それからというものの、康平は水城くんに話しかけることが増えた。そんなガッツリって感じじゃなく、タイミングが合ったときにちょっとした雑談、程度だけど。
 水城くんが嫌がるようなら何が何でも止めてみせるのだが、それほど気にしてはいないようなので毎回ハラハラと眺めるだけに終わっている。


「君の友達、すごい元気だよね」

 ――が、しかし。気にしていない、というのは俺の勘違いだったらしい。
 水城くんと康平が知り合って二週間ほど。ゴールデンウィークを挟んだから、二人が話した日数としては一週間程度が経った頃だった。少し疲れたようにそんなことを言われて、俺はさっと青ざめた。

「やっぱ鬱陶しい!? ごめん!」
「鬱陶しいなら鬱陶しいって言うから。それに君は悪くないんだから、すぐに謝るのやめなよね」
「ごめ……んんっ、そうだよね」

 咳払いでごまかせば、呆れた視線を向けられた。
 そんなやりとりをしているところで、注文したものが運ばれてくる。水城くんはブレンドコーヒーのみ、俺は紅茶とガトーショコラだった。

 今日は学校近くの個人経営の喫茶店に来ていた。クラシカルな店内はとても落ち着いた雰囲気で、絶対水城くん似合うよなー、と誘う時期を見計らっていたのだ。
 元から気になっていた喫茶店だったが、一人で来る勇気はないし、康平とかはなんかちょっと場違いだし。いや、それ言うと俺だって場違いだろうけど。

 そろそろ放課後に帰る以外のことをしてもいいんじゃないかと誘ってみたが、水城くんはあっさりとうなずいてくれた。仲良くなれている証のようで嬉しい。
 まあ、あっさりとはいっても、放課後呼び出されてるからそれ終わってから、とは言われたんだけど。
 訊かなかったが、たぶん告白だろう。さすが水城くんはモテる。

 水城くんに恋ができたら、こういうときに嫉妬してしまったりするんだろうか。
 ……それはちょっと、嫌だな、と思う。水城くんが誰かに好かれていることを、素直に喜べなくなるのは嫌だ。
 だけどやっぱり、恋をしてみたいとも思ってしまうから難しいところだった。
 まあ、嫉妬するかも、というのは俺の『恋』に対するただのイメージだ。結局そういうのは人それぞれなんだし、経験してもいないうちから考えたってしょうがないかな。


 いただきます、と律儀につぶやいて、ブラックのままコーヒーカップを傾ける水城くん。……うわ~、かっけぇ。

 ――飲みものだけでもいただきますってちゃんと言うところ、好きだな。

 なんて、もはや癖になった好きなところ探しをしながら、俺はテーブルに置いてあるシュガーポットに手を伸ばした。そして、紅茶の中に砂糖をどぼどぼどぼどぼ投入。
 水城くんはそれを見て、信じられないとでも言いたげに目を見開いた。

「……それもう砂糖飽和してない?」
「はは、こんくらいじゃしないよ。水城くんも飲んでみる?」
「絶対やだ」

 きっぱりと断られて、えー、と少し口を尖らせる。

「美味いのに」
「君が美味しいと思ってること自体は否定しないけど、その砂糖の量は体に悪いしやめたほうがいいとは思うよ」
「それはおっしゃるとおりですね……」

 ……人の感覚を否定はせず、そのうえで自分の意見をはっきり言うところ。好きだな。

 好きなところを一つ見つけるたびに、水城くんの傍にいるのが心地よくなる。なんとなく息がしやすくなる、というか。
 小さなピッチャーのミルクを全部入れて、カップの中をくるくるとかき混ぜる。ミルクティーの色って、なんだか優しくて好きだ。

「甘いケーキにそんな甘い飲みものって、君かなりの甘党だよね」
「そうかな? そこまでじゃないと思うけど……」
「そこまでだよ。……手作りは? 大丈夫な人?」
「手作り? 手作りお菓子ってこと? 特に気にしないけど……」

 なんで急にそんな話題に、ときょとんとすれば、水城くんは少し得意気に微笑んだ。

「今度何か作ってきてあげようか」
「……水城くんが?」

 ぱちぱちと目を瞬いてしまう。
 そうとしか取れない流れだったけど、その流れが上手く掴めなくて頭に疑問符ばかり浮かんだ。水城くんが、俺に、お菓子を作ってくれる……?
 俺の困惑をよそに、水城くんはあっさりうなずいた。

「うん、僕が。お菓子作り、それなりに得意なんだよね。僕自身はそこまで甘いもの好きってわけじゃないけど、姉さんのためによく作るから」
「わああ~すっげ! 紫苑くんお菓子作りもできんの!? やば! 似合う!!」

 水城くんとお菓子作り、今まで想像したこともなかったけど、めちゃくちゃいい組み合わせだ。雰囲気がぴったりっていうか……!
 興奮して称賛すると、水城くんは「似合うってなに」とちょっと呆れ顔をした。

「それで、どう? 食べたいなら作ってくるけど」
「……でもお菓子作りって大変じゃない? それにもうすぐテストだし」
「慣れてるから、別に。テストも普段から勉強してるから問題ないよ」
「う、うーん、それなら、お言葉に甘える……! 水城くんのお菓子、食べてみたい! 何作れるの?」
「いろいろ。何食べたい?」

 選択肢が膨大すぎて悩む。
 あんまり難しいお菓子をリクエストするのも申し訳ないよな……。でもお菓子作りの難易度なんて全然わからない。明らかに簡単なのはクッキーとかだろうけど、簡単なのをリクエストするのも失礼だったりする?

