「ちょ、俺が救世主!?」~転生商人のおかしな快進撃~

 三年の歳月が流れ、ユータは十四歳になっていた。孤児院の傍に借りた工房は新たな活動拠点となり、日々商売に精を出す。

 評判が評判を呼び、武器を求める客が列をなす日々。かつての孤児院の倉庫では手狭になった彼の事業は、着実に成長を遂げていた。

 孤児院への寄付は続けながらも、ユータの財は膨れ上がっていく。経理や顧客対応に追われ、一人では手に負えなくなりつつあった。

 一方で、経験値の上昇は留まることを知らない。数千本に及ぶ武器が各地の冒険者たちの手に渡り、使用される度に彼に経験値が還元される。レベルアップの頻度こそ落ちたものの、数日に一度は確実に上がり続け、すでに八百を超えていた。一般の冒険者の十倍以上のステータス。その力は、もはや人知を超えつつあった。

 コンコン!

 扉を叩く音が響いた――――。

 剣の(つか)を取り付ける作業に没頭していたユータは返事をする。

「ハーイ! どうぞ~」

 振り返ると、そこには銀髪の少女、いや、もう若い女性と呼ぶべきドロシーの姿があった。十六歳になった彼女は、少女の面影を残しつつも、大人の女性への変貌を遂げつつある。

「ふぅん、ここがユータの工房なのね……」

 ドロシーの澄んだ声が、工房内に響く。

「あれ? ドロシーどうしたの?」

 俺は少し驚いて尋ねた。最近はめっきり会う機会も減っていたのだ。

「ちょっと……、前を通ったらユータが見えたので……」

 ドロシーの言葉には、何か言い淀むような雰囲気があった。

「今、お茶でも入れるよ」

 俺がが立ち上がると、ドロシーは慌てたように言った。

「いいのいいの、おかまいなく。本当に通りがかっただけ。もう行かないと……」

「あら、残念。どこ行くの?」

 俺は、綺麗におめかししたドロシーの姿に目を奪われながら尋ねた。透き通るような白い肌、大人の女性への変化を感じさせる佇まい――――。

「『銀の子羊亭』、これから面接なの……」

 さらりと流れるような銀髪を揺らすドロシーの言葉に、俺はモヤっとするのを感じた。

「えっ……、そこ、大人の……、ちょっと出会いカフェ的なお店じゃなかった?」

 以前聞いた悪い噂を思い出して、俺は眉をひそめた。

「知ってるわ。でも、お給料いいのよ」

 ドロシーはニヤリと笑う。

 俺はブンブンと首を振った。

「いやいやいや、俺はお勧めしないよ。院長はなんて言ってるの?」

「院長に言ったら反対されるにきまってるじゃない! ちょっと秘密の偵察!」

 ドロシーの目は、いたずらっ子のように輝いていた。

 俺はなんとか引き留めようとかける言葉を必死に考える――――。

 しかし、どんな言葉もドロシーの心には響きそうになかった。

 何しろ自分はドロシーの後輩でしかない。踏み込んだことを言う権利など何もない。

「ユータは行った事ある?」

 お気楽なドロシーの質問に、俺は慌てて否定する。

「な、ないよ! 俺まだ十四歳だよ?」

 ドロシーは真剣な表情で語り始めた。

「あのね、ユータ……。私はいろんな事知りたいの。ちょっと危ないお店で何が行われてるかなんて、実際に見ないと分からないわ!」

 ユータは思わず宙を仰いだ。若い子の火遊びは時に取り返しのつかない悲劇を生む。しかし、自分には止める権利もない。

「その好奇心、心配だなぁ……」

 俺はため息をついて肩を落とした。

「では、また今度報告するねっ! バイバイ!」

 そう言いながら楽しそうにドロシーは出て行った。

 その後ろ姿を見送りながら俺は不安で押しつぶされそうになる。あの日、襲われてたドロシーの姿がフラッシュバックしてしまう。

「ダメだ! 俺が守らないと!!」

 俺は決意を固め、慌てて棚から魔法の小辞典を取り出す。急いで『変装魔法』のページを開き、その呪文を必死に暗記した。

「アブローラ、ケセン、ハゴン……何だっけ?」

 何度も杖を振り、失敗を繰り返しながら、俺はついにヒゲを生やした三十代の男性に変装することに成功した。

 鏡に映る見知らぬ男の顔。

「んー、いいんじゃない?」

 俺はニヤッと笑った。


         ◇


 夕暮れの街に、変装したユータが足を踏み出す。幼なじみを守るという使命感と、未知の世界への不安が入り混じる中、彼の新たな冒険が始まろうとしていた。

 賑やかな石畳の通りを抜け、俺は少し怪しげな雰囲気の小径に足を踏み入れた。すでに夜の(とばり)は降り、艶やかなネオンサインがチラチラ輝いている。

 露出の多いドレスを着た女性たちの声が耳に飛び込んでくる。

「おにーさん、寄ってかない?」
「銀貨一枚でどう?」

 俺は硬い表情のまま、目的地へと歩を進める。やがて『銀の子羊亭』の看板が見えてきた。

『銀貨一枚ポッキリ!』という意味不明な煽り文句に嫌な予感がぬぐえない。

 扉の前で立ち止まった俺は、深呼吸をして心を落ち着かせる。そして、覚悟を決めてグッと扉を開いた。

  店内に足を踏み入れた瞬間、甘い香りと喧騒に包まれる。前世を含め、この手の店に来たことの無かった俺は、全くのアウェイに踏みこんでしまったことにキュッと口を結んだ。
「いらっしゃいませ~!」

 可愛らしい女の子が笑顔で迎えてくれる。

「今日はフリーですか?」

 その質問に、俺は戸惑いを隠せない。何かの符丁だろうか?

