップバッターの高校生は、祖母の介護経験について話していた。

高校生なのに、ハウスワーカーのような日々を送るというその生徒を、
少し気の毒だと感じた。

次の発表者が前に出た。

その少女は、これからスピーチをするというのにも関わらず、
原稿すら持っていなかった。

まっすぐ、マイクの元へ歩き、凛と佇むその姿に目を奪われた。

そして、彼女はゆっくりと語り始めた。

「私のクラスで、いじめがありました。」

空気が変わった。
ただでさえ冷たい冬の空気が、一本の糸のように張り詰める。

「上靴に画びょうが入っていたり、椅子に液体のりがぶちまけられたり…」

臨場感のある語りに、皆が息を呑む。

「いじめは犯罪だ、と誰もが口にします。」

そうだろうな、と頷いている生徒たちを気配で感じる。

「だけど、その犯罪者は裁かれません。」

少し目を落として彼女は続ける。

「なぜなら、彼ら、つまり、いじめをする側こそ、私たちが寄り添うべき相手だからです。」

ハッとなった。
意味がわからなかったけど、わかった気がした。

俺は、怖かった。
蒼空がこんなヤツじゃないって、信じたかった。
何もできない自分が嫌になった。
無力だと思った。

俺はあの時、何をすればよかったのか、探るような気持ちで彼女の言葉に聞き入る。

「彼らはただ、自分には敵わない相手を、蹴落とすことでしか前に進めません。

自分の苦しみを、誰かにぶつけないと生きていけません。

誰も彼らを、そのSOSを、拾ってはくれません。」

苦しそうに彼女は言い放つ。

「だから、いじめは終わりません。なくなりません。」

俺は、寒いからなのか、怯えているからなのか、
それとも緊張しているからなのかわからない体の震えを抑えられなかった。

その後も永遠に続いたかのような、彼女のスピーチ、
いや、独唱と呼ぶべきその言葉たちが胸に残って仕方がなかった。

最後に、彼女はこう締め括った。

「『傍観者も、いじめっ子と同じ。』
そう言われたから、教わったから、私は止めようとしました。

だけど、私が止めたのは、カタチだけ。

いじめをしていた子の心の葛藤は、その苦しみは、止めることができませんでした。」


その後の記憶はほぼ残っていない。
どうやって帰ったのかも、覚えていない。

ただ、はっきりとわかるのは、
家に帰って、まっすぐ蒼空に電話をかけていたことだった。

あの日以来、文字通り俺の世界から消えてしまっていた蒼空は、
スマホの連絡先にだけ残っていた。

一年も経った後に電話をかけて何になるんだと、
繋がらない音を聞きながら思う。

何コール、聞いたのかわからず、もうダメかと通話をキャンセルしようとした時、
画面が変わった。

「っもしもし!」

食いつくように声を出した俺に、笑い声が届く。

「久しぶりだな、晴輝。」

出会ったあの時と変わらない明るさで、蒼空の声が聞こえて安心する。

「蒼空、俺、お前に謝りたくて…」

「何をだよ?」

なんのことか、わかっているはずなのに蒼空はわざとらしく尋ねてくる。

「俺、あの時、お前が海斗を無視し始めた時、
お前のそばにいれなかった。」

ほんと、友達としてどうかと思った。
黙る蒼空に俺は続けた。

「だから、謝りたい。あの時、ちゃんとお前の話も聞かず…」

「いや、俺のほうこそ、ごめん。」

俺の言葉を遮って、蒼空が口をひらく。

「俺、あの時ちょっと色々あって…ほら、お前と話した次の日、
俺消えたろ?あれさ、母親と日本帰ったんだよね。」

「え、母親と?」

父親の海外赴任に家族揃って来てたから、
てっきり家族ごと日本とハンガリーを行き来したのかと思っていた俺は戸惑う。

「うん、そう。」

「え、どうして…」

尋ねた俺に、蒼空は説明してくれた。

父親の都合で、ハンガリーに移住が決まった時、
蒼空の母親は猛反対した。

「この子の勉強はどうするの?」

蒼空の家は、父親が会社員、母親が大学教授で、
教育に関することはもっぱら母親が決めていた。

「インターナショナルスクールに通わせる。」と一言で返した父親は、
会社員らしく、インターのメリットについてまとめた資料を掲げ、