「えっと……じゃあ、プリン、とか?」

 簡単すぎなさそうで、それでいて難しくなさそうなものを挙げてみると、水城くんはふっと笑った。

「朝食べるんならいいけど。そうじゃなきゃ、保冷剤使っても厳しいかな」
「あ、確かにプリンって冷蔵か……! ご、ごめん」
「ううん。選びづらそうだし、こっちから提案しようか。そうだな……チョコマフィンとかは?」
「……難しくない?」
「全然」
「じゃあそれでお願いします!」

 うん、と水城くんは満足そうにうなずく。「楽しみだな」とこぼすと、「楽しみにしてていいよ」と自信満々に言われた。

 話している間に、紅茶は程よく冷めていた。砂糖たっぷりの甘いそれを一口飲み、ほっと息をつく。自然と口元が緩んだ。
 紅茶の力だけじゃない。これはきっと、水城くんといるからだ。

「……水城くんと一緒にいるの、なんかいいな」

 素直な感想をこぼすと、水城くんはよくわかっていない顔で「そう?」と小首を傾げた。

「うん、落ち着く。なんていうか……絵本読んでるみたいな気分かも」

 今でこそあまり本を読まないようになってしまった俺だが、小さい頃は絵本が大好きだった。
 視線を斜め上に向けて、当時の気持ちを思い浮かべる。

「読んでるっていうか、読んでた頃の気持ちを思い出すっていうか? ちゃんとは覚えてないけど……こんな感じだった気がするな、って。何回も読んでるのに、今日はどうなるんだろ? って毎回わくわくしながら開く感じとか、次のページをめくるドキドキ感とか。カラフルな絵を見て、綺麗だなーって嬉しくなる感じとか」

 水城くんと一緒に帰るようになって、一ヶ月以上経つ。すでにそれだけ好きなところもたくさん見つかっているということだけど、今日はどんな好きなところを見つけられるか考えると毎日わくわくするし、ドキドキもする。好きなところなんて探し尽くしてしまったんじゃないかとも思うけど、必ず毎日見つかるのだからすごい。
 そして水城くんが綺麗なのは、もう言わずもがなだろう。見慣れたつもりでいても、ふとした瞬間に見惚れそうになることがまだある。

「あとは、そうだな。絵本読んでるときって、絵本と自分の二人きりの世界っていうか……二人っていうのもおかしいけど、とにかくドキドキはするのにすごい静かで、落ち着くんだよな。水城くんといるのは、そういう感じ」

 そう締めくくる。言葉を探し探し話していった割には、結構上手いこと表現できた気がする。……他人にとってわかりやすい表現かどうかはともかくとして。
 やりきった、という満悦顔を向ければ。

「……君ってほんと、恥ずかしいこと平気で言うよね」

 ――水城くんの耳の先が、また赤くなっていた。

 えっ、あれ、はずか……恥ずかしい?
 …………確かに恥ずかしいな!? 水城くんの目の色褒めたときは途中で気づけたのに、今回は今までまったく気づかなかった!! 
 それだけ今語ったことが俺の中で当たり前の感覚だった、ということなんだろうけど、それを自覚するのもまた恥ずかしい。

「失礼、しました……」

 羞恥心をごまかすために、ガトーショコラをばくばくと食べる。美味しいはずなんだけど、チョコだな、くらいの味しかわからなかった。悲しい。
 紅茶を口に含んで、アイスティーにすればよかったかも、と少し後悔する。アイスティーなら、上がった体温をちょっとは落ち着かせてくれただろう。
 水城くんもゆっくりとコーヒーを飲みながら、ぼそりと尋ねてくる。

「……君、絵本好きなの」
「へえあ!? うっ、うん、好きだった! 有名どころはひととおり読んでたんじゃないかな」

 絵本の流れで会話が続くとは思っていなかったから、過剰に反応してしまった。水城くんは早くも平常心を取り戻したようだが、こっちはまだ全然だ。顔が熱いまま。

「僕はそんなに読んでなかった気がするけど、『すずめのパンやさん』とか好きだった」
「あ、俺も好き! いろんなパンがいっぱい描かれてるページ、全部可愛いし美味そうだよな」