「え? フ、フリー……というのは……?」

「お目当ての女の子がいるかどうかよ。おにーさん初めてかしら?」

 赤いドレスを揺らしながら顔を覗き込んでくる。その大胆な仕草に、俺は思わず言葉を詰まらせる。

「そ、そうです。初めてです」

「ふふっ、ついてらっしゃい……」

 意味深な笑みを浮かべながら俺を(いざな)う女の子。俺はとんでもないところに来てしまったかもしれない。

 奥のテーブルに案内され、俺は戸惑いながらもエールを注文した。店内に元気な声が響く中、俺の緊張は高まるばかりだった。

 そして、女の子の次の言葉に、ユータは凍りついた。

「おにーさんなら二枚でいいわ……。どう?」

 にこやかに笑いながら彼女の手が、そっと俺の手を取る。俺はその柔らかさにドキッとしてしまう。

「に、二枚って……?」

「ふふっ、銀貨二枚で私とイイ事しましょ、ってことよ!」

 耳元でささやかれた言葉に、俺は言葉を失った。

 鼻をくすぐる華やかな香り――――。

 頭の中が真っ白になった。こんなに簡単に可愛い女の子と……?

 俺の中で、様々な感情が渦巻いた。驚き、戸惑い、そして魅了されていく心……。

(待て待て待て待て……)

 何とか自分を取り戻す。

 自分がここにいる理由を思い出せ。ドロシーを守るためだ。俺はブンブンと首を振って何とか誘惑に抗おうとした。

「あら、私じゃ……ダメ?」

 女の子の声がここぞとばかりに甘く響く。腕に押し付けられてくる豊かなふくらみに俺はクラクラしてしまう。

「ダ、ダメなんかじゃないよ。君みたいな可愛い女の子にそんな事言われるなんて、ちょっと驚いちゃっただけ」

 何とか冷静さを取り戻そうとする俺に、女の子はニッコリと微笑んだ。

「うふふ、お上手ね」

 その時だった――――。

「イヤッ! 困ります!」

 ドロシーの声が店内に響き、俺はハッとして慌てて立ち上がる。

 赤いワンピース姿のドロシーが、男と揉めている光景が目に入った。すかさず俺は男を鑑定する。

レナルド・バランド 男爵家次期当主
貴族 レベル26
裏カジノ『ミシェル』オーナー

 貴族。特権階級。俺は宙を仰いだ――――。

 絶対王政のこの国では貴族は平民には逆らえない存在だった。貴族侮辱罪にでもなれば死刑である。

「なんだよ! 俺は客だぞ! 金払うって言ってるじゃねーか!」

 バランドの怒鳴り声が店内に響く。ドロシーは必死に抵抗しているが、男の威圧的な態度に押されている。

 俺はテーブルたちをひとっ飛び、すかさずドロシーの元へ駆け寄ると耳元でささやいた。

「ユータだよ。俺に合わせて」

「え……?」

 どういうことか分からず、混乱しているドロシーを後ろにかばい、バランドに対峙した。

「バランド様、この娘はすでに私と遊ぶ約束をしているのです。申し訳ありません」

 俺はうやうやしく胸に手を当てて頭を下げる。

 突然の介入に、バランドの怒りが爆発した。

「何言ってるんだ! この女は俺がヤるんだよ!」

 ユータはニッコリと笑いながら極力丁寧に対応する。

 力技で逃げてしまうことも考えたが、ドロシーの顔を覚えられているのだ。ことを起こすのは避けたかった。

「可愛い女の子他にもたくさんいるじゃないですか」

 しかし、バランドの怒りは収まらない。

「なんだ貴様は! 平民の分際で!」

 そして、突然のパンチがユータに向かって飛んでくる。

 その瞬間、時が止まったかのように、俺の頭の中で様々な思考が駆け巡る。避けるか、逃げるか、倒すか、それとも……。

 レベル二十六のバランドの渾身の一撃が、ユータの頬を直撃する――――。

「ぐわぁぁ!」

 悲痛な叫びが店内に響き渡る。バランドは痛みに顔を歪め、傷ついた拳を胸に抱え込む。

 レベル八百を超えるユータの防御力補正は異常だった。ユータは何もしないのにバランドの拳が砕けたのだ。

「き、貴様……何をやった! 貴族にケガをさせるなど……」

 真っ赤になって喚くバランドに近づき、俺は耳元でささやいた。

「裏カジノ『ミシェル』のことをお父様にお話ししてもよろしいですか?」

 その言葉に、バランドの顔から血の気が引いた。

(ビンゴ!)

 さっきステータスで出ていた情報を使って、カマをかけたら正解だったようだ。マトモな貴族は裏カジノなどやらない。やるとしたら父親に秘密にやっているだろうと踏んだのだ。