プレゼンを始めた。

英語ができるようになる、というメリットが引っかかったのか、
母親は、渋々ハンガリー移住に応じた。

ハンガリーに移住し、インターに通い、
父親のプレゼンしていたような教育的メリットは大きかった。

しかし、ある日、帰宅した蒼空を待っていたのは
怒鳴り散らす父親と、涙の枯れた母親、そしてテーブルに置かれた紙切れだった。

蒼空に気づくと、父親はその怒りを蒼空に向けた。

「お前は、俺の息子なんかじゃないっ!」

言葉もでない蒼空に父親は続けた。

「お前の顔なんか、見たくもない…消えろっ!」

怒りに身を任せ、大きな手で蒼空を家の外に追い出す父親。

そして、それを眺めるだけの母親。

この一件で、蒼空は居場所を失った。

「とまぁ、母親の不倫が父親にバレて、実の息子じゃない俺は捨てられたって話。」

なんでもないかのように、平気なフリをして蒼空は言う。

「あの時は、俺が壊れてた。
そんな俺のそばにいなくて、お前は正しいことをしたよ。」

「いや、そんなこと…」

電話越しに伝えられる、あの時の蒼空の苦しみに、
言葉が出ない。

「でも、電話くれて、ありがとな。」

少し温かみのある声で蒼空が言う。

「まだ、俺のこと覚えててくれて嬉しかった。」

「…当たり前だよ。」

こんな時、気の利いた一言も言えない自分に情けなさを感じる。

「じゃあ、またな。」

そう言って電話を切ろうとする蒼空に、
考える前に先に口が走る。

「あのさっ!」

何、と蒼空の声が返ってきた。

「俺ら、また…友達になれるかな?」

蒼空の「またな」を信じきれない俺は、
どうしても蒼空を繋げとめておきたかった。

あの頃は何もできなかったけど、
これからは、蒼空の友達でありたい。

わがままな俺に、蒼空は返す。

「…バカだな、晴輝は。」

呆れられたのかと思い、咄嗟に謝ろうとする。

「ごめ…」

「俺ら、友達じゃなかったときなんて、
今までもなかったし、これからもない。」

蒼空が言葉を続ける。

「受験終わったら、遊びいこーぜ。
俺、晴輝と日本で会ったこと、空港でしかないから。」

そう言って笑った蒼空の声に、言葉に、
俺は安心する。

「うん、受験終わったら、連絡する。」

「約束な。」

じゃあ、と言い残し蒼空は今度こそ通話を切った。

冬の夜、寒さに震えていたはずの手は、
いつの間にか温まっていた。

無事、夕梨亜と五十嵐と同じ高校に合格した俺は、
あの約束通り、蒼空に連絡を取った。

蒼空は、俺と勉強していた時よりもずっとずっと賢くなっていて
(聞けば自分を捨てた父親にリベンジするためらしい…)
誰がどうみても認識できる名門校の制服に身を包んでいた。

「晴輝っ!」

待ち合わせ場所で、俺に気づいた蒼空はまっすぐ手を振りながら走ってきた。

「久しぶりだなぁ〜」

真新しい制服の蒼空は俺の肩をつっつく。
初めて会った時と何も変わらないその明るさに、
俺は安心する。

「蒼空、元気そうでよかった。」

「ん、ま、なんとかな…てか、お前の高校、めっちゃ田舎やな。」

午前に入学式が終わるから、という理由で、
蒼空がわざわざ俺の高校まで来てくれていた。

「そこも気に入ってるところだけどね。」

「インターはビルって感じだったもんな〜」

懐かしそうに空を仰ぐ蒼空は、
正直になんでも言える「友達」っぽく感じた。

「蒼空、この後さ…」

どうする?と聞こうと思った俺の目に飛び込んできたのは、
あの日、冷たい床の体育館でスピーチをした少女だった。

背筋をまっすぐ伸ばして、凛とした彼女は、
まるで一つの目的地しか見ていないかのように、一直線に歩いていた。

(え、スピーチの子だ…)

声をかけるべきか、かけないべきか、悩む俺に
蒼空が話しかける。

「この後、なんだよ?」

「え、あぁ、この後…ご飯でも行く?」

少女から目を離して、蒼空に向き直る。
俺の提案に、蒼空は満足したらしく、

「いいな!…ってこの辺り何もなさげだから、駅まで歩いてくか〜」

なんて駅までの地図を検索し始めている。

「あ、自転車取りに行ってくるから、ちょっと待ってて!」

「おっす。」

(空手部かよ。)