『すずめのパンやさん』とは、その名のとおり雀の家族が営んでいるパン屋さんの話である。見開きいっぱいにいろんな種類のパンが描かれているページが印象的だった。

「どのパンが特に好きだったとかある? 俺は確か、ライオンのやつ好きだった!」
「焦げたパン」
「……うん?」
「すずめの子どもたちのおやつになってた、焦げたパン」

 確かにそんなパンも出てきたな。
 だけど俺が想定していなかった答えだったので、ついぽかんとしてしまった。水城くんは俺のそんな様子も気にせずに、普通に話を続ける。

「美味しそうだったから、パン屋で買ってきたパンをオーブントースターで真っ黒になるまで焼いたことある」
「……それ、食べたの?」
「食べた。苦かった」
「だ、だよねぇ」
「しかも、親には秘密でやってたんだけど。食べてる最中に親が帰ってきて、一人で勝手にオーブントースター使ったこととか、真っ黒な危険な物体食べてることとか、すごい怒られたんだよね」

「んふっ……」

 笑いをこらえたら変な声になってしまった。
 いや、だって。……水城くんの幼少期が想像以上に可愛くて。
 実際に焦げたパンを作ろうとする行動力がすごいし、秘密の犯行が結局親にばれてしまう詰めの甘さが微笑ましいし、おまけに『真っ黒な危険な物体』なんて本人が表現してるのが面白いし、苦くて不味いだろうにちゃんと食べようとする律儀さが今の水城くんに通じてて、それもなんか面白いし。
 本来なら思う存分笑いたいところだが、水城くんのことを笑っちゃいけない、という意識がブレーキになる。腹筋が痛くなってきた。

「笑っていいところだよ」
「ふ、くくっ……そう? なら、ふふふ、笑っちゃうね」

 遠慮なく、しかし店の雰囲気を壊さない声量であははははっ! と笑えば、水城くんの表情が和らいだ。

「……君、あの友達と一緒にいるときはよく笑ってたでしょ」
「えっ、いつ見てたの?」
「たまに見かけた。でも、僕といるときにはそんなに笑わないから」
「……普通に笑ってなかった?」
「今みたいな大笑いはなかったよ」

 確かに。水城くんといるのは居心地がよくて、そういう穏やかな気持ちでの微笑みは常の話でも、楽しくて笑う、みたいなことはそんなになかったかもしれない。
 ……つまり水城くんは、それを気にしててくれた?
 それで俺が康平といるときに楽しそうだったから、水城くんといるときにも笑わせたくて、今の話をしたってこと?


 ――なんだ、それ。


 こう、なんか心臓がむずがゆい。鼓動が乱れた気がする。これがたぶん、ときめいたってことなんだろう。
 なるほど、こういう。こういう感じか。……これがときめき……心臓に悪そうだな??
 動揺を押し隠して、あせあせと口を開く。

「お、俺も水城くん笑わせられるように頑張るね! 水城くんの大笑い、最初の一回しか見たことないし!」
「別に頑張らなくていいよ。あんなふうに笑うこと自体珍しいし、そもそも君といるのは飽きないから」

 ……だから俺は自然体でいていいって話? さらなるときめき燃料の追加はやめてほしい。
 なるほど、とまた一人内心で深くうなずく。
 ときめきって一回経験すると、二回目以降陥りやすくなるのか。初めて知った。

「そ、そっかぁ」
「うん」

 優雅にコーヒーカップを傾ける水城くんは、幸いにも俺の動揺に気づいていないようだった。
 助かった、とほっとする。

 ……でも。
 もし俺が、本当に水城くんに恋をしたらどうなるんだろう。こんなときめき状態が常に続くようになるんだとしたら、気持ちを隠し切れる自信がない。バレるのも時間の問題だ。
 そうなったら?

 ――水城くんは、俺のことを気持ち悪いと思うだろうか。
 話すことすら、できなくなるだろうか。

 想像しただけで、ずきりとどこかが痛くなる。
 恋をする、ということを目標にしていて、その先のことなんて考えていなかった。そもそもここまで水城くんと仲良くなれるとも思っていなかった。

 ただ水城くんの好きなところを探して。
 ひっそりと恋をして。
 それで、どうせ叶わない初恋として、すぐに捨てるつもりだったのだ。


「どうかした?」
「あっ、ううん、なんでもない!」

 笑って首を振る。

 ――今はまだ、考えなくていいか。
 だって、水城くんに恋ができるかもわからないのだ。このままずっと友達でいたいと願うことになるかもしれない。


 それが結論の先延ばしであることはわかっていた。
 水城くんに恋をするのが怖いと思った時点で、恋をする努力なんてやめたらいい。それもわかっていたけど、それでも、恋をしてみたくて。……ここまで来たら、恋をするなら水城くんがよくて。

 矛盾ばかりの気持ちが、俺の中をぐるぐると回っていた。