「な、なぜお前がそれを知っている!」

 恐怖に満ちた目でユータを見つめるバランド。

「もし……、彼女から手を引いていただければ『ミシェル』の事は口外いたしません。でも……、少しでも彼女にちょっかいを出すようであれば……」

 俺はレベル八百の気迫を目に込めバランドを威圧した。

 もはやヘビににらまれたカエル状態のバランド。

「わ、分かった! もういい。女は君に譲ろう。痛たたた……」

 痛みに耐えながら、バランドは逃げるように店を出て行った。


 俺は大きく息を吐いた。緊張の糸が切れ、安堵感が全身を包み込む。隣には、うつむいたままのドロシー。彼女の小さな手が、俺のジャケットの袖口をキュッと掴んでいた。

「ドロシー、もう十分だろ、帰るよ」

 ドロシーの耳元で囁く。

 無言でうなずくドロシーの姿に、俺は胸が痛んだ。

 店主が青ざめた顔で駆け寄ってくる。

「え? どうなったんですか? 困りますよトラブルは……」

 俺は落ち着いた様子で微笑み、金貨三枚を店主の手に握らせた。

「バランド様にはご理解いただきました。お騒がせして申し訳ありません」

 金貨の輝きに、店主の目が見開かれる。

「えっ!? こ、こんだけいただければもう……。ど、どうぞ、彼女と朝までお楽しみください!」

「うん、朝までね」

 俺はニヤリと笑った。

 ドロシーの手を優しく引き、二人で静かに店を後にした。夜の街に出ると、冷たい風が頬を撫でる。

 空を見上げれば、星々が二人を見守るかのように輝いていた。

「ユータ、私……」

 ドロシーの声が震えている。

「大丈夫だよ」

 俺は優しく彼女の手を両手で包んだ。

「もう安全だ」

 ドロシーはコクリと静かにうなずいた。

 冷たい夜風が二人の頬を優しく撫でる中、ユータとドロシーはゆっくりと歩を進めていた。街灯に照らされた石畳の道は、二人の影を長く伸ばしている。

「少し……肌寒いね……」
「うん……」

 賑やかな声が溢れている繁華街で、二人の間には静かな空気が流れていた。

「ユータにまた助けてもらっちゃった……」

 ドロシーの声は小さく、申し訳なさそうに首をかしげる。

「無事でよかったよ」

 俺はニコッと微笑み、優しく返した。

「これからも……、助けてくれる?」

 街灯の明かりに照らされたドロシーの瞳が、不安と期待を滲ませて輝いていた。

「……。もちろん。でも、ピンチにならないようにお願いしますよ」

 俺は少しだけ厳し目のトーンでくぎを刺す。

「えへへ……。分かったわ……」

 ドロシーは両手を夜空に伸ばし、星を眺めながら答えた。

「結局……、どこで働くことにするの?」

「うーん、やっぱりメイドさんかな……。孤児が働く先なんてメイドくらいしかないのよ」

 ドロシーの言葉には、諦めが混じっていた。

 俺は深呼吸をし、決意を固め、提案する。

「良かったら……うちで働く?」

「えっ!? うちって?」

 ドロシーは驚きで足を止めた。

「うちの武器屋さ。結構儲かっているんだけど一人じゃもう回らなくってさ……」

 俺は店の状況を説明し、経理や顧客対応の手伝いを求めた。

 その言葉を聞いたドロシーの目が、まるで星のように輝く。

「やるやる! やる~!」

 ドロシーは腕を突き上げ、嬉しそうにピョンと跳びあがった。

 俺は少し照れくさそうに続ける。

「良かった。でも、俺は人の雇い方なんて知らないし、逆にそういうことを調べてもらうところからだよ」

「そのくらいお姉さんに任せなさい!」

 ドロシーは胸を叩き、自信に満ちた表情を見せる。その姿に、俺は心強さを感じた。

「ありがとう。では、ドロシーお姉さんにお任せ!」

「任された! うふふっ」

 見つめあう二人の間に、新たな絆が芽生えるのを感じる。

「じゃあ、就職祝いに美味しい物でも食べようか?」

「えっ!? 私そんなお金持ってないわよ?」

 ドロシーは両手を振った。

「な~に言ってんの、お店の経費で落とせば大丈夫。初の経理の仕事だゾ」

「お、おぉ……。それはちょっと緊張するわね……」

「ふふっ、何が食べたいの?」

 俺の提案に、ドロシーの目が輝いた。

「うーん、やっぱりお肉かしら?」

「よーし、今晩は焼肉にしよう!」

 夜の街を歩きながら、二人の会話は弾んでいく。

「ドロシーの時間は俺が朝まで買ったからね。朝まで付き合ってもらうよ? くふふふ……」

「えっ!? エッチなことは……、ダメよ?」

 ドロシーの頬が赤く染まり、俺は慌てて言い訳する。

「あ、いや、冗談だよ。本気にしないで……」

 一瞬の沈黙の後、二人の笑い声が夜空に響いた。

 この夜の出来事が、彼らの関係をどう変えていくのか。それはまだ誰にも分からない。ただ、二人の心の中には、確かな温かさが広がっていた。




 圧倒的な力を手に入れ、可愛い幼なじみと共に順調な商売を営む。ユータの人生は、まさに絶好調の日々を迎えていた。

 夕暮れ時、俺は屋根に登り、夕焼け空を眺める。閑静な住宅街には静寂が広がり、俺は深い満足感に包まれていた。

 この幸せが永遠に続くわけではないだろうが、今はこの幸せを心ゆくまで味わおう。未来がどうなろうと、今この時を精一杯生きることが大切だと、真っ赤に染まる茜雲を眺めながら俺は考えていた。

 夜風が優しく頬を撫でる。ユータは深呼吸をして、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

「キャーー!! ユーター! どこにいるの!? 早く来てーー!」

 下の方でドロシーの慌てる声がする。

「おーう、今行くよーー!」

 俺はニヤッと笑うと、下の道へと飛びおりてドロシーの元へと急いだ。

 そして運命の十六歳がやってくる――――。


        ◇


 その日、ユータは武器の新規調達先を開拓するため、二百キロほど離れた街へと飛んでいた。魔法の力を駆使し、大空を自由に飛ぶその姿は、まるで伝説の魔法使いのようだった。

 レベルは千を超え、もはや人間の域を遥かに超えていた。人族最強級の勇者のレベルが二百程度であることを考えれば、ユータの力がいかに桁外れであるかが分かる。

 日常生活さえ、彼にとっては危険と隣り合わせだった。ドアノブは普通に回しただけでもげてしまい、マグカップの取っ手は簡単に折れてしまう。つい先日は、何気なく頬杖(ほおづえ)をついただけで、テーブルを真っ二つに割ってしまったのだ。

 その力は、常識の範疇を超えていた。走れば時速百キロを軽く超え、水面さえも普通に走ることができる。一軒家を飛び越えるのも、彼にとっては朝飯前の業だった。

 長距離の移動はもっぱら魔法を使って飛んで行くようになっていた。二百キロの距離も、わずか十五分で到達できる。その便利さと楽しさは、言葉では言い表せない。

 だが、このような力を持つのは世界でもユータただ一人。そのため、日ごろからバレないように気を配り、飛行の際は常に隠蔽魔法を使って、誰にも気づかれないよう細心の注意を払っていた。