心の中でツッコミをいれながら、俺は自転車を取りに再び校門をくぐった。

その後もずっと、あの少女の姿が、そして同じ高校だという事実が
胸にのしかかって離れなかった。

そんな彼女と高校三年で同じクラスになって、
席が近くなって、どうすればいいのか、わからなかった。

明らかに「陽キャ」しかいないクラスで、
真面目そうな顔立ちの彼女は、かなり浮いていた。

勉強以外は興味がなさそうだし、
実際、友達という友達と関わっているところを見たことがなかった。

自己紹介で聞いた「下原ひなた」という名前しか、
俺は知らなかった。

でも、あの時のスピーチで、
こんな考え方をする子なんだっていうことはわかっていたし、
過去があったということはわかっていた。

たまたま同じ班で、
俺にとっては馴染みがある人権学習をテーマにした時、
もしかしたら、これがきっかけで話しかけれるかも、なんて気楽に身構えていた。

そんなことなかった。

「いじめ」というワードに触れた彼女は、心底しんどそうだった。

「あの時の、あのスピーチのおかげで、俺はまた蒼空と友達になれたんだ。」
なんて伝えたら、彼女にとって、思い出したくない過去を思い出させるだけにすぎない。

俺の気持ちなんて、「ありがとう」という言葉なんて、
彼女の苦しみに比べたら、小さいものだ。

話題を変えたくて、窓の外を見つめたら、
雨が降っていた。

「あ、雨だ。」

無意識に口にしたその言葉が、彼女の視線をかぶった。

初めて、目が合った。

涙でいっぱいのその瞳に、俺はあの時、俺が感じた無力感を読み取った。

「大丈夫。」

伝わるか、聞こえるか、なんてことは大事じゃなくて、
ただ、彼女を傷つける言葉を口にしたくなかっただけ。

思い込みかもしれないけど、
その口がかすかに微笑んだように見えた。

俺は、その日、生まれて初めて
雨のありがたみを知った。


俺にとって、彼女の言葉が救いになったように、
彼女にとって、俺も「何か」でありたかった。

勝手だけど、彼女と関わりたかったし、
いつか、あの日の「ありがとう」を伝えられると思った。

だから、三者懇談会で、成績優秀な下原ひなたである耳に挟み、
俺が関われるのは彼女にとって唯一の関心である「勉強」なのかもしれないと思った。

「勉強教えてくれたりしない?」

そう聞いた時、驚いた様子の彼女を見て、やり過ぎたと反省した。
だけど、引き受けてくれたから、拒絶されていないことを言い訳に、
毎朝声をかけ続けた。

「朝学習」という名の勉強会は、
蒼空のおかげで早起きに慣れた俺には朝飯前だった。

文字通り、毎朝懲りずにやってくる俺に、
彼女は嫌な顔ひとつしなかった。

ある日、夕梨亜と五十嵐と幼馴染なのかと聞かれた。

俺は、過去の話をし始めたら、
「実は、俺、下原さんのスピーチに…」
と口走ってしまいそうで怖くなった。

彼女の涙腺に触れたくなかったし、地雷を踏みたくもなかった。
それに、下心で近づいたって思われたくなかった。

その日は、うまく返すことができずに、
一晩かけて、原稿を書き上げ、次の日謝ろうと決めた。

蒼空がいじめをしていたこと、実は彼女に会っていたこと、
そして、そのスピーチを聞いたことに触れない、
俺の過去を彼女に伝えた。

俺は、彼女の過去を少しだけ知っている。
だけど、彼女は俺の過去を、というか俺のことを何も知らない。

そんなことを不平等に感じて、なんだか後ろめたく感じた。

俺の過去を聞いて、まるで自分ごとのように受け止め、考えてくれたその姿に、
俺はまた、彼女に救われた。

被害者ぶって、悲劇の主人公みたく振る舞うことはいつだってできた。

それでも、自分らしくあろうと思えたのは、負けないと決めたのは、
俺が強かったからじゃない。

弱い自分を、独りで守らないといけないと思ったから。

目の前にいる彼女を、独りにしたくなくて、
夕梨亜や五十嵐と関わらせようとした。

彼女の人間性を、その魅力を、みんなに知ってもらいたかった。
俺だけが知っているのは、勿体無い。
俺には、勿体無い。

勝手に一人で走ってた俺だけど、
夕梨亜も五十嵐も、彼女と仲良くなった。

今まで見せなかった表情で、笑ってくれるようになった。

その笑顔に、気づけば俺は、言葉にならない感情を抱いていた。

***
「お互い秘密ってことで」

そう約束していた志望大学だったけど、
彼女の第一志望を俺は知っていた。

あの日の三者懇談会で耳に挟んだ挙句、
彼女のカバンにストラップがぶら下がっていたことに気づいたからだ。

もちろん、俺が入るにはとてつもなく勉強量を有するほど、
レベルが高いところだった。

だから、俺も頑張った。

彼女の一番になれるように、
そして今度こそ、「ありがとう」と伝えられるように。

卒業式が終わり、親の車でそんなことを思い出していたら、
俺のスマホが鳴った。

合格するようにと、ほぼ願掛けで待ち受けにした大きなつばめのイラストを背景に、
五十嵐からメッセージが表示される。

「晴輝、がんばれ!」

ファイト、と吹き出しのついている生徒会長スタンプに、
思わず顔が綻ぶ。

「そうだな…」

「え、どうしたの?」

俺の声が届いたのか、助手席に座る母が振り返る。

いや、なんでもない…と言おうと思って踏みとどまる。

「これからも、がんばろって思ってさ。」

そっか、優しく笑った母は再び視線を前に戻す。

再会したときにどんな言葉をかけようか、どんな顔でいようか、
思いを馳せていた俺の目の前には、薄紅色に染まる桜並木が広がっていた。

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