帰り道。

駅のホームで二十五分に一本しか来ない普通電車を待っていたら、
待合室のベンチに座っている五十嵐君を見つけた。

高校が始まって三ヶ月も経つというのに、
彼の姿をここで見たことははじめてだったから戸惑った。

少し考えれば、小中学校合同で行った人権学習会に参加していたということから、
ある程度方向は同じであると予測できたはずだったのにと
自分の地理感のなさにため息をつく。

(声をかけるべきか、放っておくべきか…)

悩んだ末、
七月のカンカン照りの太陽に当たりながら電車を待つよりも
エアコンが効いている待合室に入ろうと決意し、
古びた扉を開けた。

「お疲れ様。」

扇風機片手にスマホをいじっていた五十嵐君に声をかけると、

「あ、お疲れ。」

と言って五十嵐君はスマホをポッケにしまう。

(人に話しかけられたらスマホしまってくれるんだ)

と少し感心した私は、
「今日暑いね。」とみんなが大好きなお天気話をもりこむ。

「それなー。もう七月半ばだもんな。」

と夕方だというのに燃えるように熱い太陽を睨む。

そういえば、と何かを思い出したかのように五十嵐君は私の目を見て、

「下原は、どっか行きたい大学あるの?」

と聞いてくる。

お天気の話をしていて、
どこからそういえば、と話を引っ張ってきたのか全く理解できなかった私だが、
少し考えて「まだ決まってない」と嘘をつく。

「へー。じゃあ大学、行く予定なんだ。」

と五十嵐君が呟いたのを耳にし、しまったと思う。

どっか行きたい大学あるの?

ない、と答えていたらそもそも大学に行く気がない。

ある、と答えていたら大学には行くつもり、
だけどもしかしたら学力が足りなくて
行きたい、という願望だけで終わってしまっている。

わからない、と答えていれば
大学が進路の選択肢の一つとして入っているか、入っていないかも曖昧。

そして、私みたいにまだ決まっていない、と答えたら?
それはつまり、大学には行く前提でどこの大学かはまだ決まっていない、ということになる。

五十嵐君、私が思っていたよりも相当頭がいいかもしれない。

言い訳も何も思いつかなくて、

「そうだね、大学には行くつもり。」

と素直に返事をする。

意外とあっさり認めた私に驚いたのか、五十嵐君は目を見開き、

「いや、うちの学校のレベルで大学進学を考えるって人いるんだって思って。驚いた。」

と言う。

(パソコン部って聞いた時も同じこと言ってたなこの人)

と思いながら、

「うん、ほぼマンツーマン指導だし。私の他に大学っていう人あまりいないから。」

と会話を続けてあげる。

やっぱそうか、と納得したように頷いた五十嵐君は、

「ねえ、下原ってなんでそんに賢いのにこの学校?
あれ、あそこ全然いけたと思うよ、急行が止まる高校。」

と私の成績も何も知らないのに無責任なことを言う。

「いける、といきたいは全然違うと思うよ、五十嵐君。」

「それって、大学も同じこと言える?」

そうやって聞いてきた五十嵐君はいつもよりもずっと真剣で、
これはふざけとかからかいでもないとすぐに気づくことができた。

この人が何で悩んでいるのか、
私にはわからないけど、今この人は私の言葉を求めているってなんとなく思った。

「大学も同じこと、だと私は思う。というか、大学とかって名前だけでしょ。
人生のどの分岐点に立っていようが、私たちは自分がいきたいって思うところにしかいくことはできないと思う。」

そう答えたら、

「まぁ、そう思えるほど、俺は成績がないからな。」と俯く。

成績?と首を傾げた私に、五十嵐君は言う。

「俺、家族誰も大学出てないんだよな。」

ははっと笑った五十嵐君だけど、その目は全く笑っていない。

「だから、大学出ないと、どんな人生送るかってわかる。

何もない、誰にも逆らえない。
ただひたすら頼まれた仕事をやって、家に帰って文句ばかり並べるだけ。

俺はそんなふうになりたくない。

生徒会長とか偉そうな肩書き持ってるくせに、情けないよな。」

情けない、ってどういう意味だろう?

親の姿を見て自分はああいうふうにはなりたくない、
と感じることは恥じるべきことなのか?

五十嵐君がなんでそんなふうに感じるのか、私には理解できなかった。

「五十嵐君は、なりたくないものをちゃんとわかってて偉いよ。」

私の言葉に五十嵐君はえ、と顔をあげる。

「だってほら、先生も言ってたでしょ?

『問題の答えがわからないときは、消去法で解きましょう。
4つの選択肢を3つに減らす、そしてさらに2つに減らすことができれば、
自然と答えがでてきます。』

って。それと同じじゃないかな。

なりたくないものがわかっていたら、なりたいものに近づけるって私は思う。

五十嵐君は、大学出ていない親のことを反面教師みたいに使っているだけ。

恨んでも、憎んでもない。

自分の将来を真剣に考える五十嵐君に、『情けない』なんて言う資格、

誰にもないから。」

まっすぐに見つめてくる視線に応えようと、
必死に言葉を繋いだ私。

五十嵐君がなにか言いかけた時、
二人の横を急行列車が通り過ぎていった。

「…」

五十嵐君の言葉は列車の音にかき消され、私の耳には届かなかった。

え、なんて言ったの?と尋ねようとした私の言葉より先に、
五十嵐君の口が動いた。

「いや、やっぱり下原に相談してよかったわ。」
「え?」
「うん、俺も最初は下原って自分より賢くない人間のことを下にみるヤツだって思ってたけど…」

(めっちゃ笑顔で、めっちゃ失礼なこと言ってるよ、この人)

呆然とした私に五十嵐君は続ける。

「晴輝が言ったんだよ。『下原さんはそんな人じゃない。』ってな。」
「え、星宮君が…?」
「まったく、あいつは人を見る目があるなぁー。さすが俺の友達っ!」

と満足気な五十嵐君の隣で、私は星宮君がそんなことを言っていたなんて、と驚く。

(彼は、私の何を知っているのだろう?)

そう思った私は、さっきの五十嵐君の無責任な発言を思い出し、

(きっと何も知らなけど、そんな人じゃないって思いたいだけだったのかも)

と自分を納得させた。

そんな私に、五十嵐君が俺さ…と何かを言いかける。

ん?と問いかけた私に、

「大学、いくことにする。」と角ばった声で言う。

「俺が、いきたいって思ったら、いけるんだよな?
いけるか、いけないか。
ただの数字に決められるのなんてもうやめるから。」

(そんな大切な決断を、私としなくてもいいのに…)

と思いながら、うん、と頷く。

「俺の受験の保険は、下原だからなっ!
お前の言葉、忘れないから。」

ニカッと笑った五十嵐君に、うん、とは頷けない私がいた。

「え、私…?」
「おう!『レインボー試験対策』、頑張ろうなっ!」

さっきまで『情けない』とか言っていた人間はどこに消えたのか、
赤く沈んで消えていった夕焼けによく似合う、
元気な五十嵐君がそこには立っていた。