 大空を悠々と飛ぶユータの姿。その瞳には、強大な力を持つ者の孤独と、同時に圧倒的な成功への期待が宿っていた。


        ◇


 大きな川を越え、広大な森を抜けると、雪を頂いた山脈がユータの目の前に姿を現した。その壮大な景色に息を呑みながら、彼は高度を上げていく。

 雲の層に近づくと、ユータは一気に加速した。真っ白な霧の中を突き抜けていく感覚に、心臓が高鳴る。そして突然、眩しい青空が広がった。

 燦燦(さんさん)と照り付ける太陽、果てしなく広がる雲海。その絶景に、ユータの胸は高揚感で満ちた。

「ヒャッホー!」

 思わず声が漏れる。興奮のあまり、俺は空中で(きり)もみ回転をしてみる。

「やっぱり自由に飛ぶって素晴らしい。異世界に来てよかった!」

 時速八百キロを超える速度で飛行しながら、俺はニヤッと笑って毛糸の帽子を目深にかぶった。

 以前、音速を超えた時の経験を思い出す。衝撃波の恐ろしさを身をもって知った俺は、今は旅客機程度の速度に抑えていた。しかし、その心の中には更なる冒険への渇望が燃えていた。

「そのうち、宇宙船のコクピットみたいのを作って、ロケットのように宇宙まで行ってみたいな」

 俺の目には、飛行魔法の無限の可能性が広がって見える。この星が地球サイズなら、宇宙経由ならわずか二十分で裏側まで行けるはずなのだ。

 やりたいことだらけで身体がいくつあっても足りないと、俺はため息をついた。


            ◇


 山脈を越えた頃、ユータはゆっくりと高度を下げ始めた。

 雲を抜けると、広大な森が広がり遠くに目的地の街らしき輪郭がぼんやりと見えてくる。その時、ユータの目に奇妙な形の森が飛び込んできた。明らかに人工的な盛り上がりが、自然の風景の中に不自然に浮かび上がっている。

「何だろう? 怪しいな……」

 好奇心に駆られ、俺は鑑定スキルを使ってみる。

ミースン遺跡
約千年前のタンパ文明の神殿

「おぉ、遺跡だ!」

 興奮を抑えきれず、俺は速度を落としながら上空をクルリと旋回した。

 崩れた石造りの建物の上に大木が生い茂る様子が、時の流れを物語っている。

 慎重に着陸できそうな場所を選び、俺はゆっくりと降り立った。足元には、かつての栄華を偲ばせる繊細な彫刻が施された石柱の残骸。しかし、巨木の根が容赦なくそれらを破壊し、廃墟と化していた。

「まるでアンコールワットだな……」

 俺の胸に、何か切ないものが込み上げる。

「もしかしたら、お宝が残っているかも」

 そう呟きながら、俺は崩れた石をポンポンと放り、巨木の根をズボズボと引きてみる。しかし、どれだけガレキを取り除いても、何も見つからない。

「ふぅ……、ダメだなこりゃ」

 俺は流れ落ちる汗を拭い、大きくため息をついた。

「これじゃラチが明かない。ふっ飛ばしてみるか」

 一旦空中に舞い戻った俺は、遺跡をみおろし、中心部に向けて手のひらを向けた。

「ファイヤーボール!」

 かつて、初級魔法として馴染みのあったその言葉を、俺は口にした。瞬間、手のひらの前に何十メートルはあろうかという巨大な火の玉が浮かび上がる。それは以前の記憶とはかけ離れた、圧倒的な存在感を放っていた。

「何だ!? このサイズは!?」

 すぐに炎の塊は遺跡へと放たれる。その光跡は、まるで流星のように美しく、そして恐ろしかった――――。

 刹那、世界が激光に染まる。

「うわっ!」

 反射的に俺は目を覆った。しかし、全身が燃えるような熱線に貫かれる。

「ぐはぁ!」

 続いて、轟音と共に衝撃波が押し寄せた。

「くっ……!」

 グルグルと回りながら空高くへ吹き飛ばされてしまう俺。

 必死に姿勢を制御して何とか回転を止めたが、その目の前に広がる光景に、言葉を失う。

 遺跡があったはずの場所に、巨大なきのこ雲が立ち上っていた。その紅蓮の輝きは、まるで血に染まったかのように見える。

「こ、これが……俺の力?」

 俺は自分の手のひらを見つめる。昔、海で爆発させたファイヤーボールとはもはや別物。深刻な大量破壊兵器だった。

 周囲を見渡すと、数キロ四方の木々が根こそぎなぎ倒されている。石造りの建造物は跡形もなく消え去り、その跡地には黒々とした穴が口を開けていた。

「これじゃあまるで……核戦争だ」

 俺は改めて自分の異常な力に恐怖を覚え、ブルっと震えた。


       ◇


 俺は遺跡跡の大穴に降り立った。焦げた匂いが鼻をつき、溶けかけた石の熱気が顔を焼く。

「あーあ、やりすぎたなぁ……」

 不安定に積み重なった瓦礫を前に、俺は立ち尽くした。

 良く見ると瓦礫の奥に、通路の入り口らしきものが見える。

「おっ、これは行くしかないよな……」

 いつまでも悔やんでいても仕方ない。俺は気分を入れ替え、宝探しに集中することにする。

 ポイポイと巨大な瓦礫を放り投げていくと、地下への通路の全貌が現れた。暗闇の中へと続くその道には精巧な彫刻が並び、気分も俄然盛り上がってくる。

「さ〜て、お宝は残ってるかな……?」

 俺は魔法で光の玉を浮かべると、地下へと続く通路へと潜って行った。


          ◇


 暗闇を穿(うが)つように進むユータの足音が、カツーン、カツーンと響く。石造りの通路は、まるで時の流れから取り残されたかのように、冷たく、そして静寂に包まれていた。魔法の明かりが幽かに揺らめき、その薄暗がりの中で、ユータの影が不気味に伸びては縮む。

「ここも、昔は賑やかだったのかな……」

 俺は、(おのれ)の呟きが虚ろに響くのを聞きながら、慎重に歩みを進めた。索敵の魔法を張り巡らせ、わずかな変化も見逃すまいと神経を研ぎ澄ます。湿った空気が肌を這い、鼻をつくカビの匂いが、この場所の長い眠りを物語っていた。

 やがて、通路の先に小さな部屋が姿を現す。朽ち果てた異常な量の扉の残骸が床に広がり、かつてこの場所が人の手によって封じられていたことを示していた。

 俺は息を呑み、そっと部屋の中を覗き込む――――。

 そこには、ぼうっと微かに紫色の光をまとった一本の剣が佇んでいた。

「これは……?」

 俺の鑑定スキルがステータスを表示する。

東方封魔剣(とうほうふうまけん) レア度:★★★★★

長剣 強さ:+8、攻撃力:+50、バイタリティ:+8、防御力:+8

特殊効果: 魔物封印


「キターーーー!」

 興奮で手が震えた。初めて見る★5の武器——それは伝説の域に達する代物だ。国宝どころか、一国の命運を左右しかねない存在に違いない。

「まさか、こんな場所で出会えるなんて……」

 俺はこの世紀の大発見にグッグッとガッツポーズを連発させた。

 しかし、その喜びもつかの間、俺の脳裏に一つの疑問が浮かぶ。

「封魔剣……? つまり、この中に何かが封じられているってことか?」

 俺は剣に手を伸ばしかけた手を止める。この剣に封じられた存在は、かつて国の威信をかけても誰も倒せなかったからこそ、ここに眠っているのではないか?。

 放たれている紫色の光がまだこの剣が生きていることを示している。であれば、その封じられた魔物もまだ存命ということだろう。

 もちろん、レベル千を超える自分にとって、どんな敵も恐れるに足りないはずだ。

 しかし――――。

 絶対安全な保障などない。

 俺の心が揺れた。

 剣を抜けば、未知の冒険が待っている。しかし同時に、計り知れない危険も潜んでいるかもしれない。

「でも、俺は……」

 ユータは深く息を吸い、決意を固める。

 安全に振った人生などとっくに捨てているのだ。どんな敵が現れようと、必ず倒してみせる!

「来るなら来い!」

 ユータの手が剣の柄に触れた瞬間、冷たい感触が、まるで長い眠りから目覚めたかのように、ユータの体に電流を走らせた。

くっ! さあ、来い!」

 汗と緊張で滑る手を剣の(つば)に這わせ、俺は全身の力を振り絞った。

「ぬおぉぉぉ!」

 しかし、剣は微動だにしない。レベル千の怪力でさえ、この一本の剣を動かすことができないとは――――。

「な……なんでだよ!」

 俺は焦った。いまだかつてこんな無力感に襲われたことはない。俺の怪力は無意味なのか……?

 だがその時、俺の脳裏に奇妙な発想が閃いた。

「引いてダメなら……押してみろ!」

 ためらいなく、俺は剣を地面へと全力で押し込んだ。

「うおぉりゃぁ!」

 刹那(せつな)、パキッという乾いた音が響き渡る。台座が砕け散り、剣が沈み込んでいく。

「やった! こ、これで……」

 勝ち誇る声が途切れる。台座の割れ目から、黒い霧が噴出(ふんしゅつ)し始めたのだ。

「うわぁ!」

 反射的に後ずさる――――。

 その瞬間、背筋を凍らせるような低い笑い声が響いた。

「グフフフ……」

 霧の中から現れたのは、優雅なタキシード姿の小柄な魔人。その姿、禍々しく放たれるオーラは、俺の予想をはるかに超えていた。

「我が名はアバドン。少年よ、ありがとさん!」

 黒い口紅を塗った唇が歪み、不気味な笑みを浮かべる。

「お前が……封印されていた悪い魔人?」

「魔人は悪いことするから魔人なんですよ、グフフフ……」

 アバドンの言葉に、俺はフン! と気合を入れる。

「じゃぁ、退治するしかないな」

 グッとファイティングポーズを取ると、アバドンは嘲笑で応える。

「少年がこの私を退治? グフフフ……笑えない冗談で……」

 その瞬間、ユータの姿が消えた。

「え……?」

 アバドンが驚きの声を上げる前に、ユータの拳が魔人の顔面に叩き込まれていた。

 ぐほぁ!

 壁に叩きつけられ、無様に転がるアバドン。

 俺は鼻で嗤うとそれを見下ろした。

「笑えない冗談? そうかもしれないね。でも、それは弱いお前の妄言が、だけどね」

 怒りに燃えたアバドンの叫びが、狭い空間に木霊(こだま)する。

「何すんだ! このガキぃぃぃ……」

 ゆっくりと立ち上がる魔人の目は、憤怒(ふんど)の炎に包まれていた。

「レベル千の俺のパンチで無事とは……さすがは魔人か……」

 アバドンの指先が、ユータに向けられる。呪文が(つむ)がれ、眩い光線が放たれた。

 パウッ!

 室内に乾いた音が響く。

 しかし――――。

 ユータの姿が霞む。

「そんなノロい攻撃、当たるかよ!」

 瞬歩で光線をかわしながら間合いを詰め、渾身の一撃をアバドンの腹に叩き込む。

 ぐふぅ!

 (うめ)き声と共に吹き飛ぶアバドン。しかし、ユータの攻撃は止まらない。

 再度間合いを詰めるユータに、アバドンは慌てて金色に輝く魔法陣のシールドを展開した。

 ほぉ……?

 その美しさに、ユータは一瞬、(まなこ)を奪われる。

 だが――――。

「俺のこぶしを止めてみろ!」

 放たれるレベル千の強烈右フック――――。

 魔法陣は粉々に粉砕され、こぶしはそのままアバドンの顔面を捉える。

 ガハァッ!

 再び壁に叩きつけられる魔人。

 しかし、それでも魔人は起き上がってくる。

「マジかよ……。その耐久力だけは一流だな……」

 そのしぶとさに俺は舌を巻いた。

「このやろう……俺を怒らせたな!」

 紫色の液体を口から(したた)らせながら、アバドンが()える。

 ぬぉぉぉぉ!

 漆黒(しっこく)のオーラが渦巻き、アバドンの筋肉がパンパンに膨張していく。タキシードがパン! と()け、魔人の姿が光に包まれていく。

 おわぁぁぁぁ!

 (まぶ)しい光が収まると、そこには想像を絶する姿のアバドンが立っていた。コウモリの翼を持つ紫色の巨漢――――。

 その姿は、まさに悪夢そのものだった。

「見たか、これが俺様の本当の姿だ。もうお前に勝機はないぞ! ガッハッハ!」

 豪壮(ごうそう)な笑い声が響き渡る。しかし、ユータの表情は変わらない。

「へぇ、その姿が本当の姿か。でも弱いことは変わらんよね」

 ユータは、静かに微笑んだ。

 (やみ)の力が渦巻(うずま)く地下室に、アバドンの怒号(どごう)が響き渡った。

「な、なんだとぉ……。小僧め、肉団子にしてやる! 重力監獄(メガグラヴィティ)!」

 両手を突き出す魔人の指先から、紫色の閃光(せんこう)が放たれる。ユータの周囲に奇妙なスパークが舞い、直後、すさまじい重圧が彼の体を(つつ)み込んでいく。

「二十倍の重力だ、潰れて死ね! グワッハッハッハ!!」

 アバドン勝ち誇った声が響き渡った。

「なるほど、これが二十倍の重力か……」

 腕を組み、微笑むユータの姿に、アバドンの表情が曇る。

「あ、あれ?」

 焦りを隠せない魔人は、全身の魔力を振り絞り、さらなる魔法を繰り出す。

「百倍ならどうだ! ギッ、ギッ、絶対重力(ギガグラヴィティ)!!」

 轟音(ごうおん)と共に、床が(きし)む。七トンもの重圧がユータにかかったのだった。

 ユータは七トンの重みを一身に受けながら、何事もないかのように興味深そうにうなずいた。

「ほう、なるほどなるほど…… 重力魔法というのはこうやるのか…… どれ、俺もやってみよう」

 そう言うと、何かをぶつぶつとつぶやき始めた。その口元には、かすかな笑みが浮かんでいる。

 渾身の力で魔法を放ったアバドンは、全身から滝のような汗を流していた。

「はぁっ、はぁっ…… き、効いて……ない? まさか……」

 アバドンの顔から血の気が引いていく。その表情には、絶望(ぜつぼう)の色が濃く滲んでいた。

「上手くいくかな? それっ! 重力崩壊(テラグラヴィティ)!」

 ユータはアバドンへ向けて両手を向け、自分で改良した重力魔法を唱える。その瞬間、空間がゆがみ、光さえも歪んで見えた。

「バ、バカな! ぐはぁ!!」

 アバドンは紫色のスパークに全身を覆われ、パリパリと乾いた音を放ちながら床に倒れ伏せた。

 そして、ベキベキと派手な破砕音を立て、床石を割りながら下へめり込んでいく。その様は、まるで地面が飢えた獣のように魔人を飲み込んでいくかのようだった。

「ぐぁぁぁぁ……」

「重力千倍……かな? うーん、なかなか面白いね」

 ユータは楽しそうに笑った。その笑顔には、少年のような無邪気さを感じさせる。

「ぐっ、ぐぐっ……」

 二百トンの重さにのしかかられたアバドンは、もはや声を上げることもできない。ただ、メキメキと床石を割りながら徐々にめり込んでいく。

 その目に、初めて恐怖の色が浮かぶ。

「悪さする魔人は退治しないとね くっくっく……」

 ユータはその様を見ながら満足そうに笑った。

 しかし、アバドンはそれでも死なない。重力崩壊(テラグラヴィティ)の効力が切れるとゴキブリのように復活した。

 ()()うの(てい)で逃げ出そうとする魔人。

「ば、化け物だぁ……」

 壁に魔法陣を光らせ、そこに飛び込もうとする。その姿は、かつての威厳(いげん)ある魔人の面影はなく、ただの哀れ(あわ)な敗者のそれだった。

 だが――――。

「逃がすわけないだろ」

 ユータの冷徹な声が響く。アバドンの足首を掴み、魔法陣から引き剥がすと、そのまま、全身の力を込めて床に叩きつける。

 ドッセイ!

 ゴフッ!

 口から泡を吹き、痙攣(けいれん)するアバドン。その姿は、もはやただのぼろ切れのようだった。

 俺は静かに息をつく。この戦いは、あまりにも一方的すぎた。(いにしえ)の文明が、封じるしか手が無かった恐怖の対象をまるで赤子をひねるみたいに倒せてしまう それは自身の力の恐ろしさを再認識せざるを得ない結果だった。

「これが……俺の力か」

 呟きながら、俺は自身の拳を見つめる。湧き上がる畏怖(いふ)の感情――――。

 それは、力の頂点に立つ者だけが感じる孤独さと責任感が入り混じったものだった。

 この力を正しく使うこと、それが、俺に課せられた使命なのかもしれない。その思いが、胸の奥深くで芽生え始めていた。

 凄絶(せいぜつ)な戦いの痕跡が残る地下室に、奇妙な沈黙が(ただよ)う。

 俺は、なおも(うごめ)くアバドンを冷ややかな目で見下ろした。

「こいつ、しぶとすぎるな……」

 (つぶや)きながら、俺は割れた台座の方を向く。そこに刺さった★5の剣が、微かに(きら)めいていた。その輝きは、まるで千年の時を超えて今なお生きているかのように見える。

 俺は剣を手に取る。千年の時を経た武器は、野太(やぶと)い姿をしていながら、その刃は今なお鋭さを失っていなかった。

「これでとどめを刺すか」

 剣を軽く振り、肩慣(かたな)らしをするユータ。

「こ、降参です……まいった……」

 アバドンの声が、(かす)れながら響く。しかし、ユータの表情は変わらない。

「魔人の言葉など、信用できるか」

 俺は無表情のまま剣を振り下ろした。

 ザスッ

 鈍い音と共に、アバドンの首が(ちゅう)を舞う。血しぶきが舞い、地下室の壁を紫色に()めた。

「これで終わりだ」

 俺が剣についた血を振り払った瞬間、予想外(よそうがい)の声が響いた。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ……」

 転がる首から発せられる言葉に、俺は絶句(ぜっく)した。その光景は、あまりにも現実離れしていて、一瞬、幻覚を見ているのかと疑ったほどだ。

「しょ、少年、いや、旦那様、私の話を聞いてください」

 切り離された首が、切々と訴える。その執念(しゅうねん)に、俺はため息をつき、首を静かに振った。
「何だよ、何が言いたい?」

 俺の声には、疲れと苛立(いらだ)ちが混じっていた。もう十分だ。この滑稽(こっけい)な茶番劇を早く終わらせたかった。

 アバドンの首は、涙ながらに語り始める。

「旦那様の強さは異常です。到底勝てません。参りました。しかし、このアバドン、せっかく千年の辛い封印から自由になったのにすぐに殺されてしまっては浮かばれません。旦那様、このワタクシめを配下にしてはもらえないでしょうか?」

 その言葉に、俺は苦笑しながら肩をすくめる。

「俺は魔人の部下なんていらないんだよ 悪いがサヨナラだ」

 俺は再び剣を振りかぶった。その刃に、魔法ランプの光が冷やかに反射する。

 しかし、アバドンの必死の叫びが響く。

「いやいや、ちょっと待ってください わたくしこう見えてもメチャクチャ役に立つんです 本当です」

 その哀願(あいがん)に、俺は一瞬、躊躇(ちゅうちょ)する。魔人を配下にするなど、常識では考えられないことだ。しかし、自分が常識に縛られないことで成功してきた経緯を考えれば、少し話を聞いてみてもいいかも知れない。俺の中で、好奇心と警戒心が葛藤(かっとう)する。

「……役に立つ? どういうことだ?」

 アバドンの目が希望に満ちて輝いた。

「旦那様に害をなす者が近づいてきたら教えるとか、戦うとか……そもそもわたくしこう見えても世界トップクラスに強いはずなんです 旦那様の強さがそれだけ飛びぬけているということなんですが」

 俺は眉をひそめる。確かに味方になってくれればそれなりに重宝しそうではあったが……。その利点(りてん)の裏に潜む危険(きけん)性も、無視できない。

「でも、お前すぐに裏切りそうだからな……」

 その瞬間、アバドンの目に覚悟の光が宿った。

「じゃ、こうしましょう! 奴隷契約です 奴隷にしてください そうしたら旦那様を決して裏切れないですから!」

 奴隷(どれい)――――。

 その言葉が、俺の中で反響する。確かに、この世界には奴隷契約の魔法が存在した。

 俺は首をかしげながら、魔法の小辞典を取り出して調べてみる。確かにそこに書かれていたのはレベル千の知力を持つ自分なら決して難しくはない魔法である。その事実に、俺は戸惑(とまど)いを覚えた。

 涙目の生首を見ながら俺はしばし逡巡(しゅんじゅん)した。便利さと面倒くささ、リスク、いろいろ天秤にかけながら腕を組んで考える――――。

 この判断が、これからの自分の人生を大きく左右するかもしれない。

「お願いしますよぉぉぉ。損はさせませんからぁぁ」

 アバドンは必死に哀願してくる。

 俺はクスッと笑うとうなずき、生首をパシパシと叩いた。

「ヨシ! わかった、じゃぁこれからお前は俺の奴隷だ。俺に害なさないこと、悪さをしないこと、呼んだらすぐ来ること、分かったな!」

 アバドンの身体が、喜びに震える。その様子は、まるで子犬が新しい飼い主に出会ったかのようだった。

「はいはい、もちろんでございますぅ。このアバドン、旦那様のようなお強い方の奴隷になれるなんて幸せでございますぅぅ!」

 俺は慎重に魔法陣を描き、中心に生首と身体を並べると、自分の指先をナイフでつついた。一滴の血がアバドンの唇を(うるお)す――――。

 刹那(せつな)(まばゆ)い光が部屋を包み込む。その輝きは、太陽の(きら)めきにも似て、遺跡の闇を一瞬にして払拭した。

「うわっ!」

 思わず後ずさる俺。目を(つむ)っても、まぶたの裏に光の残像が焼き付いている。

 光が薄れると、アバドンの首筋に炎のような刺青(いれずみ)が浮かび上がっていた。その模様は生きているかのように蠢き、俺と魔人を結ぶ契約の証となっていた。

「ふぅ……。これで……、いいのかな?」

「完璧です、旦那様! ありがとうございます!」

 首を抱えてすくっと立ち上がったアバドンの歓喜(かんき)の声に、俺は複雑な気分になる。本当に魔人を仲間にしてしまって良かったのだろうか――――?

 しかし、今さら『止めた』というわけにもいかない。

 アバドンは、もはや自由に悪さをすることはできない。であれば問題ないはずではあったが、これが正解なのか、それとも大きな過ちなのかその答えは、すぐには分かりそうにない。

 その時、俺はふと現実に引き戻される。

「そうだ、商談に行かなきゃ!」

 俺は我に返り、アバドンに向き直った。

「この遺跡に他に何か宝物はあるか?」

 アバドンは首を横に振る。

「いや、他の宝はみな盗掘に遭って持ってかれてます、旦那様」

 ユータは軽くため息をつく。

「そうか……残念だな。じゃ、俺は仕事があるんで」

 ★5の武器をリュックにしまい、出口へと歩み出すユータ。その背中にアバドンの声が追いすがる。

「お待ちください旦那様! わたくしめはどうしたら?」

 (うる)んだ目で訴えかけるアバドン。その姿に、ユータは一瞬、【可愛い奴】と思ってしまう。しかし、首を抱えた魔人を商談に連れていくわけにもいかない。

「うーん……。しばらく用はないので好きに暮らせ。用が出来たら呼ぶ。ただし、悪さはするなよ」

「ほ、放置プレイですか……さすが旦那様……」

 アバドンの奇妙(きみょう)な感激に、ユータは思わず(まゆ)をひそめる。

 遺跡を後にするユータの胸中には、複雑な思いが渦巻いていた。魔人を奴隷にするという選択が正しかったのか、まだ確信は持てない。でも、仲間が増えるというのは存外悪くない気分だった。

「全力で殴っても死なない相手か……確かに、面白い遊び相手(あそびあいて)になりそうだな。くふふふ」

 ユータの眼差(まなざ)しに、好奇心と期待が宿(やど)った。

 街に到着したユータは、早速商談に臨む。自信に満ち、毅然(きぜん)とした態度で交渉を進める彼の姿は、もはや孤児院の少年のものではなかった。最初は子供だとバカにしていた商談相手たちも圧倒されていった。

「では、料金は半金先払いでこちらに……」

 俺は金貨の袋をドカッと机の上に置いた。その重い音は、部屋中に響き渡る。

「お、おぉぉ……」「こんな大金を持ち歩くのか……」

 商談相手たちは顔を見合わせて言葉を失う。その目には、驚きと共に畏怖の色が浮かんでいた。

「では、納品をお待ちしてますよ」

 俺はビジネスマンっぽくさわやかスマイルを浮かべ、右手を差し出した。その仕草には、少年とは思えない洗練(せんれん)された雰囲気が漂う。

 商談相手の一人が、おずおずと俺の手を握る。その手には汗が滲んでいた。

「ああ、もちろんだ。約束の日までには必ず……」

 相手の言葉を遮るように、俺は軽く頷いた。

「信用しています。紳士的な対応、感謝します」

 俺の言葉に、商談相手たちの表情が和らいだ。緊張から解放されたかのように、彼らの肩の力が抜ける。


       ◇


 夕陽が真っ赤に大地を染める頃、俺は茜雲を突き抜け、景気よく飛んでいた。風を切る爽快感が全身を包み込む。

「★5の武器、魔人の奴隷、そして商売の成功か……」

 (まぶ)しい夕陽を目を細くして見つめ、俺は満足しながら微笑(ほほえ)む。

「でも……。俺の人生、こんなに上手くいっちゃっていいのかな……?」

 その(ひとみ)に、(わず)かな不安の影が宿(やど)った。

 風に乗って飛び続ける俺の耳に、遠くから鐘の音が聞こえてきた。どこかで夕暮れを告げる音色が、俺の心に郷愁(きょうしゅう)を呼び起こす。

「たまには孤児院に帰ろうかな……。お土産は……、そうだ、果物でも買って行こう」

 俺は空中で果樹園の方へとゆったりと方向転換していく――――。

「みんな喜んでくれるかな? ふふふっ」

 俺は子供たちがワラワラと群がってくる様子を想像して、思わず微笑んでしまう。

 自由でありながら、どこかに帰るべき場所がある。そんな幸せを噛みしめながら、俺は夕焼けの空を駆け抜けていった。


       ◇


 翌日、届け物があって久しぶりに冒険者ギルドを訪れた。薄暮の空が、ギルドの建物を柔らかな光で包んでいる。

 ギギギー。

 相変わらず古びたドアが懐かしい響きをあげてきしむ。

 にぎやかな冒険者たちの歓談が耳に飛び込んできた。防具の皮の臭いや汗のすえた臭いがムワッと漂っている。これこそが冒険者ギルドの真骨頂(しんこっちょう)だ。俺は少し気おされたが、この独特の空気が今日は妙に心地よく感じられる。

 受付嬢に届け物を渡して帰ろうとすると、

「ヘイ! ユータ!」

 アルが休憩所から声をかけてくる。その声には、昔と変わらぬ溌剌(はつらつ)とした響きがあった。

 アルは孤児院を卒業後、冒険者を始めたのだ。レベルはもう三十、駆け出しとしては頑張っている。にこやかな彼の顔には、少しではあるが冒険者の風格が宿りつつあった。

「おや、アル、どうしたんだ?」

「今ちょうどダンジョンから帰ってきたところさ。お前の武器でバッタバッタとコボルトをなぎ倒したんだ! 見せたかったぜ!」

 アルが興奮しながら自慢気に話す。その姿は、子供の時そのままの無邪気で、純粋だった。

 なるほど、俺は今まで武器をたくさん売ってきたが、その武器がどう使われているのかは一度も見たことがなかった。武器屋としてそれはどうなんだろう? その考えが、俺の心に小さな引け目を呼び起こす。

「へぇ、それは凄いなぁ。俺も一度お前の活躍見てみたいねぇ」

 何気なく俺はそう言った。

「良かったら明日、一緒に行くか?」

 隣に座っていたエドガーが声をかけてくれる。その声には、経験豊富な冒険者特有の落着きが感じられた。

 アルは今、エドガーのパーティに入れてもらっているのだ。

 エドガーの言葉に、俺はチャンスを感じた。

「え? いいんですか?」

「お、本当に来るか? うちにも荷物持ちがいてくれたら楽だなと思ってたんだ。荷物持ちやってくれるならいっしょに行こう」

 エドガーの提案は、冗談めかしているようで本気らしい。

 一瞬の躊躇(ちゅうちょ)の後、俺は決心した。

「それなら、ぜひぜひ! 荷物持ちなら任せてください!」

 俺の返事に、アルとエドガーの顔がほころぶ。

 話はとんとん拍子に決まり、憧れのダンジョンデビューとなった。その夜、俺は久しぶりに冒険への期待に胸を躍らせながら眠りについた。明日の冒険が、どんな新たな発見をもたらすのか。その思いが、俺の夢の中まで続いていった。